カイトは門番に「ご苦労様」と声をかけて、振り返る。

 そして、返事をした。

「父上。あなたにはアルゴートという宝物を頂きました。この上何かを欲するのは強欲が過ぎます。クレオ。こんな事は言いたくないのだが、言っておかないと父上にもクレオにも伝わらないだろうから、一度だけ口にする」

「はぁ」と息を吐いて、カイトは言い放つ。

「俺を見捨てて追放したのはあなた方だ。これ以上のやりとりはお互いにとって無為です。このまま大人しく帰るのが、父上のおっしゃる育てて頂いた事への、せめてもの恩返しです」

 カイトの「恩返し」の意味が分からずに、再び騒ぎ始めたアルフォンスとクレオ。

 彼らはシエラを怒らせるとどうなるのか知らない。

 実家が火事になるのはカイトも避けたかった。

 これを温情と呼ばずして、何と名前を付ければ良いのだろうか。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 フェルバッハの屋敷を出てから、まずカイトは馬車を探した。

 あれほど険悪な空気になった上に自分から退室した手前、さすがにフェルバッハの馬車に乗ってアルゴートに帰る訳にもいかない。

 幸い、すぐに馬車を見つける事ができた。

 アルゴートまでの距離が遠く道も険しいため、最初から帝国銀貨を見せて交渉したのが良かったのかもしれないとカイトは頷いた。

「シエラ。いい加減に機嫌を直してよ。あっ! そうだ! 何か食べる!? たいしたものはないけどさ、ヘルメブルクを出る前に買っておいた携帯食料がここに!!」

「……むぅ。……カイトはおかしい。……あれほどの無礼を働かれて怒らないとか、カイトは絶対おかしい。……それは食べておく。……はむっ。……でも、カイトはおかしい。……はむっ。……一般的な人間の思考回路を逸脱している。……はむっ」

 現在、アルゴートまで残り三十キロのところまで馬車はやって来ていた。

 その間ずっとシエラをなだめていたカイト。

 ここまでシエラが何かにこだわって憤慨するのを見るのは彼にとっても初めての経験だった。

「俺はずっとあの家で育って来たからさ。父上もクレオも、既にああいう人間なんだって知ってるんだよ。だから、多少腹は立つけどすぐにどうでも良くなるんだ」

「……むぅぅ。……カイトはもっと、野心とかそういうのを身に付けた方が良い」

「野心ならあるよ。アルゴートを帝国一の領地にすることが俺の野心かな」

「……はぁ。……カイトはそーゆう人だった。……でも、そんなカイトだから一緒にいたいと思う。……発言を訂正する。……カイトは今のままで良い。……私がカイトを守れば問題ない。……シンプルかつ合理的な判断」

「それはよかった!」と歯を見せて笑うカイト。

 アルゴートに到着する頃には、シエラの機嫌もすっかり直っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 領主の家。

 つまりカイトとシエラとリザが住んでいる家では、留守を預かるリザが落ち着かない様子で家主の帰りを待っていた。

「落ち着きたまえよ。リザくんが焦じれたところで、カイトくんの背中に翼が生えはしないのだよ。便りがないのは無事な証拠だとボクは何度も言っているではないかね」

「でも、でもでもですよぉ、ユリス様! もしかしたらカイト、実家の居心地が良くなってもう帰って来ないかもしれないじゃないですかぁ!!」

「だから、そんな事はないとボクは言っているじゃないかね。リザくん、この話は何度目だと思うかい? 多分君は把握していないと思うのだけど」

「知りませんよぉ! 三回目くらいですか!?」

「二十五回目なのだよ……。カイトくん、早く戻って来てくれないかね……」

 そんなユリスの願いが通じたのか、ヘルムートが急いで駆け込んで来た。

「リザ嬢ちゃん! ユリス様! カイト様がお帰りになられましたぜ!!」

「ホント!? すぐに行きます!!」

「ああ……。良かったのだよ。ちょ、えっ!? どうしてボクの裾を引っ張るのかね、リザくん!? 分かった、分かったから、ついて行くから引っ張らないでくれ! うわわっ。ヤメたまえよ。リザくん。君、人間の女子にしては力が強すぎでは、あああっ! これほど引っ張らないでと言っているのに!! 服が脱げるのだよ!!」

 帰ったばかりの領主と大天使をリザとユリスが出迎える。

 ヘルムートは空気の読める男。

 自分から「オレぁこちらに控えときますわ! 家を開けっ放しにすんのもアレなんで!!」と留守番を申し出た。

「おかえり、カイト! どうだった!? お父さんいっぱい褒めてくれた!?」

「あー。……うん」

 カイトはリザの真っ直ぐな笑顔を見て、「とても真実は語れない」とすぐに判断した。

 代わりに気の抜けた返事をしたところ、ユリスが気付く。

「まあ、なかなか思い通りにはいかないのが人の一生なのだよ。何はともあれ、長旅ご苦労様だったと言っておこうかね」

「ユリス様。留守を任せてしまいすみません。助かりました」

「うむ。……正直なところ、留守を預かるよりもリザくんの相手をする方が大変だったのだよ」

 リザもユリスから少し遅れて、違和感に気付く。

 シエラがいつにもまして寡黙であり、そんな様を見ていると女の勘が働いたらしい。

「お父さんにアルゴート、気に入ってもらえなかったの?」

 カイトは少し考えたのちに、「いや」と首を横に振った。

 続けて言う。

「予想以上に気に入られてしまったみたいでね。ちょっと面食らったよ」

 カイトは「領土の運営について意見の食い違いがあり、父と口論になった」とリザに告げた。

 彼は嘘をつくことを好まないが、必要とあらば相手のために嘘をつく。

「そっかぁ。でも、カイトが怒るって事はお父さんが悪いよ! 絶対!!」

「リザが頬っぺたを膨らませる事もないのに。まあ、久しぶりに実家を見られて良かったよ」

 それはカイトの本心だった。

 既にフェルバッハ家に対する未練など彼にはない。

 ただ、穢れた心の者が領主として君臨するフェルバッハ領の領民が不ふ憫びんだった。

 だから、カイトは誓う。

「このアルゴートを多くの者が幸せに暮らせる土地にしてみせる!!」と。

 カイトは改めてそう決意する事で、不愉快な思いしかなかった実家への帰省を総括した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 フェルバッハ家では、アルフォンスが憤慨していた。

「何故だ!? カイトはどうしてあのような辺境にこだわる!! これまでの恩を仇あだで返しおってからに!! あの愚か者めがぁ!!」

 ワイングラスを床に叩きつけ、「おい! 誰か! 新しい酒を持て!!」と怒鳴る。

「しかし、父上。兄上は愚かですが、《目覚まし》のスキルを持った兄上は魅力的です。まさか大天使を使役できるなんて……!」

「分かっておる!! そのような事を貴様に言われるまでもない!! 貴様は《富の泉》を早く使いこなさんか!!」

「は、はい! が、頑張ります!!」

「私がいつ! 頑張れと貴様を激励した!? 私は結果を出せと言っているのだ!!」

 アルフォンスの怒りは収まらず、クレオに八つ当たりする有様であった。

「しかし、大天使……。使い方によっては領土の発展どころの話ではないぞ。帝国を我がフェルバッハ家のものにする事だって可能ではないか……!! ええい、それだけに腹立たしい! 物の価値の分からぬ愚息めが!!」

 腹を立てて地団駄を踏み、怒りに任せて新しいワイングラスを割る。

 愚か者の見本市に出せば、さぞかし高評価されるであろうフェルバッハ家の当主。

 そんな父の悪いところをしっかりと受け継いだ次男は「こういうのはどうでしょうか?」と一つの案を提示した。

 それは実に悪意が込められたものであり、アルフォンスは即座に「妙案ではないか!」と食いついた。彼らは実に似たもの親子であり、極めて救いようのない親子でもある。

「アルゴートは消し去ってしまえば良いのです。そうすれば、兄上は再び根無し草にならざるを得ません。行き場を失った兄上はどうする事もできず、己の無力さに苛さいなまれて屋敷に戻って来るのではありませんか?」

「素晴らしい考えだ! だが、まだ甘いな! アルゴート消失の折には、誰よりも早く我らが救いの手を差し伸べてやるのだ! カイトのような甘い考えの愚物は、さぞかし喜ぶであろう! もしかすると、恩義に報いるために自分から大天使を我らに献上するやもしれぬ!!」

 顔をしかめたくなるような企みが産声をあげた瞬間だった。

「アルゴートは元々、罪人の流刑地ですから。盗賊にでも襲わせますか? ならず者が降って湧いたとしても不思議ではないですし、懐疑的な思考を兄上が持ったとしても、僕や父上の顔が浮かぶことはないでしょう! 男は全員殺してしまい、女は奴隷として売りさばくのです!」

「ふっ、ふははははっ!! クレオ、貴様《富の泉》は使いこなせずとも、知恵の泉は調子が良いようだな! その手で行こう! カイトは後悔すべきなのだ! この私が認めてやると言ったのに、あのような辺境にこだわった愚かな行為を!!」

 アルフォンスとクレオの行動は早い。

 まず、執事を呼び悪辣な企みを実行するべく実行犯、つまり絶対に足がつかない境遇のならず者や荒くれ者を探して来いと申し付ける。

 このやり口の巧妙なところは、執事から使用人に、使用人から後ろ暗い領民にと指示が下っていく過程で、伝言ゲームのマスターであるフェルバッハ家当主の存在が自然と薄くなる点であった。

 そうして、彼らの安い花火のように陳腐な閃ひらめきはすぐ実行に移される。

 金に糸目を付けぬ姿勢が功を奏したのか、想定よりもはるかに多い野党団が結成され、彼らが既にヘルメブルクを発たったという知らせが屋敷に届いたのは、二日後の事だった。

「さあ、クレオ! グラスを持て! まずは前祝いだ!」

「ええ、父上! そして事が成された時には、さらなる美酒を!!」

「フェルバッハ家の繁栄に!」

「アルゴートの最期に!」

「「乾杯!!」」

 その夜、アルフォンスとクレオは大いに酒を飲み、知る限りの歌を歌い、輝かしい栄光の未来の理想について語り明かした。

 一方、魔手が伸びようとしているアルゴートでは、その日もカイトが夜遅くまで執務に精を出していた。

 彼はまだ、悪魔の企みが進行している事など知る由もない。