どうやら、彼女が創造の天使ユリスであると判断したカイトは、まず丁寧に頭を下げた。

 相手は天使。彼は人間。

 この世界の価値観に沿えばそれは当然の態度だった。

 リザもしっかりとお辞儀している。

「あなたを起こしたのは俺で間違いありません。まずはお休みのところを急に目覚めさせてしまった事に関して、お詫びします。申し訳ありません」

 ユリスは「ふむ」とカイトを見て一つ頷いた。

「まあ、構わないのだよ。ボクも長らく眠りについていたので、ちょうど良い機会だったと考えよう。それに、先程も言ったがなかなか悪くない気分だ。これは君のスキルかい?」

「はい。《目覚まし》という名のスキルです」

「ふむふむ。《目覚まし》か。そのようなスキルがあるとは、ボクも知らなかったのだよ。……それにしても、なんだかボクの知っているブラウゼンの街とは随分違うのだが。君、今は何年になるのかね?」

 ユリスは平等に発言権を与えるようで、今度はリザに尋ねた。

「は、はい! 今は帝国暦七五一年です!」

「なんと……。少し眠るつもりが、二百二十六年と百八十四日も過ぎていたとは。それにしても、ボクが不在になっただけでこれほどの惨状になるのかね。人間たちの自活能力を少しばかり見誤っていたようなのだよ」

 改めて周囲を見ながらため息をついていたユリスの視界に、大天使の姿が映った。

 淡々と喋っていた彼女が、初めて声を荒げる。

「むむむっ! そこにいるのはシエラではないのかね!? ああ、間違いない! 随分と久しぶりではないか。封じられたと聞いていたのだが?」

「……久しぶり、ユリス。……詳しくはカイトが色々と説明してくれる」

 面倒事を全て押し付けられたカイトは、ユリスにシエラとの出会いや自分がアルゴートの領主になり困っている事、どうにかユリスに助力を頼めないかと考えてブラウゼンまでやって来た事を、丁寧に説明するのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「ふぅむ。だいたいの話は分かったのだよ。それにしてもシエラ。君ほどの大天使が誰にどうして封じられたのか思い出せないとは、本当なのかね?」

「……真実。……カイトが私の命の恩人みたいなもの。……だから今は、カイトを主として考え、行動している」

 ユリスはシエラとかつて交流があった。

 彼女たちは親友と言っても良い間柄であったようだ。

 そのため、シエラの覚えていた記憶にユリスについての情報がハッキリと残っていたのだろうとカイトは考察した。

「シエラが人間に使役されるとは。ボクが寝ている間に、随分と面白いことになっているではないか。ふむっ」

「あの、よろしいでしょうか?」

 カイトがおずおずとユリスに質問の許可を求める。

「うむ。どうした、カイトくん」

「いえ、素朴な疑問なのですが。ユリス様はどうして封印されていたのですか?」

「ボクは封印などされてはいないよ? 自分から眠りについたのだ。シエラがいなくなってしまって、話の合う相手を失い、ボクの知的好奇心は満たされなくなったからね。ならば、寝るのが効率的なのだよ。つまらない日々を過ごすよりも、夢という無限の可能性に満ちた世界を旅するのもまた一興。夢というのは潜在意識に寄与するところが大きい。つまり、ボクほどの知識を持つ者ならば、文字通り無限の世界が広がっているのだよ。ふふんっ」

「えっ!? じ、自分からですか!? それはまた。何と言うか。俺みたいな人間には思いつけない考えですね……」

 想像したよりもずっとアクロバティックな理由で眠りにつく天使がいる事に、カイトは驚きを隠しきれなかった。

「ユリス様! これ、よろしかったら使って下さい! タオルを濡らしてありますので。せっかくの綺麗なお顔が汚れているのは女子として看過できません!」

「ふふふっ。リザくんだったね? 水を求めてこんな廃墟までやって来たのに、その貴重な水を出会ったばかりのボクのために使うのかい?」

「必要な時には出し惜しみはしない! 冒険者の鉄則です!!」

 ユリスは満足そうに「あっはっは」と笑い、リザからタオルを受け取った。

 それで顔を拭ったかと思えば、彼女は魔法陣を足元に構築する。

 まばゆい光がカッと放たれた次の瞬間には、美しい創造の天使がカイトたちの前にいた。

「リザくん、お心遣い大変ありがとう。おかげで創造魔法を使うモチベーションが久しぶりに湧いて来たよ。ご覧の通り、ボクの魔法は無から何かを創造すること。衣服だって思いのままなのだよ。どうだね。すごいだろう」

 シエラがユリスの服の裾を引っ張る。

 どうやら、高いところから見下ろされているのが気に入らなかったようだ。

「……ユリス。……暇なら、カイトに力を貸してあげて欲しい。……カイトは人間にしておくにはもったいない人間」

「はっはっは。言葉がおかしいけれど、何となく意味は伝わって来たよ。ふむ。分かったのだよ。ボクの行動指針はただ一つ。知的欲求を満たしてくれるか否かなのだ。シエラとは親友でもあることだし、カイトくんやリザくんにも興味がある。力を貸そうではないか」

「本当ですか!? ありがとうございます!! ユリス様は見た目も中身も天使そのものですね!! 俺の中の天使のイメージってユリス様ですよ!!」

「それは光栄なのだよ。……ん?」

 無邪気に喜ぶカイトを見つめる、じっとりとした乙女たちの視線。ユリスがそれに気付いた。

 見られているはずのカイトは全く気付いていない。

「……ねねね、シエラちゃん。シエラちゃん。カイト、明らかにユリス様のさ。何て言うか、大きな膨らみを見てたよね?」

「……むぅ。……肯定する。……カイトも年頃の男子。……理解はできる。……けど、ガッカリ。……ユリス。……あまり調子に乗らないで欲しい」

「ふむ? 何のことかね? ああ。バストサイズの事を言っているのかな? こんなもの、たかが個体差なのだよ。そこに優劣などないのだ。……いや、リザくん。シエラも。なんだか目が怖いのだが。あまり見ないでくれるかね。……全然ボクの言う事を聞いてくれないのだよ」

 どうにか創造の天使ユリスをアルゴートに迎える運びとなり、安堵するカイト。

 すぐに帰路に就く彼らだったが、かつてブラウゼンの城門があった場所でユリスが振り返った。

 空中に魔法陣を構築し、放つ。

「どうして君たちが滅びたのかは知らないけれど、ボクを信仰してくれた者もいたからね。これは手向けの魔法だよ。……安らかに眠りたまえ」

 その日、ブラウゼンに数百年ぶりの雨が降った。

 それは、かつて栄華を誇った水の都に捧げる、ユリスなりの鎮魂歌のようであった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 カイト一行は三日かけてアルゴートに戻って来た。

 シエラとリザは相変わらず元気であり、ユリスに至っては飛んでいるので言わずもがな。

 なお、カイトは既に足元もおぼつかず、すぐに倒れそうなコンディションである。

「これはこれは……。ブラウゼンも酷かったけれど、アルゴートという場所もなかなかに酷い有り様だね。これでよく人間が生活できているものだ。実に興味深いのだよ」

「……私たちが思っているよりも、人間は意外と賢くて粘り強い。……ちなみに、これでもかなり改善されている。……私が毒の沼地を浄化した。……どやぁ」

 カイトはひとまずケベルトに帰参の報告へと向かった。

 ユリスは「少し領地を見学させてもらうのだよ」と言って、シエラと村の奥の方へ飛んで行ってしまった。

「おお、領主様。無事のお帰り、何よりじゃ」

「どうにか生きて帰って来られました……。やっぱり、事務仕事が専門の俺に旅は荷が重かったと何度も後悔しました。はははっ」

 そこにヘルムートが全力疾走でやって来た。

「おおおい! カイト様ぁ!! あんたマジでまた天使様を連れて来たんだな!? 村の周りがえらい事になってんぞ!! ちょっと来てくれ!!」

「ええ……。やっと座れたのに……。リザ、代わりに行って来てくれない?」

「何言ってるの! 領主様なんだから、お仕事しないと!! ほーら、行くよ!」

「みんな、体が丈夫にでき過ぎてるんだよなぁ……」

 リザに引っ張られて、村の外周へと向かったカイト。

「……うわぁ。なにこれ。何をどうしたらこんなことになるんだろう?」

 そこでは、綺麗な水が、荒れ果てた大地から勢いよく湧き出ていた。

 職人が調整を失敗した噴水のようなものは、全部で六か所にも及ぶ。

「ふむ。来たかね、カイトくん」

「来ますよ、そりゃあ。ユリス様? 何をなされたのですか?」

「ボクをナメてもらっては困るのだよ。我が名は創造の天使ユリス。無から有を創り出す唯一の天使だ。つまり、荒れていようが枯れていようが、ここにボクがいる。それだけで水ならばいくらでも噴き出すのだよ」

「……カイト。安心して良い。……ユリスは気分屋だけど、一度始めた仕事は完璧にこなす。……ほら、見て。……もう石造りの貯水池や、新しい井戸をポンポン生やしている。……あとは放っておけば良い。……ユリスが満足する頃には、アルゴートの水問題は解決している」

 大天使シエラ様の言うとおり。

 それから二時間もしないうちに、無限に清潔な水が湧き出る泉が創られ、村には水路ができた。

 アルゴートの水問題はこうして解決したのである。

 カイトは「天使ってのはすごいなぁ」と呆気に取られていたが、その天使を目覚めさせる力を持つ自分の価値には未だ気付いていない。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 創造の天使ユリス。

 彼女がアルゴートの荒れ果てた大地に降り立ってから、わずか一日。

 長年、干ばつと乾期により水不足に悩まされ続けていたこの地が激変していた。

「うぉぉ! こんな冷てぇ水で顔を洗えるなんて!」

「毎日風呂に入る事ができるなんてねぇ。長生きするものだねぇ」

「よし! オレは今日から定食屋を始めるぜ! これなら何でも作れる!!」

 ユリスが創造魔法で生み出した水源からは無限に水が湧き出しており、各家々に繋がる用水路も完璧に整備。

 まるで彼女が元の住まいにしていた水の都の再現をしているかのようである。

「ええと、ユリス様?」

「ふむ。カイトくんかね。ボクの指示通り、農民の候補を集めて来たかい?」

 カイトの後ろには、これまで水汲み部隊に編成されていた力自慢の男たちを中心に二十人ほどの比較的若い男女が並んでいた。

「ご指示の通り、みんなには納得して来てもらいました。でも、アルゴートの土地に作物なんてまだ無理じゃないでしょうか? 瘴気の沼をやっと浄化しきったばかりですよ?」

「君のその慎重な考えは領主として実に正しい。だが、もっと世の中には面白い考え方をする者もいるのだよ」

「つまり、ユリス様が面白い事を? 水路を築いてくださったようなお力を貸してもらえるという事でしょうか?」

「うむ。さすがは領主。察しが良い。これは高得点なのだよ」

 どうも、これから開墾が始まるらしい。

 農業はカイトもアルゴートの未来設計として考えていたので、望むべくもない。

 彼は領主らしく、領民の士気を高める。

「みんな! ユリス様が畑を作るお力添えをしてくださるそうだから、頑張りましょう! 何か月かすれば、アルゴートで実った作物を食べられる日が来ますよ!!」

「おおおっ! マジかよ、すげぇぜ領主様!」

「シエラ様に続いて、こんなとんでもない天使様を!!」

「オレぁここに流れて来てから三十年になるが……。まさか開墾事業なんかにこの年で参加できるたぁ……。泣けてくるぜ……!」

 盛り上がるカイトと領民たち。

 その様子を満足そうに眺めていたユリスが魔法陣を上空に構築した。

「少し眩しいから、君たちは目を閉じておくと良い。……むむむっ! うりゃ!」

 ユリスの創造魔法は光の中で有形のものならば何でも創り出すことができる。

 光の発生源は異空間になっているらしいとは、シエラが語っていた。

 次第に光が弱くなっていき、カイトたちは目を開く。

 何かの冗談かと思い、全員がもう一度目を閉じた。

「どうかしたのかね?」

「どうかしてますよ!! なんですか、このよく分からない施設と、青々と育ったこれまたよく分からない作物は!?」

「ふむ。久しぶりの人間らしいリアクションだ。ボクも君たちが驚く様子を見るのは好きなので、これは実に素晴らしい。では、説明しよう」

「できるだけ理解できるようにお願いします」

 ユリスは「ふむ。善処しよう」と言って、突如現れた農園について解説を始めた。

「これはハウスと呼ばれる農機具で、この中には一日で育つ作物が植えてある。帝国にはないものだ。そちらの赤い果実の名をイチゴと。その隣にあるやはり赤い果実をトマトと言う。他にも色んなものがあるのだよ。本来ならば年に一度しか収穫期はないのだが、このハウスの中でなら一年中、毎日実る。まあ、これはボクからのサービスだ。分かったかい?」

「意味がサッパリ分かりません! でも、ありがとうございます!!」

「はっはっは。君の過程よりも結果を重視する思考は嫌いじゃないのだよ。だが、いずれは論理的な思考を身につけて、ボクと共に午後のティータイムを過ごしてくれたまえ。ロジカルな会話と紅茶があれば、最高の昼下がりなのだ。ふふんっ」

 カイトは悟った。

「創造魔法に意味を求める事が間違いなのだ」と。

「さて、少し農園の周りが地味だな。噴水を三つくらい創っておくとしよう」

「……うん。考えるだけ無駄だ!!」

 このようにして、アルゴートは大変貌を遂げたのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日。

 カイトは家に村長のケベルトと領民代表のヘルムートを招いていた。

 当然、一緒に住んでいるシエラとリザも同席している。

 ユリスは自分の創った農園の様子を見に出かけているので不在である。

「さて、皆さん聞いて下さい。アルゴートがたった一日でえらいことになりました」

「いや、ホントにな! カイト様が来てから頭がついてこねぇよ!!」

「ワシはもう、明日天から迎えが来たとしても、なーんも驚かんよ」

 領主と領民の意見がこの上なく合致していた。

 実に結構な事である。

「とりあえずですよ。水問題の解決どころか、作物まで収穫可能になってしまいました。しかも、毎日新鮮な作物が採れます。シエラのおかげで瘴気も消え去りました。よって、アルゴートは自給自足可能な都市としての第一歩を踏み出しています」

「おおっ! すげぇな、カイト様!」

「デカすぎる一歩じゃのぉ」

 カイトは続ける。

「もうアルゴートにおける問題は、近隣に強いモンスターが出るくらいしか残っていません。ですので、俺はここに入植者を増やしたいと思っています。人が増えれば更に都市は豊かになりますし、働き手の増加は元から住んでいたみんなの負担を減らすことができます」

 カイトは、元々の領民たちのほとんどが持病を抱えている事を憂慮していた。

 アルゴートがどうにか滅びることなくカイトを受け入れてくれた。それは彼らの努力がなければ成し得なかった事実。

 よって、カイトの領主としての次なる目標は、人口を増やす事であった。

「すごーい! カイト、わたし応援するね!! カイトが作る都市を近くで見ていられるなら、なんだって頑張っちゃう!!」

「……私は正直、カイトがいれば割とどうでも良い。……だけど、カイトが望むのならば協力は惜しまない。……よって、アルゴートの民を見守るのもやぶさかではない」

 シエラとリザも彼の背中を押してくれる。

 そこに、更に強力な援軍が加わる。

「ふむ。話は聞かせてもらったのだよ。カイトくんの領地運営にボクも協力しようじゃないか」

「ユリス様もですか!? ありがたいんですけど、こんなに色々として頂いて、俺たちはあなたに見返りをご用意できませんが……」

 ユリスは「まったく、君はマジメだな」と笑う。

「なに、ボクも行く当てがないからね。ブラウゼンは滅びているし、他の土地に行くのも面倒だ。よその天使の縄張りを奪うのはより面倒で、合理的ではないのだよ。かといって、せっかく目覚めたのにまたすぐに眠るのもね。何よりも、カイトくんに協力すればボクの思うようにアルゴートが改造できるのだろう? ふふふ、実に素晴らしいじゃないか!!」

 カイトは数秒考えたのちに、頭を下げる。

 それは創造の天使を歓迎する挨拶だった。

「最後のセリフは聞かなかった事にして。ユリス様がアルゴートにいて下さるのは実に心強いです! こちらからお願いします! どうか今後もお力を貸してください!!」

「うむ、うむ。では、ボクは自分の住む神殿を創りに行くよ。用があれば呼びたまえ」

「えっ!? カイト様よぉ! 神殿ができるのか!? このアルゴートに!?」

「そうみたいですね。ヘルムートさん、管理は任せます」

 ヘルムートがいつの間にかカイトの右腕のようになりつつある。

 カイトもヘルムートもまだ無自覚だが、恐らくそのうち気付くだろう。

「人を集めるなら、やっぱり名産品だよ! アルゴートの名物を作ろうよ、カイト! 帝国領の全体に轟くような、すっごいヤツ!!」

「なるほど。それは名案だね。冒険者として旅をしてきたリザらしい! 食べ物が良いかな? 水と作物が手に入ったし!」

「カイト様……。なんかあっちの方にすげぇ勢いで神殿が建ってんだけどな? あれは名物にならねぇかな?」

「うん。それは最終手段にしましょう。都市の発展はなるべく自分たちの力で進めなくては。ユリス様の神殿はアルゴートと言うよりも、創造の天使のランドマークですから」

 しばらく黙り込む一同。

 こんな時に、何でも良いから意見を出してくれる快活な少女ほど稀け有うな存在はない。

「あーっ! シャイオットは!? そう言えば、ブラウゼンに行く途中の道にいっぱい生えてた! あのキノコ、街ではすっごく高値で取引されるんだよ!!」

 シャイオットとは、帝国領内で人気のキノコである。

 深い森にしか自生せず、また栽培も難しい事から帝国領内ではこの数十年にわたり貴族の間で広く愛されている。

 ちなみに、食に疎いカイトはもちろん、アルゴートの領民も誰一人としてシャイオットの価値に気付いていなかった。

 なんともったいない。

「……リザ。……私はそのキノコに興味がある。……おいしい?」

「わたしも一度しか食べた事ないけど、その時はお肉と和えてパスタのソースになっててね! すっごく美味しかったよ!!」

「……カイト。……カイト、カイト! ……名産品はこれに決まった。……すぐに出発の準備をするように強く進言する。……じゅるり」

「ああ……。そうなるんじゃないかなって思ってたよ……。また探索か……」

 こうなったシエラを止める方法はまだカイトも知らない。

 つまり、大天使様の言う事は絶対。

 カイトとシエラとリザ。

 三人は森へキノコ狩りに出掛ける事となった。

 もちろん、モンスターが山ほど住んでいる森に、である。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 アルゴートを出て一時間も歩けば、そこは森の中。

 水源がある方向とは逆なので、領民もめったに近づくことはない。

「懐かしいなー! ここでわたし、パーティーから見捨てられたんだよね!」

「そんな明るく言う事じゃないと思うけど」

「……確かに懐かしい。……この辺りでリザをデザートにしようと思って拾った」

「良かったよ。ここでお召し上がりにならずにお持ち帰りしてくれて」

 リザは件くだんの冒険者パーティーに参加していた際に、二度ほどこの森を探索していた。

 一度目は素材を集めてほどほどのところで撤収し、二度目は仲間に置き去りにされてアルゴートに来るきっかけとなった。

 そのため土地勘があるらしく、歩みに迷いがない。

 シエラは更にその上を行く。

 彼女は普段からこの森によく訪れている。

 モンスターの狩場がこの森だからである。

 勝手知ったる森の中。二人はどんどん先に進んでいく。

「……はぁ、ひぃ。随分と急こう配な道だね。歩くだけでも一苦労だ」

「あははー! カイトは体力ないよねー! さすが元貴族のお坊ちゃん!」

「……大丈夫。……私にとってはカイトもリザも同じ人間レベル。……誤差の範囲」

 返す言葉もないが、無理をして反論すると貴重な呼吸の機会が失われてしまう。

 そのため、カイトは別の事を考える。

 この森も厳密にはアルゴートの一部であり、カイトの領地と言って差し支えない。

 つまり、本当にシャイオットなる高級キノコが自生しているのならば、ゆくゆくはこの場所も開拓する必要がある。

 しかし、モンスターが出る点が非常に悩ましい。

 現状はシエラが狩って来るモンスターの肉もアルゴートの貴重な食糧だが、この森に出るモンスターを退治しなければ、腕に相当な覚えのある者でもなければ気軽に訪れる事はできない。

 今後の課題として、カイトはその旨を頭の中のメモ帳に書き留めた。

「わぁー! あった! あったよ、二人とも! ほら、あそこ! シャイオットだよ!!」

「えっ!? あんなに群生してるものなの!? 本当に!? ものすっごい無造作に生えてるけど!? 高級食材なんだよね!?」

 リザの指さす先には、シャイオットと思われるキノコが二十は生えていた。

 カイトは持参した植物図鑑ですぐに確認する。

 シャイオットだった。こんなに呆気なく発見できるとは。

 本当に価値のあるキノコなのかと疑いたくなるものの、帝国出版の植物図鑑にもしっかりとシャイオットの価値は高いと書かれていた。

 品質にもよるが、一つで帝国銀貨三枚はするらしい。

 帝国銀貨は一枚で三日分の食料が買えるのだから、これは大変な価値である。

「すごいねー! こんなにシャイオットが生えてる場所なんて、わたし聞いたことないよ!」

「うーん。これは本当に幸運なのかもしれないな。もしかすると、アルゴートの土地が荒れ果てていたおかげで、人間が寄り付かないからこその生態系なのかもしれない」

 とりあえず、カイトとリザはシャイオットを丁寧に収穫した。

 小ぶりなものはそのままにしておいたにもかかわらず、既に十三個も籠かごに入っている。

 今回の探索の収穫はこれだけでは終わらない。

 彼らの幸運はさらに続く。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「……カイト。……多分これ、貴重な薬草。……ヘルムートが村で使ってた。……一度勝手に食べたら涙を流して惜しんでいたから間違いない。……ちなみに味はイマイチだった。……苦い草。……もう、お腹空いてる時じゃなければ食べない」

「ああ……。ヘルムートさんが愚痴ってたよ。シエラ様に傷薬の材料食べられたって」

 それは冒険者御用達の薬草だった。

 村でも使われており、切り傷から打ち身まで、怪我の治療に幅広く用いられている。

「しかし、すごいな。未開の地ってここまで資源が豊富なのか……」

「……人間は価値のある物を見つけると、とりあえず手に取る。……だから、人間がいない土地というだけで、この森には価値がある」

「なるほどなぁ。大天使様の言う事は違うね」

「……どやぁ。……本来ならば人の手を加えるべきではないこの森だけど、アルゴートはカイトの領地だから、私は黙認する構え。……超法規的措置」

 ヘルムートへの土産に薬草を摘んでいると、リザが慌てて駆けて来た。

 彼女の声がするのと同時に獣の咆ほう哮こうが聞こえたので、説明を受けるまでもない。

「カイト! モンスター出て来たから下がって! シエラちゃん、こっちの小型の狼はわたしが相手するから! そっちの恐竜みたいなのお願いできる!?」

「……問題ない。……むしろ、今晩のオカズになりそうなモンスターを連れて来たリザは偉い。……褒めてあげる」

 戦闘になると途端に戦力外になるのが、悲しいかな領主様の宿命である。

 フェルバッハ家で剣術の稽けい古こにも励んでいたカイトだが、それはあくまでも貴族の嗜たしなみ程度のものであり、現役の冒険者と比較すると力量の差は一目瞭然。

 シエラと比較するのはおこがましいのでこの場では言及を避ける。

「やっぱりこのモンスターが大問題だよなぁ。冒険者でも対応できないヤツまで出て来るんじゃ、とても領民のみんなを森に立ち入らせる訳にはいかないよ。うん。誰も聞いてないね」

「たぁぁぁっ!! 『エアロスライサー』!! やぁぁぁっ!!」

「……『インフェルノブラスト』。……えいっ」

 短剣と魔法のコンビネーションで狼を撃退するリザと、もうそれが何なのか理解を超えているシエラの魔法で焼き尽くされる恐竜を見て、カイトは「うーむ」と唸うなった。

 ちなみに、彼もただ口を開けて戦況を見守っている訳ではなく、しっかりと薬草を採取している事を付言しておく。

「おや? なんだろう、この草は。光ってるな。ええと、図鑑、図鑑……」

 カイトの眼前には今摘んでいた薬草とは明らかに種類の違う、光を放つ草があった。

「特別なものは光る」というのは人間が勝手に持つイメージであるが、太古の昔から光を放つものに特別なものが多く含まれていたからそういうイメージが植え付けられたとも言い換える事ができる。

 結論から言えば、それは特別な草だった。

「おっ。あった。……ええと。天空の露草? どのような難病にも効果が発揮される幻の薬草である……。採取レベルS。貨幣価値に換算できないほど貴重。ほへぇー」

 凄まじいレアな薬草と出会っているのに、カイトに知識がないせいで全くと言って良いほど感動がない。

「まあ、一応摘んでおこう。ケベルトさんが腰痛いって言ってたし。ひょっとしたら役に立つかも」

 繰り返すが、帝国の首都でオークションにかければ、帝国金貨十枚はくだらない超レアな薬草である。

 なお、帝国金貨は一枚で家が建つ。

「ふぃー! こっちはどうにか追い払えたよ! シエラちゃんは!?」

「……全く問題ない。……無事に今晩のオカズをゲット。……こんがり焼いたら絶対に美味しいと思う。……下ごしらえは完了。……じゅるり」

 戦闘を終えた二人が戻って来た。

 目的のシャイオットの収穫もできたし、万能薬草も摘んだ。

 彼らは価値に気付いていないが、Sランクの薬草まで手に入れている。

 成果は充分と言って良いだろう。

「……ところで、リザ。……そのキノコ、食べてみても良い? ……ダメとは言わせない。……私の食欲は止められない。……いただきます」

「ああーっ! ダメだよ、シエラちゃん!!」

「……あう。……うぅ。……美味しくない。……話が違う。……もうヤダ、もう帰る」

「だから言ったのにー。シャイオットって調理しないとすっごく渋いんだよー」

 涙目になって高級キノコを吐き出すシエラ。

 さらにリザが悲しい情報を追加で付与してくる。

「思い出したんだけど、特殊な調理が必要な素材なんだよね。シャイオットって。村に料理できる人っているかなぁ?」

「んー。どうだろう。何人か定食屋を始める人がいるっていうのは報告を受けているけど。そんな特殊調理ができる人はいないんじゃないかな?」

 そもそも、これまで近くの森に自生している事すら知らなかった高級キノコである。

 それを都合よく調理できる人材が辺境のアルゴートにいるだろうと考えるほど、カイトは無条件にポジティブにはなれない。

 何はともあれ、得たものは多い。

 三人は探索を切り上げて、アルゴートの村に戻る事にした。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 その村では、ユリスが困り果てていた。

 急な来客があり、領主と大天使がいない状況のため、ヘルムートが「ユリス様! ちょっと助けてくだせぇよ!!」と彼女に泣きついていたのだ。

「やれやれ。困ったな。ボクはあくまでもここに住んでいるだけで、意思決定権はないのだよ。すまないが、もうしばらく待ちたまえよ。そのうち、領主が戻って来るだろうから。む。頼むから、ボクの服をこれ以上引っ張らないでくれるかね。さすがに脱げるのだよ。そして、ボクにも羞恥心はあるのだよ。ちょ、ヤメてくれと言っているのに!!」

 ユリスの前には、地面にひれ伏す数人のエルフの姿があった。

 何やら懇願しており、涙を流してユリスの服の裾を引っ張る者までいた。

 のっぴきならない事情があるのだろう。

「ああ……。ちょっと肩が痛くなってきたよ。リザ、半分持ってくれない?」

「えー? 女の子に荷物を持たせるのー? ほーら! もう村が見えてるんだから、頑張って! 領主様っ! ほらほら!! 可愛い女子がエールを送ってるんだよ!! 頑張れー!! ファイトー!! もうちょっとだー!!」

「足も痛くなってきた。帰ったら寝よう。筋肉痛は確定だよ」

 肉体労働をさせると頼りないが、いざと言う時はやってくれる男であって欲しい若き領主のカイト・フェルバッハ。

 彼の帰りを待ち受けているものは一体何なのか。