3章 増える仲間と豊かになるアルゴート
アルゴートに村は一つしかない。
領民が百人と少ししかいないため仕方がないのだが、居住区の拡大はカイトが領主として取り組むべき課題だった。
だが、何をするにも準備が必要。
この地に来てまだ五日目のカイトは、ようやく生活にも慣れ始めていた。
ケベルトたちが用意してくれた村にある空き家はどうにか人の住める最低基準をクリアしている程度の簡素なものだったが、アルゴート初日に過ごした見張り小屋よりはずっとましだった。
清潔なテーブルと、それなりに柔らかいベッドがあるだけで彼は満足している。
課題の消化方法といえば、まず身近なものから解決していくのも一つのやり方である。
カイトは、同居人のシエラについても頭を悩ませていた。
彼女は長らく封印されていたせいか、はたまた元からそうだったのかは分からないが、一般常識というものが欠如していた。大天使を人間の一般常識で
例えば、着替え。
シエラは何の躊躇もなくカイトの前で裸になる。
あまりにも堂々とした脱ぎっぷりなので、カイトが「きゃああっ!」と悲鳴をあげながら手で目を覆うのが日常になりつつある。
また、人との接し方についてもいささか問題があった。
彼女にとって人とは「カイトかそれ以外」という区分けが頭の中でされているらしく、カイトの言う事はよく聞くが、他の領民とのコミュニケーションが上手くいかない。
というよりも、彼女は領民たちと積極的に会話をしようとしない。
カイトとしては自分以外の人間とも仲良くして欲しいのだが。
「……カイト。……ただいま。今日のご飯を獲って来た」
「お、おう。おかえり。今日もまた、とんでもない大物を仕留めて来たなぁ」
当然だが、シエラのおかげで豊かになった事もある。
彼女は昼過ぎ頃に「……いってきます」と静かに出かけて行くと、日が沈む前には自分の体よりも大きなモンスターを仕留めて戻って来る。
そのおかげで、アルゴートの抱える食料問題に関しては大きな改善の兆しが見えていた。
当日の食事はもちろんモンスターの肉で賄えるし、一昨日からヘルムートが中心になって干し肉の製造に着手している。
保存食を作って備蓄できるというだけでも、アルゴートの領民からすれば望外の幸福であった。
ただ、いくら大天使とは言え、できる事とできない事はあるらしい。
シエラは狩猟などの、いわゆる戦闘行為においては無類の強さを発揮するが、それ以外のこととなるとてんでダメ。
試しに荒地の整備を頼んでみたところ、干からびた土地に地割れができた。
これが昨日のことであり、カイトはそれ以降、彼女にはできる事のみをやってもらう方針にシフトチェンジしたのだった。
ただでさえ問題は山積しているのに、自分でそれを増やすのは愚か者のすることである。
「……ふぁ。……カイト、まだ寝ないの?」
「ああ、俺はもう少しだけ仕事をしてからにするよ。ケベルトさんがくれた領地の情報は早いところ頭の中に入れておきたいから。シエラは先に寝てて良いよ」
「……うん。そうする。……おやすみ、カイト」
「うん。おやすみ」
シエラについて散々と考察して来たが、カイトは寝る前に「おやすみ」を言える相手が傍にいる、
それだけで心が満たされる思いだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
遅くまで仕事をしていたカイトだが、そこは《目覚まし》の出番。
今日も短い睡眠時間でスッキリとした起床を迎えていた。
《目覚まし》についてはまだまだ分からない事が多い。
シエラを目覚めさせて以来、毎朝自分に対してスキルを発現させているが、特にこれといった問題は起きていない。
試しにヘルムートに使ってみたりもしたのだが、「オレ、こんなに爽やかな目覚めは初めてだぜ!!」と彼が感動しただけで、他の収穫はなかった。
そんな訳で、よく分からないスキルの考察をしていても時間の浪費である。
この問題の解決を未来の自分に託したカイトは、とりあえず今日の暖を取るために薪割りに精を出していた。
「……カイト。……それ、私がやってあげるよ?」
「うん。気持ちは嬉しい。だけど、その気持ちだけで充分だよ」
シエラの魔法は常識離れしているが、身体能力もどうやら常識の範囲に収まりそうにない。
彼女は「……薪割り、手伝う」と言って、二日前には斧を三つダメにしてしまい、昨日は薪そのものを暖炉にくべる前に灰にしてしまった。
「……『ライトニングレイ』使えば早いのに」
「絶対にヤメてね? 昨日は結局、寒い夜を過ごしたでしょ?」
もう季節は春だというのに、アルゴートの地はまだ朝晩かなり冷え込む。
《目覚まし》で快適な寝覚めをしても、風邪を引いては本末転倒である。
「……むぅ。……お腹空いた。……ちょっと行ってくるね」
「今日も食材調達はシエラに任せっきりで悪いなぁ。気を付けてね」
「……うん。……カイトが喜んでくれるの、私も嬉しいから。……平気」
「暗くなる前には戻っておいで」
その後カイトは向こう一週間分の薪割りをこなしたのち、ヘルムートの干し肉工場の様子を見に行った。
「おう! カイト様! 割と順調に仕上がってるぜ! これもあんたのおかげだ!!」
「いやいや、モンスターの肉を狩って来るのはシエラだし、干し肉の製法を知っていたのはヘルムートさんですから。俺は何もしてませんよ」
「いやいやいや! オレらにゃそもそも保存食を作ろうって発想すらなかったんだからな! 保存するほど食料もなかったしな! カイト様の発案のおかげで、食うにゃ困らなくなりそうだぜ!! はーっはっはっは!!」
このヘルムートという男、腕力があり肉体労働に長けていながら、元は司書のため知識も豊富に持っているというアルゴート随一の優良物件である。
こんなに優秀な人材が辺境の地でくすぶっていてくれたおかげで、カイトも領主としての仕事を始めるにあたり、実にスムーズな船出を果たしていた。
「おう! カイト様! シエラ様がお帰りみたいだぜ! こりゃまた、今日はでっけぇ獲物を仕留めておいでだ!!」
「ああ……。やれやれ。本当にシエラはすごい。加減がないんだもんなぁ」
彼女は自分の体の三倍はありそうな猪のモンスターを魔法で浮かせて戻って来た。
出迎えるカイト。
だが、すぐに違和感に気付く。
「シエラ。シエラさん? そっちの女の子はどうしたのかな?」
「……うん。……なんか倒れてたから、一緒に拾って来た。……お土産」
見たところ、冒険者だろうか。
ぐったりとした少女が猪のモンスターの上に乗っかっていた。
「ちょっと見せて! ……まだ息がある! ヘルムートさん、清潔な布と、お湯沸かしてくれます!? それから一応確認するけど、シエラって治癒魔法使えたりする!?」
「お、おう! 了解だ、カイト様! おめぇら、家にある布の中で上等なヤツ持ってこい!! あと、鍋だ! 鍋!! あぁ!? 馬鹿野郎、お前!! そりゃあ肉を茹でた後の鍋だろうが!! ちゃんとした未使用のヤツ持ってこい!!」
「……私の使う魔法は攻撃専門。……この子、焼く?」
カイトは悟った。
この少女を救えるのは、自分しかいないと。
◆◇◆◇◆◇◆◇
領主の家に運び込まれた冒険者の少女。
右の太ももに切り傷があるだけで、他に目立った怪我はしていないようだった。
とは言え、軽い切り傷でも油断をすると感染症の元になる。
カイトは医者ではないが、応急処置の心得があった。
フェルバッハ家に居た頃に一通りの知識を身に付けておいて良かったと彼は思う。
「……はむっ。……カイト、ご飯食べないの? ……シチュー、美味しい」
「俺はもう少ししてから食べるよ。……これで良し。後はモンスターの毒とか麻痺属性の攻撃を受けたとかじゃなければ良いんだけど。そこまでは素人の俺じゃ判断が付かないな。ううむ。医者や薬師がいてくれれば良かったんだけど。ないものねだりが過ぎるか」
少女の傷口を消毒して、清潔な包帯を巻いた。
治療と呼ぶにはあまりに拙いものだったが、これがアルゴートでできる精一杯。
「彼女には申し訳ないけど、装備も外させてもらおう。もちろん、インナーは脱がさないよ。ちょっと? 聞いてる? シエラ?」
「……うん? ……なんだかよく分からないけど、分かった」
意識を失っている少女の前でも貴族としての誇りを持ち、必死に正しい姿の紳士であろうとするカイト。
誰もその気高き精神には気付いてくれないが、立派な心掛けだった。
「これは、ネームプレート?」
上着を脱がせた少女は、どこかの冒険者ギルドのものだろうか、首に銀の札が付いていた。
明るい茶髪の彼女は、腰に剣と、魔導書を携えている。
もしかすると、名のあるギルドに所属しているのかもしれない。
「リザ。これが彼女の名前かな? ひとまず、できる事は済んだ。あとは俺のベッドに寝かせておこう」
「……カイト。ご飯食べる? ……もう少しだけ残ってるよ?」
五人前は優にあったシチューが、綺麗に一人前だけ残されていた。
大天使様の慈悲に感謝して、カイトも遅い夕食をとる。
それからベッドが塞がっているため、シエラから「……こっちのベッドで一緒に寝よ?」と何度も誘われたが、これもまた紳士らしく断った。
リザという名の少女がその晩に目覚める事はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
《目覚まし》を使って起床するカイト。
彼もスキルの使い方が上手くなってきたようで、ベッドで寝ているシエラには《目覚まし》の影響が及んでいない様子。
スッキリとした寝覚めで頭もしっかりと回転している若き領主は、こちらも未だに眠り続けている冒険者の少女に目をやった。
「……この場合も俺の《目覚まし》って有効なのかな?」
当然の疑問であった。
封じられた大天使すら起こすことのできるカイトのスキル。
ならば、眼前の少女だって恐らく起こす事ができるだろう。
「いや。やっぱりダメだ。自然に目覚めてくれるのを待とう」
カイトがそう考えるのにも、しっかりとした理由があった。
まず、《目覚まし》の能力をカイト自身も全て把握していない点。
生き物は深い睡眠に入る事で体力を回復させる場合もある。
それをこちらの都合で叩き起こしてしまっては、何か不都合が生まれるかもしれない。
それに加えて、そもそもの大前提として《目覚まし》は回復スキルではない。
あくまでも快適な朝を迎えるための補助スキルだとカイトは考えており、そちらの側面から見ても眠る彼女にスキルを使うべきではないだろう。
「……ふわぁ。……カイト、おはよう」
「うん。おはよう、シエラ」
「……お腹空いた。……干し肉食べて良い?」
「もちろん。今から焼くよ」
「……いただきます。……はむっ。……おいしい」
「ああ、焼かないでいっちゃうんだ。まあ、天使と人じゃ体の造りも違うのかな?」
カイトはしっかりと焼いて食べる。
なにせ、素人の集まりが作った干し肉である。
しっかりとした安全性が確立されるまでは、火を通すのが恐らく正解だと思われた。
「さて。朝食の用意はできたけども。傷薬が昨日の応急処置でなくなったんだよね。この子の包帯を替えてあげないといけないし。シエラ。ちょっと看ててくれる?」
「……うん。……カイト。状況に変化あり」
「いや、寝返りをうつとかくらいなら報告しなくてもっ……て、起きてる!!」
「うぅぅー。お、お腹が空いたよぉ……」
意識を半日以上失っていて、食欲があるのは健康な証拠か。
カイトは冒険者の少女に質問した。
「おはよう。干し肉でシチューを作るけど、食べられそうかな?」
彼女は即答する。
「も、もちろん! 食べられるよ! あっ、食べられます!!」
起きて数十分で台所に立つカイト。
これは、自分の家庭的な能力が元から高いのだろうか。
それとも、《目覚まし》による副次効果だろうか。
これほどどうでも良い考察もなかなかないだろうと考え、思考を停止したのちお料理製造マシーンとなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふぁぁぁぁぁっ! 生き返ったぁー!! とても美味しかったよ! あ、美味しかったです!! えと、大変結構なお味でした!!」
「それは何より。元気そうで俺も安心したよ。足は痛まない?」
「ちょっと痛いけど、平気! この手当もあなたがしてくれたの? ですか?」
「そうだよ。それから、無理に敬語じゃなくても構わないから。話しやすいようにどうぞ」
「ホント!? 助かるよー! わたしはリザ! リザ・アインホルン!! 冒険者だよ! ……で、ここはどこなのかなぁ? あはは……」
カイトも自分の名を名乗り、リザに「ここは帝国領の端にあるアルゴートだよ」と告げる。
すると彼女は目を丸くして驚いた。
「あ、あれれ? わたし、森の中でモンスターと戦ってて……。それで逃げてたところまでは記憶にあるんだけど。どうしてアルゴートに?」
「うちのシエラが君を拾って……いや、見つけて来てくれたんだ」
シエラは未だに干し肉を食べている。
彼女の獲って来たモンスターの肉が原材料なので、この領地に彼女の食欲について文句を言える人間はいない。
シエラは水を飲むついでに答えた。
「……あなた、森に転がっていた。……近くには爪の痕があったから、多分、今頃新しいご飯になってる猪のモンスターにやられたんだと思う。……美味しい」
「そうだったんだぁ! 危ないところを助けてくれてありがとう! ええと」
「……私はシエラ。……主のカイトに仕える、大天使。……シエラで構わない」
「ほ、ほえー? 大天使?」
この自己紹介で困惑するなと言う方が乱暴である。
そんな中、ヘルムートがカイトの家へとやって来た。
「カイト様ぁ! 傷薬切らせちまったって昨日言ってただろ? 持って来たぜ! おお! 嬢ちゃん、目が覚めたか! 良かったなぁ! うちの領主様は慈悲深いからよぉ! 普通だったら行き倒れなんて無視しちまうのがアルゴートだぜ? 大天使様の加護と、どっちにも感謝するんだな! がっはっは! おっと、シエラ様!! 干し肉のおかわりが必要ですか!?」
「へっ? やっ、あの? りょ、領主様?」
「どうも。改めまして、アルゴートの領主をしています。カイト・フェルバッハです」
「……私は大天使。……別に感謝はしなくて良いよ?」
その後、あたふたと落ち着きのなくなったリザにカイトが事情を全て説明する。
彼女がそれを理解するまでに約三時間かかったが、優秀なタイムと言っても差し支えないだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
リザも落ち着いてきて、改めて色々と明らかになった事がある。
「つまり、パーティーメンバーと一緒に素材集めをしていたところを運悪く、猪型のモンスターに襲われたと?」
「うん。そこは間違いないと思うの。でも……」
「……つまり、リザは仲間に見捨てられた。……もしくは、最初に脱落したため、体の良い
「こら、シエラ。そんなにハッキリと残酷な事を指摘するんじゃありません」
さぞかし悲嘆に暮れるかと思えば、リザの反応は思いのほか明るかった。
彼女は「あははー」と頭をかきながら言う。
「やー。どうも、シエラちゃんの言う通りっぽいねー。そっかぁ。わたしは見捨てられちゃったのかぁ。でも、パーティーって言っても今回の遠征が二度目だったし、まだ仲間意識とか生まれてなかったからなぁー。仕方ないよね!」
「前向きと言うか、何と言うか。リザもなかなか
「ポジティブなのがわたしの取り柄だから! ねね、カイト様!」
「様はよしてくれないか。俺と同い年くらいだろ?」
「わたしは十七!」
「ほら、同い年だ。俺も十七だよ」
リザは嬉しそうに「そっかぁ!」と頷いた。
「じゃあ、カイト! わたしをアルゴートに住まわせてもらえないかな!? もちろん、しっかりと働くよ! これでもそれなりの魔法は使えるし、色んな地方を旅して来たから雑学は豊富だし!! あと! なんかアルゴート、女の子少ないし!!」
「……雑学じゃ命は助からない。……それに、女の子は私で充分」
「シエラは辛辣だなぁ。良いじゃないか。俺は一向に構わないよ。リザがそれで問題ないのなら。さっきも説明した通り、アルゴートは帝国領の中でも一二を争う酷い環境だけどね」
「承知の上だよ! だってわたし、行くところないし! 家族もいないし!! むしろ、ここに住まわせてもらえると生まれて初めて住所が持てるし!!」
聞けば、彼女は捨て子だったと言う。
教会に拾われて十四歳になるまで育てられた後は、ずっと一人で生きてきたらしい。
両親は健在だが縁は切れたカイトにとって、リザの身の上は共感するところ大だった。
「そういうことなら、歓迎するよ! 今、この地に欲しいのは優秀な領民だからね。リザの経験も絶対に俺たちの助けになってくれると思う。よろしく!」
「良かったぁー! 断られたらどうしようかと思ったよー!! こっちこそよろしく、カイト!! 頑張るから、何でも言ってねっ!!」
握手をする二人を冷ややかな視線で眺めているシエラ。
それに気付いて、リザはペコリと頭を下げた。
「大天使シエラ様! まだ右も左も分からない身ですが、色々と教えてください! ええと、シエラ先輩!! 大先輩!!」
「……せんぱい。……うん。悪くない響き。……私はリザを歓迎する事にした」
シエラのハートを早々にキャッチしてみせるリザ。
この人懐っこさは才能であるとカイトは思った。
きっと、アルゴートでも上手くやっていけるだろう。
「俺はちょっとケベルトさんのところに行ってくるよ。ああ、この村の長老なんだけど。俺が領主だって言っても、まだ数日しか務めてないからね。顔役には話を通しておかないと。リザは足の怪我の消毒を。自分でできる?」
「了解だよ、カイト! 大丈夫! 何度も言うけど、わたしは冒険者だもん! 自分の怪我は自分で治すのが鉄則!」
「……私も見守ってあげる。……リザはなかなか見所がある人間」