六回表 答え。



 花火大会当日を迎えた。

 碧との約束や香乃の問いかけ。多くの課題を抱えたままやってきた運命の日。

 だが、俺はそんなイベントに浮かれることも、香乃の言葉に思い悩むこともなかった。

 何故なら──。

「陸、オーダー入るぞ! 焼きそばとたこ焼きが2、ソフトクリームが4!」

「了解! 碧、テイクアウトのほうが混んできたから対応頼む!」

「分かった! さーやちゃん、代わりにフロアお願い!」

「ああ! 銀司、レジとはいぜんは私が受け持つから注文取りは任せた!」

 目が回るような忙しさの店内では、余計なことを考える暇がないからだ。

 店内のけんそうは昨日までの三倍、浜辺に至っては十倍とも思える人の群れである。

 まるで甲子園決勝の客席くらい騒がしく、海は人でひしめき合っていた。

「くっそ、正直めてたな。ここまで急激に客足が変わるなんて」

 この日のために俺たちを追加で雇ったのは分かっていたが、新人四人じゃ全然足りない。

 キッチンに入った俺は、ひたすら料理を盛り付けては二条に渡す作業を続ける。

「いやあ、陸たちが来なかったらこれを私と店長だけで回してたのかー。ぞっとするなあ」

 俺と同じくキッチン担当の香乃が、手を動かしながらも引きつった表情でつぶやいた。

「運がよかったな」

 泳いでから花火大会に行こうという人が多いのか、まだ昼過ぎなのにこの忙しさである。

 俺たち抜きでは絶対にパンクしていただろう。

「だね。陸の言う通り、私は運と顔だけはいいから助かったよ」

「一個言った覚えのない褒め言葉が追加されてるんだけど。なんで利子ついちゃったの」

「細かいことは気にしない。それより冷蔵庫の瓶ビール減ってきたし、早めに追加分を冷やしとかないと。頼んでいい?」

「おう。キッチンは任せた」

 ビールケースは重いため、俺が担当したほうが合理的だ。

 俺は素直に引き受けて、食品庫へと向かう。

 缶詰や調味料など、常温で保存できる食品が置いてある空間。

「あれ……? ビールケースがないな」

 いつもであれば食品庫の手前に置いてあるはずのビールケースがない。

 もしや、発注間違えて使い切ったか?

「店長、ビールケースが見つからないんですけど」

 ちゆうぼうで食材を切っていた店長にたずねると、彼ははっとしたような顔をした。

「すまない。今日に合わせて大量発注したら食品庫に入りきらなかったから、違う場所に置いたんだった。案内するよ」

 店長は作業の手を止め、こっちに近づいてきた。

「場所だけ分かれば俺だけで行きますけど」

「いや、ちょっと一人じゃ取りづらい場所だから。一緒に行ったほうがいい」

「了解です」

 店長は厨房を出ると、俺を先導して歩き始めた。

 連れてこられたのは、外にあった車庫。

 そこに停めてあったハイエースに店長がかぎを差した。

「ひとまず、この中に入れてたんだ。運び出すから手伝ってくれ」

 車内を見れば、トランクから座席までたっぷり瓶ビールのケースが置いてある。

 なるほど。厨房が忙しいのによく案内してくれたなと思ったが、車の中じゃ俺が勝手にいじるわけにはいかないか。

 店長はハイエースの隣に置いてあった台車を出すと、トランクを開けた。

「とりあえず二人で運び出しちゃおう。早く戻らないと香乃ちゃんがパンクしちゃう」

「了解です」

 今頃一人でキッチンを回している香乃の慌て顔を想像して、俺は少し笑う。

 それから、店長と二人でビールケースを急いで運ぶことにした。

 が、何か忘れているような気がしてならない。

「じゃあ台車に積んでいくよ」

「はい!」

 引っかかるものはあったものの、この忙しさの前ではさいな違和感である。

 俺は脳の奥に違和感を追いやり、仕事に集中することに。

「よっと!」

 ビールケースを持ち上げると、結構ずしっとした感覚が上半身に走る。

 シニアでやらされた冬の基礎練習を思い出す。

 この手の重量物を持つ時は、横着して腕だけで持ち上げようとしてはいけない。

 きちんとひざを曲げ、全身の力で持ち上げるのがコツだ。

 でないと、負担が全部腰にかかってしまい、腰を怪我しかねない。

「……ん?」

 あれ……腰に怪我?

 そういえば、店長って──

「あぐっ!?

 俺がその事実に思い至ると同時、隣から奇声が上がった。

 振り返ると、中途半端にビールケースを持ち上げようとして、そのまま固まった店長の姿が。

「店長……もしかして」

 俺が恐る恐る呼びかけると、顔から脂汗を流した店長は、泣き笑いのような顔でうなずいた。

「うん……やっちゃった、腰」

 ──こうして、最も忙しい修羅場に店長が戦線離脱することになったのだった。



「うぅ……すまない。応援には早めに来てくれるよう頼んだから」

 休憩室に寝かされた店長は、痛みを堪えるように顔をしかめながらも、申し訳なさそうにこっちを見た。

「無理しないでください。こっちはこっちでなんとかしますんで」

「任せたよ……俺も少し休んだらきっと戻るから」

 俺が笑顔を作って請け合うと、店長もそれで安心したのか、深く息を吐いて身体から力を抜いた。

「じゃあ、俺行きますんで」

 それを見て、俺は急ぎ休憩室を出た。

「やっほ、陸。大丈夫そう?」

 すると、何故か廊下に座り込んでたこ焼きを食べる香乃と出くわした。

「こんなところで何やってんだ」

「二条さんにキッチン代わってもらって休憩中……五分だけだけど。持久戦になるし、食事くらいは摂らなきゃ保たないからね」

 ちらりと休憩室のほうを見る香乃。

 店長を寝かせているから、ここで休憩を取っていたらしい。

「で、店長はどう?」

 香乃の問いかけに、俺は無言で首を横に振った。

 途端、彼女は深刻そうな表情を浮かべる。

「そっか。よし、なら店長が早く復帰できるように、私が付きっきりで看病してあげよう。陸、ここは私に任せて先に行って!」

「死亡フラグみたいに言ってるけど、楽なほうに居座ろうとしてるだけじゃねえか! お前も働くんだよ!」

 俺は休憩室に入ろうとした香乃の首根っこをつかむと、無理やり引き連れて歩き出す。

 そして厨房に入るなり、修羅場を一人でさばく二条と目が合った。

「戻ってきたか。早速で悪いが交代してくれ! フロアもパンクしそうだ!」

「了解!」

 俺と香乃はそろって戦線に復帰した。

 山のように積まれた伝票を一つ一つ確認し、香乃と協力して処理していく。

 とはいえ、次から次へと入るオーダーに、徐々に首が絞まっていくのが分かった。

「くそ! それにしても忙しすぎるだろ!」

 俺たちが来なかったら、これを香乃と店長の二人で回していたなんて信じられない。店長、あまりにも無策すぎないか!?

 と、俺の悲鳴に香乃が反応する。

「あ、そういえば、さっきフロアに出た時、看板料理コンテストの子だって声掛けられたんだけど。あのコンテストの写真、ここの観光案内のHPに載ったらしいし」

「あれのせいか! 最悪のタイミングで宣伝効果出ちゃったな!」

 俺たちが掘った墓穴だった。なんてこった。

「香乃、お前はもうフロア出るなよ。絶対お前をナンパする目的で来てる奴もいるし!」

 この修羅場で新たなトラブルを持ち込まれては困るため、あらかじめ厄介ごとの芽をつぶしておく。

 が、何故か香乃は死ぬほどあざとい流し目をこっちに送ってきた。

「え、なになに陸、独占欲見せちゃってる? 参ったなあ」

「参ってんのはこっちだよ! 随分余裕あるな、お前!」

 忙しさのせいか互いにテンションが変にヒートアップし、馬鹿なやりとりをする俺たちである。

 とはいえ、この数日間真面目に仕事を覚えようとしてきた経験が活きたのか、ぎりぎりで仕事は回っていた。

 昼のピークを過ぎたこともあり、なんとか店長抜きでも均衡を保つことに成功する。

 これなら応援が来るまで耐えしのげる──そう思った時だった。

 電話の呼び出し音が店内に響く。

「はい、海神屋です。はい……え、弁当? はい、はい」

 電話に出た香乃が、いぶかしげに小首を傾げながら応対する。

 しばらくやりとりを続けてから、彼女は電話を切った。

「誰からだ?」

 なんだか嫌な予感がして訊ねると、香乃は深刻そうな顔をしてこっちを見た。

「花火大会の運営委員会だって。約束の弁当、十六時に届けてほしいって」

「弁当だと?」

 俺の言葉に、香乃は頷く。

「そういえば……陸たちが来るちょっと前に店長が話してた。花火大会の運営委員会と花火職人さんたちに弁当を持っていくの、毎年この浜辺にある海の家が持ち回りで担当してるんだって。今年はうちの番らしい」

「よりによってかよ!」

 他の海の家にパス……はできないか。どこも繁忙期。

 コンビニやスーパーで弁当買ってきてくれというのも無理だろう。この人手じゃ近隣の店舗の総菜はあらかた全滅している。

「内容は焼きそばとかたこ焼きとか、うちで出してる商品でいいって言ってたから作るのは楽だろうけど、問題は──」

「配達、だな」

 この混雑した浜辺を、大量の弁当を持って動くとなると、かなりの時間がかかる。

 となると、適任者は自然と絞られる。

「また私が行くべきかな。混んでる浜辺を徒歩で抜けるより多少遠回りでも原付でビーチ沿いの道路を通っていったほうが早いでしょ」

 俺と同じことを考えたらしい香乃が立候補する。

「それしかないか」

 この状況で時間をかけ過ぎれば、店が回らずにゲームオーバーだ。

 よって原付の機動力がある香乃が適任。

 ただ一つの問題を除けば。

「一応言っておくが、またこの間みたいにサボろうとするなよ」

 念のためにくぎを刺しておくも、香乃は心外だと言わんばかりに唇をとがらせた。

「さすがにこの状況でそんなことするわけないでしょ。ちゃんと戻ってくるよ。多分、きっと、メイビー」

「メイビーじゃ困るんだわ! なにちょっとサボる可能性ちらつかせてんだ!」

「冗談だって! 戻ってくるから心配しないで!」

 いまいち信用ならないサムズアップをする香乃。

 一抹の不安は残るものの、他に選択肢もないため、こいつを見送るしかないのが歯がゆいところだ。

「まったく……頼むぞ」

 俺たちは注文のかかった弁当を作り、香乃の原付に積める形にする。

「よし、じゃあ超速で行ってくるんで! なんとか粘っててね!」

 びしっと敬礼をしてから、弁当を持って店を出ていく香乃。

 それを見送ってから、俺はまった伝票の山に再び向き合った。

「頼むからもう誰も減ってくれるなよ……」

 香乃に影響されたのか、フラグになりそうなことをつぶやき、俺は作業に戻った。



 が、幸いなことに俺が立てたフラグは回収されることなく、四人全員が無事の状態で仕事は続いた。

 とはいえ、香乃がいなくなった分、作業は徐々に、しかし確実に回らなくなっている。

「陸、ソフトクリームお願いしていい?」

「任せろ!」

 香乃の代わりにキッチンに入った碧と二人、必死に危機を凌ぐ。

 現状は、たんが見えた持久戦。

 ベンチメンバーを使い切り、代打も投手交代もできない状態で延長十五回まで戦わなければならない状況。

 もう一個でも何かトラブルが起きたら絶対に対応できない。

「綱渡りだな……!」

 息切れしながら客を捌き、すぐそばに迫る破綻を遠くに押しのける。

「よう陸、調子はどうよ」

 俺がソフトクリームを作っていると、同じくかき氷を作りに来た銀司が隣に並んだ。

「絶好調……と、強がりたいところだが、正直厳しいな。先が見えないでマラソンしてるようなもんだ」

 体力はもちろん、明確なゴールが見えないというのは精神的に厳しく、疲労を何倍にもするものだ。

 何かモチベが上がることがあればいいのだが。

「ほう、それならチャンスだな」

 と、俺の弱音を聞いて、銀司がよく分からない感想を返してきた。

「チャンス? 何がだよ」

 小首を傾げる俺に、銀司はにやりと笑う。

「これだけ辛い状況なら碧ちゃんだって当然辛いだろ? 絶対誰かに助けてもらいたいはずだ。そこで仕事をバリバリこなす陸がフォローとか入れてあげたら──」

「……めっちゃかっこよく見えそう!」

「だろ?」

 銀司の企みに、俺は目からうろこが落ちるような気分になった。

 モチベが……モチベが湧いてきた!

 よく考えたらキッチンって今二人きりだし、これ実質共同作業じゃね? 二人の距離が縮まるイベントとしておみの共同作業……!

 しかも、俺のいいところを碧に見せるチャンス!

「銀司、俺はやるぞ!」

 疲労が吹き飛ぶ。今ここに精神が肉体をりようした!

「待ってろ! 碧!」

 出来上がったソフトクリームを銀司に渡し、俺はちゆうぼうに戻っていく。

「……扱いやすいなあ、あいつ」

 背後から銀司が何か言っているのが聞こえたが、今の俺にはどうでもいい。

 二人きりで、頼りになるところを碧に見せる。

 そんな邪心に満ちたまま俺はキッチンに戻り──

「ああ……長い時間任せてすまなかったね。少しは動けるようになったから手伝うよ」

 ──よろめきながらも戦線復帰した店長に出迎えられた。

………………………………おかえりなさい」

 待ち望んだ戦力アップ。そのはずである。

 でもなんだろう……この釈然としない気持ち。

「やったね、陸。これで助かったよ」

「そ、そうだな」

 ほっとした様子の碧がうれしそうに笑うのを見て、俺はなんとも言えなくなる。

 この盛り上がったばかりの邪心を、どこにぶつければいいのか。

 仕事か、やっぱり仕事にぶつけるべきか。

「……くそぅ!」

 世の中のままならなさに悪態を吐いて、俺は全ての感情を仕事にぶつけるのだった。



 店長が戻ってきたおかげで、なんとか均衡を取り戻した海神屋。

 それから三十分ほど経った頃だろうか。

 唐突に店の裏口が開き、誰かが入ってくるのが分かった。

「お邪魔しまーす。信吾、生きてるー?」

 聞き覚えのある女性の声が聞こえてきたかと思うと、ひょこっとキッチンに顔を出してきた。

 店長と同じくらいの年齢の女性。

 宿泊先である国親家でお世話になっている、店長の奥さんのきようさんだ。

 彼女の姿を見るなり、店長があんの表情を浮かべる。

「やっと来てくれたか! 悪いけど早速入ってくれ!」

 恭子さんはうなずいてから、責めるような目を店長に向けた。

「はいはい。まったく、あんなに無理するなって言ったのに重い物運んで腰痛を再発させるなんて。おかげで二人ともへろへろになってるじゃない」

「ぬ……返す言葉もない」

 奥さんに𠮟られ、しゅんとした様子の店長。

 それを見てから、恭子さんは再びこっちを見た。

「じゃ、二人はもう上がっていいよ。銀司と沙也香ちゃんはフロア? 他にも応援連れてきたから、あの二人にもちょうどいいところで上がるように言って」

 待ちに待った終了の合図に、俺と碧は目を合わせて喜ぶ。

「ありがとうございます!」

「や、やっと終わったー……!

 緊張の糸が切れたのか、俺は溜まっていた疲労が吹き出てきた。

 隣を見れば、碧も同じような状態である。

「あとは私がなんとかするし。四人とも本当にお疲れ様」

 ──四人。

 そう言われて、忙しさにかまけて忘れていたことを思い出す。

「……香乃」

 俺が名前を出すと、碧と店長も彼女の存在に思い至ったのか、はっとしたように目を見開いた。

「そういえば遅いね。出ていってから、もう一時間くらい経つのに」

「ちょっと連絡取ってみるよ」

 店長が店の固定電話を使って電話をかけてみる。

「……香乃ちゃんのスマホ、圏外みたいだ。この混雑だし通話は難しそうだね」

 こういったイベントで人が普段より圧倒的に多く集まった時、基地局の対応能力を超えて、スマホの電波が弱くなったり圏外になったりすることがままあるが、どうやらそれが起きてしまったらしい。

 連絡ができないと思うと、より一層不安をかき立てられる。

「あいつ、なんかトラブルに巻き込まれたんじゃないか?」

 いくらなんでも、この状況でサボるような奴じゃないだろう。

 となると、きな臭い気配がしてくる。

「そうと決まったわけじゃないよ。道路が混んでて、戻ってこられないだけかもしれないし……」

 碧の言葉に、俺も少し冷静さを取り戻す。まずは確認だ。

「そもそも、花火大会の運営委員会ってどこにあるんですか?」

「ここだね」

 店長は店に置きっぱなしだった浜辺の観光案内のパンフレットを手に取ると、浜辺のある一点を指差した。

 距離的には海神屋から五百メートルってところか。

 平時であればたいした距離ではないが、渋滞にでもまったら話は変わる。

 であれば、やはり単純に混雑に巻き込まれただけか。

「……ねえ。ここって、陸が言ってたナンパスポットじゃない?」

 俺が結論を出しそうになった時、碧が地図のある一点を指差した。

 香乃の予想進路のすぐ近くにある場所。

 確かに、しつこいナンパ師がたむろしているスポットだと、以前香乃に教えてもらったところだ。

 花火大会という浮かれるイベント、お酒が入っている奴もいるだろう。

 思わず嫌な想像をしてしまい、いても立ってもいられなくなる。

「今から捜しに行く。銀司も呼んでくれ!」

「じゃあ私も!」

 俺に付いてこようとした碧を、俺は押し留める。

「いや、戻ってきた香乃とすれ違いになる可能性もあるから、碧と二条は店の周辺であいつを待っててくれ。捜しに行くのは俺と銀司だ」

 万が一の安全性も考えて、そう指示を出す。

 香乃が危ない状況になっていたとして、二条と碧では危険が増すだけだろう。

「分かった。じゃ、銀司君呼んでくるね!」

 碧がフロアに消えていく。

 しばらくして、深刻な表情をした銀司がやってきた。

「銀司、すまん!」

「いいって。細かい話は道中で聞く。行くぞ!」

 銀司は深く聞かず、俺と一緒に走り出した。

 店を出ると、いきなりすさまじい混雑に出くわす。

 人波というより、もはや壁。

 それでも躊躇ためらっている暇はない。

 俺たちはおくさずに壁に挑み、浜辺を抜けて道路までの道を切り開いていった。

 道路沿いに出ると、浜辺よりも随分と混雑はマシになる。

 とはいえ、相変わらず人は多いが。

「ちっ……思った以上に混んでるな。陸、二手に分かれよう。お前は順路で進め。俺は人混みの死角になっているところを中心に回る」

「分かった。頼むぞ、銀司!」

「おう!」

 効率化するため、俺たちはそれぞれ違うルートで捜索することに。

 一人になった俺は、ひたすら人混みの中から原付に乗った少女の姿を捜す。

 息が切れても構わず走り、必死になって香乃を捜し続けた。

「くそっ!」

 今回のことは完全に俺の見通しの甘さが原因だ。

 いくら原付を持っているからって、香乃を行かせるべきじゃなかった。

 昔からあいつは人をきつけるくせに、それをうまくさばけない奴なのだ。

 だから、いつも望まぬ騒動に巻き込まれてしまう。

 そんな香乃を一人にしたらいけないって、ずっと前から分かっていたはずなのに……!


「あれー? 陸じゃん、どうしたの?」


 悔恨に唇をむ俺の前に、ふと能天気な声が響いた。

 いつの間にかうつむいていた顔を上げる。

 そこには、原付を押しながらひらひらと手を振る香乃の姿があった。

「香乃……」

 俺は驚き、目を見開く。

「はい、香乃です。どうしたの、そんな生き別れの家族に再会でもしたような顔して」

 息を切らした俺に、香乃は不思議そうに小首を傾げた。

「あれ、香乃ちゃんのところの店員さん? お迎えに来たのかな」

 よく見れば、香乃の隣には『運営』という腕章をつけた大人の男性が並んでいる。

「はい、そうみたいです」

「そ。じゃあここからは彼に送ってもらって。今日は忙しいのにありがとね」

 腕章をつけた男性は、軽く手を上げてからきびすを返した。

「はーい! わざわざありがとうございました!」

 香乃もにこやかに手を振って男性を見送る。

 そのやりとりを見届けて、俺はようやく安堵した。

「はー……まったくお前は」

 深々と息を吐く俺を見て、香乃はなんとなく状況を察したらしい。

 気まずそうに目を逸らした。

「いやあ、もしかして心配かけちゃった?」

「当たり前だ、まったく。まあ何もなくてよかったけどさ」

「う……ごめん。なんか運営の人たちに気に入られちゃってさあ、ちょっと長話になっちゃった。けどほら、少し待ってたら送ってくれるって言うし、私もそっちのほうが安心かなって」

 的外れな心配をしていた気恥ずかしさと、何事もなくてよかったという安堵が混じり合い、俺は不思議と妙に脱力した笑いを零した。

「ほんと、昔からお前には振り回されてばっかだよ」

 苦笑を浮かべながら、俺は何故か晴れやかな気分になっていた。

 本当に昔から振り回されてばっかりだ。

 ──けど、昔のままじゃない。

 あんな年の離れた初対面の人と仲良くなって、こうして心配して送ってもらうなんて、昔の香乃じゃできなかったことだ。

 そうだよな。俺たちが離れてから一年だ。

 この一年、こいつはそれなりにやってきて、俺の知らないところで自分の心にも周りの心にも、うまく折り合いをつけて生きてきたのだろう。

 いつまでも、俺と一緒にいた頃の香乃ではないのだ。

 俺が、いつまでも香乃と一緒にいた頃の俺ではないように。

「もしかして、他のみんなも心配してたりする?」

 はっとしたようにその事実に気付く香乃。

「ああ。そりゃもう店中大騒ぎよ」

「うわ、やらかした! 連絡の一本くらい入れておけばよかった……って、圏外じゃん!」

 慌ただしくスマホを取り出すなり、圏外の表示を見て動揺する香乃。

「この辺、混雑してるせいでつながりにくくなってるんだよ」

 俺の言葉に、香乃も納得したようにうなずいた。

「む、なるほど。じゃあ、どうやったら繋がるかネットで調べて……って、圏外じゃん!」

「一人で何をやってるんだお前は」

 あきれる俺に少し恥ずかしそうな顔をしてから、香乃は誤魔化すようにせきばらいをした。

「こほん。まあ少し動けば電波いいところ見つかるだろうし、移動しましょう」

 そうして香乃は、しばらくスマホを持ったままうろうろしたかと思うと、ある一点で立ち止まった。

「お、ここ電波届いてる!」

 香乃はパッと表情を明るくすると、すぐに電話をかける。

「もしもし店長? 東雲です。はい、無事に終わりましたー」

 香乃が店長に電話する横で、俺はぼんやりと空を見上げた。

 ──誰も彼も昔のままではいられない。

 もうぼっちな香乃はいないし、俺は碧を好きになったし、碧はソフトを辞めた。

 だけど、それを不幸なことだとは思わない。

「ふー、怒られちゃった」

 俺が物思いにふける横で、通話を終えた香乃が照れ笑いしていた。

「そりゃそうだろ。忙しいのにあんな長居して」

「うぐぐ……そうは言うけどね。あんまり塩対応だと今後の関係に響くかと思って、私なりに気を遣ったんだよ?」

「まあそりゃしょうがないけどさ」

 こいつが他人に気を遣うなんて、とはもう言わない。

 俺はただ頷いて、再び歩き出した。

 すぐ隣に、原付を押しながら香乃が並ぶ。

 その時だった。

 ひゅぅ、という甲高い音が聞こえてきたかと思うと、大空に満開の花が咲く。

 花火大会が本格的に始まったらしい。

「おー、れいだね」

 香乃は無邪気にはしゃぐが、俺はちょっと複雑な気分だった。

「ぐ……本当は碧と一緒に見る約束だったのに」

「あはは。好きな子ほっぽり出して、自分を振った女と花火を見る気分はどう?」

「最悪に決まってんだろ!!

 からかってくる香乃をにらむも、彼女はまるで効いた様子がない。

「大人しく碧のところにいればこんなことにはならなかったのに。そんなに私のことが心配だったの?」

「当然だろ。友達なんだから」

 俺が即答すると、香乃は少しだけ息をみ、笑顔の明度を落とした。

「……陸がそれ言う? その関係を自分から壊したくせに」

 からかい半分、本音半分というようななじり。

「そうだな。確かに俺が壊した」

 きっぱり認めると、香乃の雰囲気が真剣なものになった。

 涙も怒りもないけれど、あの夕焼けの教室でたんした時と同じ空気。

「ねえ。友情を壊してまで人を好きになるって、本当に正しいことなの?」

 そうして彼女は、あの時と同じ問いかけを紡いだ。

 俺は静かに、だけど花火の音にかき消されないように、はっきりと答える。

「まだ、決まってない」

 あいまいで、だけどこれ以外ないと思える回答。

 香乃は続きを促すように、じっと俺を見つめた。

「俺とお前に限って言えば、きっと間違いだったんだろう。お前が望んでないのは分かってたし、俺もずっと友達でいたかった」

「なのに、なんでれちゃうかなあ」

 呆れたように笑う香乃に、俺も心の底から同意する。

「本当にな。恋は落ちるものとはよく言ったもんだ。まさに落とし穴にまったような気分だったよ。こっちとしても不本意だった」

 努力はしたのだ。こいつの嫌なところも、腹立つところもよく見ようとした。

 けど、そんなものは初めから見えていて、その上で好きになってしまったのだからタチが悪い。

「……なんか私への気持ちを不本意扱いされるのも、それはそれで複雑なんだけど」

 渋い顔をする香乃を見て、俺は少し笑った。

「しょうがないだろ、事実なんだから。好きになるものも嫌いになるものも、自分の意思で選べたらよかったのにな」

 そうしたら俺は香乃とも碧とも友達のままで、今よりずっと野球が好きで、甲子園でも目指しながら過ごしていたんだろう。

 碧だってきっとソフトのことをすっぱりあきらめて、もっと多くの人に心を開けた。

 でも現実はそんなに都合がよくない。

 俺たちはどこに向かうか分からない自分の心を持て余しながら、どうにかしてうまく折り合いをつける方法を探し続けないといけないのだ。

「……好きになるものは選べなくてもさ、その後の行動は自分で選べるんじゃないかって思ったんだよな。だから、間違いがあったとしたら、香乃を好きになったことじゃなくて、その後の行動だったんだろう」

 ここに来て、今の香乃を見てそう思った。

 あの日の、香乃にとっては絶対に起きてほしくなかったバッドエンドを超えて、こいつは今ここで笑っている。

 都合の悪いことも、思い通りにならないことも、全部受け止めて前に進めているのだ。

「今、碧を好きになったことは、まだ正しいって言えないかもしれない。けどな、俺は今度こそ、正しいって言えるようにしてみせる」

 人を好きになったのが間違いだったなんて思いたくない。

 人を好きになったことを、また間違いにしたくない。

「……それが、陸の答え?」

 試すような、探るような香乃の言葉。

 それにしっかりと頷く。

「ああ。だから悪かったな。お前との時は、それができなかった。もっとうまくやれたはずなのに」

 悔いが残るとしたら、そこだけ。

「うまくって? 私を惚れさせる自信があったってこと? 言うねえ」

 照れたように茶化す香乃に、しかし俺は真っ直ぐ向き合う。

「そこまでは言わねえよ。でも──お前が抱えてるもの、いっぱいあったのを知ってたからさ。それを一緒に抱えてやるくらいはできたんじゃないかって」

 恋愛に前向きになれない理由も、友情を大事に思っていたことも、全部知っていたのに、一緒に抱えてやれなかった。

「俺がもっとちゃんと考えてれば、お前が恋愛に前向きになれるように俺にもできることがあったかもしれないし、俺も自分の気持ちにうまく折り合いをつけて友達をやっていけたかもしれない。少なくとも俺から離れた途端、何もなくなったなんて思わなくてもいいようにはできたはずなんだ」

 俺が香乃を好きになったのは、きっと避けられなかった。

 でも──あんなバッドエンドだけは避けられたはずだ。

………………

「だから、そこは悪かった。俺にはきっと、お前のためにできることがもっとあった」

 多分、何度やり直しても俺は香乃よりも碧を選ぶのだろう。

 だけど──きっと、それでも香乃のためにできることはあった。

 碧を選んで、香乃と死ぬほど気まずくなったとしても。

 それでも、今度は俺から香乃にもう一度友達になろうって歩み寄ることが、きっとできたはずなのだ。

「……そっか。うん、そっか」

 俺の答えに納得したのか、めるように頷く香乃。

 そうして彼女は、ざんをするようにはかない微笑を浮かべた。

「私もね、たまに思うんだ。もっとうまくできたんじゃないかって。陸のこと振った後、自分から近づけばよかったのに、どうしていいのか分からなかったから。大事だと思うのなら、自分から手を伸ばせばよかったのにね」

 香乃が零した意外な告解に、俺は目を見開いた。

 だけど、その気持ちは痛いほど分かる。

「お互い、人間関係築くのが下手クソだったってことか」

「そうみたい」

 お互い、目を合わせて微苦笑する。

 ただそれだけで、一年前の決裂で生まれた溝が、静かに埋まっていく気がした。

 そんな俺たちを祝うように、極彩色の花火が一つ、空に咲いた。

「今度は──碧には、うまくできる?」

 香乃が、張り詰めた声で最後の確認をしてきた。

「やってみせるさ」

「……そっか、うん。ならいいよ」

 俺が宣言すると、香乃の身体から緊張が抜けるのが分かった。

「ああ。心配かけた」

 香乃は碧が心配だったのだろう。昔の自分と同じようになるかもしれないと。

 だから、あの時答えられなかった問いかけをもう一度ぶつけてきた。

 香乃にとっても、決して振り返りたい思い出ではなかっただろうに。

 その勇気に敬意を。

 だから、俺ももう一歩、勇気を出すことにする。

「あー……それとさ、今からでもまだお前にできることがあるんじゃないかって、そう思ってもいる」

「なにそれ」

 唐突な俺の言葉が予想外だったのか、香乃はきょとんとした顔をする。

 俺も微妙に気まずい感じはあったが、ここまで来て引くわけにもいかない。

 堂々と、胸を張って踏み出すことにした。

「考えてもみろ。碧、めっちゃいい女だぞ。お前より圧倒的に性格もいいし、可愛い」

「なんで急にあおられてるの、私」

 ぜんとする香乃に構わず、俺は言葉を続ける。

「いやまあ、そのくらいいい子に惚れてるんだから、俺はまず他の子に目移りしないと思うわけよ」

 そこまで言うと、俺の伝えたいことが分かったのか、香乃はピタッと動きを止めた。

「……だから?」

 そして、悪戯いたずらっぽい表情で俺を見上げてくる。

 言いたいことは分かってるくせに、わざと言わせようとしてるな、こいつめ。

「だから、今度こそちゃんと友達としてやっていけるんじゃないかと思って」

 俺が若干照れながら宣言すると、香乃は途端に吹き出した。

「ふ……あははっ、なにそれ! そんな仲直りの仕方ある?」

 腹を抱えて笑う香乃。

 それを見て、今度は俺のほうが憮然とした表情になる。

「お前に言われたかねえ。最初に話した時のこと忘れたのか」

「確かに。ま、そういう意味ではやっぱり気が合うかもね」

「そうだな」

 昔のような、だけど昔とは決定的に違う友情。

 俺たちは、ようやくそれを取り戻した。

「ならこれ、私から友情のプレゼントってことで」

 と、その事実に思うことがあったのか、香乃はサイドバッグから何かを取り出して俺に渡してきた。

「これは……」

 それを見て、俺は香乃の意図を察する。

「ま、そういうことで。道路のほうは空いてきたし、ここからは一人で帰るよ。碧によろしく」

「ああ」

 原付に乗った香乃を見送って、俺は方向転換する。

 スマホには、さっき電波状態がいいところに行った時に届いたのか、碧からのメッセージが入っていた。


『約束の場所で待っている』