三回裏 ノリと勢いに任せた結果。



 目が覚めた時、真っ先に感じたのは蛍光灯のまぶしさと頭痛だった。

「いたた……あれ?」

 頭痛に顔をしかめながら、寝ぼけ眼で上半身を起こす。

 ここは……二階にある休憩室?

 どうやら私は休憩室の椅子に寝かされていたらしい。

「あ、お目覚め?」

 背後から声をかけられる。

 ぼんやりした頭のまま振り返ると、そこにいたのはにやにやと笑う香乃。

「あれ……香乃?」

「そう、香乃です。おはよう碧、気分はどう?」

「気分……?」

 そこで、ようやく私の思考はクリアになってきた。

「あ……」

 そして、酔っているうちにやらかしたあれこれの記憶も。

「あ……あああああああああ! どどどどどうしよう!? なんかすっごいことやっちゃったんだけど!」

 とんでもない黒歴史が爆誕したことを思い出し、頭を抱えてのたうち回る。

「り、陸にとんでもない迷惑を……!」

「あはは、まあいいんじゃない? 陸も満更じゃなさそうだったし」

 よほど私の醜態が酷かったのか、香乃はひたすら楽しそうだった。

「うぅ……なんてことを」

 抱きついたのはまあいいとして、日も沈んでるのに日焼け止め塗ってもらおうとして脱ぎ始めるなんて、痴女と思われても仕方ない……!

「そう落ち込まずに。あとで陸に謝る時は私も付き合ってあげるから」

 へこむ私を見かねたのか、香乃がそう助け船を出してくれた。

「ほ、本当? 助かるよ……」

 一対一ではどんな顔していいか分からなかったので、この申し出は非常にありがたい。

 と、一息吐いたことで気付く。

 今、香乃と二人きりだ……。

「なんか、碧と二人きりになるのも久しぶりだね」

 同じ事を考えていたのか、香乃もそんな言葉を口にした。

「うん、そうだね」

 シフトがずれていたり、香乃が陸のほうに絡みに行っていたりしたこともあり、私と香乃の二人という組み合わせは、海に来てからは初めてだ。

 なんとなく、複雑な気持ちになる。

 今現在、一番怖い恋敵。

 そんな彼女にどう接するのか、態度を決めかねていたというのは事実だ。

「改めてだけど……久しぶりだね、香乃」

「うん、久しぶり」

 とはいえ、こうして話してみると、昔のようにスムーズに会話が転がるから不思議なものだ。

 まあ、よく考えてみれば私は別に香乃と決裂したわけではないのだから、当然と言えば当然だけど。

 ただ、この一年は私が陸にべったりだったから、香乃と話す機会がなかっただけで。

「それにしても、まさか二人がこんなふうになってるとはねえ」

 まだからかい足りないのか、香乃は意味ありげな流し目を向けてくる。

「な、何よ。悪い?」

 目下のところ最大の恋敵に切り込まれて、私はとつに身構えた。

「んーん? 別に。ただ、私にとっては二人とも大事だから、うまくいけばいいなあって思っただけ」

 屈託のないその笑みを見て、私の中でわだかまっていた複雑な感情が少し消えていくのを感じた。

 香乃は、一番怖い恋敵。

 それは確かだ。けど──それと同時に、彼女はかけがえのない私の友人である。

 そんなごく当たり前の事実を、この瞬間に思い出した気がした。

「……ま、応援として受け取っておくよ」

「そうしておいて」

 くすりと微笑を浮かべる香乃。

 話が一段落したところで、私はだんだん周囲の状況が気になってきた。

「そういえば、他のみんなは?」

「ああ、二条さんと有村君なら一階の片付けをやってくれてるよ」

 その事実を聞かされて、ちょっと申し訳なくなる。

「うぅ……私のせいでいきなりめちゃくちゃになっちゃったし、本当は私がやらなきゃいけないのに」

「あはは、気にしないで。碧が寝落ちして、陸がノックダウンされた後に三人で盛り上がったから」

 さらっと聞き捨てならない事実を口にする香乃。

「……陸、ノックダウンされたの?」

「うん。碧の超えっち攻撃に精神をやられてしまって。今は夜の散歩がてらコンビニまで買い物に行っていると思います」

「ちょ、超えっち攻撃……」

 すさまじく否定したいが、振り返ってみれば全く否定できない。

 その事実に精神的ダメージを受けてずーんとしていると、香乃のスマホにメッセージが着信する音が聞こえてきた。

「お、噂をすれば。陸、もうすぐ帰ってくるって。心の準備はOK?」

 その宣告に、私は心臓がバクバクし始める。

「うぅ……逃げ出したい」

 けど、そういうわけにもいかないだろう。

 だって、やらかしてしまった事実は消えないし。このまま逃げるとか印象悪すぎる。

 逃亡したい衝動と理性の狭間はざまで葛藤していると、すぐに階段を上る音が聞こえてきた。

「えーと、入っていいか?」

 ドアの向こうから強ばった陸の声が聞こえてきて、私は息をむ。

 どうするか判断を仰ぐように香乃がいちべつしてきたので、恐る恐る頷いた。

「大丈夫だよー」

 香乃が声をかけると、ぎこちない動作で陸が入室してくる。

 途端、いきなり私と目が合った。

「お、おう、碧。目が覚めてたか」

「う、うん。なんか迷惑かけちゃったみたいでごめんね」

「いや、大丈夫……だったけど……」

 言葉とは裏腹に、赤くなった顔を気まずそうに逸らす陸の仕草は、あんまり大丈夫じゃなさそうだった。

 やはり私の超えっち攻撃が相当効いたのか。私も多分同じくらい効いてるけど。

「こら、私を置いて二人の世界に入るんじゃない」

 と、そんな気まずい私たちに助け船を出すように、香乃が言葉で割って入った。

「そ、そうだね」

「おう……あ、そうだ。頼まれてたもの買ってきたぞ」

 香乃の声をきっかけに、気まずい静寂から解放される私たち。

 ほっとする私の横で、陸は持っていたコンビニのビニール袋をテーブルに置いた。

「ん、大儀であった」

 やたら偉そうに陸を労った香乃は、そのビニール袋の中身を取り出す。

 出てきたのはポテチやジュースなどの軽食。

「よし、それでは碧も起きたことだし、三次会兼再会祝いを始めるとしましょう」

 私たちに缶ジュースを渡しながら、香乃はそんな宣言をする。

「再会祝い……」

 驚く私に、香乃はこくりとうなずいてみせた。

「うん。必要でしょ? せっかくまた会えたんだし」

 当然と言わんばかりの香乃の態度に、陸がいきを吐いた。

「まったく、歓迎会やるのも突然だったけど、再会祝いやろうっていうのも突然だったからな。しかもどっちも準備は俺に丸投げしてくるし」

 渋面を浮かべつつもジュースを取る陸。

 そんなやりとりに、ふと懐かしさがこみ上げてきた。

 ああ、こんな感じだった。

 香乃は人見知りなのに奔放で、一度仲良くなった人間は遠慮なく振り回す。

 そんな香乃に陸は顔をしかめながら付き合って、私も楽しみながら付いていった。

 あの頃とは色々と違ってしまったけど、なんだかこの瞬間だけは昔に戻れたみたい。

「そっか……確かに必要だよね」

 だから私も、素直に納得した。

 そして今度は缶ジュースにアルコールが入っていないことをしっかり確認して、プルトップを開ける。

 私たちの準備が整ったのを見て、香乃は満足そうに笑った。

「ではせんえつながら私からあいさつを。えー、陸が私にれて惚れて惚れ倒したせいで色々あった私たちですが、こうして再会できたことを喜ばしく思います」

「余計な挨拶のせいでこっちは全然喜ばしくないんだけど! 今からでも帰っていいか!?

「あはは、冗談! かんぱーい!」

 やりたい放題な香乃の音頭。

 私と陸は目を合わせてから苦笑すると、自分のジュースを掲げた。

「乾杯」

「まったく……乾杯」

 海に来てからずっと付きまとっていた気まずさ、ぎこちなさ。

 そういうのが完全に溶けて、また昔みたいな雰囲気に戻れたことが、素直にうれしかった。



 ──だから、私は気付けなかった。

 陸と香乃。

 この二人の間にある問題は、まだ何一つ解決していなかったのだと。