二回表 初恋は台風のように。



 ──とりあえず更衣室のロッカーに荷物置いて、着替えてきなよ。

 再会の衝撃も冷めやらぬまま、俺たちは店長の指示によってそれぞれ更衣室へと送り出された。

 俺も、不意打ちから心を立て直すための時間が欲しかったので、ありがたくその申し出を受け入れることに。

「はあああぁぁ……びっくりしたぁ……!

 更衣室のドアを閉めるなり、俺は深々と溜め息を吐いて精神的な衝撃を逃がす。

「あの子……香乃ちゃんだっけ? 陸の知り合いか?」

 そんな俺に、事情を知らない銀司が少し困惑したようにたずねてきた。

「あー……そんな感じ」

「ま、話したくないなら聞かないけどな」

 あいまいに言葉を濁す俺に、何か訳ありと見たのか、銀司はすぐに踏み込むのをやめた。

 その気遣いは彼らしいが、正直事情を話して相談に乗ってもらいたい気持ちもあるので、俺は心を整理してから改めて口を開いた。

「いや、いいよ。お前には半ば言ってるようなもんだしな」

「どういう意味だ?」

 心当たりがないのか、銀司がまゆを寄せた。

「この前、中学の時に女子にフラれたって言っただろ?」

 それだけで伝わったらしく、彼は何かを察したような顔をした。

「まさか、彼女がその時の?」

「そういうことだ」

 俺が溜め息交じりに銀司の推測を肯定すると、彼は気の毒そうな苦笑を浮かべた。

「そりゃ気まずいなあ……大丈夫か?」

「あんまり大丈夫じゃないです」

 とはいえ、せっかくの海だ。俺の個人的な問題で暗い雰囲気にするのは本意じゃない。

 特に、去年は肩を壊した直後で思いっきり楽しめなかったはずの碧には、今年こそ心から楽しんでもらいたいし。

 そう考えると、むしろ中学の時に仲がよかった友達に再会できたというのは、碧的に見ていいイベントじゃね? あの二人の間にはなんの因縁もないんだし。

 うん、俺の精神面を除けばいいことずくめだ。

「じゃあ俺は先に行ってるから、陸は心の整理がついてから来いよ」

「おう……」

 先に着替えを終えた銀司は、俺を一人にしてくれようとしたらしく、先に更衣室を出た。

 その厚意をありがたく受け取った俺は、何度か深呼吸を繰り返して自分の気持ちを落ち着けようとする。

「ふう……あんまり泣き言を言っても仕方ないか」

 おかげで平常心を取り戻した俺は、ようやく店の制服に着替える。

 と言っても、店のロゴが入った黄色いTシャツというだけで、下は水着を穿くのが海神屋の正装らしい。

 俺が着替えて更衣室を出ると同時に、向かいにある女子更衣室のドアも開き、女子二人が出てくる。

「あ、陸。ちょうどいいタイミングだね」

 俺を見てぱっと表情を明るくしたのは碧だ。

 彼女も水着の上からTシャツを着ているのだが……なんというか、割といい。

 Tシャツ姿なんて普段からよく見てるのに、すらりとした白い足と、シャツの下には水着を着ているという情報を知っているからか、そこまで露出も多くないのに、なんか妙にドキドキする。というかぐっとくる。

「そ、そうだな。女子はもうちょっとかかると思ったけど」

「あはは。私たち、二人とも最初から下に水着を着てたから」

 ちょっと照れたように笑う碧。可愛い。

 と、そこで二条が意味深な目を向けてきた。

「碧、今年は巳城のために大胆なビキニにしたんだぞ」

「え!?

「さ、さーやちゃん!」

 唐突な爆弾情報に驚く俺と、真っ赤になる碧。

 が、当の二条は友人の非難もなんのその、不敵な笑みを浮かべて店長がいるほうへ向かってしまった。

 残されたのは、俺と碧と爆弾情報のみ。

 ビキニ……碧が着てるのか、今あのシャツの下に。

 あんまり見過ぎると下心がバレると思い、目を逸らすが、それが逆に意識しているのを諸に伝えてしまっている気がする。

「そ、そんなハードルあげられても困るからね!? 普通のビキニだから!」

「お、おう」

 赤い顔のままくぎを刺してくる碧だが、やっぱりビキニなのかと思うと、さっきよりTシャツの下に意識が行ってしまう……!

 やばい、マジで下心がバレそうで困る。なんとか話題を逸らさなければ!

「そ、そういえば香乃がいたな! 久しぶりに会えてよかったわ!」

 とつに出たのは、俺にとって今最もセンシティブな地雷わだい

 何故よりによってこれを……! 自分で言って自分で心にダメージを受ける俺であった。

「そ、そうだね……すごい偶然」

 そして、何故か碧もダメージを受けたように沈んだ表情をした。

 さっきまであんな浮ついた空気だったのに、一瞬でお葬式みたいになる謎の状況である。

 数秒、沈黙が流れる。

 それを、碧が意を決したような表情で破った。

「あの、陸はまだ──」

「おーい、まだかー?」

 碧が何か言いかけた時、店頭のほうから店長の声が聞こえてきた。

 話の腰を折られた碧はがくっとしていたが、すぐに苦笑を浮かべる。

「……行こっか」

「ああ」

 碧が何を言おうとしたのかだいたい分かるし、俺もそれにちゃんと答えたかったが、この状況でするような話でもない。

 そうあきらめて、店長たちが待つ場所へ向かった。

 そこにはやはり、さっきと何ら変わらない表情の香乃がいる。

そろったね。これから香乃ちゃんが仕事を教えてくれるから、みんなちゃんと覚えるように。俺は仕込みしてるから、何かトラブルがあったら知らせてくれ」

 そう告げると、店長は足早にちゆうぼうに引っ込んでいってしまった。

 残されたのは、気まずい空気の俺と碧、様子見モードの二条と銀司、そして平常運転な香乃だった。

 不意に、香乃と目が合う。

………………

 あの気まずい関係たんから一年。

 いったい、どんな会話をすればいいのか。

「じゃ、仕事教えるねー。まずは仕事の流れを覚えてもらうから」

 だが、俺の緊張などどこ吹く風か。まるで何事もなかったかのように仕事のレクチャーを始める香乃。

「私たちはだいたい接客がメインね。あと業者が来たら食材の受け取り。他にも瓶ビールがケースで来たりするから覚悟しといて」

 拍子抜けする俺とは対照的に、香乃はすらすらと仕事の説明をしていく。

 と、そこまで話してから香乃が碧を見た。

「これが結構重いんだけど……碧はできそう? まだ肩悪い?」

「ええと」

 碧も香乃に対して身構えていたのか、ごく普通に仕事の話をしてくる昔の友人に、戸惑った様子を見せていた。

「碧はまだ駄目だ。その分は俺がやる」

 このままじゃ流されて肩に悪い仕事を引き受けかねない。

 そう感じた俺は、なんとか気まずさを打ち破って口を挟んだ。

「ん、了解。なら碧と私の分は陸にやってもらうことにするね」

「おい、さらっと余計な仕事が増えてんぞ。なに自分の仕事まで俺に押しつけてんだ」

 じと目でクレームを入れると、香乃は不満そうな顔をした。

「ちっ……バレたか。じゃあいいや。次は接客だけど──」

 香乃が次の説明に移るのを聞きながら、俺は内心で息を吐く。

 正直、ほっとした。

 唐突な再会でどうなることかと思ったが、仕事という共通の話題があるおかげで、とりあえずのコミュニケーションは取れる。

 これなら最低限はなんとかなりそうだ。

「……陸」

 そんなことを思っていると、碧が小声で名前を呼んできた。

 彼女は少しだけ申し訳なさそうに俺を見上げている。

「ありがと。ごめんね、力仕事任せちゃって。あとで何かお礼するね」

「あ、それなら休憩時間になったら二人で遊ぼう。一人で海を見ても暇だからな」

 お礼にかこつけて碧を誘う。

 香乃との再会は予想外で驚いたが、俺が見るべきなのはあくまで碧だ。

 そんな意思を込めてのお誘いに、彼女は一瞬だけきょとんとしてから微笑を浮かべた。

「もう。それじゃお礼にならないじゃん」

 はにかむように笑う碧を見て、香乃との再会から重くなっていた気持ちが軽くなるのを感じるのだった。



 そうして香乃のレクチャーも終わり、ようやく迎えた休憩時間。

「碧の休憩まで、あと三十分か」

 シフトの都合で碧と休憩時間がずれた俺は、微妙に時間を持て余してしまった。

 せっかくの海ということで浜辺を歩いてみるが、意外と一人ではやることがないのが海という場所である。仕事の合間じゃ泳ぐこともできないし。

「おーい、陸」

 ぼんやりと海を眺めていると、後ろから声をかけられた。

 碧が早めに仕事を終えたのか、と思って振り向く。

「うげ」

 だが、そこにあったのは碧とは違う見知った顔。

 即ち、香乃である。

「いやあ、ちょうどいいところに」

 俺の嫌そうな態度は目に入っているはずなのに、まるで気にすることもなくフレンドリーに話しかけてくる香乃。そういや昔からこういう奴だった。

「……何の用だよ」

 仕事抜きでの対話となると、やはり気まずさはぬぐえない。

 迷惑だというオーラを全開にして応対するも、香乃は気にした様子もなく話を続けた。

「今からビーチバレーをするつもりなんだけど、陸もどうかなって」

「遠慮しとく。メンツが足りないなら他の奴を誘え」

「大丈夫。足りないのはメンツじゃなくてボールだから」

「大丈夫じゃねえよ! なんでボールの代わりに俺のこと誘ってんの!? 恐ろしく残虐なゲームやるつもりじゃん!」

 思わずせんりつする俺を見て、香乃は楽しそうに笑った。

「なんだ、元気じゃん。なんか久しぶりに会ったのにずっとテンション低いから、熱中症にでもなったのかなって心配だったんだよね」

「心配の仕方がゆがんでんだわ! この上なく健康体だから二度と誘うな!」

「ふーん。健康ならいいけど。じゃああれ? もしかして私にフラれた時のことでも思い出してた?」

──────

「どうやら図星みたいだね?」

 思わず硬直する俺に、香乃は得意げな顔をした。

「……お前、よくそんながっつり踏み込めるな」

 肺の中で固まった空気を押し出すように息を吐き、俺はなんとかそんな言葉を絞り出す。

「ふふっ、まあもう昔のことだからね。もしかして陸は引きずっちゃってたりする? まだ私のこと好き?」

 一本取ったのがうれしいのか、デリケートな話題に触れてるのに上機嫌な香乃。

「好きじゃねえし引きずってもねえよ。ちょっとびっくりしただけだ」

 正直、複雑な感情はあるが、まあ香乃が引きずってないならそれでいい。

「つーかお前はそろそろ休憩終わりだろ。さっさと店に戻れ」

「はーい」

 俺のことをからかうだけからかってすっきりしたのか、香乃はくるりときびすを返して店に戻ろうとする。

 と、その時だった。

「そこのお姉さん、暇? 時間あったらちょっと話し相手してくんない? そこでおごるからさ」

 俺から離れて三メートルもしないうちに、香乃がナンパ男に絡まれていた。

「いやあ、今はちょっと」

「そう言わずにさあ」

 しかもしつこい手合いらしく、香乃が断っても食い下がっていた。

 俺はいきを吐くと、仕方なく香乃の下へ向かう。

「すみません。こいつうちの店員で、今から仕事なんで放してもらっていいですか?」

 二人の間に割って入ると、ナンパ男が鼻白んだ表情を見せた。

「あ、そう? ま、仕事なら仕方ないか」

 これ以上粘っても成果に乏しいと見たか、ナンパ男は引き下がった。

「いやあ、助かったよ。さすが陸、頼りになる」

 香乃はあっけらかんとした様子でお礼を言ってくる。

「お前、またナンパされまくってるのか」

「うん。実はこの休憩時間だけで四回声かけられた」

 昔もモテてモテて仕方ない奴だったが、高校生になって更にパワーアップしたらしい。

「仕方ないな……俺が海の家まで送っていくよ」

 このままでは仕事に支障が出ると判断した俺は、ナンパ避けの役割をすることにした。

「ボディーガード助かります。いやあ、昔を思い出すね」

「……そうだな」

 昔も一緒に出かける度にこいつがナンパされて、俺が必死にそれを追い払うというのが定番イベントだった。

「ま、あの時はボディーガードが私にれるという、予想外の結末だったけどね!」

「ガンガン古傷えぐってくるのやめてもらっていいっすかね! 放置すんぞコラ!」

「あ、それは困る。このペースでナンパされまくったら、絶対遅刻しちゃうから」

 それが事実であると分かるのがこいつの恐ろしいところだ。

「お前、海の家で働くの向いてねえよ……よりによって、なんでこんなところで働いてるんだ」

 よく考えたら、うつとうしいくらいナンパされるのは分かっているだろうに、どうしてわざわざこんなところで働くことにしたんだ、こいつは。

「確かにナンパはうざいけど、それでやりたいことできなくなるのも嫌だなって思ってね。あえて苦手に飛び込んでみたわけよ」

 そう言われて、俺はあまりの意外さに虚をかれた。

 昔はそういう恋愛絡みが鬱陶しいからと、ほとんど友達も作らなかった奴なのに。

「……変わったな、お前」

 そう評価すると、香乃は少し柔らかく笑った。

「ま、少しはね? まさか、そのおかげで陸や碧とこんなところで再会するとは思わなかったけど」

 やたら楽しそうな香乃に、俺は渋い顔を返した。

「本当にな。不幸な事故だわ」

「なんですと。あ、もしかしてまた私に惚れた上にフラれちゃうんじゃないかっておびえてたり?」

「いやー、同じ地雷を二回は踏まないかな」

「誰が地雷だよっ、このこの!」

 ぺしぺしと背中をたたいてくる香乃の行動をスルーして、俺は一刻も早くこの厄介な荷物の輸送を終えるべく早足で進み続けるのだった。



 そうして二十分後、俺たちは海の家に到着した。

 そう、二十分後である。

「疲れた……男連れでも容赦なくナンパしてくる奴の多いこと」

 ようやく任務を終えた俺は、疲労感たっぷりの溜め息を吐く。

 たった数百メートルの距離にもかかわらず、三回もしつこいナンパに遭ってしまった。

「陸程度の男からならあっさり奪えると思ったんだろうね、ドンマイ」

「お前がこの後シフトに入っていなければ、容赦なく差し出してやってたのにな」

 からかうような香乃に、俺は溜め息交じりで言い返す。

 こりゃ碧と歩く時にも気をつけないと駄目だな。

「そんなこと言いつつ、ちゃんと連れてきてくれるツンデレさんめ。ま、助かったよ」

「おう。店の中でナンパされそうになったら銀司を頼れ。あいつがなんとかしてくれる」

「ん、了解」

 そんな話をしていると、店の中から誰かが出てきた。

 振り向くと、そこにいたのは碧。

「あ、陸。お待たせ」

 彼女は俺を見てパッと表情を明るくしたものの、隣に香乃がいるのを見て固まる。

「……香乃と一緒にいたの?」

 さっと顔が青ざめる。

 やばい、これ変な誤解を招いてるんじゃないか?

「いや別に、一緒にいたっていうかたまたま会ったってだけだから」

 早口になりながら必死に弁明する。

 と、それを見て何を思ったのか、香乃がきょとんとした顔で俺と碧を見比べ、それから何かを察したように、にやりと嫌な笑みを浮かべた。

「ほう……ほうほう! なるほど、今はそうなってるんだ。ふーん」

 それを聞いて、俺も香乃の考えを察してしまう。

 こいつ、俺が碧を好きだってこと、今のやりとりだけで気付きやがった……!

「すまん! 碧、ちょっと待っててくれ! 香乃、来い!」

「え、あ、うん」

 俺は碧に断りを入れると、香乃を店の裏まで無理やり連れていく。

「もー、なに? 私そろそろ休憩終わるんですけどー?」

 にやにや笑いながら、白々しい言葉を吐く香乃。

「やかましい。用件なら分かってるだろ」

「さあ? 何を言ってるかよく分からないよ。あ、話変わるけど、まさか陸が碧を好きになるとはねえ」

「話変わってねえんだわ! 地続きで本題入ってきてるからね!」

 謎のフェイントを入れてから核心に触れてくる香乃。

「まったく……お前は昔から妙なところで鋭いから困る」

 深々と溜め息を吐く俺に、香乃は肩をすくめてみせた。

「そういう陸は昔から妙なところで鈍いよねえ」

「……何がだよ」

 香乃の言葉に不審な響きを感じた俺は、嫌な予感を覚えながらたずねる。

 すると彼女は、半ばあきれたような表情を作って口を開いた。

「あのね、碧は陸が私のこと好きだったことを知ってるんだよ? なのに、無理やり私を連れ出して、二人っきりになるところなんて見たら……ねえ?」

 言われて、俺はようやくそこに思い至った。

 あれ……もしかして、さっき招いた誤解に、俺がお墨付き与えちゃった?

 血の気が引く俺の肩に、何故か楽しそうな香乃がぽんと手を置いた。

「いやあ、陸は今も昔も恋愛で苦労するね?」

「どっちもお前のせいだけどな!」


 ──こうして、夏の海イベントは波乱の幕開けをするのだった。