一回表 夏とテストと海水浴場。



「もうすっかり夏だねー」

 朝の登校中。

 梅雨明けの抜けるような青空を見上げながら、隣を歩く少女が呟いた。

 腰まである長い黒髪、雪のように白い肌。

 この絵に描いたような美少女は、俺の親友である西さいおんあおだ。

「そうだな。だいぶ暑くなってきたし」

 耳を澄ませば、セミの鳴き声もちらほら聞こえてきている。

「だね。特に今年は髪長いからさ。ロングヘアがこんなに暑いものだと思わなかった」

 自分の髪の毛をさらりと触りながら苦笑する碧。確かに言われてみればカーディガン一枚羽織ってるくらいの保温力はありそうだ。

「しかし、随分と髪伸びたよな。たった一年でこんなに伸びるものかね」

 一年前まで、碧はソフトボールをやっていたこともあって髪は動きやすいようにショートカットにしていた。

「私、髪伸びるの早い体質みたい。さーやちゃんも驚いてた。おかげで手入れが大変で」

 どうやらロングヘアというのは、俺が思う以上に維持に手間暇がかかるらしい。

「昔みたいに短くしないのか?」

 ふと、そんな疑問が湧いた。

 以前はせっかくソフト引退したんだし、今までやれなかったロングヘアにしてみたいと言って伸ばしていたが、もう割と楽しんだ頃じゃないかと思う。

 なら、夏に合わせて短くするのもありではないか。

 そんな素朴な疑問をぶつけてみると、碧は何故か少し照れたように視線を泳がせた。

「ん……それもいいんだけど。ほら、髪が短いとかんざし、刺しづらいかなって」

「お、おう」

 不意打ちを食らい、俺は思わずどきりとしてしまう。

 あのかんざしは俺がプレゼントしたもの。それに合わせて髪型を決めているというのは、その、なんというか……ちょっと来るものがあった。

「ま、まあ、それにせっかく伸ばしたんだしね。今さら切るのももったいないって気持ちもあるし」

 碧は照れ臭さを誤魔化すように笑ってみせた。

「そ、そうか。まあそうだな。あはは」

 俺も誤魔化すように不自然な空笑いをする。

 と、そのせいで話が途切れた。

 どこか気恥ずかしい、悪くない沈黙。

「ねえ陸」

 それを破ったのは、碧だった。

「なんだ?」

 応じると、碧はさっきまでより少し穏やかな表情で呟いた。

「今年の夏はさ、今までできなかったこと、いっぱいやりたいね」

「ああ」

 肩を壊してソフトボールを辞めた碧と、情熱が足りずに野球を引退した俺。

 今まで練習と大会で埋まっていた夏の予定は、ぽっかりと空白になっている。

「よし、じゃあ今年の夏は遊び倒すか」

 俺が明るく提案すると、碧も楽しそうに首肯した。

「うん! 気が合うね。やっぱり持つべきものは親友だよ!」

 そんな碧の言葉に、喜びと少しの切なさを覚えながら、俺の夏は始まった。



 ──告白するなら早いほうがいいぞ。

 唐突で済まないが、全人類への警告として、俺からこの言葉を伝えたいと思う。

 距離を詰めてからとか、勇気が出ないとか、恋愛の駆け引きをしたいとか。

 そんなことで告白を先延ばしにしている輩がいたら、俺はこう言ってやりたい。

 ──お前はもう負けている、と。

 ボールが来たのにずっとバットを振らない打者は、それだけで三振なのだ。

 同じように、告白するタイミングがあったにもかかわらず告白できなかった奴は、恋愛において確実に成功率を落とす。

 だから好きだと思ったらすぐに攻めろ。拙速は巧遅に勝るのだ。

 ただまあ──問題は。

 既に関係の固まってしまった相手を、急に好きになってしまった場合でして。

 たとえば、小学校から付き合いのある五年来の親友を、いきなり女として意識してしまった場合なんか最悪だ。

 もはや距離を詰めようがない。だってある意味、究極まで距離が詰まってるもの。

 はっきり言って終わっている。異性として意識してもらえないというのは、スタートラインに立てないのと同じである。

 ──まあ、今の俺なんだけどね。

 だからこそ、俺は全人類に言いたい。

 告白できるタイミングがあるなら、相手にまだ異性として意識してもらえるタイミングがあるのなら、それを決して逃すなと。



「今年の夏は海に行こうぜ!」

 俺と碧が教室に入るなり、唐突にぎんがそんなことを言った。

「いきなりなんだ、お前は」

「朝一からテンション高いね、銀司君」

 思わず、俺と碧は困惑を見せる。

 スポーツマンらしい短髪とさわやかな笑顔が売りの好青年。

 それが俺の友人であるありむら銀司……なのだが、今日の笑顔は妙に空回り気味だった。

「いや、夏と言えば海じゃん? 中学の頃は野球で忙しかったし、高校の夏は海を楽しもうと思うんだよね」

 平然と言い放つ銀司に、俺は小首を傾げた。

「中学の頃は……って、お前は今も野球部だろ。部活どうすんだ」

「そんなの関係ねえし! 一度しかない青春を部活漬けで過ごしたら悔いが残るだろ! だから俺は行く!」

 さすがにここまで来ると、銀司の異変を無視できない。

 俺と碧が顔を見合わせていると、見かねたようにいきを吐く人物が現れた。

しろ、碧、そいつの戯れ言は気にしなくていいぞ」

 冷めた口調で割って入ってきたのは、ポニーテールの小柄な少女。

 ちんまりとしたサイズと可愛らしい顔立ちで、黙っていれば人形のような雰囲気だが、クールな表情を浮かべているせいか、大人びて見える。

 俺たちのクラスメイトであるじようだ。

「さーやちゃん、おはよう。銀司君はいったいどうしたの?」

 不思議そうな碧に、二条は小さく溜め息を吐いた。

「どうやら朝練で夏の大会のメンバーが発表されたらしくてな。銀司、ベンチ入り逃したんだと」

「「あー……」」

 俺と碧は、同時にうめく。

 そして、銀司に同情の視線を送った。

「やめろお前ら! そんな目で俺を見るな!」

 ハイテンションの裏を知られ、銀司が苦しそうにもだえていた。

 まあ俺と碧もレギュラー落ちの悔しさは味わったことがある人間だ。銀司の気持ちは痛いほど分かる。

「ていうか沙也香もベンチ入り逃したくせに、何を他人ひとごとのように言ってんだ」

 銀司が恨みがましい表情で二条を見つめる。が、彼女はどこ吹く風だった。

「私は怪我で外れただけだ。一緒にするな」

「怪我って、どこやったんだ?」

 碧のことがあっただけに、俺は思わず反応してしまった。

 すると二条は左脇の下辺りを軽く擦る。

「脇腹だ。練習試合の時に走者と派手にぶつかってな。ほぼ治ってるんだが、念のためにということで」

 捕手というのは走者と接触プレーが起きやすい危険なポジションである。この手の事故はままあるものだ。

「一年の夏ならそんな無理することはないか」

 たいしたことなさそうでほっとしていると、二条も微笑を浮かべてうなずいた。

「ま、そういうわけで練習もしばらくできないからな。ちょうどいいし、この子鹿のように弱々しいメンタルの男の気晴らしに付き合う予定なんだが、二人もどうだ?」

「誰が子鹿だ!」

 叫ぶ銀司はスルーして、俺は二条の提案について考える。

「確かに二条だけで子鹿の世話するの大変だろうしな。よし、付き合うよ」

 どうせ他にやることもないしな。

「おい、そこの飼育委員ども! 人を子鹿で確定するな!」

 と、そんな俺たちの様子に苦笑しつつ、碧も口を開いた。

「私も行きたいけど……いつにするの? もうすぐ期末テストあるし、夏休みに入ったら二人は部活漬けでしょ?」

「問題ない。うちの学校、期末後はテスト休みあるし、そこにしようと思ってる」

 当然と言えば当然の疑問。二条もそれについては考えていたのか、間を開けずに答えていた。

 確かにテスト休みは責任者である顧問がいないから、部活が禁止になるってホームルームで担任が言ってたっけな。

「銀司もそこでいいな?」

 二条が確認を取ると、銀司は仏頂面のままだったが、しっかりと頷いた。

「色々と釈然としないが……まあいいだろう。人数いたほうが楽しいしな。となると、問題は金か」

 銀司の言葉に、二条も同意する。

「私と銀司は部活やってるからバイトする暇ないし、ちょっと厳しい。二人はどうだ?」

 水を向けてきた二条に、俺と碧はそろって渋い顔を見せた。

「俺もちょっと今は余裕ないな」

「右に同じ」

 計画がまとまってきたところで、懐事情という現実が俺たちを襲った。

「お前らもか。なんだ、また二人でバッセン行きまくったのか?」

 銀司がからかい交じりにそんなことをたずねてくる。

 が、俺と碧は揃って彼から顔を背けた。

「いやあ、そういうわけじゃないんだけど……」

「ええと、あの」

 つい先日、俺たちは体育祭の賞品でもらった遊園地のチケットを使ってデートをした。

 その際、お互いに浮かれまくってしまい、まんまと余計な買い物や豪華な食事で財布の中身を吸い尽くされてしまったのである。

 めっちゃ楽しかったので悔いはないし、別に隠すことでもないけど、それを二人に言うのは気恥ずかしいっていうか。

 ちらっと碧を見ると、彼女も同じ気持ちなのか、照れ臭そうにはにかんできた。可愛い。

「あー……なんとなく分かった。銀司、放っておけ。変に突っ込むとのろが始まるぞ」

 と、俺たちの雰囲気からだいたいのことを察したのか、二条が溜め息交じりにつぶやいた。

「そうみたいだな。俺たちがベンチ入りを逃してへこんでいる間に、随分と楽しい青春を過ごしてるようで」

 じとっとした目で俺たちを見てくる銀司。

 それに気まずいものを感じた俺は、とつに話を逸らす。

「じゃ、じゃあ海に行く前にみんなで短期バイトでもするか?」

「いや俺たちは部活だって」

「それにそもそもテスト前だしな」

 苦し紛れに出した提案を、銀司と二条が連続で否定した。

 ぐぬぅ……確かに。

 海に行く計画は早くも暗礁に乗り上げた。海だけに。

「心配しなくても、金の当てならこっちで考えてある。俺のしんせきに、夏場になると海の家をやってる人がいるんだ。そこが毎年泊まり込みの短期バイト募集してるから、頼んでみようと思ってる」

 どうやら銀司も既にこの問題は想定済みらしく、解決策を用意していたようだ。

「泊まり込みか。俺は大丈夫だと思うけど、碧はどうだ?」

「あとで聞いてみるけど、多分平気。さーやちゃんもいるし」

 俺の問いに、笑ってOKサインを出す碧。

 とりあえず全員の参加が決まったのを確認して、銀司は満足げに頷いた。

「よし、これで決定! みんなで海行くぞ!」

「ま、テストで赤点取ったら白紙だけどな」

 盛り上がる銀司にくぎを刺すように、二条が現実を突きつけてくる。

「うぐ……みんな、とりあえずテストを生き残るぞ」

 一撃で沈められた銀司に、俺と碧は苦笑を浮かべるのだった。



 放課後。

 勉強前に少し自主練をするという銀司や二条と別れ、俺と碧は駅前の本屋にやってきていた。

 目的はテスト勉強に必要な参考書とルーズリーフの補給。

「けど、テスト前まで練習なんて、さーやちゃんたちも大変だね」

 参考書が並んだ棚を眺めながら、ぽつりと呟く碧。

「そうだな。あいつらのためにわざわざテスト対策をしてやる俺たちも、負けず劣らずだとは思うけど」

「確かにね」

 俺の台詞せりふに、碧が苦笑を見せた。

 テスト前からテスト後の休みまで、我が校には二週間の部活動禁止期間がある。

 よって部活組は、テスト後の休み期間に自主練を始めるのが普通らしいが、銀司と二条はテスト休みを使って海に行く計画のため、今のうちに自主練を重ねているのだ。

 で、その分だけ疎かになる勉強を、俺と碧お手製のテスト対策問題集で補うという。

「まあでも、バイトの当てを探してくれたのは銀司君だし、さーやちゃんには普段恐ろしいほどお世話になってるし、お互い様ってやつだよ」

「ま、そうだな」

 銀司はともかく、二条は優等生だから俺たちの助けがどれだけ必要なのかは分からないが、何もないよりはマシだろう。

「それより、目的の参考書は見つかりそうか?」

「んー、この辺にあるはずだけど……あ、あった。おいかわ先輩おすすめのやつ」

 碧が指差したのは、一番上の本棚に並べられた参考書だった。

 彼女はそのまま手を伸ばし、本を取ろうとする。

 が、背伸びしたにもかかわらず参考書には指先しか届かず、苦戦していた。

「うぐぐ……もうちょっと……!」

「俺が取ろうか?」

 そのちょっと可愛らしい仕草にほっこりしながらも、見かねた俺は代打を申し出た。

「大丈夫。あとちょっとだから……!」

 しかし碧は自分で取るつもりらしく、指先を引っかけて必死に取ろうとする。

 と、その時だった。

 指先に引っかかった参考書は、思いのほか勢いよく棚から外れ、そのまま碧の頭上に落ちてきた。

「きゃっ!?

 碧は背伸び状態でそれをかわそうとしたらしく、ぐらりとバランスを崩す。

「碧!」

 間一髪反応した俺は、倒れそうになった碧を後ろから抱き留め、落ちてきた参考書を左手でキャッチした。

「ご、ごめん……」

 俺の胸元にすっぽりと収まった碧は、申し訳なさそうにこっちを見上げてくる。

「まったく……俺がフライを捕球するのが得意だったことに感謝するんだな」

 冗談めかして注意すると、碧も表情を緩めた。

「うん。私もたくさん守備練に付き合ったがあったよ」

 アクシデントの緊張感が解れる。

 そのおかげか、今ぴったりとくっついていることに気付いてしまった。

「う……」

「あの……」

 碧も同時に気付いたらしく、ぎこちなく硬直していた。

 すっぽりと俺の腕に収まるきやしやな肩、直に伝わってくる体温。ふわりと漂う甘い匂い。

 圧倒的な情報量に、脳内がフリーズしかけている。

「り、陸。昔と比べて身長伸びたね」

 あるいは参考書が落ちてきた時以上に張り詰めた空気をなんとかしようとしたのか、碧が俺の腕に収まったまま、そんな話題を振ってきた。

「そ、そうだな。昔は俺たち同じくらいの背丈だったもんな」

 だが、身長差のせいで、俺はゼロ距離から碧の上目遣いを食らっており、余計に硬直してしまっているのであった。俺の親友、世界一可愛いんだけど。

「えと、私は中二くらいで止まっちゃったんだよね。陸はまだ伸びてるんだっけ?」

「す、少しだけな」

 話に応じる俺だが、ほぼ上の空である。

 正直、このままぎゅっと抱きしめたい衝動を抑えるのに必死だった。

 さすがにこれ以上は理性の限界だったため、俺はゆっくりとムーンウォークで碧から遠ざかった。

「ええと、とりあえず参考書も手に入ったし、レジに行こうか」

 まるで今までのやりとりをなかったことにするかのように、めちゃくちゃ無理矢理本題に戻す俺である。

「そ、そうだね」

 碧も碧でテンパっているのか、俺の不自然さにも疑問を抱く様子なく従った。

 そのままレジで会計を済ませ、店を出る。

 ちょっと時間を置いたおかげで落ち着いた俺は、そこでようやく普通に会話できる状態になった。

「そうだ。ついでだし、海で必要な道具も買っていくか?」

 そう提案してみると、碧は首を横に振った。

「まだいいんじゃないかな。私、テスト終わったらさーやちゃんと一緒に海水浴用の買い物するつもりだし、必要なものはその時にまとめるよ」

「む、そうか?」

 二度手間になりそうだが、きっと同性と一緒じゃないと買いにくいものもあるのだろう。

「うん。去年の水着もサイズ合わなくなっちゃったから、買い直さなきゃいけないしね。今そんな持ち合わせないもん」

 さらっとそんなことを言う碧に、俺はまゆを寄せた。

「え? でも……」

 もう身長は止まったはずなのに、と言いかけたところで気付いた。

 ──胸か!

 そ、そうか……去年の水着じゃサイズが合わなくなったのか。

 思わず碧の身体をチラ見してしまう。

「陸? どうしたの」

 自分が爆弾を投下した自覚がないらしく、碧は急に挙動不審になった俺をいぶかるように首を傾げた。

「な、なんでもない。ま、まあ海のことはテスト終わってから考えたほうがいいな、うん。まずは雑念を捨ててテストに集中しよう」

 自分に言い聞かせるように告げる俺である。

「そうだね。赤点取ったら目も当てられないし、頑張ろうね」

 朗らかな笑みを浮かべる碧。

 うぅ……その汚れのない微笑みは、今の薄汚れちまった俺にはまぶしすぎる。

 結局、俺は家に帰るまでもんもんとした気持ちを抱え続けるのだった。



 その日の夕食後、俺が自室に戻ってきたのとほぼ同時に、部屋に置きっ放しだったスマホが着信音を鳴らした。

 待ち受け画面には、有村銀司の文字。

「はい、もしもし」

『よう陸。今大丈夫か?』

「おう。平気だけど、どうした?」

 ベッドに腰掛けながら通話を続ける。

『海のことでちょっと話したいことがあってな。それにテスト勉強行き詰まったから半ば気分転換も兼ねて。そっちはどうよ、勉強はかどってる?』

「残念ながら参考書を買っただけで全く手をつけてない状況ですよ。なんせさっきまでずっと素振りしてたからね」

『いや、テスト前に素振りって』

 いつものあきれた表情をする銀司の姿が目に浮かぶ。

 そんな彼に、俺は思わずちようの笑みを返した。

「はは……ちょっと雑念を払いたくてな。気付いたら素振り千回してたわ」

『なんで現役おれより練習してるんですかね……』

 呆れを通り越して困惑気味な銀司の声。

 無論、碧の水着サイズ問題で生まれた邪念と闘うためだが、そんなことを正直に言えるわけがない。

「色々あったんだよ。ま、心配するな。今からお前ら用のテスト対策問題集もちゃんと作ってやるから。それより、さっき海のことで話があるって言ってなかったか?」

『そうそう。一応、ちゃんと保護者の許可は取れたのかって確認しとこうと思って』

 言われて、俺は少し眉根を寄せた。

「その件か。俺は問題ない。ただ、碧のほうは二条がいるならOKって条件でな。そっちがはっきりするまでは怪しい」

 さすがに男二人と泊まりがけで海というのは、難色を示された。

 なので、二条が参加できるかどうかでこの計画がうまくいくか決まる。

『それなら平気だ。沙也香の親って、沙也香とは真逆で割と緩いからな。二つ返事でOKだった』

 その返事に、俺は少し驚く。

「意外だな」

『だろ? 沙也香は親がぽやぽやしてる反動で子供がしっかりしたパターンなんだ』

「いや、そうじゃなくて。お前ら、そんな家族ぐるみの付き合いがあったのか」

 銀司と二条が同じ中学出身というのは聞いたことがあったが、そこまで深い付き合いがあるとは初耳だ。

『あれ、言ってなかったっけ? 俺と沙也香って幼なじみってやつでな。少年野球でもバッテリーを組んでた仲だ』

「そうだったのか。そういやお前、シニア入った時は投手だったな」

 ふと昔を思い出した俺に、通話口からは苦笑気味の吐息が聞こえてきた。

『おう。ま、沙也香と組めないなら投手やる意味ないし、すぐコンバートしたけどな』

 おおう……なんかすごいのろみたいなのがさらっと来たぞ。

 自覚なく惚気るとは恐ろしい。

『話戻すけど、それなら海は心配ないな。いやあ、すげえ楽しみだわ。やっぱ野球やってると夏は野球漬けになるから、海とかなかなか行けないもんな』

 共感を求めてくる銀司に、俺はちょっと心苦しくなる。

「すまん、今だから言うが俺は去年碧と海に行ったんだわ。それもシニアの大会期間中に」

『なんだと!? そういやお前、おちゃんの葬式とか言って練習来なかった期間あったよな! あの時か!』

 今だから言える俺のざんに、銀司はヒートアップして詰問してきた。

「ああ。俺の祖母ちゃんは今も存命だわ。春休みに会ったけど元気そうだった」

『よかった、亡くなったお祖母ちゃんはいなかったんだ……じゃなくて! お前、最後の大会なのに何してんだよ!』

「ま、あの時期だからこそってやつだ。最初は素振りだけでなんとかなるかと思ったんだけど、どうにも無理っぽくてな」

 俺が意味深な言葉を吐くと、銀司も少しだけ考え込んでから口を開いた。

『もしかしてあれか? 砂浜で走り込みの基礎練習みたいなやつ。最後の大会だからこそ一から自分の身体を鍛え直そうとしたみたいな』

「いや、単に俺が当時好きだった子に告白してフラれたから、気晴らしに行っただけだ」

『しばくぞお前! OLの傷心旅行か!』

「悪い悪い。最初は本当に素振りだけでストレス発散しようとしたんだが、無理だった」

『知らねえよ! お前当時のチームメイトが聞いたら全員キレるぞ!』

 銀司にとがめられて、俺は自分の浅はかさに気付いた。

「確かに……俺、チームメイトにお土産買ってなかったじゃん!」

『そこじゃねええええええええええ!』

「まあ、海でメンタルを持ち直した俺が打ったヒット、あれこそが本当のお土産だと思ってほしい」

『やかましいわ! まずそもそも大会終わってから告白しろや!』

 銀司の正論パンチに、俺は痛いところを突かれた。

「つい我慢できなくて……」

『そこは理性を保て! ていうか碧ちゃん相手に死ぬほどへたれてるくせに、なんでその時は一番いらんタイミングで勇気出せてるんだよ! お前劣化してんぞ!』

「うるせえ! 逆にその時のダメージで今こうなってんだよ! お前だって空振り三振したら次の打席は慎重になるだろ!」

『その三振から一年経ってんだけど! バットを振らなきゃヒットは打てねえぞ!』

「ぬぐぅ……」

 まるで反論できなくなり、俺はうめいた。

『つーか、その時期って言ったら碧ちゃんも大会中だろ? よく付き合ってくれたな』

 どこか呆れ気味な銀司の声。

「……色々とあってな」

 俺が歯切れ悪くうなずくと、スマホの向こうから息をむ気配が伝わってきた。

『もしかして……碧ちゃんが肩壊した後に行ったのか?』

 その推測に、今度は無言で肯定を返す。

 そう、その海水浴に行った時期には、もう運命の時は終わっていた。

 最終回、2アウト満塁、すっぽ抜けのライズボールが相手の打者に当たり、押し出しの死球。

 結局、それが決勝点となり碧の夏は終わってしまった。

 その選手生命とともに。

「正直、お前らには悪かったと思ってるよ」

 俺たちにとっても三年間の集大成だったのは分かっていた。

 でも、それでも俺は、燃え尽きて空っぽになってしまっていたあの時の碧を、放っておくことはできなかったのだ。

『碧ちゃんのためっていうなら責めることはできないさ。お前も大変だったんだろうしな』

 銀司もどこか神妙な口調で、俺の懺悔を許してくれた。

「すまん、恩に着る」

『いいって。ていうか、さっきは普通に流したけど、お前って碧ちゃん以外に好きな子いたのな。なんかびっくりだわ』

 しんみりした空気を振り払おうとしたのか、銀司は話題を変えてきた。

「まあ、碧のことはずっと友達と思ってたからな。だからこそ難しいわけで」

『その当時、碧ちゃんに恋愛相談とかもしちゃったり?』

「……しちゃったりしてた。うわ、どうしよう。もしかしてそのせいで余計に異性として意識してもらえなくなってるんじゃね?」

 俺の碧への態度って、当時も今も変わらないし。

 そのせいで、他に好きな子がいてもこういう距離感で接する奴なんだなって思われてるかもしれん。

『先は長いなあ、陸』

「本当にな……いかん、また素振りしたくなってきた」

 しんみりした空気を振り払えるはずが、さらにしんみりする俺たち(主に俺)であった。

『本当に俺より練習してるな……まあいいや。俺も勉強あるしな。そろそろ切るわ』

「おう、じゃあな」

 そう言って、通話を切る。

 途端、部屋の静寂が耳に響いた。

「好きだった子、か」

 銀司とあんな話をしたせいか、久しぶりにあいつのことを思い出す。

 同時に、最後に交わした言葉も。



『──ねえ。友情を壊してまで人を好きになるって、本当に正しいことなの?』