
「──着いたな」
「──おう……!」
バスを降り、駐車場から歩くこと十五分。
到着した──初日の宿泊場所である青年の家。
目の前に広がる景色に、俺は大きく深呼吸をした。
「うん、いいとこだな……」
ここは、札幌市街地からバスで二時間ほどの山の中だ。
うっそうと茂った木の匂いに、遠くから響く聞き慣れない鳥の声。
街中よりも空気は冷たくて、わずかに湿り気を帯びて感じられて──久しぶりの自然豊かな環境に、俺はテンションが上がってしまう。
広場の向こうにある宿泊施設も、年季が入っていて良い感じだ。初めて来たのにどこか懐かしい。
「やっぱ……こういうところが、俺のいるべき場所だって気がするな」
「……別に山育ちじゃないけどな、お前」
思わずつぶやいた言葉に、隣の亮祐が小さく笑う。
彼の言う通り、地元の街はだだっ広い平野の真ん中にある。
山なんて地平線の近くにうっすらと見えるくらいで、こういう景色に馴染みがあるわけでもない。それでも。やっぱり大都会にいるよりもリラックスできる気がするのは、自分がどこまで行っても自然好きだからなのだろうと改めて実感した。
……ちなみに、俺たちのちょっと後ろでは。
「……うえ、まだ気持ち悪い……」
「静乃大丈夫? 一旦、どっかで休もうか……?」
なんて静乃と六曜さんが言い合っている。
心配になって振り返ると、静乃は普段より足取りが危うく、微妙に顔色も優れない様子。
ここまでずっとバスは山道を走ってきたし、車酔いしてしまったらしい。
俺は鞄に手を突っ込むと、
「……ほら、酔い止めの薬」
言いながら、静乃に市販薬の錠剤を渡した。
「一応持ってきておいて良かったよ。水は持ってるか?」
「うん、ありがと……助かる」
無理に笑ってみせ、さっそく渡した薬を飲む静乃。
そして、その隣で六曜さんは気遣わしげに静乃に目をやりつつ、一度こちらをちらりと見ると、
「……くっ、やはりなかなかやるな、大滝氏……!」
なぜかひどく悔しそうな顔をしていた。
「さりげなくも的確な対処……ぐぅっ……推せる……二人の関係……相変わらず推せてしまう……!」
なんでそうなるんだよ……別にそんなことで張り合ってもしかたないだろ。
というか推せてしまうってどういうことだよ、よくわかんねえ……。
……ともかく。
俺はもう一度宿泊棟に向かって歩き出しながら、決意を新たにする。
今回の研修を十分に楽しむためにも、健康にはできる限り気を遣うようにしよう。体調を崩してしまえば楽しめるものも楽しめなくなるし、宿泊研修自体が苦しかった思い出になってしまう。
それを避けるためにも……ちゃんと眠ろう。
睡眠時間を、確保できるようにしよう──。
そんな俺の気持ちを察したのか、
「上手くいくといいな、練ってきたプラン」
隣で、亮祐が小さくそんなことを言った。
「ああ、そうだな……」
うなずきながら、俺は頭の中で計画を反芻する。
今回の宿泊研修は、二泊三日。
初日がダム見学や飯ごう炊さん、キャンプファイヤーなどレク中心で、二日目が午前から夕方近くまでまるまるオリエンテーリング。キャンプ場で一泊したあと、三日目は下山してバスで学校へ戻る、という予定だ。
その間、夜を過ごすのは二度。
初日の宿泊施設での一泊と、キャンプ場でのテント泊一泊だ。
まずキーになるのは、初日の夜であると考えていた。
体力的な負荷が一番高い二日目を楽しむためには、万全の体調が必要になる。
今夜。俺と静乃は、他の生徒もいる宿泊施設でなんとか添い寝をしなければならない。
それが──非常にハードルが高い。
眠るのは男女別の大部屋で、クラス単位でになる予定。
そんな中、どうやって俺たちが一緒に寝るのか……。
一応、添い寝のためのプランは三つほど立ててきている。
亮祐、六曜さんの助言を得て、「いけそうだな」と思えるものを用意してきたのだ。
そのどれかが成功すれば、最低限は朝まで眠れる予定だ。
それさえ済んでしまえば、あとはまだなんとかなるはず……。
「まあ、やれるだけ頑張ってみるわ」
隣の亮祐にそう言うと、彼はいつもの爽やかな笑みでうなずいてくれた。
「おう、応援してる」
──初日のアクティビティは、何の問題もなく楽しむことができた。
静乃の酔いも薬のおかげか早めに治まり、ジャージに着替え昼食を取ってからのダム見学。研修施設での宿泊説明を受けたあとは飯ごう炊さんと、普段できない活動を四人で存分に味わった。
……ていうか、ダムおもしろかった。
巨大で無骨で年季の入った構造物が、山の間にぽつんとある光景にはゾクゾクしたし、過酷な環境で建築されたその経緯には、先人への尊敬の念を抱いた。
そしてなにより──迫力だ。
えん堤から見るその高さ、放水時の壮観さには鳥肌が立った。
なるほど……これはいい。最高にかっこいい。
ダムマニアっていうものがいることを以前は理解できなかったけれど、今回で完全に納得できた。
これは確かに、色んなダムを見て回ってみたくなる……。
さらに言うと、同じように大興奮の六曜さんと意気投合できたのも、意外な収穫だった。
「──大滝氏! こっちすごい! ほら、ここから見ると放水めちゃくちゃかっこいい!」
「──ほんとだ! うおーすげえ! ちょっとこえー!」
「──ね! 吸い込まれそう!」
そんな風に言い合う俺たちを、亮祐と静乃はほほえましげに眺めていた。
……うん、いいな。
最初はなんか緊張していたし、今も六曜さんに品定めされている自覚はある。
それでも、この四人で過ごすの、なんかすごく楽しい……。この班でここに来ることができて本当に良かった……。
そして──次の飯ごう炊さんも、ダム見学と同じくらいに楽しかった。
なんと俺たちの班、四人全員が料理を得意としていたのだ。
手際よく調理する班メンバーの中で野菜の下ごしらえをするのは心地好かったし、完成したカレーはもちろん絶品。
その上で、それぞれが担当した具材に各家庭のカレーの特徴が感じられて、ほほえましかった。なるほど、森家は具材を小さめにカットするタイプで、六曜家はあく取りを入念にやる感じなんだな……。
そして──楽しい夕食を終え。
現在俺たちは、宿泊施設そばの広場で行われているキャンプファイヤーをぼんやり眺めていた。
広場の中心で燃えさかる炎。
その周囲に思い思いに散らばっている、同級生たち。
この時間、特にプログラムは用意されていない。
各自親睦を深めて欲しい、という教師側の計らいらしい。
実際、キャンプファイヤーって合唱したりフォークダンスしたりするイメージだけど、あれ結構恥ずかしいからな……。
こうやって自由行動にしてくれた方が交流しやすいし、ありがたい。
「……さあ、ここからどうなるかだな」
燃えさかる火に視線をやったまま、隣に腰掛けた亮祐がつぶやくように言う。
「今日は存分に楽しめたけど……今夜どうなるか。どれくらい眠れるか……」
「まあ、どれか一つくらいは上手くいくでしょー」
六曜さんが、気楽な口調でそう言う。
「あれだけ策練ってきたんだから、一個くらいはねー」
……うん、そうなれば良いなと思う。
初日、十分楽しめた分体力もがっつり消費した。
だから、明日のオリエンテーリングを楽しむためにも、今夜はぐっすり眠ることができれば……。
──と、そんなタイミングで。
「……おっ! 大滝さんグループじゃないですか!」
黄昏の薄暗がりの向こうから、そんな声をかけられた。
「どうですか? 宿泊研修楽しんでますか!?」
見れば──そこにいたのは、案の定風来さんだ。
彼女は現在自分の所属する班の元を離れ、方々の知り合いに声をかけて回っているらしい。
微妙に警戒心を覚えつつも、彼女らしい活発さと無邪気さに俺はちょっと笑ってしまった。
こういうことが衒いなくできるのが、この子の美点だよなと本心から思う。
「おう、おかげさまでね」
亮祐が、軽く手を上げ風来さんに答えた。
「ダムもカレー作りも楽しかったよ。特に大滝と六曜さんがダムで大はしゃぎしててさ。見てておもしろかった。風来さんは?」
「わたしも最高に楽しんでますよー! 班員もそうですし、そうでない方ともお話しすることができましたし!」
「それは良かった」
「……にしても」
と、風来さんは俺たちを見回し、
「なんだかとても……しっくり来る四人ですよね、この班は」
「そう?」
六曜さんが首をかしげる。
「この宿泊研修まで、このメンツで集まったことなんてなかったけどねー」
「ですよね、そのはずなんですけど……なんか、人として嚙み合ってる感があるというか。まあ……特に大滝さんと森さんは、元々幼なじみだし当然なのかもしれませんが」
……人として嚙み合ってる、か。
確かに俺と亮祐、静乃と六曜さん、というコンビ同士は嚙み合っていると思う。
亮祐と六曜さんがしっくりくる感じも、理解できる。
でも、俺と静乃は……どうなんだろうな。
毎晩添い寝はしているけれど、その実、色んな部分で嚙み合わない、というのが俺の認識だったんだけど……。
「……そういえば」
と、風来さんは思い出した表情になり、
「大滝さんと森さん……入学式の日に教室で何か言い合いしてましたよね?」
──思わず、ぴしりと固まってしまった。
「はっきりは覚えてないんですけど、口論をしていたような記憶があります」
それは……その通りだ。
高校生活の初日、入学式の前。
俺と静乃は再会してすぐに──激しい言い合いになってしまった。
内容は例の、過去の約束のこと。
──一緒に牧場をやろうと言ったのか、東京で暮らそうと言ったのか、という件だ。
確かにあのときはずいぶん目立ったし、記憶に残ってしまっていてもしょうがない。
「あれって、何だったんですか?」
風来さんは、相変わらず無邪気にそう聞いてくる。
「あっ……あんまり言いたくないことだったらすみません……。でも、あれからいつのまにかこんな風に自然な仲に戻ったようなので、どうやって仲直りされたのかなって。友達に仲裁を頼まれたりしたときにも、参考になるかと思いまして……」
……どう答えるべきか。
風来さんのこの一切悪気のない問いに、どう答えるべきか……。
全部言ってしまうことは、避けた方がいいだろう。
将来の約束について触れてしまえば、風来さんは大騒ぎすること間違いなし。
宿泊研修中できるだけ注目されないようにしているのに、完全に逆効果になってしまう。
とは言え……全面的に噓をつくのも、得策ではないだろう。
どこでボロが出るかわからないし、バレたときに一層やっかいなことになる。
「あのときは……記憶違いがあってさ」
ちょっと考えてから、俺は風来さんにそう答えた。
「小さい頃に、俺たちちょっとした約束をしてたんだけど……その内容が、お互い違う感じで覚えてて、それで言い合いになっちゃったんだ」
……うん、これくらいが良いだろう。
これくらいぼやかしつつ、さらっと話すのがベストだ。
そして、それを受けた風来さんも、
「あーなるほど。そういうのって、ありますよね」
なんてあっさり納得してくれた。
「じゃあもうその疑問は解けて、問題解決したって感じなんですかね?」
──解決していない。
すれ違いは今も、俺たちの中で解くことができていない。
なんでそんな記憶違いが起きたのかは未だにわからないし、正直に言えば、最近はお互いあまりそのことに触れなくなりつつある。せっかく安定し始めた今の関係を、荒立てたくなかったのだ。
だから──早くこの話を終えたくて。
さっさと次の楽しい話題に行きたくて、
「……うん」
俺は作り笑いを浮かべながら、そう答えてしまう。
「なんとか……解決したよ。ははは、ごめんな、心配かけて……」
「そうですかー!」
風来さんも、それににぱーと笑みを浮かべてくれる。
「なら良かった。いつまでもケンカしてるなんて、悲しいですから──」
「……してない」
──静乃が。
妙に穏やかな表情の静乃が、静かに会話に割り込んできた。
「その件、まだ解決してないよ……」
「えっ? そうなんですか? けど大滝さんは、解決したって……」
「ううん。本当はまだだよ……」
相変わらず穏やかに、風来さんに答える静乃。
けれど──その穏やかさには、彼女の苛立ちが滲んでいるように見えて。
問題が解決した、なんていう俺の発言に対する憤慨が、ありありと浮かんでいて。
「忍……なんで噓つくの」
静かにこちらを見る静乃。
今さら俺は……自分が失敗したことに気付いて焦り始める。
「や、その……ここでその話、蒸し返すこともないかなと思って……」
「変に隠すこともないじゃない」
「まあ、それもそうだけど……まだなんで、あんなすれ違いが起きたかもわからないわけで、この状況で話題にするのも……」
「……わたしは、今も忍が勘違いしただけだと思ってるけどね」
「……いやいやいや」
静乃の物言いに、思わずそう言い返してしまった。
こんな場面でそんなことすべきじゃないのに。
ここはとにかく穏便に流すべきなのに……その言い草は、ちょっとスルーできない。
「それはこっちのセリフだよ。俺にとってあれは、大事な約束だったんだから……そんな、勘違いなんてするはずないだろ」
「……どうだか。本当は、別にそんな本気の約束じゃなかったんじゃない? なんとなく雰囲気に釣られて言っただけで……」
「そんなわけないだろ。雰囲気であんな約束するわけないだろ──」
──言い合いが、始まってしまった。
久しぶりの口論になってしまった。
考えてみれば、最近この件は特に話題に出ることもなくなっていた。
なんとなく、添い寝でお互いの大切さを体感して、許し合う雰囲気になっていたこともあるだろうし……迂闊に触れて、揉めるのを恐れていたのもあるだろう。
けれど──、
「──じゃあなんで、あんなことになったの? わたしが、そういうこと忘れるような──」
「──でも、俺が静乃の言うような約束するはずがないんだよ。なら、静乃が頭の中で話を書き換えて──」
始まってしまったら、止まらない。
お互いに、一歩だって引くことができない。
それが、それぞれにとって大事な約束だったからこそ──。
けれど、
「──はいはいストーップ!」
意外な声が──言い合いを止めた。
「せっかくのキャンプファイヤーなんだから、ケンカしなーい!」
──風来さんだった。
風来さんが、その小さな身体を俺と静乃の間に割り込ませていた。
驚き固まる俺たちに、
「お互いの言い分はよくわかりました」
風来さんは、うんうんうなずきながらそう言う。
「約束の内容に、すれ違いがある……なるほど、それは確かに納得行かないですよね。特に、お二人にとってそれがとても大事な約束だったなら、なおさら……」
「……お、おう」
「そう、だね……」
「すみません、わたしもそういうデリケートな話に、無遠慮に踏み込んじゃって。でも、ちょっと落ち着いて考えてみて欲しいんですけど」
と、風来さんは俺たちの顔を順番に見ると、
「森さん。たとえ小さな頃でも、大滝さんが雰囲気に釣られて約束する人だと思いますか? 生真面目なこの大滝さんが、適当にそういうことを言う方だと、本心から思われますか?」
「……それは」
と、静乃は短く口ごもってから、
「……そうは思わないけど」
「でしょう? では大滝さんも。森さんが、頭の中で約束を都合よく書き換えちゃうようなことがあると、本気で思いますか?」
「……思わないな」
「でしょう?」
満足そうに言って、風来さんはもう一度うなずいた。
「確かに、記憶のすれ違いは発生しているんでしょう。それは困ったことだろうと思います。けれど、何かしかたない理由があるんじゃないでしょうか。具体的にはわからないんですが、そんなことが起きてしまう、どうしようもない理由が」
「……んん。まあそうかもな」
「だね……」
……実際のところ、そうなのだろうと思う。
勢いで言い合いにはなったけれど、風来さんの言う通りだ。
静乃がいい加減だったとか俺が適当だったとか、このすれ違いの原因は、多分そういうことではない。
何か理由があって、お互いそういう思い違いをしているのだ。
「だからまあ、楽しくやりましょう!」
言って、風来さんは俺と静乃の肩をポンポン、と順番に叩いた。
「宿泊研修は始まったばかり、ケンカなんかしてたらもったいないですよ!」
「……そうだな」
「うん……」
風来さんの言う通りだ。
俺たちが添い寝のプランを用意したのも、宿泊研修を楽しむためなんだ。
そのことを忘れて、他のことで揉めてしまっては元も子もない。
危ないところだった……もうちょっとで、嫌な空気のまま残りの二日を過ごすことになるところだった。
「ありがと、頭冷やすよ。ごめんな、静乃……」
「ううん、こっちこそごめん……」
「よしよし! 仲良きことは美しきかな!」
……しかしまあ、まさかこの子に。
風来さんに、こんな風にフォローされるなんてな……。
ちょっとやっかいなところはあるけれど、やっぱりこの子、基本は善人なのだ。
自分だけでなく、他人も楽しめるようにナチュラルに気を遣える……。
……うん。
あんまり、警戒しすぎるのも良くないかもしれない。
色々バレたときはバレたときで、過剰に距離を取るのは、この子にも失礼かもしれない……。
けれど、
「では引き続き、高校生らしく清く正しくほがらかに、宿泊研修を楽しみましょう!」
俺たちの元を去りながら、風来さんはそう言う。
そして、ふと思い出したような顔になり、
「……あ! ちなみに仲が良いのはいいですけど、不純異性交遊はダメですからね! 発見次第、担任に報告させてもらいますから!」
……。
……。
あ、やっぱダメだ!
やっぱり、この子に添い寝のことバレたらダメだ!
軽快に去っていく背中を眺めながら、俺は改めて、今夜のプランの成功を祈り始めた──。
──初日夜のために、わたしたちはプランを三つ用意していた。
それぞれ、プランA、プランB、プランCと呼ばれていて、順番にその実行のハードルが高くなっていく。
大浴場でお風呂に入り終えてあとは寝るだけ、となったところで、それらのプランは実行されていく予定だ。
ということで現在、わたしと花音は大浴場にて、クラスメイトたちと入浴中だった。
疲れた身体に、浴槽の広さと熱めのお湯が気持ちいい。
脚の痛みだとかむくみだとか肩の凝りだとかが、溶け出して流れていくような感覚だ……。
ただ……、
「……ふい~生き返るねえ……」
隣で湯船につかり、そんな声を漏らしている花音。
わたしの意識は……完全に彼女に釘付けになっていた。
スタイルが──良い。

いつもは大きめサイズの服に隠されて見えないけれど、実はもうほんと……グラビアアイドルかっていうくらいスタイルが良いのだ。
長く健康的な脚にシミ一つない肌。腕は触れたくなるほどに柔らかそうで、お腹はほっそりしていて。しかも……大きいのである。
胸がクラス一レベルで大きい。形も良い。
……いや、知ってた。
中学のときも修学旅行やらお泊まり会やらでお互い裸になる機会はあったし、花音がナイスバディなのは知っていた。
けれど……数ヶ月ぶりに見たその身体は、以前よりも一層健やかに育っていて、思わずわたしは目を見張り、息を吞んでしまう。
「え……花音ちゃん……すご!」
一緒に湯船に入っているクラスメイトたちも、そのことに気付いて驚きの声を上げた。
「何食べればそんなになるわけ!?」
「わたしも、六曜さんくらいセクシーになりたかったです……! 実際はこんなちんちくりんですけど!」
……ほんと、同感です。
花音本人は邪魔だとか合う服がないとか言ってるけど、わたしもそんな身体に生まれたかった……。
……なんて、そんなことを考えつつ入浴を終え。
わたしたちはついに──添い寝のためのプランを実行に移した。
そして、その結果……。
わたしたちは予想よりもずっと……苦戦してしまうことになるのです。
──最初に実行したのは、プランA。
題して『こっそり大部屋を抜け出して、施設のどっかでこっそり寝よう作戦!』である。
その名の通り、消灯後にそれぞれの大部屋を抜け出して、この建物のどこかで隠れながら添い寝をする、というプランだ。正統派なアイデアだと思うし、個人的にはこれが一番成功率が高い気がしていた。
なお、事前にこっそり添い寝できそうな場所は見つけてある。
建物の最上階、もう使われていないという倉庫のそばにある、応接ゾーンだ。
奥まったそこにはいくつかソファが並べられていて、夜中にここに来る人なんていないだろうし、二人で並んで寝るくらいの広さもある。
……けれど、消灯時間が過ぎ。
こっそり大部屋を抜け出して、応接ゾーンにやってきたわたしと忍は──、
「……しっ! 誰かいる!」
「ええっ……!?」
──ソファで誰かが、大いびきをかいて寝ているのに気が付いた。
ジャージをまとった、ガタイのいい身体。
ざっくり刈られた短い髪。
ここまで匂ってくる、お酒の匂い。
どうやら、あそこで横になって、酔い潰れて寝ているのは……、
「……体育の、星先生……?」
「そう……っぽいな」
……間違いなさそうだった。
普段よりずいぶん表情は緩んでいるけれど、あれは厳しい生徒指導で有名な、体育の星先生だ……。
……なんでこんなところで寝てるの!
先生は、先生の部屋用意されてるはずでしょ!?
なんでこんなわけのわかんないところまで来て、酔い潰れてるの!?
文句を言いたい気持ちになるけれど……わたしたちだって人のことは言えない。
それに、男女でこんな時間にここにいることを星先生に気付かれれば、大問題になるだろう。
「……行こう」
「うん……」
そう言ってうなずき合うと、わたしと忍はすごすごと応接ゾーンをあとにした。
──プランBはもっとあっさり失敗に終わった。
「……よし、ここだな」
「うん、そうだね……」
応接ゾーンを離れわたしたちがやってきたのは、救護室だ。
この施設に用意された、けが人や病人を手当てするための、保健室のような場所。
時間帯的に鍵がかけられていて入れないのだけど、隣にはスタッフルームがあり起きている職員さんもいるだろう。
彼らのうちの誰かに「体調不良です」と伝え、忍かわたしのどちらかがベッドを使わせてもらい、タイミングを見計らってもう一人もそこにこっそり加わる、という算段だ。
名付けて『仮病でベッドをゲット作戦!』である。
これなら、誰にも見つからず、しかもベッドでゆっくり添い寝できるはず。
実際……わたしと忍が最初に添い寝したのもこういう場所、学校の保健室だったしね……。
……けれど。
理屈では、そうなんだけど──、
「……じゃあ、俺がスタッフルーム行ってくるわ」
忍がそう言って、隣の部屋に向かい始める。
「静乃はどっかで隠れて、俺からの連絡を待ってて──」
「──あ、あの……!」
わたしは、声を抑えつつ、忍を呼び止めた、
そして、
「……やっぱりやめない?」
「……へ。なんで?」
「だって……ここ、救護室でしょ? 本来は、本当に体調崩した人のための場所でしょ……? それを、添い寝に使っちゃうのは……」
「あ、ああ~……」
困っている人に、迷惑をかけたくないと思うのだ。
わたしたちが仮病でベッドを使っている間に、本当に体調が悪い人が出ないとも限らない。
そのときにわたしたちがベッドを使っているのは、邪魔以外の何物でもないだろう。
「……そりゃわたしたちだって、明日の体調がかかってはいるけれど、今現在病気だったり苦しかったりするわけじゃないでしょ? なのに、ベッド占有するのは……申し訳ないって」
「……確かに」
忍もうなずいてくれて、わたしはちょっとほっとする。
ここで意見が割れてたらちょっと面倒だし……忍がそういうことを、生真面目に気にかけてくれる人で良かったと思う。
「まあ俺たちは、もう一個プランがあるしな……」
「だね……。よし、次のプランにしよう」
「おう……」
言いながら──わたしたちは「次の目的地」に向かって歩き出した。
……とは言え、ちょっと気が重いなあ。
プランC、できればこれは避けて通りたかったからなあ……。
まあでも、しょうがない。こうなったら、最後のその策に賭けてみることにしよう──。
「──よし、ここだな」
「うん……」
数分後。わたしたちは目的地であるお手洗いに着いた。
この宿泊施設の隅にあって、おそらく生徒も職員さんもあまり来ないであろう、殺風景な女子トイレ……。
時刻はすでに、日付が変わる頃になっている。
これが最後のチャンスだし、なんとかプランC、成功させなきゃ……。
「じゃあ、行ってくるね」
「おう、またあとで」
忍にそう言ってわたしはトイレの中、個室に入ると──事前に用意してあった『男装』グッズを取り出した。
──これが、プランCだった。
男子の格好をして、男子の部屋でこっそり寝る。
男の子の振りをして真っ暗な部屋にこっそり入って、朝早く抜け出す。
そういう──超ストロングスタイルの添い寝方法だ。
名付けて『男装女子になって男子と雑魚寝作戦!』である。
大部屋には何十人も男子がいるわけで、一人くらい増えてもバレる可能性はほぼないだろう。
もちろん、忍以外の男子もいるところで寝るのは、正直抵抗がある。
なんか怖いし、見つかったら大変なことになるのも間違いない……。
けれど……もう、背に腹は変えられないんだ!
このままろくに寝れずに明日を迎えるわけには絶対に行かない!
だからまずは、しっかり男の子の格好をしないと──。
ということで、わたしは胸にサラシを巻き、頭に男子っぽい髪型のウィッグを被っていく。
研修旅行の前に、忍や花音、小峰くんと買いに行ってきた男装グッズだ。
ちなみに、花音は最初この案に難色を示した。
──そんな……静乃が飢えた狼しかいない男子たちの中で寝るなんて……! そんなの! 断じて承服できません!
さらに、
──別に、静乃が男子の部屋行かなくてもいいでしょ! 逆に、大滝氏が女子の部屋で寝れば良いじゃない!
そんなことを主張し始めたこともあり──実際、試してみることになった。
この男装グッズを買いに行く際、試しに忍も女装してみたのだ。
まあ……結果は、言わなくてもわかるだろう。
爆笑だった。
その場に居合わせたわたし、花音、小峰くんや店員さんまで爆笑だった。
もう、似合ってないとかそういう次元じゃない。
ロングヘアーのウィッグを被り、胸にパッドを入れた忍は、ちょっと昔のメタルバンドのメンバーみたいにしか見えなかったのだ。
こんなんで女子部屋に来たら大騒ぎになるに決まっている。
ということで消去法で、しかたなくわたしが男装をすることになったのだった。
「……よしおっけ、できた」
一通り、男装グッズの着用ができた。
個室を出て、手洗い場の鏡で自分の姿を確認してみる──。
「……おっ」
これはなかなか……いいんじゃない?
ちょっと小柄で、細身の男の子くらいには見えるんじゃない……?
胸はサラシでつぶされて平坦になっていて、学校指定のジャージも相まって女子っぽさが完全に消えている。
髪の毛も……普段よりずいぶん短くて新鮮だ。
女の子のショートヘアーとは違って襟足とかがざっくりしていて、へえ、こんな感じになるんだ……。
もちろん、顔立ちをよくよく見れば普通に女だ。
仕草や声だって、完全に男の子にはなりきれない。
けれど──真っ暗な中、大部屋に侵入する分にはバレないと思うし、その後朝まで添い寝して早朝抜け出すのだって問題なさそうな予感。
「……よし、行こう!」
鏡の向こうの自分にうなずいてみせると、わたしは忍の待つ女子トイレ外に向かった──。
「お、おお……」
「どうかな……?」
──女子トイレから出てきた静乃は。
先日買ってきた男装グッズをフル装備した静乃は──、
「男子に、見える……?」
「……」
「えっ……微妙?」
「……いや……ギリギリな感じ」
──まあ確かに、いつもよりは男子っぽいのだ。
短い髪も膨らみのなくなった胸も、意図的に歩き方をそれっぽくしているのも、まあ普段よりは男子っぽい。
とは言え……まあ、普通に女子には見えるな。
こうして廊下の灯りの下で見ると、髪が短めの女子にしか見えない。
なんかやっぱり……わかってしまうのだ。
体つきとか歩くときの雰囲気とかで、ああこの子は女子だなって……。
「……じゃ、じゃあ、やめといた方がいいかな?」
静乃が、不安げにこちらを見上げる。
「男子の部屋行くの、やめといた方がいい……?」
「や、そこはチャレンジしてみても良いと思う」
微妙ではあるが、そこはやってみる価値はありそうだ。
「ほら、もうそろそろみんな寝静まってるだろうし……暗い中なら、誰かとかそういうのはわかんないだろうから……」
「そっか……うん、わかった」
決心した様子で、静乃はそう言う。
「行こう、忍」
「……オーケー、行こう」
うなずき合って、俺たちは男子部屋へ向かう。
薄暗い廊下はしんと静まりかえり、外から鳥の鳴く声や木々のざわめきが聞こえてくる。
ちょっと前まで生徒たちの泊まる部屋からは声がしていたし、定期的に歓声が上がったりもしたけれど……今はそれもずいぶんと落ち着いた。
初日とは言えみんなずいぶん歩いたし、そろそろ疲れで寝てしまったのだろう。
──そんな中。
忍び足で静乃と歩きながら──俺はなんだか、変な気分に襲われていた。
隣を歩く静乃。
普段とは違う、短い髪型になった彼女──。
……なんか、変にドキドキするのだ。
普段よりもボーイッシュなせいか、いつもよりもお互いの距離が近い気がして。
逆に、なんというか……女子である部分が、強調されているような感覚もあって。
なんか、こう……今までにない、変な気分になるというか。
艶めく唇だとか丸い肩だとか、白い頰だとか長いまつげだとか──。
なんか、そういうのが……男子っぽい格好の中で、際立って見える……気がしてしまう……。
だ、大丈夫なのか俺は……。
これ、もしかして……新しい扉を、開いちゃう感じなんじゃないか……?
──そんな不安に駆られているうちに、男子部屋に着いた。
中から声はしないし、やっぱりみんなもう眠ってしまったらしい。
薄く扉を開けてみると……教室の二倍ほどの広さのその空間には、暗闇が満ちている。
そこにびっしり敷かれた布団と、寝息を立てているクラスメイトたち……。
ところどころに、誰かが見ているらしいスマホの灯りも漏れているけれど……多分大丈夫だ。今から部屋に入っても、それが誰かなんて確認されることはないはず。
「……よし、行くぞ」
「う、うん……」
緊張気味に、静乃がうなずく。
彼女が俺のジャージの裾をきゅっと摑むと同時に──俺たちは、恐る恐る部屋の中に踏み入った。
後ろ手に扉を閉め、寝転がるクラスメイトたちの間をゆっくりと縫うようにして歩いていく。
案の定──こちらを確認してくるものはいない。
それもそうだろう、ときどき誰かがトイレに立ったりもするだろうし、いちいち誰かなんて聞いてこないはず。
俺の布団は、入り口からちょっと離れた壁際だ。
そこまで十数メートルの距離を、足下に目をこらしながらじわじわと歩いていく。
その数歩後ろを、おずおずとついてくる静乃……。
振り返ると、彼女は身をこわばらせ俺のジャージを摑み、猛獣の檻に紛れ込んだ子猫みたいな顔で一歩ずつ進んでいた。
……大丈夫か? これ……。
反射的に、不安感がこみ上げる……。
もうなんか、ぱっと見からして女子だけど……。
仕草もシルエットも完全に華奢な女の子で、男装の効果とかもうほぼ感じないけど……。
マジでこのまま添い寝できるんだろうか……。
「……」
……とは言え、これに失敗したらもうあとがない。
暴れ回る鼓動に必死で耐えながら、俺は数メートル先にある俺の布団へ向かってじわじわと前進する。
そして──もうあと、数歩。
距離にして一メートルほど、というところまできた。
よし……もうここまで来れば大丈夫だろう!
あとは静乃を壁際に寄せて、それをガードする形で横になれば添い寝の準備完了だ。
そこまで行けば、もうバレてしまうような危険はほとんど──、
「──あれ……大滝?」
──ふいに。
傍らの布団から、名前を呼ばれた。
後ろで静乃がビクリと震える。
俺も思わず叫び声を上げそうになりつつ、ぎこちなく声の方。
傍らの布団に視線をやると──、
「……どっか、行ってたの?」
──同じクラスの山下が。
最近、ちょくちょく話をするようになった野球部男子が、布団の中から寝ぼけ眼でこちらを見上げている。
……しまった!
どうやら、物音で目を覚ましてしまったらしい……!
「お、おう……ちょっとな……」
なんとか顔に笑みを貼り付けて、そう答えた。
ここは、なんとか冷静に振る舞って、穏便にことを済ませないと……。
「なんか、トイレ行きたくなって、行ってきたわ……」
「おー、そっか……」
納得した様子の山下。
よし、なんとか……ごまかせた…か?
このまま話を終了にできるか……!?
一瞬期待を抱くけれど、山下は大きなあくびをして──、
「……あれ?」
──気付いてしまう。
俺の後ろにいる、小さな人影。
男子にしてはかわいすぎる、その佇まい。
「そこにいるのは……? 誰だ……?」
全身に、ぶわっと汗が噴き出した。
──ヤバい。
──これはヤバいぞ。
しまった、こうなったときの対処を全く考えていなかった……!
どう答える? どう切り抜ける……?
静乃が、ジャージを摑む手にぐっと力を込める。
必死で頭を回すけれど、上手いごまかしの言葉が思い付かない……。
そうしている間にものそりと起き上がり、不思議そうに静乃の顔を覗き込む山下。
ああ……これまでか。
添い寝のプランCも、ここで失敗か……!
グッと手を握り、覚悟を決めたそんなタイミングで──、
「……ああ……沖田か……」
なぜか──山下が小さく笑って、そんなことを言い出す。
「良かった、びっくりした。沖田もさっき、トイレ行きたいかもって言ってたもんな……」
……沖田。
うちのクラスの男子、沖田純一のことだ。
どうやら山下は、静乃が彼だと勘違いしたらしい。
確かに……沖田、身長静乃と同じくらいだからな。
髪型は割と違うけれど、暗い場所で寝ぼけた状態で見たら……勘違いしてしまうかもしれない。
実際の沖田の寝床の辺りに目をやると──彼はすでにだらしなく口を開け、完全に眠りに落ちていた。
……よし、なんとか逃げ切れそうだ。
このまま沖田の振りを続けて無難にやり過ごせば、追及をかわしきることができそうだ。
──なんて思ったのに。
「……おう、そうだよ(低音)」
静乃が──そんなことを言い出す。
「ちょっと大滝と、トイレ行ってきた(低音)」
……いやなにしてんだよ!
今明らかに、話し終わりそうな感じだったろ!
なんでわざわざ答えちゃったんだよ! しかも沖田の演技までして!
似てないから!
全然似てないから!
確かに沖田、男子にしては声高い方だけど明らかに無理があるんだよ!
「だよなあ……なんか一瞬、女子っぽく見えたからビビってさ……」
「……そ、そんなわけねえだろ、俺だよ、沖田だよ(低音)」
「……ていうか」
と、改めて山下が怪訝そうな顔になり、
「なんか沖田……声もかわいくね? お前、そんなに声高かったっけ……」
……ほらー!
やっぱり怪しまれたじゃねえか!
余計なことするから、おかしいって思われたじゃねえか!
なのに静乃は完全に混乱してしまったのか、無理に会話を続けようとしてしまう。
「べ、別にかわいくねえし……(低音)」
「いや、かわいいだろ」
「い、いつも通りだろ、普段の声だろこれが……(動揺)」
「……なんか、さっきより声高くなったんだけど」
「な、なってねえよ、これがわたしの素の声だよ……(低音)」
「……わたし? 今沖田、自分のことわたしって言った?」
「……」
……あーもう見てらんねえ!
このまま騒ぎが続いたら他のクラスメイトも起きちまう!
……何か、いい言い訳を……。
この場を切り抜けるような、上手い言い訳を俺がしてやらないと……!
「……そ、それがさ」
なんとか絞り出すようにして、俺は言葉を続ける。
「最近沖田、女声を練習してるみたいで……」
「……女声?」
「そ、そう……。ほら、今ネットで、二次元キャラのYouTuberみたいなの流行ってるだろ? バーチャルYouTuberみたいな……」
あまり詳しくないけれど、一度だけ見たことがあるのだ。
俺の大好きなまきばchannelとコラボしていたのをきっかけに、気になって一度界隈をざっと見てみたことが。
「あ、ああ……あるな……」
山下も寝ぼけ眼のままうなずく。
「沖田もそういうのやりたいらしいんだけど……女の子キャラやるとなると、声も女の人にしないといけないだろ?」
「……だな」
「でも、ボイチェンとか買うお金もないし、沖田元々まあまあ声高い方だし……自分で女声出す、練習してるんだって……」
「……」
黙っている山下。
……ちょっと苦しいか?
自分で言い出したことだけど、この理屈はさすがに無理があるか……?
焦りで背中に冷や汗が流れる。
妙に喉が渇いて、頭の奥がジンとする。
けれど、
「……なるほどなあ」
山下は完全に理解できた様子で、穏やかな笑みを浮かべている。
「そうか、そうだったんか……。俺、結構バーチャルYouTuber見るから、本当に始めたら教えてくれよ……」
「……お、おう(低音)」
「じゃあ、おやすみ……」
それだけ言うと──山下はあっさり布団に倒れ込み、眠りに落ちてしまったのだった。
──どうなることかと思ったけれど。ようやく、俺と静乃は布団に到着した。
俺と壁で彼女を挟む形で横になる。
ここでやっと安心したのか、静乃は「ふう……」と深く息をついた。
「……じゃあ、寝るか」
「うん……」
小声で言い合うと、ずんとまぶたに眠気がのしかかる。
いつもの添い寝のとき特有の、不思議と幸せな眠気……。
……けれど、何だろう。
なんだか、やっぱりちょっと妙な気分だな……。
むくつけき野郎どもだけが集まっている部屋に……一人男装して忍び込んだ、静乃。
そんな彼女をこうして隠しながら……こっそり添い寝している……背徳感。
ちらりと目を開けると、短髪のウィッグを被ったまま目を閉じている静乃の顔がある。
「……っ!」
なんだかそれが、今の俺には──妙に淫靡に見えていた。
なんというか……普段よりもずっと……エロいことをしているような。
すごくいけないことをしているような、ゾクゾクする感覚……。
男要素ばかりの空間にいることと、本人も男の格好をしていることで……一層、女子の部分が際立つというか……。
さらに言うと、今日俺は、普段よりも静乃に近づいて横になっている。
なんとなく、できるだけ周囲から隠してやりたくて半ば無意識にそうしたのだけど……これがまた、思った以上にドギマギする。
……やっぱり、俺と静乃、すごいことしてるんだよな。
男女で添い寝って……。
こんな距離感で、身を寄せ合って、無防備に寝るなんて……。
ジャージの生地越しの、細くて丸い肩。
柔らかく握られた手の、肌の滑らかさ。
そして……ときおり口元から漏れる、小さな寝息と「……ん」という声。
いつも通りのはずのそのすべてに、俺は一人小さく動揺してしまう……。
……そんな俺に気付いたのか。
「……ふふ」
静乃は目を閉じたままで、小さく笑う。
そして、周りに聞こえないようなごく小さな声で、
「……早く寝よ……明日も大変なんだから……」
「……そうだな」
彼女の落ち着いた声で──ようやくちょっと気分が穏やかになった。
確かに、いつまでもドキドキしてるわけにはいかない。
せっかく、こうして添い寝に成功したんだ。しっかり睡眠を取らないと……。
……目を閉じると、目眩みたいな強い眠気を覚えた。
意識がぼやけて、すべての感覚が遠くなって──。
そして、いつのまにか俺は、完全に深い眠りに落ちていったのだった──。
──翌朝。
他のクラスメイトたちよりも早く起き、静乃を女子部屋近くまで送り届けたあと。
男子部屋に戻ったところで、山下と沖田が会話しているのに出くわした。
「──しかし沖田、お前さー」
布団を片付けながら、山下はなんだかうれしそうに──沖田にこんなことを言う。
「バーチャルYouTuber、いつ始めるの?」
「……え?」
「ほら、昨日の夜言ってただろ、バーチャルYouTuberやってみたいって!」
……あ、やべ。
山下、覚えてたのか。
昨夜の俺のでまかせ、ちゃんと覚えてたのか……。
ど、どうしよ、沖田も困惑気味の顔になってるし……。
そりゃそうだよな、あのとき話したのは静乃であって沖田じゃないんだ。
当然心当たりなんてあるわけない……。
けれど、山下は何やら妙に機嫌よさげで、
「あれから考えてたんだけど、沖田なら上手くやれる気がしたんだよなあ。ほらお前、声もかわいいし、実はトークも上手いだろ?」
「え、そ、そうかな……?」
「そうだよ! いつも周りを笑わせてるし、しかも誰も傷つけないだろ? すげえなと思ってたし、それを配信に活かしたらウケるんじゃないかなって……」
……話、止めた方がいいだろうか。
これ以上沖田が困る前に、山下を止めた方がいいだろうか……。
……けれど。
「だから、始めたら俺にも教えてくれよ! 絶対応援するから!」
ほがらかに、そう言う山下。
そして、なぜか沖田も──、
「……うん、わかった」
こくりとうなずいて、そんなことを言い出す。
「ていうか、何の話かわからないけど……バーチャルYouTuber、やろうと思ったこともないけど……。山下がそう言うなら、ちょっと試してみる」
「おう! 楽しみにしてるわ!」
……なぜだか、話は丸く収まったみたいだ。
なんかよくわからん流れだけど……無難に話が終わったならまあいいか……。
ほっと息をつくと、俺は自分の布団の片付けに取りかかったのだった──。
──ちなみに。
この会話をきっかけにして、実際に沖田はバーチャルYouTuberとして活動をスタート。
数ヶ月後には『かわいすぎる男の娘V』として人気を得て有名になっていくのだけれど、それはまた別のお話である──。