
「──第一回! 忍着せ替え選手けーん!!」
──集合した、札幌駅前。
たくさんの人が行き交うその場所で──彼女は。
小峰華さんは、突然高らかにそう宣言した──。
完全硬直。全くリアクションできなくなる俺と、
「……お、お~……」
困惑が露わな顔で、それでもなんとかそう返す静乃。
そんな二人に、それでも華さんは不満だったようで、
「……あれ? 二人ともノリが悪い! そんなんじゃ、素敵な『変装』はできないぞ!」
「え、ええ……?」
「では、もう一回!」
俺たちの戸惑いを完全に置き去りにして、華さんはこほんと咳払いする。
そして、拳を握りそれを突き上げると──もう一度、声高に宣言した。
「──第一回! 忍着せ替え選手けーん!!」
──こうなれば、逃げられない。
俺と静乃は半ばやけくそでそれに乗っかることにする。
「「お、おー!」」
──周囲の人たちの視線が痛い。
スーツを着たサラリーマンが、子供を連れた母親が、制服を着た学生が、怪訝な顔でこっちを見ている。
……なんでだ。なんで俺たち、こんなことしてるんだ……。
そもそも、華さんは元々注目を集めやすいタイプだ。
女性にして
㎝を超える身長。脚は長くスタイルも良く、顔立ちだって女優級。
そんな女性がこんな奇行に走っているのだから、そりゃみんな驚くだろう。
……逃げ出したい。
一刻も早くこの場から逃げ出したいのだけど、
「きょ、今日はよろしくお願いします……」
ようやく歩き出した華さんに、静乃がおずおずとそう言う。
「わたしたち二人じゃどうにもできそうになかったので、すごく、助かります……」
──こっちから、お願いしたのだ。
今日の買い物は、俺と静乃から、華さんに頭を下げてお願いし、実現したものなのだ。
「いえいえ~、わたしも今日は楽しみにしてたよ~」
弾むような足取りで歩きながら、華さんは言う。
「しかも静乃ちゃんの頼みだからね! 今日は一緒に、楽しんじゃおう!」
「は、はい!」
生真面目に、こくこくとうなずいている静乃。
そんな彼女をちょっと後ろで見守りながら。俺はため息交じりに、こんなことになったきっかけを思い返す──。
「──これから、どうしてこうかなあ……」
「そうだねえ……」
リモート添い寝の翌日。集合した、静乃の家で。
昼寝から目を覚ました俺たちは、夕飯だか昼ご飯だかわからないご飯を食べ終え、ダイニングで相談をしていた。
「ひとまず、添い寝をしないという方向性に持っていくのはなしだな……」
「うん、そうだね……」
リモート添い寝のおかげで、直接並んで寝ることが重要なのははっきりわかった。
ただ、学校関係者に見つかるわけにはいかないことには変わりない。もうちょっと、添い寝することに緊張感を持たなきゃいけない。
となると、俺たちはどうしていくべきか……。
「そのうえで……出歩くのとか、そういうのをやめるのは……やっぱりやだなあ」
まだちょっとぼんやりした口調で、静乃はそう言う。
「わたし、夜の散歩とか好きだし、そういうのを全部控えるのは……」
「うん、その辺は無理しない方が良さそうだな」
しばらく我慢、とかならなんとかなるだろう。
けれど、「添い寝前は基本外出不可」とか「出かけるときは一人だけで」とか、しばりを厳しくしすぎるとやっぱり持たない気がする。
「ちなみに……俺の家で寝るのやめて、静乃の家で寝るようにするのはどうだ?」
ちょっと考えて、俺はそう提案してみる。
「風来さんも、ここまではそうそう来ないだろうし……」
「それは、わたしも考えたんだけどさ……でもこの近所、結構同じ高校の生徒が住んでるのね。散歩してても、頻繁に制服姿の人見かけるし」
「ああ……じゃあ、こっちに絞っても根本的な解決にはならないかあ……」
「だねえ……」
食卓に、気だるい沈黙が降りる。
そこそこがっつり昼寝はしたけど、やっぱりまだちょっと眠いな。
まだ十代とは言え、やっぱりオールは予想以上に体力を削られる……。
と、
「……変装はどうだろ?」
ふいに、俺はそんなことを思い付く。
「変装?」
「うん、お互い普段とは全然違う格好をするんだよ。もう、ぱっと見からして学校の俺たちとは違う雰囲気の格好をな。出かけるときは、そうやって変装してれば……うっかり誰かに会っても、気付かれる可能性が減るんじゃないか?」
「……ああ、そういうこと」
ぱっと見で気付かれなければ、別にいくらでも外を出歩けるわけで……。
逆に俺も、夜中の道端に普段と全然違う印象のクラスメイトが歩いていたら……そう簡単には気付けない気がする。実際俺たち、ウィンカムでは店員の格好をした風来さんに最初に気付けなかったわけだしな。さらにそれが暗いところだったりするとなおさらだろう。
静乃も、そのアイデアには納得の行った様子で、
「ふんふん、それはいいかも……」
なんてうなずいている。
そして、彼女は思い付いた様子で、
「……そうだ! 実はわたしさ、買ったはいいけどあんまりわたしっぽくない気がして着てない服、結構あるのね。だから今、試しにそういうのをまとめて着てみたら、ちょっと参考になるかも! 変装するとどんな感じになるか、わかるかも!」
「おおいいじゃん! じゃあ悪いんだけど、さっそく着てみてもらえるか?」
「うん! ちょっと待っててね!」
うなずいて、静乃は食べ終わった皿を流しに戻しつつ、自分の部屋へ向かった。
そして、数分後、
「……どう?」
静乃が──二階から降りてきた。
──それまでの、普段の部屋着とは違う服で。
「お……おおお!」
思わず──そんな声を上げてしまった。
「だいぶ……変わるな! すげえ、印象が本当に全然違う!」
静乃が身にまとっているのは──全体的に、パステルカラーの服だった。
淡い水色やピンク、紫で構成された、ふわっとした印象の服──。
以前から、静乃はパステルカラーの服を着ていたけれど、それよりも、なんというか……ずいぶんとファンタジックで、ファンシーな感じというか……。
「えへへ、こういうの『ゆめかわ』っていうんだけどさ」
シャツの裾を摘まんだりしながら、静乃は恥ずかしげに言う。
「かわいいなと思って買うんだけど、家で着てみるとあんまりわたしには合わない気がして……着る機会がほとんどなかったんだ」
「ああ、これが『ゆめかわ』か……」
その言葉は聞いたことがあったけど、現物にお目にかかるのは初めてだ。
なるほど、確かにこれは『ゆめかわ』って言葉の印象通りだなと思う。
そして、
「ほんとに、ここまで変わるとはなあ……」
さっきの静乃とは、別人みたいなのだ。
下ろしていた髪を今はサイドでツインテールに縛り、さっきまでの『正統派な今風』とは全く別の印象になった静乃。
確かに、普段の彼女のイメージとは大きく違うけれど、これはこれでとても似合っているし、新鮮でおもしろい。
「これ着て街中でばったりクラスメイトに会っても、すぐにはわたしだって気付かれないんじゃない?」
「うん、そうだな。まさか、静乃だとは思わないよ。へえ、すごいもんだな……」
「それからこの服、パジャマとしても着られる素材だからね。普段は家で着て、そのまま外にもー、なんてこともできるんだ」
「ふんふんふん……いいな、文句なしだ」
「よし、じゃあ忍も、外出するときには普段と違う格好しよう! それで二人で歩いたら、まさか誰もわたしたちだって思わないよ!」
──ということで。
俺たちは、外出するときには『変装』して出かける、という作戦を試してみることになったのだ。
ただ、一点問題がある。
俺は元々、私服をあまり持っていないのだ。
タンスの服を総動員しても、用意できるのは上下二セットくらい。親に「ちょっとは身なりに気を使え」と言われてお金は渡されていたけれど、何を買えばいいのかわからなくてほぼ手つかずのままだ。
よって、次の週末静乃と買い物に行くことになったのだけど、
「アドバイザーも呼びたいな……」
静乃が、そんなことを言い出す。
「わたし、男子のファッションには詳しくないから、そっちの知識もある人……」
「ああ、じゃあ亮祐とか呼ぶか? あいつ、結構お洒落だし」
「ううん、実はわたし、ちょっと頼んでみたい人がいて……」
言うと静乃はちょっとうれしそうに頰をほころばせ、
「──亮祐くんの、お姉さん。華さんと、久しぶりに会いたいなと思ってたんだ──」
──という経緯で、その次の週末である今日。
俺たちは、こうして華さんとともに札幌駅近辺に買い物に来たのだった。
実は華さん、将来はファッション関係の仕事に就きたいらしい。普段からレディースに限らずメンズ服にもアンテナを立てているそうで、今回静乃は彼女に意見を仰ぎたいと考えたみたいだ。
華さんがそんな夢を持ってるなんて知らなかったし、いつのまにか二人がそんなに情報交換していたのも驚きだな……。実際に会ったのは、先月のもめ事の際、学校近くで会ったときだけらしいのだけど、やけに仲いいなこの人たち……。
「実はわたし、前からこういうことしたかったんだよね~」
俺たちの前を歩きながら。
華さんは、すこぶるご機嫌だ。
「忍、スタイル最高なのに私服はいつも死ぬほどダサいからさー、着せ替え遊びしたいなってずっと思ってたの」
「死ぬほど!? そこまでダサいか!?」
確かに、全然自信はないけど!
でも、そこまで言わなくてもよくないか!?
「まあ、忍単体で見ればやぼったいなってくらいだけどー」
言って、華さんは俺と静乃の方を振り返り、
「静乃ちゃんがお洒落だからさ。そうして並んで歩いてると、落差がヤバすぎて致死量に達してるように見えちゃうんだよねー」
「グッ……!」
言いながら、俺はちらりと静乃の方を見る。
今日も彼女はお洒落な私服を着ていて、これは確かに……落差がヤバい。
致死量と言われても、文句は言えないかも……。
「だから今日は、もう徹底的に忍をお洒落ボーイにしちゃいますよ! 華さんに任せておきなさい!」
「……まあ俺は、上手くいくなら何でもいいんだけどさ」
華さんの実力は、信頼してもいいんだろうと思う。
確かにこの人はいつもお洒落だし、服装に関係ない場面でも器用さとか非凡さを頻繁に発揮したりもする。
だからきっと、華さんはなんだかんだ言ってベストな変装を考えてくれるんだろうけど……なんだろうなあ、なんか、嫌な予感がするんだよなあ……。
「ということで~」
華さんはこちらを振り返り、楽しくて仕方がない、と言った顔で俺たちに言う──。
「まずは、昔から一度忍に着せてみたかった服を、着てもらいに行きましょ~!」
「──おっほほほー!」
そして、たどり着いたとある服屋さん。
試着室から、選んでもらった服を着た忍が出てくると。
「やっぱり、めちゃくちゃ似合ってるじゃーん! これよこれこれ~!」
わたしの隣で並んでいた華さんが──飛び上がらんばかりの喜びの声を上げた。
「元々顔立ちは薄めで、スタイルもいいからね。ひょろいだけじゃなくて、筋肉しっかりついてるし……。だから、絶対似合うと思ってたんだよ~! でもまさか……」
言いながら、華さんは忍の周囲をシュバババっと飛び回り。
色んな確度から彼を観察してから、大満足の笑みを浮かべる。
「ここまで……ここまで似合ってくれるとは……」
「え、ええ……」
そして、視線を全身に浴びせられ。
忍は困ったような、くすぐったそうな顔をしてそこに立っている。
「そこまでか……? これ、そこまで似合ってるのかなあ……」
──ちなみにわたしは。
華さんの隣で、その忍の変貌ぶりを目の当たりにしたわたしは──、
「な、なあ……静乃……」
「……ん、何?」
「その、それ……止められねえか?」

「だから……何を……? 今集中してるから、ちょっと静かにしてくれない……?」
「いや、その……写真撮りまくるの……やめてもらえねえかな……」
撮りまくっていた。
華さんの選んだ服──『スーツ』を全身にまとった忍の姿を、前後左右あらゆる角度から、撮って撮って撮りまくっていた。
だって──死ぬほどなのだ。
もはや、死ぬほどレベルで似合っているのだ。
華さんが選び、店員さんが採寸して持ってきてくれたジャケットとパンツ。
チャコールグレーのそれをまとった忍は──もはや、お洒落で有能な若手社会人にしか見えない。東京のオフィス街とかを、さっそうと歩いていそうな感じ……。
すごい。
これは本当にすごい。
服の力だけで、こんなに垢抜けるなんて。
元々、忍にそういう素質があったのもあるんだろうけど……。
とにかく、これを記録に残さないのはもったいなすぎる。
画像はもちろん、動画でも撮っておかないと……。
「……というか、その」
スマホを『ピロリン♪』と鳴らしつつ、映像記録を取り始めたところで。
忍は不安げに、尋ねてくる。
「変装……これで大丈夫か? 着るの、これで決まりで良いのかな……?」
……そうだった。
わたしたち、別に忍の似合う服を探しに来たんじゃなくって、変装用の服を探しにきたんだった。
危ない危ない、本来の目的を忘れかけてた……。
そして、変装という意味で言えば──答えは決まり切っている。
「──ダメだね」
「──ダメでしょ~」
わたしと華さんが、ほとんど同時にそう答えた。
「え、なんでだよ!?」
忍が血相を変えて言う。
「二人とも、そんなにノリノリなのに……なんでこれじゃダメなんだ!?」
「だって~」
と、華さんは腕を組み、
「似合ってるけど、別にそんな『変装』にはなってないからねー。顔丸出しだし、制服のブレザーにも近いし、体格だって丸わかりだし。遠くから見ても、一発で忍ってわかるんじゃないかな~」
華さんの言う通りだ。
確かに、スーツは忍に死ぬほど似合っている。
かっこよさの数値で言えば、普段の数十倍くらいに跳ね上がっている。
それでも、普段の印象から変わったかというと、そうでもないのだ。
いつもの格好の延長線上にあると言えてしまうし、道端で見かけても普通に忍だと気付けてしまう。
それに、
「多分、実際は部屋着としても使うことになるでしょ?」
わたしは、華さんにそう続く。
「出かける度に着替えるのもめんどくさいし……基本は、部屋着兼パジャマ兼変装、ってことになると思うの」
「まあ、そうだな……」
「そのスーツでくつろぐのは無理でしょー。わたしも、そんなの着た人と添い寝するの、肩が凝りそうだしね」
想像してみるだけで、窮屈だ……。
このビシッとしたスーツが、わたしの寝ている隣にある……。そんなの、寝返りはもちろん身じろぎするのもためらっちゃいそう……。
あと、朝起きたときにスーツの人が隣にいたら、なんかテンション下がりそう。
先生と見間違えて、びっくりしそうだし。
「……え、それって」
忍は、ぽかんとした顔でこっちを見ている。
「あらかじめ……わかっていたことでは? スーツ、実際に着る前から、使えないのはわかってたんじゃ……?」
「うん」
「わかってた」
「じゃ、じゃあなんで……?」
「決まってるじゃーん」
華さんがうれしくてしょうがなさそうな声で言う。
「ただ、スーツ姿の忍が見たかったんだよ~」
「そんな理由で!? ……ていうか、華さんはともかく、静乃まで!?」
「ごめんごめん、似合うのは確定だったから、どうしても見てみたくて……」
ごめんね忍……。
これは、本当にただの、わたしと華さんの趣味です……。
でも、似合ってたんだから許して……?
「そんな呆れた顔しないでよ~」
マジかよこいつら……みたいな表情の忍の肩に、華さんはしなだれかかるように体重をあずける。
「次からはちゃんと『変装』用の服を探すから! あと、採寸してくれたお店の人に申し訳ないし、わたしここでブラウスとかいくつか買っていくから!」
「……まあ、それならいいんだけど」
渋々、といった様子でうなずく忍。
良かった、一応は納得してくれたみたい……。
そしてわたしたちは、そんな風にがやがややりつつ、次の店に向かい始めたのだった。
「──すごい! 浴衣、めちゃくちゃ似合う!」
「でしょ~? これも絶対忍いけるって思ってたんだよ~」
「いやおかしいだろ! 実用的な変装考えてくれるはずだろ!? なのになんでいきなりこれなんだよ!」
「いやいや、実用的でしょ~」
「どこが!?」
「旅館とかでは、部屋着として使うじゃん。素材もやらかいし、寝間着としても問題なし!」
「あ、ああ……まあそうか……」
「変装としても、結構普段の雰囲気と変わるしね~。街中でこればっちり着こなしたら、『お、作家か何かか?』って思われて誰も忍だって気付かない! そのうえ、注目も集めて一石二鳥だよ!」
「なるほど……って目立っちゃダメだろ! 隠れたいのになんで注目集めようとするんだよ!」
「──あはは! タンクトップと短パン! めちゃくちゃ似合ってる! あはは!」
「なるほど……こんな感じになるのか……」
「忍、筋肉すごいからね! ハマるに決まってるんだよね~」
「……え……さすがにこれ、わたしはNGです」
「えーなんでよ静乃ちゃん!」
「なんか、マッチョキャラ芸人みたい……。むさ苦しいというか……なんかダサいし。ていうか、忍も嫌でしょ? この格好……」
「いや……でも意外とこれは、俺的には違和感ないな」
「えっ!?」
「なんか気軽だし、動きやすいし。肌出すのちょっと恥ずかしいけど、街中ではジョギングしてるのかな、くらいに思われるんじゃないか?」
「ええ……」
「よし、これにしよう! じゃあ、さっそくレジに──」
「──ダメ! 絶対ダメ! わたし、この格好の人と添い寝したくない!」
「──さすがにふざけてるだろ! 猫の着ぐるみとか、さすがに冗談だろ!」
「いやいや、これが意外と現実的でさ~」
「……そうか?」
「上下一体だから着脱が楽でしょー? しかも、動きやすく作ってあるし、生地も柔らかくて、割とマジで寝間着にしてる人もいてさ」
「……へえ。まあ確かに、肌触りは悪くないな……」
「しかも、外に出るときはフード外しておけば、良い感じにオーバーオール着てる風にも見えるし。完璧じゃない?」
「……ふん、なるほど……。そうか、意外と本当にありえ──」
「──ふ、ふふ……くっ……」
「いや静乃! 思いっきり笑いこらえてるじゃねえか! なあ華さん! やっぱふざけてるだろこれ!」
「……じゃあ聞くけど、ふざけちゃいけないの!?」
「開き直り始めた!?」
「──まあ、こんなとこかな」
そして──やってきた海外ファストファッションのお店で。
ようやく本気を出した華さんに、服のコーディネートをしてもらった忍は、
「……ど、どうかな?」
未だにちょっと警戒気味の……けれど、それまでよりは納得した雰囲気で、わたしたちに尋ねてくる。
「これは比較的、まともだと思うんだけど……」
大きめの白Tシャツに、同じくオーバーサイズのパーカー。
三本ラインの入った細身のジョガーパンツに、黒いキャップ──。
ほどよかった。
確かに、ほどよい格好をした忍がいた。
「うん、良い感じだと思うよ~」
満足げに忍を眺めながら、華さんもうんうんうなずいている。
「シルエットがこれまでと全然違うからね。ぱっと見は完全に別人にしか見えないはず。キャップで顔も隠せるし、わたしが夜道で会っても、すぐに忍だとは気付けないかも。その上で、全体的に運動着にも使えるような素材だから、寝間着や部屋着としても問題ないはずだよ」
「そっか、うん、なるほど……」
うなずいて、忍は自分の身体を見下ろす。
「確かに、条件は完璧に満たしてるよな……」
──そして、わたしは。
そんなやりとりを、無言で眺めていたわたしは。
「……」
正直、声も出せなくなるほど、その格好に衝撃を受けていた。
……好みだった。
正直、その格好が……めちゃくちゃわたしの好みだったのだ。
普段の忍のちょっと無骨な印象は残したまま、全体にお洒落度が大幅にアップ。
流行を取り入れつつ尖りすぎていないし、遊び心を感じさせつつも決して不真面目ではない……。
多分、サイズ選びや生地の選択が、的確なんだろうと思う。単にそれっぽいアイテムを組み合わせただけじゃない、絶妙なバランス感覚……。
……さすが華さんだ。
お願いして、本当に良かった……。
自分がコーディネートしていたら、ここまでのレベルには絶対持っていけなかったと思う。
「……静乃は、どう思う?」
忍が、恐る恐る尋ねてくる。
「この格好だったら……嫌じゃないか? 添い寝……できるかな?」
「……うん、良いと思う」
まずは、はっきりそう言ってうなずいた。
そして──、
「ていうか……」
「……うん」
「今すぐそれ買って……もう今日、このあとずっとそれ着てよう」
「そんなに気に入ったのかよ!?」
「──ということで、今日は華さん、協力してくれてありがとう」
買い物を終え、大通駅近くにあるカフェ&バーで。
俺たち三人は、今日の買い物の軽いお疲れ様会を開いていた。
「そのうえしかも、おごりでコーヒーなんて……申し訳ない」
「すいません、本当にありがとうございます……」
俺の隣で、静乃も華さんにペコペコと頭を下げていた。
「いえいえ~いいのいいの!」
華さんはそう言って、ひらひらと手を振る。
その顔は、入店十五分ほどにしてすでに若干上気していて、
「今日はわたし、飲みたかったからさ~、付き合ってもらえるだけでうれしいよ~!」
そう言う華さんの前には、すでに空きかけているビールのジョッキがある。
……これは、ちょっと注意しないとな。
この人は、このあとも飲み続けるだろうし、最悪帰れなくなるレベルで泥酔する可能性もある。そうなったら、また俺の家に泊めなきゃいけなくなるかもしれない……。
弟である亮祐に任せても良いけど、こんな時間に札幌まで呼び出すのも申し訳ないしな。俺が責任を持って、適度にセーブさせるようにしないと……。
「……それにしても」
と、静乃はこちらに視線をやり、
「……本当に、良いの選んでもらえたね」
その目を、きゅーっとうれしげに細めてみせた。
「わたし、前から忍、もっとお洒落すればいいって思ってたから、すごくうれしい……」
「お、おう……そうだな」
「これなら、変装としてじゃなく、私服としていつも着てて欲しいくらいだよ! 逆に、そっちのイメージで周りに見られるようになったら、今までの服を変装用に使う感じで!」
「あ~それ、わたしも思ってたんだよね!」
華さんが、ビールジョッキを傾けつつ言う。
「せっかく忍は素材がいいんだからさ~日常的にお洒落して欲しいなって。だから、入り口になるような服っていうのも今回コンセプトとして考えててー!」
「あ、やっぱり華さんもそう思いますか!」
「うん、亮祐ともそんな話しててさー。見せ方によっては、あいつは俳優級だって言ってて。だから、今回のこれを元にして、色々アイテム買い足していけば──」
──そんな話を片耳で聞きながら。
俺は、自分の身体を一度見下ろしてみる。
静乃の言う通り、買ってすぐに着ているこの服。
確かに、俺の目から見てもお洒落なんだろうと思う。
大きめのTシャツにすらっとした印象のジャージズボン。キャップだって、なんだかヒップホップアーティストが被ってそうな雰囲気のものだ。
お洒落な男子がこういう格好しているところを、たまに見かけたりする。
ただ……うん。
なんというか、その……。
どうしても、ひっかかるところがあるんだよな……。
「──だから忍」
と、静乃は紅茶のカップ片手にこちらに身を乗り出し、
「色々な服、これからも見に来ようね!」
心底うれしげな顔でそう言った。
「新しいの買い足して、幅も広げていきたいし」
「あーそれ、わたしもついていきたい! わたしも選びたい!」
「そうしてもらえるならうれしいです! また三人で行きましょうね!」
「……あのさ」
楽しげに話を続けている二人に。
今後の話で盛り上がる二人に、俺は申し訳ない気分で小さく手を上げ──、
「俺、これ……着るの、静乃と近所を出歩くときだけにしたい……」
「……ええっ!?」
静乃が──ガタッと椅子から立ち上がった。
「な、なんで!? そんなに高いものでもないし、こんなに……お洒落になれるのに!」
「……なんか、落ち着かないんだよー……」
テーブルに視線を落とし、俺は答える。
「確かに、気軽に買える額だし、お洒落だけど……こうやってコーヒーとか飲むとき、落ち着かないというか。なんとなく、俺らしくないというか……」
「えええ! でももったいないよー変装のためだけなんて!」
「それも、わかるんだけどな……」
いやもう、気持ちは本当にわかるのだ。
どっちが正論かといえば、完全に静乃と華さんの言うことが正論だと思う。
この格好をすることで、俺にメリットこそあれデメリットはほぼないはずだ。
けれど──、
「でもなんか、しっくりこないんだよ……。俺の着る服だと、思えないというか……」
「ええええ~……」
椅子に腰を下ろし、不満感を全身に滲ませながら静乃は頰杖をつく。
「なんでー……いいじゃん、ほんと似合ってるのにー……」
「ごめんって……許してくれよ……」
「そりゃ……無理は言えないけどさ……そうだ!」
と、静乃はガバッと身を起こすと華さんの方を向き、
「華さんからも、なんか言ってやってくださいよー!」
けれど──華さんは、
「……ん?」
ビールを飲み干すと、俺たちを見て首をかしげる。
そして、
「え、なんかめんどくさそうな話だから聞いてなかったわ。なんて……?」
「いやさすがに自由過ぎだろ!」
──思わず、突っ込んでしまった。
静かな店内で、思わず大声で突っ込んでしまった。
慌てて自分で口元を押さえつつも……改めて、この人にこれ以上飲ませないようにしようと心に誓った。
──一通りおしゃべりを終え、その日は解散の流れになった。
なんとか一人で帰れるくらいの酔いに抑えこむことが成功した華さんを送るため、未だに納得行かない様子の静乃と札幌駅の改札までやってきた。
「華さん、今日はほんとありがと、助かったわ」
「助かりました……」
「いえいえ、お安い御用だよ~!」
表情は思いっきり緩んでいるのに、足下はしっかりしている華さん。
これならまあ、ちゃんと家にも帰れるはずだ。
というか、この人はそういうところで本当に取り返しのつかないミスをしないんだよな。
どんなに破天荒に見えても、勝手気ままに振る舞っているように見えても、最後の一線は絶対に踏み越えない。破滅には、どうやったって至らない。
そういう器用さを、俺は内心本気で尊敬している。
だから……ふと思った。
この人に、尋ねてみよう。
気にかかっていることを、聞いてみようと。
「……あのさ」
「ん?」
切り出すと、華さんは首をかしげる。
「クラスの人に、俺たちが変な関係なのがバレかけたってのはこないだも話しただろ? だからその、見つからないようにするためにも変装をしようって、今日買い物に来たわけだけど……」
「うん、そうね」
「もしも、華さんが同じ立場だったら、どうする? 隠したい秘密があって、それがバレそうになったら、華さんだったらどうする……?」
──今回、変装が一つの方法として採用されそうではある。
けれど、それだって対症療法でしかないのだ。問題を、完璧に解決する手段ではない。
これからも添い寝を隠す必要はあるし、不眠が治らない以上、そのことにはずっと頭を悩ませられることになるだろう。
なら……他にどんなことができるのか。
どんな問題解決の方法があるのか、考えてみたかった。
華さんなら、そこに新しい視点をくれそうな気がしたのだ。
けれど、華さんはほとんど考える様子を見せることもないまま、
「えーわたしなら、添い寝してることをそもそも隠さないね~」
「マジかよ……」
まさかのストロングスタイル過ぎる回答に、笑ってしまった。
適当に言い逃れして隠しそうな気がしてたけど、まさかそこまで大胆に行くとは……。
「でも……隠さなきゃ、めちゃくちゃ変な感じで受け止められるだろ。やめろって言ってくる人も、出てくるかもしれないし……」
「あー、そんなのほっときゃいいよ~、勘違いしたい人にはさせておけばいいじゃない?」
「……色々言われるかもしれなくても?」
「わたしはそういうの、適当に受け流しちゃうね~」
「……なるほど」
……確かに。
言われてみれば華さんは、そういうところで面倒な策をめぐらせたり、隠し事をするタイプではないかもしれない。
全部オープンにして発生した面倒ごとは受け流す。そのスタイルは、確かに華さんらしい。
そして──なんとなく、それで許されちゃいそうな気配もある。
まあ、華さんだからしかたないな、みたいな……。
ただ、
「……でも、忍はそういうの、苦手だろうね~」
にへら、と笑って華さんは続ける。
「何か言われたら真っ正面からそれ受け止めちゃうだろうし」
「まあ、そうだろうなあ……」
彼女と同じことが、自分にできるとは思えなかった。
何か指摘されたら本気でそのことについて考えるし、相手にも説明しようとしてしまうだろう。
「それでも……まあ試してみるか。受け流したり、スルーしたり、そういうのができないか頑張ってみる」
けれど華さんは、軽い調子で手を振って、
「いやいやー、そこは無理しない方がいいって」
「……そうか?」
「うん。自分本来のやりかたと違うことしても、しんどいだけだったりするからね~。むしろ、忍なりのやりかたを貫いた方がいいんじゃない? 知らんけど」
「知らんのかい!」
思わず、付け加えられた言葉に突っ込んだ。
良いこと言ってるようで、必ず外してくるんだよなあこの人……。
そこさえなければ普通に説得力あるのに……。
とは言え、
「俺なりのやりかたかあ……」
腕を組み、考えてみる。
「どうするのが、俺に合ってるんだろうな……」
「まあ、その辺はゆっくり考えてみたまえ~」
言って、華さんはくるりと静乃の方を向くと。
「それからそうそう! ねえ静乃ちゃん! 最近、亮祐が学校のこと話してくれなくてさ~……。例のなんとかさん? あの子とのことも、全然教えてくれないの!」
「……ああ、花音のことですかね。六曜花音」
「そうそう! その子のこと! 姉の直感としてなんかありそうな気がするんだけど、亮祐本人はそんな感じで……。忍から情報聞き出そうにも、こいつめちゃくちゃ堅物でしょ? だから、色々隠されちゃいそうな気がしてて~……」
「いや本人目の前にいるんだぞ! もうちょい言い方考えろや!」
「だから、もし良ければあの子たちに進展あったら教えてくれないー? 他に頼れる人がいないの~……」
言って、切なげに静乃を見つめる華さん。
静乃は珍しく困った様子の華さんに苦笑すると、
「……わかりました。わたしもあの子たちがどうなってるのかよく知らないんですけど……何かあれば連絡しますよ」
「ほんと!? 助かるー! じゃあお願いね!」
それだけ言うと、華さんは改札の方へ向き直る。
そして、顔だけこちらに向け手を振りながら、軽やかな足取りでホームへ向かっていった。
「じゃあねー。今日は楽しかったよ。また一緒に遊びに行こうね、わたし暇してるからー」
「おう、ありがとう!」
「ありがとうございましたー!」
そんな彼女に、俺と静乃は揃って手を振り返したのだった──。
……色々あった、一日だったなあ。
忍と二人、バスの後部座席に並んで座り。
窓の外を眺めながら、わたしは深く息をついた──。
華さんと忍を着せ替えして遊んで、彼に似合うお洒落な服を選んでもらえて……。
一緒にちょっとお茶して、最後にはアドバイスまでもらって……。
本当に盛りだくさんの一日だ。
すっかり疲れちゃったし、できれば、家に着くまでバスの中で寝ておきたいかも。
「……忍、ちょっと寝ていい?」
「おう、いいよ」
「ありがと……」
うなずいて、ちょっとわたしは考える。
そういえば、こうして並んで座って寝るの、初めてかも。
いつもはベッドの中で横になってたし……これ、どうするのがいいだろ。
シートに背中あずけるのだと寝心地悪すぎるし、かといって窓の方に体重かけるのも、硬くて身体痛くなりそうだし……、
「……あ、あの」
ちょっと迷ってから。
わたしは、照れくささを嚙み殺しつつ忍に尋ねてみる。
「……寄っかかってもいい?」
うん、それしかないと思う。
バスに座って添い寝っぽく寝るためには……忍に寄りかかるしかない。
無防備かもしれないけれど、忍は今も変装用に買った服着てるし、車内にうちの学校の生徒っぽい人は見当たらないし……大丈夫なはず。
「お、おう……いいよ」
恥ずかしげにうなずいてくれる忍。
もう一度「ありがとう」と言ってから、わたしは彼の肩に頭をもたせかけ目を閉じた。
ゴツゴツしていて、温かくて、少しだけ柔らかい忍の肩……。
羽織っているパーカーの素材が柔らかくて、触れている頰に心地いい……。
「……」
そこで、わたしはふと思い出す。
忍が、この服を変装だけに使いたいと言っていたこと。
お洒落はせずに、普段はいつもの格好をしたいって言っていたこと……。
「……はぁ……」
思わず、ため息が漏れた。
納得できない、全然納得できない……。
だって、忍には全然デメリットがないんだよ!?
今着てるものとそう値段は変わらないし、着心地だって悪くない。
なのに、めちゃくちゃお洒落になれる、っていう話なのだ。
正直言って、断る理由がわたしにはわからない……。
「……んん……」
うっすらと目を開け、忍の出で立ちに目をやる。
……うん、やっぱりいい!
めちゃくちゃ似合ってる!
スポーティなのに洗練されてて、ちゃんと流行も押さえている。
そのうえ、忍の体格にもよく似合っているし、泥臭い雰囲気も中和されていて……はっきり言って完璧だ。
正直、こうしているだけで……ドキドキしちゃうくらい。
なんか妙に胸がざわざわして、ちょっと息が苦しくなるくらい……。
……。
……。
……。
ていうか……ほんとに心臓がヤバい。
何これ、ドキドキしすぎる。

いつも忍と添い寝するときは、温かくて安心して幸せな気持ちになるのに……。
今は、全然そんな感じじゃない。
なんというか、知らない人とくっついてるみたいな……。
出会ったばかりの男の人と密着することになっちゃったみたいな……変な緊張感。
まるで、隣にいる人が、忍じゃないみたい……。
……いけないいけない。
そういうことを考えてる場合じゃない。
わたし、寝たいんだった……。
もう一度、ぎゅっと目を閉じる。
深めに呼吸して気持ちを落ち着かせ、眠気が来るのを待つ。
けれど……。
……ダメだ。
目が覚めちゃった……。
完全に、目が覚めちゃった……。
ていうか、全然気持ちが落ち着かない……。
添い寝してる気分になれないし、むしろ……なんというか……。
緊張感があって、居心地が悪い……。こんな状況で、眠れるはずがない……。
……ふいに、いつもの添い寝が恋しくなる。
リラックスしていて、素朴で、温かくて、落ち着ける添い寝……。
なんで……そうならないんだ。
忍が隣にいて、いつも通りにくっついてるのに……なんでこんな落ち着かないんだ。
「……うぅ……」
……正直に言おう。
理由はもう、わかっている。
というか、わからないはずがない。バレバレだ……。
でも、認めたくなかったのだ。
『それ』に問題があるなんて。
忍に「こんな気持ち」を抱いてしまって、眠れなくなるなんて。
けれど──そうこうしているうちに、バスはわたしの自宅の最寄りバス停に着いてしまって。
「……おい静乃、着いたぞ」
忍が優しく、わたしの肩を揺すってくれる。
「起きろー。帰ろうぜ」
「う、うん……」
あたかも「今起きた……」みたいな風を装って、わたしは目を開ける。
そして、伸びなんてしてみちゃったりしつつ……忍と一緒にバスを降りた。
……一応、言っとかなきゃいけないよね。
忍からしてみれば、わたし今も、ずっとその服着て欲しいことになってるだろうし。
もしかしたら、頑張ってそれで寝てくれる日もあるかもしれないし……。
「……あ、あのね」
隣を歩く忍に、わたしはおずおずと声をかける。
「その服、ずっと着てて欲しいって言ったけど……私服も、そういう風にして欲しいって言ったけど……」
「お? うん」
「やっぱり、変装のときだけでいいよ……」
「……どうしたよ?」
忍が、怪訝そうにわたしの顔を覗き込む。
「あんなに言ってたのに、なんでそんな急に……」
「……ま、まあ。忍に無理をさせるのも、やっぱり悪いなと思ってね」
眠気で霞む頭を回して、わたしはなんとかそう答えた。
「ほ、ほら……華さんも言ってたじゃない。忍なりのやりかたを、貫くのがいいって……」
「……そっか」
納得した様子で、忍はうなずいた。
「わかったよ、ありがとな。正直、ほんと自分らしくない気がしてきつかったからさ……。そう言ってもらえると、助かるわ」
「いえいえ、どういたしまして……」
そう返しながら、ほっと息を吐き出した。
良かった、それ以上突っ込まれなくて。忍が案外、あっさり引き下がってくれて……。
……だって。
考えながら、わたしはちらりと忍を盗み見る。
──忍がその服着てると、ドキドキしちゃって寝れないから。
……なんて、口が裂けても言えないもん──。