第1話 幼なじみ、『彼シャツ』に惑う

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「──おはよう」

「おう、おはよう」

 到とう着ちやくした学校、朝の教室で。

 お互たがい挨あい拶さつを交かわすと、亮りよう祐すけは俺の顔を覗のぞき込み……ふっと安心した表情になる。

「顔色良し。良かったよ、昨日も寝ねれたみたいで」

「……まあそうだな。ていうか、どんだけ心配してくれてるんだよ」

 席に腰こし掛かけながら、俺は思わず笑い出してしまった。

「毎朝顔色チェックって、主治医かなんかかよ……」

 ──小こ峰みね亮りよう祐すけ。

 高い背にすらっとした体つき。整った顔立ちにセンス良くセットされた髪かみ型がた。

 穏おだやかな性格と垢あか抜ぬけた佇たたずまいで女子にもモテまくる、中学時代からの俺の親友だ。

 俺がしばらく前に不ふ眠みんだったことや、静しず乃のとの間に起きたあれこれのことも知っていて、いつも俺を気き遣づかってくれる心優やさしい男子である。

「……そりゃ心配もするだろ」

 亮りよう祐すけは、どこか不満そうにじっと俺の目を見る。

「あんだけ添そい寝ねするしないで揉もめて……しかも、そのうえめちゃくちゃやせ我が慢まんしてたんだからさ」

「……だよな」

 苦笑いして、俺は小さく亮りよう祐すけに頭を下げた。

「すまんすまん。おかげさまで、今はほんと快調だよ」

「おう。それなら良かった」

 亮りよう祐すけはそう言うと、ようやくもう一度その顔に笑えみを浮うかべた。

 ──実際、心配をかけたのだ。

 この春、不ふ眠みんになってしまった直後の頃ころ。亮りよう祐すけは俺が弱っていくのを間近で見ていたし、添そい寝ねを始めてからも静しず乃のと俺の関係を気き遣づかってくれていた。

 だから俺はこいつには頭が上がらないし、心の底から信しん頼らいしている。

 こんな風に心配してくれるのを、本当にうれしく思う。

 そんな相手だからこそ、

「……そうそう、さっきさ」

 ふと思い出して、俺は声を潜ひそめつつその話をしてみることにした。

「他校の生徒に噂うわさ話ばなしされちゃって……」

 今朝の出来事をざっと報告する。

 家を出たところで女子高生二人に噂うわさ話ばなしされたこと。

 それがあまりに気まずくて、静しず乃のともぎくしゃくしてしまったこと……。

「だから……もうちょい、周囲の目にも気を遣おうと思ったわ。変に勘かん違ちがいされないよう、気を付けようって」

「まあ、その方がいいだろうな」

 一通り話を終えると、亮りよう祐すけは苦く笑しよう気味にうなずいた。

「高校生なんて、男女で歩いてるだけで噂うわさにしちゃうような年とし頃ごろだし……それこそ同じ学校のやつらに見られてたら、もっと面めん倒どうになってたかもしれないからな」

「……そういえば亮りよう祐すけも、中学のときはそういうので苦労してたよなあ」

 モテ男の宿命として、亮りよう祐すけは中学の頃ころから頻ひん繁ぱんに女子に声をかけられアプローチされていた。結果、勘かん違ちがいされることも多かったしもめ事に巻き込まれることも多くて、傍はたで見ていてもちょっと気の毒だったのだ。

 とは言え、高校に入ってそつのない振ふる舞まい方を身につけたのか。

 最近は、揉もめることもめっきりなくなっているように見えていた。

 けれど、

「……いやあ、それがさ」

 と、亮りよう祐すけはそこで思い出した顔になり、

「この間、中学以来久々に勘かんぐられたよ……小こ峰みねくん、その子と付き合ってるの? みたいな」

「へえ……どういう状じよう況きようで?」

「六ろく曜ようさんと、廊ろう下かで色々雑談してるときに……」

「……ああ、あの子か」

 ──六ろく曜よう花か音のんさん。

 同じクラスに在籍する、静しず乃のの中学の頃ころからの友人だ。

 インナーカラーが印象的なショートヘアーに丸眼鏡。

 いわゆる、サブカル系女子、というやつだろう。

 高校に入学し、俺と静しず乃のが添そい寝ねを始めたのと同時期くらいに、亮りよう祐すけは六ろく曜ようさんと交流を始めたようだった。

 どうも……俺と静しず乃のの仲について、色々裏で心配してくれているらしい。

「……しかも」

 と、もう一度彼は深く息を吐はき、

「勘かん違ちがいしてきたのがあの──風かざ来きさんでさ」

「……うわーマジかー」

 飛び出した名前に、思わず苦笑いをしてしまった。

「そりゃ大おお騒さわぎになりそうだな……。大だい丈じよう夫ぶだったのか? そのときは」

「お察しの通り、まあまあの騒さわぎになったよ……」

 そのときのことを思い出しているのか、困った顔で笑い返す亮りよう祐すけ。

「あの子大興奮しちゃってさ、勝手に妄もう想そうされまくって……大変だった」

「だよな、相手があの風かざ来きさんじゃな……」

 そんなことを言い合っていた、まさにそのタイミングで──、

「──おはようございまーす!」

 ──辺りに高らかな声が響ひびいた。

 幼くて元気な、女子の声。

 声のした方、教室入り口に目をやると──彼女が。

 話題の張本人である風かざ来きさんが、ちょうど登校してくるところだった。

 ──風かざ来きさん。風かざ来き頼より子こさん。

 このクラスの委員長である、生き真ま面じ目めな女子だ。

 背中まである黒くろ髪かみとはっきりした印象の眉まゆ。

 切れ長の目に強い意志を宿した──それでもどこか、幼い見た目の女子。

 風かざ来きさんはさっそく周囲の生徒たちにほがらかに手を振ふり、会話を始める。

「おはようございます! やー、気持ちのいい五さ月つき晴ばれの朝ですね!」

「おはよう風かざ来きちゃん! でももう五月じゃないから、六月だから」

「しかも天気も、ちょっと曇くもり始めてるよ!」

「はっ! 本当ですね! わたしとしたことが……」

 恥はずかしげな様子の風かざ来きさんに、周囲からも笑い声が上がる。

 基本的には、風かざ来きさんはとても良いいクラス委員長だ。

 明るくてほがらかで見ているだけで元気になれるし、生徒一人一人に気を配れる。

 彼女のこういう面には個人的に好感を抱いだいているし、実際クラスでもマスコット的な扱あつかいを受けている。

 けれど──それだけじゃないのだ。

 実は彼女には、ちょっと癖くせの強い一面があるのだ。

 と、

「……んっ!? あれは……!?」

 窓まど際ぎわの自席に着いた風かざ来きさんが──急に窓の外、職員用の駐ちゆう車しや場辺りに目をやった。

 ガバッと椅い子すから立ち上がり、風かざ来きさんは窓に張り付くと──、

「──す、数学の田た島じま先生と、音楽の松まつ本もと先生が並んで歩いている……! も、もしや! お付き合いしてるんでしょうか……!?」

 ──こういう人なのだ。

 風かざ来き頼より子こさん、こういう人なのだ。

 何でも恋れん愛あい系の話に捉とらえてしまうというか。こうして誰だれかが並んで歩いているだけで、恋こい仲なかなのでは!? って疑っちゃうというか……。

 今風に言えば、カプ厨ちゆう、というやつなのかもしれない。

 これまでも、彼女は東に仲の良いい男女があれば勝手にカップル認にん定ていし、西に幼なじみ男女がいれば許嫁いいなずけ同士だったりしないのかと勝手に期待しまくっていた。地元が同じだというクラスメイトによると、風来さんは小学生くらいのときからずっとこんな感じだったらしい。根っからの夢見がち女子、ってことなんだろう。

 しかも、その「恋れん愛あい妄もう想そう」はあながち荒こう唐とう無む稽けいなばかりでもない。

 風かざ来きさんが騒さわいだ結果。その男女が本当に付き合い出したりすることも少なくないのだ。

 だから地味に風かざ来きさん、見る目がある気がするんだよなあ……。

 確かに亮りよう祐すけと六ろく曜ようさんの仲は、俺もちょっと疑っているところだし。

 中学で散々な目に遭あったはずの亮りよう祐すけが、特定の女子と個人的にかなりの頻ひん度どでやりとりしてるんだ。実はすでに……ちょっと良いい感じだったりするんじゃないのか……? なんて。

 と、そんなことを考えていると、

「……しかし、降りそうだな」

 亮りよう祐すけは、ふいに教室の窓の向こうに目をやる。

 言われて、俺もそちらに視線を向けると、

「うわ、マジだ……」

 ついさっきまで、スッキリ晴れて気持ちの良かった空が……西側からどんよりとした、灰色の雲に覆おおわれ始めていた。

 もうちょっとで降り出しそうな空模様だな……。

「えーなんでだよー、朝見たときには天気予報も晴れだったのに……」

「ほんとだな……。ああ、予報も変わってる」

 言いながら、亮りよう祐すけがスマホをこちらに向けてくれる。

 画面に表示された天気予報アプリには、彼の言う通り傘かさマークがばっちり表示されていた。しかも、午後の降水確率は80%……。

「やだなー……。折りたたみは持ってきてるけど、降られるとめんどくせえ……」

「この暑さで雨まで降ると、湿しつ度どがかなりきついことになりそうだな……」

 そんな風に言い合っていて、俺はふいにあることに──自分がとある失敗をしてしまったことに気が付いた。

「……ああ、しまったー!」



 放課後。

 ついに降り出した雨の中、静しず乃のと一いつ緒しよに俺の家へ帰宅したあと。

「──わー、やっぱりだー!」

 慌あわててベランダに確かく認にんに行くと──案の定。

「洗せん濯たく物、全部びしょびしょだ!」

 見事に、雨に晒さらされていた。

 干していた俺の部屋着や制服のシャツ、タオルたち。

 そのうえ、静しず乃のの服一式まで、思いっきり濡ぬれてしまっていた──。

「わ、大変! 取り込もう!」

 そう言う静しず乃のと手分けして、慌あわててすべて取り込む。

 ちくしょう、こんなはずじゃなかったのに!

 今日は晴れるはずで、帰ってきたら服もタオルも全部気持ちよく乾かわいてるはずだったのに!

 ばたばたと取り込み終わった洗せん濯たく物は、全部まとめてもう一度洗せん濯たく機きにぶち込んだ。

 普ふ段だんは電気代を気にして脱だつ水すいまでなのだけど……今回ばかりはしかたない。乾かん燥そうまで一気にやってしまおう。量が多かったせいか五時間ほどかかるみたいだけど、こればっかりはどうしようもない……。

「……ごめんな、大事な服を雨ざらしにして」

 ため息をつきつつ洗せん濯たく機きのスイッチを押したところで。

 俺は申し訳なさに、静しず乃のにそう詫わびた。

「あのパジャマ、一いつ緒しよに買ったいいやつだよな。申し訳ない、こんなことになって……」

 雨に濡ぬれてしまった服。アレは彼女お気に入りのブランドの、ちょっとお高いやつなのだ。お洒しや落れにこだわりのある静しず乃のだし、買いに行ったときもずいぶんうれしそうだったし、こんなことになるなら最初から部屋干しにでもすれば良かった……。

 けれど、

「ああ、いいよいいよ」

 眉まゆを八の字にして、困ったような顔で静しず乃のはそう言ってくれる。

「予報では、からっと晴れるくらいに言ってたからね。忍しのぶが悪いわけじゃないよ」

「……そっか」

 その反応にほっとして。

 俺はようやく、小さく息をつくことができた。

「ありがとな、静しず乃の……」

 ──添そい寝ねを始めた頃ころは。

 渋しぶ々しぶ毎晩一いつ緒しよに寝ね始めた頃ころは、こんなやりとりができるようになるなんて、思ってもいなかった。睡すい眠みん不足なせいでお互たがい言動がとげとげしていたし、添そい寝ねする緊きん張ちよう感から気も立っていた。

 まあ──約束の件もあったわけで。

 お互たがいの記き憶おく違ちがいの件もあったわけで、それも仕方がないのだろうけど。


 ──将来、一いつ緒しよに牧場をやろう!


 幼い頃ころ、俺は静しず乃のにそう約束したつもりだった。

 ここ札さつ幌ぽろから離はなれた地元の街で、プロポーズの気持ちも込めて彼女にそう言った。

 そして、静しず乃のもそれを受け入れてくれた。そのはずだった。

 なのに──、


 ──将来、一いつ緒しよに東京で暮らそう!


 静しず乃のは──俺とそんな風に約束したと記き憶おくしていた。

 都会に憧あこがれる彼女は、それを期待して今のようなお洒しや落れ女子に成長したのだそうだ。

 当然、この記き憶おく違ちがいをきっかけに俺たちは派手なケンカになった。

 ギスギスしたしお互たがいを許せなかったし……さらに言えば、この問題は未解決だ。

 なぜこんな記き憶おく違ちがいが起きたのか、未いまだにわかっていない。

 けれど……色々あって添そい寝ねを一時的にやめた時期を経て。俺たちは、これまでよりお互たがいを大切にすることができるようになっていた。

 もちろん、ちょっとしたケンカもするしすべてを許したわけではない。

 それでも、前よりは素す直なおに接することができる──。

 そのことが、今の俺には思わず笑えみが浮うかぶほどに幸福だった。

「……しかし」

 と、そこで俺はようやく思い至る。

「着き替がえがないな、どうしよう……」

 雨の中で取り込みをしたせいで、静しず乃のも俺も制服が濡ぬれてしまっている。

 今すぐにでもシャワーを浴びて着き替がえたいけれど……静しず乃のの服は今現在洗せん濯たく中なのだ。

 そして今日は、静しず乃の宅に寄らず直接ここに来たこともあってスペアの着き替がえもなし。

 となると、今彼女が着られるものが一つもない、ということになってしまう……。

 どうしよう、このままじゃ静しず乃の、風か邪ぜ引いちゃいそうだし……。

 どこか近くの服屋にひとっ走りして、何か買ってくるか?

 いや、それも時間がかかりすぎるしな……。

 そんな風に逡しゆん巡じゆんする俺に、

「……あ、じゃあさ」

 ちょっと言いにくそうな口調で、静しず乃のは提案を始める。

「忍しのぶが、もし良ければ、なんだけど──」



「──シャワー、先に使わせてくれてありがと……」

 言いながら、シャワーを浴び終えた静しず乃のが今にやってくる。

 そんな彼女が、現在身につけているのは──。

「あと、この服もありがと。助かったわー」

「お、おう……そっか……」

 俺はぎくしゃくと、そんな風に返すことしかできない。

 ──思いのほか、胸に来た。

 静しず乃のが『それ』を着たその姿は、予想していた以上に……なんというかこう……グッと来るものがあったのだ。

 そんな俺の態度に気付いているのかいないのか、

「……やっぱり大きいね」

 静しず乃のは裾すそを引っ張りながら口元を緩ゆるめている。

「忍しのぶ、いっつもこのシャツ……ブレザーの下に着てるんだ」

 ──学校指定の、白いシャツ。

 静しず乃のは今、俺のその大きなワイシャツを、部屋着代わりとして着ていた──。

 部屋にある俺の服を貸して欲しいと言い出した静しず乃の、そんな彼女が数ある俺の私服の中から選んだのが──なぜかこの制服のシャツだったのだ。

 もちろん、サイズは全然合っていない。

 肩かたはずり落ちかけてるし袖そでは余ってるし、丈たけはもうワンピースみたいになっていて、どこをどう見てもダボダボだ。

 だけど……なんだ、これ。

 なんか、変にドキドキするぞ……。

 女の子が自分の服を着ているってだけで、いけないことをしている感覚がある。

 静しず乃のの小こ柄がらな身体からだと、シャツの無骨な大きさのギャップ……。

 白い生き地じの隙すき間まからときおり覗のぞく、上気した桃もも色いろの肌はだ……。

 そして彼女が今、シャツと下着しか身にまとっていないという事実……。

 生き地じが薄うすくてうっかりすれば色々透すけそうなことも、こちらのドキドキ感を加速させていく……。

 ……すげえな、『彼シャツ』。

 こうやって実際に目まの当あたりにするまで、全然意識もしていなかったけれど……すさまじい破は壊かい力だ。数多あまたの恋れん愛あい系の物語でモチーフになるのもうなずける……。

 そんな俺の気も知らず。

 相変わらず静しず乃のはちょっとくすぐったげな、楽しげな顔をして──。

「……なんか、忍しのぶの匂においがする」

「え!?」

 心臓が跳はねて、素すっ頓とん狂きような声を上げてしまった。

「ご、ごめん! 汗あせ臭くさかったか!? それともなんか、生なま乾がわきとか……!?」

 し、しっかり洗せん濯たくしたはずだぞ!?

 しかも、毎回しっかり干してアイロンがけまでしてるはず……。

 それでもなんか、匂においついてたか……!?

 けれど、

「……ううん、そうじゃなくて」

 言って、静しず乃のはすんすんと鼻をならし、

「なんか、懐なつかしい匂においがするんだよね……」

 ──もう一度、心臓が大きく跳はねる。

 シャツの袖そでを鼻に寄せ、何やらほほえんでいる静しず乃の。

 ──ずいぶん添そい寝ねには慣れたつもりだけど。

 こうして二人でいることも日常になったはずだけど。

 それでもそんなことを言われてしまうと、動どう揺ようを隠かくしきれなくなってしまう……。

「……ちなみに、どんな感じなんだろ」

 ふと気付いた様子で、自分の身体からだを見下ろし静しず乃のはそんなことを言う。

「わたしいつも、服はジャストサイズのばっかりだから……大きめのって、どんな感じになるんだろ。一回試ためしてみたかったんだよねー」

 言いながら、姿見の方に向かう静しず乃の。

 試ためしてみたかった……なるほど。なんでわざわざ制服? と思ったけど、前からこういうのを着てみたかったんだな。

 そして、部屋の片かた隅すみにある鏡の前に立つと、彼女はぱっと表情を明るくさせ、

「……わ! 結構いいじゃーん!」

 歌うような声で、上じよう機き嫌げんにそう言った。


♡


「──おー! いいねいいね! これ一枚でも、割と様になる!」

 言いながら──わたしは姿見の前でくるりと回ってみる。

 ……うん、自分で言うのもあれだけど、似合ってる気がする。

 ビッグシルエット、わたしらしくない気がして敬遠してたけど、結構いいかも……。

「今度買ってみようかな、シャツとかカットソーとか。最近ちょっと、服選びもマンネリ気味だったし……」

 ……本当のことを言うと、姿見の方に来たのはちょっと苦くるし紛まぎれだったのだ。

 お風ふ呂ろ上あがりに忍しのぶの服を着てみて、なんだか妙みようにドキドキしてしまった。

 男の子の服を着ているという状じよう況きように。お風ふ呂ろ上あがりで下着の上に、直ちよくで忍しのぶのシャツを羽織っている自分に。そしてそれを……忍しのぶに見られていることに。

 ……しかも、よく考えたらこれ、いわゆる『彼シャツ』なのだ。

 たまたま着てみたいと思ったのがシャツだけだったから、お願いしただけなんだけど……偶ぐう然ぜんにもマンガやドラマでよく見るシチュエーションになっちゃってる。

 それに気付いた瞬しゆん間かん。わたしは完全に──動どう揺ようした。

 ──ど、どうしよ! めっちゃドキドキする!

 ──ていうか、わざとやったと思われない!?

 ──あざとくアピールしたと思われちゃいそうじゃない!?

 そのうえテンパったわたしは……うっかり忍しのぶ本人に「懐なつかしい匂においがする」なんて変態みたいなことを言ってしまった。

 でも実際……本当に好きな匂においがしたのだ。

 昔住んでいた町を思い出すような、牧場や干し草のような素そ朴ぼくな香り。

 けれど──それを聞いた忍しのぶは、面食らったような顔をしていた。

 ……そりゃそうだよね。

 いきなり自分の服が良いい匂においとか言われたら、さすがの忍しのぶもびっくりするだろう。

 そんな失敗がすごく恥はずかしくて。その雰ふん囲い気きをなんとかごまかしたくて……わたしは姿見の前に立ったのだ。

 せっかく落ち着いてきたわたしたちの関係を、ここで変な風にしたくなかったのもある。

 けれど、そういうあれこれとは関係なしに、

「……ちょっと、外とか歩いてみたいかも……」

 わたしは思った以上に、その格好を気に入ってしまっていた。

「そろそろ雨も止やみそうだし、忍しのぶがシャワー浴びたあとでいいから……この服で外行くとどんな感じか、試ためしてみたい」

「……え!? 外に!?」

 わたしの言葉に、忍しのぶが血相を変える。

「今静しず乃の……シャツ以外はその……下着だけだよな!? それで外出るのは……さすがに危なくねえか!?」

「ち、違ちがうよ!」

 慌あわててわたしも言い返す。

「インナーとか、短パンとかあれば貸してもらって……それで行けないかなって……」

「ああ、なるほど……」

 ほっとした様子の忍しのぶ。

「ていうか、そんなの当たり前じゃない……。本当にこのまま外に出たら、わたしただの痴ち女じよじゃん! 人には見せられないよ!」

「だ、だよな……。ごめんごめん、ちょっとびっくりして……」

 言いながら、忍しのぶはシャワーを浴びる準備を始め、

「じゃあ、ぱぱっと入ってきちゃうわ。すぐ出かけられるよう急ぐから、少しだけ待っててな!」

「あ、急がなくていいよー、ごゆっくり!」

 そう言って、わたしはお風ふ呂ろに向かう忍しのぶに手を振ふってみせた。



「やっぱりまだ、この時間は涼すずしいねー」

「だな、風が気持ちいいな」

 予想通り、忍しのぶがシャワーを出る頃ころには雨はすっかり止やんでいた。

 彼と雑談を交かわしながら、薄うす暗ぐらい住宅街を歩いていく。

 目指しているのは、スーパーやカフェなんかの立ち並ぶこの地域の大通りだ。

 せっかくこの格好で出てきたのだから、これで街を歩いている様子を店のウインドウに映したりして見てみたい。

 ついでに、ファミレスかどこかで夕飯を食べるのも悪くないだろう。

 まあ……忍しのぶがスウェットなのが気にかかるけど。

 パジャマにもしている安物のスウェットで、お世辞にもお洒しや落れと言えないのは残念だけど……わたしのわがままに付き合ってもらってるわけだし、文句は控ひかえておこうと思う。

「……ふんふふ~ん」

 気付けば、わたしは鼻歌を口ずさんでいた。

 ローファーの足取りが軽くなって、弾はずむように前に進む。

 実はわたし、こうして夜の町を忍しのぶと歩くのが好きだ。

 暗くなった空に浮うかんでいる、砂糖粒つぶみたいな星たち。

 通りは街灯に薄うすく照らされていて、周りの家々からはそれぞれの暮らしの匂においが漂ただよってくる気がして、だけどどこか心細くて……。

 そんな中を忍しのぶと歩いていると、少しだけ、添そい寝ねをしているときと同じような幸せな気分になれる。

 そして──到とう着ちやくした大通り。

 忍しのぶと並んで歩きながら、ウインドウに映ったわたしをちらりと横目で見る。

「……おお、やっぱり悪くない!」

 普ふ段だんの私服とは印象の違ちがう、新しい自分がそこに映っていた。

 忍しのぶのシャツが、歩く度たびにドレープを描えがきながら揺ゆれている。

 やぼったくなるかな、と思ったけれど、シャツの手入れが良いいおかげかシルエットはきれいだ。

 ホットパンツくらいまでめくった短パンが裾すそからチラチラ覗のぞくのも、活発でかわいらしい印象に見える気がする。

「ねえねえ、これどう? 結構よくない!?」

「うん、確かにマジでなんか、お洒しや落れに見えるな……」

 隣となりの忍しのぶにウキウキで尋たずねると、彼は神しん妙みような顔つきでそう言ってうなずいた。

「俺の学校指定のシャツが、こんな風になるとは……。服って、本当に着方次し第だいなんだな……」

「……ふふふ。そうでしょうそうでしょう」

 わたしは一層良いい気分になると、もはやスキップに近い足取りで通りを歩く。

 数分ほどそうすると──だいたい満足した。

 うん、良いい発見がありました。今日はここまでにしましょう。

 実際にビッグシルエットの服を買ったら、またここに来て歩いてみようと思う。

 学校指定のワイシャツでこれなんだから、きっともっと似合ってかわいくなるはずだ──。

 そしてそのまま、ちょうど大通り沿いにあったレストランに入ろうという話になる。

 最近できたばかりらしい、洋風っぽい外観のレストラン。

 名前は……『ウィンカム』というようだ。

 聞いたことがない店名だし、あまり大きくない店だし……もしかしたら、最近できた個人経営のお店なのかもしれない。

 ご機き嫌げんで入店すると、店内はなかなかに混み合っている。

 二人くらいは座れそうだけど……へえ、人気店か。これは味も期待できそうだ。

 五十代くらいの店員さんに案内され席に着き、メニュー表を見る。

 しばらくしてお互たがい食べたいものが決まり、店員さんを呼ぶ。

 その、十秒後。

 わたしたちは──自分の油断を。

『今朝の出来事』があったのに、こうしてのんきに二人でご飯を食べに来たことを、悔くやむことになる──。


♠


「──いらっしゃいませー、『ウィンカム』へようこそー!」

 俺が店員さんを呼んですぐに。

 小こ柄がらなフロア担当の女性が、俺たちのテーブルに来てくれる。

 元気な挨あい拶さつが気持ちいい。

 俺はメニューに視線を落としたままで、

「えーっと、このミックスグリル定食を一つと、こっちの和食ディナーAセットを一つ。……あ、ドリンクもつけれるのか。じゃあ俺はウーロン茶で、静しず乃のはどうす──」

「──あー!」

 ──声が上がった。

 テーブル脇わきに立っていた店員さんから、素すっ頓とん狂きような声が上がった。

 ビクリとしてそちらを見ると、

「──大おお滝たきさんと、森もりさんじゃないですか!」

 ──風かざ来きさんがいた。

 我らがクラス委員である風かざ来きさんが──店員の制服を着て、そこに立っていた。

「どうもどうもこんばんは! ご来店ありがとうございます!」

「か、風かざ来きさん!? え、な……なんで……?」

 ぽかんとしたまま、俺は思わず尋たずねてしまう。

「なんで、こんなところに……いるの……?」

「ああ、それはですね」

 表情をくるりと入いれ替かえると、風かざ来きさんは明るい声で説明してくれる。

「ここ、わたしの家族が経営してるお店なんですよ」

「そうだったの!?」

「ええ。元々お父さんが料理人だったんですけど、この度たび独立しましてこのお店を始めたんです」

「……はあ、それは……すごい」

「で、先週オープンしたところ思った以上に大好評で……バイトさんも雇やとったのですがどうしても回らなくなってしまって。だから、娘むすめのわたしも動員されて、こうして働いているというわけなんです!」

「あ、ああ……そういうことか……」

 家族経営……料理人の父親。

 うん、納なつ得とくが行った。

 確かに風かざ来きさん、両親の手伝いとかしっかりしそうなイメージだ……。

「ちなみにー」

 言うと、誇ほこらしげに風かざ来きさんはメニュー表を掲かかげ。

 そこにプリントされている『ウィンカム』という店名を指差すと、

「この店名は、苗みよう字じの『風かざ来き』から来てるんですよ! ほら、ウインドがカムするっていう」

「……あー! なるほど、そこ繫つながりなんだな」

「ので、良ければこれからもご贔ひい屓きに! お父さんの料理、本当にめちゃくちゃおいしいので」

「うん、わかったよ。また、来るわ……」

「ありがとうございます。で、なんでしたっけ? 大おお滝たきさんがミックスグリル、森もりさんが和食Aで、ドリンクをどうするかって話……」

 ──と、風かざ来きさんは注文伝票に目を戻もどしたあと、

「──っていやいや!」

 突とつ然ぜん──我に返ったように、こちらに目をむいてみせた。

「え、ちょ……なんでこんな時間に、二人っきりでうちの店来てるんですか!?」

 ……だよな。

 そうだ、こんな風にばったり会えば、そういう話題になるに決まってる……。

 しかも、相手が風かざ来きさんとなると──。

「もしかして……」

 その顔に期待と高こう揚ようの色をはっきりと浮うかべ──彼女はこう尋たずねてきた。

「──お付き合いされてるんですか!?」

 ……まあ、こうなるのだ。

 こんな時間にクラスメイトの男女が、二人っきりで夕食を食べに来たんだ。

 もちろん、こうなる。

 そしてこっちも……こんなところを見られると、なかなかに言い訳が……苦しい……。

「い、いやあ……偶ぐう然ぜんしの……大おお滝たきくんと近所で会ってね……」

 気の利きいたアイデアが浮うかばず。

 一いつ瞬しゆん黙だまり込んでしまった俺の代わりに、静しず乃のがそんなことを言い始める。

「立ち話してたら盛り上がっちゃって……どうせなら、ご飯でも食べていこうって話になって……」

 ……うん、悪くない気がするぞ。

 変に設定を盛ったりせず、無難にそれくらいに答えておくのが自然だと思う。

「ふんふん、なるほど──」

 案の定、腕うでを組みうなずいている風かざ来きさん。

 よし、良いい感じに騙だまされてくれた──、

「──って噓うそでしょ!」

 ──ダメだった。

「それ、絶対噓うそですよ!」

 そう断言すると、風かざ来きさんは探たん偵ていみたいな顔で俺たちを見比べ、

「確か……森もりさんの通っていた中学は、ここから離はなれた場所にあったはずです……。となると、家もそちらにあるはずで。であれば……こんな時間に、偶ぐう然ぜん大おお滝たきさんに会うはずがありません!」

 ……何その鋭するどさ!?

 普ふ通つう、クラスメイトの通ってた中学校とか覚えてるか!?

 まだ同じクラスになって二ヶ月くらいなのに! どれだけマメなんだよ!

「それにですよ!」

 さらに、風かざ来きさんは俺たちを見比べると、

「森もりさんが着てるそれ……男子の制服のシャツですよね!? 大おお滝たきさんのなのでは!? いわゆる『彼シャツ』では!?」

「……ッ!」

 静しず乃のの身体からだがビクリと跳はねた。

 ……そうだ! そうだった!

 静しず乃のは今、よりにもよって俺のシャツを着ているんだ!

 風かざ来きさんも同じ学校に通っているわけで、そうなると当然、それが俺のものであると思われてもおかしくない……。

「これは、もう言い訳不可能ですよ!」

 ビッとこちらに指を突つきつけ。

 風かざ来きさんは──頰ほおを赤らめて俺たちに言う。

「二人は、お付き合いしてるとしか思えません! し、しかも……彼シャツイベントが発生するほどの! か、身体からだの関係があるレベルのカップルだと!」

「か、身体からだの関係!?」

 え、そ、そんな風に見えるのか!?

 そこまで大変なことだとは思ってなかったけど……彼シャツって、そこまで踏ふみ込んだことなのか!?

 風かざ来きさんの声が大きすぎたらしい。

 周囲のお客さんたちも「なんだなんだ?」「もめ事か……?」みたいな顔でこちらに視線を向け始める。

 まずい、まずいぞ……。

 あんまり目立ちたくないのに、このままじゃ下手すれば騒さわぎにもなりかねない。

 何か、何か考えないと!

「そ、その……」

 俺はなんとか頭を回し、そう前置きしてから──、

「……実は、相談してたんだ!」

 ぱっと思い付いたその言い訳を、勢いよく口に出した。

「そ、相談ですか……?」

 そのフレーズが予想外だったのか、風かざ来きさんは目をぱちくりさせている。

「そう、しず……森もりさんには、相談に乗ってもらってたんだよ!」

「……ど、どんな相談を?」

「その、俺……この春から、札さつ幌ぽろに出てきて、一人暮らししてるんだけど」

 考えながら、できるだけ自然に聞こえるよう言葉を繰くり出だしていく。

「で、なんか……結構ホームシックっぽくなって、夜とか寝ねれなかったりして……」

「そ、そうだったんですか!?」

 その話に──風かざ来きさんが身を乗り出した。

 どうやら、信じてくれた様子。

「だ、大だい丈じよう夫ぶなんですか!? 体調崩くずしてたりはしないですか?」

 さらには、心配までしてくれる風かざ来きさん。

 一いつ瞬しゆん、噓うそをついた罪悪感を覚えそうになるけれど……いや、この言い訳言うほど噓うそでもないな。一人暮らしして眠ねむれなくなったのは事実だし。そのことを静しず乃のに話したのも事実だ。

「うん、大だい丈じよう夫ぶだよ、ありがとう」

 一息つきながら、俺は風かざ来きさんに笑ってみせる。

「で、実は俺たち、地元が同じのいわゆる幼なじみで。これまでもときどき相談してたし、今日もそのことを話すつもりだったんだけど、傘かさ壊こわれて森もりさん、びしょ濡ぬれになってさ……。しかたなく俺の服貸した上で、この店に来たんだ。ちなみに……なんかホームシックの件はクラスでは内ない緒しよにしてるんだよ。恥はずかしいしね……。だから、俺と森もりさん教室ではあんまり話さないようにしてるんだ」

 ……うん、筋が通った。

 完全にアドリブで話したけど、まあまあ筋の通った話になったぞ!

 これは俺、なかなかファインプレーじゃないか!?

 そして風かざ来きさんも、

「ふむふむ……そういうことですか……」

 一応は納なつ得とくしてくれた様子で、こくこくとうなずいている。

「そうか、ホームシック。一人暮らしとなると、そういうこともありますよね……」

 とはいえ、まだ風かざ来きさんの声には若じやつ干かんの疑いの色も見える気がする。

 どうしよう……これ以上突つっ込まれたら、もうフォローしきれないかもしれないぞ。

 頼たのむから、ここでこの話は終わってくれ……。

「だとしたら……いいんですが。ほら、わたしクラス委員長なので。すごく不純な関係だったら、さすがに見過ごすわけにはいかないですし……。清いお付き合いであれば、もちろん応おう援えんさせてもらうんですけどね」

「は、ははは、不純とかそういうのじゃないって……」

 ……いや、実際は『そういうの』だけど。付き合ってもいないのに添そい寝ねをするという俺と静しず乃のの関係は……風かざ来きさんの言う『不純』に当てはまると思うけど……。

 というか……見過ごすわけにはいかないって、どうする気だ?

 まさか……先生に報告とか?

 それはマジでまずいぞ、勘かん弁べんして欲しい……。

 やっぱり絶対に、この子には俺たちの秘密をバラすわけにはいかない……!

「……て、ていうかさ!」

 ──ひとまず、話題を他に逸そらしたくて。

 俺は、必死で頭を回しながら無理にそんな声を上げた。

「ちょっと気になったんだけど、うちの学校ってバイト大だい丈じよう夫ぶだったっけ!? なんか、入学のとき基本ダメって聞いた気がするんだけど……」

 確か……原則禁止だったはず。

 多分、多くの学校がそうだと思うけれど、勉学が学生の本分である、という理由から特別な理由のないバイトはできないはずだ。

 とは言え……正直、生き真ま面じ目めな風かざ来きさんのことだ。

 きっと、こうして働くことは学校の許可を得ているだろう。それでも、とりあえず場の話題が逸それれば良い。俺たちに対する疑いから、風かざ来きさんが意識を逸そらしてくれれば……。

 そして、案の定──、

「……ああ、それは大だい丈じよう夫ぶなんですよー!」

 風かざ来きさんは、疑わしげな表情を解き明るく笑う。

「家業を手伝う、という形なら、申しん請せいすればOKなんです!」

「あれ……そうなんだ」

「ええ、ちゃんとその辺は確かく認にんしてからこうして働いてます!」

 胸を張る風かざ来きさん。

 もうその頭からは、さっきまでの疑問はすっぽり抜ぬけ落おちたように見える。

 ……よし、作戦成功! 上う手まく話題を逸そらせた!

 隣となりでは、静しず乃のもほっとしたように小さく息をついている。

 けれど……、

「だから実際、先日申しん請せい書を書いて先生に提出済み……ああー!」

 そこまで言って、ふいに風かざ来きさんは素すっ頓とん狂きような声を上げる。

「し、しまった! 申しん請せい書──書いたのに提出を忘れていました!」

「……え、マジか」

「どどどど、どうしましょう!」

 血相を変え、風かざ来きさんは慌あわてふためき始める。

「となると、こうして働いているのは校則違い反はんになります! い、今すぐ仕事を中断しましょうか!? ……いやしかし、お客様に迷めい惑わくをかけるわけには……!」

 風かざ来きさんは苦しげに目をつぶりしばし考える。

 そして、顔に決意の色を浮うかべ、

「こうなれば……明日、先生に自首しに行くしかない!」

「……いやいや、そこまでしなくていいでしょ……」

 あまりの生き真ま面じ目めさに、状じよう況きようも忘れて笑ってしまった。

「ささっと申しん請せい書、黙だまって明日にでも出しちゃいなよ。俺たちも、今日のことは先生には言わないようにしておくからさ……」

 正直なところ、そこまで大ごとでもないと思う。自首したところで、先生も苦笑いで許してくれるだろう。だから、その辺は上う手まくごまかせばいいんじゃないか、と思うのだけど、

「ああ……お気き遣づかいありがとうございます。でもそういうわけにもいきません!」

 風かざ来きさんは、なおも強ごう情じように主張する。

「きちんと明日、先生に事情をお話しします。その結果、謹きん慎しんや停学になろうとも、罪を嚙かみしめしっかりと償つぐないをしていくしかありません!」

「いやさすがに真面目過ぎだろ!」

 反射的に、突つっ込んでしまった。

「それだけのことで謹きん慎しんになるわけないだろ! 家の仕事手伝ったくらいで! 下手したら、バイト代だって出てないんじゃないか?」

「……そ、そうでしょうか。確かに無給ですが……」

 風かざ来きさんは、俺のツッコミに揺ゆらぐ様子を見せた。

「……真面目すぎ、でしょうか。しかし、わたしは委員長! 隠いん蔽ぺい工作なんてするわけには……!」

 と──そんなタイミングで。

「──頼より子こー! まだ注文取れないの!?」

 フロア奥から、年配の女性のそんな声が聞こえた。

「アッ! そうだった!」

 血相を変える風かざ来きさん。

 彼女は改めて伝票を持つ手に力を入れると、

「す、すみません、お二人の注文まだ伺うかがってませんでした! 罪の件は別として、仕事はきちんとこなさなくては! で、何度もすみません注文はなんでしたっけ!?」

 ……その、あまりのしっちゃかめっちゃかさに苦く笑しようしながら。

 思わぬ展開になったけれど、結果として彼女の意識を逸そらせたことにちょっとだけほっとしながら、

「……えっと、俺がミックスグリルで、森もりさんが和食で……」

 俺は、風かざ来きさんに改めて注文を伝え始めたのだった──。


♡


「本当に、どうなることかと思ったね……」

「ああ、さすがに焦あせったな……」

 ウィンカムで夕飯を食べ終え。

 忍しのぶの家に戻もどってきて色々準備をして──ベッドに二人で腰こし掛かけたところで。

 わたしは、さっきの出来事を思い出して疲つかれに肩かたを落とした。

「まさか、風かざ来きさんがあの店で働いてるなんて……。それから、ごめん。わたし、あっさり噓うそがバレて……」

 そうだ、忍しのぶにはちょっと迷めい惑わくをかけてしまった。

 機転の利きいたフォローのおかげでなんとかごまかしきれたけれど、下手したら風かざ来きさんの中でわたしたちは付き合ってる認にん定てい。本当に、その……身体からだの関係が、あると思われたままだったかもしれない……。

「ああ、別に気にすんなよ」

 忍しのぶはごく軽い口調で、そんな風に言ってくれる。

「最初は俺もテンパって何も言えなかったし、たまたま言い訳を思い付いただけだから」

「そっか……ありがと」

「おう、じゃあ寝ねるか」

「うん、そうだね……」

 言い合って、わたしたちはベッドに横になる。

 いつものように、すぐそばに感じる忍しのぶの体温。

 ゴツゴツした腕うでや、肩かたの感かん触しよく──。

 ──もう、こういうのには慣れたはずだった。

 ちょっとそわそわはするけれど、それよりは幸福感の方が強くて、動どう揺ようすることもないはずだった。

 けれど──、

「……」

 ……ドキドキする。

 何だろう、今夜はちょっと……久しぶりに、すごくドキドキしてしまう。

 暗い部屋に響ひびいている、忍しのぶの息の音。

 服越ごしに感じる、骨張った彼の身体からだ──。

 ……理由は、なんとなくわかっている。

 風かざ来きさんに言われたセリフだ。

『──二人は、お付き合いしてるとしか思えません!』

『──か、身体からだの関係があるレベルのカップルだと!』

 ……そういう風に、見えるんだ。

 忍しのぶのシャツを借りるって、そんな風に思われるレベルのことなんだ……。

 その……身体からだの関係が、あるって思われるくらいの……。

 ……そう思うと、なんだか急に恥はずかしくなってくる。

 布ふ団とんの中で無防備にくっついていることもそうだし……自分の格好もそうだ。

 下着は一応上下つけているけれど、その上に羽織っているのは忍しのぶのシャツだけ。

 寝ね相ぞうが悪ければ、大きくめくれて全部見えちゃってもおかしくないような状態なのだ。

 ……実は、パジャマの洗せん濯たくは終わっていた。乾かん燥そうも終わっていつでも着られる状態だ。

 けれど、着き替がえるのが面めん倒どうでシャツのまま布ふ団とんに入っちゃったのだ。

 失敗したなあ……。疲つかれたし眠ねむいからって横着せず、ちゃんと着き替がえれば良かった……。

「……」

 まずい、ドキドキがどんどん加速する。

 着ているものの薄うすさが心こころ許もとなくて、身体からだ中がそわそわしてくる……。

 けれど、それと同時に。

 わたしは──改めて思い直すところがある。

「……んん……」

 隣となりの忍しのぶが、小さくうめき声を上げた。

 どうやら、もう彼は眠ねむってしまったらしい……。

 ……これ、やっぱりすごいことをしてるのだ。

 高校生で、異性同士で添そい寝ねって……結構とんでもないことなのだ。

 今朝の一件でも思ったけれど、わたしたちはぶっちゃけ、そこを忘れつつあった。

 忍しのぶと寝ねるのが日常になりすぎて、それがどんどん当たり前になって、わたしたちの感覚はズレ始めていた。

 さらに言えば──周りの友達が協力的なこともある。

 花か音のんは最初動どう揺ようしていたものの、今となってはわたしたちが寝ねるのを応おう援えんしてくれているし、忍しのぶの親友、小こ峰みねくんも、花か音のんと一いつ緒しよになって後押ししてくれているっぽい感じだ。

 けれど……その反応がむしろ特とく殊しゆ。

 本来は、もっと必死で隠かくすべきことだし、後ろめたくも思った方がいいはずなんだ……。

「……ふう」

 一度息を吐はいて、わたしはベッドの上で身をよじる。

 明日、念のため忍しのぶと話をしよう。

 ここでもう一度気を引ひき締しめて、緊きん張ちよう感を取とり戻もどすようにしよう。

 そうしないと、きっといつかどこかでこの関係が誰だれかにバレちゃう……。

 そうなれば……わたしたちはもう添そい寝ねできなくなるわけで。

 きっと、忍しのぶのそばにいる理由もなくなっちゃうわけで……。

 そうなったら、わたしたちって……どうなるんだろう。

 また疎そ遠えんになっちゃうんだろうか。添そい寝ねをする前みたいな、距きよ離りのある関係になっちゃうんだろうか……。

 ……それは、

「……やだなあ……」

 小さくそんな声が漏もれて、わたしは自分で驚おどろいた。

 でも……うん、考え直してみても、やっぱりそうだ。

 わたしはもう一度、忍しのぶと疎そ遠えんになんてなりたくない。せっかくもう一度仲良くなれた、この関係を大事にしたい──。

 ……それにしても。

「……んん」

 何度か寝ね返がえりを打って、わたしは小さく声を上げた。

 ダメだ、今日、なんかほんとドキドキする……。

 添そい寝ねし始めてからはそんなことほとんどなかったけど……今夜はなかなか寝ね付つけないかもしれないな……。