第四章 翔太の変態トロフィー



りゆうろう、どういうことか説明してもらおうじゃねえか……」

 考えられうる最悪のタイミングだった。よりにもよって、俺とすずちゃんが口づけを交わそうとしたその直前に、しようは姿を現した。翔太はじっと俺をにらんだまま微動だにしない。

 あ、これ完全に怒ってますわ……。

 話が違うじゃねえか親友よっ!!

 俺は一週間睡眠時間を削って、お前の性癖を書き換えてやったはずだぜ?

 なのに、なんでお前は変態トロフィー『妹を束縛して喜ぶ』を心に宿しているんだよっ!?

 このキレっぷりだ。それはもう頑丈な頑丈な鋼鉄製の変態トロフィーに違いない。

 誰にもらったんだ? そんな立派なトロフィー。

「聞こえなかったか? 竜太郎。なんでお前が鈴音と一緒にいるんだ。なんで、お前が鈴音の肩をつかんでいる。なんで、今にもキスしそうなほどに顔を近づけてるんだよ」

 と、そこで翔太はじわじわと俺との距離を詰めるように、こちらへと歩み寄ってくる。

 翔太の口角はわずかに上がっていた。が、その不敵な笑みが決して好意的なものじゃないってことぐらい、鈍感な俺にだってわかる。

 せめて鈴音ちゃんが矢面に立たされないように、彼女を背中に隠してから翔太に体を向けた。

 そんな俺の態度がさらに翔太のかんさわったのか、翔太は一気に俺との距離を詰める。

 翔太の顔を見つめながら俺はふと思う。

 ってか、何で俺、こいつにキレられてるんだ?

 こいつはただ鈴音ちゃんの兄というだけで、恋人でもなんでもない。そんな翔太が俺と鈴音ちゃんが二人きりでいたとして、いったい何に文句をつける筋合いがあるんだよ。

 あぁ……そう考えると、無性に腹が立ってきたわっ。

 睨みを利かせて俺を威嚇してくる翔太。

 が、ここでるのはさすがにダサい。

 俺は俺でそんな翔太を睨み返してやった。すると翔太はそんな俺が意外だったのか、わずかに動揺するように目を見開いた。

「何を勘違いしているか知らないけど、俺と鈴音ちゃんはお前が思っているような関係じゃないぞ」

「ほう……じゃあ、どういう関係なんだよ」

 ああ? 聞きたいか?

 なら言ってやるよ…………いや、無理だわ。

 俺と鈴音ちゃんはよりエロい小説を書くために、お互いの性癖を暴露し合い、時にはスプーンを口の中に突っ込まれたり、ひもあめをだ液まみれにして遊んだりする関係です……なんて、こいつに絶対言えねえ……。

「と、とにかくお前が思っているような関係じゃない」

 思っているよりも俺たちはもっとヤバい関係だ。たぶん、お前、鈴音ちゃんのあんな姿見たら泣くぞ?

 はっきりと答えない俺に翔太は「ふんっ!!」と鼻で笑う。

「付き合う直前の、一番楽しい時間を過ごしてますとでも言いたげだな」

 全然違います。鈴音ちゃんはそんなピュアな距離感を楽しむような情緒からは卒業しています。

 あ、あれ、なんか俺、鈴音ちゃんの悪口言ってねえか……。

 ま、まあとにかくだ。

「仮にそうだったとして、兄のお前が俺に対して何の文句を言う権限がある」

「悪いことは言わない。鈴音から手を引け」

「だから、なんで兄貴であるお前に、んなこと言われなきゃなんない」

 と、俺たちの言い合いは徐々にヒートアップしていく。と、そこで背中の鈴音ちゃんは俺のシャツをギュッと掴む。

 あ、あぁ……なんか悪くない感触……。

 そりゃ怖いよな。わかるよ、鈴音ちゃん。自分よりも頭一つ大きい男が大声で言い合いをしているんだ。いくら鈴音ちゃんだって怖いよな。

らちが明かないな。だったら教えてやるよ。鈴音にはな、俺が必要なんだよっ!!

 と、声高々に豪語する翔太。

 うわぁ……。

 なんだろう……さっきからこいつの言葉はなんかクサいんだよ。

 なんか自分に酔っているというか……。今の言葉を録音して十年後のこいつに聞かせてやりたいぐらいだわ。

 だが、自分に酔いきった翔太の言葉はそれで終わらない。

「鈴音はな、まだ世間を知らないんだよ。それでいて絶世の美少女だ。鈴音が健全に学園生活が送れるように、お前みたいな変な虫が付かないように、俺には妹を保護する義務がある」

 唐突に義務を振りかざす翔太。

 そこで鈴音ちゃんは俺の背中からひょっこり顔を出した。

「お、お兄ちゃん、その絶世の美少女ってのは、恥ずかしいからやめて……」

 そんな鈴音ちゃんに翔太は、少し面食らったようにろうばいする。

「と、とにかくだ。鈴音はまだ高校一年生なんだ。俺は兄として鈴音を守らなくちゃなんない」

 翔太は微妙に軌道修正してそう豪語した。

 よくもまあ、自分の性癖をここまでげて正論を振りかざせるもんだ。

 が、翔太の言葉には一理あるのも確かだ。一応、翔太の言葉は筋が通っているように聞こえなくもない。だけど、ここで俺が折れてしまったら、翔太はさらに調子に乗って鈴音ちゃんを束縛するに違いない。

「そうなのか。けど、お前のお母さんはまんざらでもない様子だったぞ」

 と、答えると翔太は「お、お前、まさかもうママ……じゃなくてお袋に挨拶も済ませてんのかっ!?」と目を向いた。

 ま、ママっ!? え? 翔太ちゃん、もしかしてお母さんのことママって……。

 だ、ダメだ。すさまじい破壊力の言い間違いに、とんでもないカウンターパンチを食らった気分だ。

 そして、その言い間違いは翔太の怒りを加速させる。どうやらその羞恥心が、結果的に彼の怒りに油を注ぐ形になったらしい。

 おいおい、今の、俺は何も悪くねえだろっ!!

 が、こうなってしまったら翔太も引っ込みがつかない。彼はさらに俺に詰め寄る。

「とにかくっ!! 俺は、お前みたいに鈴音に言い寄ってくるような悪い虫を駆除しなきゃなんないんだよっ」

 と、血管が切れちまいそうなほどに顔を真っ赤にして叫ぶ。

 事態はあまり良くない方向に向かっていた。翔太のあまりに自分本位な言葉に腹が立って、鈴音母の名前を出して挑発したが、ここでこいつを怒らせて、殴り合いになんてなろうものなら、貧弱な俺ではこいつには勝てない。

 それに暴力沙汰になんてなったら、下手したら退学だぞ?

 それは鈴音ちゃんの望む結末ではないことはわかる。確かに鈴音ちゃんは翔太の常軌を逸した言動にへきえきしているが、それでも翔太は彼女のたった一人の兄貴なのだ。

 その兄貴が暴力沙汰で退学なんて彼女は絶対に望まない。かと言って、このまま翔太を野放しにするわけにもいかないのだ。

 が、こいつの怒りは頂点に近づいている。下手に刺激したら本気で殴り掛かってきかねない。

 翔太の心の中に『妹を束縛して喜ぶ』と書かれた変態トロフィーがある限り、鈴音ちゃんは幸せになれない。だとしたら、何が何でもこいつを打ち負かさなきゃ俺たちは前に進めない。

「俺たちがお前の思っているような関係じゃないって言ったのが聞こえなかったのか?」

「そういや、そんなこと言ってたな。まあ、明確な返答はまだ貰えてないようだけどな」

「俺は鈴音ちゃんからある相談を受けていたんだよ」

「相談? なんでお前みたいな男に鈴音が相談なんかしなきゃなんない」

 正直なところ迷っていた。これを口にしてしまったら、翔太が理性を失って暴れまわってもおかしくなかったからだ。だけど、こいつの鋼鉄の変態トロフィーを打ち砕くには、リスクを取る覚悟が必要だった。

「俺じゃなきゃダメなんだよ。俺はお前の親友だからな」

 翔太は少し驚いたように目を見開いた。きっとそれはこの期に及んで俺が翔太を親友呼ばわりしたからだと思う。が、翔太はすぐに再び俺を睨む。

「優しい鈴音ちゃんはな……ずっと、お前のことを心配していたんだよ」

「鈴音が俺を心配? 言っておくがはったりは利かねえぞ」

 こいつどこまで自分に自信があるんだよ……。

「はったりじゃねえよ。鈴音ちゃんはずっと心配していたんだ。お前のことをな」

「ほう……はったりじゃないなら言ってみろよ。鈴音が俺の何を心配するんだ?」

 もう引き返せない。

 俺は一度深呼吸をした。そして、翔太を睨みつけると言葉を大にして叫ぶ。

「てめえが妹モノの官能小説に夢中になってることをだよっ!!

 俺の叫び声は住宅街へと響き渡った。

「鈴音ちゃんはずっと心配してたんだ。お前がよりにもよって実の妹ときんしんそうかんする官能小説に夢中になっていることを心配して、変な道に進まないかって俺に相談してきたんだ」

 言っちまった……ついに俺は言ってしまった。

 その言葉はあたりに響きわたり、やがてあたりを沈黙が襲う。その言葉に翔太はしばらく何も答えなかった。翔太は目を丸くしたままじっと俺を見つめて身動きが取れないでいた。

 が、身動きの取れない翔太のほおがみるみる赤くなっていくのが分かった。

「ぬおおおおおおおおおおおおっ!!

 直後、今度はそんな雄たけびとも悲鳴ともつかない叫び声が住宅街に響き渡った。

「なんでだ。なんで鈴音がそんなことを知ってるんだ。おかしい。俺は鈴音には絶対にバレないようにしてたはずだ。それなのに、それなのに、なんでそんなことを……」

 と、翔太は叫び声を上げたかと思うと、今度はそんなことをぶつぶつとつぶやき始める。

 や、やばい……翔太が壊れ始めている気がする……。

 翔太の顔を見ていると、鋼鉄の変態トロフィーからピキピキとひびの入る音が聞こえてきそうだった。

 効いたってことだよな。俺の一撃は翔太に効いたってことだよな。だとしたら、追い打ちを掛けなきゃなんない。

「翔太、お前がソファで寝落ちしたときに偶然、鈴音ちゃんが見つけちまったそうだ。それから鈴音ちゃんは、お前のことが心配で心配で仕方がないんだよ。それに官能小説を読むようになってから、お前の態度が高圧的になったことも鈴音ちゃんは心配してたんだ。だからお前の親友である俺に鈴音ちゃんは相談した。た、確かにさっきは少し鈴音ちゃんとそういう空気になったことは認める。だけど、お前への心配と比べたら、そんなこと大した問題じゃない」

 翔太は膝から崩れ落ちた。そして頭を抱えながらその場にうずくまる。

 ああ、やっちまったよ。仕方がなかったとはいえ、心が痛む。

 俺は蹲る翔太を見つめた。彼は体を小刻みに震わせていた。

「せ、先輩……」

 と、そこで心配そうに鈴音ちゃんが、俺の背中から体を出す。

 そりゃそうだ。実の兄がこんなことになっているのだ。優しい鈴音ちゃんは何よりも兄の心配をする。彼女は翔太の目の前にしゃがみ込むと、心配げに翔太を見つめた。

 きっとここは俺の出る幕ではないのだ。

 それに翔太のプライドと変態トロフィーはもう何もしなくても勝手に崩れ落ちる。

 だから俺はそれを静かに見つめることにした。

「お、お兄ちゃん……」

 鈴音ちゃんは兄を呼んだ。もちろん兄は答えない。そりゃそうだ。今、翔太はその羞恥心ゆえに鈴音ちゃんの顔すらまともに見られないはずだ。

 それでも鈴音ちゃんは「お、お兄ちゃん……」と、翔太を呼ぶ。

 が、やっぱり翔太は返事をしない。

 だけど、翔太の体の震えは徐々に落ち着いていくのがわかった。そして、翔太はようやく、顔を上げると俺の顔を見上げる。

 そして、

「お、お前だって、一度や二度、妹モノの動画や漫画……読んだことあるだろ?」

 そう言って、翔太はニヤリと笑った。

 そんな翔太に俺はがくぜんとする。

 ひ、必殺技……論点のすり替え……。

「なあ、竜太郎。お前だって妹を持つ者としてわかるだろ? 妹なんかに欲情なんてするはずがない。それなのに何かの気の迷いで妹モノに手を付けちまうことなんて誰にだってあるよな? 竜太郎、そんなことないなんて言わせないぞ」

 そう言って翔太は「がははははっ!!」と高笑いを上げた。そんな翔太の姿に俺は身震いする。

 い、言い返せない……。

 確かに翔太の言葉は正論だった。

 お、俺だって妹モノのエロ漫画を読んだことも動画を見たこともある……。

 だ、ダメだ。言い返せない。何も言い返せない。あと一歩だったのに、俺は土俵際で見事にひっくり返されてしまった。

「そ、それは……」

「だから、お前と鈴音の心配はゆうだ。俺はあくまで鈴音を保護者として心配しているんだ。変な心配をかけたことは謝るよ。だが、金輪際、鈴音の心配は無用だ。俺は鈴音に欲情なんてしない。するはずがないっ!!

 完全に理論武装した翔太にもはや怖いものなど何もなかった。

 それがべんだってわかっていても、俺は翔太のその変態理論武装を打ち砕く術を持ち合わせていない。

「まあ、今日のところはお前たちに心配をかけたことに免じて、キスをしようとしたことは許してやろう。それに俺とお前は親友だからな。俺は親友には寛大なんだ。だがな竜太郎、次はないぞ。次、鈴音に変な真似まねをしてみろ。俺はお前の首をへし折ってやるからな」

…………

 翔太は自らの勝利を完全に確信していた。

 まずい……このままだと鈴音ちゃんは今まで以上に翔太に束縛されることになる。そんなの鈴音ちゃんが求めていることじゃない。

 だけど、だけど、それを止める術は俺には……。

 翔太は勝利に酔いしれるようにゲラゲラと笑った。そして、立ち上がろうと膝を立てようとしたとき、

「ほ、本当は欲情してるくせに……。この変態お兄ちゃん……」

 鈴音ちゃんがそう呟いた。

「す、鈴音ちゃん?」

「せ、先輩……ここからは私に任せてください」

 彼女はそう言って優しく微笑ほほえむと、目の前で立ち上がろうとする兄の頭を踏みつけた。

「ちょっとお痛が過ぎるんじゃないかな……」

 鈴音ちゃんは翔太の頭を踏んづけながら軽蔑のまなしを向けてそう呟いた……。

 スカートが風でひらひらとなびいている。

 そんな鈴音ちゃんの姿は、フリーキックを蹴る前のエースストライカーと見間違うほどしい。

 え? これどういう状況? なんでこんなことになってるのか一ミリも理解できないんだけど……。

「す、鈴音……どういうことだよ?」

 どうやら状況が理解できないのは翔太も同じなようだ。

「そ、その前にお礼を言うのが先じゃないかな?」

「お礼? なんのことかさっぱりだな?」

「へ、変態のお兄ちゃんを踏みつけてくれてありがとうございますって、先にお礼を言うのが先じゃないかな?」

 そう言うと鈴音ちゃんはタバコの火でも消すように、翔太の頬を踏んづける足をぐりぐりさせて、もう片方の頬を地面に擦り付けていた。

 俺はそこでようやく二つの事実を理解した。一つ目は鈴音ちゃんが怒っているということ。

 彼女の声のトーンは俺と話す時とは比べ物にならないぐらいに低く、その目はまるで汚物でも見るようだ。

 そして、二つ目の事実。そんな彼女の姿がわずかに俺の性癖をかすめていること。

 大部分の哀れみの感情とともに、わずかに羨ましさを感じて翔太を見やる。

 翔太の顔は真っ赤に染まっていた。その表情は怒りと動揺が混じり合っており、そのゆがみ切った表情に寒気すら覚える。

「鈴音、悪い冗談なら今すぐに止めろ。早く止めないといくら妹でも容赦しないぞ?」

「ほ、本当はうれしい癖に……もっと素直になりなよ。本当は嬉しいんでしょ? 私に踏まれて」

「鈴音、てめえっ!!

 さすがに妹ラブの翔太といえど、これには堪忍袋の緒が切れたようだった。翔太は地面に手をつくと力づくで、足の乗った頭を持ち上げようとした。

 そんな姿を見てさすがに俺も鈴音ちゃんが心配になる。いくら立っている鈴音ちゃんのほうが体勢的に優位だとはいっても相手は男だ。翔太が本気を出せば鈴音ちゃんの足を払いのけることなんて造作ない。

 それに今の翔太なら本気で鈴音ちゃんに手を上げたってなにも不思議じゃない。

 だから、俺は彼女を守るために駆け寄ろうとした。

 が、

「四月二一日」

 鈴音ちゃんは相変わらず軽蔑した目で、不意に数日前の日付を口にした。

「は、はあ?」

 と、俺の代わりに翔太がそんな声を上げる。俺も翔太もあまりにも脈略のないその言葉に目を丸くした。

 当の鈴音ちゃんは相変わらず軽蔑の目で翔太を見下したまま、再び「四月二一日」と口にするだけだ。

「先生、全編改稿お疲れ様です。先生のせいで僕の性癖が大変なことになっています。妹をイジメたかったはずなのに、妹にイジメられたくなった僕。先生、どう責任をとってくれますか? わらわら……」

 とまるで呪文を詠唱するように淡々とそんなことを言う鈴音ちゃん。

 が、そこで不意に鈴音ちゃんの唱えた呪文に聞き覚えがあることに気がついた。

 ちょっと待てこれって……あっ!!

「これ、お兄ちゃんが書いた感想だよね?」

 と、これまでの控えめな言葉遣いがうそのように、すらすらと口にする鈴音ちゃん。

 そうだ。間違いない。それは俺の小説『親友の妹をNTR』に書き込まれた感想だ。こまめに感想をくれる読者だったからよく覚えている。

 確かハンドルネームは『sho_littlesister_moe』さんの感想だ。

 ちょっと待て『sho_littlesister_moe』……翔リトルシスターえっ!?

 嘘だろ……嘘だと言ってくれっ!!

 鈴音ちゃんがそう尋ねた瞬間、それまで必死に頭を持ち上げようとしていた翔太の動きがピタッと止まった。

 さながら石化の魔法を見せられているようだった。

 石化の魔法をかけられた翔太と、その事実のあまりの衝撃に巻き添えで石化する俺。

 翔太の顔は本当に石にでもなったかのように、一瞬で血の気が引いて真っ白になったと思うと、直後真っ赤に染まった。

 ああ……これは自殺モノに恥ずかしいやつだわ……。

 だが、俺はそんな翔太に唯一言ってあげられる言葉がある。

 翔太よ……いつもご愛読ありがとうございます。

「お、お兄ちゃん……妹で欲情しないって本当?」

 と、鈴音ちゃんは冷めた声で翔太に尋ねた。その言葉に翔太は露骨に狼狽したように体を震わせる。が、翔太はそれでも往生際が悪くひきつった笑みを無理に浮かべた。

「お、お前……さっき俺の言った言葉を覚えてないのか? 妹を持つ男だって時には妹モノの作品に触れることぐらい……あ、あるんだよ……。それなのに、お前はそれだけで俺が妹に欲情するとか言っているのか?」

 と、あくまで変態理論武装を盾にかたくなに鈴音ちゃんへの欲情を認めない翔太。

 が、俺にはわかる。翔太が『sho_littlesister_moe』の正体であることを知った俺にはわかる。

 翔太……お前は墓穴を掘った。

 そして、鈴音ちゃんもまたその言葉を待ってたと言わんばかりに、わずかに口角を上げた。

「三月二日」

 そう鈴音ちゃんが口にした瞬間、翔太のひきつった笑みが真顔に戻る。

「す、鈴音……止めろっ!!

 と、懇願する翔太だがもう遅い。

「こののん先生、更新お疲れ様です。先生、事件です。先生の小説のせいでついに僕は妹のことを考えながら……ここからは言えません。更新待ってます……ハートマーク」

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! 止めてくれえええええええええええっ!!

 翔太の断末魔のような叫びが住宅街に響き渡った。

 そんな翔太にトドメの一撃を食らわせるように鈴音ちゃんは口を開く。

「お兄ちゃん。お兄ちゃんは私のことを考えながら何してたの?」

 ダメだ鈴音ちゃん。完全にオーバーキルだぞっ!! これ以上は単なる死体蹴りだ。

 まるで抜け殻だった。翔太は焦点の定まらない瞳をきょろきょろさせながら口をパクパクさせている。

 かろうじて口にした言葉。

「す、鈴音……止めて……ください……」

「もしかして私のこと、おかずにしてたの? お兄ちゃんってホント変態だね……」

 が、鈴音ちゃんは止めない。

 これは本当に鈴音ちゃんなのか?

 いやもちろん俺だって彼女から冷めきった目線を向けていただいたことはある。

 だけど、俺に向けられたどんな軽蔑の瞳よりも、今、翔太に向けられている目線は怒りに満ちていた。

 まるで何かにとりかれたように……。

 いや待て。この瞳に覚えがある……。

 これは全編改稿したあとのハルカちゃんだ。彼女の心には俺の生み出したハルカちゃんの魂がひようしているようだった。

 そして、俺は気がついた。

 翔太の心の中にある鋼鉄の変態トロフィー。きっとそこに書かれている文字が書き変わったに違いないと。

『妹にイジメられて喜ぶ』

 いつの間に……。

 俺は愕然とする。それまで俺は翔太に一種の哀れみを覚えていた。だが、違うのだ。その一生モノの屈辱でしかないその光景は屈辱でもなんでもない。そして、鈴音ちゃんは翔太を苦しめているわけでもない。

 鈴音ちゃんは大好きな兄のためにご褒美をあげているのだ。

 つまり今、鈴音ちゃんの行動は誰一人として傷つけていない。

 な、なんて平和な光景なんだ……。

 だから鈴音ちゃんは口撃を止めない。

 大好きなお兄ちゃんのためにも口撃を止めない。

「お兄ちゃん、血のつながった兄妹は恋愛しちゃいけないって知ってる?

 お兄ちゃんが私にどんな感情を持ってるか知らないけど、私はお兄ちゃんとえっちなことできないよ。だって私とお兄ちゃんは兄妹だから。

 お兄ちゃんは私に欲情してるみたいだけど、私がお兄ちゃんに欲情することは絶対にないよ。そんなこと考えたら寒気がして、気持ち悪いとしか思わないよ。

 だけど、お兄ちゃんは私に欲情しちゃうんだよね?

 お兄ちゃん、もう一回聞くよ?

 私に踏まれてどんな気持ち?

 恥ずかしい?

 お友達の前で性癖まで暴露されて、こんな風に踏みつけられて、普通は恥ずかしいよね?

 なのに今のお兄ちゃん、少しだけ嬉しそうな顔してるよ?

 でも、お兄ちゃんは悪くないよね?

 お兄ちゃんはこののん先生の作品で性癖を捻じ曲げられちゃったんだよね?

 悪いのはこののん先生だよね?

 だから私決めたの。気持ち悪いし寒気もするけど、お兄ちゃんが私に欲情するの許してあげる。

 お兄ちゃんのこと嫌いになったりしないよ。頭の中で私にどんなえっちなことをしても許してあげる。

 お兄ちゃん、本当は私の靴にキスしたいんでしょ?

 本当は顔だって上げたいよね?

 だって今顔を上げれば私のスカートの中見えるもんね?

 妹に踏まれながらスカートの中のぞくなんて、こののん先生の小説みたいだね?

 いいよ一回だけなら。

 今まで私のことを大切にしてくれたお兄ちゃんにご褒美をあげないとね?

 ほら、早く顔……上げないの?

 私、怒らないよ?

 変態さんだなって思うし軽蔑もするけど、怒ったりしないよ。

 それとも本当は怒ってほしいのかな?

 私の言葉が信じられない?

 でも考えて? 今までだって私、お兄ちゃんのこと許してあげてたよね?

 お兄ちゃんが私の部屋を物色しても、私の下着が突然なくなっても、私、一度もお兄ちゃんに怒ったりなんてしなかったよね?

 全部私は知ってたけど、それでも私は黙っててあげてたよ。

 だから今回も許してあげる。私の足元でブタさんみたいにブヒブヒしても許してあげる。

 頭の中はお兄ちゃんの自由だもんね。それを記憶に焼き付けて自分の部屋で何をしても私は怒らないよ」

 そこまで言って、鈴音ちゃんは優しく翔太の頭から足を下ろした。

 翔太の顔の前でしゃがみ込むと、いつものような優しい笑みを浮かべて翔太の頭をで始めた。

「お、お兄ちゃん……何か言いたいことはある?」

 ようやくいつも通りに戻った鈴音ちゃんは尋ねる。

 翔太はというと……。

「鈴音……こんな変態なお兄ちゃんを許しておくれ……」

 そう弱々しく呟いてご臨終なさった。

 その表情はどこまでも安らかで、憑きものが落ちたような顔をしていた。

「私、お兄ちゃんが変態さんでも大好きだよ……」

 そこには兄の魂から悪霊をはらい満足する変態陰陽師の姿があった。

 鈴音ちゃんは優しく兄のなきがらを眺めてからこちらを振り向く。

「先輩……ありがとうございました。お兄ちゃんを助けることができたのは先輩の小説のおかげです……」

「い、いや、どう考えても鈴音ちゃんのおかげだろ」

「そんなことないです。先輩が頑張ってくれなければ、お兄ちゃんはまだ私を束縛しようとしていたはずです。なので、私は最後に一押ししただけです」

 一押しどころの騒ぎではなかったような気もするけどな……。

 ま、まあ、とりあえずこれで鈴音ちゃんが翔太からしつように束縛されることはなくなったようだ。

 鈴音ちゃんは立ち上がった。そして、俺のもとへと歩み寄ってこようとした……その時だった。

「あら? 鈴音ちゃん? それに翔太ちゃんも……」

 と、そんな声がするので俺と鈴音ちゃんは同時に声のする方向へと顔を向けた。

 そこに立っていたのは買い物袋を手に下げた鈴音母の姿だった。

 突然現れた鈴音母は、鈴音ちゃんと翔太を交互に見やり首をかしげていた。

 まあそうだろうな。どういう状況だよこれ……。

 が、鈴音母は「ま、いっか……」とその尋常じゃない娘息子の光景を一言で片づけると、次に俺の顔を見やった。

 そして、

「あ、いたいたっ!! こののんく~んっ!!

 と、なぜだか嬉しそうに俺の顔を見やるとこちらへと駆けてくる。

 あと、どうでもいいけどすごい揺れてる……何がとかは言わないけど……。

 豊満な胸を揺らしながらこちらへと駆けてくる鈴音母の姿がわずかに性癖に刺さりながらも、そんな彼女を眺める。

 が、彼女は俺の目の前までたどり着く直前「きゃっ!?」と悲鳴を上げて体のバランスを崩した。

 どうやら翔太の死体に足をひっかけたらしい。彼女はスーパーの袋を放り投げると俺めがけてダイブしてくる。

 突然のダイブに彼女を受け止めきれなかった俺は、そのまま鈴音母もろとも後ろに倒れ込んだ。

 直後、襲う後頭部の激痛とそれをやすように顔面を覆う柔らかい感触。

 飴とむちってこういうことを言うのか? そんなことを考えながら倒れていると、不意に視界が開けた。

「ご、ごめんねっ!! こののんくん……大丈夫?」

 と、いつの間にか俺に馬乗りになっていた鈴音母は心配そうに俺を見つめていた。

 いやいや、俺の心配よりも自分が息子の死体を蹴ったことの心配したらどうですか?

 そう思いつつ、翔太を見やったが、翔太は相変わらず安らかな顔で眠っていたので、心配するのを止めた。

 あと、どうでもいいがなんだこの光景……。

 俺は住宅の中心に広がるカオスな光景に息を飲む。

 倒れる俺とそこに馬乗りになる鈴音母、さらにはそのすぐかたわらではその息子の死体が転がっており、妹がその頭を撫でている。

 ああやばい……情報量多すぎだわ……。

「こののんくん、どこか痛いところはない?」

 と、相変わらず息子の死体を放置したまま俺の心配をする鈴音母に「な、なんとか大丈夫です」と答えると彼女はホッと胸を撫で下ろした。

 あと、鈴音母よ。俺をペンネームで呼ぶのはやめていただけませんか?

 一人、俺がこののんだと知らない死体が転がっているので……。

 ま、まあ、死んでるから大丈夫だと思うけど……。

 が、鈴音母はそんなことなど知ったことではないらしい。俺に馬乗りになったまま、笑みを浮かべると俺に顔を近づける。

「こののんくん、ランキング一位おめでとうっ!!

 と、鈴音母は自分が俺に馬乗りになったままだということも忘れて、ランキング一位を祝福しながら腰をくねらせる。

 あ、やばいやばい……刺激が強い……。

「やっぱり全編改稿したのが読者にウケたのね」

「お、おかげさまで……」

「だけどねこののんくん、油断はしちゃだめよ。投稿サイトのランキングは一位になってからが勝負なの。ここからは質のいい話を継続的に投稿しないと、すぐにライバルに追い抜かれちゃうからね」

 と、妙に的確なアドバイスをしてくれる鈴音母。

 このお姉さん……。たぶんだけど、俺の作品以外も読んでるな……。

 その事実がさらに俺の性癖を掠める……。

 と、そこで鈴音母はようやく俺に馬乗りになったままなことに気がついたのか「あらやだっ」と少し恥ずかしそうに口を手で覆うと、俺から立ち上がろうとした。が、すぐにバランスを崩して、またドスンと俺の下腹部に尻餅をついた。

 その不意打ちのような下腹部への衝撃による痛さと気持ちよさにもんぜつしそうな俺。

 が、彼女は俺の太腿に手をついてなんとか立ち上がると、そこでようやく我が息子の亡骸に目を向けた。

「鈴音ちゃん、翔太ちゃんはどうして、そんなところで眠ってるの?」

 と、自分も一部加害者であることにも気づかずに鈴音ちゃんにそう尋ねる母。そんな母親に鈴音ちゃんは顔を上げて微笑んだ。

「今ね、かわいそうなお兄ちゃんのこと……なでなでしてあげてるよ」

 全く説明になっていない説明をする鈴音ちゃん。が、鈴音母にはそれだけの情報で十分だったようだ。

 鈴音母は目をキラキラさせると「お兄ちゃんの頭をなでなでなんて、なんて優しい妹なのかしら? こんな優しい女の子誰が産んだの? は~い、私っ!!」と言って鈴音ちゃんのそばにしゃがみ込むと彼女をぎゅっと抱きしめた。

 鈴音ちゃんの頬に自分の頬をすりすりする鈴音母。そんな母に鈴音ちゃんは少し恥ずかしそうに「ま、ママ……くすぐったいってば……」と頬を赤らめる。

 なんだこの光景は……よくわからんけどすごくいい……。

 唐突な百合ゆり展開に心の中で『ハグ助かります』と呟きながら眺める。

 しばらく鈴音母は鈴音ちゃんをぎゅっと抱きしめたところで、不意に彼女から体を離すと今度は息子へと視線を落とした。

「翔太ちゃんっ」

「ひぃ…………

 ママからの呼びかけに翔太は鼻から抜けるような情けない声で返事をする。

 どうやらかろうじて生きているようだ。

「翔太ちゃん、今日は鈴音ちゃんにいっぱい遊んでもらったのかしら?」

「ひぃ…………

「翔太ちゃんは本当に優しい妹に恵まれたわね。そんな妹のこと泣かせちゃだめよ?」

「ひぃ…………

 果たして本当に意思疎通ができてるのだろうか……。

 まあ、どうでもいいけど。

 とりあえず翔太の後始末は鈴音母に任せておけば大丈夫そうだ。

 鈴音ちゃんへと視線を向けると彼女もそのことを察したらしく、立ち上がって俺のもとへと駆け寄ってきた。

「ママ、お兄ちゃんの回収お願いしてもいい?」

「本当に翔太ちゃんはいくつになっても手のかかる子どもね。でも、そんなところが翔太ちゃんの可愛いところだもんね~」

「ひぃ…………

 あ、翔太ちゃん、すげえ嬉しそうな顔してる。

 ということで俺と鈴音ちゃんはその場をあとにすることにした。

「翔太のことよろしくお願いします」

 と鈴音母に頭を下げると、彼女は「はいは~いっ!!」と俺に手を振った。

 可愛い。

「先輩、行きましょ?」

 と、俺を見上げる鈴音ちゃんに「そうだな」と答えて俺たちは歩き出す。

 だが、少し歩いたところで背後から「あ、そうだそうだ」と鈴音母の声が聞こえてきたので足を止めた。

「こののんくん」

「はい、なんでしょう」

「こののんくんはこれからどうするの?」

 なんすか、そのざっくりとしすぎた質問は……。

「なにって、これからも生きていきますが」

「小説の話よ。こののんくんはプロの小説家を目指しているの?」

 あ、なるほど小説の話ね。

「まあプロになれればいいなとは思っています。なれるかどうかは別として」

 もちろんプロの小説家になれれば、それほど名誉なことはない。本になればそれだけ多くの人に小説を読んでもらえるし、いやらしい話だけどお金だって貰える。

 だけど、いくらランキング一位を取ったからって、すぐにプロになれるかと言われれば、そう簡単ではないのも事実だ。

「あら、そうなのね。それじゃあ、きっと何日かすればきっとこののんくんにとって良いことが起きるわよ」

「はい? どういうことですか?」

「クスクス……それはヒミツっ!!

 と、鈴音母は可愛らしく人差し指を口に当てた。

 鈴音母が何の話をしているのか全く理解ができなかったが、これ以上追求しても答えてもらえないだろうから諦めることにした。

「じゃあ俺たちは行きますね」

 と再び頭を下げると鈴音母は「今度はゆきちゃんもつれてにうちに遊びにおいで」と手を振って見送ってくれた。

 ということで今度こそ鈴音母と翔太のもとを後にした俺たちだったが、住宅街を少し歩きいよいよ二人が見えなくなったところで俺は足を止めた。

 そんな俺に鈴音ちゃんが可愛らしく首を傾げる。

「ど、どうしたんですか?」

「鈴音ちゃん……そろそろいただけないでしょうか?」

 俺が欲しいもの……それはなでなでである。

 翔太とひと悶着あったせいで忘れられているかもしれないが、俺はずっとこのときを待っていたのだ。

 俺の問いに鈴音ちゃんは言葉の意味を理解したようで、わずかに頬を染めた。

 可愛い。

 さっき実の兄を言葉責めで半殺しにしたとは思えない可愛さである。

「じゃ、じゃあ先輩……頭を出してください」

「はいよろこんで」

 と、答えると俺は素直に鈴音ちゃんにつむじを見せた。

 いよいよである。

 このために俺はこれまで頑張ってきたのだ。そして、その努力は今こそ報われる。

 だが、そんな俺が感じたのは鈴音ちゃんの手の感触……ではなかった。

「んんっ……」

 突然、視界いっぱいに鈴音ちゃんの顔が現れた。こんなにも間近で眺めても変わらない完璧な彼女の可愛さに驚かされた俺だったが、それ以上に驚いたのは唇に触れた柔らかい感触。

 鈴音ちゃんは瞳を閉じたまま、自分の唇を俺のそれに押し当てていた。俺はその突然の出来事に反射的に身を引きそうになった。

 が、いつの間にか俺の首に腕を回していた鈴音ちゃんはそれを許してくれない。彼女はぎゅっと腕に力を入れると一瞬離れそうになった唇を再び押し当てた。

 なんて幸せな感触。

 俺はいつまでもこの感触を味わっていたかった。が、鈴音ちゃんはゆっくりと唇を俺から離すと、恥ずかしくなったのか頬を朱色に染めたまま、俺から顔を背けた。

「た、たまにはこういうご褒美はどうですか?」

 そう尋ねた。

 その言葉に俺も恥ずかしくなって、顔を背ける。

 なんでだろう。俺と鈴音ちゃんはこれまで何度も他人には言えないような、恥ずかしいことを繰り返してきた。

 それなのに……それなのに、極々普通のカップルが交わす当たり前の行為に、今まで感じたことのないような胸騒ぎがした。

 そんな不思議な気持ちになりながら俺は小さく呟いた。

「大変よろしゅうございました……」

「こ、これからも先輩の小説のお役に立てるよう……がんばります……」

 そう言って彼女は優しく微笑んだ。

 その日の夜。俺の書く小説『親友の妹をNTR』に感想が書かれた。書いたのは俺の作品によく感想をくれる『sho_littlesister_moe』さんだった。

 最新話の感想欄に一言『もっと……もっと激しくお兄ちゃんをイジメるシーンが読みたいです』と書かれていた。

 俺はその感想をしばらく眺めて……ノートパソコンをそっ閉じした。