第三章 もう俺には普通のデートがなんなのかわからない



 すずちゃんの話した作戦とは、簡単に言うと小説を改稿することだった。

 いや、ホント簡単に言ってくれたわ……。

 ホントに終わるのかこれ……。

 俺がこれまで執筆してきたものを短期間で全て書き換えるというのが、鈴音ちゃんの提案した作戦である。

 では具体的にどのように改稿するのか。

 それは作品のヒロインであるハルカちゃんと兄の性癖を逆転させる。

 そもそもしようは俺の小説のせいであんな風になってしまったのだ。俺の小説内でハルカの兄がドSぶりを発揮したせいで、翔太自身も鈴音ちゃんを束縛するようになった。

 ということは逆にハルカの兄をドMにしてやれば、理論上は翔太もドMになり鈴音ちゃんを束縛したりすることはなくなるはずだ。

 それが鈴音ちゃんの作戦だった。

 正直なところ、俺はそんなことで簡単に問題が解決するとは思えなかった。それに翔太が今も引き続き俺の小説を読んでいるなんて保証はないのだ。

 だが、そんな俺の疑問に鈴音ちゃんは『お兄ちゃんは、確実にまだ読んでいます』と断言した。そこまで断言できる理由は俺にはわからないが、とにかくそうらしい。

 まあ何はともあれ鈴音ちゃんがそう言うならば、俺にはやる以外の選択肢はない。

 現にこれまでも鈴音ちゃんのアドバイスは的確だった。ランキングを上げることができたのだって鈴音ちゃんのおかげだと言っても過言ではない。

 だったら乗るしかないよな。

 かなりの重労働ではあるけど、短期間で全編改稿を成し遂げるしかない。

 ということで自宅へと戻った俺はさっそくノートパソコンを開くと、コツコツと改稿を続けていく。

 が、どうしても俺は机に置かれた紙袋が気になって仕方がなかった。

 有名アパレルメーカーのロゴの入った紙袋。その中に入っているもの。それは鈴音ちゃんの制服だ。

 実はさっき鈴音ちゃんの家を出るときに玄関で彼女から渡されたのだ。

「きっと何かのお役に立てると思います……」

 そう言われて紙袋を手渡された俺は、中身を確認して度肝を抜かれた。

「鈴音ちゃん、これって……」

「ご安心ください。洗い替えがもう一着あるので」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「え? あ、ごめんなさい。ちゃんと脱ぎたてです」

「だから、そういうことじゃなくて……」

 なぜこんな物を渡されたのかを俺は尋ねたかったのだが、鈴音ちゃんとの会話が一切わない。

 困惑する俺だったが、そんな俺に彼女は近寄るとこうささやいた。

「ホントは知ってますよね? 私が脱ぎたての制服を先輩に渡す理由……」

 やっぱり俺は彼女に全てを見抜かれていたようだ。ついでに俺は彼女から制服の用途を口にさせられた。

「わ、わたくしかなりゆうろうづき鈴音ちゃんの制服を持ち帰って、眺めたり、匂いを嗅いだりして創作の参考にいたします……」

「はい、よく言えました。先輩、頑張ってくださいね。私にはこの程度のお手伝いしかできませんが、陰ながら応援しています」

 そして、今に至る。

 つまり俺は鈴音ちゃんから、この制服を汚さない限りどんな使い方をしてもいいと許可をもらっている。

 だけどさ……だけど、抵抗はあるよね。やっぱり……。

 いくら鈴音ちゃんからいいよって言われても、女の子の制服を眺めたり匂いを嗅いだりするのは人としてどうかと思う。

 創作の参考にしたい気持ちと、一人の善良な人間の理性との狭間でもがき苦しんでいた。

 だが、理性はもう限界に近づいていた。幾度となく俺の手が紙袋へと伸びそうになるのを理性が抑えている。が、やっぱり俺の手は紙袋へと伸びていく。

 やめろ竜太郎……そんなことをしたら人間として終わるぞ……。

 あぁ……ダメだ……。俺の右手が言うことを聞かねえ……。

 そして、手が紙袋に触れようとしたそのとき、コンコンと誰かが部屋のノックをしてドアを開けた。

 その音に慌てて理性を取り戻した俺は、手を引っ込めてドアを見やった。すると、そこにはお盆を両手に持ったパジャマ姿のゆきの姿があった。

「深雪?」

「お、おにい……入ってもいい?」

 そう尋ねる深雪に俺は慌ててノートパソコンを閉じる。そして、深雪は俺の返事を待たずして部屋へと入ってきた。

 お盆を持った彼女は俺のもとへとやってくると「おにい、差し入れ」と言って机の上に紅茶と手作りのパウンドケーキを置いた。

「深雪が俺に差し入れ? 珍しいこともあるもんだな」

 いぶかしげに彼女を見上げると彼女は「ま、まあね……」とわずかにほおを赤らめて俺から顔を背ける。

「ところでさ……鈴音ちゃんとは順調なの?」

 なるほど……。その質問で俺は全てを理解した。どうやらケーキをやるから私に鈴音ちゃんとの関係を教えろということらしい。

 だが、当たり前だけど鈴音ちゃんとの関係を赤裸々に話したら、鈴音ちゃんともども深雪からドン引きされるのは間違いない。

「まあ、それなりに仲良くやってるよ。別に友達として仲良くやってるだけだし」

 だから、当たり障りのない返事をすると、深雪は不満げにムッと頬を膨らませた。が、不意に机の上に顔を向けて「わぁ~」と目を輝かせる。

 視線の方向へと顔を向けるとそこには例の紙袋が。

 あ、これやばいやつだ……。

 俺の顔からすっと血の気が引いていくのがわかった。そして深雪ちゃんは「なにこれなにこれっ!?」と興味津々に机のほうへと歩み寄っていくので、俺は立ち上がって彼女の肩をつかんで制止する。

「おい、なにをやってんだ……」

「なにって、その袋、エルフローレンの袋だよね? おにいがなんでエルフローレンの紙袋なんか持ってるの?」

「え? あ、いや、それは……」

「ねえ、それ鈴音ちゃんから貰ったやつでしょ」

 そうです。鈴音ちゃんから貰った脱ぎたての制服です……。

 そして、この袋の中身を深雪に見られたら、俺も鈴音ちゃんも終わります……。

 だが、そんな事情など深雪は知る由もなく、すっかり俺が鈴音ちゃんから高級ブランドをプレゼントされたと勘違いしたようで、目をキラキラさせている。

「ねえ、なにを貰ったのか私にも見せてよ」

 と、彼女は強引に紙袋へと手を伸ばそうとした。が、それを必死に制止する。

「なにって、たいしたもんじゃねえよ」

「だってエルフローレンだよ? もしかして、鈴音ちゃんからお洋服でも貰ったの? ねえ、見せてってばっ」

「たいしたもんじゃねえって言ってんだろ」

「だったら見せられるよね。鈴音ちゃんがおにいに何をあげたのか気になって夜しか眠れないよ」

 このままではマズい。深雪のやつ、袋の中身を見るまであきらめないつもりだ。

 はたから見れば兄妹仲良く相撲でもとっているような光景が広がっていた。

 だが実態は地獄絵図だ。

 なんとかして深雪を諦めさせなければ……。

 からっぽの脳みそをフル回転させて彼女を諦めさせる口実を考える俺。

 あ、そうだっ!?

「手紙が入ってるんだよっ!!

 そう叫んだ瞬間、深雪の体がぴたりと止まった。彼女は顔を上げるときょとんとした様子で俺を見つめてくる。

「手紙?」

「あぁ……手紙が入ってるんだよ。そんでもってこの間、雨が降ったときにれたTシャツを鈴音ちゃんが洗濯して返してくれたんだよ」

 と、とにかく口から出まかせを並べると、深雪は「な~んだ」と何やらうれしそうに笑みを浮かべた。

「鈴音ちゃんからの手紙なら私が読んじゃダメだよね。おにいってば、私が知らないうちにそんなに鈴音ちゃんと仲良くなってたんだ」

 そう言って深雪は俺から体を引いた。

 なんかとんでもない勘違いをされたような気がしないでもないけど、とにかく危機的状況は脱したようだ。そんな俺のうそはつぴやくに納得してくれた深雪はあっさりとドアのほうへと歩いていくと、そこで振り返ってまたニコニコと微笑ほほえむ。

「おにい、鈴音ちゃんのこと悲しませたりしちゃだめだよ?」

「え? そうならないように頑張るよ」

 と、完全に勘違いされた俺がそう答えると、彼女は相変わらず微笑んだままこう言った。

「もしも鈴音ちゃんのこと泣かせたら……その場で殺すからな。覚えておけ」

 あ、こっわ……。

 そんなドスの効いた警告に身を震わせる俺を置いて深雪は部屋を出て行った。


 そんなわけで机の上に紙袋を置くのが危険だということにようやく気付いた俺は、クローゼットの中に紙袋を隠して執筆を再開する。

 なにせ全編改稿なのだ。一分一秒たりとも無駄な時間はない。

 というわけで鈴音さまにいただいた変態トロフィーを胸に、俺は改稿を続けていた。

 が、さすがにそうポンポンと新しいアイデアが浮かぶわけでもなく、ノートパソコンとにらめっこをしたままで一向に原稿が進まない。

 少し休憩でもするか。なんて、考えながら椅子から立ち上がろうとしたとき、スマホの着信音が鳴った。

 画面を見やると、そこには鈴音ちゃんのアイコンが表示されていたので、通話ボタンをタップする。

「もしもし」

『先輩、執筆お疲れ様です』

 可愛かわいい声。

『先輩、今はお一人ですか?』

「え? そうだけど……どうかしたの?」

 と、尋ねると受話器の向こうの鈴音ちゃんはしばらく黙り込んだ。

 その間に、テーブルの上の冷めた紅茶で喉を潤していると、鈴音ちゃんが再び話し始める。

『制服の匂いはもう嗅ぎましたか?』

 口の中の紅茶を全てぶちまけた。

 そのコントのようなリアクションに『せ、先輩、大丈夫ですかっ!?』と心配する鈴音ちゃん。

「だ、大丈夫……」

 鈴音ちゃんよ。いきなりアクセル全開過ぎやしないですか……。

 ティッシュで濡れたノートパソコンを拭きながらかろうじて返事をする。

『先輩……もう私の制服は手にしていただけましたか?』

「い、いや、まだですが……」

『やっぱり私の脱ぎたての制服なんて……汚くて触れたくないですよね?』

 その問いに俺はどう答えるのが正解なのだろう。

 触れたくないと言えば鈴音ちゃんを傷つけるし、触れたいと答えるのもそれはそれで変態感が増してしまう。

「なんというかその……俺の部屋は深雪も時々出入りするし、制服を袋から出すにはリスクがあるというか……」

『深雪ちゃんが入ってくるかもしれないって思うと、ドキドキしますよね?』

 あーダメだ。全然話が噛み合ってない……。

「いや、そうじゃなくて、俺が鈴音ちゃんの制服を持っていることが深雪にバレるのは、俺も鈴音ちゃんもゲームが終了しちゃうんじゃないかなって思って」

『なるほど……ですが、もしも見られた場合は、深雪ちゃんには先輩に制服を盗まれたって言えばなんとかなりますし』

「そ、そうっすね……」

 こっわ……。可愛い声してこの子、とんでもないことを言うじゃん……。

『で、どうなんですか? 先輩は私の制服に触れたいんですか? 触れたくないんですか?』

 と、そこで鈴音ちゃんが強引に話を戻して、そう尋ねてくる。

 どうやらプレイはすでに始まっているようだ。

『どうなんですか?』

 受話器越しでも鈴音ちゃんが俺を挑発するような笑みを浮かべているのがわかる。

 ここは素直に答えるしかないようだ。

「触れたいです……」

 人として大切な何かを放り投げてそう答えると、受話器越しにクスクスと鈴音ちゃんの笑い声が聞こえてきた。

 そして、

『へんたい』

 冷めた口調で俺は罵られた。

 なんという理不尽……が、なんか悪くない。

『先輩、そんなに触りたいのなら触ってもいいですよ? 私、先輩が私の制服に触れるところ聞いてあげます……』

 どうやら今の変態発言でさらにギアが上がったようだ。

 完全にこの流れにあらがえる気がしない。

 ということで鈴音ちゃんに「少々お待ちください」と言い残すと、ドアの前まで歩いていく。ドア横の本棚を力いっぱい押してバリケードを作ると、今度はクローゼットへと向かい例の物を取り出した。

 机に戻ると鈴音ちゃんに現状報告をする。

「今、手元に紙袋を用意いたしました」

『じゃあ制服を出してみましょうか?』

「はい……」

 スマホの通話をスピーカーモードに切り替えて机に置くと、紙袋の中へと手を入れる。

 紙袋の中の丁寧に畳まれたブレザーとスカートを取り出して膝の上に置いた。

 それにしてもいい匂いがする。何かの香料なのだろうか、それとも鈴音ちゃんの香りなのだろうか、制服からはほのかに甘い香りが漂ってきて、それだけで卒倒しそうになる。

『先輩は私の制服で何がしたいんですか?』

「え? いえ……それは……」

『電話なので、はっきりと言葉にしないとわからないですよ?』

 そう尋ねてからまたクスクスと笑い声が聞こえた。

 どうやら今宵こよいの鈴音ちゃんは変態小悪魔モードに入っているようだ。

 そんな鈴音ちゃんからの挑発に、この上ない背徳感と羞恥心を抱きながら俺は決意を固める。

 鈴音ちゃんは体を張って俺の小説の応援をしてくれているのだ。だったら、俺もそんな彼女の応援に応えなければならない。

「か、嗅ぎたいです……」

『ちょっぴり恥ずかしいですけど、先輩の小説のためですもんね……。私の制服、いっぱい嗅いでください』

 ということで鈴音ちゃんの許可が下りた。

 俺は彼女のスカートを目の前に掲げると一度深呼吸した。

 ここでこのスカートに顔を埋めてしまったら、俺は人として終わりだ。

 だが、俺は官能小説家なのだ。これはあくまでプロの官能小説家になるための通過儀礼でもある。

 人として最低なのは理解しているけど、当の本人である鈴音ちゃんが良いと言っているのだ。

 お天道様だってその辺は理解してくれていると信じたい。

 それはそうと……。

 匂いを嗅ごうとした俺だったが、その前に彼女に聞いておきたいことがある。

「ねえ、鈴音ちゃん、さっきから気になっていたことがあるんだけど……」

『どうかしましたか?』

 実は俺にはこの通話が始まったときから、少し気になっていたことがあった。

「もしかしてだけど……今、お風呂に入ってたりしない?」

 なんというか、さっきからスピーカー越しに聞こえてくる鈴音ちゃんの声が妙に響いているというか、エコーがかかっているように聞こえるのだ。

 それに時折ぴちゃぴちゃと水の跳ねるような音も聞こえてくる。

『はい、今、お風呂の中で先輩と電話しています』

「や、やっぱり……」

 どうやら俺の予想は正しかったようだ。

 つまり鈴音ちゃんは今、一糸まとわぬ姿で俺と通話していることを意味する。

 いかん……お天道様にバレてはいけないような想像が頭の中を埋め尽くしていく。

 裸の鈴音ちゃん……そして俺の手にはそんな鈴音ちゃんの脱ぎたての制服……。

『先輩、初めてハルカちゃんがりようろうの家にお邪魔したときの話は覚えていますか?』

「え? 覚えているけど……それがどうかしたの?」

 と、そこで唐突に俺の小説の話を始める鈴音ちゃんに俺は首をかしげる。

『あのとき、雨宿りのために遼太郎の家に上がったハルカちゃんは、遼太郎からお風呂を借りていますよね?』

 そうだ。遼太郎とハルカが仲良くなったのは突然の雨でびしょびしょに濡れたハルカに遼太郎が、自宅のお風呂を貸したのがきっかけである。

 でも、それがどうしたというのだ?

『先輩はどうしてあのとき、遼太郎にハルカの制服を嗅がせなかったのですか?』

「え? いや、なんでって言われても……」

『遼太郎がハルカを家に招き入れた時点で遼太郎はハルカに好意を持っていました。それなのにハルカがお風呂に入っている間、遼太郎は何もせずにリビングで待っていました。あのシーンは少し残念でした……』

「ま、まあ確かに……」

 確かにあのシーンは何も考えずに書いていたが、今になって思えばもっとえっちなシチュエーションが書けたはずだ。

『普通、好きな女の子の制服が目の前にあったら匂いを嗅ぎますよね?』

 いや、嗅ぎませんよ……。

 なんか俺が変態寄りに傾いているせいで、鈴音ちゃんの考える「普通」の定義も大幅に変態寄りに傾いている気がする……。

 が、まあ俺が書いているのは官能小説だ。読者を喜ばせるという意味では、ただハルカがお風呂に入るだけでは物足りないのは理解できた。

 どうやら鈴音ちゃんは俺の想像力を掻き立てるために、わざわざお風呂から電話をかけてくれたようだ。

『先輩、想像してください。先輩が今いるのは脱衣場です。そして先輩が今手に持っているのはハルカちゃんの脱ぎたての制服です』

 そんな彼女の言葉に俺はゆっくりと瞳を閉じると、一度頭の中を真っ白にした。

 ここは俺の部屋ではない。ここは俺の部屋ではない。なにもない空間だ。

 頭の中で何もない空間を想像すると、そこに脱衣所を再構築していく。

 俺は今脱衣所にいるんだ……。左には洗濯機、そして足元には脱いだ服を入れるためのバスケット。

 み、見えてきたぞ……その調子だ。

 さらに想像力を巡らせる。すると目の前にすりガラスの風呂場の扉が見えてきた。

 すりガラス越しに何が見える竜太郎……そこには何が見えるのだ?

 と、そこでスマホのスピーカーから、ザブンと湯船のお湯が揺れる音とシャワーの流れる音が聞こえてきた。

 す、鈴音ちゃんが体を洗おうとしているっ!!

 そのときだ。俺は脳内浴室の中に鈴音ちゃんの姿を見つけた。すりガラス越しに体を洗う鈴音ちゃんの肌色のシルエットが見えた。

「す、鈴音ちゃん、見えたよっ!!

 思わず叫んでいた。

 見える。手に取るように見える。鈴音ちゃんが俺の目の前で体を洗っている。

 小説家としてもう一段階ステップアップしたことを実感した。

 こ、これが無から無限を作り出す小説家の真骨頂だ。

 俺はゾーンに入った。

『先輩、その調子です。もっともっと深く想像してください。大好きなハルカちゃんが体を洗っています。ハルカちゃんはどこから体を洗うんでしょうか? お湯でぬくぬくになった鈴音ちゃんの肌は何色でしょうか? 遼太郎は目の前に折りたたまれた制服を見て何をするでしょうか?』

 ヤバい……想像力の洪水が俺に襲い掛かってくる。

 見える──見えるぞっ!!

 お風呂で温まって上気した薄ピンク色の鈴音ちゃんの肌。ほのかに香るボディソープの香り、そして目の前には鈴音ちゃんの体を一日支えた脱ぎたての制服。

『先輩、背徳的ですよね? 自分のことを信じ切ってお風呂を借りるハルカちゃんの期待を裏切るのは。悪いことをしていると自覚しながら嗅ぐ制服はどんな匂いがしますか?』

 気がつくと俺は手に持った鈴音ちゃんの制服のスカートを顔に押し当てていた。

 あ、やばい……いい匂いがして死んじゃいそう……。

 洗剤の甘い香りとその奥に感じる汗の匂い。それが混じりあって俺の脳が犯される。

 自分を信用しきって無抵抗な体でシャワーを浴びる鈴音ちゃん。

 俺は……俺はなんてひどいことをしているんだ……。

 親友の妹だぞ? 大切な親友の妹の制服でお前はなんて酷いことをしているんだ、竜太郎っ!!

 ダメだとわかっていても鈴音ちゃん成分を体に染みつけようと無我夢中になってしまう俺。

 お天道様……竜太郎はこんなに酷い人間です……。

 それからどれぐらい俺は鈴音ちゃんの制服に顔を押し当てていただろうか。『先輩? 先輩、聞こえてますか?』とスピーカーから聞こえてきた鈴音ちゃんの声で我に返った。

「ご、ごめん……俺としたことが……」

 気がつくと、俺は鈴音ちゃんとの通話中だということも忘れて自分の創り出した世界に没頭していた。

「もしかして鈴音ちゃんのこと……無視してた?」

『いえ、いいんです。それだけ先輩が想像力を働かせていた証拠です。それよりもスマホの画面を見て頂いてもいいですか?』

「え?」

 と、俺はスマホを見やった。

 するとそこには『ビデオ通話を許可しますか?』と書かれている。

「鈴音ちゃん……これって……」

 もしも俺がここで許可をしたら、鈴音ちゃんのスマホのカメラが目撃したものが俺のスマホに表示される。

 そして、鈴音ちゃんは現在入浴中だ。それが何を意味するのかぐらいバカな俺にもわかる。

「さすがにそれはまずいんじゃ……」

『いいんです。先輩。早く許可をしてください……』

「いやでも……」

『先輩、覚悟を決めてください。私だって覚悟を決めて言っているんです』

 そうだ。鈴音ちゃんは俺の小説とここまで覚悟を持って向き合ってくれているのだ。それなのにここでってしまっては男ではない。

 そう自らを正当化して俺はスマホへと指を伸ばした。

「鈴音ちゃん……見るよ?」

…………はい……』

 俺は許可するの画面をタップした。するとメッセージアプリがビデオ通話モードへと切り替わる。

 そして、スマホの画面いっぱいに現れたのは浴室だった。

 そりゃそうだ。鈴音ちゃんはお風呂に入っているのだから当然だ。が、浴室に映っていたのは一糸まとわぬ姿の鈴音ちゃん……ではなくパジャマ姿の鈴音ちゃんだった。

「あ、あれ?」

 な、なんで裸じゃないの……。

 と、ぼうぜんとスマホ画面を眺めていると、鈴音ちゃんは『そんなに悲しそうな顔をしないでください』とクスッと笑う。

『先輩、これを見てください』

 と、そこで彼女は自分の手を湯船に入れると手をぐるぐるとかき回した。その音は、さっき鈴音ちゃんが湯船から立ち上がったときにした音と同じだ。

 次に彼女はスマホをシャワーへと向ける。シャワーからは勢いよくお湯が出ているが、シャワーヘッドは壁に向けられている。

 なるほど……その光景に俺は全てを理解した。

 どうやら俺はだまされていたようだ。鈴音ちゃんは初めから入浴なんてしていなかったのだ。さも入浴しているかのように振る舞っていただけだった。

 と、そこで鈴音ちゃんはなにやら申し訳なさそうな顔でカメラを見つめた。

『先輩、騙してしまって申し訳ないです……。あと、もう一つ。さっき先輩に手渡した制服は脱ぎたてじゃないです。ホントはクリーニングから戻ってきたものをそのまま渡しました……』

 なんてこったいっ!?

 い、いや……でも待て。確かに鈴音ちゃんの制服からは鈴音ちゃんの香りが……。

 俺は改めてスカートに顔を埋めてみる。

「なっ……」

 俺は我が鼻を疑った。

 さっきまで確かに鈴音ちゃんの香りがしたはずの制服からは何の匂いもしなかった。

『先輩はやっぱりすごいです……』

 と、そこで鈴音ちゃんがつぶやく。

『先輩は音と制服だけで変態的な想像力を無限大に広げたんです。それは小説家としてとてもすごい能力だと思います』

「す、鈴音ちゃん……」

 なんかすげえ深い話みたいに聞こえてくる。

 あと、今の俺褒められてる? それともけなされてる?

『先輩ならばかならず一位になることができます。私はこの程度のお手伝いしかできませんが、少しでも先輩の役に立てたのならば嬉しいです……』

「鈴音ちゃん、ありがとう……」

『一位になれるように頑張ってくださいね。そして、いっぱい私になでなでさせてください』

「わかったよ。俺、絶対に一位になってみせるよ」

『その意気です。それでは頑張ってください。私は陰ながら先輩のことを応援していますね』

 そう言って鈴音ちゃんは通話を終了した。

 そして、想像力が洪水のように流れてくる今の俺の頭ならば無限に小説が書けるような気がした。

 待っていてくれ鈴音ちゃん。必ず一位になれる小説を書いてみせるからっ!!

 俺は掴んだスカートを高く掲げてそう誓った。


    ※ ※ ※


 そしてデートの日がやってきた。なんて普通に言ってるけど、冷静に考えてみれば、とんでもない出来事だ。

 クラス内男子イケメンランキングでも中の下を自負する俺が、学園一の美少女、水無月鈴音とデートをするのだ。これは俺史上とんでもない大事件のはずだ。

 が、今まで彼女と繰り広げてきた痴態のせいで、感覚がしているのが本当に残念だ……。

 ということで、約束通り待ち合わせ場所へとやってきた俺は鈴音ちゃんの姿を捜すことにした。

 それにしてもすごい人混みだな……。

 そこは繁華街にある巨大な商業施設の入り口だった。ある程度予想はしていたけど、日曜日ということもあり人でごった返している。

 鈴音ちゃんの姿を見つけるために、あたりを見渡すと、こんな人混みでも彼女の姿はあっさり見つけることができた。どうやら美少女というのはこんな人混みでも映えるようだ。

 彼女は入り口付近の柱にもたれ掛かってスマホを眺めていた。そんな彼女のもとへと俺は歩み寄っていく。

 が、

 ん? ちょっと待て……。

 俺はそんな彼女に近づくにつれてある違和感を覚えた。

 彼女はスマホを眺めている……というよりは凝視している。そして、そんな彼女の頬はか真っ赤に染まっていて、人差し指で自らの下唇をでていた。

 あ、あれ? 俺、あの仕草に心当たりがありすぎるんだけど……。

 どうやら彼女の変態活動には休日という概念は存在しないらしい。

 そんな彼女をがくぜんとしながら眺める俺。が、彼女は小説に夢中なようで、すぐそばまで俺がやって来ても、一向に俺に気づかず「んん……」と相変わらずドエロい吐息を漏らしながら、身をよじっていた。

「す、鈴音さん……」

 と、そこで彼女の名を呼ぶと、彼女はようやく俺の存在に気づいたようで、スマホから顔を上げた。そして「わ、わぁっ!? せ、先輩っ!?」と慌てた様子で俺を呼ぶと、スマホを背中に隠した。

「あの……もしかしてだけど……」

 と、そこまで俺が尋ねたところで鈴音ちゃんは「ち、違います……」と、まだ何も聞いてないのに激しく首を横に振った。

 どうやら違わなかったらしい。

 が、デートという言葉にやや緊張気味だった俺は、彼女がいつも通りの彼女で少し安心もした。

「と、とりあえず行こうか……」

 そう声を掛けると、鈴音ちゃんは恥ずかしそうにうつむいて「そ、そうですね……」と答えた。


 というわけで俺の人生初デートが始まったわけだが、始まって早々、鈴音ちゃんがどうしても行ってみたい店があると言うので、彼女に連れられてモールの三階へと上がった。

 そこはレストラン街になっており、イタリアンや中華などさまざまなレストランが並んでいる。

 おなかでも空いたのだろうか? そんなことを考えながら彼女についていくが、彼女はそんなレストランには目もくれず、レストラン街の奥へと向かって歩いていく。そして、とある店の前で足を止めた。

「こ、ここです……」

 と、鈴音ちゃんはそう言って店を指さすので、俺はそちらへと顔を向けた。そして、その予想外の光景にきようがくした。

 な、なんじゃこりゃ……。

「じ、実は最近話題になっている店なんです……。それで前から一度行ってみたくて……」

 彼女はそう言った。

 俺が驚愕した理由……それは、

 ブタっ!! ブタっ!! そしてブタっ!!

 その喫茶店のようなたたずまいの店内では無数のブタが縦横無尽にかつしていた。どうやらここは猫カフェ……ならぬブタカフェらしい。

 鈴音ちゃんは興奮が抑えきれなくなったのだろうか、店のほうへと駆け寄るとガラス越しに店内のブタを眺めはじめる。

「か、可愛い……」

 興奮気味に頬を赤らめる鈴音ちゃん。そんな彼女の横に立ち、俺もまた店内を観察する。

 まあ確かに彼女が頬を染める理由はわからないでもない。店内のブタはそういう種類なのだろうか、どのブタも猫ぐらいのサイズでなんとも愛らしい姿をしている。

 そして店内の客はそんなブタの頭を撫でたり、膝の上に置いたりしてやされているようだった。

 彼女が俺を見上げる。

「わ、私……ブタが大好きなんですっ!!

 あ、なに、その唐突に性癖をかすめる言葉は……。

 全然、そんな意味じゃないのはわかるけど、今のセリフ、ちょっとやばかったわ……。

 俺は慌てて冷や汗を拭った。

 というわけで、俺たちはブタカフェに入ることになった。

 受付でドリンク代を払って早速店内に入る。店内に足を踏み入れるやいなや、鈴音ちゃんのもとに一匹の小さなブタがやってきた。

 ブタは彼女の靴下にコンセントのような鼻を近づけるとピクピクと鼻を動かして匂いを嗅いでいた。彼女はそんな光景に「クスッ」と笑いを漏らすとしゃがみ込んだ。

 今日の彼女は紺色のプリーツスカートと、フリルの付いたブラウスという、いかにも女の子らしいかつこうをしていた。そしてスカートの丈はいつもの制服よりも短い。彼女は少しスカートの長さを気にしながらも、寄ってきたブタの頭に手を置いた。

「ぶ、ブタさん……よしよし……か、可愛い……」

 そう言いながらブタの頭をなでなでする鈴音ちゃん。

 あぁ……なんか羨ましい……。

 彼女のもとへ他のブタたちもぞろぞろと集まってくる。ちなみに俺のもとへは一匹たりとも来やがらねえ……。

 どうやら、ブタも俺なんかよりも、可愛い女の子の足元でブヒブヒしたいらしい……。

「せ、先輩、凄いです……ぶ、ブタさんがいっぱい来ます……」

 と、予想以上に集まってくるブタに困惑しつつも嬉しそうな鈴音ちゃん。あるブタは鈴音ちゃんになでなでされてご満悦な表情を浮かべ、あるブタは鈴音ちゃんの足に興味があるようでしきりに匂いを嗅いでいる。

 それを幸せそうに眺める鈴音ちゃん。

 あぁ……俺もブタになって鈴音ちゃんからブタ呼ばわりされたい……。

「せ、先輩……あれ……」

 と、そこで何かに気がついた鈴音ちゃんがカウンターを指さした。俺もカウンターへと目を向ける。

『ブタの餌 五〇〇円』

 と、そんなポップが見えた。どうやらこの店では餌やり体験ができるらしい。

「わ、私、買ってきます……」

 彼女は立ち上がると一目散にカウンターへと向かった。そして、紙コップに入った餌を手に再びブタのもとへと戻ってくる。

 コップの中のチップ状の餌をてのひらに乗せてブタの前に差し出した。

 その直後ブタどもの目の色が変わった。

 鈴音ちゃんの周りにいたブタどもはいっせいにブヒブヒと、鈴音ちゃんの掌に群がってくる。

「も、もう……みんな食いしん坊さんなんだね……ちょ、ちょっと、そこは入っちゃだめだよ……」

 と、スカートの中にまで入り込もうとするけしからんブタに困惑しながらも彼女はまんざらでもない様子だ。

 あ、ヤバイ……なんかエロい……。

 いかんいかん落ち着け竜太郎……。

 で、でも、異世界モノの官能小説のネタになら使えるかも……。と、けなにブタを可愛がる彼女をよこしまな目で眺めていると、彼女は顔を上げる。

 そして、

「せ、先輩……先輩も食べますか?」

 そう言って彼女は餌の乗った手を俺に差し出した。

 え? 何その乗ったら人間としての人生が終了する甘い誘惑は……。

「じょ、冗談です……。ですが先輩がブタの餌を羨ましそうに眺めていたので。そんなに美味おいしそうですか?」

 あ、バレてる……。

 おそるべし水無月鈴音……。

 彼女は俺の反応がいちいち面白いようで、クスクスと何度も笑う。

 あまりに彼女が笑うものだから、俺は少しくされたように彼女から顔を背けた。すると、彼女はまたクスっと笑って「こ、今度先輩にももっと美味しい物を作ってきますので、そんなに不貞腐れないでください」と俺をなだめた。


 鈴音ちゃんはその後もブタどもの餌付けを続けた。鈴音ちゃんの足元へとやってきたブタどもは鈴音ちゃんの餌をむさぼりつつ、彼女の足やスカートをしばらくクンカクンカして、満足そうだった。

 なんて言うと意味深に聞こえるけど、これは何かのメタファーではなく文字通りの意味だ。

 結局、一時間ほど俺と鈴音ちゃんはブタと戯れて店を出た。

「な、なんだか、お腹が減りましたね……」

 と、鈴音ちゃんが言うので、俺も自分が空腹だったことを思い出す。そういや俺たち、ブタに餌はやったが、自分たちの腹ごしらえはまだしていなかった。

 レストラン街を歩きながら、何か美味うまそうな店を探して散策していると、ふと一軒の店の前で足が止まった。

 とんかつ店……。

 俺と鈴音ちゃんはしばらく暖簾のれんに描かれたブタのイラストを眺めてから顔を見合わせた。

「さ、さすがに……ねえ……」

 と、俺がひきつった笑みを浮かべると彼女もまたひきつった笑みを浮かべる。

「え、えへへ……そうですよね……」

 いやいや、さすがにブタカフェからのとんかつ店はマズい気がする……。

 俺たちは同時に激しく首を横に振って、今のはなかったことにしてその場を立ち去ろうとした……のだが……。

「いらっしゃいませっ!! お客様二名様ですかっ?」

 と、威勢のいい声とともに、中年の男が店内から飛び出してくる。

「お客さん、今日はサービスデーですよっ!! なんと定食のご飯は食べ放題っ!! さらにおまけでひれかつを二枚つけますよっ!!

 ご、ご飯食べ放題に、ひれかつサービスっ!?

 そんなワードに、一瞬だけ心が動いた……ような気がしたが、この誘惑に屈するわけにはいかない。

 相変わらずひきつった笑みを浮かべると「え、え~と、ちょっとほかの店も回ってから決めようかなと……」と、遠まわしに断りを入れた。そんな俺に鈴音ちゃんもまた「そ、そうですね……ちょっと他のお店ものぞいてから決めます……」と同調してくれる。

 が、不意におじさんの表情が曇った。

「実はね、うちの店、今日で閉店なんですよ……」

 と、突然衝撃発言を口にするおじさん。

 あ、マズいわ……完全に良くない展開に向かっている……。

「初めて、ここの敷地に先代が出店してきて五〇年、とんかつ一筋でやってきました。このモールができることになって、一時は店を閉じることを考えました。ですが、先代の守ってきたとんかつの味を守るためにこのモールでの出店を決断して、これまで頑張ってきました……」

 あぁ~あぁ~やばいって……完全に泣き落としに入ってんぞ。このおっさん……。

「で、ですが、時代の流れってやつですね。これまで必死にやってきたんですが力不足で私は、父親が守ってきたこのとんかつ店の幕を閉じることにしたんです……」

 俺は助けを求めようと鈴音ちゃんを見やった。

「そ、そうだったんですね……」

 ああやばいよ。完全にろうらくされちまってるよ……。

 彼女は瞳にわずかに涙を浮かべながら、うんうんと真剣におじさんの話に聞き入っていた。

「悔しいです……死んだ親父おやじに顔が立たねえ。ですが、どうしようもない。だからせめて店を閉める今日だけは、親父たちの作った最高のとんかつの味をお客様に楽しんでいただきたいんです。せめて、親父たちが守り続けた最高のとんかつの味をお客さんの思い出の中で、生かし続けたいんです。ですから、今日は利益は度外視で、ドドンと五パーセントオフで提供させていただきます」

 と、両手で顔を覆うおじさん。

 でもなんか五パーセントって現実的な割引だな。俺はそんな親父の浪花なにわぶしになんともいえないさんくささを覚えた。

 が、隣のな少女は違う。

「わ、私、感動しましたっ!! おじさん、お父さまとお祖父じいさまの守ってきた味を私の記憶に残させてくださいっ!!

 完全におじさんに言いくるめられた彼女は何度もうなずいて、俺を見やった。

「せ、先輩、入りましょうっ」

「で、でもいいのか?」

「いいです……確かに少し気が引けますが、おじさんの話に感動してしまいました……」

 あぁ……なんて純粋な子……。

 が、鈴音ちゃんが良いというのであれば、まあ……いいか。ご飯もお代わりし放題だし。

 覚悟を決めた俺はおじさんに「じゃ、じゃあ、入ります」と答えた。直後、おじさんは顔を覆っていた両手を下ろすと満面の笑みで「ありがとうございますっ!! 二名様ご案内で~すっ!!」と叫んで意気揚々と店内に入っていた。

 いや、切り替え早っ!!

 ということで俺と鈴音ちゃんは、ブタカフェからとんかつ店に直行という鬼の所業のようなハシゴをすることになった。

 おじさんに案内されながら、テーブルへと向かう途中、ふとちゆうぼうに目がいった。そこにはパイプ椅子に座って、退屈そうにスポーツ新聞を眺める老人がいた。

 お、おい、なんかあのじいさん、おっさんに顔がクリソツなんだけどっ!!

 おい、まさか親子じゃねえだろうな? それともあれか? 俺はじじいの親父の地縛霊でも見てんのか?

 完全にじじいの口車に乗せられた俺は、愕然としながらもテーブルへと案内される。

 俺と鈴音ちゃんはじじいのおススメとかいうご飯食べ放題、ヒレカツサービス付きの定食を二つ注文した。じじいは「まいどっ!!」と軽快にオーダーを通すと、次回来店時に使えるとかいうドリンクサービスチケットを残して厨房へと歩いていく。

 おい、次回使えるってどういうことだよっ!!

 ああん? そっちがそう来るなら、こっちはこっちでこの後、食中毒になって本当に営業最終日にしてやろうかっ!!

 じじいが厨房に消えるまで、俺はその背中を睨み続けた。


 いや、美味いよ……美味いのは美味い。そりゃ揚げたてのとんかつなんだもん。

 だけど、なんか納得いかねえ……。

 と、美味いとんかつを頬張りつつもに落ちなかった俺は、正面の鈴音ちゃんを見やった。

 彼女はフォークを握ったまま、とんかつに手を付けようか悩んでいるようだった。

 あのくそじじいの話に一時は感動していた彼女だったが、いざ、とんかつが目の前に出されると、何とも言えない躊躇ためらいを覚えたらしい。

 しばらく、とんかつと睨めっこしていた鈴音ちゃんだったが、決意したようにとんかつにフォークを刺すと口へと運んだ。

「しょ、しょうがないですよね? 私たちは大切な命をいただいて生きているんです……。それに天国のお父さまも、きっと私たちに笑顔でとんかつを食べてほしいと思っているはずです……」

 そう言って彼女は瞳に涙を浮かべながら、それでもれんな笑みを浮かべる。

 あぁ……なんて健気なんだ……。そのあまりの健気さに泣きそうになるわ……。

 ちなみに、そのお父さまとやらの幽霊は、さっきスポーツ新聞片手に競馬がどうのこうの言いながら店を出ていったぞ。

 どうやら天国のお父さまとやらはブタよりも馬のほうが好きらしい。

 それから俺と鈴音ちゃんはしばらく、尊い命をいただく作業を続けた。そして、皿が空になったところで鈴音ちゃんはフォークをおいて俺を見やった。

「先輩……一週間、よく頑張りましたね……」

「え? まあな……」

「睡眠時間は取れていますか?」

 心配そうに首を傾げる鈴音ちゃん。そんな彼女に「ああ、大丈夫だよ」と答えておく。

 正直なところ、この一週間は本当に大変だった。学校が終わるとすぐに帰宅し、夜遅くまで執筆。さらには朝も早めに起きて登校時間ぎりぎりまで小説を書いたのだ。

 間違いなく、この一週間は俺史上もっとも文字を入力した一週間だと思う。彼女を安心させるために嘘をついたけど、実際のところ睡眠時間もかなり削った。

 でも疲れたときは鈴音ちゃんの制服の匂いを嗅ぐと少しだけ疲れが取れることに気がつき、頑張ることができた。

「ランキングはご覧になりましたか?」

「ランキング?」

 鈴音ちゃんはポケットからスマホを取り出した。そして、何かを操作して俺のほうにスマホを向ける。

「これです……」

 俺はスマホの画面を見やった。そして、大きく目を見開く。

「う、嘘だろ……」

 そこに表示されていたのは、俺が小説を投稿しているサイトのランキング画面だった。

 日間ランキングと書かれたページの一番上に『親友の妹をNTR』の文字。

 それはつまり昨日、俺の小説がサイト内で一番ポイントを稼いだことを意味する。

「せ、先輩さすがです……。やっぱり先輩の性癖は凄いです……」

 と、褒めているのかどうかよくわからない賛辞の言葉を俺に贈る鈴音ちゃん。

 俺はしばらく画面を見つめたまま身動きが取れなかった。

 嘘だろ? 俺の小説が一位? だってこの間、初めてランキングに載ったような小説だぞ? それが一位なんて……。

「これはあくまで私の予想ですが、やっぱり全編に渡って書き直したのがよかったのだと思います……」

「い、いや、そうだけど……」

 にしたって……。

「きっと、これでうまくいくはずです……」

 彼女は嬉しそうにうんうんと頷いた。

 そうだ。俺がこれだけの苦労をして全編改稿したのは、翔太を真っ当な道へと引き戻すためである。

 真っ当な道に引き戻すために官能小説を全編改稿するというのも変な話だけど、そうなのだからしかたがない。

 この一週間、俺はとにかく翔太をモデルにしたキャラクター秀太をドMの変態さんへと変えることに注力した。

 正直なところ不安だったよ。なにせ、全編改稿をすれば読者にはまた一から物語を読み直してもらう必要があるのだ。

 改稿したことをきっかけに読者が減ってしまうのが怖かったし、実際に改稿を始めてから一時的に読者が減ったのも事実だった。

 けれどもそれ以上に読者が増えた。

『ブヒィ!! ブヒィ!!

『ブブブヒヒィっ!! ブヒブヒっ!!

『ブヒィィィィィィっ!!

 などなど、改稿後の小説にはいくつもの好意的なコメントが並んだ。

 結局、ランキングは急上昇して、ついに今日念願のランキング一位を手にすることができたようだ。

「このサイトの読者さんは、先輩みたいに女の子をイジメるよりも、女の子からイジメられるほうが好きな変態さんが多いみたいです……」

 と、その変態読者さんが喜びそうなセリフとともに彼女はそう結論付けた。

 実際に作中のハルカちゃんは兄と兄の親友の両方を掌の上で転がすとんでもない変態悪女として描かれることになったのだが、結果的に読者は大幅に増えたのだから彼女の見立ては正しかったということだ。

「でもよ……本当に大丈夫なのか?」

「何の話ですか?」

「翔太のことだよ。あいつ本当に俺の小説を読んでるのか?」

 以前、鈴音ちゃんはまだ翔太が俺の小説を読んでいるはずだと言った。

 だが、さっきも言った通り改稿を始めたときには一部の読者は離れてしまったのだ。その中にもしも翔太がいたとしたら俺の苦労は水泡と帰してしまう。

 俺の心配に鈴音ちゃんは「はい」とはっきりと答える。

「お兄ちゃんは今も先輩の小説に夢中です……」

「もしかして、あの野郎、鈴音ちゃんの前で堂々と」

「そ、そうじゃないです……。実は昨日お兄ちゃんのスマホを確認したんです……」

「スマホを確認っ!? あいつスマホにロックもかけてないのか?」

「き、昨日はお兄ちゃん、ソファで眠ってしまっていたので、それで顔認証を寝顔で……」

 全国の不倫してる旦那さんっ!! 事件ですよっ!!

「設定によっては寝顔でも大丈夫だそうです……。それでお兄ちゃんの小説の閲覧履歴を確認しました。そしたら、直近で先輩の小説を全話閲覧していることがわかりました……」

「つ、つまり、改稿後の俺の小説もばっちり読んでるってことか?」

 彼女は頷いた。

 なるほど、それならば翔太の性癖が変わっている可能性はあるかもしれない。

 けど、やっぱり不安はぬぐえない。

「鈴音ちゃんは翔太が新しい変態トロフィーを獲得したと思うか?」

「へ、変態トロフィーってなんですか?」

 と、尋ねると鈴音ちゃんは首を傾げる。

 しまった……それはこっちの話だ。

「ご、ごめん、鈴音ちゃんはこれで翔太が鈴音ちゃんに高圧的に接しなくなると思うか?」

 あらためて尋ねると鈴音ちゃんは難しそうに眉を潜める。

「正直なところ五分五分だと思います……」

 まあそうだよな……。

「で、ですが少なくとも私は先輩の小説を読み直して、また新しい何かが芽生えましたっ」

「お、おう……あ、ありがとな……」

 と、フォロー兼性癖暴露をする鈴音ちゃん。

「問題は翔太のほうだな……」

 と、呟くと鈴音ちゃんはじっと俺を見つめる。

「先輩はよく頑張りました。今はまだ五分五分かもしれませんが、その確率を引き上げるのは私の仕事ですっ」

「私の仕事?」

「はい……そもそもこれは私たち兄妹のことですし、これ以上先輩にご迷惑はおかけしません……」

 決意に満ちた表情で俺を見つめる鈴音ちゃん。

「こ、ここからは私がなんとかしてみます……そんなことよりも……」

 と、そこで彼女は急に頬をポッと赤くさせる。

「ランキング……一位になりましたね?」

「おう、そうだな……」

「約束通りご褒美をあげなきゃですね?」

 そうだっ!! 翔太の性癖を曲げることに必死で俺はすっかり忘れていた。

 ってか、そもそも俺がランキング一位を目指した一番の理由はそっちだったじゃねえか。

「私、ずっと我慢していたんです。ホントは先輩のこといっぱいなでなでしてあげたかったです。ですが、これで心置きなくなでなでできますね」

 ランキング一位を目指した一番の目的は鈴音ちゃんになでなでされること。もちろん、鈴音ちゃんと書籍化を目指して頑張ってきたが、それ以上に俺にとってのモチベーションになったのは、なでなでしてほしいという願望だった。

 そして、俺は実際に一位を取った。

「先輩……今日はいっぱいなでなでしてあげますね」

「あ、あざまーすっ!!

「じゃあ今日のデートの最後に二人きりになったところでいっぱいしてあげます」

 そう言って鈴音ちゃんは少し手を上げると、俺に小さくエアなでなでをして笑みを浮かべた。


 あぁ……腹いっぱい食った……。とんかつ店を出た俺がお腹をぽんぽんとたたくと、それを見た鈴音ちゃんがクスクス笑う。

「な、なんだか先輩……たぬきさんみたいで可愛いです……」

 と、鈴音ちゃんにたぬき扱いされて、少し恥ずかしくなった俺はお腹から手を離すと「じゃ、じゃあ行こうか……」と言って、彼女とともにエスカレーターを下りていく。

 ショッピングモールの二階には洋服店を中心としたファッション関係のショップが並んでいた。

 このモールを訪れるのは初めてではないのだけど、いつも俺は奥にある書店以外を訪れることはないので、彼女と二人で歩くモールの景色はなんだか新鮮だ。

 なんか今デートしてるって感じするわ……。

「わぁ~。か、可愛いなぁ……」

 と、そこで鈴音ちゃんは一軒の洋服店の前で足を止めた。そして、彼女は店頭に飾られたマネキンを目を輝かせながら見つめる。

 そのマネキンは薄水色のワンピースを身に着けていた。長めの丈のスカートの下部は一部レース地になっており、マネキンの脚の部分が透けて見えている。

 可憐なだけでなく、ほんのり色気もあるあたり、さすが鈴音さんお目が高い。

 彼女はマネキンに近寄ると、裾についた値札をめくった。そして、俺を振り返ると苦笑いを浮かべる。

「え、えへへ……さ、さすがにちょっと手が届かなかったです……」

 どうやら想定よりも少し高かったようだ。が、彼女はそのワンピースに少し未練が残ってるようで、しばらくマネキンを羨ましそうに眺めていた。

 そんな彼女の姿を見ていると、買ってあげたくなるから不思議だ。

 このワンピースを買ったら彼女は喜んでくれるんだろうな……なんて考えていると、そんな彼女の笑顔が見たくなる。

 もしも小説家になったら買ってあげられるのかな? なんて夢想していると、彼女がこっちに駆け寄ってきた。

「ご、ごめんなさい……私の好きなものばかり見てました……退屈でしたか?」

 と、不安げに俺の顔を見上げた。

「そんなことないよ。鈴音ちゃんが楽しそうにしてる姿を見てるだけで、俺も楽しいし」

 なんて、とっさに口にしたが、口にした瞬間、わりと自分が思い切ったことを言ったことに気がついて急に恥ずかしくなる。

 そんな俺の恥ずかしさが鈴音ちゃんにもでんしたのか、彼女は何も答えずに頬を赤らめた。

 なんとも気まずい空気が二人を覆う。が、鈴音ちゃんは頬を真っ赤にしたまま「せ、先輩……」と俺を呼ぶ。

「きょ、今日はその……先輩の小説のお役立ちができるようにデートをしているんでしたよね?」

「え? あ、そうだったよな……たしか……」

 と、そこで俺は本来の趣旨を思い出す。そういや、あの日、鈴音ちゃんはそう言って俺をデートに誘ってくれたんだった。

「だ、だとしたらその……カップルみたいにしていないと、小説の役に立たないですよね?」

 と、彼女は口にした。が、俺には彼女の言葉が具体的にどういうことなのか理解できなかった。

 俺が少し困った顔をしていると、彼女は不意に自らの右手を俺の左手へと伸ばす。

 そして、

「っ……」

 彼女は自分の右手を俺の左手に絡めた。

 つまり……要するに……こ、これは手をつなぐという行為である。しかも、彼女は俺の指に自らの指を絡めるようにして、いわゆる恋人繋ぎをしている。

 自らの指の間に彼女の温かい指の感触を覚えながら、心拍数が上がっていくのを感じた。

 変な話だとは思う。だって、俺たちはこれまでカップルでもしないような、恥ずかしいことを小説のために繰り返してきたはずだ。

 それなのに、今まで繰り返してきたどんな過激な行為よりも、彼女と手を絡めている、カップルだったら当たり前のようにするであろうその行為に、俺は胸をドキドキさせているのだから。

「せ、先輩……こ、これで少しは……参考になりますか?」

 鈴音ちゃんは相変わらず顔を真っ赤にしたままそう尋ねた。

「う、うん……鈴音ちゃんのおかげでいい小説が書けそう……」

 と、声を振り絞るようにそう答えると、彼女は頬を真っ赤にしながらもわずかに微笑み、「お、お役に立てて嬉しいです……」と小さく答えた。

 俺たちは手を繋いだまま歩き出す。

 なんだろう……手汗が止まらねえわ……。

「ご、ごめん、手汗……ベタベタしない?」

 さすがに彼女を不快にさせるのは嫌だったので、思わずそう尋ねた。が、彼女はわずかに微笑んだまま首を横に振る。

「せ、先輩の手汗……不快じゃないです……。先輩も緊張しているのがわかって、少しドキドキします……」

 なんて言うもんだから、さらに手汗が止まらなくなる。けれども鈴音ちゃんも緊張しているのは、彼女の掌から感じるわずかな鼓動の感触で理解することができた。

 結局、それから俺たちはろくに会話も交わさずにモールを歩いた。

 次に会話を交わしたのは雑貨屋の店頭に並べられたヘアクリップを彼女が見つけたときだった。

「せ、先輩……これ、可愛いと思いませんか?」

 そう言って彼女はヘアクリップを手に取った。そのヘアクリップには小さな花がついていた。

「可愛いと思うよ」

 と、答えると彼女は共感してくれたのが嬉しかったのか、小さく微笑む。彼女はその小さなヘアクリップをしばらく掌に乗せて眺めた。

 そして、

「わ、私……これ買います……」

 どうやら彼女は購入を決めたらしい。俺から優しく手を放すと、レジのほうへと歩いていこうとした。が、そんな彼女の後ろ姿を眺めていると、いてもたってもいられなくなる。

「俺が買うよ」

 そう言うと、彼女は足を止めて俺を振り返った。そして、頬を真っ赤にしたまま顔の前でぶんぶんと手を振る。

「そ、それはさすがに先輩に悪いです……」

「いいよそれぐらい。それに小説のことで鈴音ちゃんには感謝してもしきれないぐらいだし、こんなので恩返しができるとは思っていないけど、せめてこれぐらいの恩返しはさせてほしい」

「そ、それはあくまで先輩の実力で……」

「そ、それに俺はそのヘアクリップを鈴音ちゃんに買ってあげたい」

…………

 そんな俺の言葉に鈴音ちゃんは頬を赤らめたまま黙り込んだ。

 俺の小説は日間ランキング一位を取った。それは紛れもなく鈴音ちゃんが俺のサポートをしてくれたおかげだ。

 日間一位だぞ?

 ただの底辺作家だった俺がそんな栄誉を賜るなんて、少し前の俺だったら信じられなかった。それを彼女はかなえてくれたのだ。

 だけど、それ以上に、俺は彼女にそのヘアクリップを買ってあげたかった。

「買っても……いいかな?」

 正直なところ怖かった。あまりしつように買うと言えば押しつけがましくなってしまう。気を遣わせてまでおごるほど惨めなものはない。

 そんな俺の言葉に鈴音ちゃんはしばらく黙っていた。

 が、不意に頬を赤らめると。

「あ、ありがとうございます……」

 と、小さく答えてくれた。

 買い物を終えて店の外に出ると鈴音ちゃんは相変わらず、少し恥ずかしそうに俺のことを待っていた。彼女にヘアクリップの入った小さな紙袋を渡すと、彼女はそれを受け取って胸に押し当てた。

「先輩、ありがとうございます。だけど、お金は大丈夫ですか? 結構高かったので……」

 と、嬉しそうにしながらも少し心配げに俺を見上げる鈴音ちゃん。そんな彼女に俺は「だ、大丈夫だよ。鈴音ちゃんには前からお礼がしたかったし」と少しひきつった笑みを浮かべる。

 そ、そうなのよ……結構高かったのよ……。

 だってヘアクリップだよ? 普通五〇〇円くらいだと思うじゃん?

 レジに行って二〇〇〇円って言われたときは正直、血の気が引いたね。

 慌てて財布を開いて手持ちを確認したよ。これで手持ちが足りないなんて事態になったら、恥ずかしいなんてレベルじゃねえ……。

 が、幸いなことにぎりぎり足りた。さっき自販機でジュース買おうか悩んだけど、あれ買ってたら、俺死んでたわ……。

 ま、まあ、なにはともあれ、ささやかながらも彼女にお礼ができた。そして、俺はこのとき初めて女の子にプレゼントをすることが、こんなにも楽しいことだということを知った。

 今だけはキャバ嬢に貢ぐ男の気持ちがちょっとだけわかるわ……。

 鈴音ちゃんはそんな俺に「う、嬉しいです……」と、答えると袋からヘアクリップを取り出して、それをしばらく嬉しそうに眺めていた。そして、俺を見やるとやっぱり少し恥ずかしそうにこう言った。

「付けてみてもいいですか?」

 と、彼女がそう言うので俺は頷く。すると、彼女は横髪に触れて、それを耳に掛けると、プレゼントしたヘアクリップを取り付けた。

「ど、どうですか?」

 鈴音ちゃんが恥ずかしそうにそう尋ねてくるので、俺まで恥ずかしくなる。

 可愛い……とんでもなく可愛い。

 彼女の髪のコスモスの花は、彼女の可憐さを引き立て、それでいて主張しすぎることなく、控えめに咲いていた。

「よ、よく似合ってると思うよ……」

 そう答えるのが精いっぱいだった。本当はこの上ない賛辞の言葉を贈りたい。

 もっと気の利いた言葉を贈りたい。

 だけど、そんなことをしたら、恥ずかしさで胸が張り裂けてしまいそうだ。結局、それしか言えなかったが、それでも彼女は満足してくれたようで「ありがとうございます……」と答えた。


 俺たちはその後もモール内でウィンドウショッピングを楽しんだ。その間、俺たちはずっと手を繋いだままだった。

 結局、最寄り駅へと戻ってくるころにはすっかり日が西に沈みかけていた。

 鈴音ちゃんとの手繋ぎデートに現実感がなく、終始ふわふわした気持ちになっていた俺だったが、さすがに最寄り駅まで戻ってくると、そうも言っていられなくなる。

 さすがに人目が気になるなぁ……。

 別に実際に付き合っているわけではないのだけど、最寄り駅付近には俺や鈴音ちゃんの同級生がいてもおかしくないのだ。

 さすがに二人で手を繋いでいるところを見られるのは色々とマズい気がする。

 だから、優しく彼女から手を放そうとした……のだが、彼女はぎゅっと俺の手を握りしめるもんだから、俺のドキドキが止まらない。

 指を絡められ、驚いた俺は隣の鈴音ちゃんを見やったが、彼女は俺には顔を向けずに、俯いていた。

「きょ、今日のデート、少しは先輩の創作の役に立てそうですか?」

 と、彼女は相変わらず俺には顔を向けずにそう尋ねた。

 正直なところ、創作の役に立つかどうかは微妙だ。彼女と初めて手を繋いでからの俺の記憶はおぼろげだからだ。

「そ、そうだな……少なくともデートシーンの参考には──」

「まだ足りないと思いませんか……?」

 と、そこで彼女は俺の言葉を遮るようにそう言った。

「え? た、足りないって……」

「聞いた話ではカップルはデートの別れ際にお互いの唇をその……」

 お、おいちょっと待て……それって……。

 鈴音ちゃんは優しく俺から手を放すと俺に向き直る。上目遣いで俺を見つめながら、自分の下唇を指で撫で始めた。

 そんな彼女を見て俺は確信する。

 つまり鈴音ちゃんは俺にキで始まってスで終わる二文字のあれをやってもよいと、許可しているのだ。

 おいおい、なでなでどころの騒ぎじゃねえぞ……。

「ちょ、ちょっと待ってくれ鈴音ちゃん。本当にそんなこと……」

 確かに俺たちは小説の参考にするためにデートをした。

 だけど、それはあくまでシミュレーションであって、キスをすることは一線を越えている。

 いや、ひもあめプレイとかバブみプレイとかすでに一線は越えているんだけど、それとこれとではわけが違う。

 本当にわけが違うのか?

 いや、違うったら違うんだっ!!

 動揺する俺を見て、鈴音ちゃんはハッとしたように目を見開いた。

「す、すみません……私……」

 どうやら彼女はさすがに自分の提案が行き過ぎだったことに気がついたようだ。

 そんな彼女にあんした俺だったが、彼女は不意にスカートのポケットから何かを取り出す。

 それは飴玉だった。

「鈴音ちゃん?」

「そ、そうですよね……。先輩の書いているのはえっちな小説ですもんね? 普通のキスなんてしても、参考にならないですよね?」

 あ、違う……。

 俺は手法のことを話したいんじゃなくて、もう一歩手前の話をしてるんだよ。

 あと、その飴玉……何に使うつもりなの?

 すっごくわいな妄想しか膨らまないんだけど……。

「せ、先輩は、私とキスをするのは……嫌ですか?」

 と、あまりにも破壊力のある彼女の一言に、俺は一瞬昇天しそうになる。

 嫌だと? 水無月鈴音とキスをするのが嫌だと?

 そんなはずがない。だけど、鈴音ちゃんはいいのか?

 彼女はデートという疑似恋愛をしてしまったせいで、理性を見失ってしまっているんじゃ……。

 今は雰囲気に飲まれてこんなことを言っているけど、後で後悔するんじゃ……。

 なんて一人あたふたしていると、鈴音ちゃんはゆっくりと瞳を閉じて背伸びをした。

 ダメだ……もう逃げられない……。

 そして、二人の唇がいよいよ触れようとした……その時だった。

「りゅ、りゅ、りゅうたろおおおおおおおっ!!

 俺と鈴音ちゃんの唇が触れるその直前、そんな声が俺の耳をつんざく。

 俺と鈴音ちゃんは慌てて声のした方向に顔を向けると、そこには見知った顔があった。

 水無月翔太が鬼の形相で俺を睨みつけていた。

 どうやら俺は五分五分の賭けに負けたらしい。