第二章 鈴音ちゃんは変態の天才



「おにいっ!! たまには一緒に学校行こうよっ!!

 すずちゃんの一世一代の大告白を聞いた次の日、俺がいつものように身支度を整えて学校へと向かおうとしていたところに、ゆきが声を掛けてきた。

 玄関で靴を履いていた俺が振り返ると、そこにはセーラー服を着た深雪の姿があった。

「おにい聞いてんの? 一緒に学校行こうよって言ってんだけど」

「は? 寝ぼけてんのか?」

「お目目ぱっちりだよ。この可愛かわいい深雪ちゃんが、おにいと一緒に学校に行こうって言ってるのが聞こえなかった?」

 と、小首をかしげる深雪。そんな妹を俺は冷めた目で見つめる。

「なんで、俺とお前が一緒に学校に行かなきゃならん。だいたい学校だって別々だろ」

「学校の最寄り駅は一緒なんだし、いいじゃん。ね、おにいっ」

 そう言って深雪はれしく、後ろから俺に抱きついてくる。

 おいおいどうした深雪ちゃん。頭でも打ったか?

 おにいの服と一緒に自分の下着を洗うなって母親に言っていた深雪ちゃんが、どうして俺なんかと一緒に登校したいんだ?

 正直なところ深雪の行動がさんくさく、できれば別々に登校したい。

「いや、俺はやっぱり──」

「一緒について来いって言葉が聞こえなかったのか? 殺すぞ」

………………はい、一緒に登校させていただきます」

 こっわ……。

 どうやら俺に拒否権なんてものは最初からなかったようだ。

 いつもの深雪ちゃんじゃない低いトーンの声で脅された俺は、やむなく一緒に登校することになった。

 深雪が靴を履くのを待って、玄関のドアを開けた俺だったが、一軒家の門の前に立つ少女を見た瞬間、妹がしつこく俺を誘った理由を理解した。

「先輩、おはようございます……」

 鈴音ちゃんは俺の姿を見つけると、にっこりと清涼感抜群の笑みを浮かべて馬鹿丁寧に俺にお辞儀をする。

 なるほど……。

 深雪に完全にめられたらしい。何食わぬ顔で鈴音ちゃんに手を振る深雪をにらんでやったが、彼女はしてやったりと言わんばかりにニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。

「鈴音ちゃん、お、おはよう……」

 とはいえ、こうなってしまった以上、後戻りすることもできず、妹への怒りを隠しながらぎこちない笑顔で挨拶を返した。

 それにしても可愛い。

 今日の彼女もひだまりのようにまぶしく、それでいて清潔感にあふれている。

 うそみたいだろ? この子、俺の書いてる妹寝取られモノの官能小説を読んでるんだぜ?

 門を出ると深雪は両手を合わせて「ごめんね、もしかして待たせた?」と謝ると、鈴音ちゃんは「ううん、私も今着いたばかりだよ」と首を横に振った。

 彼女は一度不思議そうに俺の顔を見やると再び深雪に顔を向ける。

「今日は先輩と一緒に登校なんだね」

 どうやら鈴音ちゃんは俺も一緒にいることを聞いていなかったようだ。少し不思議そうに首を傾げた。すると、深雪はまるで汚物でも見るような目で俺を見上げる。

「はぁ……なんか、朝からおにいが一緒に登校しようってしつこいんだよね……。ほんと、シスコンってキモいよね……」

「おうおう、色々と話が違いますなあっ!! 深雪ちゃんよぉっ!! 寝ぼけてるならぱたいてやろうか?」

「だからね、今日はしぶしぶおにいと一緒なの……」

 そんな俺と深雪の会話を見て、鈴音ちゃんは何が面白かったのかクスリと笑みをこぼした。

「深雪ちゃんたちって本当に仲良しなんだね。なんだか羨ましいな……」

 なぜか羨むような目で俺と深雪を交互に見やる鈴音ちゃん。俺と深雪は顔を見合わせた。

「でも鈴音ちゃんとしようくんだって仲良しでしょ?」

 二人が同時に抱いた疑問を代表して深雪が尋ねる。

 そんな深雪の問いに鈴音ちゃんは「うん、とっても仲良しだし、私、お兄ちゃんのこと大好きだよ……」と少し歯切れが悪そうに答えた。

「でも私は、深雪ちゃんや先輩みたいに冗談が言いあえるような関係が楽しそうだなって」

 そんな鈴音ちゃんの言葉に俺は少し考える。

 確かに、鈴音ちゃんと翔太の関係は俺と深雪の関係とは少し違う。

 仲がいいのは間違いないのだろうし、鈴音ちゃんも翔太のことが大好きなのはわかるけど、なんだか『仲が良い』の種類が俺たちとは違うのだ。

「じゃあ、行くか」

 そう言って三人で歩き始める。

 翔太には先に行ってろって連絡しておくか。

 それから俺たち三人は他愛たわいもない話をして学校へと向かった。

 が、五分ほど歩いたところで不意に深雪が足を止める。

「しまったっ!!

「んだよ。どうかしたのか?」

「昨日の課題を机に置いたままだ」

 と、言うや否やなぜか俺をじっと見つめた。

「あははっ!! わ、私、家に取りに帰るから……二人はその……先に行ってていいよ」

 そう言うと逃げるように深雪は回れ右をして自宅へと走っていった。そんな深雪の背中を眺めながら俺は頭を抱えたくなる。

 おいおい深雪ちゃんよぉ……さすがに演技が下手すぎるんじゃねえか……。

 どうやら、もともとこうするつもりだったようだ。

 自称俺と鈴音ちゃんのキューピッド深雪は俺と鈴音ちゃんを二人きりで登校させたかったらしい。

「どうしましょうか?」

 と、突然の出来事に少し困った様子の鈴音ちゃん。

 可愛い妹のために、あいつが帰ってくるまで、ここで突っ立ってやろうかと思ったが、そんなことをしたら後でぶん殴られそうな気もする。

「まあ深雪も先に行けって言ってたし、俺たちだけで行くか」

 そう言うと、鈴音ちゃんはわずかにほおを染めて「そ、そうですね……」と答えた。

 学校へと歩き出す俺たち。が、昨日の件もあり、なんとも気まずい……。

 そんなこんなで歩き始めて数分はお互いに言葉を発することもなく、黙々と歩くことになったのだが……。

「昨日のことですが……」

 ふいに鈴音ちゃんが沈黙を破る。

 いきなり昨日のことを話題に上げる鈴音ちゃんに、俺は頬が熱くなるのを感じた。鈴音ちゃんもまた俺を見て顔を赤くする。

 住宅街のど真ん中に赤信号が二つ並び、ちょっとした交差点ができた。

「昨日は私の話を真剣に聞いていただき、ありがとうございました」

「ああ、気にしなくてもいいさ。鈴音ちゃんは翔太の妹だし、親友の妹の悩みだったらいつでも聞くよ」

 まあ、親友というのも最近は有名無実化してますけどねっ!!

 と、そこで鈴音ちゃんは学生鞄のファスナーを開いて中をまさぐりはじめる。

 鞄から手を出すと、そこには何やら小さなラッピング袋が握られていた。袋には小さな猫のイラストが描かれている。

「先輩、こんなものでお礼ができるとは思っていませんが、よければ食べてください」

 そう言って彼女は俺に袋を差し出した。

「これは?」

「クッキーです……。と言っても深雪ちゃんみたいに上手うまくはできませんでしたが……」

もらってもいいのか?」

「はい、それに先輩にはいつも小説でお世話になっていますし……」

 どうでもいいけど、そのお世話になってるって表現は語弊があるから、あまり良くない気がするなぁ……。

「受け取っていただけますか?」

 鈴音ちゃんは俺が拒否するとでも思っているのだろうか、少し不安な、そして怖がっているような表情だった。

「じゃあ、お言葉に甘えていただくよ。ありがとう、鈴音ちゃん」

 彼女の頬がわずかに綻ぶ。

 可愛い……。

 俺の官能小説を読んでいるという事実にさえ目をつぶれば、写真を撮ってスマホの壁紙にしたいぐらい可愛い笑顔だわ。

「ところで先輩、小説のことなんですが……」

 そして、すぐに現実に引き戻される。

 どうやら官能小説を読んでいる事実に目を瞑るという前提がそもそも無理ゲーらしい。

 彼女は乙女のように胸の前で両手を組んで、キラキラした瞳で俺を見上げた。

 その輝く瞳には一点の曇りもない。

「先輩は『親友の妹をNTR』を将来的に書籍化させるつもりはあるんですか?」

「鈴音ちゃん、作品名は省略しても大丈夫だから」

 できれば鈴音ちゃんの口からそんな言葉は聞きとうない。

 そして、鈴音ちゃんもまた自分のハレンチな発言を自覚したようで、「はわわっ……」と頬を真っ赤に染める。

「ご、ごめんなさいっ。ですがその……先輩がプロの小説家さんになるつもりがあるのか知りたくて……」

「プロの小説家か……」

 正直なところあまり意識したことがなかった。

 もちろんこれまでも人並みには小説に対して真摯に向き合ってきたつもりだ。だが、それはあくまでWEB小説家としての話だ。

 そもそもこれまでランキングにまともに載ったこともないし、そんなオファーが来るとも夢にも思っていなかっただけに、そこから先のことはあまり考えたことがなかった。

「先輩の小説はすごくえっちで面白いです。他の官能小説と比べても、圧倒的にクオリティが高いと私は思います」

 さらっと他の官能小説にも手を出していることをカミングアウトしつつ、俺の小説を絶賛してくれる鈴音ちゃん。

「私、先輩の小説をもっと多くの人に読んでもらいたいです。ホントは深雪ちゃんにだって薦めたいですし、もっと多くの人たちにも先輩の実力を知ってもらいたいです」

 なんすかその公開処刑は……。

 深雪が俺の小説を読むとかどんな地獄ですか?

 が、まあ鈴音ちゃんがそこまで俺の小説を好きでいてくれることは、友人としてはともかく、小説家としてはうれしい。

 そんな彼女に「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」とお礼を言うと、彼女はなぜかわずかに表情を曇らせて俺から視線をらした。

「でも先輩は、まだ本気を出していないですよね?」

「え? いや、あれが俺の実力だと思うけど……」

 さすがにそれは鈴音ちゃんの買いかぶりである。だが、そんな俺の言葉が認められないのか彼女は首を横に振る。

「そんなことないです。先輩はまだ少し小説に対する遠慮を感じます……」

「いや、別に遠慮なんて……」

 そこまで言ったところで鈴音ちゃんが俺の手をつかんだ。

 え? 鈴音ちゃんの手、あったかくて柔らかい……。

 などと一人感動していると、彼女は「先輩、ちょっとこっちに」と俺の手を引いて近くの木の陰へと引っ張っていく。

「鈴音ちゃん?」

「私、先輩が自分で思っている以上に、もっともっと変態さんだって知っています」

 俺は褒められているのだろうか? けなされているのだろうか?

 彼女は人目を確認してからその場にしゃがみ込むと、掴んだ手をぐいぐいと下にひっぱり俺もしゃがませる。

 そして、彼女は鞄のファスナーを再び開くと中から何かを取り出した。

「先輩、これを見てください」

 そう言って彼女が俺の前に掲げたのは銀色のスプーンだった。

 彼女は俺へと顔を接近させると、「昨日のあんみつ美味おいしかったですね? 実はあの喫茶店で使われていたスプーンと同じものが家にあったんです」と頬を染めながらわずかに口角を上げる。

「先輩、昨日私が餡蜜を食べさせてあげたとき、すごく嬉しそうな顔をしていましたね……」

「っ……」

「そして、お口の中でスプーンを回したときはもっと嬉しそうな顔をしていました……」

「いや、それは……」

「べ、別にいいんですよ……。もっと素直になっても、私は先輩のこと軽蔑したりしないですから」

…………

 どうやら例の喫茶店で俺に餡蜜を食べさせていたとき、彼女は俺の性癖を確認していたらしい。

「普通、口の中でスプーンなんて回されたら不快に思いますよね? それなのにどうして先輩はあのとき、あんなに嬉しそうな顔をしたんですか?」

 そう言って彼女は接近させた顔をさらに接近させて、俺の瞳の奥をじっと見つめる。彼女はスプーンで俺の下唇をわずかにで始めた。

 あーこれやばいわ……。

 下唇に感じるくすぐったさと、スプーンの冷たさに思わず身震いした。そんな俺の瞳を見て彼女はくすっと笑う。

「やっぱり嬉しそうな目をしますね? 年下の女の子にこんな風にされて怒らないんですか?」

「鈴音ちゃん、どうしたの?」

「先輩、お口をあ~んしてください」

 完全に彼女にもてあそばれている。彼女のそんな挑発的な言葉にそのことをはっきりと自覚した。

 年下の女の子にこんなふうに弄ばれて俺は腹が立たないのだろうか?

 完全になめられているぞりゆうろう。さすがにここまでされて、黙って口を開けるのは先輩としての威厳がなくなってしまう。

 竜太郎よ。彼女の言うことを聞いてはダメだ。

 ここはスプーンを掴んで『先輩をからかっちゃいけないよ』と注意してあげるのが先輩としての役割だ。

 彼女からの誘惑に負けそうになった俺だったが、すんでのところで思いとどまり心を鬼にした。

「あ~ん」

 結局、俺は鈴音ちゃんに言われるままにお口を開く。

 すると、するするとスプーンの先端が俺の口内に入ってきた。

 スプーンをくわえる俺を鈴音ちゃんはクスクスと笑うと「お利口さんですね。えらいえらい」と褒めてくれる。

 悪くない感覚。

 俺の先輩としての威厳はこの瞬間、きれいさっぱりなくなった。

「先輩はもっと自分の欲を小説に盛りこんでもいいと思います。そうすればもっと多くの読者さんが先輩の小説を読むようになると思います」

 俺をイジメるようにお口の中をスプーンでかき混ぜる鈴音ちゃん。

「そうすればランキングだって上がると思いますし、ランキングが上がればプロになることだって不可能ではないと思います」

 返事をしたいが、スプーンを口に突っ込まれているせいで返事ができないのでコクリとうなずいておく。

「私、先輩の力になりたいです。先輩がプロの小説家になれるように、ホントの先輩をもっともっと引き出してあげたいです」

 鈴音ちゃんの回すスプーンが奥歯や舌に触れて口の中を刺激する。

 恥ずかしさといやらしさで胸のドキドキが止まらない。

 どうやら鈴音ちゃんは、昨日喫茶店で俺に話を聞いてもらって、本気で着飾ることを止めてしまったようだ。

「先輩ってば、赤ちゃんみたいで可愛い」

 そう言って彼女はスプーンで俺の舌の側面をなでなでして俺をなぶってきた。

 一分ほど俺の口の中を弄んだところで、鈴音ちゃんは俺の口からスプーンを引き抜く。

 彼女はスプーンを眺めると「先輩の唾液……いっぱい付いちゃいましたね」と、その言葉通り唾液の付着したスプーンを見せびらかせてきた。

「は、恥ずかしいですか?」

「は、恥ずかしいです……」

「後輩のスプーンにこんなにいっぱい唾液をつけるなんて、ひどい先輩ですね……」

 あーなんだろう……すごくいい……。

「ご、ごめん……鈴音ちゃん」

 俺が悪いわけではないのに思わず謝ってしまう。

 そんな俺に鈴音ちゃんは首を傾げた。

「なにに謝っているんですか?」

「いや、なにって……」

 そんなもん一つしかないだろ……。

 だけど、目の前の少女には俺がなぜ謝っているのかわからないようだ。鈴音ちゃんはしばらく頬に人差し指を当てたまま考えてからわずかに口角を上げた。

「せ、先輩の口から聞きたいです……」

「なっ……」

 おいおい嘘だろ。俺の口をスプーンでさんざん弄んでおいて、この子はまだ足りないと言うのか?

「どうして謝ったのか、先輩の言葉でちゃんと説明してほしいです」

 どうやら彼女は俺にさらなる羞恥心を植え付けて、徹底的に俺の心を折りたいらしい。

「先輩……どうして謝るんですか?」

 ダメだ。鈴音ちゃん、強すぎる……。

「そ、その……鈴音ちゃんの大切なスプーンを……」

 あー恥ずかしくて死にたい……。

「私の大切なスプーンがどうしたんですか?」

「す、鈴音ちゃんの大切なスプーンを……」

 そこまで言って一度深呼吸をする。鈴音ちゃんはそんな俺をじっと見つめて、俺が謝るのを待っていてくれた。

 もうやるしかない。羞恥心を捨ててやるしかない。

「す、鈴音ちゃんの大切なスプーンを俺の唾液まみれにしてごめんなさいっ!!

 あー死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい。

 その場でのたうち回りたいぐらい恥ずかしい。

 瞳ににじむ涙を流さないように必死で耐えていると、鈴音ちゃんはにっこりと微笑ほほえんだ。

「先輩、すなおに謝れてお利口さんですね。えらいえらい」

 と俺のことを褒めてくれる。

「ですが謝る必要はありませんよ。先輩の可愛いお口にスプーンを入れたのは私なので」

 そう言って鈴音ちゃんはスプーンをハンカチで巻くと鞄に入れた。そして、真剣な目で俺を見つめる。

「先輩、私と一緒にプロの小説家を目指しませんか? 私、先輩の一番の読者として、先輩の小説がもっともっと多くの変態さんに読まれる姿が見たいです」

「でも、俺なんかじゃ……」

「そんなことないです。先輩の才能は私が保証します」

 そう答えると彼女は可愛く握りこぶしを作って俺を励ましてくれた。


 放課後、俺は校門の前に立っていた。

 実は今朝、鈴音ちゃんから『放課後は校門の前でお利口さんにしていてくださいね』と言われたのだ。

 どうやら創作に役立つ場所へと連れていってくれるらしい。

 具体的にどこに行くのかは教えてくれなかったが、行けばわかるということなので、とりあえず校門の前でお利口さんにしていたのだが、鈴音ちゃんの姿はない。

 授業が遅れているのかな?

 なんて考えながら校門前に立ってあたりを見渡していたのだが……。

 なんじゃありゃ……。

 俺は奇妙なものを見た。

 俺の視線の先には『創立十周年記念樹』と書かれた大きな桜の木。そして、そこからひょっこりと顔を出す女の子。

 よく見ると鈴音ちゃんだ。鈴音ちゃんは体を木に隠したまま俺を手招きしている。

 こっちに来いということらしい。

 とにもかくにも呼ばれたので行かないわけにはいかない。首を傾げながらも記念樹へと歩み寄る。

「驚かせてごめんなさい……」

 鈴音ちゃんはやってきた俺に向かって丁寧に頭を下げた。

「いや、別に構わないけど……なんでそんなところにいるの?」

 そう尋ねると鈴音ちゃんは「えへへ……」と苦笑いを浮かべた。

「学校の中には兄の知り合いもいますし、なんというかその……こういうことを自分で言うのは恥ずかしいのですが、私は結構人目につきやすいので……」

 そう言って頬を染める。

 なるほど、ここ数日でド変態のイメージが先行しすぎて忘れていたが、鈴音ちゃんは圧倒的な学園のアイドルだった。

 どうやら流石さすがの鈴音ちゃんも自分がそれなりに目立つ存在であることは自覚しているらしい。

「確かにな……。でもそれなら、わざわざ学校内で待ち合わせなんてしなくても……」

 目立つのが嫌なら、わざわざこんなところを待ち合わせ場所にする必要はない。駅前……は流石に目立つけど、昨日みたいに喫茶店とかなら多少は人目が避けられるはずだ。

「そうなんですけど、今日はここで待ち合わせないといけないんです」

「どういうこと?」

「先輩を連れていきたい場所は学校の中にあります」

 鈴音ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 どうやら、これから怪しげな学校探索が始まるらしい……。

 創作活動に役立つ場所……。

 その言葉に甚だ怪しさを感じていた俺だったが、鈴音ちゃんに連れられてやってきたのは、意外にも怪しさの欠片かけらもない健全の極致のような場所だった。

「ここって……」

「図書室です。実は私、図書委員をやっているのですが、ここが最近の私のお気に入りの場所です。ここなら先輩の創作活動の役に立つと思います」

「まあ確かに役立つと言えば役立つけど……」

「ごめんなさい。期待外れでした? 保健室とかのほうがよかったですか?」

「いや、むしろ安心しているぐらいだよ……」

 鈴音ちゃんのことだから、本気で保健室にでも連れていかれるのかとハラハラしていたが、図書室というチョイスに正直なところ安心した。

 灯台下暗しというかなんというか、確かにここにノートパソコンでも持ち込めば、静かに執筆もできるし、官能小説に役立つかどうかはともかく資料集めはできそうだ。

「ごめん、鈴音ちゃんのことを誤解してたよ」

「誤解……ですか?」

 鈴音ちゃんはきょとんとした顔で俺を見上げる。

「ああ、鈴音ちゃんが思っていたよりも分別のある女の子で安心したよ」

 そう答えると鈴音ちゃんはちょっとだけ不服そうに頬を膨らませた。

「先輩。私は確かに他の女の子よりもその……ちょっぴりえっちなところはあるかもしれませんが、それでもちゃんと人の目は気にしています」

「そ、そうだよな。変なこと言って悪かったな」

 これでも鈴音ちゃんは学園一の淑女で通っているのだ。たとえ本性がド変態だとしても、そう思わせない能力は備わっているはずだ。

「じゃあ、入りましょうか……」

 鈴音ちゃんが先導するように図書室に入るので、彼女の後に続く。

 今になって気づいたが、入学して以来、図書室に入るのはこれが初めてだ。

 そもそも読みたい本はいつも本屋で買っているし、俺の読むようなライトノベルの類いはこの学校の図書室には置かれていないことも、友人から聞いていた。

 図書室に入った瞬間、ほのかに香るカビの匂いとほこりっぽさ。教室を二つくっつけたほどの広さの図書室の奥半分は本棚に占領されており、手前に置かれた大きなテーブルでは生徒が二、三人ほど読書にいそしんでいた。

 鈴音ちゃんはまずカウンターに向かうと、今日受付当番の生徒に軽く挨拶をして、本棚のある奥へと歩いていく。

 静かな図書室では俺と鈴音ちゃんの足音でも室内に響いてしまう。

 鈴音ちゃんは図書室の一番奥の本棚の前までやってくると、丁寧にスカートの裾を折って、その場にしゃがみ込んだので、俺もその隣にしゃがみ込んだ。

「ここです……」

 彼女は声を抑えて天井まで続く巨大な本棚の一番下の棚を指さす。

「ここがどうかしたのか?」

…………

 鈴音ちゃんは俺の問いかけには何も答えず、か恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 俺は本棚を見やった。どうやらこの棚は東南アジア諸国の文化について書かれた本が並んでいるようで、背表紙を見る限り『インドネシアとイスラム文化』『カンボジア宗教旅行記』など、言い方は悪いが高校生があまり手を付けなそうな本が並んでいる。

 首を傾げる。なんで鈴音ちゃんは俺をこんなところに連れてきたんだ?

 少なくともそれらの書籍は俺の小説の資料としてはあまり役立ちそうには感じられなかった。

 そんな俺に鈴音ちゃんは相変わらず頬を染めていた。そして、顔を真っ赤にしたまま俺を見つめるとようやく口を開く。

「私のコレクションです……」

「コレクション? 鈴音ちゃんって外国の文化に興味でもあるの?」

 が、鈴音ちゃんは顔を赤らめたまま首を横に振る。

 その表情からはまるで、私の口から説明させないで、とでも言っているようだった。この健全な空間で何が彼女をそんな表情にさせるのか?

 とりあえず俺は、今後一生読まなそうな背表紙を眺めると、その中の一冊を引き抜いた。

 そして、一ページ目をめくった瞬間、心臓が止まりそうになった。

「鈴音ちゃん、これっ!?

 慌てた様子で鈴音ちゃんがあたりを見回して指を口に当てる。

「せ、先輩っ、声が大きいです……」

「え? あ、ごめん……だけど……」

 俺が手に取ったのは東南アジアの文化を伝える文庫本だったはずだ。

 表紙を再度確認するが、そこには確かに、アンコールワットらしき写真と堅苦しいタイトルが書かれている。が、一ページめくるとそこには『背徳の補習授業 鈴香の場合 フランツ書院』と書かれている。

 やっぱりこの子ド変態だ……。

 俺は頭を抱える。やっぱり鈴音ちゃんは俺以外の作品にも手をつけているらしい……。

 あきれた顔をする俺を鈴音ちゃんは泣きそうになりながら見つめる。

「先輩だから教えたんです……。そんな軽蔑するような目で私を見ないでください……」

「い、いや、軽蔑なんてしてないよ。ってか、なんでこんな本がこの健全な図書室に置かれているんだよ……」

「それは……」

 と、そこで鈴音ちゃんは少しバツの悪そうな顔で俺から目を逸らした。

「先輩はさっき図書室の入り口に置かれた寄贈ボックスと書かれた箱を見ましたか?」

「え? ああそう言えばあったような……」

「あれは生徒たちのいらない本を収集する箱です。図書委員はその箱に入っている本を先生に検閲してもらってから寄贈本として図書室の本棚に並べるんです」

「いや、検閲って、こんな本が検閲を通るわけないだろ」

「検閲なんて名ばかりです。実際には寄贈ボックスに入っている大量の本の表紙だけを見て、大丈夫なものに先生が『寄贈本』のスタンプを押すだけです」

「つまり鈴音ちゃんは表紙だけをそれっぽい本にすり替えて、寄贈本に交ぜたってことか?」

「そうです……」

 とんだ変態策士が目の前にいた。この手を使えば堂々と鈴音ちゃん好みの小説を図書室の本棚に並べることができるのだ。

 きっと東南アジア文化の棚に交ぜたのは、この棚がこの図書室でひと際人目につかない場所に位置しているからだ。

「だけどよ。こんなもん図書室に並べてどうするんだよ」

「読むんです……バレないように……」

「っ……」

 俺は遠くのカウンターに座る図書委員の女子生徒を見やった。彼女は退屈そうに文庫本を眺めている。

 なるほど、鈴音ちゃんは当番の日にあそこに座りながら、こっそりコレクションを読んでいるというわけか……。

 これが学園一のアイドルにして淑女である鈴音ちゃんの実態である……。

「わざわざそんなリスクを取らなくても、家から持ってくればいいじゃねえかよ」

 と、尋ねるが鈴音ちゃんは激しく首を横に振る。

「部屋には隠せません。お兄ちゃんが時々私の部屋をこっそり物色しているみたいなので……。それに……部屋で読むよりもここでみんなの視線を気にしながら読んだほうが、なんだかドキドキします」

 と、鈴音ちゃんはさらっと兄の性癖と、自身の性癖も告白する。

 開いた口がふさがらない俺だったが、ふと思う。

「ちょっと待て……」

 そう言えば鈴音ちゃんはさっきコレクションとか言ってたよな。

 ハッとしてそこに並んだ文庫本を手当たり次第抜き取って表紙をめくる。

『野球部マネージャーの裏の献身』

『東京変態女子校生』

『友達の兄は私の家庭教師で……』

 OH……NO……。

 大切な東南アジアの文化が、鈴音ちゃんによって絶絶の危機にひんしていた……。

「先輩……」

「なんだよ……」

「私、先輩にはお礼なんかでは伝えられないぐらいの感謝をしているんです。ですから微力ながらも先輩の創作活動に役立ちたいんです」

 と、水晶玉よりもけがれのないまっすぐな瞳で俺を見つめる鈴音ちゃん。

 鈴音ちゃんよ。きみはどうしてそんな純粋な心でそんなド変態なんだ……。

 鈴音ちゃんは本棚に目を落とすと、コレクションの中から一冊抜き取って、それを胸に抱えた。

「先輩、せっかくですから少し読んで帰りませんか?」

 そう言って小首を傾げてわずかに微笑む。

 可愛い……。

 彼女がとんでもないことを口にしているのはわかるのだけど、その可愛い笑顔のせいで、まるで、なんだかそれがとても健全な行為のように錯覚してしまう。

 結局、俺は断りきれず彼女の提案を了承した……。


 窓から差し込む風がカーテンをなびかせる。

 一年の中で今日こそが春だと確信できる心地よいそよ風を感じながら、俺は正面に座る文学少女に目を奪われていた。

 美しい……。

 ただ図書室で本を読んでいるだけなのに、それがづき鈴音というだけで印象派の絵画でも眺めているような錯覚を覚える。

 きっと誰だって彼女を見ればそう思うに違いない。

 彼女の本を読む姿は、一〇〇人の男がいれば一〇〇人が見入ってしまいそうな、魅力がある。

 だが、そんな渓流のように心洗われる光景をぶち壊しにすることができる言葉を俺は知っていた。

『生徒会長の調教備忘録 フランツ書院』

 それが彼女の読んでいる小説のタイトルだ。

 あ、ちなみにダミー表紙は『カザフスタンの食文化』というタイトルです。

 彼女のコレクションは東南アジアだけでは飽き足らず、中央アジアにもその勢力を伸ばし始めていた。

 現代を生きるチンギスハンの姿がそこにはあった。

 目の前で読書に勤しむ鈴音ちゃんを眺めながら、俺は呆れを通り過ぎて感心していた。

 よくもまあ図書室でこんなにも集中できるものだ。彼女はもうかれこれ一時間近く官能小説を読み続けている。

 まあスマホで連載のプロットを練っている俺が言えた立場ではないけど、少なくとも俺の後ろには窓しかなく、図書室は三階なのでまず誰かにのぞかれることはない。

 が、正面に座る鈴音ちゃんはそうではない。

 彼女の後ろにはカウンターや隣のテーブルがある。現にさっきから何人かの生徒が彼女の後ろを通り過ぎているし、その気になったら覗けてしまいそうだ。

 あ、ちなみに俺の名誉のために言っておくが、俺は最初、鈴音ちゃんに窓際の席を勧めた。が、彼女自身が「こ、こっちのほうがドキドキします……」と言って、わざわざあちら側に座ったのだ。

 なんでも後ろを人が通ると恥ずかしくて胸がキュンってなるんだって……。

 たぶん彼女は日本一キュンの使い方を間違えている。

 が、さすがに彼女も人目というものは気にしているようで、後ろを誰かが通り過ぎるときには、慌てて開いた本に顔を埋めてやり過ごしている。

 あと、これは余談だけど、時折、彼女が急に頬を赤らめたり、わずかに身をよじったりするせいで、彼女がどのタイミングでその手のシーンに差し掛かったのかが、こっちから丸わかりだ。

 小説に夢中になる鈴音ちゃんとは対照的に、俺のプロットは暗礁に乗り上げていた。

 まあ当然と言えば当然だ。目の前の少女は俺の小説を愛読しているのだ。そして彼女はヒロインのモデルが自分だと知っている。

 つまり、ここで俺が過激な描写をすることは、目の前の少女に、俺はきみを脳内でこんな風にめちゃくちゃにしていましたと告白しているようなもんだ。

 そのせいで、今一つ踏み込んだプロットが作れないでいた。

 スマホと睨めっこしながらもんもんとする俺。

 と、そこで正面の変態文学少女が、不意に文庫本をテーブルに置くとカウンターへと歩いていく。彼女は受付当番の生徒に何かを話しかけると、その生徒から何かを受け取ってこちらへと戻ってきた。

「どうかしたのか?」

「なんだか彼女、疲れているみたいだったので、戸締まりを代わりました。どうせ私は閉館までいますから」

 カウンターを見やると、生徒は鞄を手に取ると鈴音ちゃんに頭を下げて図書室を出ていった。

 そこで俺はいつのまにか図書室に俺と鈴音ちゃん以外に人影がないことに気がつく。

「この時間はいつもこんな感じですよ」

 彼女は俺の心を見透かすように答えた。

「それよりも先輩……なにか私にお手伝いできることはありますか?」

「お手伝い?」

「小説のことです……」

「あぁ……」

 変態ながらも心優しい鈴音ちゃんは、俺の小説が停滞していることを心配してくれているらしい。

「ありがとう。だけど、大丈夫だよ」

 そう答えると鈴音ちゃんは「そうですか……」と少し残念そうに答えた。

 その後、鈴音ちゃんは何か考えるように「う~ん……」としばらく唇に人差し指を当てていたが、不意にハッとしたように目を見開く。

 そして、なぜだか頬を真っ赤に染めながら俺を見つめた。

「あ、あの……先輩……」

「ど、どうしたの?」

「い、いっぱい見てもいいですよ……」

「はい?」

 と、突然、わけのわからないことを言いだす鈴音ちゃん。俺が聞き直すと彼女は今にも泣きだしそうな瞳を見せて震える声で言う。

「そ、その……先輩の小説のモデルは私……なんですよね?」

「そうだけど、それがどうかしたのか?」

「だからその……もしも先輩の小説の手助けになるのであれば、私のことをその……えっちな目でじろじろ見てもいいですよ……」

「す、鈴音ちゃんっ!?

 誰もいないのはわかっていても思わずあたりを見回してしまう。

 目の前の美少女が、自分をエロい目で見てもいいと言っている。なんという悪魔の誘惑。いったいこの誘惑に屈しない男などこの世に存在するのだろうか。本気でそう思った。

 しかも恐ろしいことに彼女の瞳はどこまでも澄んでいて、ただただ俺の小説の手助けがしたいという純粋な感情しか伝わってこない。

「わ、私のことなら心配していただかなくても大丈夫です。ちょっと恥ずかしいですけど……それで先輩のお役に立てるのであれば、どこからどう見ていただいてもかまいません」

っ…………

 どこからどう見ても……。

 ダメだ。心の中で罪悪感と男のロマンが殴り合って全く決着がつきそうにない。

…………

…………

 俺はどちらの決断も下せずに図書室を沈黙が覆う。

 鈴音ちゃんは相変わらず澄んだ目で俺のことを一心に見つめていた。そして、先に沈黙を破ったのは鈴音ちゃんだった。

「先輩って女の子の脚が好きですよね?」

「え、え~と、何の話かな?」

「私、知ってます……。だって、私、先輩の小説の一番の読者ですから。先輩の小説は女子校生のスカートから出てくるふとももの描写が多いです」

 鈴音ちゃんからの突然の指摘に、顔がみるみる熱くなる。

「どうなんですか? 先輩……」

「いや、それは……」

 結論から言うと、鈴音ちゃんの指摘は正しい。

 正直なところ脚の描写を意識的に書いたつもりはなかったが、俺の小説には無意識に性癖が投影されていたようだ。

「好きなんですよね……女の子の脚……」

 鈴音ちゃんの目は確信めいており、わずかに笑みを浮かべている。

 殺してくれええええええええっ!! 誰か今すぐに俺を殺してくれえええええ!!

 生まれてこのかた味わったことのないような羞恥心が俺を襲った。

「私、数えたんです。先輩のお役に立ちたかったので……。そしたら先輩の小説の描写は胸の描写に比べて、脚の描写のほうが三・一四倍も多かったです……」

 な、何だよ。その人生で全く役に立たない変態円周率はっ!!

 どこまでストイックなんだよ。この子は……。

 鈴音ちゃんは全てお見通しなのだ。彼女はきっと小説を目を皿にして読んでいる。その中で彼女は完璧に俺の性癖を見透かしていた。

 彼女の見た目にだまされてはダメだ。

 彼女の変態ぶりは俺の想像をはるかにりようしている。

 まるで彼女のてのひらの上で転がされているようだった。

…………

 羞恥心のあまり声を発することもできない。

 そこで鈴音ちゃんは立ち上がる。彼女の頬もやっぱり赤い。

 きっと無理をしているのだ。本当は恥ずかしいはずだ。そうに決まってる。だけど、俺の小説のために体を張ろうとしているのだ。

 鈴音ちゃんは膝丈のスカートの裾を指でつまんだ。

「スカートはどれぐらいの長さがいいですか?」

「いや、それは……」

 答えられるわけねえだろっ!!

「知ってますよ……だってハルカちゃんのスカートの長さはこれぐらいですもんね」

 そう言って鈴音ちゃんはスカートを五センチほど摘み上げた。

 その長さは俺の想像していたハルカちゃんのスカートの長さとドンピシャだ。

「先輩……私、先輩のお役に立ちたいです。これでもやっぱり私には先輩のお手伝いはできないでしょうか……」

 鈴音ちゃんは覚悟を決めているようだった。

 彼女は俺の小説を読むためならば、どんな苦労もどんな羞恥もいとわないつもりだ。

 この目の前の親友の妹は、もしかしたら天才的な変態なのかもしれない……。


 先生ごめんなさい。そしてお父さんお母さんごめんなさい。俺はいまこの図書室という学内でもっとも知的な空間で、学園一可愛い女の子と変態的な会話をしています……。

 閉館まで三〇分を切った放課後の図書室。彼女の言う通りこの時間になると、ここを訪れる生徒など皆無だ。

 その結果、もう一時間近く、この図書室は俺と鈴音ちゃんの貸し切り状態になっていた。

「私、これまでハルカちゃんのことを勘違いしていたかもしれません……。ハルカちゃんは受け身な女の子で、Mの女の子だと思っていたんです……」

 読書用のテーブルを挟んで向かい合って座る俺と鈴音ちゃん。会話を誰かに聞かれる心配のない図書室で、鈴音ちゃんはエンジン全開だ。

「だけど何度も読み直しているうちに、私はようやく気がついたんです……。ハルカちゃんは確かにおしとやかで控えめな女の子ですが、心の中に悪戯いたずら好きで積極的なもう一人のハルカちゃんを飼っているんです……」

 鈴音ちゃんの瞳はこれまで見てきたどんな彼女の瞳よりもキラキラと輝いていた。これまで抑えてきた俺の作品への愛が一気に爆発したようだ。

 嬉しいよ。もちろん嬉しいさ。

 今まで生きてきて、ここまで俺の作品を深く読み込んでくれた人はいない。そして、彼女は俺よりも俺の作品を深く読み込み、ヒロインハルカの心を深く理解している。ここまで素晴らしい読者を少なくとも俺は知らない。

 だけどね……だけど、さっきから鈴音ちゃんの話を真剣に聞きながら、時折頭をよぎるの。

 俺たち図書室で何をやってるんだ……。

 わかってるよ。わかってる。それは俺の心がよこしまだからなんだ。それは俺自身が官能小説というものを後ろめたいものだと捉えているからなんだ。

 ほら、鈴音ちゃんの瞳を見てみろよ、竜太郎。

 あんなにキラキラと輝いたよどみのない瞳をお前は見たことがあるか?

 あれは七夕の夜に、流れ星に向かって世界平和を祈る女の子の目だぞ。

 鈴音ちゃんは邪な感情など一切抱かずに、ただただ純粋に俺の官能小説がより変態的で、多くの人間をいやらしい気持ちにする作品になることを願っているのだ。

 それなのにお前というやつは……。

 と、そこで熱弁をふるっていた鈴音ちゃんが、我に返ったようにハッとした顔をして頬を赤らめる。

「ごめんなさい……ちょっと熱くなり過ぎました……。先輩はどう思われますか?」

 と、彼女は俺に委ねるようにそう尋ねた。

 正直なことを言おう。

 俺はそこまで深く考えてこの作品を書いていなかった。

 何か官能小説にうってつけのシチュエーションはないかな? そうだ、翔太の妹って可愛かったよな。実は翔太と鈴音ちゃんが禁断の愛を育んでいて、それを竿さおやくが寝取るって展開とかウケるんじゃね? ぐらいのノリで書いた……。

 だけど、そんなこと恥ずかしくて、口が裂けても言えない。

 いや、かっこよく言いなおそう。俺は鈴音ちゃんの気持ちを裏切るような真似まねはしたくない。

「もちろん、一人でも多くの読者さんに喜んでもらえるような作品を書こうって思って書いたよ」

 と、毒にも薬にもならないような返事をすると、鈴音ちゃんはすかさず「素敵です。私も一人でも多くの読者さんに先輩の作品の素晴らしさを知ってもらいたいです」と顔の前で両手を組んだ。

「だけど、読者さんに喜んでもらうためにはまず、先輩自身が喜ばなくちゃだめですよね?」

 ん? どういうこと?

 鈴音ちゃんの言葉が全く理解できずに戸惑っていると、彼女はぬっと顔を俺に接近させた。

「私が先輩のことをいっぱい喜ばせますので、それを小説の描写に使ってください」

「いや、喜ばせるって……」

 鈴音ちゃんよ。正気か?

 知ってるとは思うけど、俺が書いてるのは官能小説ですぞ……。

 だが、彼女は動揺する俺から視線を逸らそうとはしない。

「もっとじろじろ見てもいいんですよ?」

「み、見るって──」

「今、テーブルの下に入れば、私の脚をゆっくり観察できますね?」

 OH……NO……。

 なんてことだ。鈴音ちゃんは俺の小説のために本気で体を張るつもりらしい。

 だが、さすがにこれは一線を越えている。

「鈴音ちゃん、さすがにそれは──」

「先輩って、案外意気地がないんですね……」

 あ、めちゃくちゃ挑発されてる……。

 鈴音ちゃんはそうつぶやくと、少しつまらなそうに俺から視線を逸らしてため息をついた。

 そのため息さえも俺のことを挑発するためのもの。

 それでも鈴音ちゃんの言う通り意気地のない俺が一人あわあわしていると、彼女はまた俺に視線を戻してわずかに笑みを浮かべた。

「じゃあ、こうしましょう」

 彼女はそこで机の上に置かれた自分のペンケースへと手を伸ばした。

 ペンケースからボールペンを一本取りだすと、それを掌に乗せて俺の前に差し出す。

「先輩、このペンをよく見ていてくださいね?」

「え? お、おう……」

 なんだよ。手品でも披露してくれるのか?

 彼女の掌に乗せられたペンを眺めていると、彼女はペンをコロコロとテーブルの上で転がした。

 ペンは机の上を転がっていきテーブルの端へとたどり着くとポトリと床に落ちる。

 ちょうど鈴音ちゃんの足元のあたりに。

「す、鈴音ちゃん……なにやってんすか……」

「先輩、拾ってください」

「いや、でも……」

 もしもペンを拾おうとしたら必然的にテーブルの下に潜り込んで、鈴音ちゃんの足元をうことになる。

 その魅力的ながらもキケンな鈴音ちゃんの提案に、何も答えられないでいると、俺の足の甲に何かが触れた。そして、その何かが足の上でもぞもぞと動く。

「なっ……」

 あ、当たってる……鈴音ちゃんのつま先が俺の足に当たっちゃってるよ……。

 鈴音ちゃんはつま先で俺の足の甲をなでなでしていた。靴下越しに触れる鈴音ちゃんの足の感触。少しくすぐったくて、それなのに少し気持ちいい感触に体がビクビクする。

 彼女自身も自分でやっていて恥ずかしいのだろうか、その表情からは羞恥を感じた。

 それでも自分の足を止めることはせずに、俺の足の甲からさらには側面、足首などをめまわすようになでなでしてくる。

「せ、先輩、何も言わなければ気持ちは伝わりませんよ?」

「それはその……」

 それでもはっきりと答えない俺に、鈴音ちゃんは追撃を始めた。彼女はつま先を俺の足の甲に押し当ててぐりぐりしてくる。

 すっごいぐりぐりされてる……。

 理性が……俺の理性が……。

「拾わないんですか? それとも拾いたくないんですか? 本当は拾いたいですよね? だって、今テーブルの下に入れば私のスカートの中が見えますもんね?」

 そしてこの挑発である……。

 彼女は恥ずかしさにもだえしながらも、それでいて目だけは挑発的に俺を見つめている。

「もしも拾いたくないのであれば私を𠮟ってください。だけど、もしも先輩にペンを拾いたい気持ちがあるのにそれができないのだとしたら、先輩はただの腰抜けですね?」

 なんだろう……。赤面して恥じらう表情と、口から出てくる言葉のギャップがすごいんだけど……。

「先輩……後悔しますよ? 先輩は女の子の脚をもっと近くで感じたいですよね?」

 そんなことを言われて素直に拾いたいなんて言ったら俺は本当の変態だ。

 もちろん、魅力的な言葉だとは思う。

 だけど、ここで誘惑に負けてしまったら人として何か大切なものを失ってしまう。

 だから、

「ひ、拾いたいです……」

 と、素直にお気持ちを表明した。

 幸いなことに俺には人として失うものなどこれ以上なかった。

「へんたい……」

 そんな俺に鈴音ちゃんから冷めた口調でご褒美……。

「せ、先輩って、そんなことがしたいんですか? テーブルの下に潜って女の子の脚をじろじろ眺めるのが好きなんですか? どうしてそんな恥ずかしいこと年下の女の子に頼めるんですか?」

 と、軽蔑の目で罵られる俺だが、不思議と辛いよりも嬉しいの感情が勝るのはどうしてだろう。

 が、そんな鈴音ちゃんもしばらくすると恥じらいながらもわずかに口角を上げる。

「でも先輩がどうしてもって言うなら拾ってもいいですよ……私のペン……」

 可愛い。

「あ、ありがとうございます……」

 ということで俺は、さっそく鈴音ちゃんのペンを拾うためにテーブルの下に潜り込もうとした。

 そんな俺を「あ、先輩……」と呼び止めた彼女。何事かとはやる気持ちを抑えながら首を傾げると、鈴音ちゃんは鞄の中から何かを取り出すと、それを俺に差し出す。

「やっぱりこれを付けてください」

「な、なんすかこれ……」

「目隠しです……。さっきはいっぱい見てもいいって言いましたが、やっぱりちょっと恥ずかしいので……」

 それは鉢巻のような長い布だった。

「いや、なんでそんな物持ってるの……」

「なにか先輩の小説のお役に立てればと思って持ってきました。使う機会に恵まれて良かったです」

「そ、備えあれば憂いなしだな……」

「そ、そうですね……」

 さすがは鈴音ちゃんである。ちゃんと目隠しプレイに備えて準備していたようだ。

 ちょっぴり残念ではあるが、これならば鈴音ちゃんも安心である。ということで、さっそく鉢巻を目の上に巻いてみる。

 うむ、なにも見えない。

 だけど……その気になれば……。

「な、なあ鈴音ちゃん、一つ聞いてもいいか?」

「はい……なんですか?」

「確かにこれじゃあ何も見えないけど、こんなの少しズラせばすぐに外れちまうと思うんだけど」

「そうですね。仮に先輩が目隠しを外したとしても、私からはテーブルの下は見えないので……」

「い、いいのか? 俺なんかを信用しても……」

「私は目隠しをしたほうが先輩の想像力が膨らんで先輩の小説の役に立つと思います。ですが、目隠しを取ったほうが小説の参考になると思うのであれば、私は止めません」

「いや、でもそんなことしたら──」

「いいんですよ? 別に見ても。私はそのことを誰かに言ったりしませんし、怒ったりしません。ですが……その時は先輩のこと、心の底から軽蔑します……」

 なるほど、つまり目隠しを外せば鈴音ちゃんが俺を軽蔑してくれるってことか。

「それとも軽蔑されたいんですか?」

 そして、そんな俺の下心は鈴音ちゃんに筒抜けである。

 本心を見透かされて頬が熱くなるのを感じた。そんな俺を鈴音ちゃんがクスッと笑った。

「なんだか少し軽蔑されたそうな顔をしていますね?」

「い、いえ、そのようなことは……」

 曖昧な返事を残して俺は逃げるようにテーブルの下に潜り込むことにした。

 手探りでテーブルの位置を把握して、ゆっくりと腰を下ろした。床に手をつくとそのまま赤ん坊のハイハイのような姿勢で、鈴音ちゃんの足元へと進んでいく。

 が、目隠しをしているせいで方向感覚も今一つ掴めない。冷たい床に手を這わせて鈴音ちゃんのペンを捜していく。

 が、それらしきものは見つからない。

「先輩……ペンはありましたか?」

「いえ、現在捜索中でございまして……」

「本当ですか? 本当はもう見つけているのに、嘘を吐いているんじゃないですか?」

「いえ、そのようなことは決して……」

「目が使えないなら鼻を使えば見つかるかもしれませんよ」

 なんという悪魔の誘惑。

「床に顔を近づけてクンクンすれば、ペンが見つかるかもしれませんね?」

「いや、さすがにトリュフを探すブタじゃあるまいし」

「でも今の先輩……ブタさんみたいですよ?」

「ぬおっ……」

「先輩、目が使えないなら想像力を使ってください。聴覚、嗅覚、触覚、あらゆる感覚を研ぎ澄ませば、きっと先輩の目の補完をしてくれるはずです」

 そうだ。

 確かにメインカメラはやられているが、俺にはまだ感覚が残っている。

 あらゆる感覚を研ぎ澄まして、脳内ビジョンに目の前の光景を映し出すんだ。

 竜太郎よ。今こそが小説家としての真骨頂を発揮するときだぞ。想像力を働かせて見えないものを見るんだ竜太郎。

 くんくんと鼻をぴくぴくさせてみる。すると、少しカビ臭くて埃っぽい図書室特有の匂いがこうをくすぐる。が、その中にわずかにではあるが柔軟剤のような甘い香りが混じっていることに気がついた。

 こ、これは……。

 俺はハイハイで前方へと進んでいく。俺が見つけるべきものがペンであることも忘れて、香りの発生源へとトリュフを求めるブタのように進んだ。

 そして、俺の鼻先が何かに触れた。

「ん、んんっ……」

 それと同時に、何やらいやらしい吐息がテーブル越しに聞こえてくる。

 マズい……理性が吹き飛びそう……。

 鼻先に触れるウールの感触とその奥に感じる指のような感触。

 す、鈴音ちゃんの足だ……。

 どうやら俺は嗅覚を頼りに鈴音ちゃんのソックスに覆われた足に到達したようだ。

 鈴音ちゃんの靴下からは柔軟剤の甘い香りが漂っており、嫌な臭いはこれっぽっちもしない。

 その甘い香りに思わず卒倒しそうになりながらも、くんくんしていると再び「んんっ……」といういやらしい吐息とともに、悶えるように鈴音ちゃんの指が動いた。

「せ、先輩……くすぐったいです……」

 どうやら彼女は本当にくすぐったいらしく、クスクスと笑いを漏らしながら逃げるように足を左右に移動させる。それでも俺は鈴音ちゃんの匂いを捕捉して逃げる足を追った。

 み、見える……。鈴音ちゃんの身悶えする姿が手に取るように見える。

 きっと俺が匂いを嗅いでいるのは鈴音ちゃんの左足。

 親指の感触がここにあり、斜めに鼻をスライドさせるとそこには小指の感触。

「せ、先輩……んんっ……」

「くんくんっ……」

 もしもこれが左足で合っているのだとすれば、俺から見て左側に顔を移動させれば、そこには鈴音ちゃんのもう一方の足があるはず。

 思い立ったが吉日。顔を一八〇度方向転換させると、わずかに漂う柔軟剤の香りを頼りに顔を伸ばした。

 それこそトリュフを求める変態ブタのように……。

 そして、

「ひゃっ!?

 俺の鼻先が布製の何かに触れた瞬間、鈴音ちゃんの短い悲鳴のような声が図書室に響いた。

 どうやら不意打ちだったようだ。鈴音ちゃんはビクッと右足を震わせる。

「せ、先輩……不意打ちはきようです……」

「ご、ごめん……」

「だ、大丈夫です……」

 俺のとっさの謝罪に鈴音ちゃんは大丈夫と言いつつも、その声はわずかに震えていた。

「そ、それよりも……ペンは見つけられそうですか?」

 そ、そうだ……。俺の本来の目的は鈴音ちゃんの靴下の匂いを嗅ぐことではない。ペンを捜すことなのだ。

 だけど、そのあまりにも刺激の強い誘惑に俺は屈しそうになっていた。

 と、そこで鈴音ちゃんがわずかに足を床から浮かせた。鈴音ちゃんの足の動きに思わず俺は一度顔を引くが、今度は鈴音ちゃんの足のほうが俺の顔を見つけ出し、顔の形を確かめるように頬や顎を撫でてきた。

「こ、ここが口ですね……」

 鈴音ちゃんはそう言って、親指の部分で俺の下唇を優しくなでなでする。

 あーダメだ……何かが爆発しちゃいそう……。

「先輩……早くペンを見つけ出してください。でないと私……恥ずかしすぎてどうにかなっちゃいそうです……」

「そ、そんなこと言われても……」

「まだどこにあるかわからないんですか?」

 残念ながらペンの場所はまだ特定できそうになかった。鈴音ちゃんの足は匂いで見つけられてもペンに匂いなんてない。

 慌てて両手を床に這わせるが、ペンに触れることはできなかった。

 と、そこで再び頭上から声が聞こえる。

「先輩……本当にペンは床に落ちたのでしょうか?」

「ど、どういうこと?」

「先輩はペンが床に落ちた音は聞こえましたか?」

「え? 聞こえたと思うけど……」

「いえ、聞こえませんでした。きっと先輩の聞き間違いです……」

「鈴音ちゃん?」

 彼女の言葉の意味がすぐには理解できなかった。が、次に彼女の発した言葉で俺は全てを理解する。

「ペンはきっとスカートの中に落ちていますよ」

「す、鈴音ちゃんっ!?

 なんてことだ……なんてことだ。

 ペンの野郎。物理法則を無視してなんという場所に落下しやがるっ!!

「ちょうど私の太腿の間にペンが落ちているはずです」

 そこまで言って鈴音ちゃんは一度深呼吸をした。

 そして、

「せ、先輩……スカートの中のペン……拾っていただけますよね?」

…………

「先輩、聞こえませんでしたか? ペン……拾っていただけますよね?」

…………はい、喜んで……」

 もはや、俺にその願いを断れるような勇気はない。

 鈴音ちゃんがスカートの中にペンが落ちたと言えば、それは落ちたのだ。そして、鈴音ちゃんが拾えと言ったら、拾う以外に選択肢はないのだ。

 鈴音ちゃんがどのタイミングで、そんなけしからん場所にペンを仕込んだかは、目隠し状態の俺にはわからんが一言言いたい。

 ありがとうございますっ!!

「せ、先輩……嗅覚を研ぎ澄ましてください。そうすればきっとペンは見つけられるはずです……」

「ら、ラジャ……」

 ということで、俺はきゆうきよ行先を変更することになった。俺が目指す場所は図書室の床ではなく鈴音ちゃんのスカートの中だ。

 さっそく鈴音ちゃんの右足の匂いを嗅ぎ直してから、ゆっくりと頭を上げていく。そして、おそらく鈴音ちゃんのひざ下のあたりでソックスは途切れ、鼻先にさらさらとした感触を感じた。

「や、やだっ……んんっ……」

 鈴音ちゃんのいやらしい吐息。

 どうやら鈴音ちゃんの生脚に鼻が触れたようだ。鼻を僅かに前に出すと鈴音ちゃんの膝の固い骨の感触があった。

 あとは顔を前方に向ける。目隠しのせいで拝むことはできないが、今、俺の眼前には鈴音ちゃんのスカートの中の景色が大きく開けているはずだ。

 み、見たい……けどここで見たら人として終わる……。

 いったい俺の眼前にはどんな光景が広がっているのだろうか。

 何色なんだ? 俺の眼前には何色の布が顔を覗かせているんだっ!?

「せ、先輩……ちゃんと目隠しはしていますか?」

「ああ、ばっちりだよ」

「先輩には見えていないってわかっていても、なんだかスースーして恥ずかしいです……」

 スースー。鈴音ちゃんはいったいどこがスースーするんだろう……。

 鈴音ちゃんの言葉一つ一つが俺に無限の想像力を与えてくれた。

「薄ピンク色……」

 と、そこでさらに鈴音ちゃんが決定的な言葉を口にする。

「す、鈴音ちゃんっ!? な、何の話をしているのっ!?

「わ、私の好きな色を口にしただけです……他意はありません……」

…………

 本当に他意はないんですか?

 俺、想像しちゃいますよ? スカートの中、鈴音ちゃんのすべすべの二つの太腿の奥で顔を覗かせる薄ピンク色の何かを想像しちゃいますよっ!?

 見える……心の目が開眼した俺には見える。

 健康的な二つの太腿。スカートの中の薄暗いトンネルの奥に見える薄ピンク色のパンツ……。

 変態千里眼を駆使して、その素晴らしい景色を脳に焼き付けた。

「せ、先輩……早くしてください……」

 そして、そんな俺の行動が彼女を焦らしてしまったようだ。鈴音ちゃんは耐え切れなくなったのか震える声で呟いた。

「ご、ごめん……」

 と謝ると、俺はゆっくりと慎重に顔をスカートのほうへと進めていく。

 だが、その直後、事故は起こった。

 スカートの中にペンがあると信じて、花園へと向けて顔を進めていた俺だったが、その際に頬が鈴音ちゃんの内股をかすめた。

「んんっ!? だ、ダメ……」

 鈴音ちゃんは思わずそんな声を漏らすと、脚にぎゅっと力を入れて太腿を内側へ閉じた。

 俺の顔が左右の内腿にぎゅっと締めつけられる。

「ぬおっ!?

 うぅ……痛い……けど嬉しい……けど痛い……けど嬉しい……嬉しい……嬉しい。

 俺はこの世にこんなに幸せな痛みがあることを初めて知った。

「や、やだ……先輩、くすぐったい……」

 太腿で俺の顔を締めつける鈴音ちゃん。

「す、鈴音ちゃん苦しい……」

「で、でも恥ずかしい……」

 もがくように頭を動かしてみるが、頭を動かせば動かすほど鈴音ちゃんは「んんっ……」といやらしい吐息とともに、むにむにした太腿で俺の頭を締めつけてきた。

 く、苦しい……幸せだけど苦しい……。

 快楽と苦痛の間で悶えていた俺だったが、さすがに苦しさが勝ってくる。

 このままだとヤバい……。

 早いところペンを回収しないと酸欠になってしまう……。

「鈴音ちゃん、ごめんっ!!

 そう叫んで右手を鈴音ちゃんの太腿へと伸ばす。が、俺が触れたのは彼女の太腿ではなくさらさらとした布の感触。

 鈴音ちゃんのスカートだ。

 どうやら俺は、いつの間にか鈴音ちゃんのスカートの中に頭を突っ込んだ状態になっていたようだ。

 な、なんということだ……。

 そして、ペンを回収するためには鈴音ちゃんのスカートの中に手を突っ込まなければならない。

 だがこのままではペンは回収できない。

 やるしかないっ!!

 俺は決心した。手探りで鈴音ちゃんのスカートの裾の部分を見つけ出すと、ゆっくりと丁寧に彼女のスカートをめくっていった。

「せ、先輩、やめて……」

「ご、ごめん鈴音ちゃん、だけど、こうしないとペンが取れない」

「で、ですが、恥ずかしいです……」

「我慢してくれっ!!

 俺は心を鬼にしてスカートをゆっくりゆっくりとめくり上げた。

「せ、先輩……パンツが見えちゃってます……」

「ぬおっ!?

 み、見たい……けどペンの回収が先だ。

 スカートがめくれたところで、俺は右手を左右の太腿の間に差し込む。手の甲にはさらさらの肌の感触。

「そ、そんなところ触っちゃダメですっ!!

 鈴音ちゃんを無視して鈴音ちゃんの股へと手を入れていく。そして、ついに指先がペンらしきモノに触れた。

「んんっ……やだ……」

 と、相変わらず身悶えする鈴音ちゃんからの妨害に耐えながら、人差し指と中指で器用にペンを挟むと、そのまま手を引っこ抜く。

 あとは脱出あるのみだ。一度ペンを床に置くと、俺は左右の手で鈴音ちゃんの太腿をわしづかみにした。

 そして強引に鈴音ちゃんの股を左右に割った。

「やだっ……こんなかつこう恥ずかしい……」

 頭を引っこ抜くためとはいえ、今、鈴音ちゃんは開脚させられて俺にパンツを見せつけるような姿勢になっているに違いない。

 なんてことだ……なんてことだ……。

 学園一の美少女にして淑女である鈴音ちゃんに俺はなんてことを……。

 目隠しを外したい気持ちをぐっと抑えながら、頭を脱出させた。

 一息ついた俺は床に置いたペンを回収し、ハイハイをしたままテーブルから体を出した。

「鈴音ちゃん……ペンあったよ」

 目隠しを解いた。

 まばゆい光に思わず目を細めながらも、目を慣らして瞳を開いていくと、そこには鈴音ちゃんが立っているのがぼんやりと見える。

 ぼやけていた鈴音ちゃんのシルエットが徐々にはっきりとしていくのがわかった。

 そして、

「なっ……」

 そこにはわずかにめくれ上がったスカートを必死に押さえながら頬を真っ赤にする鈴音ちゃんの姿。

 彼女は「はぁ……はぁ……」と息を乱しながら俺から顔を背けている。スカートがめくれているせいで彼女の太腿が大きく露出してしまっている。

 け、けしからん……。

「す、鈴音ちゃん……ごめん……」

 そんな彼女に謝ると、鈴音ちゃんはしばらく黙っていたが「だ、大丈夫です……」とかろうじて答えた。

 それからしばらく彼女は黙ったまま息を整えていた。

 不測の事態が発生して彼女もかなり動揺しているのだろう。元はと言えば彼女が言い出したことではあるものの、彼女の心中を察する。

 だが、彼女は最後に「ふぅ~」と大きく息を吐くと、わずかにめくれたスカートから手を離してこちらへと顔を向けた。

「先輩、ペンは拾えましたか?」

「え? こ、これ……」

 彼女の足元で手足を床についた状態の俺は、右手に掴んだペンを彼女へと差し出した。

 俺からペンを受け取ると、彼女はそれを胸ポケットに入れてわずかに頬を緩ませる。

 頬は赤いままだけど……。

 彼女はしばらく笑みを浮かべたまま俺のことを見下ろしていたが、俺の頭に手を置くと「よくできました。えらいえらい」と俺の頭をなでなでした。

…………

 なんだろう……この背徳的な気持ちは……。

 でも、なでなで嬉しい……。

 優しく頭をなでなでされるの、すごくいい……。

 そして気がついた。俺は完全に今、自分の性癖を引き出されている。

『年下の女の子になでなでされて喜ぶ』

 頭の中で俺が新たな性癖を解放したことを知らせるトロフィーが出現した。

 どうやら俺は何かの実績のロックを解除しちまったらしい……。


    ※ ※ ※


「せ、先輩……よく頑張りましたね。えらいえらい」

 土下座しながら鈴音ちゃんに感謝する俺。

 そして、そんな俺の前にしゃがみ込んで野良猫でもあやすように俺の頭を「よしよし」と、なでなでする鈴音ちゃん。

 頭を下げているから見えないが、鈴音ちゃんはきっと天使のような笑顔で俺の頭を撫でているに違いない。

「で、でも本当にいいんですか? 先輩は私よりも……年上ですよ? 年下の女の子にこんな風になでなでされて恥ずかしくないですか? みんな私たちのこと見てますよ?」

 俺の頭を撫でながら彼女はそう尋ねる。

「こんなの屈辱だ。クラスメイトなんかに見られたら一生笑いものにされる」

「そうですよね……普通の男の子だったら年下の女の子にこんな風になでなでされても嬉しくないですよね……。それなのにどうして先輩は、さっきから子犬みたいに嬉しそうにしっぽをフリフリさせているんですか?」

「そ、それは……」

 お、重い……重すぎて体が動かねえ……。

 俺の頭上には変態トロフィーが乗っていた。

 この重い物体こそが俺をこうも屈辱的な体勢にしているのだ。

 そう……俺の頭に乗ったこのドデカいトロフィーさえなければ、彼女の撫でる手を振り払うことだって、立ち上がることだってできるはずなのに……。

『年下の女の子になでなでされて喜ぶ』

 そのトロフィーには深々とそう刻まれていた。こいつが俺の頭に乗ってからというもの、俺はこの姿勢からほんの数ミリも体を動かすことができなくなっていた。

 クスッと鈴音ちゃんの笑う声がした。

「何がおかしいんだよ……」

「せ、先輩……知っていますか? 先輩の頭に乗っているトロフィー、本当は軽いんですよ? 私がふっと息を吹きかけただけで吹き飛んでしまうぐらい軽いんです」

「い、いや、そんなことない。このトロフィーは重くて重くてしょうがない」

「そうですか? なら試しに頭を上げてみてください。きっと、簡単に上げられますよ?」

「そんなこと……」

「本当です。それに頭を上げればその……は、恥ずかしいですが私のパンツだって見えますよ? 先輩、見たくないですか? もしも何色なのか当てられたら、もっとなでなでしてあげます……」

「そ、それは……」

 そうだ。鈴音ちゃんは制服姿で俺の頭上でしゃがんでいる。つまり、俺が頭を上げれば彼女の脚の間から覗く幸せの布を拝むことだって可能なのだっ!!

 鈴音ちゃんのパンツの色は何色だ?

 白なのか? 水色なのか? それとも強気の黒や赤なのだろうか?

 見てえっ!! 死ぬほど見てえっ!! だって、鈴音ちゃんのパンツだぞっ!?

 い、いやいや、それだとただの変態童貞高校生だ。

 こう言おう。

 官能小説の参考にするために資料として色を確認したい。

 俺は首に力を入れた。首の骨をミシミシときしませながらも、少しずつ頭を上げていく。

 見るんだ竜太郎っ!! 鈴音ちゃんのパンツを見るんだっ!!

 そして、ついに俺は頭を上げた。そんな俺の視線の先にあったのは鈴音ちゃんのパンツ……ではなく、可愛い妹、深雪の鬼のような形相だった。

「おにぃ、いい加減に起きろおおおおおおおおおおおおおっ!!


「昨日なんて鈴音のやつ、俺のハンバーグだけ一つ多く作りやがって……本気で俺を太らせるつもりらしい……」

 平日の朝。今日も今日とて翔太の鈴音ちゃん自慢を聞かされていた俺は、適当に『へぇ……』『すごいな』『うらやましいよ』という三つのあいづちをランダムに繰り返して、話を聞いている風を演じていた。

 正直かなり適当な相槌なのだけど、そもそも翔太は自分の話がしたいだけで、相手の声など耳に入っていないから、これでも十分に騙せている。

「それから鈴音が一緒に風呂に入ろうって言い出すからまいったぜ。本当に夢で良かったよ」

 夢なんかいっ!!

 聞き流すつもりだったが、さすがに心の中でツッコミを入れずにはいられなかった。

 おいおい、こいつついに夢で見たことまで俺に自慢し始めるようになったのか……。

 いよいよ終わりだな……。

「ホント夢の中にまで出られて、いい加減兄離れしろって話だよ……」

 いや、夢にまで妹を出して、いい加減妹離れしろや……。

 夢に鈴音ちゃん……。

 翔太が変な話をするものだから、俺まで昨晩の夢のことを思い出してしまう。

 昨晩、俺が見た夢……ああっ!! 死にたいっ!! あんな夢を見たことが鈴音ちゃんにバレたら自殺モノだ……。

 ここ数日、俺は変な夢ばかり見ている。その変な夢には毎回のように鈴音ちゃんが現れて、俺の性癖を完全に見抜いた彼女が、俺を手玉に取ってくるような……そんな夢ばかり。

 そんな夢を見ては寝坊直前で深雪に起こされるという日々を送っていた。

『年下の女の子になでなでされて喜ぶ』

 そんな変態トロフィーを鈴音ちゃんに強制解放されてしまった俺は、そのトロフィーが想像以上に精神的重しになっていることに数日遅れで気がつくハメになったのだ……。

 頭に残る鈴音ちゃんの柔らかいてのひらの感触……そして『よしよし』と幼い子供をあやすような優しい声……。

 ああダメだっ!! 認めたくないけど体が求めてしまっているっ!!

 俺は鈴音ちゃんからなでなでされたいっ!!

 とまあ、こんな風に鈴音ちゃんの餌付けの後遺症にここ数日間苦しんでいる俺だが、ある一点においてだけは、彼女の餌付けが功を奏している。

 官能小説だ。

 あの図書室での一件の後、俺は鈴音ちゃんのアドバイスと引き出された性癖を頼りに、最新話をとうの如く書き上げた。

 あの日、俺は鈴音ちゃんに自分の願望を官能小説に書いているというようなことを言ったが、書き上げた最新話はまさに俺の願望の塊だと言っても差し支えない。

 その結果、俺は投稿サイトにおいて人生初のランキング入りを果たすこととなった。

 休日前夜に書き上げた最新話の閲覧数は、翌朝目が覚めると爆上がりしており、まだまだ下位ではあるものの、ランキング上に『作者こののん』の文字を発見した。

 なんというか、鈴音ちゃんのアドバイスがここまで結果に直結するとは思っていなかったが、この結果を見ると彼女のことを認めざるを得ない。

 現に感想欄には『悪戯好きのハルカちゃん最高!!』『俺もハルカちゃんによしよしされたい……』など、ヒロインの積極性を褒めたたえる感想が目立った。

 今後、鈴音ちゃんに足を向けて寝られない……。

 いや、むしろ、今後は鈴音ちゃんから足を向けられて寝たいっ!!

 そんな変態的な気持ちだった。

「鈴音のやつ……おせえな……」

 と、そこで隣を歩いていた翔太が不意に呟いた。その声にふと我に返った俺は「どうかしたのか?」と尋ねる。

 すると翔太は「え? い、いや……こっちの話だ……」と少し慌てたように答えた。

 なんだこいつ……と首を傾げていると、背後から「先輩っ」と声が聞こえた。

 そんな声に俺と翔太が同時に振り返ると、そこには俺と翔太の夢のメインヒロイン水無月鈴音の姿があった。

 彼女は相変わらず快晴よりも眩しい笑顔で俺に手を振ると、足早にこちらへと歩み寄ってくる。

 前の日に夢に出てきた女の子を現実世界で見ると、なんだかドキドキするよね……。

 たった数日間会わなかっただけなのに、ひどく久しぶりのような気がした。

 彼女は俺の前で立ち止まると、相変わらず丁寧に頭を下げて「先輩、おはようございます……」と挨拶をする。

「おう、おはよう……」

 俺がそう挨拶を返すと、鈴音は次に翔太を見やった。そんな鈴音ちゃんに翔太は不愛想を装いつつもわずかに頬を綻ばせている。

 しばらく見つめ合っていた兄妹。

 ここで鈴音ちゃんが弁当箱を取り出して翔太に渡すところまでがテンプレだ。

 が、

…………

 ニコニコしながら翔太を見上げていた鈴音ちゃんだったが、一向に弁当箱を取り出すそぶりがない。

 そのことに疑問を抱いた俺だったが、それは翔太も同じだったようだ。彼は弁当箱を出さない鈴音ちゃんに、少し焦るように目を見開いた。

「お兄ちゃん、どうかしたの?」

 そんな兄に首を傾げる鈴音ちゃん。翔太は「そ、それはその……」と、少しあたふたしている。

「す、鈴音……弁当は?」

「お弁当? 何の話?」

「ほ、ほら、俺、今日も忘れずに弁当箱を忘れたと思うんだけど……」

 困惑のあまりわけのわからないことを口にする翔太。そんな翔太に鈴音ちゃんは相変わらず笑みを浮かべたままだ。

「お弁当箱ならお兄ちゃんの鞄に入れておいたよ。お兄ちゃんったらいつも私のお弁当忘れるんだもん……。だから、これからは忘れないように毎朝お兄ちゃんの鞄に入れておくことにしたの」

 彼女は笑顔のままそう答えた。普通に聞いていればよくできた妹だ。

 翔太だってあらかじめ鞄に弁当を入れておいてくれた妹に感謝してしかるべき状況。それなのに、翔太は動揺を隠しきれていない。

 そして、俺は彼の動揺の理由を知っている。

 これからは鈴音ちゃんの弁当箱をみんなに見せつけられない。そもそも翔太がいつも弁当を忘れる理由はそれなのだ。その毎朝の恒例イベントを失った翔太は動揺で目をキョロキョロさせていた。

 そんな翔太を見て、俺が思ったこと。

 ざまあっ!! 翔太くん、ねえどんな気持ち? 今、どんな気持ち?

 と、いい加減、翔太の鈴音ちゃん自慢にへきえきしていた俺が笑いをころしていると、ふと、俺は鈴音ちゃんの出で立ちに違和感を覚えた。

 いや、いつものように制服を着ている鈴音ちゃんだったが、なんだかいつもと違うような気がする。

 俺はしばらく違和感の正体を考えて……気がついた。

 スカートがいつもよりも少し短い……。

 いや、言い方を変えよう。鈴音ちゃんのスカートの長さは俺の想像していたハルカちゃんのスカートの長さと同じになっている……。

 もしかしてわざとなのか? わざとやっているのか?

 そんな彼女のイメチェンにがくぜんとしていると、ふと彼女が俺の視線に気がついて首を傾げた。

「私のスカートに何かついてますか?」

「え? ご、ごめん、なんでもない……」

 と、慌てて答えると、彼女は「それならいいのですが……」となぜか頬を紅潮させて答えた。

 どうやら彼女には俺の心が透けて見えるらしい……。

 それから俺たちは三人で高校へと向かった。先頭で少し不機嫌気味に歩く翔太と、その後ろをついていく俺と鈴音ちゃん。鈴音ちゃんはさっきからスマホを眺めている。

 そんな彼女を横目に眺めながら、あることをずっと考えていた。

 実は最新話を投稿して二日つのだが、今のところ『すず』こと鈴音ちゃんからの感想はまだ書き込まれていない。

 いつもならば真っ先に感想を書いてくれる彼女なのだが、今回は違った。だから、俺はひそかに焦っていたのだ。

 鈴音ちゃんはもう読んでくれたのだろうか? そして、どんな感想を抱いたのだろうか?

 あぁ……知りたい……早く知りたい。できることならば、鈴音ちゃんから小説を褒めてもらいたい……。

 頭をなでなでされながら「よくがんばりましたね。よしよし」と言われたい。

 が、翔太がいる手前、そんなことを直接尋ねることなどできるはずもなく、悶々としていた俺だが、不意に鈴音ちゃんから「んん……」と吐息の漏れるような声がしたので彼女を見やった。

 彼女は相変わらずスマホを眺めていた。

 何やってんだ?

 深雪と連絡でも取っているのだろうか?

 などと考えながら彼女を見つめていると、不意に彼女が俺の視線に気がついたのか、ちらりと横目で俺を見やった。そして、その瞬間、彼女は何故か頬を紅潮させて俺から視線を逸らす。

 それを見た瞬間、俺は愕然とする。

 ちょ、ちょっと待て……鈴音ちゃんもしかして……。

 俺は悪いとは思ったが、さりげなく彼女のスマホを覗こうとした。が、彼女のスマホには前まではなかった覗き見防止のフィルムが貼られており、何を読んでいるのか確認することができない。

 だが、わかる。彼女の表情を見るだけで俺には完全にわかる。

 こやつ……現在進行形で官能小説を読んでいやがる……。

 どうやら彼女は図書室でキュンキュンするだけでは飽き足らず、絶対にバレるわけにはいかない兄のすぐそばで読むことで、さらにキュンキュンしてやがるようだ。

 口をあんぐりと開けながらそんな鈴音ちゃんを眺めていたが、ふいに彼女は画面を見つめたままスマホに何かをポチポチと入力し始める。

 入力を終えた彼女がスマホをポケットに入れると、その直後、俺のポケットから♪ピロリロリンという音が鳴った。

 スマホを取り出して画面に目を落とすと、そこには『新着メッセージが届きました』と表示されている。

 どうやら鈴音ちゃんがメッセージをしたようだ。

 メッセージアプリを開き、さっそくメッセージを確認した俺だったが、そこに書かれていた文言を見て思わず足が止まった。

『どうしたんですか? そんなに焦った顔をして』

 あ、バレてる……。

 どうやら鈴音ちゃんレベルになると、俺の焦り程度、手に取るようにわかるようだった。

 そんなエスパー鈴音ちゃんの能力にぜんとして立ち止まっていると、少し前方を歩く鈴音ちゃんが足を止めてこちらを振り向いた。

「先輩、早くしないと遅刻しちゃいますよ?」

「え? あ、ごめん……」

 と、慌てて彼女のもとへと駆け寄ると、彼女は俺に向かってにっこりと微笑んだ。そして、そのまま俺の耳元へと唇を寄せると、

「そんなに、なでなでされたくなっちゃったんですか?」

 翔太に聞こえないぐらいの小さな声でそうささやいた。


 放課後、抜け殻状態で家に帰ってきた俺はリビングのソファで横になっていた。

 重い……変態トロフィーが重い……。

 鈴音ちゃんの焦らしの効果は絶大だった。

 一時間目、二時間目、三時間目と進むごとに心の中のトロフィーがどんどん重くなっていくのがわかった。

 褒められたい……鈴音ちゃんから『よしよし』と言われながら頭を撫でられたい……。

 ただその気持ちだけが強くなっていく。

 が、いくらスマホを眺めても通知は来ない。

 鈴音ちゃんからの感想が届かない。

「はぁ……」

 官能小説を書くモチベーションが湧いてこなかった。

 俺の体は鈴音ちゃんからのご褒美という原動力がなければ、小説が書けない体になりつつある……。

 とりあえず、今日のところはベッドで横になって安静にしていよう。

 そんなことを考えながらソファから立ち上がろうとしたそのときだった。

 ♪ピンポーン。

 リビングに来客を伝えるチャイムの音が響いた。

 誰だ? なんて考えながらインターホンへと歩み寄る。そして、液晶画面に表示された人物を見た瞬間、心臓が止まりそうになった。

「鈴音ちゃんっ!?

『その声は……先輩ですか?』

 なぜだ。なぜ鈴音ちゃんが俺の家の前に立っている?

「もしかして深雪と遊ぶ約束でもしてたの? 深雪なら塾に行っているはずだけど……」

 そう尋ねると液晶に映った美少女は首を横に振った。

『今日はその……先輩に用があって来ました』

「俺に用? なんか用なんてあったっけ?」

『先輩のほうこそ、私にしてもらいたいことがあるんじゃないですか?』

 そう言って彼女はわずかに頬を赤く染めた。

 こ、これはっ!?

 鈴音ちゃんのそんな質問に全てを察した俺は慌てて玄関へと駆けだした。


 数分後、ノックをして自室へと入ると、鈴音ちゃんはテーブルの前でお行儀よく正座していた。お盆を持った俺は彼女が持ってきてくれた紅茶の入ったティーカップを二つテーブルの上に並べて、彼女の正面に腰を下ろす。

「急に来ちゃってごめんなさい。お邪魔じゃなかったですか?」

 彼女はティーカップに口をつけると少し申し訳なさそうに俺の顔色をうかがった。

「いや全然。俺もちょうど暇してたところだし」

 それどころか渡りに船状態だ。

 なでなでに飢えていたところでの鈴音ちゃんの到来。本当は喜びの舞を舞いたいぐらいだけど、さすがにそんなことをしたらドン引きされるのは目に見えているので自重する。

「なら、よかったです……」

 そんな控えめな俺の言葉に鈴音ちゃんは安心したように、ようやく表情を緩めた。

 可愛い。

 あらためてそんな彼女を見つめて心からそう思う。わずかに幼さを残しながらも均整の取れた顔は何度見ても飽きないほどに美しい。

 まさかこんな女の子が変態をこじらせているなんて、誰に話しても信じてもらえないだろう。

 いや、ホント。なんで変態を拗らせているんだ……。

 そんなことを考えながら紅茶をすすっていると、鈴音ちゃんは何やらもじもじした様子でチラチラと俺に視線を向けてきた。

 そんな彼女を見ていると俺の欲望が強くなっていく。

 あー感想が欲しい。頭をいっぱいなでなでしてもらって『よしよし』って言われたい……。

「先輩……小説の評価はどうですか?」

 鈴音ちゃんが口を開いた。

 彼女は相変わらずチラチラと俺に視線を向けるだけで、しっかりと目を合わせようとはしない。ティーカップの持ち手の部分を人差し指でなぞっている。

 そして、なぜか正座させた太腿をもじもじとこすり合わせていた。

 なんか動きがエロい……。

「お、おかげさまで上々だよ。読者の人数も増えたし好意的な感想も増えたよ。鈴音ちゃんには感謝以外の言葉が見つかんない。ありがとう」

 現に小説の評判が上々なのは鈴音ちゃんが俺の性癖を引き出してくれたおかげだ。

 まあ、今その副作用に苦しんでいるんですけどねっ!!

「よかったです。ですが、読者が増えたのは先輩の実力ですよ。先輩の小説は他を圧倒していると私は思うので」

 だが鈴音ちゃんのほうはあくまで謙虚だ。

 そんな彼女を眺めていると、我慢ができなくなってくる。

「できれば鈴音ちゃんの感想も聞いてみたいな……」

 そう尋ねた瞬間だった。鈴音ちゃんはビクンっと体を震わせた。

 その動きはまるで俺から感想を聞かれることにおびえているようだった。

「す、鈴音ちゃんっ!?

「ごめんなさい……私はその……最新話は……」

「面白かった?」

「それはその……」

 なぜか鈴音ちゃんは小説の感想を口にしようとしない。その異様な反応に首を傾げていると、彼女は今にも泣き出しそうな目で俺を見つめてきた。

 あ、あれ? 俺、鈴音ちゃんを泣かせるようなこと言ったっけ?

「せ、先輩は私から褒められたいですか?」

「っ……」

 いきなり核心を突くような質問をする鈴音ちゃんに思わず絶句する。

 彼女の目にはまるで俺の心の変態トロフィーが見えているようだった。

 そんな彼女の反応に動揺しながらも、必死に平静を装ってぎこちない笑みを浮かべる。

「まあ、誰だって褒められるのは嬉しいよ」

「そういうのじゃありません……」

「そういうのじゃないってどういうこと?」

「先輩は私からなでなでされながら褒められたいはずです……」

「いや、それは……」

「じゃあなでなでされたくないんですか? もしも先輩が不快に思われるのであれば、私はもう二度となでなでしません……」

 あ、転がされている。掌でころころと転がされてるわ。俺……。

「先輩、もしも私にしてもらいたいことがあるなら自分の口で言ってください。はっきり言わなければ伝わらないです……」

「そ、そんな……」

「はっきりと口にしてください……」

 なんなんだこの子は……。さっきからビクビクしているのに、口から出てくる言葉からは攻撃性しか感じない……。

 だが、このままではマズい。

 一生鈴音ちゃんからなでなでしてもらえないなんてことになったら、俺は何をモチベーションに小説を書けばいいんだよ。

 いや、もともとそんなモチベーションはなかったはずなのだけど、すっかり俺の体は鈴音ちゃんのなでなでなしでは生きられなくなっている。

「先輩……言ってください……」

「それはその……」

「先輩……ここが正念場です……」

 と、可愛い顔して俺をあおってくる鈴音ちゃんに、欲望と羞恥心の狭間でもがき苦しむ。

 竜太郎よ。本当にそれでいいのか? こんな身も心も年下の女の子に掌握されちまって大丈夫なのか?

 先輩としてのプライドはどこに行った?

「なでなでされたいです」

 あ、そんなプライドは元からないんだったわ……。

 泣きそうになりながら鈴音ちゃんに、なでなでされたいとお気持ちを表明した。

「誰が誰になでなでされたいんですか?」

 が、鈴音ちゃんはこの程度では許してくれなかった。

「俺が鈴音ちゃんからなでなでされたいです」

「よく言えました。お利口さんですね」

 鈴音ちゃんはわずかに笑みを浮かべた。どうやら鈴音ちゃんのお気に召す回答だったようだ。

 鈴音ちゃんは「わかりました。先輩、頭を出してください」と言って右手を恐る恐る俺のほうへと差し出す。

 きよくせつはあったが、どうやら至福のときがやってきたようだ。

 これで鈴音ちゃんの柔らかい手でなでなでしてもらえる。

 俺は胸を躍らせながらぬっと頭を鈴音ちゃんのほうへと出して、彼女からのご褒美を待った。

…………

…………

…………

…………

 が、待てど暮らせど鈴音ちゃんの手が俺の頭に触れることはない。

 もう少し待ってみるか……。

…………

…………

…………

…………

 が、やっぱり鈴音ちゃんの手が俺の頭に触れてこない。

 さすがに不審に思った俺は頭を上げてみた。すると、そこには自分の右手を左手で掴みながら身悶えする鈴音ちゃんの姿があった。

「す、鈴音ちゃんっ!?

「だ、ダメです……私、なでなでできないです……」

「いや、なんで?」

 相変わらず身悶えする鈴音ちゃんにそう尋ねると、彼女は「よくわからないです……」と首を横に振った。

「私は先輩のこと、いっぱい褒めてあげたいです。先輩に『よしよし。よく頑張ったね』って言って頭をいっぱいなでなでしてあげたいです」

「ならなんで……」

「ダメなんです」

「ダメって何が……」

「私の中に先輩を焦らしたいもう一人の自分がいるんです……」

 彼女はいったい何と戦っているんだ……。

 俺の頭へと手を伸ばす彼女と、それを阻止しようとするもう一人の彼女のれつな戦いが目の前で繰り広げられていた。

 そして俺は気づいてしまう。

『先輩を焦らして喜ぶ』

 おそらく鈴音ちゃんの心の中にそう書かれた変態トロフィーが鎮座しているはずだ……。

 どうやら彼女は一枚うわだったようだ。図書室での一件で、俺は鈴音ちゃんから変態トロフィーを解放されて、自分の潜在的な変態性に気づいた。

 だが、俺がその変態性に気づいている間に、彼女は俺の頭をなでなでしたいという欲望と、俺を焦らしたいという欲望の二つのトロフィーを解放していたらしい。

 ダメだ……変態の格が違いすぎる……。

 それからもしばらく鈴音ちゃんは身悶えしながら、撫でようか撫でまいかせめぎ合っていた。

 が、ゆっくりと伸ばした手を引っ込めると「ふぅ……」と呼吸を整えて俺を見つめた。

「先輩……」

「なんでしょうか……」

「私に一つ提案があるのですが、聞いていただけませんか?」

「提案とはどのようなものですか?」

 そんな俺の問いに彼女は、俺の代わりにまたティーカップの持ち手を指でなでなでしながら、口を開く。

「私、思うんです。ここで先輩の頭をなでなでしてあげたら、先輩は喜んでくれると思います」

 そりゃそうだ。

「だけど、何度も先輩のことなでなでしちゃったら、先輩はいつかなでなでに飽きてしまうと思うんです」

「そんなことは……」

「いえ、きっと飽きてしまいます。こういうのは慣れてしまったらおしまいなんです。それに私だって、あんまりたくさん先輩のことをなでなでしたら飽きてしまいます」

「そういうものなんですか?」

「そういうものなんです……」

 変態の極意を俺に伝授してくれる鈴音ちゃん。

「だからこうしましょう。先輩がもしもサイトのランキングで一位を取れたら、その時は先輩のことをいっぱいなでなでします。だから、先輩には頑張ってランキングの一位を取ってもらいたいんです」

 そ、そんなご無体な……。

 ランキングの一位と簡単に言う鈴音ちゃんだが、そう簡単に一位が取れれば苦労はないのだ。

 何千、いや何万もの作品が投稿されるサイトで、その頂点に立つことのできる人間などほんの一握りなのだ。

 俺の訴えるような目に、鈴音ちゃんが「大丈夫です先輩ならできます」と微笑む。

「先輩の小説は変態性に溢れています。それに先輩が本気の変態性を文章に落とし込むことができるようになれば、きっと結果も出てきます。そして、私が先輩のこといっぱいえっちな気持ちにして、本気の変態性を引き出してみせます」

 そう言って鈴音ちゃんは身を乗り出して俺の顔を見つめると、可愛らしく小首を傾げた。

「先輩、それまでお利口さんにできますよね?」

「はい……」

 ということで俺は鈴音ちゃんからなでなでしてもらうためにランキングの一位を目指すことになった。


 正直なところ、今すぐにでも鈴音ちゃんからなでなでされたい。だが、なでなでしてもらうためにはランキングの一位にならなければならない。

 ランキング一位なんて今のままでは夢のまた夢だ。

 だが、一位を取れば……。

 なんだろう、ただ頭をなでなでされることが、鈴音ちゃんの一位を取れ発言によって極上のご褒美のように輝き始めた。

 ならばやるしかない。

 鈴音ちゃんからのなでなでを手に入れるために、俺は自らの腕と鈴音ちゃんの変態サポートによってランキング一位を獲得しなければならない。

 そう自分を奮い立たせて、執筆に勤しむ。

 が、そんな俺の闘志とは裏腹に原稿はあまり進んでいなかった。

 その理由は二つある。

 まず一つ目。

「ん、んんっ……先輩、この作品すごいです……」

 一つ目はテーブルの前で女の子座りをする鈴音ちゃんだ。

 彼女は、俺が本棚の奥に隠していた蘭鬼六先生の傑作官能小説『花とかえる』に夢中だった。

 その過激な内容に終始頬を赤らめ、変な吐息を漏らしながら身悶えしている。

 どうやら人差し指を咥えるのが、彼女が官能小説に夢中になっているときの癖のようだ。

 んなもん見せられて執筆に集中できるかよっ!!

 気になってそっちにしか視線がいかねえ……。

 執筆を待つ鈴音ちゃんのいい暇つぶしにと思って貸してあげたのだが、ここまで彼女の性癖にぶっ刺さったのは少々想定外だった。「わ、私……こ、この本買います……」と言って文庫本のタイトルを必死にスマホにメモしていたのが一〇分ほど前の出来事だ。

 この分だと図書室の本棚は中央アジアどころか、そろそろヨーロッパも安全地帯ではなくなってきたぞ……。

 そして、俺の執筆が思うように進まないもう一つの理由、それはそもそも俺の書いている官能小説の内容にあった。

 翔太がモデルである兄の秀太、そして鈴音ちゃんがモデルである妹ハルカは一見仲のいい兄妹だが、実はそうではない。

 兄秀太は妹ハルカの兄への愛情と忠誠心を逆手に取り、彼女を性奴隷として扱っている。誰かにバレて、家庭が崩壊してしまうことを恐れたハルカちゃんはそんな秀太からの仕打ちに耐えていた。

 が、そんなある日、彼女は兄の親友、りようろうから告白される。

 初めはその告白を拒否したハルカだったが、遼太郎の優しさに触れるうちに彼女はいつしか、遼太郎に好意を寄せるようになり、兄の目を避けて二人はひそかに愛を育んでいく。

 が、ハルカは秀太からの度重なる調教により、遼太郎への恋心とは裏腹に兄なしでは生きていけない体になっていた……。

 よくもまあ実際の友人とその妹を題材にして、こんなひどい作品が書けたな……俺。

 ま、まあ、それはさておき、この作品で読者を増やすきっかけになった前話では、主に遼太郎とハルカの甘い展開が繰り広げられた。

 主に俺と鈴音ちゃんとのやり取りがモデルになっているのだけど、俺の洗脳された欲望をそのまま殴り書きしたような話なので正直苦労はなかった。

 が、今執筆している話はそんな彼女が自宅へ戻り、再び秀太から奴隷のような扱いを受けるという、前話とはかなりギャップのある話だ。

 つまり秀太のドS的な欲望をいかに魅力的に書くかが今回の肝なのだ。

 だが、今の俺は『年下の女の子になでなでされて喜ぶ』と刻まれた変態トロフィーが心の中に鎮座しているせいで、S的欲望がすっかりせていた。

 俺は女の子をイジメたくない……むしろイジメられたい……。

 そんな状態で秀太が鈴音ちゃ──もといハルカに酷いことをする展開なんて思いつかない……。

 そんなこんなで俺はもう一〇分以上一文字も進まないという状態が続いていた。

「先輩、なんだか筆が進まないみたいですね……」

 鈴音ちゃんが小説から顔を上げて勉強机兼作業机に座る俺を見上げた。

「え? ま、まあね……」

 素直に答えると彼女は小説をテーブルに置いて立ち上がると、俺のもとへと歩み寄ってくる。そして、俺のすぐ背後に立って俺の肩越しにノートパソコンを眺めた。

 どうでもいいけど、距離近い……。

 鈴音ちゃんから漂う甘い香りに卒倒しそうになりながらも、必死に平常心を保つ。

 彼女はしばらくじっとノートパソコンに書かれた文字を読み上げると、俺へと顔を向けた。

「先輩、もしかしてドSな男の子のシーンが書けなくなっちゃったんですか?」

 一発で俺の悩みを見抜いてくる鈴音ちゃん。

 どうやらその驚きが表情に出ていたようで、彼女はクスクスと笑った。

「ま、まあな……」

「だったら無理にドSの男の子を書かなくても、いいんじゃないですか?」

「そうだけどさ、そろそろ秀太を出しておかないとマズい気もするし」

「そうですか? 私は遼太郎と一緒にいるハルカのほうが好きですよ? 遼太郎といるハルカちゃんのほうが、自分らしさが出ていて可愛いです。私はもっとハルカと遼太郎のシーンが読みたいです」

 そう言うと鈴音ちゃんはスマホをポケットから取り出すと、軽く操作して俺の前に差し出した。

「それに見てください。感想やいいねの数も秀太とのシーンよりも遼太郎とのシーンのほうが多いです」

 スマホを見やった。すると、確かに感想やいいねの数は秀太のシーンと遼太郎のシーンとでは倍近く違う。

「きっと多くの読者さんは積極的なハルカちゃんが見たいはずです。それにランキングを上げるのであれば、そっちを優先して書いたほうがいいと私は思います」

「そういうものなのかなぁ……」

「それに先輩はドMの変態さんなんですから、そっちのほうが書きたいですよね?」

 と、隙あらば挑発的なことを囁いてくる鈴音ちゃん。

「いや、別に俺はドMってわけじゃ……」

 なんだか恥ずかしくなってとっさに否定をすると、鈴音ちゃんは「へぇ~」と囁く。

 そして、

「いい加減にドMの変態さんだって認めたらどうですか?」

 彼女はまるで俺を挑発するようにそう言うと「ふぅ~」と俺の耳に息を吹きかけてきた。

「あぁ~」

 その不意打ちに、おそらく俺の人生史上もっとも情けない声が漏れる。

 あ~今のはマズい……。

 思わず体をビクつかせる俺に、彼女はクスクスと悪戯っぽい笑いを漏らした。

「先輩の反応、可愛いですね」

 なんだろう。もう鈴音ちゃんに勝てる気がしない。

 頬が熱くなるのを感じながら、必死に平静を装ってみるが、そんな演技が通用するわけもなかった。

「可愛いって言われてどうしてそんなに嬉しそうな顔をするんですか? 先輩が本当にSだったらそんな風に喜んだりしないですよね?」

 もう止めて……それ以上は死体蹴りだから。

「私に怒らないんですか? 年上の人をそんな風にからかっちゃだめだよって怒らないんですか? それとも嬉しいんですか?」

「嬉しいです……」

 もうボキボキだよ。俺の先輩としてのプライドなんてボキボキにへし折れてもはや軟体動物だよ。

 もはやタコと化した俺を見て、鈴音ちゃんは「素直になれてえらいですね」と褒めてくれた。

 そんな鈴音ちゃんを見て俺は思った。

 なんか今ならめちゃくちゃ筆が走る気がする……。

 再び執筆へと戻ろうとした。

「あの~先輩……」

 が、そんな俺を鈴音ちゃんが呼ぶ。

「どうしたの?」

 再び彼女へと顔を向けると彼女は掌を俺に差し出した。

あめ……舐めますか? 糖分を摂取したほうが作業に集中できると思いますし」

「ありがとう」

 なんて優しい鈴音ちゃん。彼女はどこまでも俺の小説のために力を尽くしてくれる。

 だけど……だけど……鈴音ちゃんの持ってる飴……なんか変なんだけど……。

「す、鈴音さん……一つ伺ってもいいですか?」

「なんですか?」

 と首を傾げる鈴音ちゃんの右頬がわずかに膨らんでいる。

 こいつ何か口の中に入れてないか……。

「その飴……なに?」

 鈴音ちゃんの掌に乗った飴はなんというか少々個性的だった。

 一見、普通の飴玉なのだけどそこから細い糸のようなものが伸びている。そして、その糸はまっすぐ鈴音ちゃんの口の中へとつながっていた。

「なにって……ただの紐飴ですが……」

「紐飴って……そんなお菓子だったっけ?」

 俺の知っている紐飴は紐の片方にしか飴がついていなかったはずだ。それなのに、鈴音ちゃんの口から舌で何かを転がすような音が聞こえてくる。

 いぶかしげに彼女を眺めていると、彼女はにっこりと微笑んで小さくて可愛い舌をペロッと出した。

 舌の上には彼女の唾液にまみれた赤い飴玉が乗っていた。

 飴玉になりたい……。

 彼女は舌を口の中に引っ込めると、また頬を膨らませたり、舌の上に戻したりと、せわしなく口内で飴ちゃんをいたぶる。

「紐飴を二つくっつけてみました」

「いや、なんで……」

「なんでって、そっちのほうがえっちだと思わないですか?」

 ちょっと何を言っているのかわからない。

「まあ細かいことはどうだっていいじゃないですか。はい先輩。お口あ~ん」

 ということで俺は開いた口に飴を放り込まれた。

 飴玉が舌の上でわずかに溶けて、口内にいちごの味が広がる。

 うむ……甘酸っぱくて美味しい。

 二人して、しばしの無言飴舐めタイムを送っていると、ふと鈴音ちゃんが俺から距離を取り始めた。

「鈴音ちゃん?」

 そんな彼女をぼうぜんと眺めていた俺だったが、彼女が部屋の隅まで歩いていき、二人をつなぐ紐がピンと張ったところで彼女の意図に気がついた。

「ぬおっ!?

 こ、これはマズい……。

 伝わってくる……伝わってくるぞ……

 ピンと張った紐によって、鈴音ちゃんが口の中で飴玉を転がすと、その感覚が張った紐を伝って俺のお口の中に届くのだ。

 鈴音ちゃんは悪戯な笑みを浮かべると、これ見よがしに口の中の飴玉をいたぶり始める。

 あぁ……やばい……。鈴音ちゃんの舌が俺の口の中に侵入してきたみたい……。

 さっき鈴音ちゃんの飴玉になりたいと言った俺だったが、あっさりとその願いはかなったようだ。舌先で飴玉をツンツンしてからかってくる鈴音ちゃんに思わず身悶えする。

 なんだ……この変態糸電話は……。

 このデジタル家電であふれた二一世紀に、アナログの凄さを改めて知ることになった。

「あぁ……す、鈴音ちゃん……そんなにツンツンされたら……」

「じゃあ今度はなでなでしてあげますね」

 彼女はそう言うとぺろぺろと舌で優しく飴を撫であげた。

 あぁ~背中がぞくぞくする……けど、悪くない……。

 ということで手の代わりに舌でなでなでしてもらおうとする俺。六畳間には鈴音ちゃんが飴をなでなでするちゅぱ音が響き渡る。

 なんかシュール……。

 が、しばらく飴玉をなでなでしたところで、ふと鈴音ちゃんは頬を朱色に染めた。

「鈴音ちゃん……」

「わ、私ばっかりだと不公平です……。先輩もなでなでしてください……」

「ぬおっ!?

 その予期せぬ鈴音ちゃんからの提案に頬が熱くなる。

「で、でも……いいの?」

「……はい。先輩からのなでなで欲しいです……」

 ということなので俺もなでなですることになった。紐をピンと張り直したところで一度深呼吸をすると鈴音ちゃんを見つめる。

「じゃ、じゃあなでなで……するよ?」

「は、はい……よろしくお願いします」

 おそるおそる舌先で飴玉をぺろりと舐めた。

 俺の舌の動きに連動して張った紐がわずかな揺れを作り、それが鈴音ちゃんのお口へとでんしていく。

「んんっ……や、やだ……これ凄いです……」

 どうやら俺のなでなでが鈴音ちゃんのお口に無事届いたようで、彼女はビクビクと体を震わせながら俺を見つめてきた。

 ご、ご満足いただけたようでなによりです……。

 鈴音さんにご満足いただけるように、何度も何度も舌先でちろちろと飴玉をいじめていると彼女は身悶えしながら悲しげに俺から目を逸らした。

「せ、先輩……そんなに舐めないでください」

「ご、ごめん。やりすぎたか?」

「いえ、もっといっぱい舐めてください……」

 えっろ……。

 実際に鈴音ちゃんに触れているわけでもなければ、もちろん舐めているわけでもない。

 なのに、鈴音ちゃんはお口の中に舌を入れられたように体をビクビクさせる。

 ただ紐飴を二つ結んだだけで、子供向けのお菓子が大人のおもちゃになるなんて……。

 これが目の前の変態錬金術師の実力である。

 その天才的……いや変態的発明品に戦慄しながらも、夢中で飴玉をぺろぺろしていた俺だったが、不意にバタンっ!! と物音がした。

 な、なんだっ!?

 突然の玄関のほうからドアの閉まるような音が聞こえてきたので、俺と鈴音ちゃんは顔を見合わせる。

 どうやら誰かが帰ってきたらしい……。

 そのことに気がついて目を見開く。

 いったい誰が帰ってきたんだっ!?

 親父おやじとお袋は夜まで仕事だし、深雪は塾に行っているはずだ。この時間は誰も家にいないはず……。

 なんて考えていると、誰かが階段を上がってくるような音が聞こえてきた。

 両親の部屋は一階にある。二階に自室があるのは俺と深雪だけだ。

 そして、帰宅後に二階に上がってくる奴なんて深雪しかいない……。

 マズい……。鈴音ちゃんと二人きりで部屋にいるのがバレるのは色々とマズい気がする。

「せ、先輩……」

 と、鈴音ちゃんが心配そうに俺の顔を見上げた。

 そりゃ鈴音ちゃんだって深雪に二人でいるところを見られるのは恥ずかしいよな。

「なんか胸がキュンキュンします……。下駄箱に靴を隠しておいてよかったです」

 あ、この子ポジティブ……。

 どうやら彼女は、こうなる可能性をある程度予想していた……いや、期待していたようだ。

 が、俺はポジティブにはなれそうにない。慌てて立ち上がると鈴音ちゃんの腕を掴んだ。

 そんな俺の大胆な行動に彼女は「せ、先輩っ!?」と、さすがに動揺したような顔をしていたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 俺は彼女の手を引くと、そのまま「ここに隠れてて」と自分の作業机の下に彼女の体を押し込んだ。そして、自分も椅子に腰を下ろすと自分の体で鈴音ちゃんの体を隠す。

 が、机の下が狭すぎる……。

 その結果、開脚した俺の両足の間に、鈴音ちゃんがちょこんとしゃがみ込むのが精いっぱいだ。

 鈴音ちゃんを隠すためにはこうするしかなかった……けど、鈴音ちゃんの顔がちょうど俺の股間の前に位置しており、とても構図がエロい。

 とはいえ今更他の場所に隠す時間もないので、よからぬ妄想をしないよう自分に言い聞かせながらドアへと顔を向けた。

 そこで「おにいっ」という声とともに、妹の顔がドアの隙間からひょっこり出てきた。

「おにい帰ってたんだ。早いね」

 それはこっちのセリフだよ……。

「ま、まあな。それよりも今日は塾じゃないのか?」

 いつも深雪は学校からそのまま塾に行くはずだ。

 それなのにどうして帰ってきやがった……。

「あぁ……塾は今日休みになったよ。塾長が家賃を滞納してたみたいで、来週までは建物が使えないんだって……」

 なんかさらっととんでもないことを口にされたような気がするが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 あと、すねのあたりに感じる鈴音ちゃんの感触で頭がどうにかなっちゃいそうです……。

「で、これから遊びに行ったりする予定はあるのか?」

 と、自分で口にしてあきらかに不自然な質問をすると、深雪は案の定首を傾げる。

「え? 遊びに行くけど……それがどうかしたの?」

「いや、なんでもない。車とかに気をつけろよ」

「気をつけるけど……なんでそんなこと急に言うの?」

 あーダメだ……。口を開けば開くほど怪しまれそう……。

 普段口にしないようなことを口にする兄に、深雪は相変わらず不思議そうに首を傾げていた。

 それはそうと、さっきから俺の足に何かが触れている。

 いや、もちろん触れているのは鈴音ちゃんなんだけど、明らかに何かしらの意志を持って鈴音ちゃんが俺の足の甲をなでなでしてきているんだけど……。

 いらないよ。今はなでなでいらないよ。

 どうやらこの緊張した空間を鈴音ちゃんは楽しんでいるようだ。

 あぁ……くすぐったい……。

 鈴音ちゃん……やめて……。

「おにい、なんか顔赤くない?」

 と、そこで深雪が俺の表情の変化に気づきやがった。

「いや、別にそんなことないと思うけど……」

「そう? ならいいけど……」

 なんて、赤くなる顔とは裏腹にヒヤヒヤものの会話の最中も、鈴音ちゃんは俺の足の甲をさわさわと撫でている。

 それどころか、鈴音ちゃんの手は足の甲から足首へと上がっていき、さらには俺のズボンの裾の中へと侵入しようとしている。

 あ~ぞくぞくする……助けて深雪ちゃん。お兄ちゃんどうにかなっちゃいそう……。

 泣きそうになりながら鈴音ちゃんからの攻撃に耐えていた俺だったが、鈴音ちゃんがさらに追い打ちをかけてくる。

 静かな俺の部屋になにやら唾液を絡めたような粘着質のある音が響き渡る。

 具体的には俺の机の下から聞こえてくる。

 す、鈴音ちゃんが飴舐めを再開し始めやがった……。

 鈴音ちゃん……それはヤバよ……。

 ただでさえ、股間の前に鈴音ちゃんの顔があるという、とんでもない状態になっているのだ。

 さりげなく視線を机の下へと向ける。

 いつの間にか紐飴の紐がピンと伸びており、俺の口の中に鈴音ちゃんのねっとりとした舌の感触が襲う。

「お、おにい、なんかちゅぱちゅぱ聞こえるよっ!?

 深雪が顔を真っ青にして俺を見つめる。

 これはマズい……。

 とりあえず俺はわざとらしく口をちゅぱちゅぱ鳴らしてから深雪に舌を出した。

「あ、飴を舐めてるんだよ……。気にするな……」

「え? そ、そうなんだ……」

「そうだよ。あと、俺はこれから課題をやらなきゃだめなんだ。悪いけど集中しないと終わらないから一人にしてくれ」

 と、苦し紛れの言い訳を口にすると、そこで深雪はようやく「わ、わかったよ。じゃあカギ開けていくから後で閉めといてね」と言い残して部屋を後にしようとした。

 のだが、

「あ、そうだ。おにい」

 と、ドアが閉まる直前に深雪が振り返る。

「なんだよ。まだ、なにかあるのか?」

 そんな俺の質問に深雪がなにやらにこにこと微笑んだ。

「ねえ、鈴音ちゃんとはどうなの?」

「は、はあっ!?

 と、俺の足元にご本人がいることも知らずにそんなことを尋ねてくる深雪。

 おい、その質問はやめろ……。

 が、そんな俺の願いもむなしく深雪は話を続ける。

「おにい、鈴音ちゃんはきっとおにいに興味があるよ。だからね、鈴音ちゃんとゆっくりでもいいからちゃんと愛を育むんだよ」

「いや、だから」

「じゃあ私行ってくるねっ」

 と、言いたいことだけを言い残して、深雪のやつは部屋を出て行きやがった。それから数分間、鈴音ちゃんは俺の足元に隠れていたが、バタンと家のドアが閉まる音がしてようやく机の下から出てきた。

「ごめん鈴音ちゃん。苦しくなかった?」

 突然の出来事とはいえ狭い机の下に押し込んでしまったことを謝罪すると、彼女は「いえ……」と首を横に振った。

「鈴音ちゃん?」

 が、彼女はなぜだか少しぼーっとした様子だ。少し心配になって彼女を呼ぶと、彼女はハッとしたように目を見開いて「別になんでもないです……」とまた首を横に振った。

 なんだろう。さっきまで俺の足にちょっかいを出していたとは思えないほどに大人しくなった気がする。

 が、そんな彼女をしばらく心配しながら眺めていると、彼女は俺の視線に気がついたのか笑みを浮かべて「なんでもないですよ。それよりも執筆の続き頑張ってくださいね」と俺を励ましてくれた。


    ※ ※ ※


 よくよく考えてみれば、俺と翔太の付き合いは五年近くになるというのに、翔太の家にお邪魔したことがないということに今さらながら気がついた。

 今になって考えてみれば、翔太と二人で遊ぶときは決まって外か俺の家に来るかの二択だったし、何度か翔太の家に行くみたいな話をしたときは、何かにつけて断られていたような気がする。

 まあ、俺は遊ぶ場所なんてどこでもよかったし、特に翔太の家に行きたいという願望もなかったから、そんなこと意識もしてこなかったけど、今考えてみると確かに行ったことがない。

 なんで俺がそんな話をするかというと、それは今日の三時間目の後の休み時間に遡る。

「あ、あの……先輩っ」

 教室を移動する途中に、たまたま鈴音ちゃんとすれ違った俺は、彼女から呼び止められた。

 彼女が学校で俺に話しかけるなんて珍しい。

 振り返ると、彼女は胸に音楽の教科書を抱えながらこちらへと駆け寄ってきた。彼女の歩調に合わせてハルカちゃん丈のスカートがゆらゆらと揺れる。

 俺の前までやってきた彼女は周りの生徒の視線を気にするように、一度辺りを見回すと、俺の耳元に唇を寄せた。

「せ、先輩その……お話が……」

 あー近い近い……。

 彼女の吐息のような囁きが鼓膜を震わせて身震いしそうになった。

「ど、どうかしたの?」

「そ、それは……その……」

 と、俺を呼んでおいて彼女はそこで何やら言いよどむ。

 彼女が耳元で囁いているせいで、俺には彼女の表情は見えないが、彼女の声の震え具合からきっと顔が真っ赤なのは理解できる。

 だから、俺は身構えた。

 おやおや鈴音ちゃん。きみは公衆の面前で一体何を言い出すつもりだい?

「今日の放課後……私の家に来ませんか?」

 彼女が口にしたのはそんな言葉だった。

 あ、あれ? 普通だぞ……。

 いや、普通に考えて鈴音ちゃんに家に誘われるのはとんでもないことなんだけど『わ、私……今日……穿いてないんです……』ぐらいの覚悟をしていたので、拍子抜けしてしまった……。

 ということで、俺は鈴音ちゃんの家に招かれることになり、その時に彼女の家、つまりは翔太の家を訪れるのが初めてだということに気がついた。

 放課後、彼女の自宅近くの公園で落ち合った俺たちは、二人で彼女の家へと向かったのだが……俺には気がかりなことがあった。

「翔太にバレたらまずくないか?」

 何せあのシスコン野郎のことだ。俺が彼女の家を訪れたなんて知ったら、明日駅のホームから突き落とされたとしても驚かん……。

 が、心配する俺に鈴音ちゃんはクスリと笑う。

「安心してください……。お兄ちゃんは今日予備校なので、夜まで帰ってきません」

「なるほど……」

 そのあたりの抜かりはないようだ。

 と、そこで足を止める。

「ここです……」

 そう言って彼女が指さしたのはごくごく一般的な一軒家。

 そういや翔太ってこんな家に住んでたっけ?

 うっすらとした記憶をよみがえらせながら一軒家を見上げていると、鈴音ちゃんが門を開けて手招きしてきたのでついていく。

 彼女はカバンから猫のキーホルダーのついた鍵を取り出すと、ドアの鍵を開けた。

 そこに現れたのは、これまたごくごく一般的な一軒家の玄関。

「た、ただいま……」

 そう言って家に入る鈴音ちゃん。

 なんというか……他人の家に入るのは妙に緊張する。自分の家とは違う独特の匂いを感じながら家にお邪魔すると、そこには見覚えのないスーツ姿のれいなお姉さんの姿があった。

 だ、誰だ。この綺麗なお姉さんは……。

 そのスーツのお姉さんはどこかに出かけようとしているのだろうか、イヤリングをつけていたが、俺の姿に気がつき「あら?」とこちらを向いて首を傾げた。

「鈴音ちゃんが男の子を連れてくるなんてめずらしいわね」

 笑みを浮かべるお姉さん。

 美人だ……。

 そして、その笑顔はあまりにも鈴音ちゃんの笑顔とよく似ていた。

 鈴音ちゃんの……お姉さん?

 ん? でも待てよ……鈴音ちゃん……というか翔太にお姉さんがいるなんて話は聞いたことがないぞ?

「この人が、前に話した先輩だよ」

 と、首を傾げる俺をおいて、鈴音ちゃんがお姉さんに俺を紹介した。

 お姉さんはしばらく首を傾げていたが「ああっ!?」と何かに思い当たったかのように目を見開いた。

「もしかして、あなたがこののん先生?」

「え? あ、ああそうです……」

 あまりに自然にお姉さんがそう尋ねるものだから、とっさにそう答えた。

 ん? ちょっと待てよ……なんでこの人、俺のペンネーム知ってんだ……っておいっ!!

 おい、なんで知ってんだよっ!!

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!

「あら? どうかしたかしら?」

 いやいや、逆になんで、そんな普通の顔ができるんですかっ!?

 なんでだ? なんで彼女が俺の官能小説家としての名義を知っているんだ。俺が玄関で一人青ざめた顔をしていると「せ、先輩……」と鈴音ちゃんが俺を呼ぶ。

「先輩……ごめんなさい……」

 と、鈴音ちゃんが俺に深々と頭を下げる。

 え? これ、どういう状況?

「数日前にうっかりソファで先輩の小説を表示したまま眠ってしまって……その、小説をママに見られちゃったんです……。それで私、恥ずかしくなって、つい先輩の小説だから応援するために読んだって話しちゃって……」

 鈴音ちゃんは申し訳なさそうに事情を説明する。

 なるほど……と、俺は納得しそうになった。が、彼女の言葉にとんでもないワードが含まれている気がするぞ。

「鈴音ちゃん……今、ママって聞こえたんだけど……」

「はい……言いましたが……」

 おいおいちょっと待て……嘘だろ。おいっ!!

 我が目を疑った。ちょっと待て……ママってなんだよ鈴音ちゃん。

 俺は女性を見やった。女性は相変わらずにこにこと微笑みながら、俺と鈴音ちゃんを交互に見やっていた。そのグラマラスな女性は何をどう見ても二十代にしか見えない。

「す、鈴音ちゃん、聞いてもいい?」

「はい……」

「鈴音ちゃんってお姉さんのことママって呼ぶの?」

「わ、私……お姉ちゃんはいませんが……」

「ほう……じゃ、じゃあこの人はきみのなんなんだい?」

「は、母ですが……。あれっ? 先輩……会ったことありませんでしたっけ?」

 と、さも当たり前のようにそう答える鈴音ちゃん。

「い、いや……ないけど……」

 や、やばい……ここの家に入ってから色々と情報量が多すぎて頭がついてこない……。

 と、そこで鈴音ちゃんのお姉さん改め鈴音母はクスッと笑うと、俺のもとへと歩み寄ってくる。そして、玄関よりも一段高い廊下で膝に手をつくと、顔を突き出して俺をまじまじと眺めた。

「あらあら、私のことを鈴音ちゃんのお姉ちゃんだって勘違いしちゃったの?」

「え? ま、まぁ……」

「嬉しい勘違いしてくれてるわね。でも残念、この可愛い可愛い鈴音ちゃんのママだよ~。私のことはママとでも呼び捨てですずとでも呼んでね」

 いや、なんでその二択しかないんですか……。

「小説、読ませてもらったわよ。こののん先生っ」

「え? は、はあっ!?

 ああ、だめだ頭が追いつかん……。

 よ、読んだってなんすか……。読んだって……。

「こんなに純朴そうな男の子が頭の中であんなにエッチな妄想してるなんて……クスッ……やっぱり男の子って、みんなそうなのね」

 そう言って鈴音母は俺の頬を指先でつついた。

 あ、やばい……。

 そんな大人の女性からの母性本能ドバドバツンツン攻撃を食らって昇天しそうになっていると、彼女は不意に悪戯な笑みを浮かべた。

「あのハルカちゃんって女の子……鈴音ちゃんでしょ」

「え? い、いや……それはその……」

 いや、答えられるわけねえだろ。

 はい、あなたの娘をモデルに官能小説書いてますとか言える度胸があるなら、俺はもっと大物になってるさ。

「す、すみません……俺、今ここで死んだほうがいいでしょうか?」

 が、そんな俺の自殺宣言に鈴音母は首を傾げる。

「どうして謝るの?」

「いや、だって……」

 あんたの娘と息子を小説できんしんそうかんさせてんだぞ?

「別に本名を使っているわけでもないんだし、いいんじゃないかしら? 現実と創作は別物よ?」

「は、はぁ……」

 なんだかよくわからないけど、俺は鈴音ちゃんを官能小説に登場させることを彼女の実の母から公認された。

「こののんくんって案外うぶなのね。可愛い……」

 そんな彼女に俺の体は完全に硬直してしまい身動きが取れない。

 それからもしばらく俺の頬をツンツンしていた鈴音母だったが、ハッとしたように腕時計を見やった。

「あら、いけない……そろそろ行かなくちゃね」

 と、腕時計を見やると慌ててハイヒールに足を入れて、ドアを開けた。

 た、助かった……。

 俺はようやくホッと胸を撫で下ろした。が、家を出ようとした鈴音母はふとこちらを振り返った。そんな彼女を呆然と眺めていると、彼女は俺に近寄ってくる。

 そして、

「鈴音ちゃんをよろしくねっ」

 そう言うと、あろうことか両手を俺のほうへと伸ばすと、俺の首に腕を回して、自分の胸元へと引き寄せた。

「ふんがっ……」

 突然、頬が柔らかい感触に包まれる。

 な、なんだこの幸せな感触は……そして……デカい……。

 鈴音母は俺を胸に抱きしめたまま、よしよしと俺の頭をなでなでする。

 なでなではマズい……。

 今なでなでを我慢している俺にとって、お母さまのそのなでなでぶっ刺さってます。

 が、そんなことを鈴音母が知る由もなく、なんの躊躇ためらいもなくなでなでしてくる。

「こののんくんは鈴音ちゃんからこんな風になでなでされるのが好きなのかな? 小説の中ではいっぱいなでなでしてもらってるもんね?」

 しかも結構最新話まで読んでるし、この人……。

 と、突然のなでなで攻撃と、社交辞令ではなくがっつり俺の小説を読んでいるという事実に、新たな性癖を開拓されそうになる俺。

 そんな俺の頭を撫でながら鈴音母は俺に顔を接近させてこう言った。

「だけど小説と現実の区別はつけなきゃだめよ。鈴音ちゃんはなんだから、大人になるまでは高校生として節度を持ってお付き合いすること」

「いや、あの……」

 なんかもう付き合っているみたいな前提で話をされているけど、俺と鈴音ちゃんは付き合っているわけじゃ。

「こののんくんとママとのお約束ね」

 が、そんな俺の説明をする前に、鈴音母はそう言って俺の頬をつんつんとつついた。

 俺、マザコンになっちゃいそう……。

 ということで、鈴音母はすっかり俺が鈴音ちゃんの彼氏だと勘違いしているようで、そう俺に忠告すると「じゃあまたね」と家を出て行った。

…………

 なんというか嵐のようなひとときだった。その圧倒的オーラに、俺はしばらく閉まったドアを呆然と眺めることしかできない。

 そんな俺の背後で鈴音ちゃんは「ママのバカ……」と小さく呟いた。


 というわけで鈴音母との初顔合わせが終わったところで、俺は鈴音ちゃんの部屋へと案内された。

 こんなことを言ったら鈴音ちゃんに失礼かもしれないけど、なんというか鈴音ちゃんの部屋は普通の女の子の部屋だった。

 薄ピンク色が好きだと彼女が言ってた通り、カーテンやベッドのシーツなどは薄ピンク色で統一されており、簡素な深雪の部屋とは大違いだ。

 あと、なんかいい匂いがする……。

 勉強机を見やる。そこにはスティック型の芳香剤が置かれており、どうやらいい匂いはこれが原因のようだ。

「紅茶をれてくるので、この部屋でしばらくお利口さんにしていてくださいね」

 と、鈴音ちゃんに言われた俺は部屋中央の小さなテーブルの前に座りお利口さんにする。

 深雪を除き、女の子の部屋に入ることなど初めての俺にとって、この部屋は落ち着かなかった。

 そわそわしながらテーブルの前で正座して、視線をきょろきょろさせていると、ふと本棚に目がいく。

「あっ……」

 そこにはブックカバーのない東南アジアや中央アジアの文化の本がいくつも並んでいた。

 どうやら鈴音チンギスハンの犠牲になった本来本体のはずの抜け殻たちのようだ。

 いくつも並んだ文化の本を眺めながら、ここが確かに変態皇帝鈴音ちゃんの部屋だということを再認識する。

 それにしても……。

 さっきからここでお利口さんにしている俺だが、なかなか鈴音ちゃんが帰ってこない。

 もう一五分ぐらい経つよな……。

 なんて考えているとコンコンと部屋がノックされたのでドアのほうへと顔を向けると、そこには鈴音ちゃんの姿があった……のだが。

「す、鈴音ちゃんっ!?

 なぜだか俺の前に姿を現した鈴音ちゃんは、さっき母親が着ていたものと同じスーツを身にまとっていた。

 え? どういうこと?

「こののんくん、いらっしゃい」

「こ、こののんくんっ!?

 ねえ、どういうことっ!?

 愕然とする俺に、鈴音ちゃんはぽっと頬を赤くして俺から顔を背けた。

「ど、どうですか? ちょっとママみたいだと思いませんか?」

 なるほど……鈴音ちゃんは鈴音ママになったらしい。

 シルエットのよくわかる少しタイトなジャケットと、その中に覗く胸元の窮屈そうな白いブラウス。そして、スリットの入ったタイトなスカートからはストッキング越しに太腿が顔を覗かせている。

 鈴音ちゃんからはいつもとは違うちょっぴり大人の色気を感じた。

 それはそうと……。

「す、鈴音ちゃん……なんでスーツなんか着てるの?」

 根本的な質問を投げかけてみると、彼女は相変わらず頬を赤らめながら視線だけを俺に向けた。

「先輩は年上の女性は好きですか?」

「え? いや別にそんなことは──」

「でも、さっき先輩はママからなでなでされてたとき、すごく嬉しそうな顔をしていました。なでなでは先輩が一位を取るまでお預けにしてたのに……」

「いや、あれは俺の意志ではないというかなんというか」

「せ、先輩が悪くないのはわかっています……。ですが、私、ちょっぴり嫉妬しました。私のなでなでが先輩にとっての一番のご褒美だと思っていたので……」

 なるほど……鈴音ちゃんは俺の性癖を全て自分の手で引き出したいようだ。

 どこまでも俺の性癖にストイックな鈴音ちゃんにとって、俺が鈴音母になでなでされて嬉しかったという事実は受け入れがたいらしい。

「た、確かに私にはママみたいな大人の魅力はまだないかもしれません。ですが、少しでもママみたいな大人の女性に近づけるように頑張ります」

 そう宣言すると、鈴音ちゃんは俺のもとへと歩み寄ってくる。

 あと今、気がついた。なぜか鈴音ちゃんの右手には哺乳瓶、左手には赤ちゃんをあやすためのガラガラが握られている。

 いや、なんで……。

「鈴音ちゃん、紅茶を淹れに行ったんじゃなかったっけ?」

 少なくとも僕はそう聞いています。

「はい、前に先輩が美味しいって言ってくれたアールグレイの紅茶を淹れてきました……哺乳瓶に」

「いや、なんで哺乳瓶に……」

「先輩もこっちのほうが喜んでくれると思ったので……」

「なんでこっちのほうが喜ぶと思ったの……」

 そんなやり取りをしている間に鈴音ちゃんは俺のすぐそばに腰を下ろす。

 女の子座りをした彼女は、なにやら悪戯な笑みを浮かべると俺の顔を覗き込んできた。

 あー顔近い……。

「く、口ではそんなことを言ってますが、本当は年下の女の子にバブバブさせられるの……好きなんじゃないですか?」

…………

 俺は何も答えられなかった。

 なぜだ……なぜ俺は即座に否定できないんだっ!!

「先輩……頬が真っ赤ですよ?」

…………

「先輩……もっと素直になってもいいんですよ? それに、これからハルカの母も小説に登場する予定ですし、こういう経験はきっと小説の役に立つと思います」

「そ、そんな予定は初耳ですが……」

「わ、私、思ったんです。確かに遼太郎とハルカのシーンは読者からのウケはいいですが、ハルカには大人の魅力が少し足りません。ですから、ハルカの母を登場させて母性でドMの読者さんの心を掴みましょう」

「な、なるほど……」

 これは、あくまで鈴音ちゃんが俺の小説を、よりよくするためにやってくれていることらしい。

 つまり俺は建前を手に入れたということだ。

 俺は別に年下の女の子に赤ちゃん扱いをされて喜ぶような変態ではない。あくまで小説の参考にするために、しぶしぶ赤ちゃんプレイに手を出したということにすればいい。

 そうだ。俺はあくまで小説のためにやるだけだ。

「こののんくん、ミルクのお時間ですよ~」

「ばぶぅ……」

 そうとわかれば心置きなく鈴音ママの赤ちゃんになれるっ!!

 笑顔で返事をすると、鈴音ちゃんはわずかに空いた俺の口に哺乳瓶の先端を突っ込んできた。

「は~いこののんくん、ママのおっぱいを飲んで、すくすく育ちましょうね?」

 あーなんだろう。よくわからないけど凄くいけないことをしている気分になる。

 でも悪くないよ。この感覚……。

 哺乳瓶には彼女の言う通りアールグレイの紅茶が入っていた。しかも俺が火傷やけどしないようにいい感じに冷ましてある。

 無我夢中で哺乳瓶をちゅぱちゅぱする俺に鈴音ちゃんは大変ご満足だったようで、にんまりと笑みを浮かべて俺を見つめていた。

「こののんくん、この哺乳瓶は鈴音ちゃんが赤ちゃんのときに使っていたものだよ~。時空を超えた間接キスですよ~」

「ばぶっ!? ばぶばぶばぶばぶぅっ!!

 時空を超えた間接キスに俺は、翔太のおさがりではないことを心から願いながら哺乳瓶にしゃぶりつく。

「うふふっ!! こののんくんったら、本当にママのおっぱい大好きなのね~」

 気がつくと哺乳瓶の紅茶は空になっていた。そして、空になったところで鈴音ちゃんは俺の口から哺乳瓶をちゅぽんっと引き抜くとテーブルの上に置いた。

 そして、今度はポケットからおしゃぶりを取り出すと、それを哺乳瓶の代わりに俺の口に突っ込む。

「ちゅぱちゅぱ……ま、ママ……これも鈴音ちゃんのおさがりでちゅか?」

「え? こ、これはパパの趣味──い、いや、これも鈴音ちゃんのおさがりですよ~」

 おい、パパの趣味ってなんだっ!?

 今、とんでもねえ水無月家の闇が暴かれそうになったぞっ!?

 が、鈴音ちゃんはひきつった笑みを浮かべたまま「は~い、深入りはしちゃだめですよ~。こののんくんはまだ赤ん坊なんだから」と華麗にスルーしてきた。

 い、今のはなかったことにしよう……。

 そう自分に言い聞かせて必死に「ばぶぅ」と何も知らない赤ちゃんを演じることにした。

「な、なんだかちょっと暑くなってきました……」

 と、そこで鈴音ちゃんはジャケットのボタンを外すと、ジャケットを脱いで床に置いた。

 その結果、鈴音ちゃんはブラウス一枚になったのだが……。

「ば、ばぶっ!?

 なんというか鈴音ちゃんの身に着けたブラウスは俺が想像していた以上に薄手だ……。

 その結果、ブラウス越しに鈴音ちゃんの薄ピンク色のブラが見えてしまっている。

 さらに恐ろしいことに、鈴音ちゃんがブラウスのボタンを上から三番目まで外すものだから、彼女の豊満な谷間が顔を覗かせておる……。

 見ちゃいけないのはわかっていても、そのあまりにも刺激の強い光景に俺の視線は彼女の谷間にくぎけになってしまった。

「はわわっ……」

 と、そこで鈴音ちゃんが俺の視線に気がつき、胸元を手で隠した。

 自分でこんなことをしておきながら、いざ俺の視線に恥ずかしくなってしまう鈴音ちゃん。さらにはそのきやしやな手では隠しきれていないスケスケで豊満な胸。

 それらの要素がシナジーを起こして、俺の脳内でドーパミンがどくどくと流れ出す。

 鈴音ちゃん……すごいっす……。

 しばらく恥じらうように胸元を隠していた鈴音ちゃんだったが、ゆっくりと胸から手を離すと俺を見つめた。

「こ、こののんくんはまだ赤ちゃんだから、ママのおっぱい見てもえっちな気持ちにならないよね?」

「ばぶぅ」

 優しい嘘。

 俺の返事にようやく気持ちを切り替えた鈴音ちゃんはガラガラを俺の前に掲げた。

「じゃ、じゃあこののんくん……ハイハイの練習しましょうね?」

 そう言ってガラガラを振る。そして、女の子座りから足を床に立ててしゃがみ込むと「じゃ、じゃあこのガラガラを目指して頑張ってハイハイしようね」と頬を真っ赤にしたまま口角を上げた。

「ば、ばぶっ!?

 が、そんな鈴音ママの姿勢が俺にさらなるドーパミンをどぴゅどぴゅ放出させる。

 そ、その恰好はやばい……。

 さっきも言ったが鈴音ちゃんはスリット入りのタイトなスカートを穿いている。

 そんな鈴音ちゃんがしゃがめば、スカートの中の太腿がもろに俺の視界に入るわけで、あとほんの少し顔を下げればおそらく薄ピンク色であろう鈴音ちゃんのパンツが見えてしまいそうだ。

 あー顔下げたい。

 そんな願望に生唾を飲み込むと、鈴音ちゃんが俺の顎に手を当てて強引に俺の顔をガラガラへと向けた。

「こ、こ、こののんくんはまだ赤ちゃんなんだから、ガラガラを見ましょうね……」

 そんな鈴音ちゃんの表情を見た俺は確信する。

 鈴音ちゃんが凄く頑張ってくれている……。

 いくら鈴音ちゃんがド変態だからといって、年上の男の子を赤ちゃん扱いをするなんて恥ずかしいに違いない。それでも彼女は恥を忍んでここまで身を粉にして頑張ってくれているのだ。

 なんて優しい女の子なんだ……。

 そのことを理解した今、俺は粉骨砕身、赤ちゃんになりきって小説の糧としなれければならない。

 恥じらいなんて持ってはいけないのだ。

 全力でハイハイを頑張らなければっ!!

 決意を決めた俺は鈴音ちゃんの前で手足を床についた。

「ばぶっ!!

 と鈴音ちゃんの顔を見上げて頷くと鈴音ちゃんもまた決意するようにコクリと頷いた。

「は~い、じゃあこののんくん。大好きなガラガラに向かってハイハイしましょうね?」

 そう言って、しゃがんだまま器用に後ろに歩いていく鈴音ちゃんに向かってハイハイを始める。

「こののんくん。えらいえらいっ!!

「ばぶぅっ!! ばぶぅっ!! ばぶばぶばぶぅっ!!

 客観的に見て今の自分の姿がどう見えているかとか、そんなことはもうどうでもいい。

 俺は鈴音ママの赤ん坊なのだっ!!

 考えるな竜太郎。感じるんだっ!!

 とにかく恥というものを捨てて、大好きな鈴音ママに向かって全力ハイハイをかます。

 鈴音ちゃんの八畳ほどの部屋を何周も何周もハイハイして回る。

 そして、もう何周したかわからないぐらいにハイハイに興じたところで鈴音ママは足を止めた。

 無我夢中でハイハイを続けた俺だったが、鈴音ちゃんのほうもすっかりママモードになったようで、目をとろんとさせながら愛する息子を見つめた。

「は~いこののんくん、えらいえらいっ。その可愛い顔をママにいっぱい見せて~」

「ばぶぅばぶぅ」

 ということで鈴音ママに最高の笑顔を俺は見せてあげた。

 すると鈴音ママはニコニコ顔で俺を見つめながら首を傾げた。

「こののんくん……こののんくんは今、どんな気持ちかな?」

「ばぶぅばぶぅ最高でちゅ。ばぶぅ」

「そっかそっか。こののんくんは今最高なんだね」

「ばぶぅっ!!

「じゃあ可愛いこののんくんにもう一つ質問してみようかな~」

 そう言って鈴音ちゃんは相変わらず笑顔を向ける。

 どんとこいっ!! 今無敵状態の俺はなんだって答えられるぞっ!!

「先輩は年下の女の子の前でおしゃぶり咥えてバブバブ言うのが、そんなに楽しいんですか?」

 鈴音ママは冷めきった声でそう俺に尋ねた。

…………

「先輩、聞こえなかったですか? 年下の女の子の前でこんな恰好して恥ずかしくないんですか?」

…………

 あ、やばい流れかも……。

 鈴音ちゃんのそんな冷めきった質問によって、俺の脳内バブバブゲージが急速に下落していくのを肌で感じる……。

 やめて鈴音ちゃん……。今の俺は夢の世界の住人なんでちゅ……。

 そんな風に急に俺を現実へと引き戻すのは止めてほしいでちゅよ……ばぶぅ……。

 が、鈴音ちゃんは残酷にもポケットから手鏡を取り出すと俺へと向けた。

 鏡を見やると、そこにはおしゃぶりを咥えながらこうこつとする陰キャ男子高校生が映っていた。

 口からおしゃぶりがポトリと落ちる。

 ぬおおおおおおおおおおおおおおおっ!!

 殺してくれええええええええええっ!!

 羞恥心と自己嫌悪が最高潮に達した俺は、その場でのたうち回る。鈴音ちゃんはしゃがみ込むとそんな俺を冷静に眺めていた。

「ホント先輩は変態さんですね……」

「鈴音ママ……」

「私はママじゃないですよ。ただの後輩ですよ……」

 そしてこのマジレスである……。

「鈴音ちゃん……俺を……俺を殺してくれ……」

 頼む。せめて、鈴音ちゃんの手で俺の息の根を止めてくれ。これ以上、俺に生き恥をさらさせないでくれ……。

 訴えるような目で鈴音ちゃんを見上げた。

 するとさっきまで冷めた目で俺を見つめていたはずの鈴音ちゃんの頬がぽっと赤くなる。

「せ、先輩はどうしてそんな風に苦しそうな顔をするんですか?」

「いや、だって……」

「確かに私は先輩のこと変態さんだって言いました。だけど、私、先輩のこと嫌いになったり軽蔑したりしませんよ?」

「え?」

「私はあくまで先輩の小説がうまくいくように、先輩の性癖を引き出しているだけです。あんな風に冷たいことは言いましたが、先輩のそういう変態さんなところ私は好きですよ」

「す、鈴音ちゃん……」

 あ、あれ……さっきまで悪魔のように見えた鈴音ちゃんが急に天使みたいに見えてきたぞ……。

 気がつくと俺の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「先輩、ランキングの一位になったらいっぱいなでなでしてあげますので、それまではいっぱい変態さんになって頑張りましょうね……」

 そう言って俺の瞳から流れる涙を鈴音ちゃんはハンカチで優しく拭ってくれた。

 涙を拭われながら俺は思った。

 落とされて上げられて結局、なずけられている。

 やっぱり俺には鈴音ちゃんにあらがうことなんてできないようだ……。


 結局、そのあとも鈴音ちゃんからいっぱい性癖を引き出してもらうことになった。

 二回戦、三回戦と変態プレイが進むごとにプレイ内容も過激になっていく。

 そして夕方を迎えるころには俺も鈴音ちゃんも変態のピークを迎えて、もはや自分が何をやっているのかもわからなくなった。

 水鉄砲を握る俺と、床に敷かれたピクニック用の敷物に女の子座りする鈴音ちゃん。

 トリガーを引くと銃口からはびゅっびゅっと水が飛び出して、鈴音ちゃんの身に着けたブラウスをびしょびしょにしていく。

 当然ながらブラウスがれれば濡れるほど薄ピンク色のブラがはっきりと見えてきた。

「せ、先輩……これ……凄いです……。こんなこと続けてたら、私……頭が変になっちゃいそうです……」

 安心しろ……俺はとっくに頭がおかしくなっている自覚がある。

 西日が地平線に沈みかけている午後六時。

 俺は鈴音ちゃんに水鉄砲を撃ち続けていた。

「せ、先輩……もうやめてください……恥ずかしいです……」

 と、必死に両手で胸を隠しながら頬を赤らめる鈴音ちゃん。

 なんかすげえ悪いことをしている気がする。だけど、これをやれと言ったのは鈴音ちゃんのほうだということは俺の名誉のために言っておこう。

 その証拠に。

「ごめん、やめようか?」

 と尋ねると、

「や、やめないで……」

 と返ってくる。

 俺……何やってんだろ……。

 どんどん水鉄砲でびしょびしょになっていく鈴音ちゃんを眺めながら、ふと我に返ってしまいそうなのを必死に頭を振って我慢していた。

 それはそうと……。

「す、鈴音ちゃん……聞いてもいい?」

「なんですか?」

「なんかこの水……ぬるぬるしている気がするんだけど……」

 一発目を発射したときからうすうす気がついていたけど、鉄砲から発射される水に妙に粘り気があるというか、水にしてはトリガーに手ごたえがありすぎるのだ。

 銃口からどぴゅどぴゅ発射される液体を眺めながら俺は尋ねる。

 そんな質問に鈴音ちゃんは頬を赤らめて俺から顔を背けた。

「普通の水だと面白くなかったので、少しかたくりをお湯に溶かしてみました……」

「なんで……」

「なんかとろとろしていたほうが、いやらしいと思って……」

 確かにいやらしいけどさ……。

 なんかとろとろしているせいで罪悪感がやばいのよ……。汚しちゃいけないものを汚しているような気がしてやばいのよ……。

 お父さん、お母さん、ごめんなさい。

 竜太郎は後戻りできないところまで来てしまったみたいです……。

「本当にこんなことして大丈夫なの? お母さんに怒られるんじゃ……」

「明日、こっそりクリーニングに出しておくので大丈夫です……。いっぱい汚してください……」

「そ、そう……」

 ということで鈴音ちゃんの言われるがままに、ぬるぬる水鉄砲を発射し続けていく。

 一通りブラウスがびしょびしょになったところで、鈴音ちゃんが無言でスカートを指さした。

 次はスカートとストッキングを狙えということらしい。

 びゅっ!! びゅっ!!

「や、やだ……汚い……」

 と、スカートとストッキングがぬるぬる液で汚されるのを眺めながら、鈴音ちゃんが身を捩る。

 悲しそうに『これ以上私を汚さないで』と目で訴えてくるが、その瞳の奥からはそれ以上の喜びを感じる。

 水鉄砲という子どものおもちゃはすっかり大人のおもちゃとなり果てていた。

 水鉄砲よ……すまん……。

 心を無にしてお洋服にまんべんなくぬるぬる液を付着させていく俺だったが──。

「あっ……」

 拳銃から滴り落ちてきたぬるぬるのせいで手元が狂った。

 銃口が上に向いたせいで、ぬるぬるの液体は俺の想定よりも上に飛んでしまう。

 その結果……。

「きゃっ!?

 俺の発射したぬるぬる液はあろうことか鈴音ちゃんの頬にヒットした。

 あーやっちまった……。

 鈴音ちゃんの頬をぬるぬる液が滴るのを眺めながら、自分がとんでもないことをしてしまったことにおそおののいた。

 片眼を瞑って「や、やだ……」と頬の液を拭う鈴音ちゃん。

「ご、ごめんっ!!

 俺は水鉄砲を放り投げると、鈴音ちゃんの足元で土下座した。

「ごめん……お、俺はなんてことを……」

 鈴音ちゃんの綺麗なご尊顔を汚してしまった。そのあまりの罪悪感に頭を床にこすりつけながら謝罪する。

「ど、どうして謝るんですか?」

「とにかくごめん……」

「あ、謝らないでください。やれと言ったのは私ですし……」

「いや謝らせてくれ……」

 謝らないと俺の自制心がなくなってしまう……。

 ということでしばらく鈴音ちゃんに謝罪をしてからようやく頭を上げた。

 そして、

「す、鈴音ちゃん……そろそろ休憩しようか……」

 これ以上こんなことを続けていたら、本当に俺は引き返せなくなるような気がした。そんな提案に彼女もようやく我に返ったのか、恥ずかしそうに俺から顔を背けて「そ、そうですね……」と答えた。

…………

…………

 今日だけでもう何度目かわからない賢者タイム。

 さっきまであんなにエキサイトしていた分、終わった後の虚無感が凄い……。

「せ、先輩……」

 と、そこで鈴音ちゃんが俺を呼んだ。彼女を見やると、彼女は頬を染めながら俺を見つめていた。

「そ、その……先輩は次回からハルカちゃんのデートの回を書く予定ですよね?」

「え? あ、あぁ……そうだけど、それがどうかしたのか?」

 唐突にデート回の話をしだす鈴音ちゃんに俺は首を傾げる。

 そんな俺に彼女はさらに頬を赤く染めた。そして、彼女は何かを言いあぐねているように、胸に両手を押し当てながら、なにやらそわそわする。

 そして、しばらくそわそわしたあと、何やら勇気を振り絞るように口を開いた。

「も、もしも先輩がよろしいのであれば……来週の日曜日に私とデートをしませんか?」

「で、デートっ!?

「デートというのはあくまで先輩の小説のお役に立てるかと思って提案しただけで、その……先輩が嫌であれば、無理には……」

 と、少し動揺したように目をキョロキョロさせる鈴音ちゃん。

 もちろん嫌なはずなんてない。嫌なはずあるものか。だって鈴音ちゃんだぞ? 学園のアイドル水無月鈴音ちゃんが官能小説のためとはいえデートに誘ってくれているのだ。その誘いを断る理由なんて、あるはずがない。

 けど、そう提案する彼女だったが、気がかりなことがあった。

「翔太は大丈夫なのか?」

「お、お兄ちゃん……ですか?」

「ここのところ鈴音ちゃん、俺と会うときは深雪と遊ぶって言い訳してくれてるみたいだけど、さすがにこうも何度も会っていたら翔太に怪しまれるような気がするんだよ」

 俺の心配はそこだけだ。どうやら鈴音ちゃんが俺と会うときに深雪の名前を使っていることは、深雪自身も知っているようだ。

 妹も仮に翔太から何か言われたときは口裏を合わせることになっているらしいのだが、元々鈴音ちゃんと深雪は高校も違うし、今は週に一回ぐらいしか遊ばないのだ。それが週に何度も遊んでるとなると翔太が怪しむような気がしたのだ。

「そ、それは……」

 と、鈴音ちゃんもまた俺と同じ危惧をしているようで、返答に困っていた。

 そんな彼女を見て、俺はふと疑問を抱いた。

「なあ、鈴音ちゃん、翔太はいつからあんな重度のシスコンを拗らせたんだ? まあ確かにあいつのシスコンっぷりは中学のときに多少あった気もするけど、ここまでひどくはなかった気がするんだ」

 特に去年あたりから極端に鈴音ちゃんを監視したり、必要以上に俺の前で鈴音ちゃんの話をするようになった気がする。

「え、ええ?」

 そんな素朴な疑問を口にした俺だったが、鈴音ちゃんは少し驚いたように首を傾げた。

 あ、あれ? 俺、なんか変な質問したっけ……。

「せ、先輩は……その……気づいていないんですか?」

「は、はあ?」

「い、いえ……その……」

 と、曖昧な返事をする鈴音ちゃん。そんな彼女に俺の疑問はさらに膨らむ。が、俺には全く心当たりはない。

「そ、その……先輩……これはあくまで私の推測なのですが……」

 と、前置きをして彼女は一度、言葉を切った。

 そして、

「お兄ちゃんのシスコンが重症になったのは、先輩の小説の連載が始まってからだと思います……」

「はあっ!?

 その衝撃的な言葉に俺は目を見開いた。

 おいおい、ちょっと待てよ……嘘だろ……。

「わ、私も初めは急にお兄ちゃんが、監視をしたり、少し高圧的に接するようになったのに驚いていたのですが、私も先輩の小説を読むようになって、先輩の連載の初投稿の日を見て気づきました……」

 ちょっと待てよ。お、俺が連載を始めたのって確か、去年の夏ぐらいだよな……。でもってあいつが鈴音ちゃんの自慢をするようになったのって……ああっ!?

 俺は頭を抱える。

 その時期はぴったりと符合しやがった。

「ご、ごめん、鈴音ちゃん……俺はとんでもないことを……」

 気づかないうちに、親友の変態トロフィーを出してたなんて……。

 あぁやばい……ゲロ吐きそう……。

 頭を抱えてうずくまる俺。俺は近しい人間を官能小説のモデルにしたことを心の底から後悔した。

「先輩……そんなに落ち込まないでください……。少なくとも私は先輩の小説のおかげで自分がこんなにえっちな女の子だったんだって、気づくことができましたし……」

 いや、それに関してもごめんとしか言えないわ……。

「私にひとつ提案があるのですが……」

 と、そこで鈴音ちゃんがそんなことを言うので顔を上げる。

「て、提案?」

「は、はい……おそらくですが、それは先輩にしかできないことで、それでいてもっとも効果的な方法だと思います……」

「そ、そんな方法あるのか?」

 彼女は小さく頷いた。

 そして、彼女は作戦の全容を話し始めた。