プロローグ



「ホント迷惑なんだよな。確かに味は最高だったけど、これで三日連続だぞ? 毎日、甘い物ばかり食わされる俺の身にもなってくれよって話だよ」

 はぁ……また始まったよ……。

 とある春の日の朝。高校へと続く桜並木を横目に、俺、かなりゆうろうと親友のづきしようはいつも通り歩いていた。

すずやつ、本気で俺のこと糖尿病にさせるつもりなんじゃねえだろうなぁ……」

 妹についての愚痴……に見せかけた翔太の妹自慢を聞かされるのもいつも通りだ。

 どうやら昨日は翔太の妹、鈴音ちゃんがクッキーを作ってくれたらしい。

 本当は可愛かわいい妹が自分のためにクッキーを作ってくれたのがうれしくてしょうがないのだろう。

 が、口では鬱陶しいだの迷惑だのと言ってはいるが、表情はうそをつけていない。翔太の顔はさっきから終始ニヤニヤしっぱなしだ。

「いいじゃねえかよ。俺だったら鈴音ちゃんの作ったクッキーなら毎日、いや毎食だって食っても飽きねえぞ」

 もはや変にリアクションするのも面倒くさい。

 うきうきの翔太に適当に話を合わせてやると、翔太は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐにわざとらしくため息を吐く。

 そして、やれやれと言わんばかりに両手を上げた。

「お前は本当にわかってない。確かに顔は可愛いかもしれないけど、あいつは妹だぞ? てか、あいつにはいい加減兄離れをしてもらわないと先行き不安なんだ」

 いや、妹離れできないお前のほうが先行き不安だよ……。

 心の中でツッコミを入れてから「まあまあ」と適当になだめておく。

 これらの会話を聞いてくれればわかるとは思うが、俺の親友、水無月翔太は重度のシスコンである。いやはっきり言って病気レベルかもしれない。

 とにかくこの男は妹が好きで好きでしょうがないのだ。そんな彼の妹自慢を聞かされるのが俺の朝の日課となっている。

 正直なところ親友とはいえ、毎日毎日こんな話を聞かされるのは迷惑きわまりない。

 普段は普通にいい奴で一緒にいて楽しいのに、それだけに残念だ。

 とまあ、ここまで親友をシスコン呼ばわりしてなんだけど、翔太が妹の自慢をしたくなる気持ちはわからないでもない。

 水無月鈴音、それが翔太の妹の名前である。

 彼女は俺たちと同じ高校に通う一つ年下の高校一年生で、この高校ではちょっとした有名人だ。この高校に通う男子生徒で彼女の名前を知らない奴はいないと言っても過言ではない。

 その理由は彼女の容姿にある。

 彼女は一言で言うと可愛い。

 彼女がこの高校に入学した瞬間に、それまで学園のアイドルとして君臨してきた女子生徒たちが、皆ただの少し可愛い女子生徒に格下げされてしまうほどには可愛い。

 それでいてたたずまいも、まるでどこかの令嬢かと勘違いするほどに上品なのがさらに男子生徒からの支持につながっている。

 確かにそんな妹が俺にもいたら、こいつみたいに誰かに自慢したくなるかもしれない。

 まあ翔太の場合はやりすぎだけど。

「お兄ちゃん」

 背後から誰かの声がした。

 そんな声に俺と翔太が同時に振り返る。

 うわさをすればなんとやらというやつだ。

 俺たちの後方には学園の絶対的アイドル水無月鈴音がいた。

 彼女は艶やかな黒髪とスカートを揺らしながら、こちらへと歩いてくる。

 この快晴の空よりもまばゆいその笑顔にれていると、いつの間にか彼女は俺たちの前に立っていた。

 もう翔太との付き合いは五年以上で、必然的に彼女との付き合いもそれぐらいになるはずなのに、やっぱりこうやって近くで見ると思わずドキッとしてしまう。

「先輩、おはようございます」

 と、そこで鈴音ちゃんは俺の顔を見て丁寧に頭を下げた。この見知った相手にも馬鹿丁寧に頭を下げるところが彼女を淑女たらしめている。

 くりっと大きな瞳に通った鼻筋、それでいて彼女に幼い印象を与える小さな口が絶妙なバランスで配置されていた。

 彼女が身に着けた学校指定の制服にはよくアイロンが掛けられており、俺のブレザーとは違い埃一つ見当たらない。

 彼女を眺めているといかに自分が汚い物体なのか思い知らされる……。

「おう、鈴音ちゃんおはよう」

 そう挨拶を返すと、鈴音ちゃんは次に兄貴である翔太を見上げた。

「お兄ちゃん、お弁当忘れてるよ。せっかく作ったのに忘れるなんてひどいよ……」

 そう言うと鈴音ちゃんは一瞬、ふくれっ面になる。

 可愛い。

 そんな彼女に見惚れていると、彼女はいつのまにか笑顔に戻り、かばんから弁当箱を取り出した。

 この高校の男子生徒の大半が喉から手が出るほど欲しがる品であろう彼女の手作り弁当。それを見た翔太はわずかにニヤつく。

 キモイ。

 それでも俺の目を気にしたのだろうか、すぐに仏頂面を浮かべると当たり前のように彼女から弁当を受け取り、自分の鞄に放り込んだ。

 そして何食わぬ顔で再び歩き出す。

 そんな翔太を眺めながら、俺はわずかに鈴音ちゃんをびんに思わないこともない。

 だが本人のほうはそんな兄の態度に文句を言う様子もなく、前を歩く兄の少し後ろをついていくように歩き出した。

 少し歩いたところで、ふと翔太は足を止める。

「ああ、そうだ。すっかり忘れてた」

 突然そんなことを言うので何事かと翔太を見やると、彼は鈴音ちゃんを見下ろした。

「鈴音、今日の放課後は暇か? 実はお袋から帰りに隣町のペットショップでメルの餌を買って来いって言われてたんだけど、俺、メルの餌の商品名忘れちゃったんだよ。悪いけど鈴音もついてきてくれないか?」

「え? え~と……それは……」

 と曖昧な返事をする鈴音ちゃん。そんな彼女を翔太はやや高圧的に「なんかあるなら、はっきり言えよ」とにらみつけた。

「今日はゆきちゃんと一緒にお菓子を作ろうって約束しているの。深雪ちゃんは私よりもお菓子作りが得意だから、色々と教えてもらおうかなって……」

 わずかに震える声で答える鈴音ちゃん。

 なんというか昔の亭主関白の夫婦みたいで、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

 そんな鈴音ちゃんの返答に翔太はしばらく眉をしかめたままだったが、ようやく納得したようで「まあ、そういうことならしょうがないな」と返事をした。

 すると、鈴音ちゃんは俺に視線を送るとわずかに微笑ほほえむ。

「先輩、今日はお邪魔しますね」

 彼女が俺にそんなことを言う理由は単純明快だ。

 彼女が今日、お菓子作りを教わりに行くと言っていた深雪ちゃんとやらは、俺の妹、金衛深雪だからである。

 我が妹、深雪は鈴音ちゃんと同い年の高校一年生で、俺たちとは別の高校に通っている。

 それでも、鈴音ちゃんとは今も頻繁に遊んでいるようで、彼女が我が家を訪れるのは珍しいことではない。

 もっとも彼女が家に来るときは、深雪の言いつけで俺は自室に引っ込むのだが。

「どうしようかな……俺、どの餌を買えばいいのかわかんねえぞ……」

 鈴音ちゃんに誘いを断られた翔太は少し困ったように頭をいていた。

 どうやら飼っているハムスターのいつもの餌がどれなのかわからないらしい。

 そんな兄貴に鈴音ちゃんは、すかさず「それなら」とスマホを取り出す。

「それならこの間、私が頼まれたときに撮ったパッケージの写真があるよ」

 彼女は兄に写真を見せようと、スマホのロックを解除した。

 そんな姿をぼうぜんと眺めていた俺だったが、鈴音ちゃんがスマホの画面を開いた瞬間、不意に大きく目を見開いて、ほおを僅かに紅潮させたことに気がついた。

「ひゃっ!?

 と、彼女が何かに驚いたように肩をビクつかせると、その拍子に彼女の手からスマホがするりと落ちる。

 スマホは一度彼女のローファーのつま先に衝突してから、俺の足元へと転がってきた。

 幸いなことに背面から落ちたようで、画面にひびは入っていないようだ。

 俺はしゃがみこむと、彼女のスマホを拾ってあげようとした。スマホには何かの画面が表示されており、特にのぞくつもりはなかったのだが、反射的に画面に目がいってしまった。

「っ!?

 その画面を見た瞬間、俺は全身が凍りつくような感覚を覚える。

 こ、これって……嘘だろ……。

 人のスマホをじろじろと眺めることがいかに失礼なのかは俺だって知っているさ。

 だけど、そこに表示されていたのはあまりにもいつもの鈴音ちゃんのイメージとはかけ離れたモノだった。俺は思わず拾い上げることも忘れて画面を凝視してしまう。

「ご、ごめんなさいっ!!

 鈴音ちゃんは素早くしゃがみ込むとつかるように、地面に落ちたスマホを拾い上げた。そして、隠すように素早く自分のポケットに入れる。

 普段の淑女的な鈴音ちゃんからは想像できないほどの慌てぶりに、思わずあっけにとられる。

 呆然と鈴音ちゃんを見つめた。鈴音ちゃんはそんな俺の視線に気がついているのかいないのか、俺から視線をらしたまま頬を真っ赤に紅潮させている。

 そして翔太を置いてけぼりにしたまま、しばらく気まずい空気を彼女と共有していると、彼女は不意に少しぎこちない笑みを浮かべ「わ、私、今日は日直なのでお先に失礼しますね」、と俺に頭を下げてそそくさと学校のほうへと早歩きで行ってしまった。

 まるで俺から逃げ出すように……。

「なんだよあいつ……」

 そんな彼女の後ろ姿を、何も知らない翔太は呆然と眺めている。

 だけど、俺には彼女が顔を真っ赤にして逃げるように立ち去る理由はわかっていた。

 彼女のスマホに表示されていたもの……それが官能小説だったからだ。

 ありえない……。

 なんで鈴音ちゃんのスマホにそんなものがっ!?

 鈴音ちゃんほどではないが、俺も内心パニックを起こしていた。

 だが、間違いない。あれは官能小説が投稿できる小説投稿サイトだ。

 およそ鈴音ちゃんが閲覧するとは思えないえっちなサイト……。

 落下したときに、たまたま開いたのか?

 いや、そんなことありえないだろ。

 それに俺にアレを見られたとき彼女は明らかにろうばいしていた……ってことは彼女も何が表示されているのか知っていたのだ。

 確かに俺は彼女のスマホにそんなサイトが表示されていることに驚いた。

 だけど、俺が驚いたのはそれだけではない。

 もしも俺の見間違いでなければ、彼女のスマホには『親友の妹をNTR』という文字が表示されていた。

 間違いない。

 あの官能小説は俺が書いたものだ。