ジジイが「やりたい放題」で嫌われる社会こそ、

理想の高齢化社会だ。



 こないだ『龍三と七人の子分たち』って映画を作った。『アウトレイジ』シリーズとは違って、久しぶりのコメディだった。

 主役は「老人」でね。引退した元ヤクザのジジイたちが、オレオレ詐欺やら悪徳訪問販売でやりたい放題のガキ相手に大暴れするんだよ。主人公の龍三(藤竜也)70歳で、昔は「鬼の龍三」って呼ばれて恐れられていた武闘派ヤクザだったんだけど、今や家族からも相手にされず、家にも社会にも居場所がないっていう情けない余生を送っていてさ。ところがある日、詐欺をやってる悪ガキどもとトラブルになって、昔のヤクザ仲間を集めて大騒動を起こすってストーリーなんだよな。

 オイラは「映画のテーマ」なんてもんを語るのは好きじゃないんだよ。だけど、この映画が一種の「老人論」であることは間違いないよね。老い先短くてカネもないジジイってのは、オイラの映画の中でもそうだったように、社会的には一方的に弱者と決めつけられちまうわけだけど、逆に考えれば、これほど怖いものなしの存在はない。守るものなんて何もないんだからね。

 世間の中高年も、龍三みたいに「大暴れ」とまではいかなくても、「俺たちには明日なんかいらない!」って開き直りゃ、残りの人生がゼンゼン違った色に見えてくるんじゃないか。


 中高年が生きにくい理由は、体の無理が利かなくなったとか、自由になるカネが少なくなったとか色々あるんだろうけど、実は精神的な問題のほうが大きいんじゃないかと思うんだよな。

 今の中高年は総じてマジメだから、みんな「年相応に家族や世間から尊敬される存在でなければならない」って考えてる気がする。歳を取れば当然のことかもしれないけど、その意識が自分たちの首を絞めてしまってるんじゃないかな。

「尊敬されたい」って考えには、大きな落とし穴があってさ。「尊敬できる老人」かどうかを評価するのは、自分たちよりも若い世代なんだよな。だから、社会的に尊敬できる老人、模範的な老人であろうとすることは結局のところ「若い世代に気に入られるかどうか」になってしまう。そうなると、何をしようにも「大人気ない」「いい歳してみっともない」って話になっちまう。この先何十年も生きられるわけじゃないのに、そんな窮屈な思いをする必要はないだろってさ。それは若い世代への「媚び」になりかねないんだよ。

 だからすべての中高年に言いたいんだけど、家の中でも、職場でも、近所のコミュニティでも「いいジジイになろう」なんて考える必要はない。自分の思うように生きて、その結果として若者にとっちゃ目障りで迷惑な存在になって、「お前なんて早く死んじまえ」と思われるぐらいのほうがよっぽど健全だろってね。理想は葬式で「よくぞ死んでくれた」って拍手喝采が起きることだな。それこそ「思いっきり生きた最高の老後」なんじゃないか。

 これは老人だけでなく、若いヤツラにだって言えることだよ。老人に「おじいちゃん、大丈夫?」なんて優しい言葉をかけてやる必要はない。「なんだ、このジジイ!」でいいんだよ。

 オイラに言わせりゃ、中高年と若者の利害なんて常に相反するもので、世代が違うヤツ同士は戦っているのが当たり前。「理解し合いましょう」とか「手と手を取り合いましょう」なんてキレイゴトばかり言うから、世の中がおかしなことになっちまうんだよ。

 こんな話をすると、「若い頃にジジイ・ババアいじめのネタでさんざん老人をからかってたビートたけしが自己弁護してるだけじゃねェか」って笑われちまうのかもしれない。でも、オイラはそのほうが「お年寄りを大切にしよう」みたいなうさん臭い建前ばかりの今の世の中よりよっぽどマシだと思うんだ。

 常々言ってるんだけど、「未来の子供たちのために」とか「子孫にツケを残すな」なんてキレイゴトを並べるヤツは、とにかく疑ってかかったほうがいい。そういうセリフを吐くヤツには「それじゃあ、お前は自分のひいひいじいさんの顔や名前を知ってるのか」って聞いてみたくなる。オイラなんて自分のじいさんの顔すら知らない。自分たちが先祖のことなんて微塵も考えたこともないのに、自分たちが後の世代のことを親身に考えるなんて、まったくリアリティがないだろってね。

 気になってるのは自分の生きてる間の生活だけなのに、いかにもひ孫やらに気を遣っているような大ウソをつくんじゃねェって思っちまうんだよな。

 こないだの選挙でも「国際社会を~」とか「未来の子供たちに~」なんて叫んでるヤツがたくさんいたけど、そんな大仰なことを言うヤツはだいたいごまかしだらけと相場は決まってる。10年くらい前、「年金は100年安心」ってカカシみたいな顔した当時の大臣が言っていたけど、100年どころか数年でボロボロになっちゃったじゃないかってさ。


  「シルバーシート」が奪ったもの


 だから、カネや財産だって子供に残さずに全部使い切っちゃったほうがいい。その代わり若い世代にはまったく頼らないし、世話にならない。少々やせ我慢だって、そのほうが堂々と生きられるよ。若いヤツラだって親世代からの援助が期待できないとなりゃ、もっと自立するんじゃないか。

 まァ、介護の問題とかを考えると「実際にはそんなに1人で強くは生きられない」って意見もありそうだけど、必要以上に子供に媚びたり手厚い援助をしても、キチンと面倒をみてくれるとは限らないんでね。やっぱり「不良老人」のほうが楽しいよ。

 そもそも「お年寄りを大切に」なんて世間のウソくさい建前に乗っかるのが腹立たしいんでね。

 オイラがガキの頃は、普段は「ジジイ・ババア」と罵っていても、みんなが年寄りとの付き合い方を心得ていて、若者は黙って席を譲るのが当たり前だったんだよ。言葉は下品でも「行儀」はいい。そんな時代だった気がする。

 ところが今じゃそういう感覚は過去のものだ。年寄りが目の前に立っていても、「ここはシルバーシートでも優先席でもないんだから」と譲る気すらないヤツが少なくない。シルバーシートであろうがなかろうが、年寄りが前に立ったら若いのは席を譲るに決まってるだろうとオイラは思う。だけど現実は、社会が「お年寄り」だの「シルバーシート」だの歯の浮くような言葉で老人を社会の片隅に追いやってるんだよな。その本質に気がつかなきゃいけない。

 世の中がここまで来ちまうと、老人は若いヤツラの親切を期待するんじゃなく「親切なんて受けてやるもんか」と思ってたほうがいいね。電車やバスで席を譲られたって「オレを年寄り扱いする気か!」「お前なんかよりよっぽど足腰は強い」って断った上に説教しちゃうというね(笑)。たとえヒンシュクを買ったとしても、そんなジジイのほうが味があるんじゃないか。


 ただし「不良老人」が気をつけなきゃいけないのがオネエチャンの問題だな。

 やっぱり男の理想は森繁久彌さんだよ。ボケたフリしてドサクサ紛れに若いオネエチャンの尻やオッパイを触っちゃう。ぜひあの境地を目指したいね。

 だけど完全に度を越しちまうジジイもいる。ちょっと前、横浜市の中学校の元校長が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕されたってトホホなニュースがあった。報道によれば、フィリピンで26年間にのべ1万2600人以上を買春したらしい。で、その相手の裸の写真を410冊のアルバムにコメントつきでまとめてたとか。さすがのオイラも開いた口がふさがらないよ。

 もしこの校長が絶倫になる秘薬でも売り出したら、バカ売れするぞ。その名も「絶校長」というさ。安倍政権の目玉人事として、少子化担当相をやってもらうのもいいな。

 そんな怒られそうな冗談はさておき、ここまで色欲がエスカレートしちゃう老人ってのは、やっぱり「青春時代にマジメすぎて悶々としていた」からじゃないかと思う。若い頃にオネエチャンと無茶しまくってたオイラみたいな人間は、さすがにジジイになると性欲も枯れて余裕が出てくるけど、女に免疫がないまま中年になって初めてカネをもって「デビュー」しちゃうとろくなことがない。老人の色欲ってのは「余裕」を知らないととんでもないことになっちまうんだよ。その点だけは気をつけたほうがよさそうだよな。

 まァ、「不良老人」を目指すってことは、一種のやせ我慢なんだよ。やせ我慢でもしない限り、世の中に迎合せずに生きるのは難しいんだよな。だけどオイラは若い世代に媚びるより、バカにされてでも自分の好きなように生きるほうがいいと思うんだっての! ジャン、ジャン!