原節子さんから贈られた

「数珠」にまつわる不思議な話。



「伝説の女優」といわれた原節子さんも95歳で亡くなった。若い頃は小津安二郎監督の『東京物語』やら名作に出まくっていた人だけど、40代で女優業をスッパリやめてからは、まったく表舞台に姿を見せなかったんだよな。

 鎌倉に住んでいたらしいけど、最近じゃその姿を見た人もほとんどいなかったっていうからさ。まさに伝説の女優だよ。


 小津さんの作品を見ると「あの監督はキャスティングが上手かったんだな」ってしみじみ思うね。原節子さんなんて当時じゃ浮いちゃうくらいの「西洋顔」だけど、見事にあの作風にマッチしてる。

 りゅうしゅうさんにしたって、どんな役でもまったく演技が変わらないから一見「大根」に見えるんだけど、小津さんの作品の中ではしっくりくる。あのなんともいえない木訥さは、きっと小津さんに鍛えられてそうなったんだよ。

 いろんなところで聞いたり、読んだりした話だけど、小津さんは役者が「こういう演技がしたい」と力んで演技プランを作ってくると、2日でも3日でもカメラを回さなかったらしい。「もうどうにでもなれ」って思わせるところまで役者を追い込んでから、ようやく撮り始めるんだってさ。

 これはオイラの想像だけど、小津さんは原節子さんにはそこまで演技指導をやってない気がするね。天然の魅力というか、そのままの良さを引き出したって感じじゃないかな。やっぱり小津さんには、そういう人を見るセンスがあるんだよ。


 オイラは原節子さんに会ったことはないんだけど、ひとつ忘れられない縁があるんだよな。実は、オイラがバイク事故でグチャグチャになってるときに、「神奈川県鎌倉市 原節子」とだけ書かれて、贈り物が届いたんだよ。

 その贈り物というのが、手首にはめるブレスレット型の数珠でさ。今考えりゃ、誰かのイタズラだと決めつけてもおかしくないんだけど、当時のオイラはなぜか素直にその数珠をずっと付けてたんだ。

 そしたらだいぶ傷が癒えてきたころ、プチンと糸が切れて、数珠があたりに散らばったんだよ。「あ、これはそろそろ治るんだな」って思ったね。理系頭のオイラはそういう願掛けみたいなものはあんまり好きじゃないんだけど、「原さんのおかげだな」って妙に納得したんだよな。

 で、後になってお礼状を書こうとしたんだけど、詳しい住所がわからないから送ることもできない。いろんな人に調べてもらったんだけどダメで、結局そのままになっちまった。本当に、原節子さんには一度会ってお礼がしたかったと思っているんだ。


 原節子さんの引き際ってのは、本当にすごいと思うよ。正直にいえば、オイラは芸事に関しちゃ「年齢を重ねてからの味のある姿が見たい」と考えるほうだから、原節子さんが女優を早々に引退しちゃったのは惜しいと思う。女優として迎える晩年ってのも見てみたかった。

 たとえば若くして亡くなった古今亭志ん朝さんが、オヤジさんの志ん生さんみたいに歳をとって落語をやる姿はどんなだっただろう、きっと素晴らしかったんじゃないかと考えるしさ。だけど一方で、原節子さんみたいに、自分の天職をスパッと手放すことはなかなかできないもんだよ。

 最近のテレビ見たってそうだろ。誰とは言わないけど、昔の人気女優が久しぶりに出てくると、さえないテレビショッピングで「え~、そんなに安いんですか!」って大げさに驚いてるのが関の山だよ。「お前、本当にそんな安物のネックレスやらカバン使ったことあるのかよ」ってツッコミたくなっちまうよな。


 そういえば、オイラが入院してた時には、原節子さん以外にもいろんな人からお見舞いをもらったんだよな。矢沢永吉さん、森光子さん、高峰秀子さん、白洲正子さんとかね。いろんな人によくしてもらったんだけど、腹が立ったのは松鶴家千とせさんだよ。顔面骨折してろくに口も動かせないオイラのところに、固焼きの塩せんべい送ってきた(笑)。食えるかっての。もう心配してんのか、ケンカ売ってるのかわからない。

 いや、もっと腹が立つのはビートきよしさんだな。テレビでインタビューに答えて、「もう一回原点に戻って、オレとまた漫才始めよう」って(笑)。なんでバイクで事故ったからって、またあんたの面倒を見なきゃならないんだよっての! よく言うよバカヤロー、ジャン、ジャン!