菅原文太さんはシリアスもコメディもこなす

「二面性の役者」だった。



 高倉健さんの訃報にショックを受けたばかりだったニッポン人を襲ったのが、そのすぐ後の菅原文太さんの死だった。オイラは運命論者ではないけど、何かしら2人には共鳴しあうものがあったのかな、とも思っちまう。

 健さんとは縁あって仲良くさせてもらったけど、文太さんとはほとんど交流がなかったんだ。空港でちょっとすれ違った程度だね。だけど、あの表情と上背だし、存在感がものすごかったのを覚えている。映画監督をやったり役者をやるようになって、2人のすごみってのをなおさら感じたね。どちらもヤクザ役で名を馳せた人だから、「似た存在」として扱われることが多い気がするけど、実は演じ手としての個性はゼンゼン違うんだよな。

 失礼ながらあえて一言でいうと、菅原文太さんは「二面性の役者」で、高倉健さんは「一本柱の役者」じゃないかな。

 文太さんは73年から『仁義なき戦い』、75年から『トラック野郎』の両輪で活躍した。「2つの当たり役を同時につかんだ」なんて言われてるけど、そんな生易しいもんじゃない。恐ろしいくらいに難しいことだ。

 オイラは『戦場のメリークリスマス』に出演した時、まさにその難しさを感じた。当時は演技経験なんてまるでないし、ヘタだってことは十分自覚してた。だからコッソリ映画館に出かけていって、客としてあの映画を見たんだよ。で、気がついたのは演技の巧拙よりももっと深刻なことだった。映画にオイラが登場しただけで、ドッと笑いが起きたんだ。「タケちゃんマン」やら漫才のイメージが強すぎて、オイラは役者として見られてなかったんだよ。

 ショックだった。だからテレビドラマで、大久保清やら凶悪犯を立て続けに演じたんだ。ドラマや映画で「お笑い芸人のたけし」を消し去るまで、ずいぶんと時間がかかったね。


 じゃあ、文太さんはどうか。『仁義なき戦い』は東映の実録ヤクザ映画路線の代表シリーズで、深作欣二監督らしいバイオレンスあふれる作品。一方の『トラック野郎』は、ギャグあり下ネタありの爆笑コメディでね。だけど文太さんは、どちらもこなしてしまう。

『トラック野郎』を観て、「『仁義なき戦い』の広能昌三がこんなくだらないバカをやったら格が下がる」とは言われないし、逆に『仁義』シリーズを観て、「『トラック野郎』の桃次郎が怖い顔して人殺ししてるぞ」と笑われることもない。

 これって神業なんだよ。オイラ自身が大変だったから、あの人の偉大さがわかる。文太さんに「巧い役者」って評価はそんなになかったけど、本当はものすごい「テクニックの人」だったと思う。頭をフル回転して役に取り組んでいたはずだ。

 一方の高倉健さんは、ヤクザを演じたって、警察官や鉄道員を演じたって「健さん」だ。ビシッと一本スジの通った、オンリーワンの存在感だよな。野球でいえば、長嶋茂雄さんだね。ファンから求められる「高倉健」を絶対裏切らない。

 それだけ2人のスタイルは違うんだけど、共通するのは「オーラの強さ」だよ。「すごみ」とも言い換えられる。おそらく本物のヤクザだって、あの迫力にはビビッたんじゃないかと思うね。任映画、実録ヤクザ映画の時代には、「実技指導」で本物の極道が出入りしてたっていうし、その頃に「すごみ」を学んだのかもな。

 その当時の役者の上下関係だって、ヤクザ顔負けだからね。オイラが昔、京都の東映太秦撮影所で若山富三郎さんに挨拶に行ったら、「たけし、俺のところに最初に挨拶に来たんだろうな?」ってドスを利かされてさ。「ハイッ!」って直立不動で答えたことを思い出すよ。


 高倉健、菅原文太という2人の死は、「スターで映画を観る時代」の終わりなのかもしれない。今や俳優だって女優だって「使い捨て」の時代だ。「YouTube」全盛の世の中は、気軽で閲覧数が多いものが幅を利かせて、ブームを過ぎればさっと忘れられちゃう。どんどんそんな時代になってきている。

 もう本物の「銀幕スター」は出てこないのかもしれない。だからこそ、そんな映画の時代を生きた健さんや文太さんって、本当に最高だったと思うんだ。