「プレイヤー」への敬意がない評論家なんて、
いないほうがよっぽどマシだ。
テレビへの文句が出たところで言わせてもらうけど、最近イライラしてるのがワイドショーやらに出てくる「評論家」を名乗るヤツラだよ。「ショーンK」ならまだ何者かわからないからいいんだけど、「その道の権威」を名乗るヤツのほうがよっぽどタチが悪い。そいつらがしたり顔でいい加減なこと言ってるのに腹が立つんだよ。たとえば実態はテレビタレントに成り下がっているのに、教育評論家とか名乗っているヤツはろくでもない。
教育をやろうって人間なら、教育の現場に出て子供と正対するのが第一だろ。イジメや虐待やらのニュースに外野から「けしからん」なんて言ったって、まったく意味がない。そんなヒマがあったら、自分に火の粉が降りかかってくるようなヒリヒリした場に出て戦えって話なんだよ。
映画評論家だったり、演芸評論家だって少なからずそうだよな。「じゃあお前が映画を撮ってみろ」「笑いをやってみろ」って言われたら、ほとんどグゥの音も出ないだろってね。それなのに、平気な顔して「あの映画はダメだ、あの芸人は終わった」なんて言えるんだからさ。そんなふざけた話があるかってんだよ。
オイラは芸人だけど、若手を評価することができるほど偉くはないし、オイラ自身が昔ほどのスピードと切れ味で漫才できないことはよくわかってる。「お前が言うな」って思われるのは嫌なんだよ。だから漫才コンテストに出ても採点するのは断るし、上から目線のジャッジはしたくないんだよな。どんな笑いも「好き」か「嫌いか」ってだけの話でさ。
オイラがニュース番組なんかでコメントをするときは、そういう「上から目線」だけは避けようと思っている。
なぜか、「文化」とか「芸術」みたいなジャンルに限って、こういう「やったことないヤツが偉そう」って不思議な現象が起きる。野球やサッカー、フィギュアスケートみたいにスポーツだと、評論家はその道の選手として名を成した人たちなんだけどさ。
別に「実技ができないヤツが語るな」とまで言ってるわけじゃなくてさ。どんなジャンルにしても、評論家は「自分ができないからこそ、実際のプレイヤーには敬意を払えよ」って言いたいんだよな。
評論家だとかマスコミが、取材対象をどれくらい評価や理解してるかなんてのは、ちょっとした言葉ですぐにわかるもんだよ。
映画監督としてインタビューを受けていても、そう思う。映画記者の質問で、オイラが一番「コイツ、バカなんじゃないか?」と思うのが「この映画のテーマはズバリ?」とか「この映画を一言で表すと?」っていうヤツ。
そんなもん、サラッと言えるわけがない。一言で表現できるくらいの浅~いテーマなら、わざわざ手間暇かけてカネもかけて頭をフル回転させて、映画なんて撮らないよ。それくらい、作り手に怒られなくてもわかりそうなもんだけど。
なんでニッポン人は何でも一言でまとめたがるんだろう。「今年の漢字」ってヤツもオイラは嫌いだ。色々あった1年間を「絆」みたいな一文字で総括しようって了見が気に食わない。世の中、みんなそれぞれ悲しいことがあったり、悔しいことがあったり、苦しんでたり、いろんな人たちであふれてるんだぜ。それなのに「そんな簡単な一言でくくられてたまるか」って思う。
これはついでになるけど、マスコミの中で特に「情けない」と感じるのがスポーツ新聞がやってるネットニュースだ。オイラが『ニュースキャスター』や『TVタックル』でしゃべった内容を、「たけし◯◯について語った」とかいうタイトルでニュースにしてさ。別に悪いことじゃないのかもしれないけど、テレビ番組のコメントを拝借するだけなんて、取材とは言えないだろう。プロとしてのプライドはないのかって話でさ。
インターネットのまとめサイトが、無断転用や捏造で、とんでもない医療記事を垂れ流していたというニュースもあった。
最近、そういう当たり前のモラルみたいなものが忘れられちまってる気がするんだよな。そのくせ、誰かがヘマすると寄ってたかって叩いて「炎上」みたいなことになるんでさ。なんだかチグハグな世の中になっちまってるよ。