声優とはいったいなんなのか。
その質問に、多くの人間が「声のお仕事」と答えるだろう。アニメやゲームのキャラクターに声を当てたり、ナレーションをしたりするお仕事、役者さんというのが一般的な認識だと言える。
けれど、いつの頃からか、そのお仕事は多様化し、今じゃ歌って踊るのは当たり前、なんなら写真集だって出すし、バラエティ番組に呼ばれてロケにトークに引っ張りだこ。
声優とはいったいなんなのか。
そんな疑問が改めて浮かぶ。
うら若き乙女の身でありながら、スリーサイズなんて書かされれば、わたしでなくたって、そう思うはずだ。いや、むしろ、わたしこそ思うはずだ。
なんせアニメの仕事、週に一回あるかどうかってレベルだし、それもだいたいバーターで突っ込まれてるモブいモブばかり……。
なのに、なぜか今、どこに出すとも知らぬスリーサイズを測っている。
……わたしの職業、なんじゃらほい。
そんな思いを共有できるのは、わたしの数少ない友人、久我山八重だけかもしれない。
事務所が公開するプロフィール更新のために呼び出されたナンバーワンプロデュース社屋、会議室の一角。
わたしと八重は、今しがた書き終えたプロフィール記入用紙を前に、大きなため息を吐いた。
晩春の夕映えがブラインドから差し込み、わたしと八重が書いたプロフィール記入用紙を淡く照らし出す。
「八重、書き終わった?」
「うん、一応……」
お互い確認するように、ちらっと相手の手元に視線をやった。
わたしも八重も、中間テストの試験結果を返されたときみたいに、見せたくない部分をさりげなく手で隠している。
まぁ、見なくてもつい先ほど、スリーサイズを計測したから数字は知っているんだけど。
書かないつもりでいたスリーサイズだが、結局、八重の無言の圧力に屈する形でわたしも一応測った。
……だが、その通り書くとは言っていない。
おそらくは、わたしも八重も、数字を盛ったり減らしたりしているのだ。
だから、知りたいのは、実測した数字ではなく、記入した数字。
その差がいかほどか。どこまでなら、経歴詐称に問われないのか。何センチまでなら乙女の可愛い噓として許されるのか。どの程度までなら見栄を張っていいのか。
そう、これは乙女のプライド。
わたしが八重の手元を覗き込むと、八重はすすっと体の位置を入れ替えてしっかりガードする。そのガードぶりたるや、多い日も安心。
けれど、わたしは自称毒舌キャラという免罪符によって、デリカシーのないことを平気で言う女。それで嫌われたら誰にも理解されない可哀想なヒロイン気分に酔って自分を正当化することができる自称サバサバ系な女。自称毒舌自称サバサバ系ついでに自称ドSはだいたい性格がゴミ。これ豆知識な。
なので、開き直って単刀直入聞いてみる。
「実際どんぐらい盛った?」
「も、盛ってないから! 一センチも盛ってないよ!」
八重は己の正しさを主張するようにむんと胸を張って言う。そりゃまぁ、その胸なら盛る必要はあるまいよ……。
「……じゃあ、どんくらい減らした?」
聞き方を変えると、八重はこそっと視線を外して、ぽしょりぽしょりと呟く。
「……ご、いや三センチ、とか、くらい?」
こいつ、なかなか大胆だな……。さすがのわたしも五センチは盛れない。その、女は度胸と言わんばかりの豪胆さに恐れおののいていると、八重は不満げに口を尖らせわたしを見る。
「ちーちゃんは?」
「ちょっと盛った、かな……。うん、まぁ、ちょっとね?」
そう言うと、八重はきょとんとしていたが次第ににんまりとほの暗い笑みを浮かべる。おそらく今のわたしも似たような顔をしているだろう。
わたしと八重は顔を見合わせて、えへへーと可愛らしい微笑みを交わした。
お互いに噓を認め合い、罪を許し合い、弱みを握り合う共犯関係にも似た絆……、人はそれを友情と呼ぶのです……。
でも、女の子の噓はいい噓だからセーフ! むしろ、自分をより良く見せたいという向上心の表れだからセーフ! 向上心のないものは馬鹿だと『こころ』の先生も言っていたからセーフ! それどころか秘密は女を女にするからセーフ!
「まぁ、ぶっちゃけ、これくらいなら全然大丈夫だよね?」
「うん! まぁ、ちょっとくらいはね!」
八重の力強い同意を得て、わたしも俄然気が大きくなる。
「だよね! もっとやばい噓吐いてる人たくさんいるもんね!」
「そ、そういう問題かなぁ?」
うーんと難しげな顔で首を傾げる八重に、わたしはばーんと胸を張る。
「そういう問題だよ! かおたんさんなんて、こないだラジオで弟と出かけた話してたけど、あれって絶対か……」
「はわっ! 別に言わなくていいし知りたくないよぅ!」
八重が慌てた様子でわたしの口を手で塞いだ。おかげでもごもご言ってしまうわたし。
乙女にも言えないことはたくさんあって、声優にも言えないことがたくさんある。
つまり、女性声優は秘密の塊。
となれば、声優界は秘密の園。
だから、内側にいるととても楽しい。
「ちーちゃんはすぐそういうこと言い出すんだから、もう……」
しかし、八重はわたしとは違う意見らしい。不機嫌そうにぷくっと頰を膨らませている。
その可愛らしいほっぺをつつきながら、わたしは微笑んでみせた。
「でもさ……、こういう話って今しかできないじゃん?」
「そ、そう?」
八重が訝しげに首を捻った。それはわたしの声音がいささかしんみりと、どこか寂しげな響きを伴っていたからかもしれない。
今だけ、という言葉は明るいイメージと暗いイメージ、どちらも与えてしまう。
だから、わたしはことさら優しく微笑むと、八重の肩をぽんと叩いてやった。
「そうだよ。売れてくると、いろんな人と利害関係が生まれちゃうからね。へたなこと言えなくなるからね」
売れてない声優ほど、他の声優のゴシップをやたらと話すのだ。売れている人たちや名前の知られている人たちとはなんの関わりもないくせに、やっかまずにはおれず、せめてゴシップや悪口陰口の一つも叩かないことには、自身のプライドを保っておくことができない。
それが売れない声優である。
この、「売れない声優」とわざわざ自分で声優と言うあたりにも肥大化しきった承認欲求と自己顕示欲が現れている。
が、不思議と、売れてくるとあまりよそ様の悪口やらを言わなくなってくる。いや、中にはそのまま調子ぶっこいて現場で顔を合わせた程度のスタッフやラノベ作家には挨拶しなくなるなんて人も一部にはいるのだけれど。それでも、大半の人は言動が柔らかくなる。
しかし、それも別に謙虚になったとか人間的に成長したとか社会人としての自覚が出てきたとか、あるいは先輩や業界によって型に嵌められたというような理由からではまったくなく、いつ後ろから刺されるかわからないから無難なことを言うようになるだけなのだ(わたし調べ)。
わたしはそこんところを八重にこんこんと説く。
「だから、こういうのは今しか楽しめない会話なんだよ! 今のうちに人の悪口ばんばん言おうよ! 今を大事に生きなきゃ!」
「ちーちゃんは後ろ向きに前向き過ぎるよぅ……」
八重は聞いて損したと言わんばかりに、かくっと肩を落とす。
すると、その視界には先ほど書き終えたプロフィール記入用紙があった。八重はそれをすっと手に取り掲げて見せる。
「そ、それより! これ、もう書き終わったし、烏丸さんに渡しに行かない?」
「そっか。そだね」
まだまだ売れっ子声優たちのゴシップを話していたい気分ではあったが、わたしも今日は遊びに来たわけではない。一応仕事に関わることで呼び出されているのだった。
しぶしぶ話を打ち切り、わたしがさっとスマホを取り出すと、八重がほっと胸を撫で下ろす。
「んじゃ、さくっと悟浄君呼んじゃうね」
「よ、呼んじゃうんだ……」
「うん、まぁ、悟浄君終わったら呼べって言ってたし」
「そ、そっかぁ……」
わたしがぺぺっとメッセージアプリを起動していると、八重がどこか不安げな声で相槌を打った。その模糊とした息遣いが気になって、八重の方をちらと見る。
「なんかまずいことあった?」
聞くと、八重はぱっと顔を上げてわたわたと胸の前で手を振る。
「え? え、えっと……、渡してそのまま帰るつもりだったからちょっと……。チェックとかされちゃうのかなぁって……」
そして、困ったようにえへへーと笑う。言われてわたしもスマホをぷにっと頰に押し当てて、しばし思案顔。
「まぁ、悟浄君は絶対チェックするだろうね。あの人、めっちゃ細かいから。烏丸悟浄どころか烏丸小姑って感じだよ」
「そっかぁ……。それは、ちょっと困るかも……」
言いながら八重は自分の身を抱くようにして、体を捩る。
ふむ。まぁ、誰だって小姑からあれこれ言われるのは好きではなかろう。
わたしは小姑君の小言にはすっかり慣れてしまっているので、さほど気にはしていないのだが、八重は小姑チェックにどこか怯えているようにも見える。ここは一つ、小姑対策を伝授してやるとするか……。
わたしは八重の頭をぽふぽふと軽く撫でつつ、安心させるように努めて明るい声で話しかける。
「まぁさ、小姑になんか言われてもはいはい言っとけば平気だよ。嫁姑小姑戦争だって、最終的には味噌汁の塩分次第でこいつら程度いつでも殺せるって思ってたら気が楽じゃん。そんな感じでどーんと構えてたらいいんだよ」
「ちーちゃん、すごい……。けど、ちーちゃんとは絶対結婚したくない……」
八重は大人しく撫でられつつも、その眼差しには羨望とドン引きが入り混じっていた。
おかしいな、わたし、結構いいこと言ったつもりなんだけどな……。いえ、まぁ、ちーちゃんと絶対結婚したいと言われるよりはいいんですけどね……。いや、待てよ? 逆にそういうこと言い出して百合営業するのが正しい声優の在り方では?
くっそ、声優業界マジ難しいな……。どういう立ち振る舞いが正しいんだ! 芝居に歌にダンスにトーク、さらにはイメージ戦略まで練っていかないといけないとかハード過ぎる。
声優とはいったいなんなのか……。
またぞろ抱いてしまった素朴な疑問に未だ答えを出せぬまま、わたしは適当な鼻歌を口ずさみ、スマホをいじる。
「なんだなんだ声優ってなんだ〜♪ 仕事の他にも営業あるぞ〜♪ 立てば百合レズ〜♪ 座ればぼっち〜♪ 出かけるときは弟営業〜♪」
すると、八重がぽこぽこと猫パンチしてくる。
「はわぁ! だからそういうの言わなくていいって言ったのに! 言ったのに!」
「え? あー、弟営業のこと? 別にかおたんさんのことじゃないって。一般論だよ一般論」
「全然一般論じゃないよぉ! ていうか、私、普通にかおたんさんのファンなんだよ? ファンの前でそういう話しちゃダメだから!」
八重はひんひん半泣き状態でわたしの袖をくいくい引っ張る。その仕草は散歩をせがむアホなチワワみたいでちょっと可愛い。ははは、こいつめこいつめ可愛いなーよーしよーしよしよしと頭を撫でて、八重を適当にあしらって、わたしは悟浄君を呼び出すメッセージをぽちーっと送信した。
…………まだかな? 遅いな、悟浄君。
悟浄君が来るまで、暇つぶしがてら八重と雑談してるか。
「ていうかさ、声優でも他の人のファンとかなるんだね。珍しい……」
「ちーちゃんが声優さんに興味なさ過ぎなだけだよぅ。ちーちゃんは好きな声優さんとかいないの?」
問われて、わたしはスマホの画面に視線を落とす。
「……いないなぁ」
ごく小さな声で言うと、八重はだよねと言わんばかりの吐息をこぼす。ご納得いただけたようでなにより。理解ある友達っていいものですね!
けれど、そんな八重でもわからないことはある。
例えば、わたしが好きな、いや、好きだった声優のこととか。
昔は、いたのだ。
ファンというほど熱心に追いかけたりはしていなかったけれど、応援していた声優さんが。
ふと、そんな昔のことを思い出してしまったせいで、会話が途切れた。八重が不思議そうにわたしの顔を見上げる。それを誤魔化すように、わたしは無理矢理に前の話題を引き戻した。
「でもさ、好きな声優さんだからこそ、プライベートが気になるもんなんじゃないの? 知らないけど」
適当にふっと思いついたことを言うと、八重はしばし首を捻る。
「うーん、どうかなぁ。……あ、でも、かおたんさんほんとに弟さんいるよ! だから、大丈夫!」
やがて思いついたようにぱふっと手を打つと、その手を胸の前に持ってきてむんと力強く頷いた。
なにが大丈夫なのかまるでわからん。異議あり! 本当に弟がいることは弟営業の否定にはつながらないぞ!
「いやいや。だとしても、姉弟で買い物行ったりするわけないじゃん」
わたしがないないとばかりに手を左右に振って言うと、八重はぱちくりと目を二、三度瞬かせる。そして、小首を傾げてわたしを上目遣いに見上げてきた。
「そう、なの? でも、ちーちゃんもお兄さんと仲良いよね?」
「は? 別に仲良くないけど……」
なに言ってんだこいつ……。
「わたしんとこ、かおたんさんと違ってリアル兄だよ、仲良いわけないじゃん」
「か、かおたんさんもリアル弟だよぉ! ……たぶん!」
今、こいつなんか付け足したぞ……。
「リアル兄妹って別に仲良くないと思うけどなぁ。会話全然しないこともざらだし、ケンカも普通にするし……」
自分の日常を振り返ってみても、悟浄君と特別仲が良いという意識はない。ここ最近はムカつくことを言われるのが多いし、むしろ険悪とすら言えるのではなかろうか。
などと、思っていたのだが、八重から見たわたしたちはちょっと違うらしい。
「ちーちゃんは烏丸さんと仲良いと思うけど……」
「いや、だからさ……」
「だって、仲良くないとスリーサイズとか教えられないし……」
呆れ交じりに呟いたわたしの言葉を遮って、八重がぽしょぽしょと囁くように言った。ふと見やれば、八重は頰を染め、しどけなく俯いている。
……っべー。
マジそうじゃん。わたしのスリーサイズ、悟浄君に知られちゃうじゃん。やだ、マジ八重ってやっぱり目の付けどころがシャープじゃない?
いや待て。待て待て落ち着け待て。
「まぁ、でも、ゆーて悟浄君だし、別に気にするようなことじゃないよ、うん」
一度咳払いをし、自分に言い聞かせるように言う。すると、八重がはわっと小さな声を上げた。
「わ、私は、相手が烏丸さんだから気にしちゃう、っていうか、ちょっと恥ずかしいけど……」
きゅーっとスカートの端を握り込んで、八重は耳まで真っ赤になっている。な、なんでそう言うこと言っちゃったの、この子……。わたしまで恥ずかしくなってきたよ!
ううっ……。
弱った。弱ったぞ……。思った以上にこれは恥ずかしいことのような気がしてきた……。
兄だよ! 兄! リアル兄にスリーサイズ知られるとか、全然知らん他人に知られるよりもずっと恥ずかしい! わたしも母ちゃん気分で悟浄君のいかがわしい本のラインナップを見ては「あら〜♪ あらあらまぁまぁ、悟浄君ったらこういうのが好きなのね〜♪」などと余裕ぶった態度を見せることはできるだろうが、それを自分がやられる立場となると話は別だ。絶対絶対嫌だ。
不特定の顔も名前も知らない人たちになにを思われても、そこまで気にならないし、少ししか気にしないし、ちょっとしか嫌な気分にならないが、一緒に生活して、毎日顔を合わせる悟浄君にスリーサイズを知られるなんてだいぶ無理。
……でも、もう悟浄君呼んじゃったんだよな。
わたしと八重は互いに顔を見合わせると、「はわわ」とか「あわわ」とか言いながら右往左往することしかできなかった。
☆ ☆ ☆
千歳から連絡が来るまでの間、喫煙所でボイスサンプル用の原稿を作っていた。といっても、俺が用意するのは叩き台になるものまでだ。
うちの事務所の場合、新人のうちは役者本人に一から書かせたり、あるいはこちらで用意したものを自分なりに編集してくるように指示をする。そうした過程を踏むことによって、自身の役者としての売りがどこなのか、考えさせることに繫がるのだ。
まぁ、そんな感じで、ボイサン一つとってもそれなりに考えて作られている。
スケジュール管理やギャラの折衝等のマネジメントだけでなく、トータルで役者たちをサポート、プロデュースしていくのが俺たちの仕事だ。
結果、気づけば俺も妙に技能が増えてきている。件の原稿作成の他、収録機材の扱いや音響編集ソフトの簡単な取り扱いくらいはできるようになってしまった。おかげで、テープオーディションに出す音源くらいは俺一人で作ることができる。
うちの事務所のように人手が少ないとなんでもやらなければならない。得てして、こういうところを経て独立したり、転職したりするものなのだ。社畜は荏胡麻のように絞れば絞るほど働くものだが、一方で絞りすぎると逃亡するリスクも出てくるので生かさず殺さずが基本である。適度な昇給昇進、大事! 適切な休暇、もっと大事!
いや、これがなかなかマジな話、結構重要なことなのだ。一般企業でも変わらないとは思うが、この手のお仕事はマニュアルでどうにかなる部分は案外少なく、ノウハウやコネクションは会社よりも個人に付随することが多い。この業界では実力あるマネージャーの独立や転職がもっとも恐ろしいことだともいえる。
お世話になったマネージャーを慕って、事務所を離れる役者だって中にはいる。一緒に個人事務所として立ち上げて、そこから二人三脚だんだん大きくしていこうなんてこともある。
もっとも、別に独立も転職も考えてない俺にとっては、今は関係のない話だ。
あくまでも、今は、だが。
先々のことはわからないし、過去には、既にその手の話を味わった。
あるいはあのとき、違う選択が許されていたなら、なにか変わっていたのだろうか。
ふと昔のことを思い出して、もう一本、煙草に火をつけた。
ひときわ大きく煙を吐く。すると、背中に声を掛けられた。
「ああ、やっぱこっちおった」
振り返ると、片倉さんがひらひらと手を振って喫煙所に入ってくる。
「片倉さん、おはようございます」
慌てて煙草を揉み消そうとすると、片倉さんはくすくす笑う。
「はい、おはようございます。台本、取りに来たついでに顔出そかなー思ただけやから。そのままでええよ」
片倉さんが俺の手元をちらと覗き込む。
「なに? ボイサン? 誰のか作るの?」
「ええ。千歳たちのを」
「へぇ……。千歳ちゃん、今って、あんまり仕事ないん?」
「まぁ、そうですね……」
「なるほどなー。そんで作り直そうとしてるんか。うちらも仕事ないとき、ようやったなぁ。いや、うちは今も全然仕事ないねんけどな」
言って、片倉さんはくつくつ笑う。ははっ、笑えねぇ……。
「新人のうちは短期的な目標とわかりやすい成果物があった方がいいですから」
俺は引き攣りそうな頰を無理に笑顔にし、手にしていた紙束をとんと整える。
「あー、そういうの大事やんな。まぁ、オーディション受かるのが一番やけど、そう簡単に行かんもんなぁ」
腕組みをすると、片倉さんはうんうん頷く。
片倉さんの言うように、オーディションというのはろくろく通らない。千歳にも、久我山にも、これまで何度かオーディションを受けさせているが、はっきりと役を勝ち取ったことは今まで一度もない。
さもありなん。
オーディションの倍率は半端じゃない。俺個人の経験上の数字だが、一つの役を百人以上が受けることもざらだ。それも、ある程度アフレコやイベントのスケジュールの見通しがついて、そのタイミングで空いている人間だけに絞ってもこの数。
ごくごく単純な確率で言えば、自分が受けた役を勝ち取れる可能性は小数点以下なのである。
加えて、一年間で二百タイトル前後のアニメ作品があるが、そのすべてでオーディションがあるわけでもない。最初からその役者ありき、つまりは指名で決まっていることも普通にある。
事務所があんまりにも小さかったり、やる気がなかったり、音響制作会社と仕事をしてきた実績がなければ、そもそもオーディションのお声が掛からないこともある。
したがって、オーディションは受からなくて当たり前、とも言えるのだ。
だが、年がら年中、受からないオーディションを受け続ければ、さすがに誰でもやさぐれてくるもの。特に新人のうちは目に見える成果というのが乏しい。無論、オーディションで勝ち取った役以外にも仕事を受けることはあるが、バイトの方が稼げてしまうような仕事量では充実感もあまり味わえない。
さらに言えば、千歳も久我山も、番レギュやモブでの仕事に慣れてきた頃合いだ。
初めてエンドクレジットに名前が載ってわーきゃー喜んだり、はしゃいでいたあの頃の感動も薄れてきているだろう。
声優に限らず、すべての仕事に通じることだとは思うが、「慣れ」こそが一番怖い。現状を肯定してしまえば、諦めと妥協にすぐ繫がってしまう。
だからこそ、今このタイミングで、彼女たちに声優としての意識を植え付け直す必要がある。
もっとも、こういうやり方はあまり一般的ではないかもしれない。大抵の場合、ボイサンや宣材写真なんかは一度作ったらそのままだ。節目の年齢だとか特別な機会があれば別だが、通常はそう頻繁に作り替えるものではない。
ただ、俺にはこのやり方が性に合うのだ。
「……やっぱり育て方ゆうかノウハウって似るんかなぁ」
片倉さんはどこか遠い目をして、微笑み交じりに言った。その言葉には懐かしむような響きが滲んでいて、少し胸が痛んだ。
俺も片倉さんも似たようなやり方で育てられてきたからだろうか、やっぱりわかるのだろう。
帰らぬ日の思い出語りに代えて、俺が軽く肩を竦めると、片倉さんも同じようにして笑んだ。
「こういうやり方、悟浄君らしいね。……あ、ゴジョーさんやった」
片倉さんが慌てて口元を押さえる。
「別に変えなくてもいいですけどね」
「いや、変える変える。もう立派なマネージャーさんやもん」
俺の肩をぱしぱし叩いて、からからと笑う。
「気に掛けてもろてるんやなぁ思たら、やる気も出るよ」
「どうですかね……」
久我山はともかく、千歳がその気遣いを察するとはまるで思えない……。なんならあいつ、俺に不信感しか抱いてないからな……。
しかし、そうも言っていられない事情がある。マネージャーの仕事の中には、プロデューサー的な役割も多分に含まれる。となれば、モチベーターとしても、働かなければならない。
一番大事なのは、ちゃんとバックアップする気があると見せることだ。いや、実際ちゃんとバックアップしてるけどね?
ただ、それを行動として見せて、彼女たち自身にそう感じてもらわなければならない。
所属声優が事務所を去っていく理由の一つに事務所やマネージャーへの不信感が挙げられる。
この事務所は自分を売り出す気がないんじゃないか。子飼いばかり優先していて自分のことなど見ていないのではないか。自分のいいところを理解してくれていないのではないか。売っていくための方向性が食い違っているのではないか。営業に手を抜いているんじゃないのか。
そういった不安は常について回る。
実際、声優とマネージャー間のコミュニケーションが不足していれば、その手の問題は表面化しやすい。
多くの場合、声優とマネージャーは仕事でしか顔を合わせない。
プライベートでも仲が良いのは理想的なことだが、普通の企業に置き換えた場合、取引先の人間と公私ともに仲が良くてその良好な関係性が長期的に続く、というのはなかなか難しいだろう。
あくまで、声優とマネージャーはビジネスパートナーだ。
取引相手の一人である以上、どうしても、アフレコ現場等の仕事の場でのコミュニケーションが主となる。
となると、仕事が少ない新人のうちはなかなかマネージャーと顔を合わせる機会も少ない。そうした時期にコミュニケーションが足りないと、どうしても、不信感を抱きやすくなる。
だからこそ、今このタイミングで意識的に接する頻度と密度を濃くする必要がある。
今回、ボイスサンプルやプロフィールを刷新するのにはそうした意味合いも大きい。
いや、ほんとマネージャーって結構いろいろ考えて仕事しなきゃいけないから大変。
俺も頑張らないとなぁと気合いを入れ直す意味も込めて、手元の紙束に視線を落とす。すると、俺の顔を覗き込むように片倉さんが見上げてきた。
「若い子もええけど、お姉さんのことも忘れんといてよ」
むーっとちょっと不機嫌そうに頰を膨らませ、スーツの袖をくいくいと引っ張ってくる。

いや、ほんとマネージャーって人を相手にする仕事だから大変。特に女の子相手だといろいろ気を遣うし、加えて声優で、おまけに若手新人だったりすると、もう満貫だよね。いや、片倉さんが女の子と呼べる年齢かどうかは怪しいところだけれど。
などと、思ったことはおくびにも出さず、俺はいつものマネージャースマイルを浮かべる。
「もちろんです。来週テープ録りますよ」
「ほんま? 受けてええの? わー、なんや久しぶりやわ」
片倉さんがぱちぱちと手を叩いて、きらきらしたおめめで俺を見る。まぁ、こういう可愛らしい仕草や表情をされると、素直に、女の子だなぁと思わなくもない。
しかし、この感じだと、片倉さん、他のマネージャーの案件にはあまり声掛かってなさそうだな……。
声優事務所の多くは、声優個人にマネージャーがつくというよりは、案件・タイトル・音響制作会社ごとにマネージャーが異なる場合が多い。
したがって、オーディションを誰に受けさせるかもそのマネージャーの采配によるところが大きくなってくる。
なので、声優さんによっては、Aさんはよく仕事を振ってくれるけど、Bさんはまるで仕事をくれない、なんてことも起きうるのだ。
事務所内の派閥争い、とまではいかないが、人間が寄り集まれば多少の行き違い、すれ違いが生まれるのは避けられないことではあるが、これが結構面倒くさい……。同じ事務所のマネージャー同士でスケジュールを奪い合うことも、ごく稀によくある。
まぁ、実力があっても、他に性格の相性とか仕事のやりやすさとか信頼度とかで左右されちゃうもんだからね。そんなのどんな職場でもあるからね、仕方ないね。
「取り急ぎ、来週の火曜か水曜、空いてるところで録りますんで、また連絡しますね」
「はいな。よっしゃ、がんばろ。今日会いに来といて良かったわぁ」
ほくほく笑顔で片倉さんは自分のスケジュール帳を取り出し、「AUD」と書き込み始める。ちらと覗いた予定にはバイトのシフトがきっちり書き込まれていた。
そのスケジュール帳をぱたんと勢いよく閉じる。
「頼りにしてんで、ゴジョーさん」
言って、バッグを背負い直すと、片倉さんはばいばーいと手を振って去っていく。
それを見送ってから、吸いさしの煙草を灰皿に押し当てた。本当に、頑張らないとな……。
ちろちろと熾火のように燃える火種と頼りなく揺れる一筋の煙を見ていると、胸ポケットに入れてあったスマホがぶるっと震えた。
見ると、千歳からの呼び出しだ。「終わったー」という愛想もなにもない一文に添えられているのは、可愛げのない死にそうな顔のオコジョのスタンプ。
ぼちぼち行くか、と喫煙所を出て二階に上がっていく。
千歳たちの待つ会議室について、二、三度、その扉を叩いた。
『どうぞ……』
すると、返ってきたのは妙に抑揚のない千歳の声だ。了承を得て、中へ入ると、千歳と久我山がいる。
いるのだが……。
なぜか二人とも、椅子にではなく、床に正座している。
「お、おう……。なにこれ、どうしたの……」
どうしたの、というよりは、どうかしちゃったの? と聞いた方が正しかったかもしれない。
問うと、神妙な顔をした千歳がへへぇっと頭を下げる。それに倣って、横の久我山も慌てて、へへぇ! っとやり出した。……なんだこいつら。
茫然と眺めていると、平伏した千歳がなんか言い出した。
「あの、スリーサイズの件ですが、やはり載せないという方向性でいかがでしょうか……。今回に関しては見送るという方向で一つ……」
千歳が神妙な様子でつとつとと言い、先ほど書き終えたのであろう、プロフィール記入用紙をすすっと前に出してきた。ちらとスリーサイズの記入欄を見れば、ボールペンで真っ黒に塗りつぶしてある。
久我山に至っては、ばばっと後ろ手に隠してしまい、一文字たりとて見せようとせず、ひんひんと泣き出しそうな顔をしていた。

そんな顔を見ると、なんだかいじめている気分になってきてしまう。
「……まぁ、判断任せるって言ったし別に強制じゃないから書かなくてもいい。スリーサイズは載せてるとこも載せてないとこもあるしな」
なだめるように言うと、ようやく久我山の表情が和らいできた。久我山がほっと胸を撫で下ろすその横で、千歳がおずおずと挙手する。はい、千歳君。
「あの、でも、衣装があるときに必要云々かんぬんの問題はどうなりますでしょうか」
「そのときは都度都度で構わないだろ。まぁ、ちゃんと衣装作るときは改めて採寸しないといけないだろうし」
「だってさ、八重、良かったね」
「うん!」
千歳が微笑みかけると、久我山もそれに応えて頷く。だが、すぐにその表情が暗くなった。
「でも、何度も測られるの、嫌だな……」
「別にいいじゃん、八重、どうせ増減するんだしさ」
けたけたと楽しげに千歳が笑う。
こういう女の子っぽい会話……というか、妹が女の子っぽい会話してるの聞くのって苦手だなぁ……。
などと思いつつ、我関せずで黙っていると、千歳にぽんぽん肩を叩かれていた久我山の視線が一瞬だけ鋭くなった。
「………ちーちゃんは変わらなそうでいいよね」
ぼそっと囁くキャンディボイス。声質それ自体は普段の久我山のものなのに、やたらに低く聞こえた。甘いウィスパーなのに、不思議とどこかに棘がある。
おお、こいつ意外に芸達者なのかも……、と感心していると、その隣から綺麗な舌打ちが聞こえてきた。
見れば、千歳がめっちゃ冷めた顔をしている。
「なに? 今胸の話した?」
いよーっぽんぽんぽんぽん……と聞こえてきそうなくらいに空気が張りつめている。あー、怒ってるよ、これ。いや、兄の贔屓目かもしれないけど、千歳ちゃん、別に貧乳じゃないと思うよ、お兄ちゃん。などと言える雰囲気ではない。それは久我山も察しているのか、慌てた様子で手をぶんぶん振って否定する。
「はわぁ! してないよぉ! スレンダーだな羨ましいなって思っただけだよぉ!」
「ほーん……」
千歳がしらっとした目つきで見ている。その間も久我山ははわはわしていた。
千歳はそれを細めた目で睥睨していたが、すぐにふっと微笑みにも似た吐息を漏らす。
「まぁ、八重だもんね。黒い」
「く、黒くないよぉ!」
満足げに微笑む千歳を久我山がぽこぽこ猫パンチしていた。うんうん、仲が良くてよろしい。
「他に質問ないなら、そろそろスタジオ行くぞ」
言いながら、二人に手を差し出し、プロフィール記入用紙を提出するように促す。
「スタジオ、ですか?」
久我山がほえっと首を捻りながら用紙を差し出す。
「ああ。宣材写真撮りに行く」
「え、それも変えるの?」
千歳からも同じく用紙を受け取り、それをまとめてクリアファイルに入れた。
「ああ。……いいタイミングだからな」
言うと、千歳はほーんと適当な返事をし、久我山は緊張気味の表情をしている。俺は一度小さく咳払いをして、二人に向き直った。
「今度のオーディションまでにできることは全部やっときたいんだ」
「は、はい」
という返事は久我山だけ。千歳はきょとんとした顔で目を丸くしていた。相変わらず、人の話聞いてるのかどうかよくわからん奴だな……。こっち側のやる気が伝わってくれるといいんだけど。
これまでのオーディションは、千歳たちに経験を積ませる、場数を踏ませることを主目的に置いていた。取れればラッキーくらいの感覚だったと言っていい。
だが、今度のオーディションは本気で役を取りに行く。
まぁ、本気になったと言ってみたところでそう簡単に役が取れるわけではまったくないが、勝率を上げていくためにできることはいくつかある。
そのために、今日時間を割いているのだ。
そう自分に言い聞かせながら、その成果物たるプロフィール記入用紙に視線をやった。
すると、そこにあるのは千歳の趣味一覧……。見た瞬間、ため息が出てきた。
「千歳」
「は、はいよ」
俺が名前を呼ぶと、千歳は普段よりもいくらか緊張した様子で返事をする。続く言葉を待つように、こくりと小さな喉を動かした。そのこわばった顔をじろりと睨みつけた。
「お前、これ再提出な」
「なんですと!?」
当たり前だ、噓ばっか書いてんじゃねぇか……。
☆ ☆ ☆
いいタイミング。だから、できることを全部やる。
そう言って、悟浄君は笑った。
写真スタジオまでの道すがら、わたしはその意味を考える。
たぶん、プロフィールとか宣材写真それ自体にあまり大きな意味はない。それで役が貰えるならそもそもオーディションなんて必要ない。面接でもしてろって話だ。
いくら声優が人気商売の側面が大きくなってきてるからって言っても、本質のところでわたしたちが役者である事実からは逃れようがない。
だから、悟浄君がプロフィールを作り直させた意味はちゃんと別にある。
……要するに、よく考えろということなんだろう。
わたしが声優であり続けるためになにが必要であるかを。そのために、時間とコストを掛けてもらっている。
……するってぇとなにかい? わたし、それなりに期待されてるんじゃないのかい?
悟浄君はいつも説明が足りないタイプの人だ。声優をやっていたくせに、肝心なところをちゃんと言わない。ついでに、時折中学生みたいなメンタルを発揮するから、あまのじゃくなことを言い出すときもある。
つまるところ、これは悟浄君なりの応援でありサポートなのだ。やだもう悟浄君のツンデレ!
普段わたしのことアホの子扱いする割りに、あれで結構わたしのこと気に掛けてるんだよなぁ……。まぁ、その気遣いは妹のわたしじゃないと気づかないと思うけど……。
「ガハハ! わたしが妹で良かったね! 悟浄君!」
前を歩く悟浄君の背中をばしばし叩くと、振り返った悟浄君がとても嫌そうな顔をしていた。
「なに言ってんのお前……。ていうか、その笑い方やめろ。気分が悪い、気分が」
さっきの熱い表情はどこへやら。苦虫嚙んで飲み干したみたいな顔をし、吐き捨てるように言った。
やだもう悟浄君のツンデレ!
普段ならキレ返しているところだけど、そういう態度も期待の表れというか愛情の裏返しだと思えば、ちょっとご機嫌になってしまっているちょろいわたしです。もうね! どんな暴言吐いても「愛情の裏返しだよ♡」って言っとけば許されるみたいな風潮あるからね! ねぇよ!
そうこうしているうちに事務所からちょっと歩いたところにある写真スタジオにやって来てしまった。
この代々木八幡の撮影スタジオはわたしと八重その他数名が最初に宣材写真を撮った場所だ。あのときはわけもわからず言われるがままに撮られていたが、今日のわたしは一味違う。なぜならナンバーワンプロデュース期待の新鋭として今日は来ているからね!
と、やる気充分でスタジオに乗り込んだのだが、そこには先客がいた。モデルさんらしき人がぱしゃぱしゃシャッターを切られるたびに、ちょっとかっこいいポーズを決めている。
「前がちょっと押してるみたいだな……、今のうちに準備しとけ」
そう言って、悟浄君は期待の新鋭たちをほっぽらかしてすったかすったかオフィスの方へ消えてしまう。
準備ってなんだろ……。メイク直しとかしときゃいいのかな……。となれば、あんまり気合い入れないナチュラルメイクを心がけなきゃ!
男子ってナチュラルメイク好きだもんね! ナチュラルメイクが好きって言うか、むしろナチュラル状態でメイク済みクオリティの顔が好きだもんね! ほんとナチュラルメイクが好きとかぬかす男は全員死ねばいいと思うな!
そう思いつつも、メイクを直さずにはいられない、愛されたい体質のわたし。
「ねぇ、八重。トイレどこかな?」
隣にいる八重に話しかける。が、八重からの返事はない。……なに? 無視シカトいじめ? わたし、そういうの慣れてるよ? などと、ちょっと一言言ってやろうかと、八重の方を見やると、八重はほけーっと口を開けて、なんかはわはわ言いながら、先客の方を見ていた。
「なに、どったの……」
そのはわはわした様子があまりに挙動不審だったので思わず聞いてしまう。すると、八重はわたしの袖を興奮気味にくいくい引っ張る。
「ちーちゃん、すごいよ。柴崎さんだよっ!」
「なに、あのモデルさん知り合い?」
「知り合い、じゃないけど……。ていうか、モデルさんじゃないよぅ!」
「へ?」
言われて、もう一度、その柴崎さんたらいうモデルさんの方を見やる。
フラッシュが焚かれるたびに、長く艶やかな黒髪は煌めき、抜けるように白い肌が光り輝いていた。ひらひらとしたロング丈のフレアスカートはポーズをとるごとに翻り、長くしなやかな脚を見せつける。肩口の覗くニットはゆったりとしているのに、腰がきゅっと絞られ、胸元を強調し、スタイルの良さを如実に語る。
極めつきは一瞬見せるアンニュイな表情。
どこか影と愁いを感じさせる、整った顔立ちも含めて、モデルの類にしか思えない。

「……モデルじゃないの?」
「ま、前に言ったじゃん! 声優さんだよ! いろはプロダクションの柴崎万葉さん!」
「は? 声優? マジ? ……覚えてないけど」
はしゃいだ様子の八重に言われて、再度まじまじと柴崎さんを見る。
が、柴崎さんは見れば見るほど声優さんには思えない。グラビアアイドルもどきとかアイドル崩れと言われても信じてしまう。あれと比べられたらわたしとかちんちくりんもいいところだぞ……。
ていうか、さっきからファッション誌張りにぱしゃぱしゃ撮られてるんですけど……。まぁ、最近は声優さんのグラビアも別に珍しくないもんなぁ。写真集出す人だっているし……。
それだけ露出が増えたとはいえ、この撮影風景を見て、声優さんだとわかる八重はいったい何者なんだろうか。
「八重はほんと声優詳しいな。声優博士だな」
わたしが言うと、八重はぷーっと頰を膨らませた。そして、ジト目でわたしを見る。
「なんかバカにされてる気がするよぅ……」
「そんなことないよ、感心してるよ。名前覚えてるのとかすごいよ」
「やっぱりバカにされてる気がするよぅ……。アニメ観てれば自然に覚えるよ?」
「いや、覚えないから……」
そう言うと、八重がふっと諦めたようなため息を吐いた。
「ちーちゃん、全然アニメ観ないからなぁ」
「観てる観てる。わたし、自分が出てるやつとかちゃんと観るし」
言うと、またしても八重がふっと諦めたようなため息を吐いた。
「ちーちゃん、全然アニメ観ないからなぁ」
なんで繰り返したんだこいつ……。確かに全然出てないから、結果的には全然観てないけど……。
まぁ、でも、声優の仕事はアニメだけじゃないからね。むしろ、アニメにこだわることは仕事の幅を狭めることにもつながりかねないんだよ、うん。
現に、柴崎さんはデルモみたいなことしてるわけで! と、ちょっと憧れの眼差しで、柴崎さんの撮影風景をほえーっと眺めていた。わたしもそのうちああなるかもしれないし、これも勉強勉強。
実際、柴崎さんの撮られっぷりたるや、なかなか堂に入っている。
レンズを向けられても臆することなく、クールそのもの。意志の強そうな瞳はきっと細められ、鋭い眼光でカメラを睨んでいる。……睨んでいる?
「最後、笑顔のパターンも貰っていいですかー?」
カメラマンに言われると、柴崎さんは短いため息を吐いたように見えた。そして、やや表情を和らげて、控えめな笑顔を作る。
「はい、いただきましたー。ありがとうございます!」
オッケーが出ると、柴崎さんは「ありがとうございます」と礼をして、足早にそこを離れてしまう。
長いこと撮影して疲れているのだろうか、柴崎さんの表情は暗く、口元は固く引き結ばれていた。
あの控えめな笑顔が可愛らしかっただけに、今の愁いを秘めた面差しが気に掛かる。
遠目に見る柴崎さんの横顔は綺麗で、その分だけ、儚く思えた。だから、つい八重に聞いてしまう。
「……ねぇ、八重。柴崎さんってどんな人?」
すると、八重は柴崎さんから視線を外してわたしに振り返る。その表情は喜色満面だ。
「柴崎さんはすっごい素敵なお芝居する人だよ! クールな役も明るい役もなんでもできるし、役幅も広いんだけどね、ナチュラル系な芝居の距離感がすごい気持ちいいの! 今のクールは三本ヒロインやってるんだけど、最近はクールな感じの役が多いかな? でもでも、ふとしたリアクションとか息芝居のときがすごい可愛くて、とにかく、なんかもう可愛いんだよ! それに見てわかる通り綺麗!」
「お、おう……」
怒濤の勢いでしゃべる八重に圧倒されてしまい、わたしはそれ以上なにも言えなかった。声優博士、怖いよ……。どんな声優さんかじゃなくて、どんな人かを知りたかったんだけどな……。
けれど、聞いたところでピンとは来なかっただろう。結局、声優というフィルターを通してしまう以上、テレビやレンズを介しても、柴崎万葉個人のことはずっとわからないままなのだ。
そして、それはたぶん、声優烏丸千歳にも同じことが言えてしまうわけで。
「悪い、待たせた。すぐに撮影入るぞ」
ぼーっと柴崎さんを眺めていると、戻ってきた悟浄君に声を掛けられる。
「あ、うん」
考えるのを打ち切って、軽く返事をすると、わたしと八重は白バックのロールスクリーンの前へと歩み出した。
☆ ☆ ☆
声優……。それは君が見た光……。
などと、言い出さんばかりに、わたしの瞼に白い光が焼きついた。
ぱしゃりぱしゃりと、しきりにシャッターを切る音が響く。そのたびに、さかんにフラッシュが焚かれて、白バックのスクリーンは光を照り返し、わたしの肌にきらめきを宿す。
シャッターの音は不思議と心地が良く、ワンショットごとに勝手に体がポージングしていた。この音が何度でもわたしを蘇らせる……。
「千歳……普通でいい。普通にしてろ」
フラッシュの雨とシャッターの喝采にふるふると体を震わせていると、悟浄君のため息交じりの声がする。
仕方なくいたって普通のポーズ、ありきたりな笑顔を作って、ラストショットを撮ると、わたしの撮影は終わり。
わたしはカメラの前から離れると、奥にあるパソコンの方へ向かう。その画面には今さっき撮った写真のデータが通し番号を振られて、一覧でぱーっと表示されていた。
リアルタイムで写真を確認できるなんて便利な時代になったもんよのう。などと、おばあちゃん気分でそれを眺める。
どれも、声優、烏丸千歳の写真だ。
めかしこんで、ポーズを決めて、光を当てて、角度を変えて。ついでにフォトショで修正すればそれはもう立派に声優さんの写真となる。
そのことがなんだか不思議だった。わたしは普段のわたしと変わらないつもりなのに、フィルターを通すと、もう声優なんだ。
妙な感慨にふけっていると、撮影は八重の番になっている。
「次、久我山さん」
「は、はい!」
悟浄君に呼ばれた八重が、かっちこちに固まりながらカメラの前に歩み出た。
「……じゃ、じゃあ、行きますね? もうちょっとリラックスして笑顔で……、ね?」
「は、はい! すいません!」
カメラマンさんに言われて、八重が無理矢理に笑顔を作る。照明に照らし出されたその表情は自白を迫られた殺人犯のように引き攣っていた。
ダメだこりゃ……。そういえば、この子、結構な緊張しいだったな……。
「すいません、もう一枚だけいいですか?」
固まっている八重を見かねて、つい口をはさんでしまった。

「いや、お前のはもう充分だろ……。どんだけ自分のこと好きなんだよ……」
悟浄君が呆れ半分恐れ半分に言う。
「じゃなくて、まぁ、記念に八重と撮ろうかなって思って」
「記念て……。あのね、ここゲーセンじゃないのよ?」
「そんくらい気楽に撮った方がいいでしょ」
小言を聞き流してさらりと言うと、悟浄君が顎に手をやり、ふむと考える。
「……一枚だけな」
悟浄君もわたしの言わんとすることがわかったらしい。渋々ながらも頷くと、カメラマンさんに申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません、気分転換に一枚お願いできますか?」
「ええ、どうぞ」
カメラマンさんが笑顔で応え、わたしを手招く。
それにお礼を言ってわたしは八重の隣に並んだ。
「八重、ほら、早く! ポーズ!」
「あ、う、うん!」
はっと再起動した八重をわたしはえいやっと抱き締める。すると、腕の中で、八重の体のこわばりが解けていくのがわかった。
八重の手がこわごわとわたしを抱き締め返してくる。ちらと顔を見ると、そこにはいつものちょっとはわっと慌てたような、ほわぽわした笑顔がある。
これがいつもの八重の顔。
それじゃあ、わたしの顔は、どうだろう?
「それでは、いきまーす」
声を掛けられて、わたしはカメラに向き直る。
レンズを通して、フィルムを伝って、それでもわたしがわかるといい。
だから、持っていたいと思った。
通し番号は振られない写真と、プロフィールにはないわたしを。
これからずっと声優として演じ続けるわたしが、素のわたしを忘れないでいるために。
[#4 ナチュラル千歳と飾らない写真・了]