吾輩は声優である。
当たり役はまだない。
代表作もない。
はまり役もない。
なんなら名前ありの役もほとんどない。
世間に知られることもない。
収入もなければ恋人もいない。
……それ、声優か?
いや、まぁ、彼氏もないというのはとてもとてもとても理想的な声優像だとわたしは個人的に思うけどね! やだ! わたしったらプロ意識高い! QOLは低い! でもQOLって言葉は意識高い!
こんばんはー! みんなのアイドルぅ〜、ちっとせちゃんだよぅー! 千歳ちゃんはぁー! みぃーんなのアイドルだからぁ! 仕事が恋人なんだよぉー! うきゃ〜♪ オッケーウフフ☆ みたいなノリ!
──しかし、その仕事もあんまりないので、やっぱり恋人はいないということになる。
……やはり、吾輩、声優ではないのでは?
そんな自問がふと湧き上がってくる四月も終盤に差し掛かってきた今日この頃。
相変わらず、家と大学の往復、時々スタジオというやや雲行きの怪しい日々が続いてるどうもわたしです。
わたしの未来自体はなかなか怪しい空模様だが、それと比べて、このすっきりと晴れ渡った青天の美しいこと……。
こりゃあもう、わたしのお仕事状況も雲一つない青空だね! よし! 声優やめるか! むしろもうやめてるまであるな!
……などと、自虐的に言って開き直ってしまえれば気分的には楽だったのだが、幸か不幸か、わたしはそこまでの厚顔無恥メンタルを持ち合わせていない。
きっかり四限まで講義を受けててくてく駅まで歩く道すがら、初夏の到来を感じさせる薫風が吹き抜けた。
ぽけーっと見上げれば、細い通りに沿うように、青い長方形が長く続いている。その中に、時たま塗り忘れたような白が浮かんでいた。
ほう、まるでわたしの仕事状況みたいだな……。
大部分が真っ青な空色のキャンバスをわたしのフリーダムな時間とするならば、あの白色灰色クリーム色した雲はわたしの仕事……。
業界のムーブメントという風向き次第ではどこへなりとも飛ばされて行ってしまうようなわたしの仕事は、浮雲浮浪雲……。
もし、気象庁の人がわたしのスケジュールを見たら、文句なしにドッテンピーカン大快晴と判断するだろう。
そろそろ雨乞いの一つもして、わたしの仕事が雨後の筍、わたしと誰かの人気争い、きのこたけのこみたいになってほしい……。
そもそも声優というのは、人に選ばれてなんぼのお仕事なのである。
なってみて気づいたことというか、今更過ぎてついうっかり忘れてしまう事実……。
発注が来ない限りはお仕事したくてもできないし、かといって、自分一人で完結するようなお仕事は声優業界にはあんまりない。
無論、売れっ子、大御所、人気者、アイドル、スター、レジェンドはその限りではなく、自分の歌やらラジオやらイベントやら同人活動やらと、活躍の幅も広いし、その数も限りないけれども。
ただ、そうしたお仕事は皆すべて、実績に基づいて成立している。
だから、わたしのような木っ端小童十把一絡げなクソモブ泡沫声優は、最初の実績をつかみ取ることに日々必死なのだ。
……そんなわけで。
事務所に呼び出されてしまったわたし。
大学すぐそばの地下鉄駅から、電車を乗り継ぎ乗り換えのらりくらりと、ナンバーワンプロデュースの事務所までやって来た。
声優事務所と言っても、別になにがどう特別ということもない。外見は普通の低層マンションっぽいタイプのオフィスビル。まさしく中小企業って感じの建物だ。立地も駅から歩いて七、八分。遠目には新宿の高層ビル群が立ち並んでいるものの、ナンプロのオフィスがあるのはその裏側の方だ。おかげで、都心といえども、心なしか落ち着いた雰囲気がある。近くにはオサレなカフェもちらほらあり、存外悪くない場所。
わたしが通っていたナンバーワンプロデュースの養成所、難波演技研究所もこのすぐ近くにあったので、この辺りは勝手知ったるわたしの庭みたいなものだ。新宿近郊わたしの庭とか大地主過ぎてやばい。
養成所時代から通っていた煮干しラーメンの香りに鼻がひくと動くと、事務所はもうすぐそこ。オサレなカフェの前を横切れば、見慣れたビルが立っている。
それにしても、わたしが事務所に行くのって珍しいな……。いや、本来は、珍しくあってはいかんのだが。
声優が事務所に行くときは、台本を取りに行ったり、あるいはオーディション用のテープを録りに行ったりするとき。
つまり、事務所に行く用事がないということは今現在の仕事もなければ、先々の仕事も、その兆しもないということである。
もっとも、その台本の受け取りだって、現場でマネージャーと顔を合わせたときに、気の利いた優しい人なら持ってきてくれたりする。
だからまぁ、仕事がない人と仕事がめっちゃある人は、別に事務所にわざわざ行かなくたっていいのだけれども。
事務所によっては、新人声優はマネージャーやデスクに顔を覚えてもらうために、頻繁に足を運んでは、ずらっと並んで大きな声で挨拶しているなんてところもあるらしい。
けれど、それはかなり特殊な例だと思う。
業界の中には所属者を二百人、三百人と抱えている大きな事務所、あるいはグループがいくつかあるけれど、新人声優が大名行列ご観覧一同よろしく、したにーしたにーしている事務所は一つくらいしか聞いたことがない。
まぁ、そんなにたくさんいる新人がずらっと並んでいたら普通に邪魔だしね……。そんなわけで、事務所によっては、その新人がずらっと並んで挨拶するのを禁止しているところもあるのだ。
そんな感じで各事務所の新人声優の扱いにもいろいろと伝統がある。
一方、わたしが所属するナンバーワンプロデュースはというと、伝統めいたことはあんまりなく、むしろ、社長の思いつきでいろいろ手を出してみてはすぐに手を引くなんてことも多い。
ノリと勢い重視のなかなかロケンローな事務所だ。
そもそも事務所の身代があまり大きくなく、所属者の数も少ないから、フットワークの軽さには定評がある。
おかげで、入所した新人はその時点で既に顔が覚えられているし、事務所内での競争も他と比べれば激しくはないだろう。
たまーに、「マネージャーは最初に仕事をする相手! 媚びを売らなきゃ! 人脈・営業・コネクション!」みたいなことを言っている方もいらっしゃるが、その辺はまぁ、ぶっちゃけ事務所によって変わってくるんじゃない? というのがわたしの個人的な意見だ。
こんな格言を知っている? 『よそはよそ、うちはうち……』。
というわけで、わたしはめっちゃ気軽にナンバーワンプロデュースのオフィスにもほいほい実家感覚で入っていく。
ただいまーと言う代わりに、おはよーございまーすと気軽に声を掛けて、ずかずかオフィスへ踏み込んだ。そのまま、小さな打ち合わせスペースに座り、事務所の中を眺めまわす。
オフィスには紙資料やら出演作品のサンプルやらがてんこ盛りになったデスクが二十個ほどひしめき合っていて、ほとんどの人が離席している。
マネージャーさんはいくつも現場を掛け持ちしているので、あんまり事務所に寄り付かない人も多いと聞きますな。
現在、デスクにいるのは何人かだけ。
その中の一人、見慣れたどころか見飽きたまであるスーツ姿の男性がすっくと立ちあがる。
「やっと来たか……」
呆れ顔のあの人が烏丸悟浄。わたしの兄にして、ナンバーワンプロデュースのマネージャーだ。おかしいな、わたし、言われた時間ぴったりに来たんだけど、なぜかため息吐かれてしまったぞ……。
悟浄君はデスクの上をがさっとひとさらいすると、わたしが待つ打ち合わせスペースまでだるそうに歩いてきた。
「すぐ行くから二階の会議室で待ってろ。その間、これ書いとけ」
そう言って、悟浄君がなにやらペライチの紙を渡してくる。
「なにこれ……」
受け取った紙をざらーっと眺めてみると、どうやら履歴書っぽい内容のものらしかった。
なんだか、見覚えがあるような……。
うむむと首を捻っていると、悟浄君が胸ポケットから頭痛薬を取り出して、ぷちっと一錠、口に放り込む。ウォーターサーバーに手を伸ばして、そいつをぐびりと飲み干すと、人心地ついたように吐息を漏らした。
「ちょうどオーディションも迫ってきたし、いいタイミングだからな。出す前に、プロフィールとかボイサン、刷新しようと思って」
「ほーん……」
適当に返事をしながら、記入項目を適当に見ていく。すると、先ほど覚えた既視感の正体に思い当たった。
「そういや、事務所に入所したときにもこんなん書かされたね」
見覚えのある項目の羅列からぱっと顔を上げると、悟浄君が苦笑して、ふと遠い目をする。
「ああ。……お前、あんとき『趣味:猫カフェ巡り♡』とかクソみたいに薄っぺらいこと書くからどうしようかと思った」
「い、いやいや、あれはあれで可愛さ重視だったんだよ! デビューしたての頃よりも人間的に厚みを増した今のわたしなら、もっとちゃんとしたこと書くよ!」
さすがに昔、と言っても割りとついこないだのことではあるけれども、自分の若さ故の過ちを指摘されると、小っ恥ずかしい。
口早に言い募ると、悟浄君がちらっと試すような視線を向けてきた。
「ほーん……、じゃあ、今ならどんなん書くわけ」
問われてしばし考える。そして、くりっと小首を傾げてみせた。
「……『ふくろうカフェ巡り♪』とか?」
「流行を押さえたせいでさらに薄っぺらくなってるんだよなぁ……」
はぁと悟浄君が大仰なため息を吐く。いいじゃん、ふくろう可愛いじゃん……。

むしろ、女の子は多少ペラい趣味を答えといた方が絶対男子ウケいいとわたしは思うのですよ?
が、悟浄君はもう二十年近くわたしの相手をしてきただけあって、表面上の取り繕った可愛さなど通用しないのだ。いや、通用しても困るけど。お兄ちゃんだし。
ま、とりあえず、『趣味・特技』の欄は後で考えるとして、他にはなにがあるんじゃい、と、先ほど読み流してしまった項目を再度チェックする。
またぞろ適当なこと書くと悟浄君がうるさいからな……。問題になりそうな項目は先に潰しておこっと。
生年月日に出身地、方言、スリーサイズ、足のサイズ、趣味・特技、芸歴、受賞歴、で、後は出演作品リストか……。
ほーん、まぁ、割りと普通なこ……スリーサイズ? スリーサイズですと!?
「ちょ! ちょっと、悟浄君! これ……」
慌てて悟浄君のスーツの裾をぐいぐい引っ張る。悟浄君はちょうどコーヒーを淹れていたらしく、全然こっちを見ていなかったが、しつこく引っ張っていると、紙コップを置いて気だるげな返事をする。
「ん?」
「ん!」
わたしが紙を突きつけて、スリーサイズの項目をびしっと指さすと、脱力したような声を出した。
「……ああ」
「するっとスルーしちゃってたけど、なんなのこのスリーサイズって! セクハラ! セクハラだよ!」
「人によっては必要な項目なんだよ……」
「必要ないでしょ! 声優だよ!? わたしゃアイドルか!」
言ってから、はたと気づく。
ま、まぁ? まぁね? わたし、声優と言ってもかなりアイドル声優寄りな存在になりそうな予感がそこはかとなくしているし、実際アイドル的な可愛さを持ってはいるから、まったく必要ないということでもなさそうだけどね?
いや、もはやアイドルどころか悪魔的な可愛さと言うべきなのではないだろうか! だったら、スリーサイズも『十万飛んで8×』とか悪魔的にしておくべきなのではなかろうか! フハハハハ! お前も蠟人形にしてやろうか!
などと、デーモン千歳ごっこに精を出していると、悟浄君がうんざりしたような表情でこめかみのあたりを押さえている。頼みの頭痛薬もあんまり効いていないご様子。
「お前自身はまったくアイドルではないが……」
たっぷりとっくりこめかみと目頭を揉み終えた悟浄君がそう前置きをする。
「最近は顔出しの仕事も増えてきたからな。衣装の問題の兼ね合いもあって付け足したんだ」
「ほーん……」
まぁ、いつの頃からか、声優にコスプレさせて歌って踊るという光景もさして珍しいものでもなくなった。二十歳過ぎて制服着せられるのもよくあることだ。
近頃じゃ、きゃぴきゃぴきゃるるんとした女の子をごりごりメインに押し出す作品のオーディションのときには、キャスト側への確認項目の中にコスプレしてのイベント稼働が可能かどうかなんてのも入ってたりすることがあるらしい。いや、もちろん作品によるわけだけれども。
となれば、コスプレ衣装を常識の範囲内で着こなせるかも一つの選考基準にはなりえるのだ。
ぐぬぬ、と歯嚙みしつつもその事実を受け止めるわたし。
「スリーサイズは……まぁ、まだわからんではないけど、なんで足のサイズ……」
怪訝な表情のわたしを見た悟浄君は、ふぅふぅとコーヒーを冷ましながら口を開く。
「お前だって服選ぶときは、靴も合わせるだろ。それと同じ。バリバリのアイドル衣装にスニーカー履かれても困るし」
「あー、なるほど」
確かに悟浄君の言う通り。そんなジグザグジグザグしたブルースなスニーカーが許されるアイドルなんてマッチくらいのものだろう。
オシャレはいつだって足元から! むしろ、足元さえオシャレならあと全部ダメでも許される感あるもんね! そりゃみんなオシャレ泥棒になろうとエアマックス狩りに必死になるわけだよ!
とても納得のいく説明に安心のわたし。
てっきり声優を選ぶお偉方に特殊な性癖の人がいるのかと思ったよ。足が小さい女性声優の方が美しいとされる、みたいな。そしたら豆腐屋小町が無双しているところだった。
と、『故郷』のヤンおばさんに思いをはせていると、ふとした疑問が頭をよぎってしまった。
「……わたし、他の人のプロフィールでスリーサイズって見たことないけど」
聞くと、悟浄君は紙コップを傾けて肩を竦める。
「一般に公開するようなもんじゃないからな。内部資料だ。男でも、身長やスリーサイズ、靴のサイズ書いてるところはあるぞ」
「へー」
男子もこんなん書くんか。ていうか、男子のスリーサイズとか誰が興味あるの。S、M、Lだけ書いときゃいいんじゃないの。
声優業界やっぱりよくわかんねぇなと首を捻っていると、コーヒーを飲み終えた悟浄君が紙コップをゴミ箱に放り投げる。
「まぁ、そのあたりを全然書かないで済ませる事務所も多いし、事務所内でも人によってまちまちだ。判断は任せる」
言いながら、悟浄君は胸ポケットのあたりをがさごそやり、いそいそと煙草を取り出した。
「久我山はもう先に書いてる。二人とも書き終わったら連絡入れてくれ」
「あ、八重来てるんだ」
こいつはなかなか都合がいいぜ。こういうのは一人しかめっ面で書いていても楽しいもんじゃない。高校生くらいがよくやるテスト前のファミレスでの勉強会みたいなものだ。飽きてきた頃ぐらいにやいのやいの言い合いながら相手の邪魔をしつつも、最後はしれっと自分一人だけ先に終わらせるのが楽しいのだ。友達をスマホゲーかなにかと同列扱いする最近の若者代表、烏丸千歳です。
そんなわたしの胸の内を知ってか知らずか、悟浄君は伝えるべきことは伝えたとばかりに、煙草をしゃかっと振って一本取り出すと口に銜える。
「細かい説明はしてあるから、わかんないことあったら久我山に聞け」
「はいよー」
わたしの返事を背中で受けながら、悟浄君は喫煙スペースへとてとてと歩き始めた。
それを見送りつつ、わたしはふむんと腕組みをする。
プロフィール、プロフィールね……。そのうえ、書式のマイナーチェンジでスリーサイズも書くことになったとくれば、……もしやこれはアピールチャンスなのでは?
思わず、むふんとセクシーな笑いがこぼれ出てきてしまった。
すると、遠ざかっていたはずの悟浄君の足音が止まる。
そして、ちらと肩越しにわたしを振り返った。
「盛るなよ」
「……え?」
思わずぴくっと肩が震えてしまったわたしを一瞥、悟浄君は小さなため息を吐くと、また遠ざかっていった。
☆ ☆ ☆
あの男、なぜわたしがプロフィールを盛るとわかったのか……。
げげっ! さては悟浄君、エスパー!? などと、適当なことを考えつつ、うぐぅとポンコツめいたうめき声をあげながら、階段を上る。
ビルの二階には会議室や事務所傘下養成所のオフィス、あとはまぁ、倉庫代わりに使っている部屋などがある。そのうちの一室にあたりをつけてこんこんとノックした。
『は、はい! あ、あわ! ど、どうぞ!』
すると、中から慌てた様子の声が返ってくる。このわざとらしいまでのはわわ具合から察するに八重がいるとみて間違いなさそうだ。
「八重、おっつー」
わたしはめっちゃ適当な挨拶とともに会議室のドアを開けた。
すると八重は一人きりだというのに、部屋の隅っこ、机の端にちょこんと座っている。
「あ、ちーちゃん。おはよう」
「うん、はよー」
適当に返事しながら、ちょこまかと手を振る八重の隣に座った。
「八重、早いねー。十六時って言われなかった?」
「う、うん。けど、なんか不安で早く来ちゃうんだよね」
あははと困ったように八重が笑う。
八重はだいたいいつもそうなのである。待ち合わせの五分前にいるのは当たり前、なんなら前乗りしてるんじゃないかと疑うくらいに、遅刻をしたことがない。
「できる女だなー、八重は」
適当ぶっこきながら、はっはっはっと鷹揚に笑って八重の肩をぱしぱし叩く。すると、その度に八重はあうあう言っていた。アシカか。
いや、実際八重はすごい。真面目というか、マジというか、マメというか、重いというか、彼氏できたらDV受けそうというか。
友人がDV被害者になってしまうのは非常に遺憾なので、八重に彼氏ができそうになったら全力で妨害してやろうと固く心に誓う友情に厚いどうもわたしです。
「そういやさ、八重、趣味とか特技とかってどんなん書いた?」
世間話もそこそこに、ささっと本題へ入る。今日わたしと八重が呼び出された理由はこのプロフィールのリニューアルについてだ。さくっと終わらせて帰って寝たい。
そういうときは、人のをパ……参考にさせてもらうのが一番手っ取り早かろう。
てなわけで、八重の手元にあるプロフィール記入用紙を覗き込む。
すると、八重は身を捩ってはんなりしゃなりと科を作ると、頰を染め、口をとがらせる。
「え、は、恥ずかしいよぅ……」
記入用紙をこそっと手で隠してしまったので、その手をぺいっと払いのける。
「いやそういうのはいらん。ていうか、どうせ公開されたらみんな見るんだしいいじゃん」
それともなにか、君は人様に見せられないような趣味を持っているのかね? うん? ちょっとそのあたり詳しく……と詰め寄ってみると、八重はううっと小さく唸りながら、記入用紙をそそっと差し出してきた。
「え、えっとね……、あんまり大したこと書けてないんだけど……」
えへへと照れながら見せてくれた記入用紙。その、趣味・特技の欄を拝見すると……。
お菓子作りとか書かれていやがった。
──ああん? なんだそのクッソ女子力高そうな趣味・特技は。
なんなの、君、メルヘン星生まれのカレーの王子さまなの? お? どうやったら日常的に菓子作りなんてするんだよ……。
お前の実家は那須塩原高原お菓子の城か? だったら『那須の月』はなんであんなに『萩の月』にそっくりなのかちょっと説明してみろっつーの。ていうか、『萩の月』って『那須の月』名付けメソッドで考えたら長州は山口県萩市の銘菓なんじゃないの? なんで仙台名物なの? 萩名物じゃないの?
などと、とめどなく呪詛の言葉が流れ出てきそうだったのをぐびりと飲み干す。
……のど越し爽やか!
もし、八重以外がこれを書いていたなら、わたしは顔にも声にもおくびにも出さず、ツイッターの裏アカウントに個人名を出さずに罵詈雑言を書き込んでいたことだろう。
だが、わたしは八重を甘やかしまくることに定評のある女。それはもう『萩の月』のように甘い女。
そうやって甘やかし続け、いずれ、八重が調子こいてけっつまずいて堕ちていく姿を見て、ほの暗い喜びを感じたのち、そっと優しく手を差し伸べることに幸福を見出す女。
……まぁ、つまり、なんだかんだ言いながら結構それなりに八重のことは好きなのである。それはもう『萩の月』くらい好き。
なので、なんとも微笑ましい気分で八重の頰をぷにっとつついてみた。
「こういうの八重っぽいね。エプロンとか超似合いそうだし」
「そ、そうかなぁ……」
八重は照れているのか、くしゃりと髪の毛をいじってはにかむ。そんな可愛らしい仕草もまたエプロン似合いそうと思わせるのだ。こんな子が照れ照れしながら手作りお菓子とか渡してきたら、あれだろ、世の男子の大半はイチコロで、八重はたちまち大量虐殺者として歴史に名を刻むことになるな。
そんな女子力テロリストである八重にふさわしいエプロンはなんだろうかと、八重のエプロン姿を思い浮かべてみる。
幼い顔立ちにはアンビバレンツなトランジスタグラマー。そのしなやかな肢体を包むのはきっと、アリステイストなピナフォア。
淡いピンク色をした薄手の布地はきめ細やかな白い肌に彩りを添え、柔らかそうにはためくフリルは深めに取られた襟刳りをあでやかに飾る。
ついでとばかりにウサ耳なんかをアクセントとして加えれば、わたしが考える最強の八重エプロンスタイルが完成する。
……ほう、なかなかやるな。
ひとしきり八重の姿を眺めまわして、妄想をはかどらせた結果、今や八重は『エプロンが似合う友達ランキング』ぶっちぎりの一位だ。まぁ、わたし、友達一人しかいないからな……。
無言でじーっと八重を見過ぎたせいで、なにを勘違いしたのか、八重はあせあせしながら、ぐっと両の拳を握って胸の前にやり、きらきらした瞳をわたしに向けてくる。

「で、でも、ちーちゃんもエプロンとか絶対似合うよ!」
「あ、うん、ありがとう……」
なにが「でも」なんだろう……。今、なぜ逆説でフォローしたのか。八重の力強い励ましに、逆に不安になるわたし。わざわざ言い添えてしまった感が社交辞令っぽくてなんとも噓くさい……。
いや実際、わたしがふりふりエプロンを着てもそれなりに様にはなるだろう。外面というか外見にはそこそこ自信があるのだ。
問題は内面である。
わたしの内面をよく知る者、例えば悟浄君あたりが、わたしの可愛いエプロンドレス姿を見たら、そりゃもうなんかの企画ものかと思うこと請け合い。なんなの、企画ものって。なんのDVD見てんの悟浄君。最低! セクハラ!
とはいえ、実のところ、わたしもどうせエプロンを着るなら可愛い方が嬉しい。
それこそ、仕事の衣装として着るのであればきゃるるんと着こなしてみせる。
だが、プライベートの場合には、八重みたいにふりっとふわっとしたピナフォアタイプは選ばないだろうとは思う。似合わないからというわけではまったくなくて!
……ただ、まぁ、その、いかにもこてこてに可愛いものはちょっと、……恥ずかしい。
おうちで一人ファッションショーをする場合にはむしろノリノリで着るし、くるっとターンで姿見に決めポーズまでしてみせるだろうが、それを見た悟浄君がドン引きで呆れ顔をしている姿まで想像できてしまう……。
だから、エプロンを選ぶとすれば、ギャルソンエプロンとかカフェエプロンとかかな。
そして、ちょっと澄ました顔で「は? 別にわたし料理もできるし、得意料理はクラムチャウダーで、エプロンも似合いますけど? 休日はロードバイク転がして一眼レフで空を切り取ってますが、媚びを売ったりはしないんですけど?」みたいな自称サバサバ系サブカルクソ女的ポーズを取る。取ってしまう……。
悲しいかな、それがわたしの習性なのだ。
ことに、対悟浄君への反応は間違いなくこうだと冷静にシミュレーションできる。
兄の前で、女の子らしい素っぽさや趣味を晒すなどわたしは死んでも避けるだろう。もはや、わたしが悟浄君の前で女の子っぽさを見せるのはそういうフリであり、ギャグだという認識すらある。
いやー、わたしが言うのもなんだけど、ほんと、世の中にはね、サバサバ系気取ってんだかなんなんだか、女性らしさというか女の子っぽさみたいなのから遠ざかってますよアピールしたがる自称サバサバ系がよくいるんですよね。
だいたい、自称サバサバ系っつってて、本当にサバサバしていた奴なんて見たことない!
そういう自称サバサバ系女は普段は強気にふるまって毒舌という名のデリカシーのない悪口を吹きまくり、好きな映画『コヨーテ・アグリー』とかぬかすくせに、不定期に落ち込んで涙の一つも流してみせちゃあ『……でも、本当はね、鯖だって味噌で煮られれば死んじゃうし、女の子は弱いんだよ?』とか言い出すに決まっているのである。大抵の生き物は塩で焼いたって死ぬだろ。
自称サバサバ系と自称ドSほど信用ならない奴らはいない。距離感とかコミュ力ってやつを勘違いしてるからな、連中。そういうところも含めて、サバサバ系のどうもわたしです。
とは言いつつも、わたしだっていつ声優バラエティ的な番組に呼ばれて、クッキングすることになるかもわからん。
それにいちいち考えるのもめんどいし、八重が書いたの、パクッとくか。
ペンを握ると、さらさらっと書き込んだ。お菓子作り……っと、そう書いたものの、いまいち納得がいかない。ペンで頰をぷにぷにしながら、ふむ? と首を捻る。
……なんか弱いかな? お菓子作りなんてちょっと気の利いた女の子なら誰でもできることだし、なんなら気を利かせ過ぎて余計なアレンジを加えた結果、手間暇とお金をかけて、心のこもったゴミを作ってしまうことだってままあることだ。
他の人と差をつけようと思うのならば、ここは、ある意味逆に意外性を狙って、「お菓子の家づくり!」とかにしておくと、女子力と同時に男子力までアピールできてしまうのでは? ……最近流行ってるからな、D・I・Y。
しかししかし、バラエティ的に考えると、普通に料理がうまい子なんて求められていないのでは? ここはあえて逆に「創作料理」とか書いておいて、わざとやってんのかというぐらいに見た目の酷い料理を作っていじられる展開を待つべき? どうでもいいけど、最近の声優さんはトークスキルはもちろんのこと、フリップで大喜利もしないといけないから大変だよな……。
あの辺の人たちとこれから戦っていかなければならないのに、手元の武器があまりに頼りない。
などと、仕事を獲る前に先々のこと考え過ぎて八方塞がりになってしまった。正解が存在しないクイズをやらされているようなものだ。
プロフィールの趣味や特技、それを書くことに意味はあるのかな……とか言いながらポロロン♪ とカンテレの一つも弾きたくなる。
わたしの特技ってなんだろ……。
しまいには、そんな意識の低い就活生みたいなことを思う始末。もし、わたしがサークルに参加していたら、就活直前の時期に急遽富士登山やアジア旅行で自分探しと面接のネタ作りをして、とてもお手軽に日帰り目頭切開よろしく視野を広げ、十何万円程度で見つかってしまうリーズナブルな自分を発見していたことだろう。
いや、ほんと就活とか面接とかエントリーシートとかなに言っちゃってんのって感じだよね。
あんな紙切れとか短い面接でわたしのなにがわかるというのか!
せいぜい、わたし自身がペラいということくらいしか伝わらないのではなかろうか!
……結構わかるもんだな。
あ、いやいや、そこは伝わってもらっては困るわけで。せめて、この胸の厚みくらいはちゃんと伝えたいものですね!
しかし、人間性のペラさと胸の厚みに関してはわたしよりも第一人者がいる。
参考にするべき我が友。頼りになる我が友。わたしのいいところを言ってくれるであろう我が友。我が友過ぎて、たぶん虎になっても「おお、そのペラさと胸は我が友八重ではないか」と気づくレベルの我が友。
そんな我が友、八重に聞こえるように、今度は口に出して呟いてみる。
「わたしの特技ってなんだろ……」
そんなどうしようもないわたしのぼやきに、八重がはわっと焦りながら、何事か一生懸命考えている。
「え、えっと、ちーちゃんは……」
顔を俯かせ、指先をくるくると手遊びし、なにがしかの言葉を紡ぎ出そうとする八重。
視線を泳がせ、目をぐるぐる回しながらも、自信なさげに口元がほころぶ。
「ちーちゃんは……」
「……ちーちゃんは?」
ぐぐっと椅子ごと体を寄せて、八重を覗き込むわたし。
すると、顔を上げた八重がにっこり笑った。
「…………」
MUGO・ん……。
とても優しげに、ともすれば色っぽく、にこっと微笑まれてしまった。
なにも思いつかんのかい。
思わずわたしも自嘲を含んだ微笑みがこぼれ出てしまった。
二人してにっこり笑って、沈黙を誤魔化すと、今の話題をなかったことのようにするっと流して、脈絡なく、違う話へボソンジャンプ!
「ていうかさ、八重ってどんなお菓子作るの?」
「クッキーとかマフィンとか……あっ! こないだマカロン作ったよ!」
マジかよ、マカロンってあれだろ、オシャレなやつ。わたしもラデュレとかピエール・エルメとか好きだけど、あれは作るもんじゃなくて貰うもんだぞ。それを作れちゃうとかやばい。あと、あんなに後片付けが面倒くさいもんを平気でできるのがすごい。
「へぇ、ほんとに特技なんだなぁ」
可愛いふりしてこの子割りとやるもんだなぁと結構本気で感心して言うと、八重がぽしょっと自信なさげに言い添える。
「え、えっと、い、一応……。時々、失敗もしちゃうけど……」
えへへという照れ笑いは謙遜と言うより、自嘲の色が強い。察するに、八重のお菓子作りの勝率はそこまで高いわけではなさそうだ。
「まぁ、そうか。お菓子作りってグラム数とか正確に量んないといけないもんね」
「え? うん、そうだけど、それくらい別に……」
はてと小首を傾げて、ほけーっとしている八重を見ていると、つい意地悪心が働いてしまう。
「いやいや、八重は結構豪快だよ」
「豪快、かなぁ……」
うーんと首を傾げる八重の肩をぽんぽんと叩く。
「グラム数とか重さ的なのいつも適当じゃん。プラマイ一キロは誤差! みたいな」
「た、体重だったら三キロまでは誤差だよぅ……」
八重が口元をもにょらせて、拗ねたように可愛く呟く。しかし、思った以上に豪快だな、こいつ……。
「そ、それに! お菓子作りは特技じゃなくて趣味だからいいのっ!」
ふくれっ面でぷんすかしている可愛い姿を見てわたしが満足していると、八重がなにか気づいたようにはたと手を打った。
「あ! ちーちゃんも趣味の方を書くといいんじゃない? 趣味は別に得意なものじゃなくてもいいんだよっ!」
ぶいっ! と可愛らしいVサインで励ましてくれる八重。
そして、さりげなく、なにも得意なものがないと断定されているわたし。
「それね」
などと、適当な相槌を打ちつつ、その後も適当な会話を続けながら、わたしたちは空欄を埋めていく。
それでも、わたしの趣味・特技の欄でやはり筆は止まってしまった。
わたし、趣味もないんだよな……。
いや、趣味らしきことに、何度か挑戦したこと自体はあるのだ。
例えば一時期、学校でギターが流行ったことがある。無論、わたしもそのブームに乗っかって、悟浄君のギターをちょろっといじっていた。
が、結局、もっとうまくなってから、「ギター? ……ああ、わたしもちょっといじってるけどね?」とクールに言い出そうと思った結果、ついぞその言葉を口にすることはなかった。
そんな感じで、挫折することがほとんど。
なんでかわたしのような人種は、趣味をホビーや娯楽と捉えることができないのだ。どうしたって、ステイタスと考えてしまう。
その結果、「趣味とか言っておきながらその程度のレベルなの? ぷーくすくす」と言われるのがめちゃくちゃ嫌なので、無趣味に落ち着く。今や、ド定番の読書や映画鑑賞でさえも、『にわか』と言われるのが怖くて、おちおち好きと意思表明することもできない世の中になってしまった気がする。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……。
そんな世の中にあって、趣味は好きなものだからうまいへたは関係ないと言える八重はなかなか懐が広い。
今も、その好きなものをちゃんとプロフィールに反映させようと、小さな丸文字で一生懸命いろいろ書き込んでいた。
そんなハムスターが必死にヒマワリの種を口の中に詰め込むような姿を見ていると、ふっと笑みがこぼれてしまう。
あれだな、八重は小学生の頃に流行った「プロフィール帳」みたいなやつを熱心に書いてたクチだな……。
あのプロフィール帳文化もなかなか奥が深い。
誰に書いてもらうか、それを頼む順番はどうするか、書いてもらう男子はどのラインまでか、また書いてもらう際には誰かの好きな人ではないか、とか結構駆け引きがあったりした。
あれは、とても高度な政治的判断が必要とされる文化だったぜ……。今時の小学生だともうやってないのかな、今や小学生でも普通にケータイ持ってるし……。
などと、考えていたらふと思い至る。
小学生の時分から、女子社会で弾かれぬよう、政治的力学を気にしていたわたしの特技は『女子政治学』なのではないだろうか! もっとも、結果弾かれまくっていたから一切その政治学は修められていないのだが。これはもはや、特技『女子テロ』と言った方がいいレベル。
けれど、こんなのは女子なら誰もが経験することだ。
女子社会ではハブりハブられの一度や二度は当たり前。二度あることは三度あるし、三度の飯よりハブが好きだから、都合四度はハブられた経験があるはずである。
男子家を出ずれば七人の敵ありと言うが、女子の場合は四方八方に敵がいるので、自分以外に計十二人は敵がいる計算。その中に自分を含めれば十三人となるので、歴史的事実を鑑みても裏切り者が確実に一人はいることになる。なんなら十三人とも刺客まである。
だから、『女子政治学』も『女子テロ』も、他の人と差がつく要素ではない。はっきり言って、そんなのは女子標準装備であり、普通のことだ。
言ってみれば、「わたし、烏丸千歳! どこにでもいる平凡な新人声優! オーディションに向けてプロフィールを書き直そうと思ったら、他の人と差がつく要素がどこにもなくて!? これからわたし、どうなっちゃうのー!?」状態。
……ほんとどうなっちゃうんだろう。
などと、考えると落ち込みそうだったので、ぶんぶん頭を振って、気分を切り替える。
落ち着け。クールだ、クールになるんだ烏丸千歳。
慌てない慌てない一休み一休み……。ぽくぽくぽくぽく……。
ちーん!
どうせわたし、普通なんだし、逆に他の人と差をつけないことも戦略の一つなのでは?
特技なんかであえて差をつけない。となれば、逆にどこで差をつけるのか。
それは本人の芝居もある。役への向き不向きもある。あとはまぁ、実績とか人気とか……。
そのあたりで今のわたしが勝てるとは思わない。
けれど、確実なアドバンテージがある。
それは、まだわたしがド新人であること。
そのキャリアのなさと仕事のなさは、ある意味逆に、売れている人たちとの明確な差だ。つまりは予算やスケジュールを気にせず使いやすいということであり、これはわたしが勝っている点と言える。やだ、わたし賢い。
そうと決まれば人気声優さんたちのプロフィールからごりごりパクらなきゃ!
ガハハ! こりゃ楽勝だな! と勝利の高笑いをするわたしを、八重が「ほへ?」と不思議そうな目で見てくるが、そんなことは気にせず、スマホをいじってふりっくふりっく。
すると、じゃんじゃんばりばり出てくる声優さんたちのプロフィール。名前知ってる事務所から順に見ていってるけど、それにしても声優さんって今本当にたくさんいるんだなぁ。パクり放題だ。
ウキウキしながら見ていると、気になる記述を発見した。
……やだ、この人、特技ハンドマッサージとか書いてあってなんだか卑猥! 卑猥だわ! ふえぇ……。身体接触は卑猥過ぎるよぉ……。でも、そこはかとなくエロいからこれはこれでぜひパクろう!
そんな調子で、ひたすら人気声優さんの書いているプロフィールからパクり続けること数分。気づけば、記入欄はぱんぱんになっていた。
お菓子作り、スノーボード、英会話、ハンドマッサージ、アロマテラピー、整体、オイルマッサージ、リンパマッサージ……。
うむ、これだけ書いたら充分だろう。充実感たっぷりに自分のプロフィールを見直してみる。
そして、はてと首を捻った。
……こいつ、ほんとに声優か?
☆ ☆ ☆
吾輩、本当に声優だろうか。と、またぞろ不安に駆られながらも、プロフィール記入用紙の大半を埋めることに成功した。
先ほどよそ様のプロフィールをさんざ見ていて思ったけれど、なかなかどうして奥が深い。
例えば、生年月日と一口に言っても、個人や事務所によっては誕生日だけ載せていて、年齢や生まれ年は書いていなかったり、音域の表記がある事務所とない事務所があったりと事務所ごとの方針や個性が透けて見える。
声優さんが好きな人はこういうプロフィールをネットで眺めているだけで、一日潰せるんじゃないかと思う。
実際、書いている側のわたしも一日潰してしまっている……。
そんなこんなで、なんとかほぼすべてを記入し終え、残った項目はただ一つ。
そう、スリーサイズである。
「……八重、覚悟はできた?」
「う、うん……」
わたしは、さっき事務所から借りてきたメジャーをしゃーっと伸ばすと、じりじりと八重に近づいていく。
すると、八重がこくりと小さな喉を動かして、決意と怯えの混じった瞳でわたしを見る。
八重は、ニットのプルオーバーの裾をそっとつまみ、ゆっくりとたくし上げると、躊躇いがちにそれを脱いだ。
そして、キャミソール姿になると、観念したように弱々しく両手を挙げた。
「い、いいよ……」
そう震える声で言いつつも、八重の頰は羞恥に染まり、視線はしどけなく床の片隅に外されている。
相対するわたしもなんだか恥ずかしくなってきて、顔を逸らしながら八重の身体を抱くように、メジャーを回し、その豊かな胸元へ這わせていく。
八重の着ているキャミがつるつるした素材でできているせいなのか、それとも、直視できないせいなのか、メジャーはなかなか定まった位置に留まってくれない。

メジャーがずれるたびに、八重がむずがるような吐息を漏らす。……なんか、自分がダミーヘッドマイクになった気分。
指先に伝わる温もりと鼓動。鼻をくすぐるシャンプーとアナスイの匂い。それらを極力意識しないように、わたしはメジャーをきゅっと絞る。すると、あうっと小さな悲鳴が漏れた。
「ち、ちーちゃん、ちょっと苦しい……」
「あ、そう?」
言われてはたと気づく。まぁ、確かにめり込んでるもんな……。ほんなら緩めるかーと緩めていくと、その分、目盛りの数字は大きくなる。
85、86、まだ八重の顔が苦しそう……。87、88、ま、まだ増えるのか……。
89、90……。すると、ようやく八重の顔がほっと落ち着いてきた。
そこからさらにもうちょっとずつミリ単位でメジャーを緩めていくと、驚異の数字が出ていた。胸囲だけに……。
どっひゃあ〜! おめー、すっげぇな! オラ、おでれぇたぞ!
可能な限り穏やか心でもって静かな怒りに目覚めそうな自分を抑え込みつつ、八重の胸囲をさらっと書き留める。
それを待つ八重は真っ赤な顔ではふぅと、疲れと照れが入り混じったため息を吐いていた。
「はい、つぎウエストね」
「……ちーちゃん、ちょっと待って」
言うや、八重はなんの躊躇いもなく、ぺろんとキャミソールをたくし上げ、お腹を晒す。そこには、先ほどまでの恥じらいがまったくない……。
「ふぅー……」
八重が静かに息を吐き始め、その息吹が深くなっていくとともに、お腹が引っ込んでいく。
そのうち「こほおおおおぉぉぉぉ……」とかやたらかっこいい息を吐き出した。なんなの、君は千葉真一なの?
やがて、サニー八重はくわっと目を見開き、わたしに合図を送る。
「ちーちゃん! 今だよ!」
「お、おう……」
八重の鋭い眼光に気圧され、いそいそとしゃがみ込み、八重のお腹にメジャーを巻く。
「えっと、ろくじゅ……」
と、その数字を読み上げかけたところで、ぽんと肩を叩かれた。見上げると、八重はサムズアップで苦み走ったダンディスマイルを浮かべている。
「……まだだよ。……まだいける」
「お、おう……」
無駄に渋い声で言われてしまっては、わたしもメジャーをきりきりと締め上げていくほかない。
その間、八重はやけにかっこいい顔だった。少しでもウエストを細く見せたい乙女心とは裏腹に、その表情は戦地に臨む漢のものだ。
そして、最後にきゅっと力強くメジャーを絞り、その数字をさらっと書き留める。
すると、八重が前のめりにがぶりよって、メモ書きを凝視してきた。その鬼気迫る勢いにさしものわたしもたじろいでしまう。
が、その鋭い眼光が一気に緩み、じわぁとうるみ始めた。
「ううっ……」
かくっと崩れ落ちる八重に掛ける言葉を探すわたし。
「あー、えっと、いや、バストの数字から考えれば全然悪くないと思うよ?」
「うん……」
今にも泣き出しそうな声で返事をする八重。茫然自失といった感じである。さ、八重が大人しくしているうちにヒップも測っちゃお。
しゅるっと手早くメジャーを巻いて、その数字を書いておく。
これで八重のスリーサイズは測り終えたわけだが、八重は「やっぱりあのお菓子が……」とぶつぶつ言っていて、まるで反応がない。
「……自分で測るか」
と、自分の胸元にメジャーを当てようとして、その手がぴたと止まる。
頭によぎるのは先ほどの驚異の胸囲。
……ま、まぁ、ほら、わたし、スレンダーなタイプだからね。乳比べなどという争いからはサレンダーするタイプなんだよ。
そう、争いは、なにも生まないからね……。
スリーサイズ、それは声優にとって大事なことかな。正直に書けばいいってもんじゃない。ポロロン♪ と涙の一つもこぼれそうである。
メジャーをしゅるっと巻き戻して、ぽいーと放り投げ、代わりにペンを手に取った。
そして、スリーサイズの項目にしゃっと斜線を引く。
……まぁ、わたしのスリーサイズは秘密の数字ってことで。
[#3 乙女な千歳と秘密のプロフィール・了]