わたしが言うのもなんだが、この業界はおかしいと思う。


☆  ☆  ☆


 駅の時計とけいがもう間もなく十五時を指そうかというなんとも気だるげな昼下がり。

 この時間帯のメトロには様々な人が乗り込んでいる。

 例えば、今時感バリバリ赤文字系ファッションの女子大生やウェイウェイ言ってるはっちゃけ学生たち。あるいはスーツに身を包んだ疲れたお顔のおじさま方。もしくはどこぞの私立小学校だか私立中学だかの制服をきちっと着たおぼっちゃまおじようちゃま。果てはたんやらたかしまやらの紙袋を提げたマダムたち。

 けれど、わたしはそのいずれにも属していない。

 いやいやせいかくに言えば、わたしは大学生だから、属してはいるのだけれど。なんなら今をときめくときめきメモリアルな女子大生なわけだけれど。

 ただ、そうしたねんれいやコミュニティの枠組みとは別の枠組みに属しているのもまた事実。

 それがいわゆるところの"この業界"というやつである。

 かれこれ二十年近く生きてきて、高校もちゃんと卒業し、もう子供と呼ぶにはいささかの抵抗があるおとしごろになると、なんとなくそれとなく社会のからくりと言うか世界の成り立ちといったものが見えてきてしまい、今自分が属している業界がどうにも世間一般とは少々ずれたところに存在しているのだとわかるようになってきた。

 端的に言ってしまえば。

 やっぱり、この業界は。

 せいゆう業界はおかしい。

 まずもってこの業界の狭さ。

 一説によると、声優を志す人の数は三十万人を超えるらしいのだとか。

 やばい、三十万とか多すぎる。ひと月ごとに一人ひとりから一円ずつもらったらそれだけでそこいらの社畜よりかせげてしまう。むしろ、社畜の月収低すぎまである。

 まぁ、社畜のことはどうでもいいや。

 インターネッツで見聞きしたとある関係者のお話によれば、声優として生活できているのは三百人くらいらしいのだとか。

 ろん、入れ替わり立ち替わりがあるし、「生活できる」の定義がにんともかんともあいまいなので、正確に数えたわけではなく、その関係者さんの感覚値というか体感的な数字でおおよそ三百人程度ということなんだろうけれど。

 つまるところ、世間的に、しよくぎようとしての声優さんとして認められるのはその三百人、ということになるらしい。

 そんなうわさばなし程度に小耳にはさんで、スマホをフリフリおめめに入れた情報はどれもこれも、らしいらしいと語尾につく伝聞や推測、あるいは出鱈目でたらめばっかりで、わたしも口にするのはなんだかこころもとない、……らしい。

 なにより心許ないのはわたしがその三百人に入っているかどうか怪しい点。

 ほんと心許ない……。

 からすまとせという声優がいることをいったいどれだけの人間が知っているだろうか。

 ほとほと心許ない……。

 せいぜいがところ、家族と事務所の人くらいしか知らないんじゃないだろうか。

 となれば、わたしが世間的に声優と呼ばれるポジションにいるかは実際かなり怪しい。

 ていうか、知られていないんなら、それって存在しないのと同じことじゃないの? かんそくするという行為によって実在がうんたららーみたいなシュレディンガーのなんたららーによると、知られてない声優なんていないも同然。無名声優は声優じゃないまである。

 ……やばい、わたし、声優じゃないかも。ていうか、これ、わたし、声優じゃないわ。

 わたし自身、今、職質にあって「おねえさん、仕事なにやってるの?」と聞かれたらたぶん「大学生です!」と可愛かわいらしく答えるだろう。そりゃもうとびきりに可愛らしく。

 自分で自分のことを声優だと言いきれないのだから、世間様がわたしを声優と呼ぶはずもない。

 いやいや一応、今現在、声優としての仕事がないわけではないのだけれど。

 その証拠と言わんばかりに、がたごとと微妙な振動をかえすメトロの中で、おもむろにスケジュール帳を取り出した。

 ……真っ白だった。

 どんな洗剤使ってんのってくらいに白いし、それ柔軟剤入ってんじゃないのってくらいにふわふわした予定ばっかりだ。なんなの、このキープってやつ。仕事あるのないのどっちなの。

 とはいえ、それこそ洗剤のCMで拡大イメージ図部分にほんのわずか汚れや雑菌を残してあるように、わたしのスケジュール帳にもぽちぽちとお仕事の予定めいたものがしみったれたインクで書き込まれている。

 ……だから、まぁ、ギリ声優と言えなくもなくないくらいの感じ?

 しかしぎりぎり声優を名乗れたとしても、週一回とか週二回とかアニメのしゆうろく現場に呼ばれる程度ではとてもじゃないが暮らしてはいけない。

 今は大学生ということもあって親のすねかじって骨をしゃぶり、血をすすっているから平気だけど、さすがに卒業したらそうも言っていられない。

 社会人になっても相変わらずこんな仕事量だとしたらそれはもう声優ではなく、フリーターと呼んだ方が近いだろう。むしろ、自称声優とかフリーター未満まである。

 だって、今の収入だと、普通にバイトしてる方が稼げちゃうし……。

 正直なところ、毎週末に日払いのバイトをした方が収入は上だ。……え? ……わたしの月収、低すぎ?

 両親もよくもまぁわたしが声優を目指すことを止めなかったものだ。

 こんなおかしな業界なのに……。


☆  ☆  ☆



 おれが言うのもなんだが、この業界はおかしいと思う。

 毎日がフェスティバルというか、毎日がカーニバルというか、毎日がデスマーチというか。横文字にしておけば語感が柔らかくなると思ったら大間違いだぞ。実際、日本語で言ったらきようかんの地獄絵図とかそんな形容が似合う。

 エンターテイメント業界は、興味がある者にとっては華やかで楽しい世界に見えるだろう。

 特に、アニメ制作におけるアフレコ現場なんてものはその最たるもの、アニメの花形とも言えるのではないだろうか。

 実際、アフレコ現場はにぎやかなものだ。今日きようもその素敵すてきなカーニバルが開かれている。

 ロビーの隅っこでは、アニメスタジオのラインプロデューサーが死んだ目をかっぴらいて、神経質そうに貧乏ゆすりをしながらずっと電話でやりとりをしていた。

 ミキサールームのソファでは、メディアミックスのおかげで仕事がげきぞうしたのか、カフェインじようざいを口に突っ込んだまま、原作者が白目をいて倒れている。

 そのわきではメーカーのアシスタントプロデューサーがパソコンでずっとなにかを作業しては頭を抱え、涙声でどこぞへ電話をしてはつらそうな顔でおなかをさすっていた。

 そこから目をらすと、缶コーヒーとえいようドリンクの山がきずかれているのが見えた。その山のふもとでは、目の下をデーゲームのデストラーデみたいにしているミキサーが、冬眠明けのくまのようにおぼろげな足取りでうろうろしている。

 花形ですら、この有様。

 出演声優たちが一堂に会する華やかなイメージのある収録現場も、アフレコ開始前、一皮剝けば戦場だ。

 俺のような一介のマネージャーが目にすることのできるアフレコ現場でさえこの惨状なら、俺が見ることのない制作現場は一体どうなっているのだろうか……。

 視聴者には見えないところで、今日もしかばねの山が築かれ、関係者の悲鳴がひびいている。

 なんとも賑やかな業界だ……。

 時刻はもうじき十五時。

 前の現場が終わるのが早かったため、少し早く来過ぎてしまった。

 奥のオフィスに一言あいさつをしたら、どこかで昼飯を食べて出直して来ようとスタジオ内を歩いていると、顔見知りの製作プロデューサー、はたなかさんの姿を見かけた。

 畑中さんはアフレコブースのドアにられたこうばんひようをしげしげと眺めている。

「おはようございます」

「あー、烏丸さん、お疲れっす」

 言いながらも畑中Pのしきは香盤表の方へと向いていた。つられて俺も香盤表を見ながら問いかける。

「どうかしました?」

「いや、見慣れない名前があったからさー、誰かなーとちょっと思って……」

 言って、畑中Pはとんとんと香盤表の下の方を指さした。

 そこに記されているのは、モブで呼ばれている子たち。

 どちらも我が社、ナンバーワンプロデュース預かりの声優だった。

 やまと、……烏丸千歳だ。

 千歳はこの作品に番組レギュラー、という名のなんでもやる便利モブ役で毎週呼んでもらっているから、今、見慣れない名前と言って畑中さんが指しているのは久我山の方だろう。

「ああ、うちの新人、久我山ですね。今日からお世話になります。この子、結構伸びしろあると思うんで、ごえんあったらぜひぜひ」

「おー、おんしや期待の若手ってことねー」

「そうなんですよー」

 なははーと軽いノリに合わせて笑いながら答えると、畑中さんが急に遠い目をしだした。

「……いいよねー、新人さん。スケジュール取れるし、どうも多いし」

 畑中さんの声には疲労がにじんでいる。

 ……まぁ、今畑中さんが担当している作品は主役の子がアーティスト活動もバリバリやってるしゆんの人気声優だからなぁ。おそらく、そこの事務所とのスケジュールのせつしように苦労しているのだろう。

 ことスケジュールやギャランティ、イベント稼働の可否やNG関係に関して、事務所は強気に出ることもままある。

 いくら製作委員会がクライアントとはいえ、事務所は役者のマネジメントを請け負った契約関係にある。転じて、役者本人の代理人としての側面もあるので、そのあたりはシビアだ。きっちり休息もとらせたいし、役者がやりたくないことをやらせるわけにもいかない。

 時には製作プロデューサーや宣伝プロデューサーと真っ向から対立することもある。

 今や、キャストの宣伝稼働が当たり前になっている昨今、この辺りのパワーバランスは非常にきつこうしていて、人気声優を擁するやり手マネージャーともなると、製作プロデューサーの方が下手に出ることもさして珍しくはない。

 とはいえ、事務所に仕事があるのは製作陣のおかげでもあるので、基本は持ちつ持たれつ仲良くやっている。いや、ほんといつもお世話になっております!

 しかし、どうにも、今回の畑中さんの作品はそのあたりうまく回っていなそうだ。

 心なしかこないだ会ったときよりも一回りほど体が大きくなっている気がする。ストレスかな? ストレスだろうなぁ……。

 いや、わかる、わかるなぁ……。

 マネージャーとかプロデューサーっていうのはいろんなとことの板挟みになって、どこからも全方位で文句言われるのが仕事みたいなとこあるからね、仕方ないね。

 ほんのり同情しつつ、畑中さんを元気づけるように、自分の胸をとんとたたいてみせた。

「もしイベントあったらうちにも御声がけください。うち、ガンガンやりますよ」

「そう言ってもらえると助かるなぁ。新人の子もせつきよくてきに使っていきたいんだよねぇ」

 畑中さんがほっとしたように柔和な表情を見せた。

 プロデューサーによって考え方は違うが、キャスティングにフレッシュさを求める人は結構いる。

 業界に新しい風を吹き込みたいという考えもあるのだろう。もしくは「あ〜、○○たそはワシが育てたんじゃ〜」と言いたいのかも。嫌だな、そんなプロデューサー……。

 ともあれ、自分が担当した作品をきっかけに大きく羽ばたいてくれる人がいると、なかなかうれしいものらしい。

 気持ちはわかる。俺たちマネージャーもだいたいそんな感じだ。

 一方で、「とにかく旬な人気キャストをぶっ込んでくんや!」という考えの人もいないではないが、人気は水物だ。いつだれがブレイクするかはわからない。

 そのため、モブをやる若手の動向をチェックしたり、事務所マネージャーが最近どんな子を推しているか情報収集し、数年先の業界を見据えているプロデューサーも多い。

 実際、アニメは企画立ち上げから放送までに数年かかることも珍しくはないので、アフレコ現場でも再来年以降の企画についてこそこそみつだんしている姿も見受けられる。

 すげぇなアニメ関係者。イっちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな。

 こうした時間の流れというか未来に対する感覚もちょっとおかしいのがこの業界だ。

「烏丸さん、他にいい若手いたら教えてよね」

「はい。ぜひぜひ」

 なにがぜひなのかさっぱりわからないが、会社員らしく、そう答えておいた。ぜひぜひってゾナハ病かっつーの。

「よろしくねー」

 そう言って、畑中さんはミキサールームの方へと去っていく。にこにこ笑顔えがおでそれを見送ってから、香盤表をきっとにらける。

 せんの先にあるのは烏丸千歳の四文字だ。

 あいつが声優になれてしまう。これもこの業界のおかしなところの一つだ。


☆  ☆  ☆


 くしっと小さなくしゃみが出た。

 すんすんと鼻を鳴らして周囲をうかがうが、メトロに乗り合わせたお客たちは他の乗客に興味などないのか、誰もわたしの方を見たりはしていない。

 ……まぁ、現場だろうが大学だろうが、誰もわたしを見たりはしていないのだけれど。

 大学からアフレコスタジオまでは地下鉄で数駅。

 移動中の電車の中で、わたしはいつものようにバッグからイヤホンを引っ張り出すと、曲がりくねったコードを直し直ししながら、ジャックを突っ込んだ。

 ぽちぽちシャッシャと、検索ワードを打ち込んで、今季アニメ『異世界剣士の救世譚〈ヒロイックテイル〉』のページを立ち上げる。そこからさらにリンクに飛んで、WEBラジオ『異世界剣士の救世談〈ヒロイックレディオ〉』のページをクリック。ええい、タイトルが長い。あと作品タイトルをもじったラジオタイトルは名付けたやつのドヤ顔がちらついてちょっとイラッとする。

「異世界剣士のヒロイックレディオ〜。わー、ぱちぱち〜」

 イヤホンから聞こえるのは、事務所のせんぱい、かおたんさんの声。

 まぁ、先輩と言っても、別に交流があるわけじゃない。ただわたしより早く事務所にいるというだけで、顔を合わせても挨拶こそすれなにか会話をするわけでなし。ついでに言うと、わたしは特にかおたんさんのファンというわけでもない。

 それでも、このWEBラジオを聞くのにはいくつか理由がある。

 今、このアニメタイトルにわたしも出演しているのもその理由の一つだ。とはいえ、かおたんさんがわたしを認識しているかは、また、別の、お話……。

 かおたんさんがオープニングトークで「先週起こったおもしろいこと」みたいなどう考えても面白くなさそうな超どうでもいいことをぺらぺらしゃべると、もう一人のパーソナリティであるそのももが「えーほんとですかーやばーい」みたいなこれまた適当なあいづちを打つ。



 はぁ、この適当な感じ……、いやされるなぁ……。聞いても聞かなくてもどっちでもよさそうなものって妙な安心感がある。来週から聞かなくてもいいな……と思える心の余裕を感じる。日常系アニメとかいうのがはやされるのもわかるな。あの手の作品も、ても観なくてもいい楽さというかユルさがウケる要因の一つなんじゃなかろうか。ていうか、それ系が人気出るとか現代人ちょっと疲れ過ぎじゃない?

 もちろん、癒しだけじゃない。このラジオ番組には励まされている感じもある。『ひえーこいつらこんな適当なことしやべってて金貰えるのん? おいおいこれわたしも行けんじゃね? 勝ったな! ガハハ!』みたいな勘違いが生まれる。いや、ほんとマジで勘違いなんだろうけど……。

 実際、いきなりラジオめいたことをやってみろと言われてまともに話せる人はそうそういないだろう。残念ながら養成所でもラジオでばくしようを取れるトークなんてものは教わらなかった。なんならラジオのラの字も出なかった……。

 そんなわけで、日々なんとなーく声優さんのラジオを聞き、いつか訪れるかもしれないその日に向けてお勉強している。それが、わたしがこのラジオを聞いている理由のもう一つ。

 大学の行き帰り、電車の中ではいつもこうだ。適当なアニメ系のWEBラジオを聞いている。

「今週もお便りいただいてますよ〜」

 パーソナリティの一人、苑生百花の進行の下、ラジオはゆるゆると進み、普通のお便り、いわゆる『ふつおた』のコーナーに差し掛かっていた。なにが今週だ。お前ら今回のは二本りの二本目だろいい加減にしろ。

 苑生百花が『ふつおた』のうち、一通を読み始める。

「いつも楽しく聞かせていただいてます。突然ですがお二人ふたりに質問です。ぼくの将来の夢は声優になることなのですが、お二人が声優になろうと思ったきっかけはなんですかー? 教えていただけたら嬉しいです。ではではお体にお気を付けてこれからも頑張ってください〜。……だって」

「きっかけかぁ。私はね〜」

 なっがいメールの後にかおたんさんがドヤりながらなにか語り始めた。

 それを聞き流して、わたしならどんなことを話すだろうかと、ふと考えた。

 わたしが声優を志したのは、二年とちょっと前のこと。

 受験やらなんやらをそろそろ考えなくてはならなくなった高校二年生のときだ。

 当時、母に相談した会話は昨日きのうのことのように思い出せる。

 たしか進路希望調ちようひよう? だったかなんだかを出す必要があったか、それとも文理せんたくの希望表? いや、アンケートか? まぁ、なんでもいいや。なんかそんな感じの紙を出す必要があったとかなかったとか。わたし、おく曖昧過ぎだろ。

 それで、母と、そのとき居合わせた兄のじよう君に相談したのだったと思う。えっと、そのとき、父は仕事でいなかったんだったかな、どうだったかな……。よく覚えてないな。まぁ、父にはあんまりきようないからなぁ……。

 ともあれ、アニラジ内で交わされている「夢」とか「将来」とかってキラキラした会話を聞いていると、わたし自身、声優になると宣言したときのことが思い出される。


×  ×  ×


「声優ねぇ……」

 夕食時に、将来について話すと、母はほおに手を当てて軽く首をかしげた。

「おにいちゃんのときも特に反対しなかったけど……」

 母が、ちらとはす向かいの席に座る悟浄君に視線を向ける。

「どうなの、悟浄」

 悟浄君はテーブルにほおづえついてパスタをくるくると巻き、それをひょいと口に運ぶ。しばしもぐもぐしていたが、はっと小ばかにしたように鼻で笑うとフォークをわたしに向けてふりふりやった。

「まあ、千歳が食ってける仕事じゃないな。安定には程遠い業界だし。若いうちはなんとかなっても将来はきついんじゃねぇの」

 ……あーはん、なるほど。言いたいことはだいたいわかった。

「でもほら、悟浄君がマネージャーやってるんだし、わたしもうまいことねじ込んで仕事バリバリ取ればいいよ」

「そうねぇ。もし、千歳が悟浄のいる事務所に入れるなら私もおとうさんも安心ね」

 ほほうとばかりに母がうんうんうなずき、お茶をずずっとすする。しかし、悟浄君はとんとんとテーブルを指でたたくとおおぎように首を振った。

「いやいやそんなうまく行くわけないだろ。そんなことできたらうちの会社はもっともうかってる。だいたい千歳が声優になれるかもわかんないのに無理に決まってんじゃん」

「でも、悟浄君でもなれたんだし」

「…………」

 わたしが言うと、悟浄君がうぐっと声を詰まらせた。口うるさい悟浄君がだまったこのしゆんかんがチャンス! ここで一気にたたみかけるべき!

「最近はアイドル声優って言うか、そういう需要もあるんでしょ? ほら、わたし結構そこそこ可愛かったりするじゃん。いけるいける!」

 ぴんと立てた人差し指を頰にぷにっと当てる。さらに首を傾けて、えへへーとにっこり微笑ほほえんでみせた。

「…………」

 悟浄君が絶句していた。

 そして、深々とため息をくと、頭をガシガシいてわたしにするどい視線を向ける。なにこの人、目つき悪い。

「……お前、バカだろ」

 かちん、と来た。

「……はー? 悟浄君に言われたくないんですけど。わたしの高校、悟浄君の行ってたとこより偏差値上なんですけど」

「…………」

 またしても悟浄君が黙った。

 悟浄君は本当のことや気にしていること、言いづらいことをずばり言われてしまうとフリーズするくせがある。このあたり、なかなか要領の悪い兄だと思う。

 なので、今しがたのわたしの発言は悟浄君的には結構痛いところを突かれたということらしい。……よし、ついげきだ!

「わたし、悟浄君が落ちた大学、既にB判とってるんですけど。やーいマーチマーチ」

「殺すぞこのガキ……」

 悟浄君の手がぷるぷるふるえ、口元はひくひくっている。今にもこちらの頭を叩いてきそうだ。お、なんだこいつ、やんのかー。このっこのっ! とばかりにシュシュッと猫パンチでシャドーボクシングしてみせる。

「二人ともやめなさい」

 母がうんざりした表情で言う。母はさすがわたしの母だけあって、キレそうなときが非常にわかりやすい。めんどくせーみたいな顔をし始めたら、マジでキレ出す五秒前。

 そのことは悟浄君もわかっているので、ふいっとわたしから視線を外して、いつたん会話を打ち切った。

 そして、ついっとテーブル上の灰皿を引き寄せると、胸ポッケから煙草タバコを取り出し、フィルターをとんとん叩き始める。そういうぐさ、おじさんくさいからやめてほしい。

「……千歳、お前考え甘過ぎ」

 ぷかっと煙を吐くと、そっぽを向いたままの悟浄君が言った。

「売れる声優は本当に一握りだし、はっきり言って夢のある職業じゃない。仮に声優になれても、将来食ってけねぇぞ」

「はぁ、将来ねぇ……。でも、それは大丈夫なんじゃない?」

 言いながら、にっこり笑顔で正面に座る母の顔を見つめる。ついでに親指と人差し指でっかを作ってみせた。

 それはいわゆるOKサイン。あるいは変化球・チェンジアップの握り。

 ……もしくはマーク。

 将来の問題とはつまるところ、お金の不安だ。だが、その点に関しては心配していない。

 わたしもアホではない。むしろ、かしこい可愛い。

 なので、声優になると言い出す前にした調しらべはちゃんとしているのだ。

 インターネッツによる情報収集のほか、酔って帰ってきた悟浄君の介抱をするふりしてあれこれ聞き出して調べた。

 ソース元である酔っぱらった悟浄君の話によると、どういうわけか、声優さん、特に女性声優さんは実家がそれなりに裕福だったりすることが結構あるらしいのだそうだ。

 例えば、おやさんが有名企業にお勤めだったり、はたまたとある企業の創業者のご令嬢だったり、さる大御所女性声優のご息女であらせられたり。

 案外、などと言ってしまってはアレだが、なかなかにセレブな業界らしいのだ。

 まぁ、考えてみればはるか昔の文豪だって生家は貴族院いんだ大地主だみたいな高等遊民がごろごろいたわけで、子供を娯楽道楽芸能音楽の道に進ませるにはなにはともあれ「ふところの広さ」というのが必要なのだろう。

 その点、我が家はと言えば、どちらもそこそこの企業に勤める父母のダブルインカムによってなんとか懐具合をあっためている感じである。ちなみに悟浄君は普通にはつきゆうなので全然あてにしてない。

 その薄給社畜がわたしをぎろっと睨み付けてくる。

「……千歳、言っとくけど親をあてにすんのはなしだぞ」

 ぐぬぬ、薄給のくせに生意気な……。しかし、親の財布をあてにしていたのは本当のことなので、否定の言葉が出てこなかった。わたしもたいがい正直者です……。

「……じゃあ、偉い人と結婚すればいいし」

 考えた末に出てきたのはそんな言葉だった。すると、悟浄君が深々とうなれた。

「バカだ、こいつほんとバカだ」

「だってほら、原作者とかいるんでしょ! ジャンプ! ジャンプ!」



 ばんばんテーブルを叩いてアピールしてみる。

「駄目よ、漫画家なんて」

 それまで特に否定的なことを口にしなかった母が険しい顔をしていた。

 マジトーンな母に軽くビビりながら、恐る恐る母のひとみを上目遣いにちらちらのぞいてみる。

 母はやけにきりっとした、意志のこもりまくった強いまなしをわたしに向けてくる。

「結婚するならもっと安定しているへんしゆうしやにしなさい。年収一千万。もし、うまく出世すれば生涯賃金おくよ」

「それだ!」

 思わず母をびしっと指さしてしまう。さすがマイマザー! 母は偉大だった!

「それじゃねぇよ……」

 悟浄君ががくりと肩を落とし、こめかみのあたりを強くむ。

「金が欲しいなら別の道考えろ。しゆとして養成所通いたいなら止めねぇけど」

 首だけを軽く曲げて悟浄君がわたしを見た。その言い方がどことなく見下している気がする……。おかげでちょっとむっとしてしまい、わたしは悟浄君を真っ向から見据えた。

「趣味とかじゃなくて、ちゃんと仕事としてやりたいの」

「ほーん?」

 わたしにしては、それなりに真剣な調子で言った言葉だったと思う。けれど、悟浄君は気の抜けた返事をする。

 だというのに。

 わたしを見る悟浄君の目はびっくりするくらい真剣だった。刃物を研ぐような、石を削り込むような冷たい眼差し。

 きっと、職人や仕事人だけが見せる視線だ。

 その眼光にされて、わたしは言葉に詰まってしまった。

 やばい。

 言おうと思って考えてたこと全部吹っ飛んだ。なんでこの人こんなマジな目してるんだろう。

 悟浄君はわたしの答えを待つように、けっして視線を逸らさない。

 それがわたしを試しているようですっごくムカついた。

 わたしはえかけた気力を総動員して悟浄君を睨み返す。

 そして。

 わたしらしく、可愛らしく、小憎らしく。

「……だって、わたし、つまんないことなんてしたくないし」

 とびきりの笑顔で言ってやった。

 その答えに、悟浄君はぱちくりと何度かしばたたいた。はぁと深いため息を吐くと、またしても上着の胸ポッケをガサゴソやる。そして、頭痛薬の箱を取り出すとぷちっと一粒押し出して、それをお茶で流し込んだ。

「ほんとにバカだな、こいつ……」

 ため息ごと吐き捨てるように悟浄君が言う。

 さすがにそう何度も言われると、心が広く滅多めつたなことでは怒ったりムカついたりしない天使なわたしでも少々カチンと来てしまう。殺すぞバカ悟浄。

「なに、さっきからバカバカって……。じゃあ、悟浄君だってバカじゃん。その業界にいるんだから」

「それは……」

 ちようのようにい、はちのように刺す千歳スタイルは見事悟浄君の痛いところを突いたらしい。悟浄君は苦虫をつぶしたような表情でうぐっと言葉に詰まった。……ふっ、勝ったな。

 わたしが悟浄君をやり込めると、事の成り行きを見守っていた母がみにお茶のお代わりをぎながら口を開いた。

「まぁ、やってみたらいいんじゃない?」

「ほんと!? いいの!?

 母に飛びつかんばかりにテーブルに身を乗り出すと、母は涼しい顔してお茶をずずっと啜る。

「ええ。お兄ちゃんのときも本人が自分で決めたことだから応援したわけだし。千歳だけ反対するわけにもねぇ。千歳が納得いくまでやったらいいわ」

「…………」

 母が悟浄君をちらと見て言うと、悟浄君はげんそうにふいと顔を逸らす。ふひひ、言われてやんの。

 まぁ、これも下の子とつけんというやつかもしれない。兄妹だと、親は兄を見ていろいろあきらめてくれるし、妹は兄の失敗を見て効率的な親の運用を考えるものです。

「ただし、大学にはちゃんと行くこと。それならお父さんも文句言わないでしょう」

 勝利の喜びに打ち震えるわたしを見て、母がくぎを刺すように言った。

「わかった! どっちも頑張る!」

 元気はつらつにそう答えて、わたしは立ち上がり、母の背中に回り込むと、とんたんとんたん肩を叩いて差し上げたのだった。


×  ×  ×


 そんなこんなで母と兄の理解を得て、わたしは声優への道を歩み始めた。

 父? 父は……まぁ、たぶん母がなんかうまく言いくるめたはず。

 そうして養成所へと通い、本科とさくさく進んで、無事養成所を卒所したわたしはとんとん拍子で今の事務所、ナンバーワンプロデュースの預かりとなった。

 そう。そのとき、その瞬間までは順調だったのだ。

 こりゃ楽勝ですな! ガハハ! とか思ってもいたのだ。

 しかし、現実は甘くない。

 わたしの思い描いていた「来た! 見た! 勝った!」レベルの順調さとは程遠く、ろくろくオーディションも通らず、たまーにモブで現場に行くくらいの完全な足踏み状態だ。

 おっかしーなぁ……。わたしも苑生百花みたいに若くしてバリバリかつやくするもんだと思ってたんだけどなぁ……。苑生百花、まだ高校生だっていうし。最近は若い声優さんも珍しいもんでもなくなったしなぁ。それに引き換え、わたしは……。

 などと、考えながらつりかわにつかまってゆらゆら揺れていると、ため息がこぼれ出た。

 イヤホンの向こうからは能天気そうな話し声が聞こえてくる。

「わたしらほんと芸人だよね?」

「えー、それかおたんさんだけじゃん」

「えー。あたしー!?

「……はい。というわけで、そんな感じでいつもアフレコしてますよーって感じです」

「ウフフ」

 聞き流していたラジオではいつのまにやらそんな会話が繰り広げられていた。こぼれ聞いた断片的な記憶を繫ぎ合わせてみるに、アフレコはどんな感じでやっていますか印象的な出来事を教えてください的なまぁよくある質問にお答えしていたらしい。

 昔の思い出にふけっていたために、聞き逃していたとはいえ、わざわざ聞き直す気はしなかった。

 別に、つまらないから、というわけではない。

 面白いかどうかと聞かれれば、……まぁ、面白いは面白い。

 ぶっちゃけ話してる内容はゴミ以下、女子高生のお喋りと変わらないレベルでめっちゃどうでもいいし、リスナーからの恋愛相談メールとかが出そうなくらいにつまらないし、その手のメールはただ声優さんに読んでもらいたいからってだけで百%ねつ造だと思ってる。

 ぶっちゃけ言うと超つまんないんだけど。

 そういうつまらない部分を除けば、最高に面白い。

「わたしたち、ほんと仲良しでー」

 それまで会話を回してたかおたんさんが、リスナーからのメールにこたえてそんな話を始めると、それにふんふん頷いていた苑生百花が一瞬の間を伴って言葉を返す。

「……。だよね〜」

「現場もほんと楽しい雰囲気で、プライベートもね? ご飯とか行くし」

「あ、いくいく〜。収録後とかたまにみんなで行くし」

「そうそう!」

 なんの変哲もない、どこのアニラジでも絶対と言っていいほど交わされる、完全台本めいたやりとり、予定調和の安定行動。

 これが最高に面白い。

 その収録現場にいる身からすると、楽しくてしょうがない。

 収録現場ではつめがスマホを叩く音だけがし、交わされる会話なんて「さっきセブンで買ったロイヤルミルクティーがしかった」とかその程度。

 とある有名出版社の政治案件で無理くりねじ込まれたクソラノベ原作のせいか、キャスト陣が作品の話をすることすらない。

 そんな状態を楽しい雰囲気と言えるのが面白い。

 声優になって良かったと思える瞬間の一つだ。

 あと、最高に傑作で面白いことがもう一つ。

 その現場にモブで呼ばれているわたしは「みんな」に含まれてもいなければ、収録後のご飯に声を掛けられることもなく、それどころかメイン出演陣からは終始存在しないものとして扱われているところ。

 ウケる。いや、ウケないけど。いやいや、マジでウケてる場合じゃないんだけど!

 別に現場で会話がないわけじゃないし、楽しくないわけでもない。仕事に支障が出るような悪い雰囲気なわけでもない。

 代わり映えしない、どの現場でもだいたい会う人たち同士だから、仲良くしているんだろうな、表面的には。

 まぁ、わたしみたいなクソモブに声を掛けてくる人はいないけど。

 大勢でいるときの上っ面の会話や、となった席に座った人と二人だけでの秘密めかした会話をたまーにして、あとは携帯電話をいじっては一生ぽちぽちソシャゲやってるだけのアフレコ現場。

 それが楽しい現場というならそりゃまぁ楽しかろう。ソシャゲ楽しいし。

 女が大勢集まって、うまくいくはずがない、なんてことは小中高で嫌というほど味わってきたけれど、わたしが今行っているアフレコ現場は、まぁ、そんな感じ。

 でも、だからこそ面白い。

 人を欺くのも、違う自分を作るのも、上辺を素敵につくろうのも。

 もっとれいに言ってしまえば。

 夢を与えるお仕事って本当にらしい。

 だから、わたしが言うのもなんだが、この業界頭おかしいと思う。


☆  ☆  ☆


 目的の駅に着いて歩くことしばし。

 ちょっとしたオサレタウンな感じの街並みをてくてくして、途中のコーヒーショップでカフェオレを買って、マスクをひょいと下げてストローからちゅるちゅる飲みながらアフレコスタジオへと向かった。

 時刻はだいたい十五時と半をちらっと回ったくらい。十六時スタートの現場に入るにはまぁ、平均的な入り時間だろう。

 通りからやや奥まった箇所にある階段をかんかん音を鳴らして下りていく。

 スタジオに入るときは基本一人だ。声優さんといえば、一応はいわゆるところのゲーノージンというやつであって、四六時中マネージャーさんがべったりというイメージだったけれど、実際、なってみると放置アンド放置……。

 いや、もちろんいつもマネージャーさんがついている声優さんだっている。現に、階段を下りた先、スタジオの入口にはどこだかの事務所のマネージャーさんがもう来ている。

「おはようございます」

 とりあえず挨拶をして、わたしもうちのマネージャーの姿を捜した。

 が、見当たらない……。

 うちの事務所では声優個人にマネージャーが付くというわけではなく、アフレコなどのおんきよう周りを担当する音響製作会社ごとにマネージャーが決まっている。まぁ、すっごい忙しい声優さんの場合は個人マネージャーとして誰かがつくこともあるらしいけど、暇なわたしには無縁な話だ。

 ここ、ハイルサウンドという音響会社を担当しているのは悟浄君のはずなのだが、今日は姿が見えない。

 ……サボりか。社長にチクってやろ。

 まぁ、マネージャーという職種はハードなせいか慢性的な人手不足に陥りがちで、悟浄君も薄給の割りに忙しいのはわたしも知っている。

 なので、悟浄君も毎度毎度アフレコに来ているというわけでなく、その日のスケジュールによって来れないときもあるのだ。今日は悟浄君忙しいんだろうな。しかし、それはそれとしてやはり社長にチクってやろ。

 さして広くもないスタジオをてくてく歩き、突き当たったロビーに至ると、そこにはスタート前独特ののんびりした雰囲気が流れていた。

 スタジオのロビーは温かみのある間接照明に照らされ、ちょっとおしゃれチックなソファが並んでいる。スタジオによって綺麗だったりちょっと古ぼけてたりするが、今日わたしが収録に来たハイルサウンドスタジオは結構綺麗なスタジオだ。

 ケータリングやお菓子も充実。ときたま、原作者さんや偉い人が差し入れをくれたりもする。

 ロビーでは、そんなお菓子やなんかをはむはむしている人たちがいる。

 メインキャストのうち何人かが三々五々談笑していたり携帯電話をいじっていたりとリラックスしていた。

「おはようございます」

 なるたけ元気よく挨拶して、ロビーを通過。続いて、ミキサールームの方へ顔を出し、ここでも元気よく挨拶。

「おはようございます。ナンバーワンプロデュース烏丸千歳です。よろしくお願いします」

 そう挨拶すれば、みんな顔を上げてわたしの方をみて挨拶を返してくれるが、わたしを烏丸千歳と認識しているかは怪しい。まぁ、スタッフさんたちに関してはわたしも一人一人紹介されるわけではないので、名前を知らない人も多いのだけれど。

 それでも、ちゃんと挨拶だけはする。他のタイトルのスタッフさんだろうが誰だろうが、すれ違った人には全員挨拶。これ、声優の基本。今時は小学校でも挨拶の重要性を教えている。しんしやには自分から挨拶して、けんせい……。この業界、ぱっと見不審者多いからな……。

 ロビーにいる人たちやミキサールームのお歴々にご挨拶を済ませたらいよいよもって、アフレコブースへと入る。

 ここでも、挨拶!

 なんならわたしの場合、アニメ本編のセリフより挨拶の方がワード数が多い。

 そして、いつもの席。入口すぐのドア横に座った。

 別にブース内の席順があらかじめ決められているわけではない。けれど、みんななんとなく空気を読んで座るのだ。ワード数が多い人はマイク正面に座るとか、セリフ少ない人は脇の端っことか……。タイトルによってはキャラクターの関係性が近ければ隣同士に座るとか、あれこれ考える。

 が、わたしはモブ。

 モブ・オブ・ザ・モブ。

 しかも、モブ界においてもかなりレベルが低いであろう、バーターで突っ込まれているモブ。

 うちの事務所の先輩、かおたんさんがヒロインの一人なので、ついでに呼ばれているだけなのだ。

 まぁ、偉い人たちがわざわざモブごときをえらんでいるのも労力なので、たいていの場合、音響制作さんがさくっと選んだり、事務所の人に「誰かよさそうな子いたらよろしく」で済ませてしまうものらしい。

 そんなけいでこの現場に呼んでもらっているわたしは言うなれば、モブの中のモブ。

 モブ・オブ・ザ・モブ・オブ・ザ・モブ。

 なので、誰のじやもせず、かつなるべく皆さんの視界に入らないドア脇に座ることにしている。

 いつもの席に座ってしずかーに、おとなしーくしていると、だんだんとキャストさんが集まり始める。

「おはようございます」

 誰かがわたしの横を通るたびに立ち上がりご挨拶。うんうん、ちゃんと仕事してるな、わたし。

 初めて行く現場なら自己紹介を兼ねた挨拶を一生しているのだが、アフレコが進んでくるとみんなも慣れたもので、モブ連中に関してはもう誰も気にも留めない。

 わたしも気に留めない。

 のだが、さすがに友達の姿を見つければ気に留めはする。

 おそるおそる、おっかなびっくりきょろきょろと、まるで都会に迷い込んできたハクビシンのように、不安げにアフレコブースに入ってきたのはわたしの数少ない友達、久我山八重。

「あ、八重だ」

 珍しいところにいるもんだなーと思うと、つい声が漏れてしまった。

 すると、八重もわたしに気づき、ほっと安心したような表情をする。

「ちーちゃん! おはよー!」

「うん、はよー」

 てこてことわたしのもとへ歩み寄り、ふにゃっとした柔らかな笑みを浮かべる八重。

「よかった、知ってる人いて……。私、アフレコまだ二回しかやったことないから今日も不安で……」

 収録はまだ始まってもいないのに、八重は既に疲れている。はぁとあんにも似たため息を吐くと、そのままわたしの横の席にふらふら〜と倒れ込みそうになった。それをはっしと支える。

「あ、ごめんね」

 八重のやや火照った頰が間近にある。女同士と言えど、さすがにこうも顔が近いとちょっと照れるぜ……。ていうか、こいつすごいもち肌だな。化粧乗り良さそうでちょっとムカつく。

 なので、八重の頰をぷすっと指で突いた。

「わわっ、な、なに、ちーちゃん?」

「それより、まずいろんな人に挨拶。悟浄君に言われなかった?」

 八重のリアクションには取り合わずそっと耳打ちした。すると、八重ははっとなり、ぱたぱた駆け出していく。

「な、ナンバーワンプロデュースの久我山八重です。よ、よろしくおねがいします……」

 八重は先輩声優一人一人に挨拶して回り始めた。そうしているうちにまたきんちようかんが戻ってきたらしく、八重がわたしの隣の席に座った頃には表情にやる気がみなぎっていた。

 に座り、バッグを開くと八重はせんだらけの台本を取り出して熱心にチェックを始める。

 うんうん、なんだか初々しいなぁ。いや、わたしも初々しいぴちぴちフレッシュなわけですが。

 八重の小動物じみた動きに癒されていると、アフレコブースの二重扉が開き、音響制作の人が顔を出した。

「テストはじめまーす」

 制作さんが一声掛けると、ブース内にも気合いが入る。

 わたしも気合いを入れ直す。

 さぁ、大人おとなしくしている地蔵タイムの始まりだ!


☆  ☆  ☆


 アフレコも回が進むと、実に落ち着いたもので、制作さんなり音響監督さんなりの「はじめまーす」の一言だけでいきなり始まったりする。

 初めて現場に入ったときはあまりの唐突さにびっくりしたものだ。戸惑っているうちにさくさく進んじゃうし……。

 声優の初仕事はたいていの場合、さしたる説明もなくいきなり現場に一人放り込まれるの子育てスタイルなのである。初心者へのやさしくなさは格ゲー以上。

 八重はまだ経験少ないって言ってたけど大丈夫かな……と、横目でちらっと見てみると、案の定、あわわとかはわわとか言っていた。

 そして、終始緊張した様子で、背筋をピンと伸ばし、モニターを見て台本を見て原作を見てを繰り返している。

 うんうん、にも新人って感じだなぁ。いや、わたしも新人なのですが。

 かくいうわたしも初めてアフレコに行ったときは終始緊張していた。いや、集中していたという方が近いかもしれない。

 ずっと原作の漫画と台本とを首っ引きして、名だたる役者さんたちのお芝居からなにかを得ようと真剣に聞き入っていた。モニターに出される映像を食い入るように見つめ、ボールドの位置を気にし、声を出さないよう自分もこっそり合わせてみたりしていたものだ。……やだ! 新人の頃のわたしで可愛い! ていうか、今も新人だけど! つまり、今も可愛いってことだ! 困ったぞ!

 ……まぁ、もう、真面目、ではない? かもしれない、かな?

 今やアフレコ中はぼーっとコンテさつを眺め、早く終わんないかなーとずっと思っている始末。

 気づけばこの体たらく……。

 いや、だって誰が演じても変わんないようなたった一言のセリフばっかやってたらそうなるよ……。それに、コンテ撮のV観てても全然ワクワクしないし……。

 ……うん、まぁね! ほら、モブが張り切り過ぎてもなんかあれだしね! 個性バリバリ出ちゃってる主張のはげしいモブとかおかしいからね! なんだその無駄に頑張って出してるっぽいイイ声、カフェ店員の役なのに主役気取りかお前みたいなことになっちゃうからね!

 むしろ、わたし、超空気読んでるはず! なんなら空気に同化してるまである!


☆  ☆  ☆


 結局、Aパートはセリフ一言だけだったので、一生ぼーっとしていた。本番も一発OK修正なし。

 こうなると、結構な時間無言で過ごすことになる。アフレコ全体の平均時間がだいたい三時間ちょいくらいなので、Aパート分ざっくり一時間半ほど無言の地蔵タイムを過ごした。

 セリフ量の割りに拘束時間自体は長いけど、まぁ、一声出してお金貰えるなら悪い仕事じゃない。

 アニメの場合、たとえセリフが一ワードでも百ワードでもギャラ変わんないし……。

 通常、アフレコはテスト、本番、修正のプロセスを踏んで行われる。

 なので、自分のセリフで修正がない場合はその間じーっと待つことになるのだ。長いアフレコだと五時間、六時間かかることもあり、待ってるがわは結構辛い。十六時スタートの現場でてっぺん回ってしまった話とかたまに聞くと「ふえぇ……」ってなる。

 自分のリテイクが多いと申し訳なさでハゲるとうちの悟浄君も申しておりました。

 だが、モブのわたしにはあんまり関係ない。あんまりリテイク出さないし。



 別にわたしの演技がうまいとか芝居が達者だとか才能があるとかかみかって可愛いとかってわけではないと思う。

 単純に、モブのセリフになんて誰も興味がないのだ。ちようしやも、スタッフさんも、原作者も。

 正しくは諦められているというべきなんだろうけど。どうせ、モブやってる奴の芝居なんて「こんなもん」と思っているに違いない。

 そういえば一度だけ、モブで呼ばれたとある作品でめっちゃ口うるさいラノベ原作者にあたってしまい、五回リテイクをくらったことがあるけど、あれくらいか。あの原作者死なないかな……。だいたいラノベ作家ごときにアニメのなにがわかるって言うのさ!

 さしたるセリフもないこの現場でのわたしの仕事はドアマンだ。

 扉の一番近くに座り、音響監督さんが入ってくるときにさっと開けたり、誰か出入りするときに、がっちゃがっちゃ重い扉を開け閉めすること。

 従って、アフレコスタート直前直後とABパート間の休憩時間前後がもっとも忙しい。

 休憩明けに何度かブースの重い扉をがしゃこんがしゃこん開け閉めしていたら、気づけばBパートが始まっていた。

 それでも、やはりわたしのセリフはほとんどなく、またしてもぼーっとしていた。

 一方、セリフの多い声優さんたちはマイク前を機敏に動き、実に小気味よい。

 その姿を見るたびに思うけど、やっぱり売れてる声優さんはオンオフの切り替えが上手じようずだと思う。

 例えば、今マイク前に立っているヒロイン役の一人、苑生百花もアフレコ前や休憩中は気だるげにしていることが多い。先輩たちに話しかけられたときだけ、にこぱっと笑顔を向けて、それ以外のときはずっと携帯いじってるし。

 あと、主役のしろさんも。この人、結構かっこいいんだけど、きゆうけい時間中、誰とも目を合わせないで一生スマホゲーやってるんだよなぁ……。まぁ、ハーレムっぽい作品だと、どうしても男性キャストは肩身狭い思いをしがちだから仕方ないのかもしれないけど。

 とはいえ、肩身の狭さならわたしも負けてはいない。ちょっとしたスレンダー美女と言っていいまである。

 モブのわたしに求められることは一つ。

 とにかくみんなの芝居の邪魔をしないこと。

 声を出す職業なのに、黙っているのが仕事とはこれいかに……。

 思わず、ため息がこぼれ出そうになるが、そこはプロ意識でどうにかこらえた。

 すると、代わりに欠伸あくびが出そうになる。

 そんなときは広げた台本をすすっとあげて口元を隠すのだ。欠伸隠しにも使え、暇なときは落書きもできるし、ついでにセリフも書いてあるとか台本ってマジ便利。

 顔に当てた台本からにょきっと目より上の部分を出して、眼前で繰り広げられるお芝居とモニターの映像を眺めてみる。

 はー。しかしこのアニメつまんないなー。まぁ、ラノベってやつだな、うん。こりゃ欠伸も出るってもんさね。

 なんかみんなも音を出す機械にてつしてる感じだし。……わたしはセリフがないので音を出す機械にすらなれないのですが。

 つまらないことなんてしたくないと思っていたのになぁ……。


☆  ☆  ☆


 アフレコ開始から三時間足らず。さしたる問題も起きず、本日のわたしの仕事が終了した。

「お疲れ様でーす」

 キャスト陣の面々に向けてなんとなく三方向くらいに会釈してそう挨拶し、他のキャストさんたちはアフレコブースを後にする。

 わたしもそれに倣って会釈と挨拶。そして、ミキサールームにも同様に挨拶に行く。

 わたしたちが芝居や演出の話を聞くのは音響監督さん伝いになので、原作者や監督さんと直接顔を合わせる機会はほぼない。同じ作品に携わっているんだから、物語や芝居についての話くらいしそうなものだけれど、そういう姿を見かけたことはない。

 わたしたちが現場の人や偉い人と交わす会話は「おはようございます」と「ありがとうございました」だけ。

 その挨拶だって、誰かに向けたものというわけでもなく、不特定多数、言うなればスタッフさんと言う概念に向けて挨拶をする。あれだな、柔道とか剣道とかでよくわかんない方向に一礼するのに似ているかも。「道場に、礼!」みたいな。

 ミキサールームへひょいと顔を出し、

「お疲れ様でした。ありがとうございました」

 それだけ言って、ささっと退散。

 さーて八重でも誘ってご飯食べて帰ろうかなーとロビーへ戻ってくると、その八重が誰かと話していた。

 妙に首を傾けたなぞのポージングで立つ、目つきの悪い、ちょっぴりオシャレを意識したシャドウストライプの入ったスーツ姿の黒髪男。

 我が兄にして、マネージャー。ナンバーワンプロデュース社員、烏丸悟浄だ。

「あ、悟浄君だ。現場居るなんて珍し」

 声を掛けると、悟浄君が首だけ傾け、こちらを見る。

「逆だアホ。お前が現場にいる方が珍しいんだろうが。ていうか、家の外で話しかけんな」

「なにそれ悟浄君反抗期? 中学生みたいなこと言っててウケるんだけど」

「ちげぇよ、公私の区別くらいつけろって話してんの」

「悟浄君だって現場でわたしのこと千歳って言うじゃん。八重のことは久我山さんって呼ぶのに。公私の区別くらいつけなよ」

「…………。わかったよ悪かったよ」

 ぴしゃりと言い返すと、悟浄君は一瞬言葉に詰まる。そして、ため息交じりに言うと、ポッケからピルケースを取り出して、錠剤を一つ口に放った。そして、近くの自販機へと向かう。それにしても最近この人、よく頭痛薬飲むようになったな……。なに、生理重いの?

 まぁ、悟浄君のことはいいや。わたしはくるっと八重に向き直った。

「八重、ご飯食べてこーよ」

「え、うん、じゃ、じゃあプロデューサーさんとかについていけばいいのかな……?」

 言いながら、八重は周囲の様子を窺う。

 その視線の先にはプロデューサーさんやら原作者さんやら何人かが集まっていて、飲みに行くのどうのと話している。十六時スタートの現場では収録後に食事に行くのはままあることだ。

 しかし、それもタイトルによる。

「あー。八重、この現場初めてだっけ」

「う、うん」

「この現場、キャストはあんまご飯行かないから」

「そうなんだ……」

「ま、忙しい人多いからね」

 ちょっと落胆した様子の八重に、取って付けたような言葉を掛けた。

 この作品に出ているキャストさんが本当に忙しいのかどうかは知らない。単純に、仲良くないだけなのかもしれない。飲み会に行ってもそれが仕事に繫がることなんてほぼないし、意味ないものだと見なしているのかもしれない。

 わたしには他の人の気持ちが、売れている声優さんの気持ちがわからない。

 それでも、好意的に考えればみんな忙しくて予定いっぱいなのだろうと思う。

 実際、アフレコ後にそのままラジオをり始めてしまったり、夜に別のラジオのレギュラーやゲストがあったり、オーディションに出すテープを録ったり、次の収録のチェックをしたり、翌日がイベントだったり……。人気キャストさんは、アフレコ後にも仕事がいっぱいなのだ。

 片や、わたし。

 ………………超、暇。

 いやー、わたしも仕事欲しいけどねー。仕事取ってくるはずのマネージャーがねー……と、視線を横にやると、水をくぴくぴ飲みながら悟浄君が戻ってきた。

「悟浄君、わたしご飯食べてくから晩ご飯いらない」

「そうか。俺も今日遅いから気にしなくていい。じまりだけちゃんとしといてくれ」

「はーい」

 返事をすると、悟浄君は頷きだけ返して、奥のオフィスへと向かう。挨拶してから帰るんだろうな。

 それを見送りつつ、わたしは八重に「行こ」と促した。だが、八重はわたしの顔と悟浄君の背中とを交互に見て、ほえーと口を開けてほうけていた。その手をくいくいと引っ張り歩き出すと、ようやく八重が再起動する。

「な、なんか、ドキドキする会話だね……」

「え? そう? どこが? 普通の会話じゃない? 兄妹だし」

「そうだけど、なんか、なんか……」

 わたしについて歩きながら、八重がかーっと赤くなる。なにを想像しているんだ、この子は……。


☆  ☆  ☆


 スタジオ近くの、ややオシャレめなお店を適当に選んで入ってまずはエルダーフラワーソーダで乾杯した。

「おつかれー」

「お、お疲れ様」

 グラスを合わせるとリンと鈴の音にも似た音が静かに響く。しゅわしゅわと静かにはじける泡を一口飲むと、さわやかなのどしが気持ちいい。いやー、仕事の後の一杯は最高だな! 疲れが吹き飛ぶってなもんだよ! 身体からだが軽くなった気がするね! はっはっはっ! そりゃそうだわ! 疲れてるわけねっつの! 三ワードしかセリフねっつの! はっはっはっ………、はぁ。

 半ばやけになりながら、さらにもう一息あおっていると、正面の席に座る八重がフードメニューとにらめっこしていた。

「……どしたの」

 聞くと、八重は泣き出しそうな顔をわたしに向け、悲しげにつぶやく。

「私、とうしつ制限してるからなに食べればいいかわかんない……」

 ほう、糖質制限とな? 要するにダイエット中か、こいつ。

 まぁ、最近は声優さんもメディア露出が増え、かつインターネッツ上でもその容姿がよく話題になる。一人の声優さんの太ったせたで大賑わいするものだ。

 なので、声優という職業にもかかわらず、見た目やスタイルを気にしている子も多く、事務所によっては、マネージャーさんがダイエット命令を出してくることもあるらしい。

 この業界、やっぱりおかしいな……。

 ここはわたしが立ち上がり、少しずつでも変えていかなければ! と使命感にえて、八重にぐっとサムズアップしてみせた。

「よし! じゃ、わたしに任せて!」

「う、うん!」

 八重もわたしの熱意あふれる姿に圧されたのか、こくりと頷くと、フードメニューをしずしずと渡してくる。それを受け取ってざっと目を通す。

「すいませーん。注文お願いしまーす」

 素早すばやく手を挙げて、店員さんを呼び、さくさく注文を始める。

「シーザーサラダとバーニャカウダ……」

 わたしがメニューを指さしながらオーダーを読み上げていると、正面の八重がニコニコ笑顔でふむふむと頷く。

「あとアンチョビポテト」

 言った瞬間、ぴたっと八重が動きを止めた。

「それからビスマルクとカルボナーラハーフで! よろしくお願いしまーす」

 店員さんが去ると、八重がぎぎっと首を動かして引き攣った微笑みでわたしを見る。

「ち、ちーちゃん……、わ、私の話、聞いてた、よね……?」

「大丈夫だよ、八重。明日あしたから頑張ろう!」

「ううっ……」

 わたしが笑顔で言うと、八重はかくっと肩を落とし、テーブルにのの字を書き始めた。

 ごめん、八重……。

 声優にルックスを求めてしまう今のおかしな業界に一石を投じるためには必要なことなの。八重には声とお芝居だけでトップに上り詰める超正統派声優になってもらうことで、みんなの目を覚ましてもらう一助になってほしい……。一人だけ瘦せようなどと思うなよ……。



☆  ☆  ☆


 売れない声優同士が集まると、すぐに演技論だの芝居論だのの話をし、売れてる声優さんのここがすごいここがダメ、○○さんにこんなこと言われて自分はこう思っている、みたいな話が延々続く。

 ひるがえって、こんなに考えてるわたしカコイイとかこんな有名な人に目を掛けられてる自分すご過ぎィ! とか、まぁ、とにかく自己けんよくを満たすだけの会話が繰り広げられるのだ。

 わたしたちもその例に漏れず、ポテトをぱくぱくつまみながら、今後の声優業界アニメ業界について論じていた。

「最近はアニメの消費サイクルも速いじゃん? 声優さんも同じだと思うんだよね!」

 わたしがドヤ顔しながらどこかで聞きかじった話をすると、八重はカルボナーラをくるくる巻きながら真剣な表情でうんうん頷く。

「つまり、すぐにわたしたちの天下ってことだよ! 勝ったね! これは!」

 未熟者たちがそろってたいげんそうしている時間ってなんでこんなに楽しいのだろう……。根拠のない万能感は最高に気持ちいいなぁ……。

 その気分に拍車をかけるのが、八重のきらきらした眼差しだ。

「ちーちゃんすごい……」

「ふっ……。まぁね」

 そう言われると悪い気はしない。まったくもう八重ったら聞き上手なんだから! いろいろ食べさせて太らせようとしてごめんね!

 とか思っていると、八重がふわーっと感心したようなため息を吐いてから、ぽつりと呟いた。

「そっかぁ……。ちーちゃんは売れた後のことまで考えてるんだなぁ……」

「……え? 売れた後?」

 なんだか聞き慣れない言葉が耳に飛び込み、思わず聞き返してしまった。

 すると、八重が戸惑い気味に口を開く。

「う、うん……だって、消費さいくる? が速いっていうことは、私なんてすぐに消えちゃうってことだし……」

「…………あ」

 っべー……。言われてみれば確かにそうじゃん。やだ、なに、八重マジ目の付けどころがシャープじゃない?

 大見得切ってドヤってしまった手前、「そうですね……」と素直に言える気はしない。

「い、今はあれだよ! まずは目の前のことをこつこつやらないと!」

「そうだよね! 私も頑張る!」

 慌てて取り繕うように、言い訳めいたことを適当ぶっこくと、八重はうんと力強く頷いて、胸の前でぐっと両のこぶしを握り、やる気を漲らせる。

 まったくもう八重ったら素直ないい子なんだから! もう、ジェラートかなんかおごってさらに太らせたくなっちゃうぞ! すいませーん、追加注文!

 と、ノリで注文したジェラートを二人して食べていると、八重がにっこり笑顔で違う話をし始めた。

「でもさ、ちーちゃん、すっごい順調だよね。今やってるの、番レギュ二本目でしょ?」

「いやー、番レギュっていっても別に名前ある役じゃないし……」

 さっき調子ぶっこいた発言をした手前、八重にめられても、素直にありがとうと言えない……。

 しかし、実際のところ、八重が言うようにわたしのキャリアの積み方は比較的順調な方なのだ。

 弱肉強食格差社会の超過当競争である声優業界においては、デビューしてすぐに番組レギュラー、まぁ、要はその作品におけるモブや端役を担当するために毎週呼ばれることなのだけど、それだけでも結構たいそうなことらしい。わたしにはあんまり実感がないけれど。

 とはいうものの、最近じゃどこだかの声優専門学校はアニメ製作に協力することでモブやなんかとしてそこの専門学校の生徒を出演させたりもするらしい。生徒は出演できてハッピーで、学校側も出演じつせきが作れてハッピー。win‐winってやつだ。そういう話を聞いてしまうと、モブなんてほんと大したもんじゃないし誰がやっても一緒じゃん……とやさぐれたくもなるわたしです……。

 それにしても、わたしみたいに売れてない声優でも順調な方とか、ほんとこの業界おかしいな……。

 わたしの当初のもくでは、華々しくデビュー! 即人気ふつとう! やったね千歳ちゃん! みたいな感じだったのだが、どうやらこいつはそろそろ考えを改めなければならないのかもしれない……。

 ぐぬぬ……とわたしがうなっていると、それをどうとったのか、八重が心配そうにわたしの顔を覗き込み、励ましてくる。

「ちーちゃんはすごいよ! 養成所でも一番だったし!」

「あー、養成所ね……」

 養成所にはあまりいい思い出がない。というか、養成所の連中は誰も覚えていない。八重だけは同じタイミングで事務所預かりになったこともあって、どうにか覚えている。

 苦い顔をしていると、八重はわたしを気遣ってくれているのか、なおも前のめりになる。

「すごいよ! だって、ちーちゃんがお芝居しているとき、感動して泣いてる人とかいたんだよ!」

「あ、あはは……」

 言われて、ちょっと嫌なことを思い出してしまった。

 養成所に通っている男はなぜか唐突に泣く。

 というか、だいたいそいつが好きな子がアフレコ実演をしていると、急に泣き出して、「感動したよ……」とか言い出すのである。そして、なぜかいきなり帰りに呼び出されて告ってくる。

 なんであの手の男子って急に告白してくるんだろう。

 よく知らない人間にいきなりそんなこと言われても普通に怖いと思ってしまう、女子高育ちのどうもわたしです……。

 それを養成所に入りたて基礎科の頃にやられたもんだから、養成所にいる人間を気持ち悪いと思ってきよを取ってしまったんだなぁ……。

 その後の消息も知らないし、二度と会うこともないだろうからどうでもいいんだけど。あの人たち、今なにやってんだろ。今や養成所時代の友達やら知り合いやらは八重だけになってしまった。

 わたしは数少ない友人の顔を見つめる。

「八重はいい子だなぁ……」

 よくもまぁ、わたしみたいにチョケりやすくてへこみやすいめんどうな人間と友達付き合いできるものだ。わたしなら、わたしの友達やるなんて絶対嫌だぞ。

 などと、思っていたらそんな心の呟きは口に出ていたらしい。

「そ、そんなことないよぉ」

 八重は照れ照れしながら、髪をいじる。はにかんで朱に染まったほっぺが可愛らしいが、まんざらでもなさそう……。こいつ、自分で自分のこと、いい子だと思ってるんだろうなぁ……。八重も一皮剝いたらなかなかやみが深そう。

 まぁ、そのあたり含めて、わたしはそれなりに八重のことを気に入っている。

 と、微笑み交じりに八重の観察をしていると、八重ははたとなにか思い出したように手を打った。

「そう言えばね、こないだ聞いたんだけど、今度アニメ化する作品があってねー、それが……」

 言いながらバッグの中をがさごそやり始める。

「へー。八重ほんとアニメ詳しいなぁ」

 わたしが言うと、八重がバッグをいじる手を止めて、ぱんぱんテーブルを叩く。

「し、仕事だもん! 当たり前だよー! ちーちゃんが興味なさ過ぎるんだよ!」

「そうかなー? 声優さんってあんまりアニメ興味なくない?」

「そんなことないと思うけど……。アニメ好きな人たくさんいるよ? イラストいてる人とかもいるし……」

 ああ、そう言えば暇さえあれば台本やなんかにイラスト描いてる声優さんいるな……。確かにあの声優さん、「ウィヒヒ」って笑い方がオタク特有の笑い方だもんな……。ほんとに好きなんだろうなって感じする、うん。

 わたしもアニメ観る方だし、漫画も読む。だけど、いわゆるオタクとかアニメ漫画クラスタの人たちと比べれば、すっごい浅いところにいる気がする。

 アニメ好きだけど、すっごい好きってわけではなく、まぁ、世間一般の人が映画を観たり、読書をするくらいの感覚に近いような気がする。……あれ? なんでわたし、声優やってるんだ……?

「ちーちゃん?」

 一瞬、ものすごい深い思索にとらわれかけたが、八重の声がわたしを引き戻す。あっぶなー。危うくアイデンティティクライシスに陥っちゃうところだったよ……。

 わたしは考えることを放棄して八重に向き直る。

「あ、ごめん。それでなんだっけ? 新しいアニメ? それ売れそう?」

「う、売れ?」

 八重が目を白黒させた。どうやらそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったらしい。えっえっと言葉を詰まらせながら、うーんと考え込んでしまった。

 こうも悩むとは……。八重は売れるか否かで作品を見たことがないのかもしれない。

 まぁ、声優さん、円盤の売り上げに興味ない人多そうだもんな。わたしも興味あるわけじゃないけど、自分がかかわった作品が売れたら嬉しいは嬉しい。それでわたしの人気が出たらなお嬉しいし、超嬉しいし、それしか嬉しくない。結局のところ、わたしが興味あるのはわたしについてだけなのだ。なんとわいしような人間なのか、わたしは……。

 やがて、ずっと考え込んでいた八重が慎重に言葉を選びながら口を開く。

「ど、どうかな……そういうのわかんないけど、私すごい好きだよ!」

 おおう、パーフェクトな回答……。それ今度わたしも使おう。



 感心していると、八重は先ほど手を伸ばしたバッグからなにかごそっと取り出した。

「事務所で今日聞いたんだけどね! そのうちオーディションあるんだって! だから原作買っちゃったー」

 えへへーと笑いながらテーブルにごとごととラノベを並べ始める。

「ほう……」

 今こやつオーディションと申したか。なかなか耳寄りな情報を持っておるではないか……。これはわたしもおこぼれにあずからねばなるまい……、と、八重の持っていた原作本に手を伸ばそうとする。

 が、その手がぴたりと止まってしまった。

 八重、マジか。もう付箋まで貼ってあるし。なんかメモ書きみたいなのまで挟まってるし。

 超熱心な読者じゃん……。おいおいこいつ、原作者キラーか? こんな読み込まれた感じの原作本、オーディションに持っていったらその瞬間、役確定しちゃうんじゃないの……。このやり方、いいな。それ今度わたしも使おう。

 オーディションの段階でそんなやる気満々のキャストは結構少ないのではなかろうかなどとわたしは勝手に思ってしまう。役が取れなかったら読み込んだり役作りした時間と労力はまるっと無駄になってしまう。コスパを考えれば、役取ってから役作りする方が効率的だ。『この作品昔からずっと好きだったんです〜! はきゅ〜ん♡』みたいなこびりは役が決まってからでも遅くないし。

 すごいな、八重。この子は伸びますわ……。感心しながら見ていると、八重は熱っぽく原作の良いところを語っていた。

 それに適度に相槌を打ちつつ適度に聞き流していると、ふわーと八重が満足げな吐息を漏らす。どうやら作品への愛情を語り終えたらしい。お疲れ様。

「ごめん、ちょっとお手洗い」

「うん、いってらー」

 八重が席を立つのを見送って、ふと考える。

 原作対策か……。いや、対原作者対策と言った方がいいのかもだけど。地味な営業活動も結構大事なことなのかもしれない。

 ひつきよう、アニメは人間関係でできているのだから。

 役者、マネージャー、音響監督、監督、音響制作担当、プロデューサー、原作者。他にもいろんな人がいて、いろんな思惑があって。

 純粋な実力とか才能だけじゃない、いろんなアレがナニでアニメが作られる、おかしな業界だ。

 そういう意味ではわたしは恵まれているのかもしれない。

 少なくとも一人、確実にしんらいできて、わたしの味方をしてくれる人がいるのだから。

 そいつのことを考えながらスマホに手を伸ばした。ロック画面に表示された時刻を見ると、もう結構いい時間になっている。

 八重が戻ってきたら帰ろうかな、と思いつつ、スマホをぽちぽちいじり、LINEで適当なスタンプを送った。なんか息も絶え絶えのアザラシがぐええっといているちょっと気持ち悪いスタンプだ。

 すると、一瞬で『殺すぞ』と返ってきた。……よし、あいつ、暇してるっぽいな。それを確認してぽちぽちっとメッセージを打ち込む。

『何時くらいに帰ってくるの?』

 ……まぁ、たまにはねぎらってやるとするか。


☆  ☆  ☆


 意外なことに、と俺が言ってしまうのもなんだが、マネージャーの仕事は結構多岐にわたる。声優のスケジュール管理やアテンド、ギャラの交渉に営業活動、媒体へ出す記事や写真のチェックなんかは基本だが、他にも事務所によって、声優の査定だったりキャスティング協力だったり他にもまぁいろいろあり、枚挙にいとまがない。

 そうしたいかにもマネージャー然とした業務の他にも少々風変わりなこともやっている。

 それが今まさに俺がやっている、オーディション対策である。

 先だってアニメ化が決まった作品のオーディションにうちの事務所にもお声が掛かり、何人か出すのだが、その際にもマネージャーは仕事をする。例えば原作を読み込んでキャラを把握して、誰を受けさせようかと戦略を練ることも、まぁ、マネージャーの仕事である場合が多い。

 自宅マンションのリビング、床に座ってソファにもたれかかりながらくわえ煙草で原作を確認していた。

 連続して読書していると目がしぱしぱしてくる。

 それを自覚すると、いつも読書のおともに流しているラジオの音が耳に入ってきた。どうやら俺の集中が切れたらしい。

 気合いを入れ直そうと、家でしか掛けない眼鏡めがねを一度外し、目の間をぎゅぎゅっと揉んで、再度本を広げる。

 もう一本煙草に火をつけて、原作ラノベのページをめくっていると、リビングのドアが開いた。

「悟浄君、お沸いたよー」

 ジェラピケのもこもこふわふわしたルームウェアに身を包んだ千歳が顔を覗かせる。それに、あーとかおーとか適当な生返事をすると、千歳はちょっとばかりむっとしたようだが、特になにも言い返しはせず、とことこキッチンの方へと回った。

 そして、がさごそなんかやりはじめる。なんだあいつ、こんな時間になにか食うつもりか……。と、げんな視線を向けると、両手になにか持った千歳が俺の前にやって来た。

「はい、これ」

 そう言って、目の前のテーブルに置いたのはマグカップだ。かぐわしいコーヒーの香りがする。咥えていた煙草を揉み消して、マグカップを受け取った。

 ……しかし、なぜコーヒーを?

「おお。サンキュ。……え、なに、なんかあったの?」

 クソ生意気なことでおなじみの妹、千歳の行動があまりに意外でつい聞いてしまった。すると、千歳はふいっと顔を逸らし、小声で呟く。

「……いや、わたしがコーヒー飲むからついでに」

「あ、ああ、そう……」

 こいつ、コーヒー苦手じゃなかったっけと思いながら千歳のカップをちらと見ると、そちらには限りなく白に近い褐色の液体が並々注がれていた。

 それを見るとつい口元がほころぶ。

「……ありがとな」



「うん。まぁ、ついでだし。別にあれだけど」

 口早にもごもご言いながら、千歳はソファに移動すると、そのままぐでっと寝そべった。そして、しばしそのままの体勢で突っ伏してうーっと低く唸っている。なんだこいつ……。可愛いな! さすが俺の妹だ。

 心なしか肩のりがほぐれたような気がして、軽く肩を回す。千歳のれてくれたコーヒーをありがたくいただき、また読書に戻ることにした。

 ひらりとページを繰り、時たま付箋を貼ってメモ書きをしていると、不意に、千歳が俺の肩口から顔を出し、手元を覗き込んでくる。

「さっきからなに読んでるの?」

「オーディション用の資料」

 千歳の方は振り向かずに短く答えると、千歳ははー? と考えるような息遣いで間を取った。首筋に掛かる息がこしょばゆい。

「……悟浄君、マネージャーなのに?」

「ああ。テープ録るとき、ディレクションは俺がするからな」

 オーディションにはテープとスタジオとあり、テープの場合は声優が収録した音源を送り、それをもって選考がなされる。うちの事務所の場合は、事務所で収録し、その際、芝居について助言したりするのも俺の仕事の一つだ。

 オーディションを振ってくる音響制作会社からキャラクター資料とオーディション用のげん稿こうは受け取っているものの、それらは抜粋してかんりやくされたものだ。より深くキャラクターを理解しようとするときは原作から読み込んでいく必要がある。そうでないとディレクションなどできたものではない。テープだけで決まる場合もあれば、テープの後スタジオでオーディションを行うこともあり、このあたりはケース・バイ・ケースだが、いずれにせよ重要な仕事であることには変わりない。

 特に、今度のオーディションは千歳にも受けさせる気でいる。熱心に読みもするというものだ。もっとも本人にはまだ伝えてないが……。

 しかし、兄の心妹知らずとでも言うのだろうか、人が仕事に励んでいるというのに、この妹、超他人事である。

 俺が読んでいるそばからひょいと手を出してきて、ページを指さしてくる。……ええい、邪魔くさい顔が近いもこもこした素材の服をくっつけてくるなくしゃみが出そうになる。

「あ、これ、今日、八重も持ってた」

「ほー、久我山はやる気あるな。お前も読めば?」

 暗に、読書の邪魔をするなという意味を含めて言うと、千歳はへらっとした笑みを浮かべた。

「でも、わたし、字、読むと眠くなるんだよね」

「なに? 声優やめたら? 君いつも台本読んでるでしょ?」

「だって全然違うし……、字多いし……」

「お前役取る気あんのか……」

 思わず言うが、千歳はまるで聞いていない。本の山に視線をやると、その一角を指さして俺の肩を叩く。

「あ、これ漫画版もあるんだ。それ取って」

「自分で取れよ……」

 ……こいつ、さっきから邪魔ばっかりしおってからに。と思いつつも、取ってやる。まぁ、これを読んでる間は千歳も大人しくしているだろう。その間にこっちも読み終えてしまえばいいか。


☆  ☆  ☆


 悟浄君に取ってもらった漫画を読み終えて、こてっとソファに頭を沈める。

 小さなボリュームでつけっぱなしにされている深夜放送のラジオも気づけばジャズだかクラシックだかが流れるような時間になっていた。

 わたしと悟浄君。二人だけの静かな時間だ。

 悟浄君の薄給には不釣り合いの2LDK。

 わたしとの二人暮らしを条件に、両親が若干の援助をしてくれているおかげで住めているこの部屋はとても心地ごこちがいい。

 首を巡らせてみると、悟浄君の後頭部が視界に入る。悟浄君はだ真剣に読んでいるのか、頭はぴくりとも動かない。……寝てるのか?

「ね、悟浄君、これ売れるかな?」

「……あー」

 声を掛けると、悟浄君は一応起きてはいたようで、いつものように生返事をしてくる。こいつ、さっきまではわたしの相手ちゃんとしてたくせに……。

「……ねぇ。悟浄君、聞いてる?」

「んー?」

 ずりっとソファの端まで腹ばいに動いて、悟浄君の顔を覗き込んでも反応が鈍い。よほど集中して読んでいるらしい。

 無視されるのはあまりいい気分ではないが、こういうときの悟浄君は少し可愛い。ので、まぁ、許す。

 眼鏡をかけているせいかもしれない。目つきの悪さが少し軽減されてる感じがする。

 悟浄君はマネージャーになっても真面目だなぁ。これ以上邪魔するのもさすがに悪いかなぁと思い、わたしは悟浄君からはなれてまたソファに寝っ転がり天井を仰ぐ。

 部屋を照らす照明はまんまるなお月様のようだった。

 ラジオからはジャズピアノのスタンダードナンバーが流れていた。この曲、なんだったっけな。アニメで使われてたやつだったと思うけど。声優さんが歌ってる方のバージョンしか知らないんだよな、わたし。

 ──声優、か。

 役者なのに、ラジオのパーソナリティもやって、見た目を気にして、歌も歌って……。

 わたしもいつかそんな存在になるんだろうか。なれるんだろうか。

 そんなことをおもって、そっと目を閉じた。

 ……ほんと。

 わたしが言うのもなんだが、この業界はやっぱりおかしい。


[#1 烏丸千歳とおかしな業界・了]