エピローグ


 枯れ葉色だった風景が、真っ白なキャンバスにリセットされていく。

 春になったら、鮮やかな色彩を描くために。子供が好むパステルカラーの絵の具で、神様が色を塗っていく季節への準備。

 吐く息も白塗り。緩やかに舞い降りる冷たい結晶は、人肌に触れると儚はかなく溶け消えた。

 都会が聖夜への日数を数えていても、旅たび名な川がわはさほど変わらない。駅前に一本だけ聳そびえ立たつ樹木へ、低予算の淡いイルミネーションが施されているだけ。

 しかし、季節は廻めぐっている。今年初めての空疎な粉雪が、厳冬の到来を告げてくれる。

「……こちらとしても、ぜひお願いしたいねー。在校生の他に、歴代の卒業生たちを招待しても構わないかなー?」

「そのあたりは教頭先生にお任せします。お世話になった旅たび中ちゆうの最後ですから、大勢で賑にぎやかに見送りたいですよね」

 俺が訪れていたのは、旅中の簡易な応接室。廃校まで三ヵ月余りとなった校舎内は清掃や片付けが進み、やけに広く閑散としていた。

 もうすぐ、旅中が無くなるのは現実──嫌でも、そう認識せざるを得ない。

 対面に腰掛けていた教頭が緑茶を啜すすると、机に置かれていた名刺を手に取った。

「しかし、松まつ本もと君も〝会社の代表〟かー。短期間で大出世したねー」

「あはは……自主レーベルなので、必然的にこうなっただけですから」

 苦笑い。

「ステージの増設や花道、照明器具なども俺のほうで準備します。イベント会社と交渉して、安くレンタルできるようにしました」

「費用はあるのかいー?」

「動画の広告収入と楽曲のダウンロード販売で、一応は黒字です。まあ、あいつの知名度におんぶに抱っこって感じですけど」

「謙遜することはないさー。あの子が気持ち良さそうに歌えているのも、君が縁の下で支えているからじゃないかー?」

 やや自虐的な俺を、陽気な声色で労ねぎらってくれる教頭。似合わないスマホを弄いじり出したと思いきや『とある楽曲』を颯さつ爽そうと流す。

「五年前はすぐに完売してCDを買えなかったから、ファンとしては待ちわびたよねー」

 二人で作った初めての曲を。

「賑にぎわっているよ、確実にー。キミたちが再びライブするようになってから、この町は消え行く町じゃなくなったー」

「大げさです。鞘さや音ねの歌を楽しみに来てくれる人たちが増えただけで」

「はっはっは、僕が勝手に思っているだけさー。何もなかったところに唯一の楽しみができた……それだけで充分、この町が光り輝いているように見えるよ」

 窓の外を眺めながら、教頭が優しげな声色を漏らした。

 活気を無くし、名前まで奪われ、やがて消え行く運命にあった町の残骸。俺たちを育て、見守ってくれていた場所に、人々に、ささやかな恩返しを──していこう。

 それは、俺たちにしかできないから。

「僕にできることは協力するから、いつでもまた来なさいー。三月の旅中ラストライブ、すごく楽しみにしているぞー」

「……ありがとうございます!」

 突発的に熱くなった目頭を隠すため、俺は深々と頭を下げた。

「今度は依い夜よ莉りも連れてくるといい。茶菓子くらいなら出せるからさー」

「はい! 今度は母さんと……必ず来ますから」

 三十分程度の打ち合わせを終え、応接室から出ようと立ち上がった瞬間──

「……っ!」

 机の脚に足を引っかけて、力無くよろけてしまう。右腕を使い、左側の壁を丁寧に触りながら歩を進め、応接室のドアを不格好に開いた。

 感覚が乏しい左足を引きずり、前へ。

 ひたすら、前へ。

「松本君……もしかして、視えていないのかい?」

「いえ……少し視え辛いだけです」

 懸念する教頭を背に、意味のない強がり。

 半分だけ欠けた世界は、記憶を頼りに書き足せばいい。あいつを頼りに、思い描けばいい。造作もないことだ。

「手を貸そうか? とても辛つらそうだ……」

「辛くないですよ。日々やるべきことがあって、やりたいことがあって、毎日でも会いたい人たちがいる──」

 正常な感覚を失いつつある中でも、しっかりと踵きびすを返し、

「そんな日常が、本当に楽しくて仕方ないんです」

 老人の心配を精一杯の笑顔で払拭してやった。

 閉校する前に、近いうちに今度は母さんも連れてくるから……その時は三人で茶菓子でも食べながら、職員室で他た愛あいもない雑談でもしたいな。

 面白いに決まっている。教頭が知っている母さんと父さんの昔話なんて、息子は興味本位を禁じ得ない。

 恋の話は歌詞用のメモ帳に書き記しておこう。

 絶対忘れないために。

 何年経たっても、初々しい感情を無くさないために。


 ──聴こえる。あいつの、あいつだけの音。


 すぐに分かるよ。

 息絶えた細胞までも昂たかぶらせてくれるから。

「彼女、来ているみたいだねー」

 同様の察し方をした教頭に会釈し、俺は『音の根源』へ。

 簡単な打ち合わせと伝えてあるから、実家で待機していると思ったのに。

 相変わらず落ち着きがないな、あいつは。


 教室沿いの手狭な避難経路を通り、足元の花壇で転倒しそうになりながら、不機嫌な寒空の下をゆっくりと進む。

 中学の頃、教師に頼まれていたっけ。授業をサボる問題児を連れ戻すように、と。

 今、俺が不格好に歩いているこのルートは、当時とまったく同じ。

 取り壊しという余命宣告を受けたセピア調な情景は、今年度を以もつて消えてしまう。

 それでも、大丈夫。

 あの頃から──胸に抱いた想おもいは、どこにも攫さらわれることはない。

 だから、居場所なんて手に取るように分かる。俺たちは、その場所で恋心を育んだ。

 記憶が、思い出が、歌声が、導いてくれる。

 愛する人へと確実に繫つながっているんだ。


 体育館の側そばからグラウンドへと降りられる無骨な階段。

 冷え切った中段へ腰を下ろし、エミ姉ねえから譲り受けたギターを弾き語る少女。

 細かい銀色の雪粒が降り注ぐものの、手袋は着用していない。精緻な指先を赤く剝むき出だしにさせながら、見覚えのある安いピックで弦を揺らす。

 口くち遊ずさんでいる詩は〝恋人同士の幼おさな馴な染じみ〟を表現していた。恋人より近い二人、失った青春、五年の依存、再会という神様の悪戯いたずら。

 最上段に立つ男が聴き惚ほれたのは、青春のページが凝縮された一つの詩うた。


 新曲〝Loss Time〟に添えられた歌詞によって、俺は振り返ることができる。


 草花が華やかに色付いた時期に、河川敷の特等席で聴くのが待ちきれない。

 咲き誇る桜並木と、敷き詰められた菜の花。春の息吹を眺めながら、恋人のすぐ隣で。

 その未来へと導いてくれ。

 二人の軌跡をこれからも作り続けていくために。

 やがて過去の面影が真っ黒に侵されても、お前の存在を思い出せたなら──

 桐きり山やま鞘音を、何度でも、愛することができる。

 後ろを振り返り、自然体で微笑ほほえみかけてくれる彼女を。


 独りだと何もできない。

 でも、二人なら不可能なんてない。


 どこまででも、どんな未来にでも行こう。

 この場所からいろんな夢を見よう。

 青臭い馬鹿なガキだから、最初の曲をこう名付けていたんだ。




 キミと一緒にbe with you──と。