様々なことを、思い返した。
二十歳になって、五年ぶりに
記憶の
明日は、あいつの誕生日。俺と同じ、二十歳になる。
……わたしはもう、一人に戻るね。
昨日の別れ際、鞘音はそう言い残した。
東京に戻り、SAYANEとして活動を再開するという意味……だと思う。あいつは精神的な問題を克服できたのかな。前に進むための鍵を、地元で得られたのかな。
そんなわけないだろ……!
最後のオリジナル曲で、あいつは泣いていた。
このまま、重圧と期待の孤独な世界に戻ったら……あいつは壊れてしまう。
そう危惧してしまうくらい、あいつの表情は
東京に帰してしまったら、もう二度と、俺たちは会えない。
そんな気がしてならないんだ。
会ったあと、どうするかなんて無計画。
何も考えていないけれど、もう一回……声を聞かせてくれ。それだけでいいから。
平日の午後、秋空は泣き出しそうな曇り模様。思い立った俺はチャリに飛び乗り、鞘音の家へとペダルを
五分もかからずに、だだっ広い庭へ突入したものの、
「あの子、いないわよ?」
玄関にて出迎えてくれた鞘音の母さんに、あっさりと不在を言い渡された。
「もう……東京に戻ったんですか?」
「んーん? 三輪自転車でどこかに行ったわねぇ」
ということは、遠出はしていないはず。
鞘音の母さんにお礼を言い、公民館や旅館がある地区へ向かってみる。行く途中に旅名川大橋を渡るも、殺風景な河川敷には誰もいないしチャリもない。
「どこに行ったんだよ……」
立ち寄った中学校にもチャリがなかったので、居場所が思い当たらないんですが。
あとはリーゼの周辺……あいつなら、ありえるかも。
リーゼとはトークアプリのIDを交換していたので、鞘音がいないかメッセージを送ってみる。五時間授業なら、そろそろ下校している時間帯だけど。
いったん、立ち止まって送信してから数秒後……
【サヤネ イル】
という返信。リーゼがどこにいるか尋ねると、
【ブドーカン】
武道館!? リーゼも大物ギタリストになったのう。
無粋なツッコミは省くとして、児童館の間違いだよな?
小学校の近くにある旅名川児童館。
下校時刻を過ぎた小学生が遊んだり、親が迎えに来るまで時間を潰す施設。屋内で遊ぶための平屋と、屋外で遊ぶための広場や遊具がある。
小学三年生まではオヤツがもらえたり……そんなことはどうでもいいか。
とにかく、チャリの進行方向を児童館へ。
「やっぱりな……」
愛用の三輪自転車は児童館に
遠目から見ても、ハーフな容姿とゴスロリ服のリーゼは目立つ。リーゼがブランコを立ち漕ぎしている隣には、ブランコに腰掛けた女性。体格的に明らかな大人だ。
「SAYANEだーっ! ほんもののSAYANEーっ!」
田舎には不相応な若手のスター。本人は
安心……した。いつ、この町を去ってもおかしくないから。
俺の手が、言葉が、まだ届くところにいてくれたのが、そこはかとなく
こっそりと、あいつらの背後に回り込み、
「すみません。女児の近くに怪しい大人がいるとの通報を受けまして、任意で事情聴取させていただければと」
「え、えっ!? 違うんです!! わたしはただ、リーゼちゃんに
鞘音の肩に手を置く。当の本人は慌てたのか、謎の言い訳をしながら上半身だけで振り返った。すぐに俺の
こわっ……!! さっきまでリーゼの保護者気取りだったくせに。
空気を和ませるための手段だったが、逆効果だったらしい。反省しよう。
「……あなたは何しにきたのよ?」
「……いや、なんとなく」
「……そう。ヒマなニートなのね」
鞘音の隣に立ってみるが、普通に気まずい。
お互いに相手の出方を探っている感じだ。
リーゼがブランコを漕ぐギコギコという音が、沈黙のむず
周辺で遊んでいる子供たちを見ていると、無邪気だった自分の面影と重なった。鞘音と過ごし、トミさんと遊んで、エミ姉にレッスンを受けて……笑顔が絶えなかったな、と。
「……ここに来るとね、子供だった頃を思い出すの。悩みもなくて、苦しさもなくて、ひたすら楽しく遊んでいた面影を」
「俺も同じことを思った」
「……どうして、こうなったのかな。わたしは、どうすればよかったのかな」
弱い素顔を悟られないよう、鞘音が
「鞘音は間違っていない。結果を残して、大勢のファンに愛されているじゃないか」
「……それが、あなたの本音?」
「五年前と変わらないよ。俺は遊び感覚だったから、諦めも早かった。そんな
「……
「……噓じゃないって」
鞘音は押し黙り、ブランコの座面を支える両端の鎖を強く握った。
「……本音は言えないのね」
「俺が……本音を隠しているとでも?」
「……お互いに、よ」
困惑する俺を後目に、鞘音はブランコの座面から起立。折り重なった積乱雲から僅かに顔を
それと同時に、
「ワッショイ!」
立ち漕ぎからの大跳躍を披露したリーゼが着地し、誰も使っていないゴムボールを拾い上げて、俺たちに高々と掲げてくる。
「譲れないモノがあるのナラ、戦うノダ」
敏感に空気を読む幼女リーゼ……いや、
キメ顔で
さすが、トミさんの血を引く選ばれし者。
平和的な決闘の方法は、よく存じているらしい。
「わたしの前から消えた罪を裁くため、スポーツマンシップに
そして、鞘音は児童館の屋根を指さす。
「今からクズのあなたを〝しけい〟に処すから」
望むところだ。
******
一滴、二滴──次第に数えるのも馬鹿らしいほどの雨粒が、頭上から降り注ぐ。不機嫌だった空色が泣き出し、五年前の十月十五日を連想させた。
「……修!」
「くっ!? ボールに回転を……!」
子供たちは全員、児童館の屋内へ早々に引っ込んでいる。当然だ。全身ずぶ
鞘音が投げ込んだボールには強烈なスピンが効いており、屋根に接した瞬間、弧を描きながら屋根の表面を
鞘音は俺を指名した。落下までの時間は約三秒。
傾斜のある屋根から転がり落ちるボールを、ノーバウンドで捕球しないと──
「ここだ……!」
俺は落下地点を計算し、左へ走りながら指先でキャッチした。
「鞘音!」
すぐに反撃。今度は鞘音の名を宣言しながら、屋根に投げ返す。
この攻防を数回繰り返しているうちに、
「はぁ……はぁ……」
きた……ヒキニートの運動不足。昔なら朝飯前だったのに、この程度のダッシュやボール投げの動作で
踏ん張れない足元のぬかるみ、屋根からは捕球を遮るような雨水の滝……無駄に体力が削られ、露骨に動きが鈍ってきた俺だが、鞘音はまったく容赦しない。
左へ右へと揺さぶりをかけ、貧弱な俺を徹底的に走らせる。
「……しまった!」
落下に間に合わず、ボールは地面を転々。見計らった鞘音が遠くに逃げていた。
鬼がボールをノーバン捕球できなかった場合、他の人は逃げることができる。鬼がボールを摑み「ストップ」と言うまで、だ。
「ストップ!」
俺がストップ宣言したと同時に、逃げていた鞘音が静止。
くっ……二十メートル以上は逃げられてしまった。俺がボールを拾った位置から、鞘音にボールを投げ当てられないと俺の負け。当てられたら鞘音の負け。
「確か……鬼は三歩なら移動OKだったよな?」
「……そうね」
地方によって若干ルールが異なるらしいが、トミさん方式だと鬼は三歩だけ移動できる。三歩であいつとの距離を縮めないと、ボールを投げ当てられる可能性は低い。
「いぃーっちぃいいいいい!」
トミさん式テクニック【スケーティング】を発動! 大ジャンプをすることで、普通の歩幅より距離を稼ぎつつ着地し、勢いを利用しながら靴底をスケートのように滑らせる。
こうすると、約三メートルは稼げるのだ。
「ちょっと! 滑るのズルい! 一歩じゃないわ!」
怒りの抗議が聞こえるけど無視。
「にぃーっいぃいいいいい!」
大ジャンプ二回目。
「さぁーあぁあああああん!」
湿りきった汚泥を潤滑油に、ラストの三歩目も長いスケーティングになった。
鞘音との距離、十メートルちょい。
「覚悟しろよ。俺は
自信に満ちた俺だったが、鞘音は涼しい雰囲気を崩さない。
右手に握りこんだゴムボールを振りかぶり、俺は勝利への一球を放つ。
……直後、
ボールは鞘音に
「ただのヒキニートが、体力トレーニングを欠かさない現役の歌手に勝てると思った? あの
冷静な口調で
「まだ〝いちけい〟だろ。もう勝った気でいるのか?」
「ふっ……五分で終わらせてあげる」
完全敗北での罰ゲームは四回負けたとき。つまり〝しけい〟になったら……だが、余力を隠し持つ鞘音は鼻で笑い捨てる。
最初から勝てるわけがなかった勝負。キックベースも満足に
五分後──俺は完全敗北し、
「……あなたが勝負を受けた瞬間、わたしの勝利は決定したも同然なの。これは、わたしが一方的にあなたへ与える罰ゲームなんだから」
俺は口実が欲しかったのかもしれない。
鞘音の噓偽りのない感情に、ただ黙って殴られ続けられる口実が。
逃げ続けてきた大罪人に対する公開処刑を、俺自身が待ち望んでいたとしたら。
黙って歩き出した鞘音の後ろに付き従う。
処刑人に連行される受刑者と同様の扱いで、見知りすぎた処刑場に連行された。
旅名川河川敷。
地名の由来となった川沿いを人工的に整備した場所だが、桜並木の土手や菜の花畑は昔のまま人々を見守る。特に春は陽気な天候に導かれて、色鮮やかに着飾る草木。
けれど、現在は退屈な殺風景。秋雨に凍えた自然の生命は、無秩序にくすんだ
俺たちと酷似している。心情を表している。
鞘音から逃げ出し、残酷に見捨てた場所へ、こんな形で帰ってくるなんて。
幹や枝の骨組みだけを露出した桜並木の土手。
鞘音はそこで
悪口、罵倒、
五年後に再会した意味は、青春という美しいものではなく、罰ゲーム。
「どうして……」
言葉を紡ぎ出す鞘音。
その表情は鉄仮面ではなく──
「どうして…………わたしを独りにしたの…………」
また、鞘音を泣かせてしまったのか。五年前と同じように、大好きな女の子を悲しませて、ずっと苦しませて。
「俺は……お前の隣にいるような器じゃなくて……」
「
「働かなくてもいい!! 女遊びしたりギャンブルしたって構わない!! わたしはそんなことで、大切な修を見放さない!! でも……修に見放されたら……わたしは何もできない……もう、隣に誰もいないのは嫌だよ……限界だよ……」
そんなこと……ない。お前は立派に一人でも夢を
「二人だから夢ができた……二人だから歩き出せたのに……後ろから支えるふりして……わたし一人だけ舞い上がって……馬鹿みたい…………」
何も言い返すことができない──紛れもない事実が、残酷すぎて。
「……修がいなくなってから、音楽なんてやめようと思ったけど……独りでも歌い続ける意味を
知らなかった。俺は、知ろうともしなかった。
「だから、わたしは嫌な仕事もやった。わたしが書いた曲を、よく分からない
やめろ。それ以上、聞きたくない。
耳を、塞ぎたい。
「失ってしまった好きな人に、大好きな修に、わたしの声を届けたかったから──」
それだけのためにお前は、傷ついて、心を殺して、ボロボロになって。
「心が折れそうになっても、わたしは頑張ることができた。会えなくても、同じ東京には修がいて、すぐ近くで繫がっているんじゃないかって……ひょっとしたら、応援してくれているんじゃないかって……そう思えたのに…………」
鞘音は胸ぐらを摑む腕を震わせながら──
「どうして!! あなたはモニター越しのわたしすら見ていないの!? 逃げ続けるあなたに向かって歌い続けた!! 叫び続けた!! 届け!! 届け!! 届けって!!」
喉奥に焦げ付いていた本心を吐き出す。
東京にいれば『SAYANE』から、嫌でも逃げられなかった。街を歩けば街頭のモニターやコンビニから曲が流れ、大学にいけば同年代がSAYANEの話題を出す。
メジャーとはいえ、全国的には新人。売れるために計算された曲を歌ったり、不慣れなバラエティや女優業をやらされたり……直視していられなかったんだ。
「……一度は捨てた地元に逃げ帰れば、苦しみから救われるとでも思った? こんな面倒臭い
俺の沈黙は、もはや肯定を表すしかない。
日々、心が砕かれそうだった。
才能があれば、努力を怠らなければ、ほんの僅かな勇気さえあれば。
虚無感が精神を擦り減らし、外部からの情報を遮断。アパートの部屋にこもっていたら、いつの間にか大学を辞めてしまって……。
完全に失ったんだ、その場凌ぎの逃げ道を。鞘音を忘れるために
「……わたしがこうなったの……あなたのせいなのに」
「ごめん……」
「……〝麻薬〟みたいね、あなた。気持ちの良い幻想を見せたあとは、わたしの心を渇望させてしまう」
「本当にごめん……」
「……謝らなくていい。そんな麻薬に、わたしが〝依存〟しているだけだもの」
俺が罪を償うためには、死ぬしかない。
無駄に生き長らえることは、罪の塗り重ねでしかないから。
「ねえ、教えてよ……」
「えっ……?」
浅はかな思惑が見透かされていたからこそ、鞘音は
一つしかない。
鞘音の渇望を満たす方法は、たぶん一つだけだ。
「あなたと夢見た幻想の……忘れ方を教えて」
******
「えーっとぉ……とりあえず、お風呂に入ったら?」
困惑を禁じ得ないのは、
「ヤレヤレ、世話の焼ける
全身びしょ
まあ、びっくりするよな。突然、水揚げされた魚みたいな状態の知人が訪れたら。
「髪を拭くタオルだけ貸していただければ……」
遠慮する鞘音だったが、
「……くちゅん」
仏頂面に不似合いな
「ほらぁ、くしゃみしてるぅ。風邪ひいたら大変だし、温泉入っていきなさい」
エミ姉の言う通りにしたほうがいい。瘦せ我慢していても、鞘音が寒そうに震えているのは一目瞭然。実家まではチャリで帰らなくてはいけないし、雨宿りさせてもらおう。
だが、鞘音の発想は一味違った。
「エミリィさん、代金は払うので一晩だけ泊まってもいいですか? 二人一部屋で構いません」
借りたタオルで髪の毛を拭きながら、そう問いかけた鞘音。
「平日だから二人部屋も普通に
「……勘違いしないでください。合宿です。わたしがいないと、こいつは怠けるので」
こいつ? こいつとは……誰だ? いや、メンバー的に予想はつくけど。つくけどさ。
鞘音が俺を
「俺も泊まるの……か?」
「……合宿なんだから、当たり前でしょ。修の家でやろうと思っていたけど、こうなったらここでも構わないわ」
「お金ないんだけど……」
「……ニートに割り勘なんて期待してない。わたしが立て替えるから」
な、情けねぇ男だ……。ただのヒモじゃないか……。
「エミリィお姉ちゃんに任せて! 最高の一夜にしてあげるねぇ♪」
なぜか声色を弾ませるエミ姉に腕を引っ張られながら、半ば強引に旅館の奥へ。
エミ姉のご厚意により、貸切露天風呂を使わせてもらえることになった。ここの露天風呂は初めてだけど、他の一般客は入れないから、静かに疲れを
なんにせよ、長湯をしていると鞘音に怒られそうだ。
男側の脱衣所で湿った衣服をさっさと脱ぎ、申し訳程度のタオルを腰に巻き、露天風呂へと足を踏み入れる…………も、
「えっ?」「えっ?」
直後に入ってきた女性と視線が合い、同じ平仮名一文字を漏らした。鎖骨のやや下からタオルが巻かれているとはいえ、女性から伸びる太ももや肩は無防備。
冷えた外気の効果で濃霧となった湯気が、余計に
ミディアムな髪の毛はヘアゴムで
「……変なこと考えないで、えろ男」
「いやいや、えっ? どうしてお前が?」
「……それはこっちのセリフ。どういうことなの……?」
屋根つき露天風呂で遭遇したのは鞘音だった。
お互いに状況確認の処理が追いつかず、タオル一枚姿のまま視線を
「ウチの貸切露天風呂は、家族とか夫婦、恋人向けの用途だからぁ♪ ごゆっくり!」
おいっ! エミ姉、それ言うの遅すぎるんだけど!
女性側の脱衣所から一瞬だけ顔を
「エミ姉……絶対に何か勘違いしてるよな?」
「……ええ、だいたいの見当はつくけどね」
たぶん、俺と鞘音が仲直りした勢いで一夜を過ごす……みたいな、煩悩めいた勘違いをしているんだろう。すぐに修復できるような生易しい亀裂じゃないのに。
いや、俺らがちゃんと説明しなかったのも悪いけど……この状況、どうしよう。
「……時間がもったいないし、さっさと入りましょ」
こいつは平常通り、澄ました冷静さを保っている。
泥で薄汚れた
「……きゃっ!? ちべたっ!?」
冷水のシャワーが降り注ぎ、悲鳴をあげていた。あいつ、内心はめちゃくちゃ緊張していたりするんじゃ……? 心なしか、頰が赤い気もする。
というか、身体を洗うということは、タオルは取らないといけないわけで? えっ?
「……じろじろ見ないで。湯船にでも
「はい」
できるだけ鞘音を視界に入れないよう、鈍く濁った温泉に浸かりながら、正面の庭園を眺めていた。周辺に囲いがあるため、外部からは見えないようになっている。
木霊する雨音は
さっき、数秒だけ瞳に映った幼馴染みのタオル姿。胸部の膨らみは豊満ではなかったけど、引き締まったボディラインと、
シャワーの気配が止む。
ふと、水が跳ねるような生々しい反響音が聞こえたと思いきや、湯船に張られた温泉が波打った。俺の背後で、どんな事態が起きている……?
「……振り返らないで」
俺の行動を予見したのか、鞘音が
「……タオル外してるの」
「ああ、タオルを湯につけるのはマナー違反だもんな」
気取った物言いに徹したけど、こちとら理性が爆発寸前なんじゃあ……!!
全体的な状況と雰囲気で推測する。湯船に入浴してきた鞘音が、俺の背後あたりに腰を下ろし、湯に浸かっているのだ。
「………………」
「………………」
二人
どっ、どっ、どっ…………やけに速い自分の心音も数えられるくらいだ。
チラッと背後を確認すると、
珍しくポニテだから、普段は
「……変なこと考えてるでしょ」
「ノーコメントで」
やけに鋭い。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「……明日は、何の日か分かる?」
表情は
でも、恐る恐るといった微弱な声色なのは察せる。
「お前の誕生日だろ」
「……それじゃあ、中学の頃に交わした約束は
「進む道に迷ったときは、あの場所で会うこと。鞘音の誕生日に、俺が作った曲をプレゼントすること……忘れるわけがない」
どちらも、破ってしまったけれど。
「……旅名川を離れる前に、約束を
「お前は……独りでも進んでいけるのか?」
数秒の雨音を挟んだあと──
「……ええ」
鞘音は
「明日……最終の新幹線に乗るから」
独り言のように、彼女はそう
どうすればいいのか……反応に苦慮してしまう。
「地元に
馬鹿か。
「わたしを待っている大勢のファンやスタッフがいるの。これ以上、小娘の気まぐれで振り回すわけにはいかないわ」
そう答えるに決まっている。
たかが素人のガキ臭い無知なワガママは、天才を戸惑わせるだけだ。
「だから……残り僅かだけれど、五年前みたいな関係に戻りたいなって」
分かった。それが、桐山鞘音としての最後の甘えなら──
「お前が望むなら……やってみせる。今度は、鞘音だけのために」
好きな女の子のために、松本修は遅れてきた青春を
俺の返答を受けた鞘音は、
どんな表情をしていたのだろう。
俺には知る
冷え切った身体を湯煎したら、次は本格的な曲作りの始まり。
母さんにキーボード類やノートパソコンを旅館まで運搬してもらい、オーソドックスな和室の二人部屋は
汚れた私服はエミ姉が旅館で洗濯してくれているため、俺たちの格好は浴衣。合宿の夜みたいな様相になりつつ、鞘音と共に一曲を組み上げていく。
少しずつ、少しずつ、
ごめんな、愛機のMOTIF‐ES7。狭い押入れに五年も閉じ込めて、
松本修という存在を、小さな夢を語り合った幻想を、鞘音に忘れさせるために。
届けられなかったものを、あの頃と同じ距離感で、紡ぎ出していこう。
「ああ……ギター……ギターがあれば……もっと
ギターが無いため、鞘音は手持ち無沙汰な様子だったが、
「リーゼの聖剣を貸してヤル。ありがたク思うノダ」
途中でリーゼがアコギを貸しに来てくれた。
エミ姉から話を聞き、わざわざ気を遣ってくれたんだろう。本当に
「失礼いたします。お食事のご用意ができましたぁ」
うおぉ……
もてなしを受けたい……受けたいけど!
「お気持ちは
「リーゼちゃん
うん。食べるか、俺も。
うめぇ! 三雲旅館の料理、こんなに秀逸だったのか!
「修くん」
「なんですか?」
「敷くお布団……一枚でいいかなぁ?」
「二枚お願いします」
あの人、この状況をかな
り楽しんでないか? 風呂の件もそうだが、変な方向からアシストしようとしてくるし。
「はいはいー♪ 暗いから気を付けて、ね? 悪い人がいたら防犯ブザー鳴らすんだよ? お姉ちゃんがやっつけるからね~♪ はーい、バイバーイ♪」
夕飯の時間が終わり、自宅へ引き上げていくリーゼを部屋の窓から見送った。
すると、五秒前まではロリ山さんモードだったのに──
「修、お遊びは終わりよ。集中してくれないと困るの」
瞬時に瞳を研ぎ澄まし、アーティストへと変貌するのは
ただ、遊んでいたのはお前だぞ。
ここからはノンストップ。俺たちに不可能はない。二人が
根が腐っても、成人元年と間もなく成人。多少の無理で死にはしない。夜更かし・徹夜は当たり前なのが青春時代ってもんだろ。
鞘音が思い描く景色と、俺が思い描く景色。まったく異なる感受性を融合させ、ほろ苦く、そして甘酸っぱい過去が一つの線になって
近すぎる二人が歩いてきた道のり、擦れ違い、挫折、別れ、孤独……生々しくも具体的な詩と、それらを導く光源となる音色。
再会した二人がどうなるのか、未来はどちらも知らない。だけど、創作の中くらいは、幸せな結末にしたって良いだろう。ハッピーエンドでも、文句は言わせない。
売れるとか、赤の他人に受け入れられるとか、スタッフやお偉いさんの方針とか、外野の不純物は一切存在しない、二人だけの世界。
だって、これは誕生日プレゼント。
好きな人にだけ、送るものだから。
無我夢中になっていたら、ふとした瞬間に陽光が
部屋の時計は、早朝の五時半……体感的には三十分程度だったけど、かなりの時間が経過していたようだ。雨音は一切無く、冷感による身震いが眠気を打ち消す。
いったん、意識が普段通りになったためか、肩に乗った心地良い重量感に気付く。
「すう……すう……」
記憶を何年先まで遡ればいいのだろうか。
あどけない寝顔の鞘音が、俺の肩に寄りかかっているなんて。こんなに無防備な幼馴染みは、久しぶりすぎる。こっそり悪戯したいほど、ガードの緩さにほのぼのしてしまう。
「……んっ」
「おはよう、鞘音」
「……記念すべき二十歳を、あなたの隣で迎えることになるなんてね」
不本意そうに眉をひそめながらも、
「……修、あと五分だけこのままで……いたい」
「ああ、好きにしてくれ」
中学の頃とは、真逆になった懐かしいやり取り。
「おめでとう、とは言わないよ。あのときの約束を果たすまでは」
「……待ってる。楽しみに……待ってるね」
永遠に続けばいい。今だけの五年前が、遅れてきた青春が、この瞬間が。
静かすぎる早朝の肌寒い部屋は、全世界が凍りついたかのよう。でも、秒針が五周するのを防ぐ手段はない。一定の間隔で時を刻む時計の針は、絶対に止まらない。
確実に迫っている──俺たちの別れ。
終わりが近い有限の青春で、やり遂げなければいけないことが残っている。
「最後までやり遂げよう」
「うん……わたしたちなら、どんなことでもできる」
お互いの体温と感触がゆっくりと離れ、各々の愛機に向かう。
取り柄もなく、度胸もなく、逃げてばかりのクズだったが、最後に笑って死ねる資格が欲しい。暗闇に迷い込んだ鞘音を、おぼろげな光で導こう。
そのために、人生を
やっと、俺の生き様は『意味があった』と確信したんだ。
徹夜明けの影響だろうか……順調に描いていた情景が濁り、音で紡いでいた物語は断片的に抜け落ちる。若いつもりだったけど、やっぱり中学時代と比べては駄目だな。
雨に
鍵盤の白黒が複雑に
勘弁してくれ、こんなときに。左手の指先が震えて、不協和音になってしまう。
最高の一曲を……作るんだ。
鞘音に…………喜んでほしい……から……。
骨組みができたMIDIに詳細な打ち込みを施し、キーボードの音はパソコンに接続して録音。更なる編集により調整を加えた後、一般的な音楽ファイルに変換させる。
鞘音のスマホに完成した新曲を転送し、俺の役目は終了した。
「……お疲れ様」
もらった
褒めてくれる鞘音の表情が……世界から欠けてしまう。
無邪気に喜んでくれる顔が……見たかったのに……。
昼前に旅館をチェックアウトするも、
──不規則に欠落する視界と、混濁する思考回路。
暑くもないのに、異様なほど
「河川敷に行きましょう。歌詞を振ってから、修のために歌ってあげる」
今夜、地元から離れる鞘音に、余計な心配をかけさせるわけには…………目の前に
動け。動けよ。小学生でもできることが、なぜできない。
「…………っ……た……」
「修……?」
声が、届かない。
こんなに近くにいるのに。
楽しみにしてる──その一言が、
ふざけるな。
神様とやらは、持ち上げてから盛大にぶち壊す性癖でもあるのか。
底辺人間を好き勝手に
忘れさせやがって。走馬灯のアルバム作りにしては、演出が過剰すぎる。
間違ってんだよ。ゴミ処理用に埋め込まれた時限爆弾のタイミングが。
せっかく、人生に希望を
ようやく、約束を果たすために走り出したのに。
いつ死んでもいい……こんな
俺は────
生きたい。
真っ暗にフェードアウトしていく。
最後に映したのは、俺に向けて必死に叫び続ける鞘音の姿。
その声は次第に遠のき、鮮やかに色付いていた世界は、完全な無になった。