午前十時──第三十五回、旅たび名な川がわ祭りの開幕。

 とはいっても、派手なオープニングイベントがあるわけでもないし、出店が集うわけでもない。簡単に言えば、地味にヌルッと始まった感じだ。

 公民館の駐車場には疎まばらに車が停車し、平均年齢高めの地元民が工芸品の見学や購入に勤いそしむ。近隣の家畜市場跡地も駐車できるのだが、片手で数えられる程度の車しか止められていない。あとは徒歩や自転車で数人が様子を見に来ているだけだった。

 二百人から三百人の見物人が来れば、例年通りの成果と喜べるだろう。

『──皆さんのおかげで、今年も無事に開幕することがでぎました。今年はステージ発表が一味も二味も違うがら、たくさん楽しんでいってくださいね!』

 トミさんがステージ上で挨拶をしたと同時に、ステージ発表の部もスタート。

『──マジでね、最後にすげぇ大物が控えてっから! 今のうちに子供とか孫とか、春はる咲さき市内の中心に住んでる人らも誘ってけさいん! 旅名川のイケメンからのお願い!』

 マイクを通し、会場を盛り上げているトミさん。観客席のパイプ椅子に腰掛けていた老人たちから、温かい笑いが起きる。誰に対してでも飾らない性格だし、地元民や年寄りからの人気が高いんだよな、この人。

 無職バレが怖くて交流を避けていた男とは大違いだ。

「というか、大物が来るとか予告しちゃっていいのか……?」

 鞘さや音ねが姿を現す確率は、ほぼ絶望的だというのに。俺たちの出番は午後二時の予定だから、それまでに来てくれないと尻すぼみで終了ということになる。

「おーい、修しゆう! ほとんど業者頼みだったが、照明はこんな感じで大丈夫だったか?」

 ステージから降りたトミさんの問いかけに、俺はグーサインを返す。

「うん、理想に近い会場になったと思う。本当に助かったよ」

「演奏中の照明操作は任せとけ。使い方は業者に教わったんでな、俺たち実行委員会が派手に演出してやっから」

 イベントホールを見渡せば、レンタルした照明器具が希望通りに配置されていた。貴重な休日に対応してくれたトミさんのためにも、最高のパフォーマンスを披露したい。

「アンプとか音響もセッティングされてるけど、これもトミさんが?」

 ステージや周辺には音響機材がすでに搬入され、PAも文句なしのセッティングを施されている。ステージ最前に転がされているのはモニタースピーカーだし、他の演者さんが使うとは思えない本格的なライブ仕様だった。

「昨日、依い夜よ莉り姉さんとリーゼが搬入して準備したんだぜ。音のバランス調整とかもしてくれたし、俺は専門外だから助かったっちゃあ」

「そっか……二人にも感謝しないとね」

 母さんも休日だったのに、内緒で手伝ってくれたのか。

「依夜莉姉さんは特に気合入りまくりでな『息子が演奏するんだから、半端な音じゃ許せねぇ』とか、あっ! んあっっ!?」

「正まさ清きよォ! べらべらと余計なことを抜かしてんじゃねえよ!」

 トミさんの背後よりヤンママ襲来。

 話の途中に尻を蹴られた当人は、ちょっと幸せそうに悶もだえていた。

「バカ息子も駄だ弁べってねえで、さっさと楽器運びを手伝いやがれ」

「はいはい」

 この怒った口調は照れ隠し……息子の俺には分かるんだ。面と向かって礼を言うと増々怒るから、いつもと変わらない尻敷かれ息子を振る舞う。

 俺一人では成しえない。様々な人に用意してもらった大舞台。

 鞘音は来る。来てくれ。

 俺とエミ姉ねえはトミさんの車を借り、楽器の運搬をひたすら進めた。

「ドラムセットは重いけど……修くん一人で大丈夫?」

「任せてください。これでも男子なので」

 なーんて格好つけたものの、くっそ重たいんですが。

 エミ姉が要塞カスタムしていたドラムセットを一時的に分解し、ドラム用の専用バッグに収納。エミ姉の運転にて公民館の駐車場に運搬したあとは、控室へ搬入するために持ち運ぶんだけど……想像以上に負担が伸のし掛かる。

 ハイハット、クラッシュ、チャイナ、スプラッシュ、ライド。シンバル類だけで計十三枚。各種タムとスネアが計九つ。バスドラは無駄に三つもあった。

 母さんも軽トラで運搬を手伝ってくれたものの、三往復以上はしたぞ……。

「エミ姉……こんなにシンバルいる? あとバスドラ三つもいらなくない?」

「いるよぉ! 三つ目のバスドラは二十インチだから、二十六インチと比べて音が違うし」

 普段は穏やかなエミ姉から熱烈に反論された。

「まあ、正直ビジュアル重視だねぇ♪ ワタシのセットは見た目オンリーだからぁ」

 ですよねー。それでこそエミ姉らしい。というか、エミ姉の実家って金持ちだよね。

「ドラム関係はワタシが運ぶから、キーボードとか弦楽器をお願いしてもいいかなぁ?」

「……すみません」

 気を遣ってくれたエミ姉が、代わりにドラムのバッグを持ってくれた。俺、かなりダサくない? 力仕事で気を遣われる男子ってゴミ以下だろ。

 インドアなニート生活により、すっかり全身の筋肉が衰えているらしい。

「重てぇもんはアタシが運ぶから、お前はライブの衣装でも運んでろ」

「うっす」

 荷受けを手伝ってくれた母さんからも戦力外通告。

「容体が安定していても、お前は病人なんだからよ。あんま無理はすんな」

「……ありがとう。無理はしないから」

 病気のことは母さんしか知らないから、違う意味で気遣ってくれる。発覚から一週間以上は経たったが、最近は大きな自覚症状はない。

 無理しない……という保証はできないけど、せめて自分が使うシンセくらいは運ぼう。

「弱い者は戦場で生き残れナイ。ココが中世ヨーロッパなら……死んでいたゾ」

「はぁ、情けないです」

 軽々とギターを担ぐリーゼ師匠を見習いたいぜ。

 ギターとベースは、持ち代え用のチューニング違いや予備を含めて、各三本以上も持ち込んでいる。ひーひーと弱音を漏らしながら、ようやく楽器や付属品をすべて搬入。

 少しでも体力を回復させるため、畳張りの控室に寝転がった。

「ここまで準備して、ゲストの存在を匂におわせて、あいつが来なかったら……泣けますね」

「鞘音ちゃんのこと? きっと来ると思うよぉ」

 妙に楽観的なエミ姉。スマホの画面を流し見ながら、微かすかに口角を上げた。

「あと、すみませんでした。せっかく協力してもらったのに、無駄なPVになってしまって……。使いどころがありませんよね」

「ううん、無駄なんかじゃない。修くんの想おもいは誰かに伝わってるよ、きっと」

 首を左右に振り、エミ姉が励ましてくれる。がむしゃらに走り回っただけの男は……その労ねぎらいだけでも報われた気がした。

 なんにせよ腕や足が痛いし、昼ごろまで休憩を……。

「遊ぶゾー。遊ぶゾー」

 しかし、リーゼの妨害が発生。うつ伏せに寝そべる俺の背中に跨またがり、小柄な身体からだを揺らしてくる。重くはないけど、勘弁してくれー。

「ママー、シュウー、遊ぶゾー」

「はいはい、分かったからぁ」

 駄だ々だをこねる娘に根負けしたエミ姉が立ち上がり、母親らしくリーゼの右手を引いた。

「せっかくだから、修くんも一緒に行かない?」

「もちろん行きます」

 単純な生き物だな、男というものは。休憩より女性の誘いを優先してしまうなんて。

 疲ひ労ろう困こん憊ぱいの身体に鞭むち打うち、リーゼの左手を握る。夫婦と子供、みたいな未知の感覚を味わいつつ、三人で展示品を観覧したり、和太鼓や合唱などのステージ発表を鑑賞したりした。夫が実行委員の仕事をしている間に、妻や娘を連れ出す男…………不倫かな?

 一方の母さんは、鞘音の母さんと仲良く雑談を──

「おいこらぁ、桐きり山やまァ、てめぇ。卒アル写真をエミリィに横流ししてんじゃねぇよ!」

「してないしてない。お茶を飲みながら~、卒アル片手に歓談しただけよ~」

「尻出せ。蹴る」

「いよりんの照れ隠しも可愛かわいいんですけど~♪」

「いよりん言うな! 黒歴史を拡散させるのはやめろ、やめてくれ、頼みます」

 うん、仲良く……かは知らないけど、同級生なので和わ気き藹あい々あいとしている。その他の同級生も何人か来ていたらしく、プチ同級会みたいなグループになっていた。

 しかし、会場に足を運んでくれた人たちは、平均年齢五十代の地元民が大半。顔かお馴な染じみというか、人生で一度は見たことがある古い顔ぶればかり。

 宣伝もチラシやHPのみだし、市内の中心部に住む人々が片道四十分以上かけて見に来る規模の祭りとは思えない。地元の子供や若い連中が、もっと興味を持ってくれれば。

 鞘音の家にもう一回だけ行ってみるか? あの調子では平行線で終わるだろうけど。

「はいタッチ! バーリア! ビームタッチは禁止だぞ!」

 公民館の隅っこや駐車場を遊び場に、鬼ごっこをしている子供もいるにはいる。祭りを見に来たというよりは、遊ぶ口実が欲しかっただけみたいな気もするが。

 鬼ごっこをしていた子供たちの一人が、こっちに駆け寄って……。

「ニート兄ちゃーん!」

 陽よう介すけじゃん! ホントに来てくれたのか!

「友達から聞いたんだけど、SAYANEが歌うってほんとう?」

 突拍子もない質問をされたから、一瞬戸惑った。

「兄ちゃん、SAYANEと空き地で遊んでたでしょ? なにか知らないの?」

「んー? そんなに仲良くないから知らないなぁ……」

「お揃いの服だったのに?」

「どっちも同じジャージしか持っていないだけだ」

 キックベースをしていた場面を見られていたらしい。あいつは出身地を公開しているから、地元の子供にも認知されているのは理解できる。それより、チラシ等では鞘音の名前を明かしていないはずなのに、噂うわさが広まっているのは解せない。

「今日の演奏……リーゼが出るんでしょ? 応援してるって……伝えてくれよ」

 リーゼへのチラ見を繰り返し、消え入りそうな声で呟つぶやく。なるほど。SAYANE目当てというのは、こいつなりの照れ隠しか。ああ、初々しすぎて背中が痒かゆい。

「恥ずかしいのは分かるけど、そういうのは自分で伝えないとな。まだ手の届くうちに、声を聞いてもらえるうちに〝好き〟って伝えないと……後悔するから」

「か、勘違いすんな! あんなやつなんか好きじゃねーってば!」

「子供のうちは分からないけど、もう少し大人になれば気付くと思うぞ」

 そんな資格はないのに、偉そうな戯たわ言ごとを口走ってしまう。恋愛方面に疎いリーゼはきょとんと棒立ちし、陽介は頰ほおの紅潮を誤ご魔ま化かすように逃げ去った。

「修くーん、そろそろお昼でも食べよう」

 いつの間にか、時計の針は正午近くを指していた。

「わーっ! エミリィお姉ちゃんだーっ!」

「エミ姉に近づくんじゃねえ! 飴あめでも舐なめてろガキが!」

 子供の特権を利用し、エミ姉に群がろうとしたエロガキどもを追い払う。こいつら、小学校時代の俺と思考回路が同じなのでは……。

 エミ姉にお誘いされたため、一ひと先まず地元のドライブインへ。さっきの空気を察し「修くん……あれって小学生の恋だよね? 娘の青春だよねぇ!? きゃーっ!」と、無駄に舞い上がるエミ姉を宥なだめつつ、リーゼを含めた三人で名物の味み噌そラーメンを堪能。

 再び公民館へ戻ってくると──

「なんだ……これ」

 俺とエミ姉は何度も瞬まばたきを繰り返し、自分の目を疑う。

 午後一時を回った現在、駐車場がほぼ満車になり、家畜市場跡地にも車が連なっていた。

 地元の県ナンバーに加え、周辺県や関東のナンバーまで見受けられる。静かなる温泉街の旅名川にここまで車が群がる光景は、二十年の人生で遭遇したことがない。

「ありゃあ! なにさ、これぇ!?」

 通りかかった地元の爺じいさん婆ばあさんも、そりゃあ驚くだろう。無駄に参列者が多い田舎の葬式でも、こんなに人は集まらない。誰の目から見ても、午前より人の増加は顕著に表れているし、若い奴やつの割合も格段に増えてきた。

 旅たび中ちゆうの生徒も続々と駆け付けてきたし、標準語使いの見慣れない若者もいる。関西弁や九州弁などの使い手も少なくない。

「ほうほう、なるほどー。押し花は奥が深いねー」

 混雑してきた会場を見渡していると、小学生に混ざって押し花体験コーナーにいる中年男性を発見。祭りに来るかどうか、微妙な返答をしていた教頭だ。

「杉浦先生っ! 子供に混ざって何してんだぁーっ!」

「う、うわぁ……び、びっくりしたー」

 お茶ちや目めなエミ姉が背後から肩を摑つかむと、飛び上がるように驚いた教頭。

「教頭先生のおかげで、旅中の生徒も結構来てくれたみたいです。ほんと助かりました」

「いいや、僕はほとんど何もしてないさー。地元の文化や祭りに触れるのも授業の一環だと思うし、教育者としては推奨していきたいよねー」

 俺が頭を下げると、教頭は謙遜しながら頷うなずく。

「でも、僕が来たのは個人的な趣味のためだよー。五年前の感動が忘れられないからさー」

「……鞘音、来る気配ないですよ」

「ははっ……大丈夫さー。この雰囲気、異様だとは思わないのかいー?」

 周囲を見渡した教頭が、心なしか僅かに声を弾ませた。

 普段は閑散とした公民館がライブハウスのような高揚感を放ち、用意したパイプ椅子に座りきれない人々が立ち見の壁となっている。

 老若男女が五百人……いや、まだ増え続ける可能性も。

「起きるよー、嵐が。彼女はねー、人を惹ひきつける唯一無二の才能がある」

 普段は無気力で眠そうな教頭が、興奮を込めた拳を震わせていた。

 嵐……か。起こせるのかな、こんな小さな田舎町で。

「起こすんだよ、君がー。気分屋の暴風を支配できる絶対的な存在が、君だ!」

 いやいや、音楽好きの思考は理解しかねる。なぜ、俺は過大評価されているのか。東京で鞘音が売れたのは、鞘音が頑張ったから。あいつの努力だ。

 鞘音と離れてから、歌声を聴くことすら遠ざけてきた。そんな俺が作った曲なんて、思い出したくもないだろ……。

「そういえば今朝早く、桐山さんが中学校に来ていたねー」

「えっ? どうしてですか?」

「僕はよく分からないけど、キミはそのうち分かるんじゃないかなー?」

「いやいや……エスパーじゃないので分からないですよ」

 いずれ東京に戻るから、母校の面影を覚えておきたい……そんなところだろうな。

「杉浦ァっ! おいおいおい、老けたなァ!」

「……う、うわぁ……またヤンキーがー」

 声を張り上げながら、教頭の肩を抱いたのは母さんだった。

「依夜莉さんも杉浦先生を知ってるんですかぁ?」

「知ってるも何も、こいつはアタシの担任だったしな。もう二十五年前くらいか?」

 母さんが中学の頃ということは、教頭はだいたい三十代の頃か。

「依夜莉に育てられたのに、そこにいる息子は真面目な生徒で助かったよー。正清なんて依夜莉の影響受けまくって、学校はサボるわ、他校の生徒と喧けん嘩かはするわでー」

「おい、どういう意味だ、おおん? 手間がかかる生徒ほど可愛いんだろぉ?」

「あっあっ、ヤンキーは、なぜ背中を叩たたくのかー」

 ポンポンと母さんに背中を叩かれる教頭だったが、嫌がっている素振りはない。なんだかんだで、教え子との再会を満喫しているようだった。

 そういえば、父さんの葬式にも参列していた覚えがある。おぼろげだけど、この二人が並んでいる様相はデジャブじゃない。

「いろいろ迷惑かけたし、弱いところも見せたけどよ……今は息子と楽しくやってっから。今日は杉浦を唸うならせるサプライズに期待してろや」

「そうかー、それはそれは、楽しみだー」

 教頭が自然に笑みを浮かべる。

 見るからに安あん堵どし、心配事が取り払われた柔らかい微笑ほほえみを。

 こういう懐かしい出会いもある地元の祭りが、ずっと続いてほしい。そう願う。

「修くん、そろそろ着替えとかしようかぁ」

「あっ、そうですね」

 本番まで一時間を切ったため、衣装等の準備を始めなければいけない。教頭と別れた俺たちは控室に戻り、女性陣は更衣室代わりの小部屋へ移動した。

 緊張のためか、無性に喉が渇く。観客の前で演奏をするのが久々だから、当然と言えば当然だ。勝手に指先が震えるし、心音は破裂しそうなほど高鳴る。

 息を吸うたびに揺れる喉へ空気を取り込み、肩の強こわ張ばりを宥めながら深く吐いた。

 こんなんじゃ、絶対にミスをしてしまう。どうにか、落ち着かなければ。

 孤独な男子は控室に残り、エミ姉が用意した衣装に着替える。黒スーツに黒ワイシャツというモノトーンコーデは、松まつ本もと修という残念な素材をカジュアルに偽装した。

 俺が着替え終わると、女性陣も控室に戻ってきた。

「じゃーん、どうかなぁ?」

 女子っぽく両手を広げながら、衣装を強調するように一回転したエミ姉。

 自作と思われる衣装は、ダークな色合いの生地にお洒落しやれなフリルが施され、演奏予定の曲調ともベストマッチ。神々しい天使な容姿との化学反応がたまらない。

「素晴らしすぎて最高すぎます」

「わーっ、ありがとぉ♪ 年齢的にきついかなーって心配だったんだぁ」

 とんでもない。子持ちの人妻なんて思えない若々しさと美貌ですよ。

「……あ、アタシはさすがにきつくねーか?」

 まさかの母さんまで衣装を着るとは。滅めつ多たにスカートを穿はかないからか、着心地が悪そうに裾を押さえていた。

「……うん、きついよね」

「少しは気ぃ遣えや、タコ。やっぱりズボン穿いてくっかな」

 ドスを効かせた口調で怒られたんですが。

 正直、全然きつくはないというか、下手したら大学生に間違われても不思議じゃない透明度。素肌は美麗で身長も高いし、地元の中坊どもが見み惚とれるのも分からなくはない。

 リーゼは私服がゴスロリなので、いつも通りだなーという感想。明確に大きい瞳と相まり、西洋人形を彷ほう彿ふつとさせた。片田舎で腐らすには勿もつ体たいない黄金の原石と言えるだろう。

「本番三十分前だから、ステージに楽器の搬入を始めてけれ。他のステージ発表は終了して暗幕は降りてるから、じゃんじゃんセッティングしちゃっていいど」

 トミさんの指示を受け、俺たちは控室に置いていた楽器の移動を開始。トミさんや実行委員にも手伝ってもらい、ステージがあるイベントホールへの搬入を進めた。


 本番五分前、あいつの姿はない。

 ステージ上へのセッティングが完了。暗幕で見えない観客席側からは、物々しいザワつきが絶えず聞こえる。数十人の老人が腰掛けていた例年とは、漂ってくる雰囲気が違う。

 俺たちは舞台袖で待機。トミさんが観客へ向けて「本日のメインイベント」と煽る声も、次第に遠ざかっていく感覚に陥った。

 緊張、不安、失敗後の酷評、精神的主柱になる者の欠如。

 逃げ出したほうが、最初からやらないほうが、誰も傷つかなかったのか。

 今さら本気を出しても、足搔あがいてみても、遅すぎたのか。

 俺は一生、あいつに許されないのだろうか。




 …………

 ……!!


 なんだ、この割れんばかりの歓声は。

 地鳴りの如ごとき反響は。

 旅名川という場所はな、運動会以外で声援の衝撃波など発生しないんだよ。

 居ても立ってもいられない。

 俺は公民館の出入り口へと──一心不乱に走らざるを得ない。

 やはり、お前か。

 ライブ衣装を身に纏まとった女が、愛用の三輪自転車で乗り付けている。

 なんだよ、こいつ。

 大型自動二輪で来た、みたいな謎のオーラを出すんじゃねぇよ。

 潤った髪を優雅に払いながら、自転車用のダサいヘルメットを脱いでいる場合か。

 いちいちチェーンロックをかけているけど、誰も盗まないって。

 ふざけるな。制御できない。

 興奮物質の過剰分泌が、俺のテンションを異常に狂わせる。

 こんなにシュールな登場にも拘かかわらず、強制的な武者震いが止まらないんだ。


 めちゃくちゃ、カッコいいじゃないか。


「ひと暴れ、しにきたわ」


 寡黙に澄ました鉄仮面の表情を繕い、そう言い放つ。

 しかし、熱情を隠し秘めた仮面の奥底。

 確かな自信と培った経験が宿った純粋な瞳で、俺を見据える女の名は──桐山鞘音。

 俺と鞘音なら、どんなことでもできる。

 どこまででも、いける。


「やってやろう。俺と、お前で」


 もはや不可能など、ない。

 どんな不安も、苦しみも、鞘音の背中が搔かき消けしてくれる。

 今日だけは、五年前に戻ってもいいよな。

 大爆発を起こしそうな歓声と期待は、旅名川に上陸した暴風の前触れ。

 鞘音の手を取り、クライマックスの開幕を迎えるステージへと駆け上った。


 田舎の公民館は顕著にキャパオーバー。膨大な観客を搔き分けて登壇した俺と鞘音は、舞台袖で待機していたメンバーと合流する。

 エミ姉の発案で五人は手を繫ぎ、簡易な円陣を構成すると、

「不安そうなバカ面で、わたしを待っていたやつがいたようね」

 さっそく、辛辣な嫌いや味みを投げつけてきた鞘音。

「もしかして……俺以外は知っていたんですか? 鞘音が来るって……」

 各々が頷いたり、微笑ほほえんだり。

 知っていたな……この人たち、内緒にしてたんだ!

 鞘音が事前に衣装を着ていたのも、エミ姉あたりが秘密裏に届けていたからだな!

「今日の朝にはメールをもらってたんだけどさぁ、修くんには内緒にしてほしいって」

 ひでぇ。俺だけが無駄にハラハラしたり、気を揉もんでいたとか。

「……主役は遅れてきたほうが、最高にカッコいいでしょう?」

「ほんと勘弁してくれ……」

 悪びれもせず言い放つ鞘音に、ぐうの音もでない。ちくしょう。

「要するにぃ、修くんだけに自分をカッコよく見せたいっていう、拗こじらせた乙女心──」

「あっ!! エミリィさん!!」

 ニッコニコで補足しようとしたエミ姉を、鞘音が猛獣のように威嚇した。

 絶叫に搔き消されて、ほとんど聞こえなかったぞ……。

「……ごほん、浮かれる時間はここまでよ」

 あれ、遅れてきた奴やつが咳せき払ばらいしながら仕切り始めたぞ。

「地元のためとか、わたしにとってはどうでもいいの。歌いたいから歌う。それだけ」

 五人の視線が交錯し、全員が頷うなずいた。

 開演を待つ観客の不気味な静寂に包まれる中、俺は呼吸を整えながら、

「燃え尽きるまで暴れるぞ!」

 一気に喉を震わせる。繫いだ手を「せーの」と振り上げて、全員の『しゃあぁ!!』という掛け声と同時に、振り下ろしながら離す。

 暗幕の内側を覗いたトミさんと、準備完了のアイコンタクト。この人がいなかったら、俺と鞘音が並び立つことはなかった。この数分間が、俺流の恩返しになってほしい。


 そして、分厚い暗幕が──ゆっくりと上がる。


 不規則に散開した無数の流れ星ムービングが、曇り模様スモークを一直線に突き抜ける人工の夜空。

 上下左右から掃射されたのは、網膜が焼き爛ただれそうな眩まばゆいPARライト。スモークマシンの薄い煙が光の道筋を過剰に演出し、壮大なライブ感を際立たせる。

 公民館のホールなんかじゃない。

 ここはもう、桐山鞘音が降臨したライブステージ。

 ホールの窓は黒い布で覆われ、照らし出されているのは五人の地元メンバーだけ。

 両サイドに散ったギタリストとベーシスト。後方から見守るドラマーとキーボーディスト。スタンドからマイクを捥もぎ取り、中央に陣取ったボーカリスト。

 逆光のため観客の姿は暗闇とほぼ同化し、ステージからはシルエットしか見えない。しかし、膨大な熱量と期待値は全身の神経を興奮の虜とりこにした。

 膨れ上がった人間の火薬に着火できるのは、俺たちだけだ。

 起こそう、嵐を。熱気の暴風を。


 エミ姉がスティックを振り上げ、ハイハットで4カウントを打つ。

 フロアタム、スネア、バスドラの導入が道筋を作り、時折ロータムを左手で交えた。

 フィルインを合図に、一音半下げのギターとベースが共鳴。

 リズム隊が構築する下地を、リーゼの小生意気でヘヴィなリフが突き抜け、低音の軋きしみがバッキングを重厚に装飾していく。

 立て。パイプ椅子に座っている奴ら、全員立ち上がれ。

 加速していく旋律に比例する歓声と、突き返されるような熱気の反響。鼓膜を揺さぶる音をもっと、もっと、鍵盤を掌握する指で、聴く者を前傾姿勢に導け。

 前奏で満足するな。鞘音の歌声が放たれた瞬間、膨張した空気に生じた亀裂。

 破裂を促すのは 観客の突き上げた拳と雄お叫たけび。魂が煽られる。声援の激流に屈しないために、俺たちも躍動をやめない。

 頭を振り乱しながら、視界を激しく振動させる。

 鞘音のテンションが最高潮に達し、ホールに巻き起こる暴風。目つぶしミニブルで照らし出される大歓声の集合体。

 老人も曲がった腰を酷使しながら、寿命を擦り減らすかの如く叫ぶ。教頭って、あんなに頭を振る人だったんだ。

 ソロに突入するや否や、リーゼの細指が繰り出す精密なタッピング。エミ姉の高速タム回しはヘッドの破壊も辞さず、ドラムの悲鳴が聞こえそうなほど。

 魅せる。音楽に愛された母娘おやこがパフォーマンスを魅せつける。

 煽あおり。鞘音の灼しやく熱ねつな絶叫は、数千の観衆を絶頂へと誘いざなう速効性の愛あい撫ぶ。

 お前らのすべてをぶつけろ。

 俺の、俺たちの、集大成をぶつけてやるから。

 二曲目は恋人の別れと春の桜をイメージしたバラード。弦楽器をレギュラーに持ち替えた前奏は、どこか和風な物悲しさ。リーゼが放つフィードバックの歪ゆがみに刺激され、身体からだの感覚が、すべての雑念が、痺れたように痙けい攣れんする。

 音の世界に、意識が没頭する。

 二枚組のシンセサイザーを最大限に活いかし、アコースティックピアノとストリングスの音おん色しよくを巧みに使い分け、観客の網膜と鼓膜を釘くぎ付づけにした。

 あれだけ暴れていた人間の群れが、直立不動で聴き入っている。

 時折、エミ姉や母さん、リーゼと目が合う。俺はどんな表情をしているのだろう。彼女たちみたいに、心から楽しそうに微笑んでいるのかな。

 鍵盤に滴り落ちた無数の汗粒が、照明の光を幻想的に反射した。足りない。失われた五年間を取り戻すには、まだまだ足りない。

 あいつと同じ速度では歩けなかったけど、あいつが同じ速度で歩いてくれる──今だけの儚はかない奇跡。この景色を、俺は一生忘れない。

 記憶から消し去った鞘音の歌声を、俺はもう、絶対に忘れない。




 余韻に浸りながら、啞あ然ぜんと見渡す。八分なんて瞬く間に経過してしまった。

 本当に二曲も弾いたのだろうか。まるで実感がないけれど、割れんばかりの拍手とアンコールが沸き起こったということは、最後まで弾き切ったということだろう。

 立ち尽くしていた鞘音だったが、舞台袖から予備のギターを引っ張り出してくる。

 手にしたギターを構えると、スタンドマイクを口元へ手繰り寄せた。

『──はじめまして。メジャーデビューを夢見る無職の鞘……サヤネロです』

 思わず、吹き出してしまう。サヤネロって……もう少しマシな偽名を使おうぜ。

 身バレ防止のために考えた設定だと思うけど、観客にはとっくの昔に見破られている。大半の若者が「SAYANEー!!」とか叫んでいるし。

『──わたしは、この旅名川で生まれ育ちました。小学生の頃、幼おさな馴な染じみの真似まねをして音楽教室に通い始めたり、中学生になったときには一緒に曲を作ったり……していました』

 過去形……当たり前か。

『──今日は、今日だけは昔に戻ったような……純粋に楽しみながら、歌うことができたと思います。まだ〝独り〟で歌うのは苦しいけど……いつか、皆さんの前に戻れるように強くなりたい……わたしは……』

 俺の位置からは、ステージの最前に立つ鞘音の表情は読めない。


『──最後の曲です。〝be with you〟』


 でも、彼女の声が震えているのは、消えそうに擦かすれているのは、誰のせい……なのか。

 踵きびすを返した鞘音は、薄らと微笑んでいた。

 アンコールの曲名を表した唇の動き。鞘音は再び俺たちに背を向けるも──振り返った瞬間に頰ほおを伝う一筋の雫しずくが、俺の瞳に焼き付いて、胸に鈍痛を刻み込む。

 先日、鞘音が旅中で口くち遊ずさんでいたオリジナルの詩。

 二人で作った、二人が共にいた、たった一つだけの足跡。

 ──ここから、すべてが始まった。

 メイン照明が全消灯し、桐山鞘音ボーカルと松本修キーボードをピンスポの光線が狙い撃つ。

 モノクロの鍵盤に指を添え、ピアノの音色を奏でる。

 左指でコードを弾き、右指で上モノを付加。恋人の肌に触れるくらい慎重に、優しく抱擁するように、最初のハードな楽曲とは対極のメロディライン。

 前奏のピアノソロに合わせて、鞘音が緩やかに歌声を乗せた。

 歌詞に自分を重ねながら、あるいは幼馴染みの男を重ねながら、鞘音は激情の想おもいを歌に変える。サビではステージ照明が点灯。すべての楽器が一斉に物語を描き出す。

 鞘音も加えたツインギターは美しく交差し、スローテンポのドラムとベースが、脆ぜい弱じやくな少女の背中をそっと支えた。

 あいつは、泣いている。

 たぶん、瞳に涙を溜ためながら、精一杯の声を絞り出している。

 俺は鞘音の声を届けるだけ。

 アウトロのピアノを弾き終えるまで、あいつの歌を受け止めるだけだ。


 ******


「かんぱーい!」

 ライブの後、会場の撤収作業を終えたトミさんが合流。俺の家に集った六人が飲み物を片手に、祭りの打ち上げを始めた。大量の酒や清涼飲料水の他に、地元の住民にもらった差し入れや特産品などもテーブルに並べられている。

 エミ姉の手料理、うめぇ。これさえあれば何もいらない。特産品には目もくれず、俺はエミ姉が手作りした羽根つき餃子ぎようざや蓮れん根こんのはさみ揚げなどを堪能していた。

「いや~、お疲れさん。もう盛り上がりまくってなぁ、祭りは大成功だったどぉ」

 お疲れながらもご機嫌なトミさんが、枡ますに注つがれた地酒を口に含む。

 明日から仕事なんだから程々にしてねぇ、とエミ姉に釘くぎを刺されているのが、夫婦らしくて微笑ましい。そうか、世間は明日から仕事か。俺には無関係だった。

「結局、祭りには何人が来たのぉ?」

 エミ姉の質問に、頰を釣り上げたトミさん。

「なんと、五千九百人ぐれぇ! 例年は三百人で大御礼だから、恐ろしいことなんだど!」

「……わたしの知名度も大したことないのね」

「いやいや……旅名川の人口を遥はるかに超えているんだけども。ここら辺なら一つの町くらい作れるレベルだべや」

 鞘音はいつもと変わらない質素な様子に戻っていた。ライブの言葉や涙が、未いまだに記憶に焼き付いて離れない。

 ひょっとして、あれは夢だったんじゃないかと思ってしまう。

「あのSAYANEが旅名川祭りから再スタート! みたいな謎の付加価値が付いてな! ネットの検索ワードも『旅名川』が急上昇してたどーっ!」

 トミさんが浮かれる気持ちも理解できる。人気絶頂の中で活動休止し、地元に帰ってゲリラライブするという原点回帰のような流れは、大きな付加価値になり得る。

 教頭みたいな古参ファンが多いんだろうか。旅名川周辺で活動していたインディーズ時代のほうが好きだった、という物好きが。

「旅名川にごちゃごちゃと人が集まったのを、生まれて初めて見たっつーの。東京方面の奴も多かったみてーだし、どんな魔法を使ったんだか」

「依夜莉姉さんの言う通りっすよね! チラシとかWEBサイトで宣伝はしたけど、SAYANEって名前は出してないっすもん!」

「鞘音ちゃんが歌うってことバレバレだったよねぇ」

「小娘、友との盟約に誓ッテ白状するべきだゾ」

 折り畳んだ膝上にリーゼを乗せながら、黙々とシソ巻きを食べていた鞘音。

 その本人を、俺たちは一斉に凝視する。

「……別に大したことはしていないわ。SNSに写真をアップしただけ」

 粗雑にそう言いながら、鞘音はスマホ画面を掲げた。SAYANEの公式アカウントには【旅名川祭り 突撃してきます】という短い投稿文と画像が添付されている。

 ……旅中ジャージを着た鞘音が、愛機の三輪自転車に跨またがっている写真。

 この無自覚な天然さも、大勢のファンに愛されている理由の一つに違いない。

「そのスマホ……まだ変えてないんだな」

「……壊れないうちは、機種を変える必要がないだけよ」

 見覚えのある古いモデルの機種に、思わず反応してしまって。バツが悪そうにした持ち主は、瞬時に引っ込めてしまう。

 俺の突発的な呟つぶやきからは〝喜び〟が滲にじみ出た。素直な気持ちを表情へ変換することができたなら……かつては、どう変換していたんだっけ。もう……忘れてしまった。

 高揚の空騒ぎに紛れ込む一抹の寂しさ。

 いつの間にか、スマホを使い熟こなしている鞘音に対して、だ。自由に写真を撮ったり、SNSを一人で運営したり──俺はそんな姿を知らないから。

「ぎゃっはっはーっ! 鞘音のギャグセンス半端ねぇべ! さすが元チャリンコ暴走族!」

「うるさい。黙れ。口を閉じろ」

「はい、ごめんなさい」

 八歳も年下の鞘音に睨にらまれ、すぐに平謝りという究極にダサい元ヤンがいる。

「リーゼぇ! 鞘音ったら、すーぐ怒ってよぉ」

「リーゼ、疲ひ労ろう困こん憊ぱいなノダ。平民は黙っテ、ジュースを献上シロ」

「はい、お疲れさんでした」

 リーゼのコップにコーラを注ぐ召使いトミさん、ほんとダセぇな。

「つまり、この投稿を見た数十万人のフォロワーが、旅名川祭りを急きょ検索したってわけだっちゃ。投稿日は今朝だから、やっぱり六千人近くが実際に集まったのは脅威だべ」

「東京から高速を使っても五時間以上かかるし、新幹線とローカル線とタクシーを乗り継いでも三時間半ってところだから……凄すごいと思う」

 俺はそう分析する。実質、SAYANEのフリーライブと同等のイベントだし、前もって投稿していたら、一万人クラスになっていたりして。

「……昨日の段階では祭りに行くつもりなんてなかった。寝て起きたら気が変わったから投稿しただけよ」

 鞘音は低いトーンでそう呟いた。

「鞘音ちゃんには感謝しまくりだよぉ。ライブの後ね、ウチの音楽教室に問い合わせがどんどん来てさぁ、今度、体験レッスンを開くことになったんだぁ♪」

「わ、わたしは歌っただけですし。でも、エミリィさんが喜んでくれるのは嬉うれしいです」

 エミ姉に満面の笑みで感謝された鞘音は、はにかんだ視線を逸そらす。

 ライブの直後、エミ姉が音楽教室を宣伝したのだが、小学生や親が集まってきて大盛況だった。「どんな楽器を練習できるんですか?」「お姉ちゃんたちみたいに上手うまくなれますか?」「ウチの子に教えてほしい」など、興味の眼まな差ざしを向けてくれたらしい。

 旅中の生徒も数人ほど混ざり、詳細を窺うかがいにきたのは予想外だったけど。

「旅中の子が音楽に興味を持ってくれたのも嬉しかったなぁ。閉校前に何かイベントがしたいと思っていたらしいから」

「閉校の年に旅中の伝統が復活しそうで良かったですね。俺たちが卒業した後は誰もやってなかったみたいですし」

「マジ、それな。アタシは仕方なーくお前らに協力してやったが、そういうきっかけになれたのは悪くないと思ったぜ。首とか肩が凝るから、もうゴメンだけどよ」

「そんなこと言って、母さんは演奏中ノリノリだったでしょ……いてっ!」

 息子に痛いところを突かれたからか、指鉄砲で輪ゴムを発射してくる母さん。ガキかな。

「リーゼも何人かお友達できてたでしょう? 良かったねぇ♪」

「友はいらナイ。弱くなってしまうからナ」

「ウソばっかりぃ。通信アプリで連絡先を交換してたの知ってるよぉ?」

 自分のことのように喜んでいるエミ姉。

 そういえば、リーゼはモテモテに近い反響だったな。小学三年生が凄すさまじいテクニックとパフォーマンスを披露したのだから、クラスの人気者になるのも頷うなずける。

 鞘音目当てに訪れた観客がリーゼにも見み惚とれ、ライブの動画を拡散させているという話題もネットで見かけた。噂うわさをすれば、リーゼのスマホが「ピコン」と鳴る。

「……メッセージ届いタ。戦場の友からダ。どうすればイインダ」

「俺が言うのもアレだけど、友達からのメッセージは返したほうがいいぞ」

「ふむむ……戦士には休息も必要なのかもシレン」

 戸惑い気味ながらも、リーゼは慣れない手つきで返信のメッセージを打つ。

 交友関係の狭いニートが、生意気にアドバイスするのは滑稽だけどさ。

「戦場の友が弟子入りしたいッテ」

「わぁーっ♪ リーゼ師匠の誕生だぁーっ♪」

 エミ姉が飛び跳ねながら大喜び! 大人なのに無邪気でいちいち可愛かわいいなぁ!

「で、で、で! 弟子の名前はぁ? 男の子? 男の子でしょ?」

「ヨウスケ」

 エミ姉が「きゃっ!!♪」と、年とし甲が斐いもなく悶もだえる。リーゼは無表情でまったく意識してないようだが……一ひと先まずは男を見せたな、陽介。

「……我が子のリーゼちゃんに友達ができるのは、ちょっと寂しい」

 鞘音、お前は何ポジションなんだよ。

「彼氏なんて認めねえど! うぅうっ……リーゼはずっとパパの家で暮らすんだぁ……」

 無様に泣き始めたトミさんを全員がスルー。

「それにしても、ライブの盛り上がりは半端じゃなかったよな! 観客席に降りて行った鞘音が揉もみくちゃにされたりよぉ、マジで怖かったどぉ!」

 トミさんはすぐに立ち直り、観客の盛り上がりを思い出してビビっていた。

 一曲目の2ツーコーラス目では熱量が極限に達し、鞘音が観客席に走って降りていったから、六千人近くが一斉に群がったのだ。

 ライブ直後には、リーゼが観客の海原へダイブ。転がるように波乗りしていたのが青春パンクみたいだったとはいえ、俺も真似まねして飛び込んでしまうとは。白熱した鞘音に触発されたのか、余韻に身を任せたのか……柄にもなく羽目を外してしまった。

「修のやつ、観客に避よけられて床に落下してたべ!? あれは笑ったぁ!」

「笑うなよ……! マジで恥ずかしかったんだから……!」

 あいつら……リーゼは受け止めて転がしたくせに、俺が飛び込んだら俊敏に避けやがって!! 膝を強打してめちゃくちゃ痛かったんだが!! 俺が美少女じゃないからか!!

「ふふっ……」

 鞘音が口元を押さえながら肩を震わせている。思い出し笑いしないでくれぇえええ……。

 しかし、俺にとっては後味の爽やかな出来事もあった。陽介が「ニート兄ちゃんもカッコよかった!」と、称賛してくれたのだ。

 褒められ慣れていない人生なので、思い出すと無気味に笑んでしまう。

 中古のルウィッチくらいなら買ってあげようかな……?

「アタシも、あと二十歳若けりゃ飛び込んだのになぁ。さすがにオバサンが降ってきたらキツイだろーし、息子みたいになったら悲しいから自重したわ」

「いやいや、依夜莉姉さんのダイブはご褒美っす! 俺なんて小学校の頃から、依夜莉姉さんの豊満なお身体からだをお触りしたいっすもん! おっぱいとか全然垂れてないっすよね!」

 やべぇよー、後輩の母親に言うことじゃないよー。

 トミさん、絶対に酔っ払ってる……。

「エミリィ、そのバカを押さえてろ。お望み通りダイブしてやる」

「はーい♪ ウチの旦那が失礼してすみませーん」

「や、やめてけろっ! あっ、あっ……あああああああああっ!」

 作り笑顔が怖いエミ姉から羽交い絞めにされたトミさんは、酔った母さんにラリアットをお見舞いされる。あぁ、この姉御と舎弟の距離感が懐かしすぎて……。

 というか、母さんも「息子みたいに」って。ひどい。トラウマになるよ、ほんとに。

「キモチワルイ平民に裁きを与エル。七つの誓約にヨリ、罪を償って懺ざん悔げするベシ」

「リーゼぇ……重でぇえええええ……許してけろぉ……」

 うつ伏せに倒れ込んだトミさんの腰上に、どっかりと座るリーゼ。

 それをエミ姉が呆あきれた様よう子すで見守る光景は、まさに理想の家族。トミさんも口先では痛がりながら、言動の節々は幸せそうに蕩とろけていた。

 ほろ酔いした勢いで嘆かせてくれ。羨ましい。数ヵ月前まで大学生だったから結婚とか子供とか、いまいち現実味がなかったけど……素直に憧れる。

 宅飲みらしいカオスな雰囲気の傍かたわら、俺は緊張を解ほぐすために飲料水で口内を潤した。

「鞘音……その、あの……」

 単純な感謝の言葉が喉に痞つかえる。

「……なに? 言いたいことがあるならハッキリ言って。苛いら々いらするから」

「今日は……ありがとう。お前のおかげで、皆が笑顔になったっていうか……」

「……だから、大したことはしてない。実行委員を含めて、いろんな人が頑張ったからよ」

 たいして話題も膨らまず、すぐに会話が途切れた。

 やや俯うつむきながら、向こうも言いい辛づらそうに様子を窺っている。

 ああ、お互いに視線が定まらない。俺はどこを見ていればいいんだ……。

 挙動不審にならないよう、平常心を努めていると、

「……あなたも、お疲れ様」

 まさかの労ねぎらい。テーブルにあった笹ささかまぼこを、皿に装よそってくれたではないか。

「……鞘音も、お疲れ」

 だから俺も、お返しせねば。鞘音のマグカップに烏うー龍ろん茶ちやをお酌してあげた。

「……今日のライブ、修は楽しかった?」

「……ああ、楽しすぎてヤバかった。この時間が、ずっと続けばいいのにって思ったよ」

「……わたしも」

 その後は二人とも押し黙り、そっぽを向いての飲食モードを決め込む。しかし変化があるとすれば、釣りのときに開いていた微妙な距離がない。

 すぐに触れられる距離には鞘音がいて、鞘音の側そばには俺がいる。

 居心地は悪くない。

 俺はそう感じているけど、お前は──


 夜十時を回り、賑にぎやかな打ち上げもそろそろお開きの雰囲気。

 突如、トミさんが立ち上がり、

「実行委員を代表して、礼を言わせてけろ。ライブの口コミや動画が拡散しているみでぇでな、旅名川にとって最高のPRになったと思う。ほんと、ありがどな」

 全員に向けて深々とお辞儀した。

「次のイベントはいつになるか分かんねぇけど、廃校前の旅中で面白いことでも企画してぇなぁって……だから、そのときは付き合ってけれ!」

 俺たちは迷わず頷うなずく。この町に生まれた者の大半が通学した母校。恩返しなんて大層なものでもないけれど、最後くらいは盛大に見送ることができたら……いいな。

「それじゃあ、今日は解散! お疲れさんでしたぁ!」

 平屋に響き渡るトミさんの締め。終わる。終わってしまうんだ。

 忙せわしなくて、騒がしくて、常に胸が高鳴っていて、最高に身体が熱くなった一日が。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎ去る。寂しい。虚むなしいよ。

 ぽっかりと、心に穴が開いてしまったように。

 いや〝寂しい〟なんて感じるのはおかしい。数日前までは、独りだったじゃないか。

 部屋にこもってゲームしたり、ネットしたり……そんな日常に満足していたはず。

 知らなければ、よかった。

 ずっと独りだったら、こんな虚無感を抱かなかったのかな。

 最高かよ、地元。常に温かい人たちがいて、一緒にいれば楽しいと知ってしまったんだ。

 廃校は三月、祭りは来年もある。

 俺に残された時間は──あと、どのくらいなのかは分からないけれど。


「う、うう……あああ……! 仕事行くの……嫌だぁああああ……具ぐ合え悪いぃ……」

「あーん、もう。だから飲み過ぎないでって言ったのにぃ」

 べろべろに酔っ払ったトミさんの肩を抱え、なんとか車の後部座席に押し込んだエミ姉を玄関前から見送る。

 母さんも酔い潰れたらしく、一足先に炬燵こたつで寝てしまっていた。普段は酒を飲まないのに、焼酎をハイペースで飲むから……。

「修くん、ちょっと」

 運転席のエミ姉が車の窓を全開。意味深に手招きし、俺だけを呼び寄せた。

「鞘音ちゃんの公式アカウントを見たことはある?」

 なぜか声量を落とす。多少離れた位置にいる鞘音に聞こえないよう、だろうか。

「いえ……暫しばらくは鞘音から遠ざかっていたので。さっき、あいつが提示した画面で初めて見ました」

 遠ざかっていた……正しくは遠ざけていた。

「これはワタシのおせっかいなんだけど、もしよかったら後で見てあげてね。鞘音ちゃんの性格だと、自分からは言い出さないと思うから」

「……よく分かりませんが、気が向いたらチェックしておきます」

 あの三輪自転車に跨またがった写真以外にも、何か投稿していたのかな。

 エミ姉や助手席のリーゼと手を振り合い、車の影が見えなくなると、

「………………」

「………………」

 幼おさな馴な染じみは二人きりに。

 ど田舎らしく街灯の本数は心こころ許もとないものの、帰り道に付き添う親密度でもないし、鞘音の実家は徒歩五分という近距離。なにより、こいつが嫌がりそうだ。

「……帰るわ」

「……ああ」

 ぎこちない一言。

 鞘音が歩を進めるたびに、玄関から届いていた明かりが薄くなっていく。

「鞘音!」

 思わず、呼び止めてしまった。

「………………」

 半分ほど闇夜に紛れた鞘音は、背を向けたまま、声を押し殺して立たち竦すくむ。

「今日……お前が来てくれた理由ってさ、本当に気が向いたからなのか?」

 俺の問いかけに、数秒の沈黙。

「……わたしは行かないつもりだったわ。あなたは、絶対に逃げると思ったから」

 ぽつりぽつりと、鞘音は感情を吐き出すように綴つづる。

「……でも、あなたは来た。だからわたしは、あなたの側で歌うことを決めたの」

 そう言い残し、鞘音は再び帰路に就こうとするも、俺にはもう一つ知りたいことがあった。胸の奥底に沈殿し、根を張るような痛みを生じさせる新しい記憶。

「最後に泣いていたのは……?」

 ライブの最後に流していた涙の理由を、知りたい。

「五年前、あなたが……来なかったから」

 ──遅すぎた。すべてが、遅すぎたんだ。

 今さら必死に追いかけても、一日だけの奇跡しか与えられない。もう五年前には、絶対に戻れないのだから。

 一週間前に近所の元ヤンがニートを連れ出してから、今日までの騒々しい日々は、夢も希望もない底辺を有頂天に持ち上げて落とすだけの罰ゲーム。

「……わたしはもう、一人に戻るね。幼馴染みの桐山鞘音はそろそろお終しまい」

 意地悪な神様が、役立たずの命を摘み取る直前に施してくれた幻想なんだ、と。

 いらない。こんなまやかしの幸せなんて。努力をせずに、傷つくのを恐れて、大切な人を自ら手放してしまった男が笑って死ねると思っていたのか。

 一瞬でも、期待してしまったのか。

「……サヨナラ、修」

 奇跡は終わる。二人はもうすぐ、また他人になる。

 足早に立ち去っていく華きや奢しやな後ろ姿を、ただ黙って見送ることしかできなかった。

「…………っ!」

 歯は痒がゆい感情に流されるまま、ポケットからスマホを取り出す。SNSを検索し、SAYANEの公式アカウントを開いた。

 鞘音が提示した画像の一つ上……今朝の時刻に投稿されていた動画。お気に入り登録や拡散の数字が凄すさまじく、コメント欄の好意的な反響も数えきれない。

 再生した内容は地元の様々な姿だった。のどかな田園風景や温泉街、廃校が迫った旅名川中学校など、地元民なら誰もが知っている情景と人々の組み合わせ。

 それは一分程度の宣伝用PV。

〝be with you〟の正規音源が、地元民の物語ストーリーを最大限に惹ひきたてる。

 先日のキックベース後にトミさんが撮影した集合写真は、鞘音がふて腐れたようにそっぽを向いていた。改めて見ると苦笑してしまう。

 忙しい方々に協力していただき、松本修というヒマ人が拘こだわりに拘って作り上げた最高傑作は、祭りの前日にやっと完成したため、ほとんど無意味──

 今この瞬間までは、そう思っていた。

 受け渡したPVを鞘音がアップしてくれていたのだ。

 動画のラストは、俺が過去に撮影していた中学生の鞘音。春の河川敷に並び立っていた頃の……一度は投棄したはずの記憶。

 飾りのない笑顔を垣かい間ま見みせた鞘音が、桜並木を背景にギターを弾いている姿で終わるはずだったのに。

 予見できない〝続き〟があった。

 どうして、俺の知らない桐山鞘音が映っているのか。

 制作者ですら未知の時間。

 だって、ラストは付け加えられていたのだから。

 旅名川中学校の体育館側にある階段下……段差にスマホをセットしたからか、カメラの視点はやや低いものの、そんなことはどうでもいい。

 動画の残り時間は七秒。

 二人にとって馴な染じみ深ぶかい風景を背負った〝十九歳の鞘音〟が。

 レンズの向こう側へ。穏やかに語りかける。


 わたしは待っています。

 大好きなところで 大切な人のとなりで 歌わせてください。


 気が付くと、俺は一人で泣き崩れていた。画面が霞かすむほどの涙が自然に溢れ、腕で拭っても、拭っても、塞せき止とめることができない。

「うっ……うぅ……はっ……あぁ……どうして……おれは……」

 感謝と後悔と謝罪。

 それらが混ざり合った濁流は、大粒の嗚お咽えつとなって頰ほおを零こぼれ落おちる。

 重力に引かれて両膝を折り、画面に映った鞘音を抱き締めるように。

 人目が無い実家の前。

 眼球の水分が涸かれ果てても、みすぼらしく延々と蹲うずくまっていた。


 十月十五日──明後日あさつては、あいつの誕生日。

 五年前、あいつの前から逃げ出した日。