【今週末の旅たび名な川がわ祭り、俺たちで参加するからな!】

 月曜日の正午過ぎ、トークアプリにこんなメッセージが届いていた。送信主はもちろんトミさん。仕事の前にでも送ったのだろう。

 久しぶりに屋外で運動したからか、昨日は夕飯も数倍美味おいしく感じられ、まさかの日付が変わる前に爆睡してしまった。

「また、あの人は強引に……」

 俺は寝ぼけ眼まなこで確認したのだが……正直、面倒なことを企たくらんでいそうな予感が凄すごい。

 旅名川祭り……簡単に説明すると、町民が集う地元の小さな秋祭り。地元の工芸品を展示したり、公民館のステージにて様々な団体が演目を行う。

 参加って……見物人としてだよな? 遊びに行くだけ……だよな?

 メッセージは簡易な一言だけ。詳細はほとんど書かれていない。

 体調は安定しているものの、昨日までの土日で体力と気力を大幅に消耗した。筋肉痛も半端じゃないし、怠だるい心境を解消するべく、平日は意地でも引きこもろう。

 ソシャゲも飽きたから、今日はニューファミか74でもやるか……。

 レトロゲームを探すため、散らかった押入れを漁あさってみる。漫画本やゲームを搔かき分わけていくと──巨大な長方形の物体を発掘してしまった。

 五年前に押入れへ放り込んだもの。

 何度も捨てようと思ったが、捨てられなかった未練の鉄くず。

 それは、埃ほこりまみれの小汚いキーボード。パソコンの文字入力機器ではなく、鍵盤がついている音楽用のシンセサイザーだ。

「今ごろ……何の用だよ」

 掘り起こした張本人が、何を言っているのか。楽しく充実していた日々を思い出してしまうから、大量の漫画やゲームで埋め戻す。せっせと、埋め戻す。

 一人で何してんだろ、俺……。

 ………………っ!

 ガラクタを寄せ集めていると、一枚のCDが足元に落ちた。どうして、捨てられなかったんだよ、過去の俺は……。そのCDは表面のラベルが白い録音用。マーカーで「デモ」とだけ手書きされているが、明らかに俺の字だ。

 CDを拾い上げ、ゴミ箱を目掛けて振りかぶるが、振りかぶるが、振りかぶるが……再び押入れに放り投げる。砂の城を作るように、負の遺産をガラクタで覆い固めていると、

「74あるじゃん……」

 お目当てのゲーム機が見つかったものの、プレイする気は既に消きえ失うせていたので、気分転換に……ふて寝した。


 その夜──やかましい連中が俺の家に押しかけてくる。

「うっすうっす。お晩ばんです~」

 お晩です、は「こんばんは」の方言……とか、そんなことはどうでもいい。連絡もせずに、いきなり俺の家に押しかけてきたトミさんに困っているのだ。

 母さんはまだ仕事から帰ってきていないので、俺しかいないんだけども……。

 車で待たれてもヒップホップが煩うるさいから、とりあえず玄関まで通したのだが、

「仕事終わったから、お茶っ子飲みすっぺ!」

「いやいや、手に持ってるのどう見ても酒でしょ……」

 トミさんが持つビニール袋には、大量の酒とツマミが入っていた。

「あー、俺が車で来たから心配してんのか? そのために今日はな──」

 トミさんが目配せすると、玄関に二人の女性が入ってきた。

「聖戦の友ヨ。こうして再会するノハ、六百年前の革命のトキ以来だろうカ」

「昨日遊んだよね」

 ちんまりとした子供は娘のリーゼだが、もう一人は明らかに大人。

 日本人とは大幅に異なる顔立ちに、すらっとした高長身。美しいプラチナブロンドの髪や蒼あおい瞳は、天然の煌きらめきを纏まとう。お隣のイギリス人お姉さん……そんなイメージだ。

 この人の親が音楽教室を開いていて、小学生だった俺と鞘さや音ねはレッスンに通っていたこともあった。

 記憶に残る優美な雰囲気と、ほとんど変わっていないこの女性は──

「やーん! 久しぶりぃ修しゆうくん♪ しばらく見ないうちに身長伸びたよねぇ」

「エミ姉!?」

 エミリィ・スターリング。かつてこの家の隣に住んでいた人だが、現在はトミさんが購入した一軒家に住んでいる。早い話、トミさんの妻だ。

 色気を振ふり撒まくお姉さんぶりは健在で、お隣に住んでいた俺はヤキモキした少年時代を過ごしたものだ。自分の姉ではないのに、馴なれ馴なれしく「エミ姉ねえ」とか呼んでるし。

「エミリィは酒飲めねぇがら、帰りは運転してくれるべさ」

「なんでトミさんみたいな馬鹿に、俺のエミ姉が……」

「おいこら、聞こえてるど。いちおう人生の大先輩だど」

 魂のぼやきが聞こえていたらしい。

「ごめんねぇ、正まさ清きよさんが突然押しかけて。明日も仕事だし、遅くならないように帰らせるからさ」

 両手を合わせながら謝罪するエミ姉も可愛かわいい。

「いえ、大丈夫ですよ。ここは寒いんで、茶の間にあがってください」

「それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します♪」

「おい修、俺のときと温度差ありすぎんべ」

 当たり前だ。厄介事しか持ち込まない馬鹿男と、美人お姉さんを一緒にするな。

「それとな、あいつも拉致ってきたぜ! こっちさ来ーい!」

 あいつとは……雰囲気的にあいつしかいないじゃん。

 日が落ちたばかりの暗い庭を見てみると、鞘音も寒そうに待機していた。いかにも不本意ながら、みたいな不機嫌さを醸し出して。

「……お邪魔するわ」

「こいつ、いきなり俺が来たから怒ってやんの。お前ら似てるなぁ、あいた!?」

 ご機嫌斜めな鞘音に、軽く背中を小突かれたトミさん。

 私服に着替える時間も与えられなかったのか、普通に旅たび中ちゆうジャージだった。昨日汚した一着目ではなく、洗濯したとき用の二着目だろう。ちなみに俺も二着持っている。

「……鞘音は未成年だから酒飲んじゃダメだぞ」

「……あなたに言われなくても分かってる。まだ……誕生日が来てないから」

 忠告した俺から視線を逸そらし、謙虚に家へと上がる鞘音。

 誕生日、という単語が出た瞬間──二人の間に重苦しい空気が流れた。腫物に触るというか……お互いにその話題は自重するべきだ。これ以上、拗こじれたくないのなら。


 茶の間で炬燵こたつを囲み、五人で乾杯。

 こうして、トミさんやエミ姉と飲むのは初めてではない。向こうが成人を迎えてからは、何度か飲みに来ることはあった。まあ、当時の俺と鞘音はジュースだったけれども。

 今日のエミ姉と鞘音は、ノンアルコールカクテルを片手に談笑。

 鞘音の膝上に乗せられたリーゼは、

「もぐもぐ」

 チーズかまぼこを一心不乱に頰ほお張ばっている。見ていて飽きない子だなぁ。

「もっと食べる? リーゼちゃん、もっと食べる?」

「苦しゅうナイ。ズンダも食べル」

「ずんだ団子も食べたいの? はい、あ~ん」

 リーゼの母ちゃんかよ、お前は。人様の子にあまり餌付けするな。

 鞘音……いや、ロリ山さんは恍こう惚こつの顔を隠さず、リーゼに食べ物を与えている。母性なのか、ロリコンなのか、俺は第三者視点で瀬戸際を見極めなきゃいけない……のか?

「あーん、鞘音ちゃんも久しぶりぃ♪ テレビでも観みてたけど、美人さんになってぇ♪」

「え、ええ、どうも。ご無沙汰しています、エミリィさん」

「それ旅中ジャージよねぇ!? ワタシも卒業生だから懐かしい~♪」

「これしか手ごろな部屋着がなくて……ほ、本当はもっとお洒落しやれなパジャマなんですよ」

 噓うそつけ。昔から衣服は拘こだわりがなくて田舎臭かっただろ。

 東京に住んでから多少マシになったようだが、地元に戻ると旅中ジャージ女だ。

「ほらぁ! 最新のアルバムも買っちゃった! 二曲目の〝ユキアイ〟とかシングル曲の〝miss〟も良かったよぉ~♪ でもでもぉ、ハードなロックチューンが増えてくれると、お姉さん的には嬉うれしいなぁ♪」

「ありがとうございます。曲調については、現場に復帰したらプロデューサーに相談してみますね」

 音楽の話題になると高揚するエミ姉。ダウンロード購入した楽曲や、SAYANEのSNSにアップされたPVをスマホで再生している。俺なんかは絶対に触れられない話題だが、鞘音は固かった表情をやや柔軟に解ほどいた。

 俺は反比例。澱よどんだ靄もやが表情に浮き出るのを我慢している。

「それでだ! 今朝のメッセージは見たべ?」

 オープニングトークもそこそこに、缶ビールを飲み干したトミさんが話を切り出す。

 医者に「あまり好ましくはない」と忠告された飲酒。長く生きるつもりもないから、俺は女子が好むような度数低めの缶チューハイをちびちびと嗜たしなむ。

 一週間以上前に頭痛と吐き気に襲われた以外は、大きな自覚症状はない。たまに病気の存在を忘れそうになるくらいだ。

「……何も届いてなかったけど?」

「既読ついてたど」

 メッセージを迂う闊かつに開かなければ良かった……。

「まあ、遊びに行くだけなら別にいいよ」

「はっはっは!」

 なぜか、トミさんは豪快に笑い始める。

「お前らがステージで何かをやるんだよ。今日はそのための打ち合わせだぜ」

 まてまて。

「もうエントリー済ましてっから。俺は町内会に所属してっし、旅名川祭り実行委員だから華麗に捻ねじ込こんでやったど!」

「勝手に進めるな!」

 うわぁ、やりやがった。馬鹿が、いい加減にしてくれ。

 そういえば『I・LOVE・地元』気質かたぎの人だった。いかにも地元の青年隊みたいな風貌はしているが、予想を裏切らないとは。

「もち、鞘音もな! エミリィとかリーゼも協力すっから!」

「チッ……このバカ清、そろそろ殴ってもいいわよね?」

 舌打ちした鞘音の心情に同調しまくる。俺たちにとって、思い入れの深い場所に再び戻ることになるんだ。正直、複雑な想おもいが渦巻くのは避けられない。

 それを知ってか知らずか、トミさんは参加を推し進めて……俺たちを巻き込む。

 打ち合わせという飲み会が始まってから、一切の直接会話をしてない二人を。

「エミ姉! トミさんを説得してください!」

「えっ? ワタシも結構ノリノリなんだけどぉ。フェスティバルは大好きなんだよねぇ」

「いや、俺も絶対に嫌だってわけじゃないですよ?」

「おいこら、エミリィにだけ甘すぎんど」

「正清さんは言い出したら聞かないのを知ってるからねぇ♪」

 ま、マジか……微笑ほほえみが眩まぶしいエミ姉には強く言いい辛づらいんだよな。隣人だった関係上、下手したらトミさんより付き合いは長いわけだし。

 気は進まないが、援軍になりそうな鞘音のほうをチラリと流し見てみると、

「はい、お口拭き拭きしましょうねぇ~。ジュースは? 飲むの? オレンジ?」

 何してんだよ、こいつ! リーゼの口を拭き拭きしてんじゃねぇ!

 あぁ……鞘音はしっかり者に見えて、意外とポンコツなのを忘れていた……。

「おいおい、なんかえらく賑にぎやかじゃねーか」

 仕事を終えた母さんが帰宅し、目を丸くしていた。いつもなら電気も消えて誰も待っていない茶の間の人口密度に驚いているらしい。

「あーっ! 依い夜よ莉り姉さぁーん! お帰りなさいっす!」

「熱苦しいから失うせろ」

「そ、そんなぁ……! でも、厳しい依夜莉姉さんも大好きっす!」

 舎弟感が凄すごいトミさんを塩対応でイジる母さん。

「あとは桐きり山やまんちの鞘音ちゃんと……お隣だったエミリィ! ひたすらチーかま食ってるのは……正清とエミリィのガキか! でか! めちゃくちゃ成長してらぁ!」

「リーゼはママの操り人形マリオネツトに過ぎナイ。人生とは狂乱の踊りなノダ」

「あっ、エミリィのガキっぽいわー」

 やっぱり母さんもそう思うよね。

「リーゼぇ、俺もお前のパパなんだど~?」

「お前ハ多重人格者」

「せめて平民にしてけろ……」

 トミさん、がんばれ。強く生きろ。

「やーん、依夜莉さーん♪ ご無沙汰してます~♪」

「……お邪魔してます」

 両手をぶんぶんと振りながら抱き着くエミ姉と、静かに会釈した鞘音。小さい地域だからだいたいは顔見知りだし、エミ姉は隣人だったから母さんとも仲が良い。

「お前ら、月曜から飲み会してんのか? まだまだ若けぇなぁ、おい」

「旅名川祭りの打ち合わせっす! 出し物を何するか考えていたところっすね」

「へぇ、もうそんな時期なんか。最近はほとんど行ってねーから忘れてたわ」

 母さんみたいな住民も多いと思う。演目も展示物もシニア向けというか、地味だから。

「正直、中年や年寄りしか来ないイメージあるっすけど、今年は若者を呼び込むっす! そのために俺らがひと肌脱ごうかなーと!」

「まあ、その考えは嫌いじゃねぇ。頑張ってみろや」

 トミさんは「ういっす!」と、やる気に満みち溢あふれた返事をした。この地域の基準だと、母さんみたいなアラフォーでも若い部類に入るし、例年の地味な祭りには興味がない親世代も結構いるはず。トミさんは、母さん世代も含めて祭りに参加してほしいのだろう。

 夕飯がまだだった母さんも炬燵に身を投じ、大量のツマミを口へと運ぶ。

「あれ? 依夜莉姉さんって酒飲むんすか? あんま飲まないイメージあるっすけど」

「いや……まあ、酔いたいときもあんだよ」

 お茶を濁しながら、母さんは缶ビールのプルタブを開けたのだが、

「まっず……」

 一口啜すすった瞬間にぺろりと舌を出し、厳いかつい顔をしかめた。

 まずいなら、飲まなければいいのに。

「演目に関しては和太鼓、ダンス、三味線、アカペラ、合唱……例年はこういうのが多いべな。祭りは来週の日曜だから、練習するとしたらここら辺が現実的だっちゃ?」

 今度は日本酒を飲み始めたトミさんが、ほろ酔い気味に案を出す。エミ姉にお猪口ちよこへ注ついでもらっているのを羨ましいと思いつつ、二本目の缶チューハイを喉に流し込む。

「現実的じゃないでしょ。ど素人がたったの一週間で……しかも、各自が集まって練習できる時間も限られると思う」

 我ながら正論を言った。

「そうしたら、鞘音のソロライブにするか?」

「ごめんなさい。無許可でSAYANE名義の曲を歌うのは禁止されているの」

「そりゃあそうだよなぁ。もうプロだもん、色々と面倒くせぇ契約とかあるべな」

 活動休止中にライブなんて決行したら、偉い人に怒られるどころじゃ済まないだろう。

「そうしたら、バンドでもやっか?」

 ……そう来るか。

「バンド……か」

 できてしまう。その案は成功する未来が容易に浮かんできてしまう。

 俺自身──言葉とは裏腹に、魂の奥底が激しく求めてしまっている。鞘音から離れていたのに、テレビやネット媒体からも遮断していたのに、今はもう一度、体感したい。

 あいつの近くで、あいつの歌を。

 どうせ死ぬ運命なら、最後に聴いたっていいじゃないか。

「コピー曲で構わねぇ。鞘音にはうまいこと変装してもらって、地元に住む若者の音楽で旅名川祭りを盛り上げようぜ!」

 鞘音は思い悩む。即答で断ると思っていたが……彼女の胸にはどんな感情が錯さく綜そうしているのか、俺なんかには知る由もない。知る権利も、絶対にない。

「俺はさ、生まれ育った旅名川をもっともっと賑やかにしてぇなって思ってる。若い奴やつらが都会にどんどん出て行ってよ、爺じじ婆ばばも高齢化したり亡くなったり……この祭りも参加者が年々減ってきて、いつまで存続できるか分がんねぇ」

 トミさんにしては珍しい神妙な面持ちが、切実さを訴えかけてくる。

「俺たちが楽しいことをやれば、他の若けぇ奴らも真似まねしたり興味を持ってくれると思うんだ。それがずっと続いていけば……俺にできることって、そんくらいしかねぇがらさ」

 この人は自らの利益を考えない。余所よそのために率先して行動を起こし、多少強引にでも先導していく。今ごろ、俺と鞘音を引き合わせたのもそうだ。

「俺は祭りの運営と進行を頑張っから、一回だけ力を貸してけれ。頼む」

 故郷のために頭を下げた男を──俺は世界一格かつ好こいいと思っている。

「……でも、一週間でライブできるレベルに持っていけるの? わたしはお遊びの音楽で歌うつもりなんてない。自信がないなら、最初からやらないほうがいいわよ」

 強こわ張ばった顔を和らげ、一息吐ついた鞘音が冷静に指摘。その通りだ。小さな祭りのイベントだとしても、鞘音には積み重ねたプライドがある。

 若者や地元民を盛り上げるためにも、生半可なパフォーマンスをするわけにはいかない。

「うふふっ」

 突然、エミ姉が浮かべた意味深な微笑。

 あっ、やばい。スイッチが──

「鞘音ちゃんに歌やギターを教えたのは、誰だったかなぁ?」

 変に刺激してしまった……とでも言いたげな、渋い反応を隠せない鞘音。

「鞘音ちゃん、ちょっとウチにいらっしゃい! スターリング母娘おやこの真骨頂を──久しぶりに教えてあげる」

「……よく知っていますから」

「いいえ、舐なめているから再教育してあげる! 救世主メシア ネーム イズ エミリィ」

 興奮したエミ姉が立ち上がり、鞘音を外へ連れ出す。女子二人の後を追うようにリーゼもトコトコと追跡し、母さんと男二人が取り残された。

「……アタシは風呂でも入るかなーっと」

 そそくさと退散しようとした母さんだったが、

「何してるんですかぁ! 依夜莉さんと修くんも来るんですよぉ! ゴーゴーっ!」

「うわぁ……最悪だっつーの」

 エミ姉、迅速なカムバック。そのまま、なぜか母さんも連れて行かれる。

「お~、スイッチが入ったエミリィを久々に見たなぁ。高校生以来だべか」

「俺と鞘音が音楽教室に通っていたときは、毎回あんな感じになってたよ」

「それだけ嬉しいのさ、あいつは。教え子のお前らと久しぶりに会えたのがな」

 心なしか、トミさんも嬉うれしそうに頰ほおを釣り上げた。

「リーゼがあんな風に育つわけも頷けっぺ……?」

「ある意味、エミ姉の化身みたいになってるよね。トミさんのDNAは欠片かけらもないよ」

「それ地味に気にしてんだからやめてけれ!」

 思い出話をする酔っ払い二人も重い腰を上げ、お隣さんへとゆっくり歩き出した。


 ******


 久しぶりだな、スターリング音楽教室に足を運んだのは。

 音楽教室とはいっても、普通の民家に看板を付けただけの簡易な外観だが、俺や鞘音が通っていた小学生時代の六年間は、生徒が二十人以上はいた気がする。

 レッスンはピアノが中心だったが、希望者には弦楽器や打楽器のコースもあった。

 家の中にお邪魔させてもらうと、懐古感が漂う香り。他人の家ならではの独特な匂いは、思い出をどんどん掘り起こした。茶の間でくつろいでいたエミ姉の両親に挨拶し、主に楽器を演奏する用途で使用していた防音のレッスン室へ。

「修くんも鞘音ちゃんも懐かしいでしょう? 二人はずっと一緒に通っていたもんねぇ」

 先に部屋で準備していたエミ姉が、過去を思い返すように見渡した。重厚なピアノやギターなどの弦楽器、本格的なドラムセットまで置かれている。

 その他にもクラシック音楽の楽器まで一通り揃そろっているし、まさに音楽学校みたいな充実のラインナップ。元々、音楽家の家系だったエミ姉の両親が集めた私物らしい。

「なんじゃ、この部屋は……? 音楽のジャンルが喧けん嘩かしてねぇが……?」

 嫁の実家とはいえ、初めて足を踏み入れた領域らしいトミさんが絶句していた。

「相変わらず、エミ姉の趣味も混ざってますよね……」

「えっ!? みんな大好きだよねぇこういうのぉ! ワタシの女友達は好きな子が多かったよぉ!」

 壁や天井には楽器を持ったホスト……いや、ヴィジュアル系バンドのポスターが飾られ、棚にはCDやDVDもぎっしり詰まっている。エミ姉の両親が収集したクラシック等の西洋な雰囲気を、エミ姉の趣味が半分くらい侵食していた。

 トミさんと同級生のエミ姉が、中高生時代に全盛期だったバンドが多い。

「いやぁーっ! エミリィよ! 最高にイカした部屋じゃねーか!」

 大抵が微妙なリアクションをする中、母さんだけが瞳を輝かしていた。

「依夜莉さんなら食いついてくれると思ってましたぁ♪」

 意気投合した二人がヴィジュアル系トークを繰り広げる。息子だけど知らなかった……母さんってこういう音楽が好きだったんだ。

 世代の違いがあるため、お互いの推しバンドは異なるみたいだけど。

「ということで、依夜莉さんも一緒に演奏してください♪ 中学生の頃にやってたんですよねぇ、エレキベース?」

 突如、エミ姉がベースを掲げる。頰を引きつらせた母さんに向けて、だ。

「エミリィ……お前、どこで情報を仕入れた?」

「狭い田舎なので、依夜莉さんの同級生と雑談すればすぐに分かりますよぉ♪ 鞘音ちゃんちのママとかぁ?」

「あのくそアマぁ……! ペラペラと個人情報をばら撒きやがってぇー!」

 そういえば、鞘音の黒歴史をトミさんに流出させたのも鞘音の母さんだったな。

「旅中の生徒が伝統的にバンドや音楽をやるのも、依夜莉さんたちが発端だったとかぁ?」

「その話はやめような。若気の至りだ」

「卒アルも見せてもらっちゃいましたぁ♪ 依夜莉さんが文化祭でド派手なメイクを──」

「おし! やろう! アタシがひと肌脱いでやろーじゃねかぁ!!」

 半ばヤケクソな母さんが、エミ姉からベースを受け取る。見たい! 母さんの黒歴史を! 母さんの卒アルなんて絶対に見せてもらえないだろうからなぁ……。

 強い。鞘音のお母さん、お淑しとやかそうだけど強いぞ。旅名川のデータベースは、セキュリティが緩いからタチが悪い。

「修くんと鞘音ちゃんは、よく知ってるジャンルでしょ? 幼い頃から教育したもんねぇ」

「強制的に聴かされたり、エミ姉が好きな曲を練習させられた記憶があります。まあ、今もたまに聴いている好きなバンドもありますけど」

 てへへ♪ と舌を出すエミ姉が可愛かわいいから許す。

「レッスンの先生はエミ姉の母さんだったけど、エミ姉も俺のピアノを聴いてくれたよね」

「弟みたいな修くんに頼られるのが嬉しくてさぁ。ひょっとして迷惑だったかなぁ?」

「いや、励ましや労ねぎらいの言葉をもらったりして嬉しかったです。それに……」

「うんうん、それに?」

 興味津々なエミ姉が、悪戯いたずらに美顔を近づけてきた。

「中学生だったエミ姉は、俺にとって大人のお姉さんみたいな憧れがあったから」

「やーん、うれしいのう♪」

 ふいに頭を撫なでられ、気分が大変高揚してしまいました。もう二十歳なのに、エミ姉の中ではいつまでも弟みたいな存在なんだ、きっと。

「エミ姉にとっては、たくさんいた生徒の一人みたいな感じだと思うけど」

 俺が苦笑いすると、

「ワタシが個人的にピアノを教えていたのは、修くんだけだぞ?」

「……マジっすか!」

 これが、お隣のお姉さん。全俺が──即座に惚ほれそうなほどの魅力を持つ者。


 シャン!!


 耳を劈つんざく金属質の打撃音が炸さく裂れつした。

「休み時間はとっくに終わったけど?」

 露骨な作り笑顔が眩まぶしい鞘音。スティックを振り、ドラムのシンバルを叩たたいたと思われる。まだ微かすかに余韻が残るシンバルの振動を指で止め、ジトーッと睨にらみ付つけてきた。

 あいつは言及を避けるが、漂う憤怒。静かにお怒りだぞ、これは。俺には分かる。

「バカ清、あのヒキニートクズに嫁が口説かれていたみたいよ?」

「あーいけねぇな。これはいけねぇべ。エミリィはダメンズに誑たぶらかされやすいんだど」

 どうして俺が怒られなきゃいけないのか……。というか、エミ姉を誑かした元ヤンのダメンズがどの口を叩いている。

「思い出したぁ! レッスン初日にも、鞘音ちゃんは今みたいに怒ってたよねぇ」

「…………!?」

 焦ったように瞳を見開いた鞘音は、

「ワタシが修くんのレッスンを面倒見ていたら、鞘音ちゃんが『わたしも修と一緒にピアノやる~っ!』って泣いて──」

「あっ! あっ! 勘弁してください……」

 両手をあたふたとバタつかせながら、エミ姉の思い出話を懸命に搔かき消けす。

 そういえば、そんなこともあったような……小学校低学年だから、もう断片的だけど。

 まともに会話すらしない現状だし、そんなことで怒らないだろう、今の鞘音は。

「準備は終わッタ。いつでもいけるノダ」

 エフェクターやアンプの準備を終えたリーゼ。堂々と構えるのは──深い青の色彩を放つエレキギター。母さんも同様に準備を進め、チューニングを施したベースを構える。

 二人とも、絵になる構図だ。自信に満みち溢あふれており、堂々とした立ち姿は圧巻。

「こっちも完了よ」

 一方の鞘音は発声練習を終え、スタンドマイクの前に立つ。

「ありゃ? 鞘音はギターじゃねぇの? いつもはアコギ弾きながら歌ってるべ?」

「ギターはリーゼがいるから、今日はボーカルに集中してもらおうと思ってぇ。ツインギターの曲をやるときは、協力してもらうケドねぇ」

「この部屋にあるCDの曲なら、ある程度は歌えると思います。わたしもエミリィさんにみっちりと教育されたので」

「やーん、ワタシの熱心な教育が実っていて嬉しいなぁ」

 ヴィジュアル系の教育は半強制的だったけど。

「──だとしたら、修くんも弾けるよねぇ? 鍵盤♪」

 にこやかながら、瞳の奥は真剣さを秘めたエミ姉。俺の目の前には、スタンドに乗せられた二枚組のキーボードがセッティングされている。

 弾けない……ことはない。エミ姉に渡されたスコアは、何度も練習させられたバンドの曲だし、脳内での弾き方はだいたい覚えている。

「お、俺は……」

 だが、五年間も鍵盤から遠ざかってきた。記憶から捨て去っていたんだ。

「大丈夫。修くんが今、どれくらい音楽への興味があるのかを知りたいだけ。上手うまい下手じゃなく、真剣に向き合う気があるのか……音を聴かせてほしいなぁ」

「分かりました……」

 空気に流されるまま、俺は五年ぶりに鍵盤と相対。エミ姉が懐かしのスパルタ講師お姉さんになってきた。こうなると妥協を許さない。

 モノクロの鍵盤に指を添えた感覚が、甘い記憶と苦い記憶を撹かく拌はんさせる。

「鞘音ちゃん、さっきこう言ってくれちゃったよねぇ? 一週間でライブできるレベルに持っていけるのかって」

 エミ姉はドラムセットに歩み寄り、静かにスローンへと腰掛けた。

「さてさて、リーゼ、披露してあげましょう。救世主メシアの奇跡を、音楽という名の剣けん戟げきを」

「救世主メシア ネーム イズ リーゼロッテ。ここに降臨セリ」

 この母にして、この子あり。

 穏やかの象徴だったエミ姉の瞳が、艶のある魅惑の眼力に変貌した。

 ──中央に君臨していたのは、幼おさな馴な染じみの桐山鞘音。彼女もまた、プロのシンガーソングライターとしての真摯な眼まな差ざしと立ち振る舞いを研ぎ澄ます。

「依夜莉さんはブランクもあると思いますけど……問題ないですよねぇ?」

「当たり前だろーが。誰にナマ言ってんだ」

 黒歴史時代の血が騒ぐのか、ニヤリと口角を上げた母さん。ガス屋の作業着姿が、これほど映えるなんて。

 観客と化したトミさんと、興味本位で覗のぞきに来たエミ姉の両親が見守る静寂の中──エミ姉がスティックでハイハットを叩き、4カウントを刻む。

 キーボードの導入とベースが重低音の前奏を演出し、高音のギターが自然に介入。始動を促すドラムが空気を壮絶に揺らす。

 最初から最高潮。

 ドラムの鼓動が魂を打ち鳴らし、骨太な低音をピッキングで刻むベースと共にリズムを拡散。抜群の存在感を主張するリーゼのギター。振り落とされまいと鍵盤を叩く俺の指が、鈍いステップを踏む。ついていけない。躍っていた指が一瞬で手て枷かせと化す。

 エミ姉のドラムが走る。走りまくる。最高のテンションに身を預け、ミスを臆さない。

 まだ、まだまだ、引っ張る。

 暴れ回りたい弦楽器隊の手綱を握り、多い手数が音の道筋を示していた。

 エミ姉のフィルを皮切りに、鞘音の叫ぶような歌声が空間を揺らす。

 観客の前で綺き麗れいに歌うSAYANEではなく、一人の桐山鞘音として、感情が叫ぶまま歌詞を吐き出している。ギターの歪ゆがんだ白玉をも凌りよう駕がする音波で。

 憤怒、もどかしさ、脆ぜい弱じやくさ。それを叩きつけられているのは、俺のような気がして。

 前後に激しく上半身を揺らすエミ姉とリーゼ、そして母さん。俺は棒立ちのまま、自分のパートをなぞるだけで限界なのに、空っぽな音を捻ひねり出すので必死なのに。

 音おん色しよくの切り替えが遅い。お飾りの左手がホイールに触れるも、理想的な効果が生じない。頭で考えていたら手遅れ。しかし、即応できる圧倒的な練習量が無く、空回ったストリングスの音色が異物として滞留した。

 鍵盤から雪崩なだれ落ちた音は、身体からだに潜む病巣のよう。内側から浸潤し、蝕むしばみ、壊してしまう。まだか。まだ、曲は終わらないのか。

 俺はもう、自分が弾いているのかすら分からない。無音の世界で、ひたすら鍵盤を叩く。

 凡才はついていけない。

 天才の凄すさまじい速度に。隣を同じ速度で歩けはしない。

 むしろ、足を引っ張ってしまう。だから俺は、自分から突き放したんだ。捨てられるのが、本当に怖かったから。

 俺だけがついていけない。周囲の速さに、俺だけが取り残される。

 四分程度の曲が、劣等感の拷問──逃げ続けていた底辺の現在地なのだと知った。


 気が付いたときには、トミさんやエミ姉の両親からの拍手をもらっていた。

 しかし、俺はほとんど何もできていない。この拍手も俺以外の四人が得た報酬。精鋭たちの音楽会に触れる権利すら与えてもらえなかったのだ。

「……駄目ね。修の音だけが──耳障りで邪魔」

 首を左右に振りながら、鞘音は冷酷にそう言い放つ。

「エミリィさんの言う通り、技術なんて関係ないわ。音楽から、そしてわたしから、情けなく逃げているのが……腑ふ抜ぬけた音から伝わってくるの」

「俺がいなければ……歌うのか?」

「……むしろ、わたしは修がいれば歌う。でも、今のあなたは大嫌い……だから」

 足早に立ち去っていく彼女の言葉は矛盾していた。含みを持たせたのは、まだ俺に何かを期待しているから……なのか。分からない。見放してくれたほうが楽なのに、辛辣に突き放してくれたほうが言い訳もできるのに。

 今からでも間に合うのかな。ヒキニート男が足搔あがいても無様かもしれないけど、たった一度だけ、一つのことに本気で熱中して、トミさんや地元の微力になれるなら。

 クソみたいな人生にも、意味はあったと思えるのだろうか。

「エミ姉……一週間だけ、また生徒に戻ってもいいかな?」

 時間稼ぎの末に失った青春なら、終了直前の悪あがきは少し長くたっていいだろ。


 ******


「くあっ……!」

 凝り固まった指が攣つる。

 たった数分、鍵盤を弾いただけで、俺の指先は激しい悲鳴をあげていた。

 一週間とはいうものの、日付が明けて火曜日。祭りは日曜だから、当日を含めて六日間の猶予しか残されていない。

 昨夜はあのままエミ姉に指導を受け、俺は四時間ほど寝るために自分の家へ帰宅。そして、火曜日の早朝から練習を再開させた。

「すみません。昨日からずっと練習に付き合ってもらって」

「気にしなさんなぁ。元はと言えば、ウチの旦那が言い出したことだからぁ」

 エミ姉はにこやかに付き合ってくれる。演奏中は厳しい指導も躊躇ためらわないけど、的確に分かりやすいアドバイスをくれた。

「おっ、今の感じは良かったよぉ!」

 教わったことを実践できたときには、笑顔で頭を撫でてくれる。俺は単純な男だからモチベーションにも繫つながるし、照れ臭いけど心地良かった。

「一つの団体が使える持ち時間は、八分程度らしいけど……本当に二曲も練習するの? コピー曲とはいえ、六日間で弾けるようになるのは大変だと思うよぉ」

「……いえ、アンコールを想定して三曲やります。まず、鞘音を説得するだけの結果が欲しいので」

 エミ姉の趣味を反映した高難易度な選曲と、アンコールに選んだ〝特別〟な楽曲。

 底辺は人並みに頑張っても意味がない。到底無理だと誰もが思うようなことを、必死に覆すくらいじゃないと説得力がないんだ。

「巻き起こしてみせる。大学中退のニートが紡いだ音で──満場一致のアンコールを」

 俺は今、数秒で眠れる。ニート生活の代償である猛烈な睡魔や慣れない疲労で、すぐにでも逃げ出したい。今日だって布団から出るか十分以上迷った。

 でも、たったの六日も頑張れないクズの見本で終えたくないんだよ。

「それに、エミ姉の期待も裏切りたくない。こうやって俺を待っていてくれるんだから」

「よしっ! その意気だぞぉ!」

 意気揚々と俺を鼓舞してくれたエミ姉。

 これから本格的な扱しごきが始まるかと思ったのに、

「おはようさーん……ふあぁあああ……」

 寝ぼけ眼まなこのトミさんが、大あくびをしながら部屋の入口に突っ立っていた。

「正清さん? 今日って早番の出勤日だっけぇ?」

「いいや、今日は遅番の出勤……。ちょっと用事があってな、人手が欲しいなーって」

「えぇ……俺、練習中なんだけど」

 最初は乗り気じゃなかったが「三十分で帰すから頼む」と言い包くるめられ、停車していたトミさんの車に収容された。トミさんも仕事と祭りの準備で忙しいだろうし、俺にできることなら協力したいというのが本音。

 同様の想おもいなのか、エミ姉も一緒に来てくれることになった。

「小学校へ送っていく前に、リーゼも連れてきたんだけども」

 リーゼも後部座席に座っていたが、

「グウ……」

 だらーんと脱力し、幼稚な寝息をたてている。

「複雑な用事じゃねぇど。旅中とか周辺の地区に祭りのチラシを貼はりに行くだけだ」

「チラシを貼る人手が欲しかったの?」

「んだ。お前たちを演目に捻ねじ込こんだから、一からチラシを作り直した」

 トミさんがダッシュボードからファイルを取り出し、俺とエミ姉にチラシを渡す。

 文字列も揃そろっていないし、写真の解像度も低く、子供が好きそうなイラストも皆無。お世辞にもクオリティが高いとは言えない。

 あと、リーゼの写真でかっ! ギターを構えたリーゼの画像がチラシの二割を占めていて、親の〝えこひいき〟とはこういうものかーと学ぶ。

「俺たちの演目……ということは、あの後すぐに作ったの!?」

「おう。せっかくのメインイベントを宣伝しなくてどうするよ。パソコンなんてあまり触らねぇから、出来栄えはお察しだけども……お前らの力にはなりてぇからさ」

 自虐的に笑うトミさん。昨日は夜まで打ち合わせしていたのに、今日の早朝に仕上げてきたということは……徹夜に決まっている。やたら眠そうなのも無理はない。

 毎日が夏休みの俺と違って、フルタイムで仕事をしているにも拘かかわらず、だ。

「まーた一人で頑張ってさぁ。ワタシも家族なんだから、言ってくれればチラシのデザインくらい協力したのにぃ」

「すまんすまん。俺には楽器の演奏なんて無理だから、これぐらいは協力させてけれ」

 唇を尖とがらせたエミ姉を宥なだめるトミさん。お似合いすぎる夫婦だと、素直に思った。

 車を走らせること数分……旅中に到着した俺たちは、職員室に立ち寄る。

「よぉ、杉浦! おはよーさん!」

「うっ……び、びっくりしたー」

 大声を張り上げたトミさんにビビる教頭。早朝だからか、生徒はおろか他の教員もまだ出勤していないようだ。指先が震えるほど肌寒いため、職員室のダルマストーブを囲むように四人が集合。無意識に翳かざした手が、じんわりと火ほ照てっていく。

「やーん、杉浦先生だぁーっ! 教え子のエミリィですーっ♪」

「明るい性格は変わらないねーキミも。僕の記憶が正しければ、キミは男子からの人気が断トツの一位だっただろうにー」

 そう言いながら、トミさんをチラ見する教頭。

「はっ? 杉浦、なんか文句あんのか? その『こんなクソ不良に誑たぶらかされてー』みてぇな視線はなんだべな? ああん?」

「うわー、山奥に住む野蛮人に殺されるー」

「上等だ。服脱いでグラウンド出ろや、相撲で決着つけんぞ!」

「いつまでも子供じゃないんだから、いい加減にしなさいよぉ」

 呆あきれ顔がおのエミ姉に仲裁される男二人。朝っぱらから元ヤンキーと元担任が喧けん嘩かすな。

「よっしゃ! 勝ったどーっ!」

 いい大人同士が上半身裸になって腕相撲すな。

「はぁ……男っていつまでもバカだよねぇ。正清さんを筆頭に、男子連中は中学の頃からこんなノリだったし」

 エミ姉が苦笑いで傍観しているが、俺は同類に入れないでほしい。

「そういえば、正清たちは何しに来たんだー? まさか腕相撲が目的じゃないだろー?」

「大した用事じゃねぇ。校内に貼ってある祭りのチラシ、新しいのに張り替えていいべ?」

「ああ、そういう用事ねー。別に構わないけどー、そのチラシを見せてくれないかー?」

 教頭はいつも通りの低いテンションで対応する。この人と話していると、こっちまで眠くなってきそうだ。

 チラシを受け取った教頭は、老眼鏡を装着。瞳を凝らしながら内容を確認する。

「……こんな稚拙なチラシで宣伝になるわけないねー」

「しゃーねーだろ! それでも無料の編集ソフトで頑張ったんだよ!」

「お前、パソコンの授業さっぱりだったもんねー」

 苦言を呈したかと思いきや、教頭は老眼鏡をクイッと持ち上げ──

「……十分だけ時間をくれないかー?」

 自らのデスクに移動。手て馴なれたようにパソコンのスリープを解除した。

 背後から覗のぞき見みると、某画像編集ソフトを起動させ、トミさんのチラシに載っている宣伝文句を参考にリメイクしているではないか。

「正清、チラシで使う画像データは持ってきてるかー? あるなら貸してくれー」

「お、おう。いちおうSDカードは持ってきてるど」

 トミさんから記録媒体を受け取ると、教頭はパソコンに接続した。

「プリント作りは教師の得意分野だからねー。こんなレベルなら、ちゃちゃっと作り直せるよー」

 その言葉通り、瞬時に構築されていく編集画面。文章自体はトミさんが考えたものだから、教頭は体裁を整えたりデザインだけに集中できるのだ。

 画像はSDカードからコピペして、編集画面に配置。ここまで僅か五分足らず。

 忙せわしなくタイピングやショートカット、マウス操作が繰り出され、残像が発生しても不思議じゃない手て練だれだと感心せざるを得ない。

 毎日プリントを作っている大ベテラン教師、すげぇ。

「……ふう、完成だねー。レーザープリンタにデータを送ったから、必要な数だけコピーして持っていきなさいー」

 数秒後……印刷されたチラシが、職員室のプリンターから排出されたのだが、

「うおぉ……俺のなんかとは比べ物にならねぇ……」

 トミさんは声を震わせながら感動。一目瞭然と断言できるクオリティの差だった。

「杉浦……いや、杉浦先生! あざーっす! この恩は一生忘れません!」

「……おい、手のひら返し早すぎないかー。いつもそんな態度であってくれー」

 頭を下げたトミさんに苦笑する教頭だが、なんだかんだで嬉しそうなのは気のせいじゃない。教え子に感謝されて、嬉しくない先生なんていないだろうから。

「杉浦もぜひ来てくれよな! 絶対に楽しいからよ!」

「ははっ……気が向いたらなー」

 この地域は人口が少ないけど、心優しい人は多い。今さら、俺はそう実感した。

 トミさんやエミ姉と手分けして、校内や周辺の掲示板等にチラシを貼らせてもらい、俺たちは撤収することに。職員室から立ち去る直前──俺は教頭に呼び止められた。

「松まつ本もと君は祭りに参加するのかいー? チラシに書いていた〝スペシャルゲスト〟とは、たぶんキミたちのことだろうー?」

「鞘音次第……だと思います。あいつを引っ張り出すには、まず俺が頑張らないといけないんですけど……」

 煮え切らない返答をすると、

「松本君と桐山さんが揃うなら僕も見に行くよー」

「やっぱり、教頭も鞘音のファンなんですね」

「……いや、桐山さんだけでは聴く意味がない。僕が聴き惚ほれた音は──キミたち二人で作り上げた音だからねー」

 意味深な言葉を残し、教頭は職員室へと戻っていく。

「インディーズ時代がよかった、と嘆く古参ファンみたいなものだー。気にするなー」

 二人で作り上げた音……か。SAYANEが東京で歌っている音と、過去の桐山鞘音がここで歌っていた音……何が違うんだろう。

 分からないんだよ。すぐ逃げ出していた鈍感なゴミクズだから。


「あぁ~、頼もしい後輩が手伝ってくれるとは嬉うれしいぜ!」

 チラシを貼り終えたあと、俺とエミ姉が連れていかれた場所は公民館。爽やかに俺たちを先導するトミさんを背後から引ひっ叩ぱたきたい。

 ふざけるなよぉ。なにが『三十分で帰すから』だ。

 正面玄関に足を踏み入れた瞬間、

「おおっ、依夜莉さんちの修くん! はっはぁ~、助かるべ!」

「あ、はい。どうも……」

 さっそくトミさんの親父おやじに見つかり、簡単には帰れない大歓迎ムードを演出された。

 公民館にて進められていたのは当日の下準備。大量のパイプ椅子や工芸品を展示するための机などをイベントホールへ搬入していたり、安い予算の装飾品を作っている。

 作業している人たちは、見るからに定年退職した高齢層が中心。それに比べたら平均年齢低めの主婦も数人ほど。

 重量物の移動もあるため、猫の手も借りたい気持ちは分かる。分かるけど……この似た者親子め、最初はなから俺を作業員にする気満々だったな。

 平日の昼間にヒマを持て余した成人男性──その名は松本修ニート。

 ポジティブに考えると、俺は選ばれたのだ。頼れる仕事人として。

「昼飯を御ご馳ち走そうすっから、どうかよろしく頼む! 馬鹿息子は午後から仕事だし、数少ない学生は学校があるし、年寄りばかりじゃ大変なのよ!」

「……はい」

 選ばれし男なのは光栄だが、労働の報酬が昼飯だけか。テンションが上がらない。

「ワタシも手伝うから一緒にがんばろうねぇ♪」

「はい! 頑張ります!」

 エミ姉に褒められたいから死ぬ気で頑張ろっ!!

「おっし! それじゃあ、修くんはオラと一緒に長机を運んでけろ!」

 えっ、エミ姉との共同作業じゃないの? やっぱり帰りてえ。

 エミ姉は事務仕事のほうに引き抜かれ、俺は豊とよ臣とみ親子が指揮する力仕事班へ。気分の急激な浮き沈みを我慢しつつ、昼下がりまでは怠惰な身体からだを酷使するはめになりそうだ。

「はあ…………疲れた…………」

 イベントホールのモップ掛けをしただけで、お飾りの体力が干ばつ。早々にロビーへ避難し、参加賞として支給された缶コーヒーを情けなく啜すする。

 無理よ、肉体労働は。パソコンやスマホ画面と睨にらめっこするのが日課だもん。

 こっそりバックレようかな……。

 高校と大学時代、いくつかバイトを経験したことがあるけど、大抵は無断欠勤からの音信不通で辞めた。バックレ、という最低行為の常連。

 逃げるのは慣れている。その後の現場がどうなろうと、知ったことではない。

「……いや、駄目だろ」

 昨日の光景を思い出す。

 完全には見放していない。失望していない鞘音の瞳を。

 生なま温ぬるい缶コーヒーを飲み干し、皆の休憩が終わる時刻より一足早く──俺は展示台の運搬に着手した。

 誰もが嫌がる単調な雑用だろうと、俺という人間を必要としてくれる限り。

「あっ、修くーん」

 ホールにやってきたエミ姉。

 名前を呼ばれたので一時的に作業の手を休ませると、

「汗、いっぱいかいてるよ。ちゃんと拭かないと風邪ひくからぁ」

 ふいに、ハンドタオルを俺の額へ押し当ててくれる。心配そうな困り顔のエミ姉を独占した俺の体力とやる気が、瞬時に全回復した。

 単純だよ、男は。女のためなら潜在能力を覚醒できるのだから。

「残りのパイプ椅子とか長机は、俺が全部運ぶ予定なんです」

 舞い上がったイキリ男子。勢いに任せ、無駄に多くの仕事を引き受けてしまう。

 エミ姉に褒められたいドーピングが、五分で途切れるとも知らずに。

 ……………………腰が痛いよう。泣きたいよう。

 心のオアシスだったエミ姉も持ち場に戻ってしまったし、周囲にいる爺じじいは身体の痛みや持病、行きつけの病院を語るばかり……黙々と作業に没頭するしかなかった。

 これでも、少しは皆の役に立っているのだろうか。

「ふいー、腰いでぇ……。やっぱり大変だっちゃなぁ」

「それでもやるしかねえべ。俺たちがやらなくなったら、誰もやる人いねえおん」

 お疲れ気味のオッサンたちから、そんな雑談が聞こえてくる。

 その通りだ。この人たちが企画したり準備しなかったら、たぶん廃れていく。

 祭りを開催したとて、給料がもらえるわけでもない。地位や名誉が与えられるわけでもない。それでも、この人たちは自発的に行動を起こす。

 生まれ育ったこの町が好きだから──トミさんと同じ理由。

 俺にはそんな感情がない。地元を好きになる資格もない。


「はっはーっ! スティールだべぇ!」

 おい、トミさん。

「レイアップシュート! ひゅう~♪」

 堂々とサボってんじゃねぇよ!

 暫しばらくは真面目に作業していたトミさんだったが、午前授業で下校してきた小学生と室内バスケを始める始末。オッサン連中も駄だ弁べりの合間に作業みたいなペースだし、黙々と椅子や展示台を運んでいる自分が馬鹿臭くなる。

「おーい、修もバスケ混ざんねぇ? 負けたらジュース奢おごりで」

「いやいや……祭りの準備に来たんじゃないの? 真面目にやらなきゃダメでしょ」

 瞳を丸くしたトミさんが「ふはっ」と、笑いを噴き出す。

「あのな~、これは祭りの準備であって労働じゃねぇど」

「そう言われても……」

「俺たち自身が楽しくなけりゃ、他人を楽しませることなんてできねぇ。地元民との交流がイベントの活性化に繫がっていくんだぜ」

 サボっていたくせに、正論を言っている風なのが腹立つ。

「だからよ、お前も一緒に遊んで──」

「トミさん」

「ん? ハンデでも欲しいのか? お前だけシュートが決まったら十点にすっか?」

「そろそろ労働の時間じゃないの?」

 壁掛け時計を見たトミさんの顔色が青ざめた。

 遅番の勤務時間はよく知らないが、すでに正午を過ぎている。

「さぁさぁさぁ! 一家の大黒柱は労働さ行ってくるべっ!」

 バスケットボールを俺に投げ渡したトミさん。

 慌てながら愛車に飛び乗り、そのまま仕事場へと走り去っていった。

「え~? トミお兄ちゃんは仕事行くのかよ!」

「こっからが熱い試合だったのにね~。どうする、陽よう介すけ?」

 愉快な兄貴分がいなくなったからか、不満な表情を隠さない二人組の小学生。暴れ足りないとでも言わんばかりに、ボールを持った俺の方へ興味の視線を向けた。

「お兄ちゃん、だれ? 最近見かける新顔だけど」

 陽介とやらに不思議そうなリアクションを浴び、まさかの新顔扱い。五年ほど東京にいたうえ、地元民との交流を避けていたから認知度は皆無なのは当然だけども。

「友達いないだろうしヒマそうだけど、大学生とか?」

「あ、あれだ。今は〝秋休み〟ってやつだから、祭りの手伝いでもしようかなーと」

 毎日が秋休みだけど。てか、この陽介とかいうガキ、トミさんの影響で生意気だな。

「はっはっは! 修くんは無職のニートだど!」

 トミ親父! 茶々入れてくんなよ! 小学生にちょっと引かれちゃったじゃん!

「キミたち、よかったら準備を手伝ってくれない? 俺とオッサン軍団だけじゃパワー不足なんだよね」

「やーだよ。旅名川祭りなんて興味ないし~友達とゲームしてたほうが楽しいもん」

「毎年おもしろくないもんね~。年寄り臭いことしかやってないから」

 俺も同意見だったけど、子供は正直すぎて残酷だなぁ……。

「バスケでボクたちに勝てたら手伝ってあげようかな~」

「ま、マジで!? やるやる!」

 猫の手も借りたすぎる状況だからか、運動不足の男が血迷う。

「よしっ! オラも修くんの助っ人すっかな! 旅中バレー部のエースだった血が騒ぐど! トスなら任せろっちゃ!」

「トスじゃなくてパスが欲しいです」

 トミ親父が腕うで捲まくりするも絶対に戦力外だろ、この人。ビールっ腹だもん。

 結局2on2のバスケに巻き込まれ、一本のシュートも決められず──三分で力尽きた。トミ親父に至っては三十秒くらいで足を挫くじき、そのまま退場する始末。

「はあ……はあ……俺にスポーツは……きついって……」

 俺は仰あお向むけのまま、荒い口呼吸を繰り返す。上から覗のぞき込こんでくる小学生は、物足りなさを瞳に詰め込んでいた。勘弁してくれ……俺はトミさんじゃないんだ。

「もう動けないから……。俺に構わず遊んで来いって……」

「うわ~、逃げるのかよ。無職でヒマなのに~なっさけねぇ~」

 カチーン。

「無職でヒマは関係ないだろうがっ!」

 陽介の煽あおりにブチ切れる二十歳。

 逃げる、というワードが胸に突き刺さり、俺の身体を強制的に揺り起こした。すぐに実家へ戻り、公民館に戻ってきた俺は──

「ヒマを持て余した大人の力を思い知れ。俺が勝ったら祭りの準備を手伝えよ」

 持参したゲーム機と共に、テレビがある休憩室へ誘った。

「見たことないゲーム機だけど上等だぜ~っ! ボクらが勝ったらルウィッチ買って!」

 おいおいおい、無収入のニートに最新ゲーム機を強請ねだるのか?

 まあ……九十年代を生きていない小学生が、このゲームで勝てるわけないけどな!

 そこからは俺の逆襲。戦闘機に乗った動物がビームを撃ち合う『ギャラクシーフォックス74』を対戦プレイし、

「どうだぁ! 俺に勝つなんて百年早いわ! へいへいへーい!」

 小学生相手に大人げなく無双する二十歳。

 勝つのは当たり前なんだよ。こいつらが生まれる前に発売されたゲームなんだから。

 宙返りもUターンも教えてない悪い大人なんだ。すまんな、小僧ども。

「なに!? 躱かわされた……だと?」

 教えてもいない宙返りを披露され、俺のビーム攻撃が躱された。操作に慣れてきた小学生たちは団結し、キツネを使っていた俺の戦闘機を取り囲む。

 こいつら! 自前のスマホで操作方法をググってやがる!

「ニート兄ちゃんがそっちに行った! 囲んでボコれ~っ!」

 適切な指示を出し合う小学生……というか、泣きそうになるからニート兄ちゃんって呼び方はやめない? 精神攻撃は卑ひ怯きようでしょ。

「ニート兄ちゃん、決して諦めるな。自分の感覚を信じろ」

「うるせぇよ!」

 陽介の煽りにブチ切れ案件、二度め。うるせぇしか言い返せないって雑魚すぎない?

「なあ、お前らの小学校にリーゼって女の子がいるだろ? 学校ではどんな様子なんだ?」

 精神攻撃を回避するため、共通そうな雑談を振ってみると、陽介が黙り込んだ。

「いるね~。同じクラスにいるねぇ~」

 陽介の友達が、彼を茶ちや化かすように肘で小突く。これはひょっとして……?

「陽介はリーゼのことが好きなのか?」

「だ、誰があんなヘンテコなやつを! 一人で可哀かわいそうだから構ってやってるだけだ!」

 赤面しながら猛烈に反撃され、俺の戦況が著しく悪化した。

「俺が……ギャラフォで負ける!? 旅名川最強(自称)の……松本修が!?」

 追い詰められたときの最終手段はリセットだが、さすがにゲスの所業。良心が痛んだ敗北寸前の男はこっそり床を叩たたいた。この勝負は……引き分けといこうぜ!

「あっ!? バグった~!?」

「ん~、古いゲームだから仕方ないなぁ」

 ちょっとした振動での強制フリーズ。白々しい大人に疑いの矛先を向けてくる子供たちだったが、俺は何食わぬ顔でカセットを入れ替えた。

 ゴールデンアインなら勝てる。キャラ選択でオッドジープをぶん取り、トイレに立てこもりながら返り討ちにしていけば……勝てるはずなんだ!

「ズルい兄ちゃんの人生もリセットできればいいのにね~」

「おい、やめろ。俺もそろそろ泣いちゃうぞ」

 お前らの精神攻撃は、お前らが思っている以上に心が抉えぐられるんだよ。

 ゲームみたいに何回も人生をやり直せたら……そう願うのは愚かで虚むなしすぎる。


「こーら、いつまで遊んでるの。修くんは大きな小学生みたいだねぇ」


 いつの間にか背後に忍び寄っていたのは、呆あきれ顔がおのエミ姉。

「……遊び始めたのはトミさんなんですけど」

「あの人は昔から大きな小学生だからぁ。修くんは影響されちゃダメだよ」

 リモコンでテレビを消され、背中を押されながらホールに連れ戻されてしまう。ここで意外なのは、設営作業に関係ない小学生たちがホールに付いてきたこと。

「ニート兄ちゃんが可哀そうだから手伝ってやるよ」

「また今度、あのゲームで対戦しようね~」

 そう言いながら、小学生たちは設営を手伝い始めた。短時間の交流だったけど、多少は仲良くなれた証あかし……なのだろうか。

 ただゲームを持ってきただけだけど、トミさんみたいに自分から行動を起こして生じた些さ細さいな変化。会話すら拒んでいたら、こんなやり取りも存在していなかった。

 俺が小学生の頃は、トミさんがこんな風に遊んでくれたっけ……。

「旅名川祭りに来てくれよな。絶対楽しい……いや、俺たちが楽しませるからさ」

「うん! 友達いっぱい誘って遊びに来るね~っ!」

 陽介とのこんな口約束でも、慣れていない俺にとっては新鮮味が溢あふれる。

【俺たち自身が楽しくなけりゃ、他人を楽しませることなんてできねぇ】

 さっき、トミさんが残していった言葉の抜粋。

 俺にはまだ理解が難しいけれど、たまにはこういうのも悪い気はしない。


「ありがとさん! だいぶ助かったぁ~」

「若けえ者は凄すごいっちゃなぁ~っ!」

「いえ……後半はバテバテでしたけど、準備が無事に終わって良かったです」

 会場設営が終わったのは夕方ころ。

 トミ親父おやじを始めとした地元民に、ささやかな労ねぎらいの言葉をもらう。

 交流を避けていた……そんな俺に対し、息子を褒めるような声色で。

 いつ以来だろう。他人に感謝されるのは。

 この人たちが紡いできたものを、もっと大勢の人に知ってもらえるように──俺は数日間だけ全速力を出す。

 桐山鞘音が期待する松本修に、ほんの僅かでも近づきたいと思うから。

「リーゼは児童館にいると思うから、修くんも迎えに行かない?」

 準備組は現地解散し、エミ姉と一緒に近所の児童館へ。

 彼女と肩を並べながら歩いている途中、なんとなく気付く。

 いつの間にか、エミ姉の身長を追い越していることに。

 子供の頃に見ていたエミ姉は、もっと高身長……まさしく大人のお姉さんだった。彼女が縮んだのではなく、会わなかった数年の間に俺が大人になったということ。

「んっ? どうかしたぁ?」

 俺の横目を察したのか、不思議そうに首を傾かしげるエミ姉。

 追い越した目線が嬉しくもあり、

「別に……相変わらず綺き麗れいだなって」

「こらこら、年上をからかうなよぉ。綺麗なんて言われたら、建前でも嬉うれしいんだからぁ」

 二度と戻れない時間の経過を感じて切なくもある。

 どうでもいい哀愁を覚えつつ、他た愛あいもない日常会話のパスを楽しんだ。

「旅名川祭りの宣伝なんですけど、広告用のPVみたいなのは考えてますか?」

「うーん、現状はチラシとHPで精一杯だよねぇ。そういうのに疎い年齢層が多いし、正清さんも詳しいほうじゃないと思う」

 それなら、もしかして力になれるかもしれない。

 淡い幻想の記憶を辿たどれば、俺ができることは自おのずと分かる。

「レッスンを受けながら……にはなるけど、俺に任せてもらってもいいですか? 鞘音の知名度に比べたら微々たる効果かもしれない。でも、行動しないよりは──」

 行動しないよりは、最初から無駄だと決めつけるよりは、ずっと良い。


 ******


 翌日の水曜日──練習部屋を訪問し、マンツーマンで教えてくれると期待していたのだが……今日はなぜか、朝から外出用のアウターを羽織るエミ姉。

 いかにも外出します、みたいな身支度をせっせと始めた。

「えっ……どこかに行くんですか?」

「正清さんから聞いてないんだっけ? ワタシ、音楽教室と並行して三み雲くも旅館のパート従業員もやってるんだぁ」

 それは近所の小さな温泉旅館。トミさん、エミ姉、鞘音と一緒に何度か入浴に行ったことはあるが、ここ数年はあまり顔を出していなかった。バイトを募集するようなチェーン店は車移動の距離なので、徒歩で通うならここしかない。

「てっきり、音楽教室だけだと思っていました……」

「そうしたいんだけど、最近はレッスンを受けにくる子供も減ってきてねぇ。夫の扶養から外れないように調整しながら、週に三日はパートもやってるんだよぉ」

 やっぱり、ここでも世知辛い現状になっているのか……。

「ワタシがバンドに協力するのは、正清さんの力になりたいっていうのもあるし、地元の子供たちがもっと音楽に触れるキッカケになったらなって想おもいもあるんだ。教え子が減っていくのは、やっぱり寂しいしさぁ」

「そう……ですね」

「あとは、リーゼにお友達でもできたらーって。お祭りに来た小学生たちに、娘の晴れ姿をお披ひ露ろ目めしたい母心かなぁ」

 嗚呼ああ、なんて素敵な女の人なんだろう。心臓の熱源に充満した蒸気を放出するような溜ため息いきしかでない。こんなに献身的な嫁がいるトミさんに嫉妬してしまいそうだ。

「エミ姉はプロを目指していましたよね。もう、そういう気持ちはないんですか?」

「うーん……高校くらいまでは『音楽の世界で飯を食べる』なんて夢もあったけど、卒業後はすぐに結婚して、子供も産んじゃったからねぇ」

「もし、トミさんと結婚してなかったら……?」

 俺の問いかけに、多少は考え込むエミ姉だったが、

「ワタシは鞘音ちゃんみたいにはなれない。譜面通りに楽器を上手く弾ける人は山ほどいるけど、ゼロから音を生み出す才能がワタシにはないんだよ」

 優しく微笑ほほえみながら、お手上げと言わんばかりに肩を竦すくめた。

 俺が言ったら滑稽で薄っぺらい台詞せりふでも、エミ姉が言うからこその重厚な台詞。努力して演奏技術を身に着けても、天才にしか超えられない壁がある……努力もせずに〝凡才〟を言い訳にしている男とは明確に違う。

「未練は無いなぁ。正清さんとリーゼがいてくれる日常が、とっても楽しいから」

 やや照れ臭そうにしながら、エミ姉は素直な気持ちを惚のろ気けてくれた。好きな相手と結ばれて一生を添い遂げるというのは、夢を叶かなえる以上に幸せだという人もいる。

 俺は馬鹿だから、こうしてエミ姉に教えてもらわなければ理解できない。

「ワタシの夢はリーゼに託した! あの子が夢を叶えてくれるのがワタシの夢かなぁ」

「……ちょっとクサいこと言ってますよ」

「うるさいってぇ。自分で言って、ちょっと恥ずかしかったんだからぁ!」

 頰ほおを赤らめたエミ姉に、人差し指で頰をぷにっと押された。こういう可愛らしい仕草に子供時代の俺は胸を躍らせていたし、年上のお姉さん的な意味で憧れていたんだ。

「俺……エミ姉が見張っていないと、すぐにサボる自信がある」

「えぇ? そんなこと言われても、今日は夕方までシフト入れちゃったしなぁ」

「だから、旅館で練習します!」

 昔から世話になりっぱなしだな、俺は。

 でも、エミ姉なら笑って許してくれるから、つい甘えてしまう。


 我ながらキモい。ワガママを言い、パート先に付いて来てしまった。

 エミ姉が三雲旅館に掛け合ってくれると、経営している爺じいさんはすんなりと了承。あまり使われない空き部屋を貸していただけることに。

 あっ、ここにもチラシが。旅館のロビーや玄関に貼はられていた祭りのチラシは、たぶんエミ姉の仕事。地元民や観光客への宣伝効果は高い……かもしれない!

「いや~、看板娘のエミリィちゃんに頼まれたら断れねぇべ」

 鼻の下が伸びているエロ爺じじい……じゃなくて、社長のお爺さんに感謝しつつ、六畳程度の和室に通された。総面積は少ない老舗の個人旅館だが、内装は綺麗に整っている。

 運動部の合宿みたいだな。合宿したことないけど。

 エミ姉とレッスンする他に、もう一つの大切な目的があった。

「旅館の内装とか外観を撮影させてもらっても構いませんか? 地元を紹介するPVに使いたいので」

「ぺーぶい、とはなんだべや?」

「ピーブイ、ですね。テレビのコマーシャルみたいな宣伝の動画です」

 爺さんに分かりやすく説明すると、難なく了承を得ることに成功した。持参したデジカメを駆使しながら、旅館の風景を撮影していく。

 静止画や動画の素材が集まったら、貸してくれた空き部屋へ帰投。温泉に通っていた日々を懐かしむ時間も省き、ここまで運ぶのに苦労した重い荷物を整理していると、

「どう? 練習できそうかなぁ?」

 エミ姉がさっそく様子を見に来てくれた。臙えん脂じ色いろの作さ務む衣えが新鮮で、見慣れない仲居さんの姿に艶なまめかしさすら感じてしまう。欧風な容姿と和の融合……美しい。

 こんなの……男性客はたまらんだろ。社長の爺さんがエロ面になる気持ちも分かる。

「うん、ヘッドホンで音漏れを無くせば迷惑もかからないだろうし、周辺も静かだから集中できると思います」

「周辺が静かなのは、泊まっているお客さんが少ないからだよぉ。今日は平日だしねぇ」

「ここが混むのは、長期連休とか紅葉の季節くらいですもんね」

「そうそう。今月の下旬くらいから、ぼちぼち増えてくるとは思うケドさぁ」

 失礼な言い草だが、実際その通りである。地元のエロオヤジどもは、日帰り温泉という建前でエミ姉に会いに来ていそうだ……いや、来ているだろうな。

「素材に使いたいので、接客している雰囲気が欲しいんですけど」

 そう言いながら、俺は動画モードのカメラを向けた。

「え、ええ……? ワタシも撮られるのぉ? 恥ずかしいんだけどぉ」

「ちょっと色っぽく、大人の笑顔で……そうそう、髪を耳にかける仕草も欲しいですね」

 困惑しつつも両膝を突いたエミ姉。恥ずかしがりながら、カメラ目線での接客スマイルを繰り出すと……俺の視線がもう釘くぎ付づけ。素材に使う? 個人観賞用ですね。

 しなやかな金髪を耳にかけた瞬間、シャッターを切る人差し指がお辞儀の往復だ。

「も、もう! 撮りすぎ撮りすぎ! 目が血走ってるぅ!」

「いや、もう少し……! あと二十枚くらい……! 頼むよ、エミ姉……!」

 必死なエロカメラマンかな?

 さすがに照れ臭くなったのか、両手を伸ばしてレンズを封じてきた。グラビア撮影しに来たわけじゃないからな! このぐらいにしておこう(最高画質で保存)。

「ワタシが集めている写真も、あとで修くん宛てに送っておくね。正清さんは中学校とか昔遊んでいた場所を撮ってきてくれるってぇ」

「ありがとうございます! ホント助かります……!」

「気にしないで。祭りの当日までは時間もないし、修くんだけじゃ大変だろうからねぇ♪」

 旅名川の人々や場所の写真・動画を手分けして集める……昨日、エミ姉が提案してくれた。本当にありがたい。動画の編集作業もあるため、俺一人では絶対に無理だから。

 そして、こっちも忘れちゃいけない。テーブルにキーボードを置き、レッスンの準備は完了した。エミ姉の家から拝借したのはW5という機種。黒塗りの外装はそれなりの使用感があるものの、丁寧な手入れが施され、二十年以上前の代物と考えれば綺麗だと思う。

「それじゃあ、目先のお仕事を片づけたらまた来るから。それまでは今まで教えた部分を復習しておいて」

 小さく手を振りながら、エミ姉が退室していった。エミ姉がいつ見にくるか予想できないプレッシャー。小鳥の囀さえずりを堪能しながら、俺は鍵盤に意識を注つぎ込んだ。

 サボりの欲求が湧いても、エミ姉の幻滅した顔を想像しながら耐え凌ぐ。数少ない味方であり、心から甘えられる人なんだ。絶対に見放されたくない。

 しかし、時間の経過と共にモチベーションは下がってきた。

 誰の助けもないと、やる気が空回りしていく。思い通りに指が動かない。もっとできるのに、頭では理解しているのに。したいこと、できることの差が焦燥を煽る。

 ぐおっ!? 集中力が切れかけたとき、頭上から衝撃が降り注いだ。

「シュウ。やってるカー?」

 振り返ると、俺に対して寄りかかるように抱き着くリーゼがいるではないか。小柄だから重くはないけれど、勢いよく体当たりされたから衝撃は凄すごかった。

「リーゼ……小学校は?」

「昼休ミ! 自由時間は荒廃した世界を流離さすらうコトにしてイル」

 部屋の時計を確認すると、正午近く。外部の音を遮断し、意識を集中させていたから現時刻もリーゼの接近もまったく気付かなかった。

「ママから貴様が練習していると聞イタ。見張りは任セロ」

「サボったらまた体当たりするの……?」

「フハハ~、罪人には革命と共に裁きの鉄てつ槌ついを与えるゾ」

 幼げに微笑みながら、リーゼは後方へと下がり──

「断裁のジャッジメント!」

「うぐっ!」

 ──俺を目掛けて決死のダイブ。

 懐に飛び込んできたリーゼの衝撃に負けた貧弱ニートは、一緒に畳へ倒れ込む。するとなんということでしょう……迫り来る眠気が吹き飛んだのです!!

「どう? 練習進んで……ってリーゼ!?」

 部屋に入ってきたエミ姉の視界には、寝そべる俺に跨またがっていたリーゼの姿が!

「ごめんねぇ修くん。すぐにリーゼを撤収させるから、その後にレッスンしようかぁ」

「グアァアアアアアア! 魔女狩りは許されナイゾーっ!」

「はいはーい、小学校に戻りましょうねぇ♪」

 小学校からの脱獄(?)は日常茶飯事らしい。

「あと、依夜莉さんからの差し入れ。ガス屋のトラックで立ち寄っていったよぉ」

 エミ姉から渡された巾着袋に入っていたのは、形が不ふ揃ぞろいな手作りおにぎり。中学の頃は給食がなかったから、おにぎりや弁当を苦戦しながら作ってくれていたっけ……。

 両手を合わせた後、おにぎりを口いっぱいに頰ほお張ばって空すきっ腹ぱらを満たした。

「修くん……ワタシが義理のお義母かあさんになるのは、まだ早いような気がするぞ♪」

「やめてください。誤解ですって」

 悪戯いたずらにからかってくるエミ姉。フリーダムな幼女をガッチリと捕まえながら、一ひと先まずは部屋を立ち去って行った。エミ姉も昼休憩に入るから、暫しばらくは二人で練習できる。

 うん。とりあえずは眠気も覚めたし、気分転換もできた。一人だと視野が狭くなるうえに、心の油断も生まれやすい。孤独に抱え込んで、心身が追い詰められていく。

 もしかしたら、リーゼなりに励ましてくれたのか?

 優しい両親に育てられた優しい小学生じゃん……。育て方、間違ってないよ。

「迎えに来てクレなんて頼んだ覚えがナイ。リーゼは自由を愛してイル」

 窓の外からリーゼの声が聞こえたかと思いきや、

「いつもいつも、勝手にいなくなるなよ! お前なんて、オレくらいしか探しに来ねえぞ!」

 同級生の陽介がリーゼを探しに来たらしい。エミ姉からリーゼの身柄が引き渡され、二人は微笑ましい口論をしながら小学校に戻っていった。

 妙な親近感を覚える。その光景は……かつての俺と鞘音に、どこか似ていて。

「待ってろよ……鞘音」

 あいつに見せてやる。ゴミの人生は、最後に燃えて終わるんだということを。燃え尽きる瞬間くらい、この世の誰よりも光り輝きながら散ってやる。

 だから、待ってろ。お前を──祭りに引きずり出してみせるからな。

 ただひたすら、鍵盤を叩たたき続けた。鼓膜に音を叩きつけるため、力強く全体重を乗せるように。腹が減った、眠い、疲れた。こんな欲求は今まで散々貪ってきた。

 指が千切れてもいい。今死んでもい……それは困るか。六日後には死んでもいいから、せめてこの五日間だけは最高に命を燃やさせてくれ、神様。

 最後に笑って、死ねるように。


 レッスンが終わったら、今度は自宅での編集作業。

 朝早くに地元を流離い、素材を集めながら小中高生へとチラシ配り。朝十時くらいからエミ姉の実家でレッスン。夜に帰宅してから朝方まではパソコンの前……祭り当日までは、こんなサイクルの一日が過ぎていく。

 睡眠は三時間。漫画、アニメ、ゲーム……以前の日課など、時空の彼方かなたへと消し去って。

 時折、母さんが俺の部屋を覗いては「病人はさっさと寝ろ!」と心配してくれるも、息子は大人しく従うふりをしながら、母さんの気配が去った直後にはパソコンの前へ。

 見回りに来た先生を欺く修学旅行の夜。そんな攻防に似ていた。

 旅名川祭り前日の土曜日──数分前までは金曜日だった深夜帯に、動画の編集画面を凝視。ブルーライトを浴び続けた疲れ目を擦こすり、気難しく頭を抱える。

「肝心なものが足りない……」

 PVの最後を飾る予定だった場所の映像がない。いや、あるにはあるけど……その季節じゃないんだよ。

 その場所とは旅名川河川敷。十月の現在、桜並木も菜の花畑も完全にオフシーズンであり、撮影した動画は平凡で面白みのない河川敷でしかなかった。

 これでは意味が無い。旅名川を知らない人へのアピールとしては弱すぎる。

 春に撮影されたものを地元の誰かに借りるか、代案を考えるか。

 悩んでいる時間すら惜しいうえに、PVとしては既に機能しないだろう。

 一日で広まる宣伝の範囲など、たかが知れている。祭りのHPに載せたとて、一般人のSNSから発信したとて。

 それでも……やるんだよ。何もせずに終わりたくないんだ。

 俺にできることは、今も昔もこの程度だから……せめて、それくらいはやり遂げたい。

 パソコンの過去フォルダを漁あさっていると──

「これも……消せなかったのか」

 一抹の希望を与えてくれたのは、数年前の画像や動画のデータ。

 見知った少女が映った懐かしい姿を、すぐには直視できない。目を背けたがる本能を抑え、抜粋したシーンを編集のラストに組み込む。

 このPVに相応ふさわしいBGMは一つ。

 俺と少女を繫つなぎ止とめている唯一の旋律だけ。

「できた……」

 最終チェックを終え、パソコンの電源を数時間ぶりに落とす。

 チェアの背もたれに背中を預け、天井を見上げた頃には……射光がカーテンの隙間を突き抜けていた。

 スマホを片手に取り、トミさんに発信。土曜だから休みだと思うけど、起きているかな?

『──……ういっす』

 数回のコールを挟み、気け怠だるい声が返ってきた。

「仕事で疲れてるところ、朝早くに電話してごめん。寝てた……よね?」

『──うーん……まあな。昼まで寝てるとリーゼに叩き起こされっから、丁度良かったけどよ……』

 どんな風に叩き起こされるか、ちょっと見てみたい。

「公民館のイベントホールに、ライブ演出用の照明機器を搬入しても大丈夫かな?」

『──くるくる回して色を変えるライトなら公民館にもあるど?』

「スタンド式だけだと、やっぱり物足りないんだ。鞘音を引っ張り出すからには、できるだけ最高の環境にしてやりたい」

『──ちなみに、どういう機材が必要なんだ?』

「PARライト、ムービング、ミニブル、ピンスポ……そして照明を操作するDMX類は必要かな。光を強調するスモークマシンも、春はる咲さき市のレンタル業者から借りようかと」

 最低でもこれくらいは揃えたい。

 祭りは明日だが、すぐに手続きすればギリギリ間に合う。

『──俺としては大賛成だが、実行委員の予算はもう残ってねぇぞ』

「だよね……。もしかしたらって思ったんだけど……」

 当日限定のレンタルとはいえ、数万円はかかるだろう。実行委員の予算が使えないのであれば自腹を切るしかない。

 最小限のレンタル数に抑えて、新しいゲーム機とかソフトを売り払えば……。

『──レンタル業者はこっちで対応すっから、お前は自分のことを優先してけろ。会場設営や運営に関しては、イベントに関わる機会が多い俺の方が適任だべな』

「えっ? お金は……?」

『──大金持ちじゃねえけど、それくらいなら先輩が奢おごってやる。お前らをステージに呼んだのは俺だしよ、頼ってくれるなら喜んで協力するべさ』

 ……カッコよさの不意打ちはやめてくれ。

『──俺もお前らを頼るから、お前も俺たちを頼れ。それが地元の仲間ってもんだろ』

 トミさんみたいな男になれなかったことを、後悔してしまうから。

『──エミリィが待ってるんだべ? はよ行ってやれっちゃ』

「……ありがとう、トミさん」

 感謝の言葉は小さな声で。

「最近のエミ姉、トミさんが知らないような表情をいっぱい見せてくれるんだよね」

『──は? おい、おいおい。俺が知らないエミリィってなんだ!? おい! お──』

 一方的に電話を切った。

 からかいで誤ご魔ま化かしたのは、トミさん相手に真面目な空気が気恥ずかしいため。

 この町は酷むごい。

 根っからの悪役がいないので、俺が底辺の位置になってしまう。

 さて──最後のレッスンに行こうか。


 土曜日の深夜にまで及んだレッスンも終盤に差し掛かり、エミ姉の実家に缶詰め。本番に演奏する三曲を通しで弾くだけの最終段階になった。

 コピー曲を譜面通りに奏でるのが精一杯だけど、あとは本番のテンションに任せてどうにでもなれ。度重なる疲労と睡眠不足が、身体からだの重心を不規則に揺さぶる。

 指や腕の痛覚は麻ま痺ひした。痛すぎて、もう痛くない。

 思考回路が機能しない。何度も刻み付けた軌跡をなぞり、毎日繰り返した音を本能に任せて弾き切るだけ。

 ……………………………………。

 瞳を開けると、そこには天使がいた。

 死んだわけじゃない。景色は現世だ。かなり記憶が曖昧なのだが、エミ姉の実家で鍵盤にひたすら身を傾けていたのは覚えている。延々と──エミ姉の拍手が耳に届くまで。

 窓から差し込むのは、白みがかった早朝の光。部屋を彩る楽器の形に伸びた影。

「すう……んっ……」

 後頭部には柔らかい極上の感触。横たわる俺の視線には、エミ姉の無む垢くな寝顔があった。

 くわぁ……マジか。俺……膝枕されてるじゃん。

 途端に恥ずかしくなり、顔の表面温度が急上昇した。反則だろ。可愛すぎる。女の子座りで気持ち良さそうに眠っているエミ姉が。

 ストッキングの肌触りやエミ姉の甘い香りは、激しい動どう悸きを爆発的に促す。

 どうして、こんな状況になったかは定かではない。でも……一生に一度あるかないかの最高級な膝枕を、もうちょっとだけ堪能していたいな。

 かかってこいよ、豊臣正清。今だけは俺が、無防備なエミ姉を独占しているんだぜ。

「……うーん、あれ……?」

 差し込む光が眩まぶしいのか、瞼まぶたを小刻みに揺らした天使のお目覚め。

「おはよう、エミ姉」

「おはよう、修くん」

 恋人同士かよ。最高かよ。

「……聞いてもいいですか?」

「うん、なに?」

「どうして、膝枕してもらう状況になったんですか?」

 くだらない質問に、エミ姉が口元を押さえながら苦笑した。

「修くんが三曲を弾き切ったらすぐに寝ちゃったんだよぉ。本当に疲れていたんだねぇ」

「ああ……やっぱりですか」

 昨日は全く寝ていなかったため、そんな予感はしていた。

 酔い潰れて迷惑かける奴やつみたいで申し訳ない……。

「起きるまで膝枕してあげようと思ったんだけど、ワタシもいつの間にか寝ちゃっていたみたい。なんかゴメンねぇ」

「いえ……最高な寝起きになりました」

 きょとんと首を傾かしげるエミ姉だが、世の男子だけ俺の気持ちを分かってくれ。

「まだちょっと眠いので……もう少しこのままでも良いですか?」

「もぉ、甘えんぼさんだなぁ。正清さんにもしてあげたことないのにぃ」

 今の台詞せりふ……やばっ。俺の顔、気持ち悪くニヤニヤしていないよな?

 困り果てて眉尻が垂れ下がったエミ姉だったけど、

「……いいよ。頑張ったご褒美だっ」

 聖母のように微笑み、そのままの状態で頭をゆっくり、ゆっくりと撫なでてくれた。これだけで、すべてが報われたような。全身の疲労が癒いやされていく感覚。

 しかし、本番は今日の午後。最初で最後の本気は、そこで出し切ると決めた。

「エミ姉……」

「ん? なあに?」

「俺さ……鞘音のところに行ってくるよ。あいつから逃げた最悪な人生だけど、一度くらいは本気であいつの隣を歩いてみたい」

「歩けるよ。今の修くんなら……だって、自慢の教え子だもん」

 俺はこの人に憧れていた。

 隣に住んでいた外国人のお姉さんとお近づきになりたくて、音楽教室に通い始めた。初恋……ではない。年上のお姉さんに憧れる時期もあるだろう、と。

 でも、今なら断言できる。俺は、この人が初恋だったんだ。左手の薬指にはシルバーのリング。もう手の届かないエミリィ・スターリングという女性が──好きだった。

「エミ姉はさ……俺がいなくなったら寂しい?」

 突然の質問に目を丸くしたエミ姉。しかし、穏和な表情は崩さない。

「……寂しいよ。たぶん、ずっと泣き続けて、涙が涸かれ果てても泣いて、いつレッスンに来てもいいように、ここで待ち続けると思う」

「そっか……ありがとう」

 滲み出た雫しずくの粒が……俺の瞳から零こぼれ落おちそうだ。こんなゴミクズが消えても悲しんでくれて、ずっと帰りを待ってくれる人がいる。

 意味があったんだろうか、俺の人生には。

 何者にもなれないのに、生き長らえる価値があるわけもないのに。

「……そろそろ、行きます」

「うん、行ってらっしゃい」

 俺が上半身を起こすと──ふいに瑞みず々みずしい感触が頰ほおに触れる。微かすかな吐息と、薄紅色の唇。数秒間の静寂は、エミ姉からのキスによって引き起こされた。

 あくまで、仲の良い弟にするようなスキンシップ。それ以上でも、それ以下でもない。

 このご褒美が欲しくて、とある男子小学生は足あし繁しげく通った。

 もう、必要ないもの。これが最後のレッスンだから、ご褒美もこれで終わり。

「鞘音ちゃんと仲直りできるように……おまじない」

「惚ほれちゃうんで……やめてください」

「こーら、人妻にそういう思わせぶりなこと言わないの」

「独身男を勘違いさせるエミ姉が悪い」

 今はもう、好きじゃない大切な人。俺もエミ姉も、大好きな人が他にいる。

 幸せになってください。

 貴女あなたが愛している人と、夢を託した小さい少女と、いつまでもお幸せに。


 さようなら、俺の初恋。

 今行くぞ、俺が本当に──好きな人。


 ******


 早朝の冷えた空気を切り裂く行為は、思ったより遥はるかに爽快。犬の散歩をしていた爺じいさん婆ばあさんを華麗に躱かわしながら、鞘音の家にチャリで乗り付ける。

 本心は不安と憂鬱。妙な脂汗をかき、震える足を前へ前へと漕こぎ出だしながら、逃げたい衝動を振り払って、この場所に辿たどり着ついた。

「ストーカーかよ……」

 うろうろ、うろうろ。

 チャリで周辺を蛇行したり、降りて歩き回ったり……人気アーティストに付つき纏まとうヤバいファンと誤解されても文句は言えないな。

 会ってくれるのか、言葉を交わしてくれるのか……恐れていても始まらない。これ以上嫌われようが構わない。底辺より下はない。

 あいつが家にいる確率、九十八パーセント。二階にある鞘音の部屋を、外から見れば分かる。薄暗い環境が好きだから、カーテンが閉め切られていたら部屋にいる証拠なのだ。

「修君? こんな朝早くにどうしたの?」

「あっ、おはようございます」

 軒先に洗濯物を干していた鞘音の母さん。

「ごめんね、鞘音なら出掛けているわよ」

「えぇ、そんなはずは……」

 カーテン、閉まっているんだけどなぁ。なぜか、ちょっぴり窓も開いているし。

「……修君が来たら『出掛けたことにして追い返せ』って鞘音に言われたんだけど」

「やっぱり部屋にいるんじゃないですか!」

 鞘音の母さん、あっさりゲロってしまう問題。

「お母さん! なんで正直に言うのよぉっ!!」

 ──大自然に響き渡ったのは、窓から身を乗り出した鞘音の雄お叫たけび。あまりにも静かな田舎だから、庭で交わしていた俺たちの会話が聞こえていたらしい。

 こっそりと聞き耳を立てるために、窓を微妙に開けていた疑惑もあるぞ。

「…………帰って」

 バツが悪そうに、自室の窓を開放した鞘音。瞳を輝かせた鞘音の母さんが、好奇心旺盛な表情で俺たちを見守る。娘の色恋沙汰とでも勘違いしていそうだ。

「祭りに来てほしい。お前がいなきゃ何も始まらない」

「……………………」

 聞こえているだろうが、返事は無言。構わずに言葉を続ける。

「逃げ続けた人生だけどさ、一度くらいは逃げずに立ち向かうって決めたから」

「……信用できない」

「口先だけじゃないってことを、今からエミ姉の家で証明してみせてもいい。お前が納得するような音を出し切ってみせる」

 俺に背を向けたまま、押し黙る鞘音。庭から見上げているから、鞘音がどんな表情をしているのか分からない。たかが一週間の練習だが、俺にとっては自信の根源。

 失った信頼を、距離を、飾った言葉だけで解決することはできない。体現しなければいけないんだ。絶対に無理だという概念を覆すことによって。

「あとさ……宣伝用のPVも作ったんだ。トミさんとかエミ姉も手助けしてくれたよ」

「……どうして、それをわたしに伝える必要があるの?」

 ポケットに忍ばせておいたUSBメモリを握り、

「お前には最初に見てほしい。あの頃の映像と……あの曲を使っているから」

 口を真一文字に結んだ鞘音へと掲げる。

「今さらこんなものを作っても、ほとんど使い道はないと思う。それでも……鞘音に見てほしいから持ってきた」

 意味が無いと分かっていても、何かをやり遂げた証あかしとして──鞘音に贈りたい。

 顔色を変えず、微動だにしない幼おさな馴な染じみ。

 そっちがその気なら、俺も痺れを切らす。

 大きく振りかぶり、二階の鞘音に向けてUSBメモリを放り投げた。

 精度良く弧を描いた記録媒体。

 受け取ってくれ。

 頼む。

 放物線の終着は。

 鞘音が差し出した右手。

 無視すれば一階の屋根に落ちたものを、わざわざキャッチしてくれたのだ。

「……あなたが来たのは驚いたわ。あれだけ厳しく言えば、逃げ出すと思ったから」

「何度も逃げ出そうと思ったし、何度も家に引きこもりたいと願ったよ。でも……いろんな人の助けがあって、背中を支えてもらって、お前を迎えに来ることができた」

 それが五年前との違い。勝手に一人で抱え込まず、至らない力を補ってもらったからこそ、一時的にでも向き合う余裕ができた。

 離れていくお前の姿を、懸命に追うことができた。

 鞘音は暫くのあいだ沈黙を貫くも……開いていた窓をそっと閉めながら、似合わない微笑を浮かべて一言を告げる。


「行けたら……行く」


 それ、絶対に来ない奴の台詞じゃん。