俺の名前はサン。といってもこれは本名ではない。エルランド国フストリア領のフストリア家に仕えるちょうほう部員だ。だから俺の本名を知る者はいない。まあ、俺の父と母と妹と友達と、村のじいちゃんばあちゃんは知っているが。遠い村だから関係ない。

 つい先日まで長期間の任務を終えてやっとこの街まで戻ってきたところだ。別のちょうほう員ヨンとの合同任務だったが、力を合わせてなんとか乗り切ることができた。

 とはいえ、まだ休むことはできない。セレド様に報告し終えて初めて任務完了だ。ヨンはソフィア様に呼ばれたらしく、今回は俺一人での報告となった。

「入りなさい」

 とある部屋の中からの合図を聞いて、俺は物音ひとつ立てずに入り込んだ。

「さっそく報告を聞こうか」

 何か書いているのか、俺に背中を向けたままだ。

「かしこまりました。では最初に……」

 あらかたの報告を終えたところで、セレド様が振り向いた。あれ、セレド様の顔が少し丸くないか?

 そういえば、セレド様が太ったというような話を諜報部の人間から聞いたな。ただ、ダイエットを始めたおかげである程度改善したとか。この様子ならもう少しすれば元通りの体型に戻ることだろう。

「任務ご苦労。フストリアのためによく頑張ってくれた。あらためて感謝する」

「お褒めの言葉をくださり、ありがとうございます」

 セレド様は俺たちのような下っ端も丁寧にねぎらってくれる。シンプルなことだが、こっちとしてもうれしいことだ。

「さっそく休暇を与えたいところなのだが、その前に一つ正式な任務ではないのだが、頼みたいことがある」

「何なりとお申し付けください」

 フストリア家のため、俺にできることならなんだってやろう。

「サンがこの街を出ている間に、ソルーン・バーガーという新しい店ができた。そこのフライドポテトという商品を買ってきてほしい」

「フライドポテト……ですか?」

 聞いたことのない料理だな。

「でも、なぜ俺に?」

 こういう依頼については執事であるモードンさんが受けることが多い。

「それは……このことは決して知られてはいけないからだ。モードンはおろか、このことは誰にも知られてはならない」

 なんでも、ダイエットのためにポテトを食べる量を制限されているらしい。

「止められているのに食べてもよろしいのですか?」

 俺はセレド様に正論を投げかけてみる。

 すると、セレド様がものすごく深刻そうな顔をしながら、

「そのことは十分よく分かっている。しかし、今日はどうしても……どうしても食べたいんだ」

 と、目を潤ませながら俺に頼んできた。こんなセレド様を見るのは初めてだ。

「分かりました。今回だけですよ」

 食べるなと言われたら余計食べたくなる気持ちはよく分かるからな。

「本当かい!?

 セレド様が子供のような満面の笑みになった。よほど嬉しいんだろう。

「これがポテトの代金だ。多めに渡すから君の分も買って食べてくるといい」

「え、俺の分もですか?」

「これは個人的な頼みなわけだからね。お礼も兼ねてだ。いいかい。くれぐれも誰にも見つからないように持ってくること。それだけは守ってくれ。では、私はこの部屋で待っている」

「かしこまりました。それでは行ってきます」

 こうして俺は部屋の窓から音もなく外へと飛び出した。


「ここがソルーン・バーガーか」

 あまり目立たないほうがいいと考え、日が沈んでから店へとやってきた。とはいえ、繁盛店なだけあってこの時間帯でも人が多くいるみたいだな。

 列に並んで、持ち帰りのポテトを二つ注文する。少し変わった購入方法だったが俺は諜報員だ。目立たずに購入することなど造作もない。

「お待たせしました! こちらポテト二つになります」

 紙袋に入れられた商品を受け取り、中身を確認する。すると中からふわっと出来たての香りが漂ってきた。これは美味おいしそうだ。

 店を出て俺はすぐに路地裏へと移動する。自分のポテトを味見するためだ。

 店で食べればいいと思われるかもしれないが、どこから誰が見ているか分からない場所で食べることはできない。諜報員のさがというやつだ。

「いただきます」

 俺はフライドポテトを一本食べた。

「な、なんだこの食べ物は!?

 外はカリカリ、中はほくほくのジャガイモが、少し強めに振ってある塩味と絶妙にマッチしている。これは手が止まらない。セレド様が気に入るのも納得だ。

「ごちそうさまでした」

 ものの数分で完食してしまったが、これで終了ではない。セレド様に届けるという任務が残っているから気を引き締めないとな。

 そう思って移動しようと思ったそのとき、

「誰だ?」

 かすかにだが俺に意識を向けている人間がいる。敵か? 恨みを持たれるような人間は職業柄心当たりがありすぎる。

 だが、殺気が向けられているようには思えない。となると……。

「はぁ……ヨン、出てこい」

 俺は空に向かってそうつぶやく。

「あっちゃぁ。ばれたか。うまく隠れていたつもりだったのに」

 屋根の上から猫のように一人の女が飛び降りてきた。俺の同僚でよく一緒に任務をこなす仲間だ。先日までの長期間の任務でも何度も助けられた。

「で、何食べてるの?」

「フライドポテト。ソルーン・バーガーって店で買ってきたんだ」

「へぇ、あそこ今人気って聞いたのよね。今度食べに行ってみようかしら」

「おすすめするよ。さ、俺は帰るからまたな」

「了解。それじゃあまた……ってわけにはいかないんだよね」

 ヨンが笑顔で俺の肩をがっちりとつかむ。

「その手に持っている紙袋、まだ中身入ってるよね? 誰に届けるの?」

「届けるって家に持って帰るだけだよ」

「ふーん、じゃあここでそれも食べてもいいよね?」

「いやいや、家で食べるためだからここで食べる必要はないよ」

「その中身ポテトっていうんだよね? あたしにも一本ちょうだいよ」

「渡すわけないだろ」

「うんうん、そうだよね。だってセレド様に届けるためだもんね」

「……」

 俺たちは無言のまま見つめあった。

「誰の指示だ?」

「さあ誰かしら? そんなことより、早くその袋を渡しなさ……」

 俺は素早く体をひねってヨンの腕をはがすと一目散に逃げた。

 裏路地から屋根へと駆け上がり、まっすぐ城を目指す。

 まさか邪魔が現れるとは。

「逃げても無駄よ!」

「うおぁ!」

 死角から現れたヨンが紙袋へと手を伸ばす。間一髪のところでよけられたが、次もよけられる保証はない。

 仕方がない。スキルを使うことにしよう。俺は反転してヨンの手に触れた。

 すると、

「もう、見失ったじゃないの!!

 ヨンは俺が目の前にいるにもかかわらず、辺りを探し始めた。

 そう、これが俺のスキル、『認識阻害』だ。触れた相手から一分間だけ認識されないというスキルだ。触れないといけないから制約も大きいが、そこは別の技術で補っている。この仕事には重宝するスキルだ。

「今回は俺の勝ちということで」

 あいつは俺と同じぐらいの実力だが、鬼ごっこに関しては俺のほうが一枚うわだ。

 聞こえていないヨンに向かって勝利宣言をしたあと、俺は城へと急いだ。


 セレド様の部屋の前まで戻ってきた。

 途中邪魔が入ったけど、無事に持ってくることができた。

「セレド様。例のものをお持ちしました」

「例のもの?」

 中のセレド様が聞き返してきた。

「先ほどセレド様が頼んだものです」

「い、いや。私はそんなものは頼んで……」

 なぜかセレド様の返事の歯切れが悪い。もしやセレド様の身に何かあったのでは?

「失礼します!」

 慌てて俺が部屋へと駆け込むと、

「任務ご苦労ですわ。サン」

 目の前には満面の笑みのソフィア様が立っていた。満面の笑みなのだが、目はまったく笑っていないし、めちゃくちゃ怖い。しかも横でセレド様が正座している。

「ソフィア様? 一体なぜここに?」

「あなたの右手にあるものよ」

 ソフィア様の視線は完全に俺の持っている紙袋に注がれていた。

「それで?」

 たった三文字の言葉をソフィア様が発しただけで、小さくなっていたセレド様がさらに小さくなった。

「あ、いや、その」

「これで言い訳できるとまだ思っているんですか!?

 ソフィア様がブチ切れた。

「あれだけポテトは二週間に一回と決めたのに約束を破るなんて! いい加減にしてくださいまし!」

「本当に申し訳ございません」

 セレド様が平謝りしている。こんな姿見たくなかった。

「サン、あなたもですわ! 食べてはいけないと分かって一体なぜ」

「……申し訳ございませんでした」

 しまった。俺にもとばっちりが来てしまった。ここは言い訳せずにひたすら謝るしかない。

「とにかく、そのポテトは没収です!」

 ソフィア様は俺から紙袋を奪い取った。

「ヨン、出てきなさい」

「はい、ソフィア様」

 天井裏からヨンが降りてきた。やっぱり俺をつけてきたのはソフィア様の依頼だったということか。

「このフライドポテトはあなたへの褒美としてあげるわ」

「本当ですか!? ありがとうございます」

 ヨンがソフィア様から嬉しそうに受け取った。

「できれば、今この場で食べてほしいの」

「かしこまりました、ソフィア様。それではいただきます」

 ヨンはまとめて三本ポテトを掴むと、そのまま口に放り込んだ。

「んー! 美味しいです!」

「私のポテトが……」

 ヨンがポテトを堪能しているところを見せつけられて、セレド様は悔しそうな表情をする。

 きっとこれがセレド様への罰なんだろうな。

「いいですこと? 次はこんなものでは済みませんからね」

 そう言い残してソフィア様はヨンを連れて去っていった。


 ……今後ソフィア様の反感は買わないようにしよう。