「見るだけならいいわよ。見るだけなら。うふふ」
この女、わざとやっている。男も当然分かってはいたが、まるで淫魔のような黒い魅力にはどうしても抗えない。だが、決して油断してはいけない。相手は証拠も残さず人を呪い殺す一族、その中でも抜きん出た力を持った存在なのだ。
「報酬はそこに書いてある通りだ。もう少し上乗せする事も可能だが……」
「いえ、これで構わないわよ。ただ、あなたの髪の毛を一本もらえるかしら?」
「髪の毛?」
訝しく思いつつも、男は自分の髪を一本抜き、呪詛吐きに差し出した。
「私はね、仕事とプライベートは分けるタイプなの。離れた洋館に住んでる変わり者。それが私。私が呪い屋をやってる事は秘密にしたいのは、そっちも一緒でしょ?」
「それはそうだが、その髪の毛は?」
「これは保険よ。私はね、髪の毛一本あれば、その人間を呪い殺すくらい簡単に出来ちゃうの。もしも、あなたが私の正体を誰かに喋ったら……言うまでもないわね?」
呪詛吐きは軽い口調でそう言ったが、男は背筋に氷柱でも突っ込まれたように身震いした。やはりこの女は魔女だ。魅了され、必要以上に踏み込めば破滅は免れない。
男は、それから呪詛吐きと内容のすり合わせをし、呪いの道具が出来上がり次第、取りに来る事を約束した。
用件が終わると、男は逃げるように洋館を出ていった。
「つまらない男ね……ま、人間の男なんて大体あんなものだけど」
小走りに去っていく男の背中を、呪詛吐きは屋敷の二階の窓から眺めていた。上流貴族の暗殺は、警備も厳重でそう簡単に出来る事ではない。だから、証拠を残さず衰弱死させられる呪詛吐きは、闇社会では引っ張りだこだ。
かなり高額の依頼料を取っていたが、それでも客は途絶えなかった。今は大陸の覇権争いの最中であり、呪詛吐きの能力は、あらゆる場所で重宝された。呪詛吐きを味方に付けた者が大陸の覇者となる、とまで言われた程で、呪われた女神のような扱いをされている。
「生活費に困らないのはいいけど、人間と喋ると疲れるわぁ」
呪詛吐きは肩を軽く回し、二階の奥の部屋へと向かった。この洋館は、どこかの貴族の物だったらしいが、没落したため、呪詛吐きが買い取ったのだ。使用人も雇ってはおらず、今、この屋敷に住んでいるのは呪詛吐きしかいない。
呪詛吐きは仕事場にしている部屋に入ると、とりあえず先ほどの依頼を片づける事にした。内容を確認したが、標的はかなりの高齢だ。呪いの初歩、呪殺石で事足りそうだったので、呪詛吐きは適当な石ころに、自分の魔力を注ぎこむ。
初歩といえど、通常の呪い使いなら一週間はかかる作業だが、呪詛吐きはそれを一時間程度でやってのけた。
後は、適当な時にあの男に渡せばよい。それだけでヴァルベールの平民が一年遊んで暮らせる金が入ってくるのだから、割のいい仕事ではある。
「さてと、お仕事も終わったし、お楽しみタイムに入ろうかなっ」
呪詛吐きは男に見せた蠱惑的な物と違い、柔和な笑みを浮かべた。まるで、これから馴染みの友達と遊びに行くような、そんな邪気のない表情だ。
呪詛吐きは作業部屋を出ると、そのすぐ横にある部屋の扉に手を伸ばす。
「お待たせ! みんないい子にしてた?」
呪詛吐きが話しかけるが、真っ暗な部屋の中からは何の返事もない。ただ、何かが蠢くような、ごそごそという音だけが響く。
部屋の中は暗闇だ。だが、呪詛吐きには、その中で、どこに何がいるのかはっきり見えているらしく、うっとりした表情で、その蠢く物体を眺めていた。
「トカゲちゃん、ヤモリちゃん、大蛇ちゃん……みんな待たせてごめんね。お腹空いたでしょ?」
呪詛吐きがご機嫌で話しかけているのは、夥しい数の不気味な生き物達だった。暗闇を這いまわるムカデ、手の平に乗るほど巨大なクモ、人の身長ほどの長さの大蛇などが、部屋に設置された籠の中で、主を歓迎しているようだった。
「今日は新鮮な虫を用意してあるのよ。さあ、存分にお食べなさい」
呪詛吐きはまるで子猫に話しかけるように、手近にあった籠に手を伸ばし、その中にいた小さなトカゲに虫を食べさせる。
「あーん! 可愛いわぁ!」
呪詛吐きは虫を食べるトカゲの動作を見て、メロメロになっていた。それと同じように、他の不気味な生き物達に次から次へと餌を与えていく。
これがうら若き乙女、呪詛吐きのライフワーク。いや、ライフラインであった。呪詛吐きは、子供の頃からこういった奇妙な生物が好きだった。いくら呪われた一族とはいえ、やはり人間である。クモや蛇などに生理的嫌悪感を持つ者も少なくない。
だが、これらの忌み嫌われている生き物は負の感情を溜めこみやすく、この苦手意識を克服していくのが、呪い屋として成功するための第一関門である。
そういう意味で、呪詛吐きはまさに天賦の才を持っていた。今でこそ「呪詛吐き」などと呼ばれている彼女だが、能力的にそれほど優れていた訳ではない。
ただ、人並み外れて変な生き物が好きだった。呪詛吐きは、単純に奇妙生物を飼育出来るという目的だけで、この道に嵌っていった。屋敷の植物を放置しっぱなしにしているのも、その方が餌の虫が沢山集まってくるというだけの理由である。
「この子達は人間達に嫌われているんだから、復讐だってしたいでしょうしね」
呪詛吐きは人嫌いだったが、奇妙生物には優しい女の子だった。その証拠に、この部屋で飼われている動物達は、皆、呪詛吐きの呪いの加護を受けている。呪詛吐きの手の平に乗っている人差し指ほどのトカゲに軽く噛まれれば、戦争の最前線で戦う戦士すら死んでしまうだろう。
とはいえ、ここで飼っているのは呪詛吐きのペットだ。依頼で仕方なく作る呪いの道具と性能は段違いだが、売る気はない。
「人間なんてみんな滅びればいいのよ。そして、私はこの子達と幸せに呪われて暮らすの」
好きこそものの上手なれ、と言うが、呪詛吐きはそれを体現した人間だった。呪詛吐きが呪いを極めようとしたのは、普段迫害されている生き物達の仇打ちのためでもある。
そのために呪いを研究し、寝る間も惜しんで研究する様を見た一族達は、「呪いに魅入られた者」と畏敬の念を示した。だが、呪詛吐きからすればそんな呼称はどうでもいい。自分の好きな道を見つけ、それにひたすら邁進していただけだった。
そして、気が付けば、二十代にして一族最強の実力者というポジションになっていた。普通、このくらい力が付けば、指導者側に回るのだが、その誘いを断り、呪詛吐きはひたすらに呪いを研究し続けた。
「あんなに可愛い蛇ちゃん達なのに、まだまだ気持ちの悪い道具扱い! 駄目だわ! もっとこの子達に活躍の場を与えないと!」
どれだけ実力が付いても、若い頃の呪詛吐きは奇妙生物マニアに過ぎなかった。単純に道具としてでは駄目なのだ。もっと、忌み嫌われた生き物達の権威を上げる必要がある。そのために、呪詛吐きは、難解過ぎて誰も解析出来なかった、一族の文献を漁るまでに至った。
「何これ? 魔獣……って読むのかしら?」
そうして、僅かに残された文献を漁っているうちに、呪詛吐きは、失われた技術を発見した。狭い空間で自分の魔力を分け与え続ければ、知恵ある獣にする事が出来るというような内容だった。
「これだわ! これが私の探していた物よ!」
この発見は、大陸に追いやられた呪われし一族達にとって革命的な出来事だった。その姿勢がまた、「あれこそが呪いの祝福を受けた者! 我らの象徴だ!」などと讃嘆されたが、呪詛吐きにとっては、これもまたどうでもよかった。
それから呪詛吐きは、青春時代のほぼ全てを呪いの探究に費やした。無論、彼女の美しさに「殺されても構わない!」と言い寄る男は数知れなかったが、呪詛吐きはそれを全て突っぱねた。
呪詛吐きにとって、人間の男よりもクモやムカデ、大蛇の方がパートナーとして魅力的だったのだ。
「あらあら、悪戯は駄目よぉ?」
研究中、呪詛吐きはよく身体に大蛇を巻きつけていた。蛇は狭くて暗い所が好きなので、たまに呪詛吐きの胸の谷間に滑り込んでくる事もあったが、呪詛吐きはくすぐったそうにしながらも、満更でもない様子で受け入れていた。人間の男には、柔肌を触れさせた事すらなかったのに。
しかし、呪詛吐きがいくら研究に没頭したくても、周囲がそれを許さない時期がやってきた。
「呪詛吐き様の呪いに命を捧げるその姿勢、我々は平伏するばかりです。ですが、ここ最近、大陸の情勢が安定してきております。一族の仕事も減るばかりです」
「ふむ……確かに問題かね」
当時、呪詛吐きは既に七十を越えており、その間、依頼をこなしつつ呪いに没頭していた。若い頃にひたすら怪奇生物のためにしていた研究のお陰で、効率よく虫や獣に魔力を染み込ませる方法などは編み出していたが、この頃になると、生き物よりも呪いという概念そのものに興味を持つようになっていた。
それと同時に、同志が進言した通り、最近の依頼の質が下がっている事は、呪詛吐きも分かっていた。昔は殺しの依頼が頻繁に来ていたのに、最近は、一時的に体調を崩させ、政略結婚を避ける等の依頼ばかりだ。お陰で、呪詛吐きが洋館に住み続ける維持費の工面も難しくなっていた。
「ヘリファルテの若獅子、シュバーン王子が活躍している事が原因らしいです。奴のカリスマ性は凄まじく、国民の支持も厚い。諸外国も対立より和平を望む事が多いようです」
「ほほう、ようやく立派な指導者が出てきたのかい」
「はい。このままでは、我ら一族そのものが滅んでしまうでしょう。今こそ、呪われし一族の指導者として、あなた様に先頭に立っていただきたいのです」
「こんな年寄りを引っ張り出すなんて、よっぽど切羽詰まってるんだねぇ。ま、いいさ。やりたい事はあらかたやったし、引き受けてやるよ」
そうして、呪詛吐きは一族の長となった。彼女は早速、シュバーンの暗殺を計画し、呪いの力を籠めた様々な道具や生物を送り込んだが、若きシュバーンの精神力は尋常では無く、邪悪を全て跳ね返した。
「なるほど、こりゃ厄介な小僧だ! でもまあ、楽しくなってきたねぇ。イッヒッヒ!」
呪詛吐きは苦々しく思いつつも、同時に何故か喜んでもいた。肉体関係こそなかったが、男を侍らせる美貌を持ち、一族からも崇拝され、趣味の生物の飼育など、やりたい事は全てやってきた。
正直な所、満たされ過ぎていて退屈だったのだ。そこに、思わぬ強敵が現れた事で、老いてなお、生き甲斐を見出す事が出来た。
「長生きはするもんだねぇ。人生、まだまだこれからって事かね」
呪詛吐きは若い頃より生き生きとしていた。
王位を継いだシュバーンのせいで大陸に平和の時代が訪れ、呪詛吐き一族は隠遁生活を余儀なくされている。
一族の長である呪詛吐きですら、ヴァルベールの大きな洋館を引き払い、路地裏で薬師をやりながら、細々と生活している有様だ。
だが、彼女は希望を捨てていなかった。
「私は幸せ者さ。好きな事、やりたい事をやれるだけやれたからねぇ。だがね、私は欲張りなのさ。もう一つやりたい事がある。それは、日除蟲を作る事さ。あれが見られたら死んでも本望なんだが、これは流石にぜいたくかねぇ」
日除蟲──禁術として扱われ、何百年もの間封印されてきた呪いの奥義。製法は何十年も前に発見していたが、莫大なコストが掛かるし、大義名分も必要だ。
日除蟲を使ってまでシュバーン王を倒そうとする者は現状いないし、あの獅子王に匹敵する程の逸材と、その逸材を倒そうとする憎悪を持つ出資者が必要である。
「まあ、現時点じゃあ無理かね。だが、将来的にはどうかな? こりゃ、まだまだ死ねないねぇ! 光のシューバーン王と闇の女王の呪詛吐き、最後に笑うのはどっちかな? イッヒッヒ!」
結局、この発言から日除蟲を発動させるまで、さらに二十年近い時間を要する事になるが、その間、呪詛吐きは一族の先頭を歩き続け、暗闇に生きる一族の道しるべとなった。
呪詛吐きは確かに呪われた運命を背負い生まれて来た。だが、彼女は呪われてはいたが、決して不幸では無かったのかもしれない。彼女の人生で最大の不幸は、月光姫セレネと関わってしまった事だろうが、その物語は、まだ幕を開けていなかった。