温もり

月光姫セレネは生きている。色々と間違ってはいるが、結論は正解に辿り付いたシンニの胸に湧いたのは、歓喜だった。宿敵がまだこの世にいる。それは、シンニを突き動かすのに十分な力を与えた。

シンニは、聖セレネ霊廟からヘリファルテへ戻る馬車へは乗らず、もう片方、白森行きの馬車の方へ乗りこんだ。聖セレネ霊廟のある百合の花園付近は、ヘリファルテとエルフ達の住む白森の中間にある。

白森から巡礼に来るエルフ達に混じり、人間達が白森へ足を伸ばす事も最近増えている。その逆で、エルフ達が人間の街へと足を向ける事も多い。だから、シンニが白森行きの馬車の方に紛れ込んでも、誰も咎める物はいなかった。

白森は魔力に満ちたエルフ達の領域だ。魔力を持たない人間が長時間滞在すると、白森の魔力に蝕まれ体調を崩し、最悪死に至る。だが、魔力のない人間でも、エルフの里へ滞在する事が可能となる技術が最近開発された。

それが白森に住む大トカゲ──スキンクの皮を加工して作った防魔服ぼうまふくである。ヘリファルテの王子ミラノと、エルフの族長ギィが主導で始めた、人間の世界でのスキンクの繁殖による副産物だ。

スキンクは白森原産で、元々魔力に対する耐性がある。しかも、爬虫類のため定期的に脱皮する。その皮を加工し、服の上から羽織る特殊なローブを作り出したのだ。

半透明に透き通る雨合羽あまがっぱのようなデザインで、服の上からそれを羽織れば、魔力のない人間でもある程度の期間は耐える事が出来る。

そうして、魔力はないが優秀な職人達がエルフの里に入る事が可能になり、エルフ達にはなかった鍛冶の技術などが持ちこまれている。なお、エルフの族長は、何故かしょっちゅう鍋を作らせているらしい。

エルフの方はというと、魔力の扱いに長けている特性を活かし、人間達に魔力の講師として呼ばれる事が多いようだった。シンニは直接会った事はないが、ザナというエルフの少女を筆頭とした集団がヘリファルテ国立大学に在籍し、特別講師のような位置にいるのだそうだ。

だが、今のシンニにとっては、そんな事はどうでもいい。シンニにあるのはただ一つ、竜峰でいつか人間の世界に戻る事を夢見ている月光姫を、自分の手で殺す事だ。

「この辺でいいかしら……」

シンニが白森へ向かってから数日が経過し、人間達が白森へ入る直前、シンニとコクマルは目を盗み、休憩中に団体の中から抜け出した。

『おい、マジでやんのかよ? 竜峰に行くなんて人間じゃ出来っこねぇよ』

「人間じゃ出来ない? 大丈夫、私は偉大な月光姫サマを殺そうとしてる『人でなし』だもの」

『言葉遊びをしてる場合じゃねぇだろ。ガキ一人じゃ絶対無理だ」

生まれつき魔力を持っているシンニに防魔服は必要ないが、少女一人で森に分け入るのがどれほど危険かは相当に難くない。まして、場所は白森。猛獣だって棲息している。

ヴァルベールの冒険者が勝手に侵入していた時も、複数の屈強なメンバーで構成されていた。

「そうね、私一人じゃまず無理でしょうね。だから、あんたが頑張るのよ」

『はぁ!? 俺も行くのかよ!?

「当たり前でしょ。それを前提にした計画なんだから」

『勝手に俺を巻きこむな! 俺は嫌だからな! 何でこんな人外魔境に突っ込まなきゃならねぇんだよ!』

「あんたも人外でしょ。それに、私に死なれたら困るでしょ?」

シンニは黒い笑みを浮かべる。コクマルからすれば、シンニは唯一の魔力の供給源だ。もしシンニに死なれたら、徐々に魔力が抜けていき、知識も力も失い、間抜けなカラスに逆戻りだ。

『こ……このクソガキ! 自分で自分を人質にしやがった!』

「さぁ、話は済んだわね。霊廟付近の露店だとろくな準備が出来なかったから、短期決戦で行くしかないわ」

一度ヘリファルテに戻って準備して……という事も考えなくもなかったが、連続して休暇届けが受理されるとは限らない。

今回、シンニは「聖セレネ基金を受けた感謝をセレネに伝えたいので、霊廟へ参拝したい」という名目で申請を出していた。同じ手は二度使えないだろう。

そんな訳で、シンニの装備は聖セレネ霊廟付近で手に入れた僅かな食糧と、ナイフや傷薬などの詰まった少女でも背負えるサイズのリュックだけ。まともに考えたら地獄へまっしぐらである。

『いくらなんでも無謀過ぎるだろ。せめて冒険者を雇うとかよ……』

「なんて言って雇うのよ?『月光姫が生きているので殺したいです。竜峰まで付いて来て下さい』なんて、十二歳の女の子が言って雇われる冒険者がいる?」

『……どう考えても、頭のおかしいガキ扱いだわな』

「時間が惜しいわ。コクマル、私の指示に従いなさい。私が死なず、傷つかず、最短で竜峰に行けるよう、精一杯尽くすのよ」

『あーもう! 分かった! 分かったよ! やりゃいいんだろ! やりゃ!』

コクマルは大声でガァ! と鳴くと、空へと飛び上った。それを合図に、シンニも何のためらいもなく白森へと侵入していく。

距離だけでいえば、白森の入口から徒歩で竜峰へ辿り着くのは不可能ではない。だが、それを不可能たらしめる理由が、白森にはいくつもある。

まず、白森に充満する魔力だ。これはシンニもコクマルもクリアしているが、生物の魔力は有限なので、目減りしていく。これを防ぐためには短期間で進むしかない。

だが、白森に対する知識のなさがそれを阻む。普通の鬱蒼うっそうとした森ですら迷いやすいというのに、まして白森に対する知識など、人間は殆ど持っていない。

エルフならば別だが、彼らは竜を神の化身と崇めているため竜峰付近には近寄らないし、やすやすと情報は教えてくれない。だが──。

「コクマル! 状況はどうなってるの?」

『左の方は駄目だ。沼地になってやがる。進むんなら右の方がいいぜ』

「そう。また次の分岐になったら頼むわね」

『頼むわね。じゃねぇよ……何回飛ばせるんだよ!』

文句を垂れながら、コクマルがシンニの肩に止まる。そう、シンニがコクマルを連れてきた理由はこれだ。木々の上を飛ぶ事が可能で、鳥の視力を持つコクマルは、危険物を発見するのにうってつけなのだ。

通りやすいルートを発見し、危険に見える動物を発見すれば、即座に警告する。コクマルは文字通り、生きた鳥瞰図ちょうかんずなのだ。

そのお陰で、人間の冒険者では迷いに迷った挙句、野獣に襲われたり、エルフに見つかったりして叩き出される白森を、シンニはすいすいと進む事が出来た。

「コクマル、次のルートを教えてちょうだい」

『マジかよ!? 今日だけでもう五十回くらいやってるぞ!? ババアより鳥使いが荒いぜ……」

シンニは簡単に命令するが、コクマルからすると超重労働である。頻繁に高く生い茂る白森の頂点まで飛び上り、それから滑空して辺りを見回す。それが終わればシンニに報告。これを一日に何十回も繰り返すのだ。

以前、ヴァルベールからヘリファルテへ調査のために飛ばされた事はあったが、あれと比べると短期間での出撃が多く、ろくに休めないので疲労度も半端ではない。

──だが、疲れているのはコクマルだけではなかった。



「はぁ……はぁ……」

『おい、大丈夫か? 大分息が上がってんぞ』

「問題ないわ……こんな事なら体力を鍛えておけばよかったわね」

白森に潜入して早一週間。シンニは額に玉の汗を流し、それを拭いながら竜峰への道を進んでいた。最短ルートを通ってはいるが、シンニは体力のある方ではない。闇蛍を使える点を除けば、ごく普通の少女に過ぎない。

それに、魔力の消耗も思った以上に大きい。昼のうちに歩けるだけ歩き、夜になると物陰に身を潜め、闇蛍でコクマルと共に身を隠す。こうする事で獣からの 夜襲を防いでいた。だが、これは昼間は体力を消耗し、夜は魔力を消耗するという事でもある。旅のための備蓄も殆どないので、食事も切り詰めねばならない。

シンニは、白森という環境にじわじわと追い詰められていった。それでも歩みを止めなかったのは、師の意志と、月光姫に対する執念だった。

そうしてシンニは、自分とコクマルを酷使し、エルフですら立ち入らない白森の最深部まで辿り着いた。だが、そこが彼女の限界だった。顔面蒼白、青息吐息のシンニは、ついに地面に倒れ伏し、動けなくなった。

『お、おい! シンニ! くたばるんじゃねぇ! お前が死んだら誰が俺の世話するんだよ!?

「ちくしょう……あと、少しなのに……」

最後の気力を振り絞り、立ちあがろうとするが、ほんの少し身じろぎするのが関の山。もう、進む事も戻る事も出来なかった。

『だからやめろっつったんだよ! おい! 死ぬな! 俺を一人にするんじゃねぇ!』

「はは……」

地面に突っ伏したまま、シンニは口元を少しだけ歪め自嘲した。なんと無様なのだろう、と。

「あいつを殺すまで……死なないって決めたのに」

自分の不甲斐なさを笑った後に来たのは──怒り。ありとあらゆる物に対する憎しみだった。自分から大切な物を奪った不倶戴天の敵は、竜峰にいるというのに。

そいつを殺すためだけに、白森という魔境へ飛び込んだ。けれど今、自分はその森の養分となろうとしている。誰にも見られず、気付かれず、何も成し遂げられないままで。

「だいじょうぶ?」

だから、突如目の前に現れた、長い白髪の少女が自分を覗き込んでいるのに気付いた時、お迎えの天使が来たのだろうと、赤毛の少女は本気で思い、すぐに否定した。

自分を迎えに来るのなら、もっと醜悪な死神だろうと思ったからだ。

シンニの意識は朦朧とし、視界は霞んでいる。だから、これはきっと死ぬ前の幻覚なのだろう、そう考えた。けれど、白い少女が細い指で自分の頬に触れた時、長らく感じていなかった人の温もりを感じ取れた。

(……セレネ=アークイラ!)

やっと会えた。やっと見つけた。やっとこいつを殺せる機会がやってきた。だというのに、シンニは、攻撃をするどころか、意識を保っている事すら難しかった。なんともどかしい事だろう。

「ちくしょう……必ず……お前を殺してやる……!」

精一杯の呪詛を吐き、シンニの意識は闇へと沈んでいった。



「私は……一体?」

どれくらいの時間が経ったのだろうか。シンニは意識を取り戻し、かぶりを振った。どうやら、自分は洞窟のような場所に運び込まれたようだが、入口らしき場所から見える景色は明るかった。

確か、倒れたのが日中で、随分と身体が楽になっている所から、少なくとも丸一日以上は経っているだろう。

「おっぱい……」

「ん?」

自分の事ばかり気にしていて気付かなかったが、胸元に温もりが伝わってくる事にシンニは気付き、視線を下に向け、仰天した。