聖セレネ霊廟

シンニが提出した休暇届けは、比較的簡単に受理された。今までただの劣等生扱いだったシンニであるが、マリーに認識された事で、学園内で優遇される立場となってしまった。

今まで他人を遠ざける、暗くて不気味な人間扱いだったシンニは、ヴァルベールの竜の襲撃で何もかも失い、傷付き歪んでしまった哀れな少女というように解釈されているようだった。

シンニは元々ヴァルベールの貧民街に暮らしていた訳で、家族も財産もなかったのだが、どうも噂が広まってしまったらしく、今まで毛嫌いされていたのに、ちらほらと話しかけてくる学生も現れた。

シンニとしてはそれが非常に邪魔だったのだが、下手に騒ぎを起こす訳にもいかず適当に流すしかなかった。そして、休暇届けが受理されるや否や、即座に学園を飛び出した。目指すは宿敵の眠る土地──聖セレネ霊廟である。

元々、百合の花園として風光明媚ふうこうめいびな場所ではあったが、その付近に聖セレネ霊廟が建築された事で、各国から巡礼者が数多く訪れる土地となっている。

ヘリファルテでも巡礼ツアーが組まれており、シンニもそれに加わった。数台の馬車に分かれ、五十名ほどが参加する中に、シンニとコクマルも紛れ込んでいる。

『なあ、死人を殺すとか訳分かんねぇ事言ってるけど、狂ったのか?』

「ちょっと黙ってなさい。向こうに着いたらきちんと説明するわ」

今、シンニは聖セレネ霊廟行きの馬車に揺られていた。ここであまりコクマルと喋ると、カラスと喋る可哀想な人扱いされてしまう。それに、ここで目立ってしまうと、今からやる悪事に支障をきたす危険性がある。

一週間ほどで、聖セレネ霊廟に辿り着いたシンニは、目の前に広がる光景に目を丸くした。

「まるで街ね……」

霊廟というからには、厳かな建物がぽつんと建っているのかと想像していたが、実物はまるで違っていた。もちろん、聖セレネ霊廟自体は、穢れなき白をベースに建築された荘厳な建物であるが、シンニが驚いたのはそこではない。

聖セレネ霊廟は、未だに基礎の部分しか完成していない。月光姫の偉業を永遠に称えるため、数十年掛かって完成するような設計になっている。

この土地は白森とヘリファルテの中継地点でもあり、お互いの種族が手を取り合って作業している。つまり、種族の垣根を越えた巨大な公共事業のようなものだ。

巨大建造物を完成させるためには、大工を始め、多数の人間やエルフが必要となる。さらに野盗から彼らを守るため、護衛の兵士が必要だ。そうなると、テントや野営ではとても間に合わない。

彼らの寝泊まりする宿、食事を振る舞う場所が必要になり、人の集まる所には商人達が現れ……というように、芋づる式に人とエルフが集まってくるのだ。

そんな流れが二年ほど続いた事で、聖セレネ霊廟を中心としたコミュニティが出来つつあった。今はちょっと大きな村のような集まりだが、活気だけでいえば、ヴァルベールよりよほど人々は幸せそうに見える。このまま順調に建築が進んでいけば、エルフと人間の住みあう巨大な街へと成長していくだろう。

「本当、月光姫っていうのは偉大な存在なのね……」

シンニは己の仕事を誇りを持って生活していく人々を見て、忌々しげに舌打ちした。その直後、フードの下で暗い笑みを浮かべる。

「でも、その偉大さも今夜でおしまい」

『さっきからぶつぶつうるせぇな。いい加減、説明しろよ』

コクマルがシンニに促すと、シンニは彼女にしては珍しく、小声ながらも嬉しそうに計画を喋り出す。

「月光姫は、生きてる時も前人未到の偉業を成し遂げたけど、死してなお、こうして人々に職を与え、笑顔を与え、希望を与えている。大したものだと思うわ」

『で、そいつをどうすんだ?』

「皆がそれだけ月光姫に入れ込むのは、彼女の『不滅の聖性』にあやかりたいからでしょうね。偉業を成しつつも早死にした。けれど、死体は綺麗なまま。そこに神秘性があるのよ」

シンニの言う通り、月光姫の聖骸は全く腐る事がなく、今も霊廟の棺の中に眠っているらしい。その美しさに人は惹かれ、また、通常では考えられない神性をそこに見出す。それらの要因が、月光姫の名声をより高めているのは事実だ。

「だから、それを潰す。天の威光を引きずり下ろすのよ」

つまり、月光姫の「死してなお永遠」という部分を台無しにするのだ。シンニの操る闇蛍は、殺傷能力は殆どない。けれど、幼子の柔肌を傷つける事くらいは出来る。

『つまり、闇蛍でセレネの死体をボロボロにするって事か?』

「そういう事。私ならそれが出来るわ。簡単に」

月光姫の眠りを妨げてはならないという戒律により、棺を開ける事は出来ない。だが、闇蛍なら僅かな隙間から忍び込む事が出来る。そして、艶やかな姿で眠っているセレネの遺骸をずたずたに引き裂くのだ。

「そうだわ。腐って見えるように、黒い染みもいっぱい付けてやろうかしら。そうすれば、月光姫を信奉している人間も気付くでしょう。あいつもただの人間だったんだって」

今は棺を開ける事は禁じられているが、永遠に開けないという事はないだろう。そして、棺のふたを開けた時、真っ黒になり、傷だらけになった遺骸を見たら、人々は落胆し、こう考えるだろう。

──自分達の信じていた永遠性は、所詮まやかしだったのだと。

『なるほどねぇ。しかし、お前、陰湿だよな』

「何とでも言えばいいわ。私は、私の出来る事をやるだけよ」

シンニは軽く笑ってあしらうと、予約していた宿の一室へ向かう。当然、霊廟に巡礼に行くはずもなく、旅の疲れを癒すため、すぐにベッドに身を横たえた。シンニが動くのは、闇が深まった夜になってからだ。



それから数時間後、夜のとばりが降りた頃、シンニはそっと宿を抜け出した。霊廟の周りには簡素な酒場なども用意されており、昼間に建築に関わっている人間とエルフが、和気藹々わきあいあいと酒を飲んだりしている姿が見えた。

シンニは彼らに見つからないよう、闇の中を少しずつ移動し、霊廟へ歩み寄っていく。近付けば近付くほど、建物の荘厳さに気圧されそうになる。大国ヘリファルテが主導となり建設を始めただけあって、間違いなく歴史に名を残す建物になるだろう。

『おい、今なら誰も見張りはいないみたいだぜ』

「了解。じゃあ、さっさと用件を済ませましょう」

霊廟付近の倉庫で、シンニはしばらく身を隠していたが、そこにコクマルがやってきた。魔獣であるコクマルは、フクロウよりも夜目が利く上に、天然の黒装束に身を包んでいる。夜の偵察にこれ以上向いた存在はいないだろう。

聖セレネ霊廟は夜間は立ち入り禁止となっていて、墓荒らしからセレネの聖骸を守るため昼も夜も衛兵が入口を守っている。コクマルは木陰からずっと監視していて、衛兵が休憩に入るのを確認するや否や、すぐにシンニの元へと飛んできた。

ほんの僅かな隙を突き、シンニは霊廟内に足を踏み入れる事に成功した。中には誰もいないはずだが、念には念を入れて足音を殺して歩く。

(聖セレネ霊廟……噂に違わず、綺麗な場所ね)

普段、美術品などに興味を示さないシンニも、この場所が優れた技術で作られているのが見てとれた。純白の少女セレネを表現するためか、内装は白一色で統一されている。ステンドグラスがところどころに嵌めこまれ、壁には、月光の下で両手を組んで祈る少女と、彼女の肩に乗る小さな鼠の描かれた絵画が掲げられていた。

『おい、誰かいるみたいだぜ?』

「えっ?」

シンニが内装に見とれていると、コクマルがそっと耳打ちした。シンニよりもずっと目がいいコクマルは、一足先にその存在に気付いたようだった。シンニは手近にあった柱に身を隠し、目を凝らして様子を窺う。

霊廟内は昼は輝く陽光、夜は柔らかな月光を取りこむような構造になっていて、月のない夜以外は明るく照らされるように設計されていた。だから、シンニもコクマルの言う人影を、遠目からでも見る事が出来た。

中央の祭壇らしき場所には、エルフの至宝である神木しんぼくと呼ばれる純白の樹で作られた、真っ白な棺があった。間違いなく、月光姫セレネが納められているのだろう。

そして、その棺の前に片膝をつき、目を閉じて祈りを捧げる者がいた。プラチナブロンドの髪が月光に照らされ、一身に祈りを捧げるその姿は、姫に忠誠を誓う騎士のごとく、絵画のように美しかった。