聖セレネ基金

シンニは呪詛吐きが亡くなってから数カ月の間、引きこもりのような生活を送っていた。授業には全く出ず、ヘリファルテ国立大学の寮で、呪いに関する研究に没頭した。

「私が、呪詛吐き様の無念を晴らす!」

シンニは、幼い頃から呪い以外の生き方を教えられていなかった。だから、自分が日除蟲をもう一度作り出し、師匠の悲願を継ぐ。そんな妄執もうしゅうに囚われていた。

自室に籠り、怪しげな実験を繰り返すシンニは、周りからは異常者扱いされていた。ただ、一人だけ頻繁ひんぱんに様子を見に来る人間がおり、それが鬱陶うっとうしくもあったが、そのお陰で、シンニはかろうじて人間らしい生活を送れてもいた。

そして、もう一人──いや、もう一羽、シンニの側に寄り添っている者がいた。

『おい、たまには外に出たらどうだ? 身体が腐っちまうぞ?』

「うっさいわね。私は今忙しいのよ!」

『おお、怖い怖い』

シンニに話しかけたのは、かつて呪詛吐きに使役されていたカラス──コクマルだった。竜の襲撃から超高速で逃げ出したコクマルは、自分の魔力が枯渇こかつする前に、シンニの元に逃げ込んできたのだ。

呪詛吐きの忘れ形見であるコクマルを、シンニは大切にかくまった。だが、呪詛吐きが魔力を調整し、適度にいう事を聞く魔獣として扱っていたのが、シンニは未熟さゆえに魔力を注ぎ過ぎた。お陰で、悪知恵の働く性悪カラスに進化していた。

とはいえ、一人孤独に世界を呪い続けるシンニにとって、コクマルは多少ムカつくが貴重な話相手ではあった。従者というより腐れ縁、悪友といった方が近い。

そんな日々を過ごし、闇蛍を作り出すのに二年ほど掛かった。だが、完成品を見て、シンニは愕然がくぜんとした。

「こんなのじゃ、とても日除蟲の代わりにならない……」

独学で、二年間でこの領域に達したのは、シンニの才能と努力、そして執念によるものだが、満足感は全くない。

自由自在に操れる魔力の影。それ自体は非常に稀有けうなもの。だが、シンニの目標はあくまで呪詛吐きの願った大陸の滅亡と一族の復興だ。

しかし、闇蛍はシンニに一つの希望を与えた。闇蛍は自分の魔力を消費するが制御が可能。そして、弱い力ではあるが、他の物体に働きかける事が出来る。

これを使えば、例えば、荷台から少々食べ物をかっぱらったり、せこい悪事に身を染めれば、なんとか食いつないでいく事は可能だろうと考えた。

そこでシンニは退学を決意した。丁度、前金で払われていた学費も底を尽きかけている。パトロンのエンテ王女は東の島国へ追放。ヴァルベールも大打撃を受け、現在復旧作業中。

大陸中から入学希望者が殺到するヘリファルテ国立大学は、存在しない貴族の娘がいられる場所ではない。何より、月光姫の息の掛かった学園に、一秒たりとも長居したくなかった。

『俺は結構気に入ってたんだがなぁ。三食昼寝付きだし』

「あんたが気に入ってても、私は気に入らないの。それに、貧乏人の落第生なんて学園でもお荷物よ」

そうしてシンニは荷物を纏め、すぐに学園を飛び出せる準備をして、学園長室を訪れた。一学徒、しかも劣等生扱いであるシンニが、ほいほい出向ける場所ではないのだが、むしろそれが狙いだった。

「空気の読めない無礼者の方が、向こうも追い出しやすいでしょうしね」

シンニは乱暴にドアをノックし、返事も待たずに部屋を開けた。

「げっ」

ドアを開けた直後、シンニは固まった。学園長だけだと思ったのに、部屋の中には意外な人物がいたからだ。

「ちょっと、まだ入室していいって言ってないわよ!」

白髪混じりで人の良さそうな学園長と対面し、お茶を飲んでいたのは、薔薇ばらの花を思わせる赤いドレスに身を包んだ少女だった。プラチナブロンドのさらりとした髪を、肩のあたりで綺麗に切り揃えた愛らしい乙女は、ヘリファルテに住む者なら誰でも知っている。

(マリーベル=ヘリファルテ!?

学園長に暇乞いとまごいをし、さっさと追放されようとしていたのに、予想外の人物にシンニは面食らう。ヘリファルテ第一王女である彼女が、何故、こんな所でお茶など飲んでいるのだろう。

「今、学園長と今後の方針について話し合いをしていたの。部外者は入っちゃ駄目よ」

「ああ、そういう事ですか……」

マリーの返事から、シンニは彼女がここにいる理由を察した。二年前、月光姫セレネが莫大な資産を全て学園に投資し、そして亡くなった。その意志を、親友であるマリーベル王女が継いだのは有名な話だ。

今のマリーは十二歳、以前は「聖王子の出がらし」などと陰口を叩かれていた彼女だが、今の彼女はヘリファルテ国立大学の最大のパトロンであり、他にも孤児院や、様々な公共施設に投資をしている。

二年前はわがまま王女様だったが、今のマリーベル王女を馬鹿にする人間は誰もいない。以前は長く伸ばしていた自慢の髪を切ったのも、親友であるセレネの意志を継ぐという決意の表れであろう。

それにしても、マリーに鉢合わせたのは驚きではあるが、逆にチャンスでもあった。学園長に追加でパトロンにも愛想を尽かされた方が都合がいい。退学の事務処理を待つ手間が省ける。

シンニが何も言わずに立っていると、マリーは紅茶のカップを置き、シンニの方に顔を向けた。

「まあ、聞かれて困る話でもないけど、マナーは守って欲しいわね」

「すみません。育ちがあまり良くないので」

「ウソ。あなた、ヴァルベールの貴族でしょ。名前は……シンニだったかしら?」