くれぐれもお願いしますよ、と言葉を重ねる私。

「さてどうしましょう?」

 いたずらっぽく笑う彼女。

 まあ何と意地悪そうな顔でしょう。

「ほっぺた引っ張りますよ」

 むむむと頰を膨らませる私。

 学園音楽祭の運営さんが私に声をかけてきたのは、そんな風に朗らかなやりとりを私たちが交わしていた最中のことでした。

「あ、イレイナさん。そちらにいましたか」

 いやあ探しましたよ、とこちらに手を上げながらやってくる女性が一人。

 学園音楽祭の運営さんです。

「ああ、どうも」

 運営さんと直接お顔を合わせたのはこれで二度目になります。

 一度目は一ヶ月ほど前。

 シーラ先生とお話をした直後──グループの代表として私が一人で打ち合わせをさせていただいた時のこと。その時に確か名刺めいしを渡されたような気がしますが、お名前の方は失礼ながら忘れてしまいました。

 けれど多分向こうも私のことをよく覚えていないことでしょう。恐らく運営として何組ものバンドとやりとりをしたことでしょうし、忙しい身でしょうし。

「いやあ今回はお疲れ様でした、イレイナさん。とてもいいステージでしたよ!」

 現に彼女が〝イレイナさん〟と呼びながら肩を叩いたお相手は、私とよく似たお顔の別人。

 ほうきさんでした。

「え? あの……?」

 わかりやすく困惑こんわくする彼女。目を白黒させながら、私と運営さんを交互に見つめておりました。

 しかし勘違いは止まりません。

「会場も大盛り上がりでしたよ。やっぱり現役女子高生がやるバンドは青春って感じがしていいですねえ」

「いえ、あの……わたくしはイレイナでは──」

「おっとすみません、与太話よたばなしが長くなってしまいました! 早速さっそく本題に入らせてもらいますね」

「本題?」

「あはは! やだなぁイレイナさん。一ヶ月前の事前打ち合わせでお話しさせてもらったじゃないですかぁ。参加したバンドには謝礼が出るって

「???????????」

 あ。

 やば。

 私の全身から汗がぶわりと湧きました。ステージの上に立ったときよりも割り増しで鼓動こどうが早くなっておりました。

「謝礼……?」

 ぐぐぐぐぐ、と壊れた人形のような挙動でこちらに顔を向けてくるほうきさん。

 そんな彼女を〝イレイナさん〟と未だ勘違いしているおばかもとい運営さんは、「おっと! 忘れちゃうくらい熱中してたんですね!」と笑いながら封筒ふうとうを懐から取り出しました。

「はいどうぞ! 現金です!」

「…………」沈黙ちんもくするほうきさん。

「いやあ、それにしても本当にいいステージでしたよ。一ヶ月前のこと覚えてますか? イレイナさん『謝礼がないと絶対に参加しない』って言ってたじゃないですか」

「…………」いやもうだまってほしいんですけど。

「私、そのときは『この子本当に大丈夫かなぁ』って不安だったんですけど……、でも実際すごいものを見せてもらいました! 最高の演奏でしたよ、イレイナさん!」

「…………」沈黙する私たち。

「それじゃ! 私はこれで。謝礼はぜひバンドのみんなで分けて使ってくださいね!」

 あはははは! と忙しそうかつさわやかに走り去っていく運営さんもといおばか。

 恐らく二度と会うことはないでしょう。

「これは一体どういうことですか? イレイナ様」

「…………」

 というかお会いできる機会があるかどうかも定かではありませんでした。

 私の目の前には戦慄せんりつするほど優しそうな笑みを浮かべるほうきさんの姿がありました。札束さつたばが入った封筒を抱える彼女の姿はまるで「返答次第ではこいつの命がどうなるかわかるな?」と人質の命綱いのちづなを握る悪党そのものであり、もはや今の私の生殺与奪せいさつよだつの権は彼女が握っているといっても過言ではないでしょう。

「いやあ……これは、その……」

 何というか……ねえ?

「なんかいい感じの話で終わりそうだなぁと思っていたのですけれども、わたくしたちの知らないところで何してたんですかイレイナ様」

「何のことやらさっぱりわかりかねます……」

 目を逸らす私。

「ひょっとしてイレイナ様。謝礼目当てで今回の学園音楽祭に参加なさったんですか?」

「や、やだなぁ。そんなわけないじゃないですか。私ともあろうものがお金に釣られるなんて──」

「えい」

 きゅっ、と私の制服の袖をつまむほうきさん。

 物の声が聞こえるらしい彼女はそれから「どういうことですか制服さん」と私の胸元をにらみ、かと思えば「ふむ……ふむ……」と頷き始めました。

 とはいえ制服さんは常日頃から私と生活を共にしている盟友めいゆう

 余計なことを喋るなんてことはありませんよね?

 ほうきさんが顔を上げたのはその数秒後のことでした。

「イレイナ様。『運営さんと会ったことは絶対に話すなと念押しされた』と制服さんがおっしゃっているのですが」

「ちっ……」

 喋りやがりましたか……。

「ちなみにこのことはサヤ様たちはご存じなのですか」

「しーっ」

「いや、しーっ、じゃないのですよイレイナ様」

「……一応釘を刺しておきますけど、このこと、皆さんには言わないでくださいね?」

「さっき語っていたいい感じのセリフをもじってもダメですよイレイナ様」

 本来ならば静かに裏で謝礼を受け取ってお話を終えるところだったのですが……ほうきさんと私の外見が似ていることがわざわいしてしまったようですね。

 致し方ありません。

「ほうきさん。二人で何か美味しい物でも食べませんか」

「わたくしを買収しようとしても無駄むだですよ」

 ぷい、と顔をそむける彼女でした。

 しかし現時点で謝礼のことを知っているのはほうきさんのみ。

 彼女の口さえ封じることができれば、利益は私の物──。

「イレイナさーん! なんかいま、運営さんから謝礼がどうのこうのって言われたんですけどー?」

 密かに悪い顔を浮かべていた私の背後から響くのはのほほんとしたサヤさんの声。

「げ」

 振り返ったらバンドのメンバー全員がいました。

「ね。謝礼なんて初耳なんだけど?」

 穏やかに首を傾げるアムネシアさん。

「どういうことなのか説明しろなのです」

 そして頰を膨らませるアヴィリアさん。

「ひょっとして懐に収めようとしてたんじゃないの」

 そしてするどい視線を私に向けるミナさん。

 サヤさんとアムネシアさんはさほど気に留めていないようですけれども──妹のお二人からはあからさまに私を疑う雰囲気があふれておりました。

「何とか言いなさいよ」

「返答次第ではめるのです」

 じろりと私を見つめるミナさんとアヴィリアさん。

 そして前に向き直れば謝礼を手にしながらもにこりと笑っているほうきさんの姿が一つ。

 いやはや風向きが悪いですね。

「…………」

 ところで斯様かような状況におちいったとき、どうすればいいのかご存じですか?

 私は知っています。

「あ、私ちょっと用事を思い出したのでこの辺りで失礼しますね」

 くるりと回れ右したのちに、私はそのまま走り出しました。

 都合が悪くなったら逃げればいいのです。

「待ちなさい」

「待つのです!」

 彼女たちが遅れて走り出す気配を感じながらも、私は何事もなかったかのように走りました。

 とはいえ私は実際のところ、少し安堵あんどしているのです。

 内に秘めていた気持ちが明るみに出るよりはましですから。

「……相変わらず素直ではありませんね、イレイナ様」

 背後はいごでほうきさんが嘆息たんそくする気配を感じて苦笑しながら、私はけています。

 こうして私はいつもの日常へと帰っていくのです。


 ここにあるのは、私たちの日常。

 いつもと同じようで、けれど少しだけ違う日常。