「お前ってさ、楽器演奏できんの?」

 シーラ先生から突然とつぜん呼び出されたのは授業が終わった直後のことでした。

 校内放送を用いてのお呼び出し。基本的には彼女が人を呼ぶ時というのはお説教せっきょうかもしくは厄介やっかいな頼み事を依頼する時と決まっていますので、前者にしても後者にしても私の表情がくもるような展開になることは目に見えていましたし、私に至っては教職員の目に留まれば十中八九じっちゅうはっくとがめられるであろうこともちょこちょこやった覚えがあるゆえ、職員室に向かう最中の私の心境しんきょうはといえばまさに『ねえ、私がなんでおこってるのかわかる?』と帰宅直後にダイニングにて静かに座るつまからたずねられたご主人のごとし。

 なので職員室にて、紅茶こうちゃすするフラン先生に「イレイナ? 何したんですか」とにやにやされながらシーラ先生のもとへとたどり着いた私は、たいそう拍子ひょうしけをしたものです。

 楽器ですか?

「いえ、演奏できませんけど……?」

 ていうか何ですかその質問。

 私を見つめるシーラ先生の表情は「楽器できるなんて意外だなぁ。すげー」と語るようであり、その目は私がどんな楽器を演奏できるのか興味津々きょうみしんしんといったところ。

 できるのかどうかを聞くのではなく、できる前提でのご質問。

 ちょっと意味がわかりませんね。

自慢じまんじゃないですけどギターはおろかカスタネットすらまともにあつかったことありませんけど」

 急にどうしたんですか?

 と私はとてもとても首をかしげながら言いました。

 しかしながら私と同じくシーラ先生もまた、「ふうん……?」と言いながらも不思議ふしぎそうな様子ようすで首を傾げるのです。

「じゃあ何でお前、音楽同好会にせきを置いてるんだ?」

 とんとん、と彼女の人差し指がつくえを軽くたたきます。

 そこにあるのは入部届。記入されているのは私の名。

 そして入部先はどういうわけか音楽同好会。

 日付は去年の夏頃を指していました。

 つまり私は去年──一年生の夏頃に、音楽同好会に自らの意思で入部を果たしてるということになりますけれども。

「あ」

 証拠品を出されて一つ思い出したことがありました。

 去年の夏頃といえば、ちょうど私とアムネシアさんが仲良くなったタイミング。サヤさんも含めて三人で遊び始めるようになった頃のこと。

 確かにそのとき、参加したのです。

 音楽同好会に。

「別に楽器が演奏できるから参加したわけじゃないですよ」手を軽く振って否定ひていする私。

「じゃあ何で?」

「当時の三年生にどうしてもと頼まれまして」

 どうやら夏頃になって部員が一人めてしまい、このままでは廃部はいぶだからと人員の補充ほじゅうが求められたのです。

 そんな時、学校内でひまそうにふらふらしていた私に白羽しらはが立てられたのです。

 まあ籍を置いてくれるなら誰でもよかったのでしょう。

「多分私だけじゃなくてサヤさんやアムネシアさんの入部届もあるはずですよ」

 入部届を書いてくれたら放課後好きに音楽室を使ってもいいという交換条件に私たち三人はそろってうなずいて名前を記入した記憶があります。

「そうだな」

 頷きながらシーラ先生が机に置いていた手をずらすと、重ねられていた入部届がこちらに顔をのぞかせました。「……じゃあお前らは楽器の演奏なんてできないし、ほぼ帰宅部みたいなもんだけど、一応書類上は音楽同好会って扱いになってる幽霊ゆうれい部員ぶいんってことか?」

「そうですね」

「三人とも?」

「そうなりますね」

「そいつはこまったな」

 ふう、とため息をこぼしながら天をあおぐシーラ先生。

「どうかしたんですか」

 確認のために呼び出したのならもう行っていいですか?

「……じゃあもう帰っていいぞと言いたいところだが、実はここでお前に残念ざんねんな知らせがある」

「はい?」

「お前ってさ、学園音楽祭って知ってるよな?」

「はあ……」

 学園音楽祭。

 というのは我が校──学園セレステリアにおいて古くから行われている伝統行事でんとうぎょうじ

 開催かいさい頻度ひんどは不定期。そもそも学校の公的行事ではなく、あくまで生徒や卒業生の主導で行われるお祭り。

 去年は開催しなかったようですが、今年はどうやらやる方向で話が進んでいるらしい、ということは演奏経験のない私にも届いております。

「サヤさんやアムネシアさんたちと一緒いっしょに観覧する予定ですけど」

 どうやら当日はちょっとした出店なんかもあるのだとか。早い話が文化祭のようなイベント。

 はてさてどんな物を食べてやりましょう?

 楽しみです、と少々ほおゆるめながら妄想もうそうふくらませる私。

「いや多分、観覧とかは無理じゃねえかな」

 そしてあっさり私の妄想を手で払うシーラ先生。

「何でですか」

 むむむと眉根まゆねを寄せながら尋ねる私。

 それからシーラ先生は、とてもとても困った様子で、申し訳なさそうにため息をらしながら語るのです。

「お前ら、学園音楽祭への参加が決まってんだよ」

 などと。

 …………。

「はい?????????」



 どういうわけか学園音楽祭への参加が決まっている。

 この意味不明な事象じしょうを頭で処理するよりも前に私は帰宅を果たしました。

「もう終わりですよ……」

 その結果ソファの上でうつせになりながら死んだ顔を浮かべるよくわからない女子高生が一人誕生しました。

 それは一体誰でしょう。

 残念ながら私です。

「どうかしたのですか、イレイナ様」

 現実逃避げんじつとうひしながらぼけーっとしている私を心配してかたに手を置いてくれるのはほうきさん。ああ余計よけいな心配をさせてはいけません。ここはまず「大丈夫だいじょうぶです」と答えねばならないところ。

 なので私は彼女を見つめ返したのちに、答えました。

「ほええ」

「イレイナ様?」

 ああダメですねこれ。まともに言葉がしゃべれなくなってますね。自身でもおどろきました。どうやら人は頭がいっぱいいっぱいになるとコミュニケーションが成立しなくなるようです。まあ何と不便ふべんな生き物でしょう。

「落ち着いてください、イレイナ様。話すのが難しければ、そのままでも構いません」

 しかしながら配慮はいりょかたまりであるところのほうきさんは私が言葉にできない思いも簡単かんたんにくみ取ってくれました。「失礼しつれい」と私の制服のそでをつまみ、それから何度かふむふむと頷いたのちに、彼女は「つまり学園音楽祭にいきなり参加させられて困っているのですね。演奏の経験もないのに」と私が言いたいことをすべて言語化してくれました。何という有能ぶり。まるで平時の私のよう。顔から頭の良さまで、何から何までそっくりですね。

 ついでに今日は格好かっこうまでそっくり。

 私の袖を依然いぜんとしてつまんでいる彼女が身にまとうのは、まさしく学園セレステリアの制服でした。

 ……制服?

「あれ……何で制服着てるんですか、ほうきさん」

 あなた学校行っていないでしょう。

「実はイレイナ様……わたくしも明日から学校に通うことになったのです」

 さらりと彼女は語りました。

 どうやらほうきさんが一緒に住むようになってから、お母さんの方から「ほうきちゃんも一緒に学校通ったら?」と打診だしんがあり、なんやかんやで学園セレステリアへの編入へんにゅうが決まったのだとか。

 なるほどそういう事情だったのですね。

 私は頷きながら答えました。

「ほええ」

「全然興味ないじゃないですか……」

「すみません今ちょっと色々と頭の処理が追いついてないんですよ」

「大丈夫ですか」

「ひと昔前のPCみたいな気分です」

「すみません、おっしゃってる意味がわたくしにはちょっと……」

 ちょっとの動作でフリーズするってことですよ、と注釈ちゅうしゃくを入れる私。即座そくざにキッチンでお料理中の母から「あなたフリーズするほどPC使ったことないじゃない」と横槍よこやりが入りましたが、それはさておき。

「ともかく今はほうきさんがご存じの通り、まあ色々と厄介なことになっているんですよ」と肩をすくめる私。

「大変ですね……」

「このままでは演奏経験もないのにステージ上に引きずり出されて大恥おおはじをかいてしまうことは間違まちがいありません」

 ああ何と、かわいそうな私。

 それからその場でしくしくとうそ泣きをしてみせる私に対し、ほうきさんは「ふむ」と考え込むような仕草しぐさを一つ。

 それから彼女は指摘しました。

「……演奏ができないのであれば、そうお伝えすればよいのではありませんか?」

 そもそも根本的なことを指摘しました。

愚問ぐもんですね、ほうきさん。あなたが簡単に思いつくようなことを私が試さないとでも……思いましたか!」目を見開く私。

「何で得意げな顔なのですかイレイナ様」

 しらけた表情を浮かべるほうきさん。後ろから「ちょっと今情緒じょうちょおかしいわねこの子」とお母さんの突っ込みがまたも入りましたがそれはさておき。

「もちろんシーラ先生から打診があった直後に伝えましたとも。サヤさんとアムネシアさんを集めて、三人で話しましたとも」

 しかしながら私が望むような展開になどまったくならなかったのです。

 むしろ望みとは真逆まぎゃくの展開をぱしったといっても過言かごんではないでしょう。

「何があったのですか」

 首を傾げるほうきさん。

 知りたいようですね。

 ……いいでしょう。

「ならばお話しして差し上げましょう──私たち三人のお話と、その顚末てんまつを……!」

「何で得意げな顔なのですかイレイナ様」「今だいぶ情緒おかしいわねこの子」

 それはさておき。

 私はそれからかくかくしかじか語ったのです。

 それは放課後。シーラ先生から学園音楽祭のお話を伝えられた直後のことです。


「ええええ! 学園音楽祭にぼくたちが参加……ですか!?

 お口を大きく開けて驚くサヤさん。

「あー、そういえば音楽同好会に加入してたわね、わたしたち」

 そしてのんびりした様子で頷くアムネシアさん。

 そんな二人の前で私は肩をすくめて大きくため息をついていました。

 いやはやまったく困りましたよね。私たちは別に音楽がやりたくて音楽同好会に入っていたわけではないのに。まったく勝手な話ですよね。というような雰囲気を全身でかもし出してすらおりました。

「ちなみに参加ってもう確定なんですか?」首を傾げるサヤさん。

 これはあくまで私がシーラ先生から聞いた話ですけれども、

「一応、参加する方向で話が動いてしまってるみたいです。音楽同好会なのに学校で行われる音楽イベントに参加しないなんて変な話ですし」

 とはいえまだ学園音楽祭まで一ヶ月近く時間はあります。

 参加わくの調整は恐らくまだ終わっていないはず。

 今ならば万が一、用意していた枠が空いてしまったとしても、きっと大人たちがうまい具合に調整してくれるに違いありません。

 というわけで。

「実はお二人に折り入って相談があるのですけど……」

 かしこい私は考えました。

 三人で直談判じかだんぱんすれば、ひょっとしたら私たちの参加を取りやめることも可能なのではないか、と。

 期待を込めた瞳で二人を見つめる私。

 入学してから約一年もの付き合い。いつでも私たちは大体一緒でした。目と目が合えば通じ合うものもあるものです。

「大丈夫ですよ、イレイナさん。ぼく、わかってます!」

 えへへ、と表情を緩めるサヤさん。

「ええ。心配しないで」

 そしてにこやかに笑うアムネシアさん。

「二人とも……」

 やはり持つべきものは理解あるお友達。

 彼女たちは私の意図を完全にくみ取ったような表情で頷いたのちに、それぞれ言葉を並べるのです。

 いわく。

「ぼくたちで参加したいってことですよね!」

 ん?

「せっかくの機会だし、みんなで思い出作りたいってことね!」

 あれ?

 …………。

 あれれ?

「いやあの、私そういうつもりで相談しにきたわけじゃ──」

かくしはもういいですよ、イレイナさん」

 うふふふ、と笑みを浮かべるサヤさん。いや照れ隠しとかじゃないんですけど。普通に参加したくなくて言ってるんですけど。

 というか。

「いやでもそもそも私たちって楽器演奏できな──」

「ちなみにサヤさんって何の楽器が演奏できるの? わたしピアノとかキーボードならできるけど」

「アムネシアさん???????」

 楽器演奏できたんですか?

 初耳なんですけど。

「あ、ぼくはドラムならできますよー」

 そして私を置いてそのままお二人の会話が始まりました。ていうかドラムできたんですかサヤさん。

「あー、なんかドラムってサヤさんらしいかも」

「ぼくっぽいってどういうことですかー」ほがらかに笑うサヤさん。「でもこれでキーボードとドラムの枠は埋まりましたねー。でも、バンドやるならギターとか欲しくないですか?」

「ちなみにうちの妹はギター弾けるわ」

「ぼくの妹はベースできますよ」

「あ、じゃあ二人も呼んで五人でバンドやろっか」

「いいっすねー」

 …………。

 完全にやる方向で話が進んでいる……。

「あ、ちなみにイレイナさんは何の楽器演奏できるのー?」

 完全に私が演奏できるていで話が進んでいる……。

 きらきらとした目をこちらに向けるアムネシアさん。あまりのまぶしさに目をらしてみれば、「五人でステージ立てるなんて楽しみですねぇ!」と期待に目を輝かせるサヤさんの姿がありました。もはや眩しすぎて目がくらんでしまいそうなほど。

 退路たいろはどうやらないようです。

「えっと……ギターが……得意です……」

 私は死んだ魚のような目をしながら、そのように語りました。


「──というわけで普通に学園音楽祭に参加する流れになっちゃったんですよねぇ」

 まさかお二人が乗り気になるとは思いもしませんでした。

 それからの流れはとてもとてもスムーズで、お二人がそれぞれ妹さんに連絡をしてあっさり五人組での参加が確定してしまいました。

「それはそれは……大変な事態ですね……」

 ほうきさんからはあわれみの目が向けられました。

 もはや事態は私の手に余るところ。魔法でも使えればパパっと解決できたのかもしれませんが、私はあくまでただの人。一ヶ月程度でいきなり壇上だんじょうに立てるほどの演奏技術が身に付くことはありません。

 私は人より断然だんぜん可愛かわいいことと絶大ぜつだいなプロポーションをほこっていること以外はわりと普通の女子高生なのです。

「たすけてくださいほうきさん……」

 そもそも大前提としてギターすら持ち合わせていない今の私にできることはほうきさんに頼ることくらいなものでした。きっとほうきさんもたいそう困ったことでしょう。

 私から急にそのようなお願いをされてもかなえられるはずが、

「かしこまりました」

「んん?」

 いま何と?

「イレイナ様がお困りならば、このわたくしがひとはだぎましょう」

 目を白黒とさせている私に対し、ほうきさんはえへんと胸を張りつつ言いました。「要するに一ヶ月でギターを弾けるようにして差し上げればよろしいのですね?」

「え、ええ……まあ、そうですけど……」

 誤解のないように言っておくと私はもちろんそんなことは可能だとは思ってもいませんし、ややこしい事態になってしまったことへの愚痴ぐちをこぼしたつもりだったのですけれども。

 むふー、と依然としてほうきさんは得意げなお顔をしていました。

「ございますよ。イレイナ様が一ヶ月でギターを演奏できる方法が」

「何……ですって……!?

 大袈裟おおげさに目を見開く私。

 お顔を向き合わせながらややオーバーな演技を繰り返す私たちの様子はまるで『日曜劇場』に近しい雰囲気をたっぷり込めておりました。

「その方法って、一体──」

 どうすればいいのですか……?

 身を乗り出す私。

 そのときのことでした。

「ごはんできたわよー」

 キッチンのほうから割って入ってきたのはお母さんの声と、美味おいしそうなカレーの香り。

 ばんごはんができたようです。

 なるほどなるほど。

「詳しい話は後にしましょうか」

「そのようですね」

 私たちは互いに頷き立ち上がりました。

 話は変わりますけど『日曜劇場』って大体は本題に入る前にいったんCMをはさみますよね。



 改めて言いますと目下もっか私を悩ませている問題は大きく分けて二つ。

 演奏経験もないのに学園音楽祭への参加が決められてしまったこと。

 そしてもう一つは、そもそもギターを持ってすらいないこと。

 しかし後者についてはほうきさんがいとも簡単に解決してしまいました。

「こちらをどうぞ」

 それは夕食が済んだ後のこと。

 部屋でのんびり過ごしていた私のもとに訪れたほうきさんは、はいどうぞと私に一本のギターをごく普通に手渡してきたのです。

 ギター。

 多少の使用感はあるものの、しかしながら大きな汚れも見えません。

「どっから持ってきたんですかこれ」

 するとほうきさんはたいそう得意げな表情を浮かべながら、言いました。

粗大ゴミ置場たからのやまです」

「要するにゴミを拾ってきたってことですね」

「以前散歩していたときにたまたま見かけまして……」

 曰くまだ使えそうだったからと屋根裏部屋まで持ち込んでいたのだとか。よく見てみるとギターケースに粗大そだいゴミのシールがり付けてありました。

「ちなみにギターさんの他にもありとあらゆる物をわたくしの屋根裏部屋スイートルームに安置してあります」

 一緒に住むようになってから空き部屋だったお部屋を一つほうきさんにお渡ししたのですけれども、どうやら屋根裏部屋も自由に使っておられるご様子。

 たまに家中どこを捜しても姿が見えないことがあるとは思っていたのですけど、屋根裏部屋にもってたんですね。

「まあ……別にいいですけど、お母さんにはバレないようにしてくださいね」

 多分しかられますよ。

「問題ございません」

「そうなんですか」

「家事を手伝うことで手を打ちました」

「買収してる……」

 まあしかし屋根裏部屋が健在なことでギターを入手できたのですから、私もとやかく言える立場ではありませんね。

 何はともあれ私を悩ませていた問題の一つは解決。

 しかし残されたもう一つの問題が、厄介なのです。

「……ギターを手に入れても私、結局演奏の方は全然ダメなんですけど」

 視線を落とせばギターの弦に触れる私の指。ぴん、と弾いてみれば間の抜けた音が虚しく響きます。

 もう一度適当に弦を押さえて鳴らしてみれば、今度はまったく違う音。けれど私には、どこをどう押さえれば何の音を奏でることができるのかがまったくわからないのです。

 このような状態では壇上など到底立てないと思うのですが。

 その辺どうなんですか? と視線を送る私。ほうきさんは私の意図を察するように頷くと、

「ギターさんと仲良くなればいいのですよ、イレイナ様」

 とあっさり答えました。

「仲良くなる……?」

「イレイナ様は以前、わたくしとリバーシで勝負したときのことを覚えていますか?」

「……ふむ」

 言われて私は考え込みます。少し前の出来事を振り返ります。

 ほうきさんが家に来てからというもの、急に年の近い姉妹が出来たかのような日々が私の日常となりました。

 例えば学校から帰って、ごはんを食べたあと。

 例えば休日、暇な時間を過ごしていたときのこと。

 私とほうきさんは度々、顔を合わせて遊ぶようになりました。

 少し前はリバーシで対戦などもしたのですけれども。

「──おやおや。また私の勝ちですか」

 弱いですねぇ、などと笑ってみせる私の目の前には黒に染まった盤面が一つ。

「むううううう……」

 顔を赤くして頰を膨らませ、子供のようにねるほうきさん。

 五勝零敗。

 五度目の敗北を受けてほうきさんは少々むきになっておられました。

「もう一回! もう一回お願いします、イレイナ様!」

 おやまあ。

「もう一回負けたいんですか?」

「むううううう……!」

 わかりやすい私のあおりにこれまたわかりやすく引っかかる彼女でした。

 冷静さを失うと人は勝てるものも勝てなくなるものです。きっと次も私が勝つに違いないと確信すらしました。

 そんなこんなで迎えた六戦目。

 私たちはぱちぱちと盤面を白と黒で染めていきました。

 勝敗がついたのは数分後。

「あれ?」

 目をぱちくりとさせる私。

 不思議な光景が目の前にはありました。

 真っ白の盤面。

 何と私は敗北していたのです。

「ふふふ……」

 そして対面しているのは勝ち誇った表情のほうきさん。「これで五勝一敗ですね、イレイナ様」

 瓜二つだからこそわかるのですが、私のしたり顔って結構いらっとさせられるような表情なんですね。客観的に見せられて初めて気づきました。ほっぺた引っ張ってやりたいです。

「……どんな手を使ったんですか」

 胸の底からき出る気持ちをおさえて尋ねる私。

 彼女はえへんと胸を張りながら答えました。

「リバーシさんと仲良しになったんです」

「……リバーシと?」

 それってどういう意味です? と尋ねる私。

 にわかには信じがたいお話ですが、物であるほうきさんは同胞どうほう──つまり物の声を聞き取ることが可能なのだとか。

 しかしながら、彼女に秘められた力はそれだけにとどまらないのだそうです。

「イレイナ様は例えば初めてお料理をしたとき、包丁ほうちょうの扱い方に恐怖を覚えませんでしたか?」

 下手に振れば切れる。扱いを間違えれば大惨事だいさんじ。初めて包丁を握ったときに抱いたのは窓際に立たされたような恐怖心でした。

 どうして母は平然と扱うことができているのか理解できなかったほどです。

 けれど今は違います。

 小さい頃とは異なり私もそこそこ料理はできるのです。

 今となってはマイ包丁をキッチンに置いているほどです。

「慣れてくると包丁の刃渡はわたりがわかるようになる。手のひらの上で豆腐とうふを切ったりするのも怖くなくなる。それはどのように扱えば包丁が物を切ることができるようになるのかをイレイナ様が理解しているからです」

 ほうきさんは言いました。

「〝理解〟とは、〝対話の結果〟なのです、イレイナ様」

 私が包丁を扱えるようになったのは、包丁という道具に対する理解を深めることができたから──言い換えれば包丁と仲良くなったからなのだと、彼女は教えてくれました。

 そしてこのお話をリバーシに置き換えるならば。

「わたくしはたった今、こちらのリバーシさんとの対話を通して仲良しになったのです」

 むふん、と胸を張りながらほうきさんはそのように言いました。

 特にほうきさんのように常に物と会話できるような状態にあると、物事の上達速度は常人を凌駕りょうがし、たったの数分で私ごときを圧倒することも可能となるのだそうな。

「なるほどなるほど」

 勝ち誇るほうきさんの言葉に私は頷いていました。「つまりリバーシさんに手伝ってもらって私に勝った、ということでいいですか?」

「そういうことになります」

 えへんと胸を張るほうきさん。

 私は言いました。

「でもそれって要するにほうきさんが勝ったのではなくリバーシさんが私に勝ったということになりません?」

「え?」

「というか普通にイカサマだと思うんですけど」

 彼女のほっぺたを引っ張る私でした。

「いひゃいれす、イレイナはま」

 なんとなくくやしかったので六戦目のリバーシ勝負は無効むこう試合じあいとさせていただきました。

 ──というようなことが、少し前に確かにあったのですけれども。

「わたくしがリバーシさんを頼った時と同じように、イレイナ様もギターさんと仲良くなれば、一ヶ月で上達じょうたつなどちょちょいのちょいでございます」

 ほうきさんは断言だんげんしておられました。

 私にはギターの声は聞こえないため、ほうきさんが通訳として割って入ることで対話を成立させるのだといいます。

「……そんな方法でうまくいくんですか?」

「ちょちょいのちょいでございます」

 お任せくださいと自信満々のほうきさん。

「……ふむん」

 半信半疑はんしんはんぎ

 ではありましたけれども、今のところ、彼女に頼る以外の手がないのも事実。

「じゃ、よろしくお願いします」

 私は彼女のご提案に、笑みを返しておりました。


 それではここで、一ヶ月にわたる私とギターさんの対話の数々──その一端いったんをお見せしましょう。

「改めてよろしくお願いしますね、ギターさん」

 ギターをでながら語りかける私。

 ほうきさんの通訳による返答がすぐにかえってきました。

 ギターさんによる記念すべき第一声はこちら。

『は? 平民風情ふぜいがわたくしに気安く触れないでくださいまし!』

 私は無言でギターを置きました。

 …………。

「何言ってんですか?」ふざけないでもらえますかほうきさん。

「ちょっと触り方がダメだったみたいですイレイナ様」

「何ですか触り方がダメだったって」

 普通に撫でただけなんですけど、とギターを見つめる私。

 ではどんな触り方ならいいんですか? と尋ねれば、ほうきさんはすぐにふむふむとギターさんからご意見をヒアリングしてくれました。

「もっとゴミを扱うみたいに雑に使ってほしいそうです」

「こうですか」

 適当にジャカジャカと弾く私。

 みょんみょんと地味じみな音が鳴り響きました。

『あああああっ! イイですわぁ!』

 ついでにギターさんの鳴き声も響き渡りました。

「先が思いやられるんですけど……」

 何はともあれこうして私とギターさんによる対話は始まったのです。

 学校から帰ればいつもギターをかき鳴らしていました。

「……すみません、楽譜がくふのここがわからないんですけど……」

『何でこんなものも読めませんの? このぽんこつ!』

 ギターさんは初心者である私に、悪態あくたいをつきながらも楽譜の読み方を教えてくれました。

「えっと……こうですか……?」

『あー、全然ダメですわ。指の押さえ方がなっていませんの』

 コードの弾き方もすべてギターさん自身が教えてくれました。

「……こんな感じですか?」

『なかなかイイですわね』

 ギターさんによる直接の指導。それはまるで目には見えない亡霊ぼうれいがギターの扱い方を一から導いてくれているかのようでした。

 どんな使い方をすればいいのか。

 何がよくて、何がダメなのか。

 本来手探りで一つ一つ上達していく道のりを、私はギターご本人による手引きを用いて最短で駆け抜けました。

 ゆえに二週間も毎日練習すれば多少は弾けるようになり。

 一曲丸ごと通して練習したあとで私は尋ねました。

「そろそろ他の皆さんと合わせて練習してもいい頃合いでしょうか?」

 どう思います? ギターさん。

『ダメですわ!』

「……何でですか?」

 私、多少は上手うまくなったと思うのですけど。慢心まんしんするなということでしょうか? 怪訝けげんな表情を浮かべながら私はギターさんの言葉を待ちました。

 ほうきさんが彼女の言葉を翻訳ほんやくしてくれたのはそれから数秒後。

 なぜか恥じらいの表情を浮かべながら、彼女は言いました。

『だって……ほ、他の楽器さんと会うのでしょう……? わたくし、まだ心の準備が……』

「…………」

 ジャカジャカジャカジャカ。

『ああああああああああああっ!』

 ともかくそれから私はサヤさんたちと合流して練習をするようになりました。



「こちらは私の親戚しんせきです。最近となりのクラスに転入してきたそうです」

 放課後。

 音楽室にてサヤさん、アムネシアさん、それからミナさんとアヴィリアさんを集めて合わせ練習をする前に、私はほうきさんを皆さんにご紹介しました。

「よろしくお願いいたします」

 ご丁寧ていねい会釈えしゃくをするほうきさん。

 彼女のことをどんな風に紹介すればいいのか迷いましたが、正直に『この子、私のほうきなんですよねぇ』と打ち明けたところで信じてもらえる可能性は低かったので、とりあえず親戚ということにしておきました。

 親戚ならば顔が似ている理由にも説得力があるというもの。

 お名前に関してはそういうあだ名ということで処理しておきました。

「ほえー」

 お口をぽかんと開けながら頷くサヤさん。

「確かに似てるわね……」

 ふむふむとほうきさんを見つめるアムネシアさん。

「何でほうきってあだ名なの……?」

 そして少し首を傾げるミナさんと、

「ところで一個、聞いてもいいですか?」

 挙手きょしゅするアヴィリアさん。

 …………。

「どうかしましたか?」

 首を傾げて私は彼女に視線を合わせました。

 するとアヴィリアさんはたいそう怪訝けげんな表情で、私の足元を見つめながら、尋ねるのです。

「ほうきさんは何でギターに耳をえてるのですか?」

 私は視線を落としました。

 そこには私のギターにぴったり寄り添うほうきさんの姿が一つ。

 …………。

 何でと言われましても。

 ちらりと顔を見合わせたのちに、ほうきさんは語りました。

「あ、わたくしのことはお気になさらず」

 そうですね。

「あんまり細かいことを気にしていると疲れちゃいますよ、アヴィリアさん」

「いやこれ細かいことなのですか?」

 私は返事の代わりにギターさんをジャカジャカと鳴らしました。

『あああああああっ! イイですわぁ!』

 いつも通り忠実にギターさんの声を再現するほうきさん。私たちの調子は今日も絶好調ですね。アヴィリアさんに「は?」みたいな表情をされながら私たちはただ、したり顔を浮かべていました。

「さ、それじゃあ本番に向けて頑張って練習しますよー」

 私の掛け声にサヤさんたちは「おー」と呼応します。

「まともなのはわたしだけなのですか?」

 こうして死んだ魚のような目をするアヴィリアさんと共に私たちの練習の日々が幕を開けました。



 そうして二週間の日々はあっという間に過ぎていきました。

 毎日のように私たちは顔を合わせて、息を合わせて、音も合わせる。たった数分間のために全身ぜんしん全霊ぜんれいをささげて練習したといっても過言ではありません。

 そうして何げなく過ごしていた毎日に、ほんの少しの音が加わりました。

「不思議ですねえ」

 練習の合間、サヤさんは一息つきながらぼんやりと口を開いておりました。

「どうかしたんですか」

 と尋ねてみれば、サヤさんはこちらに視線を送りつつ、

「いやあ、いつもと同じような光景なのに、楽器が加わるだけでこんなにも違うんだなぁって思いまして」と答えます。

「…………」

 別に私たちは誰かに言われずとも、共通の目的をわざわざ見つけなくとも勝手に集まります。

 私が視線を向けてみれば、休憩の合間に談笑だんしょうにふけるアヴィリアさん、ミナさん、それからほうきさんの姿がありました。

 いつもそばにいる彼女たち。

 ここにあるのは、私たちの日常。

 いつもと同じようで、けれど少しだけ違う日常。

「来年もこういうことができたらいいわね」

 私のそばでアムネシアさんがぽつりとこぼします。

「まだ終わってないですよ」

 まだ本番前ですけど、と私は返します。

 彼女は笑っていました。

「結果がどうなろうとも後悔こうかいはないもの」

 別に失敗したらそれはそれで笑い話になるだろうし。成功したらいい思い出になることは間違いないし──などと。

 そんな風に、笑っていました。

 恥ずかしい思いをしないようになるべく頑張りたいものですけれども。

「そうですねえ」

 結果がどうなろうとも、大人になった後でも。

 私は今過ごしている穏やかな日々のことをきっと忘れないでしょう。

 なんとなく、そんな予感がしていました。



 迎えた本番当日。

 壇上から見えたのは薄闇うすやみ。響き渡る音はどこにもなく、静寂せいじゃくでした。

 マイクの前に立てば抑えていた緊張が一気に胸の底から湧き上がります。正直に言えばたじろぎました。狼狽うろたえました。けれど不思議と心地よさもありました。

 後ろを振り向けば、いつも見かける顔がそこにはあったから。

 再び前を向けば、すぐ近くで母と共にほうきさんが手を振っていたから。

「──今更いまさらですが、一つうかがってもよろしいですか、イレイナ様」

 私の頭には練習の日々がよみがえっていました。

 ほうきさんが私の服の袖をつまんできたのは、本番前日のことでした。

「どうしました?」急に改まった様子の彼女に、私は首を傾げて返していました。

「実は今回の学園音楽祭のお話で気になっていたことが一つあるのですが」

「はあ」

「イレイナ様はどうして学園音楽祭に参加することを決めたのです?」

「本当に今更なことを聞きますね」

 すでに本番前日なのですけれども──と言葉を並べつつ、私は肩をすくめて言いました。「というより、その辺のお話はほうきさんも既にご存じのはずですけど」

「その上でずっと疑問だったのです」

 穏やかな口調のまま彼女は言葉を続けます。「その気になればイレイナ様は学園音楽祭への参加を拒否きょひすることもできたはずでは?」

「?」

 どういうことです?

 小首を傾げて返す私に、彼女は淡々と語りました。

「最初にお話を知った時から疑問だったのですが──学園音楽祭への参加が決まっているというお話はあくまで最初はイレイナ様にのみ伝わっていたのですよね? その気になればお話をイレイナ様のところで止めておくこともできたのではないですか?」

 何ならシーラ先生からお話を聞いた時に「いや私楽器できないんで無理ですけど」と拒否することだって可能だったのではないか。

 などとほうきさんは私に質問を並べました。

「よく前日に聞こうと思いましたね」

 もうほぼ一ヶ月くらい前の話なんですけど。

「それで実際のところ何故なぜなのです?」

「…………」

 私は視線を逸らしながら答えます。「いや、もう随分と前のことなんで覚えてないんですけど……」

「では予想してもよろしいですか?」

 くすりと笑うほうきさん。

 その目は私の心中をすべて見透みすかしているかのようでした。

「ひょっとしてイレイナ様は、こんな日々を望んでいたのではありませんか?」

「…………」

 ほうきさんは私とよく似ています。

 彼女に対してうそをついても、きっと簡単に見透かされてしまうことでしょう。

「そうかもしれないですね」

 だから否定はしませんでした。

 いつもの面々で集まって日常を過ごす。目的もなく集まっている私たちで、なにか一つ大きなことに挑戦してみる。

 いつもの日々を、少しだけ変えてみる。

 そんな風に過ごしてみるのも楽しいのではないかと思ったことは、確かに事実です。

「やっぱり」

 むふん、と得意げな顔を見せるほうきさん。

 彼女は尋ねます。

「それで、どうでしたか」

 どうと言われましても。

 私は苦笑しながら答えます。

「思った通りでしたよ」


 壇上、まばゆいスポットライトの中心で、ドラムのスティックがリズムをきざみます。

 そして私は歌いました。

 ここにあるのは、私たちの日常。

 いつもと同じようで、けれど少しだけ違う日常。



 演奏は無事に終わりました。

 壇上に立ったときの緊張も、光に照らされた時の熱も、歌い終わった後に浴びた歓声も、過ぎてしまえばまるでひとときの夢のよう。

 片付けをしながら、私はさっきまで立っていたステージを見つめます。

 学園音楽祭のために用意されていた機材の数々は既に解体されており、見慣れた体育館の一部へと戻りつつありました。

「それで、どうでしたか」

 ちょん、と肩をつつかれ、振り返ってみればほうきさんの姿が一つ。

「どうと言われましても」

 学園音楽祭前日に聞かれた質問を私は思い出していました。

 ステージで歌った記憶はくっきりと脳裏に焼き付いています。思った通り、想像した通りの、ただただ楽しい数分間でした。

「……一応くぎを刺しておきますけど、前日に私が言ってたこと、皆さんには言わないでくださいね?」

 しーっ、と人差し指を口に当てる私でした。

 どうせほうきさんには私の心中など簡単に悟られてしまいますし──その気になれば物から声を聞いて望んだ答えを引きずり出すことだって可能でしたからお話ししましたけれども、本来私は素直すなおな人間とは対極たいきょくにいるべき存在なのです。