驚きながら私たちは顔を向けます。

 直後に驚きました。

 雨の中、路上で。

 そこに少女が一人、倒れていたのです。

「ぐええええええ……歩いていたら足が突然っちゃいました……。う、動けません……!」

 レインコートを着込んだ彼女は助けを求めるようにこちらに手を伸ばしておりました。

 ひどい痛みが彼女を襲っているのでしょう。雨の中、頰を伝うしずくはこぼれ落ちるなみだにも見えました。

 名も知らぬ彼女は今、助けを求めています。

「……ルシェーラさん」

 こんな時まで果たしてくだらない言い争いを続ける必要があるのでしょうか。

「……うむ」

 一時休戦。

 どちらから提案をしたというわけでもなく、自然な流れで私たちは協力関係になっていました。

 そして私たちは二人並んで雨の中へと飛び出しました。

 まずは怪我人けがにんの救助を最優先としたのです。

大丈夫だいじょうぶか!」

 少女を抱き起こすルシェーラさん。

 まずは安全な屋根の下へと避難ひなんさせるべきだと判断した彼女はそれから私の方へと振り返り、「おぬし、手を貸せ! 二人で運ぶぞ!」と声を張りました。

 ちなみに私は屋根の下でにやにやしながらルシェーラさんを眺めておりました。

「……あっれぇ?」

 一緒いっしょに飛び出したはずじゃん。おぬしそこで何やってるん? え? 今はそういう冗談とかしてる場合じゃなくない?

 みたいな顔をしながら私を見つめるルシェーラさん。

 そんな彼女のかたわらで倒れていたレインコートの彼女は、やがてゆっくりと立ち上がります。

 足が攣っていたのでは? とお思いでしょう。

 いえいえ。

「ご苦労様です、サヤさん」

 私は迫真はくしんの演技をしてみせた彼女に賞賛しょうさん拍手はくしゅを送っておりました。

「いえいえ。どういたしまして」

 えへへ、と気恥きはずかしそうに笑うのは我が友人。

 サヤさんです。

「! ま、まさかおぬし……!」

 さぞ驚いたことでしょう。

 にやりと笑いながら、私はルシェーラさんに残酷ざんこくな真実を教えて差し上げました。

「そう──彼女に協力をお願いしたんですよ。路上で倒れてもらうようにね……!」

「な、なんじゃとォ……!」

 そう。

 すべては私による策略さくりゃくだったのです。ルシェーラさんと醜い争いをしながらもこっそりサヤさんに連絡をとり、雨の路上に倒れるようにお願いをしておいたのです。

 あとは疑われないようにルシェーラさんと一緒に一瞬でも飛び出せば、彼女はサヤさんのもとへと走ってくれるだろうと思っていました。

 まるで先ほど札束に釣られた私のように。

「いかがですか? 自身が過去に使った策にまったお気持ちは」

「ぐぬぬ」

 雨の中で彼女はくやしがっておりました。


「……ていうかおぬし何で今の奴に傘頼まなかったの?」

「あ」

「ひょっとしておぬしも結構バカ?」

「ぐぬぬ」



 雨は依然として止む気配はありませんでした。

「ぐああああああああ! 助けてくれ! 突然足が攣ってしまった!」

 若き大富豪だいふごうが路上で倒れたのはその時でした。

「いやいやいや」

 私たちの声はそろっていました。

 若き大富豪て。

 そんな人が都合つごうよくその辺に転がってるわけないじゃないですか。バカにするのも大概たいがいにしてほしいですね。

「ルシェーラさん。ひょっとして私を嵌めようとしてます?」今度はお金持ちを助けに行かせようとしているんでしょう?

 罠のバリエーションがとぼしいですね。

「いやいや何をいう。あれはおぬしが用意した知人じゃろう? 同じ手には乗らんぞ」

「いえいえ」

「いやいや」

 穏やかに牽制けんせいし合う私たち。

 一方で路上に転がる若き大富豪は無駄に高級そうなスーツを身にまとい、そして無駄に高そうな腕時計をちらつかせながらこちらの方を見つめていました。

「そ、そこの君たち! 手を貸してはくれないか? 見ての通り足が攣ってしまって今動けないんだ!」

 という罠ですよね?

 知ってます。

「お、お礼はするから! 頼む!」

 いやです。

 ふい、とよそを向く私。

「その手には乗らんぞ? えせ大富豪め!」

 はんっ、と鼻を鳴らすルシェーラさん。

 私たちの反応は極めて冷淡れいたんなものでした。とはいえそれも当然の話ではないでしょうか。どうせルシェーラさんが用意した偽物にせものの大富豪に違いないのですから。

「おうおうおぬし。とっとと引き揚げさせた方がいいんじゃないか? あのままだと風邪をひくぞ?」

 隣で彼女は私に対してそんな風に促してはおりましたが、これもやはり演技に違いないのです。

「あなたの方こそ」

 小突こづく私。

「こ、この人でなし共がああああああああ!」

 そんな合間にも叫ぶ若き大富豪。

 で、いつになったらルシェーラさんは彼を引き揚げさせるんですか?

 ちらりと視線を送る私。

「はよせんか」彼女もまた私を見つめておりました。

 お互い一歩も引くことのない静かな攻防。路上で悲鳴をあげる若き大富豪をよそに私たちはまたもこう着状態におちいりました。

 そしておおむねこういった状態に陥ったときに、事態を大きく変える出来事が起こるものなのです。

「──大丈夫ですか?」

 私が気がついた時には既に、彼女はそこにいました。

 倒れる若き大富豪の前で傘を差し、首を傾げるのは白髪はくはつショートカットの少女。

 誰かと思えば我が友人の一人、

「アムネシアさん……!」でした。

 彼女は道の隅っこの方にいる私とルシェーラさんに気づくことなく若き大富豪さんの足元にしゃがみました。

 いやいやアムネシアさん。それルシェーラさんが用意した偽物ですよ。騙されないでください。私が口を開くよりも早く、彼女は大富豪さんの足をとんとんと叩いて「足が攣ったならストレッチとかするといいですよー」とのんびりアドバイス。

「お、おおお……何だか痛みが軽くなってきた気がする……」

「それはよかったです。立てますか?」

 はいどうぞ、とアムネシアさんは若き大富豪さんに手を差し出していました。

 大富豪さんは手をとります。

「あ、ありがとう……君は優しいな……。まるで天使みたいだ」

「アムネシアっていいます」

「マイエンジェル……」

「あれ? 聞こえてなかったのかな……、アムネシアって言うんですけど……」

「君は僕の命の恩人おんじん。マイエンジェルだ」

「なんかへんなひと助けちゃったな……」

 苦笑いを浮かべながらも彼を立たせてあげるアムネシアさん。

 彼女の温かい優しさはそして天候を変えました。絶え間なく続いていた雨は突然止み、空は晴れ、そして穏やかな日差しが降り注ぎます。

「なんか晴れたんじゃが」

「アムネシアさんのおかげですね」

「んなあほな」

 きょとんとするルシェーラさん。

 一方で道の真ん中には天使もといアムネシアさんを熱く見つめる若き大富豪さんの姿がひとつ。

「君はとても優しいな……あちらの二人と違って」

「あちらの二人?」

 どなた? と首を傾げながらアムネシアさんはこちらを向きます。それから私に気づいて「あ、イレイナさんじゃん」とほうけた表情を見せてくれました。

「どうもどうも」

 なんとなく気まずい雰囲気を感じながらも手を振る私。

 若き大富豪さんは吐き捨てました。

「あの二人はとんでもない外道げどうだ。気をつけたまえマイエンジェル」

「いやわたしマイエンジェルとかいう名前じゃないんですけど……」

「しかし本当に助かったよ。君のおかげで僕の命は救われた」

「いやいやそんな大袈裟おおげさな」

 あはは、と謙遜けんそんしてみせるアムネシアさんでした。が、若き大富豪さんは言葉で感謝を伝えるだけでは物足りなかったのでしょう。

 ふところから札束を出していました。

「これは感謝の気持ちだ。受け取ってくれ」

 その厚さはおおよそ百万円。

「えええええええ!? い、いやいやいやいや……! わたし、足をとんとんしてあげただけですし」

 こんなのいらないですよ! と戸惑とまどうアムネシアさん。

遠慮えんりょするところもマイエンジェル……」

「超意味わかんない……」

「この金の出処でどころを心配しているのかい? それなら問題ない。僕はヨーゼといってね、とある団体を運営しているおかげで金には困ってないんだ」

「とある団体?」

「そう。生と死について見識を深めるために設立した団体さ……」

「なんか、やばいひと助けちゃったな……」

 結局それからヨーゼと名乗る若き大富豪とアムネシアさんは「どうぞどうぞ」「いえいえ」としばしお金を押し付け合ったのち、結局十万円渡すことで合意しました。

「十万円も受け取ってくれないなら我が団体に君の善行ぜんこうを広めるぞ」

「あ、じゃあもらいます」

 というか半ば強制的に受け取らされたといったほうが正しいのかもしれませんけど。

 ともかくそうして二人のやりとりは終わり、若き大富豪はなんかドアが上に開くタイプの高級外車をぶいぶい言わせて帰っていったのです。

 私はとても驚いていました。

「まさか……本当に大富豪だったなんて……」

 てっきり私はルシェーラさんが張った罠だと思っていたのです。

「くっ……! 惜しいことをしたのじゃ……!」悔しさをにじませながら地面を叩くルシェーラさん。

 疑心暗鬼が私たちに大きな後悔こうかいをもたらしていました。

 私たちがもっと冷静であれば。

 もう少しだけ私たちに善意が残っていれば。

 若き大富豪を助けていたのは、私たちだったかもしれないのに──。

「……ふっ」

 なんて、今更くどくどと言っても仕方がないですね。

 私とルシェーラさんは互いに顔を見合わせて笑いました。

 一歩踏み出してみれば暖かい空気が私たちを包みます。先ほどまでの雨がうそであったかのように晴れ渡った空の下、並んで歩く私たちの顔はとてもとても澄み切っていました。

「あ、イレイナさん」

 ぽかーんとした表情のままこちらにゆるく手を振るアムネシアさん。

 そんな彼女の肩にルシェーラさんは手を置きました。

「ま、今回はおぬしに勝ちをゆずってやるとしよう」

「あなた誰ですか?」

 ついでに反対側から私も手を置きました。

「なかなかやるじゃないですか、アムネシアさん」

「イレイナさんまで何なの」

 こうして私とルシェーラさんは二人並んで歩くのです。

 雨宿りは終わりました。

 私たちが屋根の下で行っていた醜い争いもまた、終わりました。

「わらわとおぬし、今回は引き分けということにしておこう」

「私も同じことを言おうと思っていました」

 そして私たちは「ふふふふふ……」などと不敵に笑い合います。

 私とルシェーラさん。

 どうやら私たちはほんの少しだけ気が合うようです。



 翌日のことです。

「──くしゅんっ!」

 布団ふとんの中でくしゃみをする美少女が一人おりました。

 それは一体誰でしょう?

 そう、私です。

38度ぴったり。どう見ても風邪ね」

 そして傍らにてあきれた表情を浮かべるのは私の母。

 何とも情けないことに昨日きのうの雨宿りのせいで私は風邪をひいてしまったようです。「今日は学校を休みなさい」という母の提案にぼんやりとした頭のままで頷き、そのままベッドに潜り込みました。

 アムネシアさんやサヤさんにも休むことをメッセージで伝えたあとで、私はSNSを開きます。

 なんとなく、眠れなかったので。暇だったので。

 退屈たいくつしのぎに私は昨日出会った彼女の名前を、検索欄に打ち込んでいました。

 彼女のアカウントを開きます。

 最新の投稿はついさっき。

『いやじゃー!! わらわ風邪ひいちゃったんじゃが!?

 体温計の写真とともにベッドで寝込む彼女が「ひえー!」と泣きそうな顔をしておりました。お熱は38度ぴったり。どう見ても風邪です。

「…………」

 いや……。

 こんなところまで引き分けにならなくてもよかったんですけど……。