雨もしたたるいい少女。

 一体誰でしょう?

 そう、私です。

「まったく……こまりましたね」

 ざあざあと雨が絶え間なく降り注ぐ中、私はためいきらしていました。

 学校を出た辺りからあやしい雰囲気ふんいきかもし出していたので急いで家路についたのですけれども、雨雲はそれよりも早く私たちの頭上をおおってしまっていたようです。

 おかげで私もいったん、雨から身を隠す羽目はめになりました。

 逃げ込んだ先は路上ろじょうすみっこにある廃業はいぎょうしいた店舗てんぽの屋根の下。ちょうど人が二人入れる程度の幅しかありません。

 長らく上げた形跡けいせきのないシャッターの前に立ち、少しれたかたかみをハンカチでぬぐいながら、私は再びため息一つ。

 予報にない雨に街中が困惑こんわくしているように見えました。

 全身が濡れることを覚悟かくごの上で雨の中を全力でけている人がいました。準備がいいのか折りたたみがさを差して悠然ゆうぜんと歩いている人もいました。

「なんじゃなんじゃ……! 雨が降るなんて聞いておらんぞ!」

 あるいは私と同じように雨宿あまやどりのために駆け込んだ方も一人おられました。

 ずい、と雨の中から私の真横に飛び込んできたのは青白あおじろい髪の女性。

 としの頃は二十代。ブラウスにスカート一枚といったすずしげなよそおい。スタイルはよく、出ているところは出ていて、けれどおなか周りはせている──要はモデルのような体形をしているように見えました。

「やれやれ……」

 ため息を漏らす彼女。

 突然の理不尽りふじんに対するもやもやとした感情をおさえきれなかったのでしょう。彼女はそれから「まったく……天気予報はてにならんな」と同意を求めるようにこちらを見つめてきました。

 こちらをのぞき込むのは赤のひとみ

「そうですね」

 まったく同意見です。

 せま屋根やねの下でぴったりと肩をわせながら、私たちはそれからおたがいに空をながめました。

 降り始めた雨はむ気配を見せません。それどころか空はどこまでも鉛色なまりいろ

 しばらく雨は続くことでしょう。

「…………」

「…………」

 私たちの間にあるのは沈黙ちんもくだけでした。

 それはまるで動くエレベーターの中で目的地に着くのを待っている乗客のよう。しかし私たちがいくらにらんだところで空が晴れ渡ることはありません。雨はなおも降り続けます。一体いつまで続くのでしょう。となりで彼女は腕を組みながら「まだかのう」とぼやきます。腕が当たりました。ついでに屋根から私が少しはみ出ました。私は「そうですねえ」とうなずきながら彼女の方に少しだけ体重をかたむけつつ屋根の中へと戻ります。「なんかおぬしちょっとこっちに寄ってきてない?」「え? 何のことですか?」私たちはおだやかに言葉を交わしました。それから私は静かに、しかしながら確かに思うのです。


 せっま──。


 ちょうど二人入れる程度の幅しかない、と先ほど独白どくはくしたことを猛省もうせいしなければなりません。

 私たちが今立っているこの場所にはそんな余裕はなかったようです。

 実際のところせいぜい1・5人分くらいの幅しかなかったのでしょう。

 今も私と彼女はぴったりと肩をくっつけて並んでいるというのに、お互い若干じゃっかん屋根からはみ出しているのです。

 おかげで片方の肩がお互い少しずつ濡れていました。

 いやはやこれでは風邪かぜをひいてしまいますね。

「やっぱりおぬしちょっとこっちに寄ってるって」

「そう言うあなたこそこちらに寄っていませんか?」

 先ほどと同様に交わされる穏やかな会話の間で静かに火花が散り始めたような気がしました。

 狭い場所に二人。いつだって争いは奪い合いから発展するものなのです。

「おぬし、ちょっと悪いんだけど、わらわこれから仕事あるから台本読んでてもいい?」

 彼女は唐突とうとつにバッグの中から冊子さっしを取り出しました。

 仕事? 台本?

 はてさて。

「ひょっとして役者さんなんですか?」

「んー? ま、そんなところじゃのう……。おぬし、ルシェーラって知ってる?」

「ルシェーラ……」

 頭の中でその名前を検索けんさくにかけました。どこかで見たことがある気がします。具体的に言えば家の中、テレビの向こうで。

 ほどなくして思い出しました。

「ひょっとして最近ドラマに出てる役者さんですか」

 確か数百年生きている竜人りゅうじんをテーマとした物語の主役として彼女を見た気がします。

「そう! 今をときめく大女優のルシェーラ様とはわらわのことじゃ……」無駄むだにしたり顔を浮かべる彼女。

 ついでにドラマの中でもこんな口調だった気がしますけれども。

「普段からそういうキャラなんですね」

「これも役作りの一環いっかんじゃ……」

「それはまあ随分ずいぶんと仕事熱心なことで」

 おいそがしい身なのか、雨が止むのを待つ間ですら仕事をしなければならないようです。彼女はそれから宣言通り台本を読み始めてしまいました。

 こんな狭いところで読んだら濡れません?

 疑問を抱く私。

「もしも邪魔じゃまだったら向こうの方の屋根に移動したほうがよいぞ」と言いながら彼女が指差すのは道の向かい側。

 そこにはここと同じように屋根が一つ。

 要約ようやくすると邪魔だからあっち行け、と言いたいのでしょう。

 ですがこの場所を先にとっていたのは私の方。

「私は別に気になりませんけど。広い場所で仕事したいのでしたらあなたの方が移動してみては?」

「いやー。わらわ女優じゃからなー。ここで風邪ひいちゃうと仕事に響くしなー」

「私も風邪をひくと明日の学校に響きますので無理ですね」

「…………」

「…………」

 穏やかに見つめ合う私たち。

 この狭い屋根は私たちのどちらか一方のためにあるべきなのです。

 彼女とは初対面ですが、しかしながら今、彼女が何を考えているのか、私には手に取るようにわかりました。

(なんじゃこいつ……とっとと退かんかい!)

 多分大体こんなことを思っているのでしょう。

 ですから私も独白を返します。

(絶対に退きませんから。むしろあなたの方が退いてくださいよ)

 言葉を交わすことなく私たちはそうして肩を押し合いました。

 降り続く雨の中、こうして私たちの静かな戦いが幕を開けたのです──。



「ゲームをしませんか」

 提案するのは私。

「何じゃ?」

 首をかしげるルシェーラさんに、私は淡々たんたんと説明しました。

「今から向かい合って、じゃんけんで負けたほうが一歩ずつ下がるんです」

 狭い屋根の下、みにくく場所を取り合い続けていても疲れるだけでしょう。ゆえにここは公平に、じゃんけんで負けた方からこの場を明け渡していくのです。

 負けた方はこの場所を追放され、あとは向かい側でも別のところでも好きに行けばよろしい。

 そういう戦いです。

 目的はとてもシンプル。

「なるほどのう」

 そして決着の付け方もとても単純。

 私たちが取り合っている屋根の下は狭く、向かい合ったまま一歩でも下がれば雨に濡れるほかありません。

 つまり勝負はたった一度のじゃんけんのみで決まるのです。

「いかがです?」

 たずねる私。

 彼女はにやりと笑みを浮かべながら、体をこちらに向けました。

「負けても文句もんくはなしじゃぞ?」その目はすでに自らの勝利を見据みすえているかのようにも見えました。

 自信満々。

 そんな彼女と向かい合いながら、私は胸の前にこぶしを出します。

 狭い空間の中、息がかかるほど近くにいる彼女の胸元にも拳が一つ。

 そして目と目を合わせたその瞬間に、私たちは合図をすることなく互いに口を開いていました。

「さいしょはグー」

 二つの声はそろい、拳が同時にれています。

「じゃんけん──」

 ぽんっ。

 そして出される私の手。

 勝利をつかむために開かれた手はパー。

 お相手は──ルシェーラさんの手はいかがでしょう。

 私は視線を向け──。

「……!?

 驚愕きょうがくしました。

 開かれていたのは指三つ。

 グーでもチョキでもなければパーでもない。いい年こいた大人がやるべき範疇はんちゅうを超えているその手はグーチョキパー。

 いかなるじゃんけんにおいても完全勝利できる無敵むてきの手だったのです。

「ふははははは! バカめ! これでわらわの勝利じゃ!」

「いや普通に反則なんですけど?」

 わかりますよね? 大人なんですから。

「はーん? おぬしルールを説明するときにそういう話ししたか? グーチョキパーはダメって言ったか?」

「いや言いませんでしたけどそういうのは何となくわかるでしょう」

 ほおふくらませる私。

 すると彼女は肩にぽんと手を置き。

 シリアスな表情で言いました。

「いいかおぬし? 大人の世界では『言わなくてもわかるよね?』は通用しないのじゃ……!」

「…………」

「でも聞いたら聞いたで『は? そんなのいちいち聞いてくるなよ』って顔をされるのが大人の世界なんじゃ……!」

「仕事でなんかあったんですか」

 なんだかよくわかりませんけど芸事げいごとの世界は大変なんですね……。

「何はともあれ事前のルール説明をおこたったおぬしの敗北はいぼくじゃ! さあ一歩下がるがよい。そして雨の中にその身をさらすのじゃ! ふははははははは!」

 勝ち誇るルシェーラさん。

「大女優なのに情けない手で勝って恥ずかしくないんですか」

「うるさい」

 いいから早く出ていかんかい。と言いつのる彼女。

 仕方しかたありませんね……。

「まあ負けたのは私ですし、ここは宣言通り、一歩下がるとしましょう」

「そうじゃそうじゃ」

 頷くルシェーラさん。

 私はそれからくるりときびすを返しました。

「ん?」

 そしてそのまま一歩。

 宣言通りに下がるのです。

「え、いや、おぬし、ちょっと──」

「えいっ」

 ぽん、と私のおしりが勢いよく彼女にぶつかります。

 事前のルール説明を怠っていたという指摘はもっともですね。負けたほうがその場で体を反転してはならないとは言っていないのですから

 結果、私によって押し出された彼女が雨の中に飛び出しました。

「絶対に許さんぞおぬしぃ……!」

 ぐぬぬ、と背中せなかの向こうで彼女が私を睨んでいました。

 結局二人とも不正を働いたということで今回の勝負は無効むこうとなりました。



「あれれ? おぬし、あそこ見てみろ!」

 ほどなくして。

 唐突に声をあげながら路上を指差すルシェーラさん。

「何ですか?」

 私は首を傾げながら彼女が指し示す方向を見つめます。たたきつけるような雨。既に出来上がっている水たまりの中心に、何やら見慣れないものが一つ落ちていました。

 目をらす私。

 その正体はすぐにわかりました。

「お札のたば……!」

 何ということでしょう。

 そこそこの額のお札が束のまま路上に放置ほうちされていたのです!

「一体なぜあんなところにお札が……?」驚愕する私。

 恐らく百万円程度はあるでしょう──テレビなどでよく見かける束と同じくらいのあつみに見えました。

「ひょっとしてさっき急いで帰っていたやつが落としていったのか……?」

 私たちが二人並んで雨宿りを始めてから、確かに何度となく人が前を通り過ぎています。傘を差すことなく走り去っていく人影も何度も見かけました。

 その中の誰かが落としていったとでもいうのでしょうか。

「どうするおぬし? あれ、取りに行くか?」私の隣でルシェーラさんは真面目まじめな表情を浮かべていました。

「ふむ……」

 私もまた真面目な顔で考えていました。

 取りに行くべきか、いなか──ではありません。

(あれはわななのでは……?)

 冷静に考えてみましょう。

 水たまりの中に札束が放置されることなどあるでしょうか? この状況下で? いえいえまさか。見るからに怪しい雰囲気はまるで丸見えの落とし穴のよう。

 誰かがお金を偶然ぐうぜん落としてしまった可能性よりも、私とルシェーラさんが互いに相手をおとしいれようとしている現段階においては怪しさの方が勝ります。

 ゆえに私は思考の末。

 答えました。

「あ、私は別にいいです」

 路上に札束が落ちてるなんて、普通に考えてあり得ないですよね。めないでいただきたいものです。

 どうせあなたが用意したものでしょう?

 私は勝ち誇った顔でルシェーラさんを見つめました。

 直後です。

「そっか。おぬしが取りに行かないのなら、わらわが行くわ!」

 おどろくべきことに。信じがたいことに。

 ルシェーラさんは自ら雨の中へと駆け出していました。

「……!!

 罠ではなかった、とでもいうのでしょうか。彼女は自らが濡れることをいとわず、札束へと向かいます。

 私は自らの判断ミスをのろいました。罠かもしれないという先入観のせいで目先にあるお金が本物である可能性を自然と除外じょがいしていたのです。

 罠である可能性が圧倒的に高くても、誰かが落とした可能性はゼロではない。

 本来、手を伸ばす理由はそれだけで十分なはずなのに……!

「……っ! 待ってください!」

 気づけば私もまた、雨の中に飛び出していました。

 今からでも遅くはないはず──ルシェーラさんの背中を追いかけ、走ります。

 そして競走においては出遅れたほうが意外にも有利になることがあるものです。

「何じゃと……!」

 私が追いかけてくるとは思っていなかったのでしょう。

 のんびりと駆けていた彼女をあっという間に追い越して、そのまま私は札束のもとへと手を伸ばし。

 摑みました。

「ふっふっふ。しかったですね、ルシェーラさん」

 これで大金は私のもの──と掲げる私。

 手の中にあったのは子供銀行券でした。

「…………」

 子供銀行券。

 要するにおもちゃでした。

「は?」

 ぺらっぺらの紙切れ百枚を眺めながら啞然あぜんとする私。土砂どしゃりの雨。あっという間に濡れる体。顔を上げれば笑うルシェーラさんの姿が一つ。

「かかったな、バカめ! わらわが走り出せば釣られて出てくると思っておったわ!」

 既に彼女は安全地帯である屋根の下まで戻っていました。

 何ということでしょう。

 すべて彼女による捨身すてみさくだったのです──!

「ふはははは! そのままずっと濡れるがいい!」

「ぐぬぬ」

 二度目の勝負はこうして彼女の勝利というかたちで決着しました。



 降り続ける雨の中。

 私たちは互いに罠を張り合いながらも相手を屋根の下から追い出すために策を練り続けました。

「おっと、わらわったらうっかりサイン入り色紙を落としちゃったわい」例えばルシェーラさんがサイン入り色紙を雨の中に放り出すことで誘い出してみたり。

「あー、大変。うっかりパン屋の割引券を落としちゃいました」私であればパンをえさおびき出してみたり。

 しかしながら既に互いにだまし合ったせいで私たちはあらゆる物事に対して疑心暗鬼ぎしんあんき

「…………」

「…………」

 多少の罠にかかるようなことはありませんでした。張り巡らされた罠に対し、私たちは一歩も動かないまま見つめ合うばかり。

 つまり私たちの戦いは、膠着こうちゃく状態。

「ぎゃあああああああああああああっ!」

 さけび声が街中にとどろいたのは、そんな時のことでした。

!?