そしてほうきさんは語ります。


 ──それは例えば夏の日のこと。

「テスト前でお困りのそこのあなた。赤点を回避したくはありませんか? ところでここに秀才しゅうさいであるこの私が書いたノートがあるのですが」

 同級生を前にしてしたり顔を浮かべる女子生徒がそこにはおりました。ノートを見せてあげる代わりに対価を求める気満々でした。それは一体どなたでしょう? そう、私で──待ってくださいその話もやめてもらえますか。

「ねえ、イレイナ? あなた裏で何をしてるの?」

「なんでもないんです」おほほほ、と乾いた笑いを返す私。「ほうきさん……! もうちょっとこう……温まる感じのエピソードを披露ひろうしてください」

「かしこまりました」

 そしてほうきさんは語ります。


 ──寒い冬のこと。

「そこのあなた。ひょっとして今、何かお困りではありませんか……?」

 こわれた自販機を前にして困っている男性に話しかける女子生徒が一人おりました。その手には先ほどコンビニで買った新品のお茶一つ。よければこちらを差し上げましょうか? ちなみにお値段300円です。などと言いたげな表情の彼女はどなたで──待ってくださいほうきさん。言葉の意味合いが違います。

「お茶を飲んで温まるという意味ではなかったのですか」

「感動的なエピソードという意味です」

「感、動……?」

「そこだけ壊れたロボットみたいな反応しないでくださいよ……」

 まるで私には心温まる感じのエピソードが皆無かいむみたいじゃないですか。

「わたくしが関わったなかで心温まる感じのエピソードは今のところ皆無です」

「はっきり言わないでください」

 まったくもう、と私。

 しかしながら彼女がいくつか例を挙げてくれたおかげで判明したことが一つありました。

 どうやら彼女は私があやしいことに手を出さないように普段からかげながら軌道修正をしてくれていたのでしょう。

 実のところ、例に出されたお話はすべて実現しなかったものなのです。

 例えばパン屋さんで一人一個限定のパンを何度も買おうとした際は、変装して二度目に買おうとしたところで、「悪いことはダメですよ」とどこからともなくささやきかけられて、やめてしまったのです。

 てっきり当時は店員さんから目をつけられたのかと思ったのですけれども、恐らく声はほうきさんのものだったのでしょう。

 他にもノートに関していえばその日に限って家に忘れておりましたし、自販機は奇跡的に復活して普通に男性が購入をされていました。いずれも私の計画は失敗に終わっているのです。

 もしも彼女がいなければ、私は今、何らかの間違いを犯して怪しいことに手を染めていたかもしれません。私の手が今も綺麗なままでいられるのは彼女のおかげといってもいいでしょう。

「ほうきさん……」

 あなたは私を陰ながら助けてくれていたのですね……。

「イレイナ様をお守りするのはわたくしの役目ですから……」

 なんとなくいい感じの雰囲気になる私と彼女。

 どうやら私は彼女の存在を勘違いしていたようです。

 万事解決、一件落着。彼女は私のベストフレンド。

「──イレイナ。今の話、何?」

 万事解決! 一件落着! 彼女は私のベストフレンド!

 ふふふと恐ろしい笑みを浮かべながらこちらを見つめる我が母君から私は全力で目を逸らしました。

「あ、安心してくださいお母さん。全部未遂みすいで終わってます……!」

「でもアウトローなことをしようとはしたのね?」

 私との距離を詰めるお母さん。

「顔、近いんですけど……」

「一応聞いておきたいのだけれど、あなた、他には怪しいことしてないわよね?」

「も、ももももちろんですとも」

 私はしどろもどろになりながらも言葉をつむぎます。「私は清廉せいれん潔白けっぱくを絵に描いたような人間ですよ? 怪しいことなんてやってるわけ──」

 そのときでした。

 私のスマートフォンから軽快な音楽が鳴り響きました。

 着信。

 ディスプレイに表示されたのはミナさんの名前。

 ……ミナさん?

 こんなときに一体何の用でしょう?

 しかしこれはお説教から逃れる千載一遇せんざいいちぐうのチャンスでもあります。

「出てもいいですか?」着信に出てなんとなく空気を有耶無耶うやむやにしてやりましょう。

「どうぞ」頷くお母さん。

 真面目なミナさんのことですからきっと真面目な話題でかけてきたに違いありません。

 そして私は画面をタップしてスピーカーに切り替えてから通話ボタンを押しました。

「こんばんはミナさん。どうしました?」

『……イレイナ』冷静な声がスマートフォンから響きます。

「はい」

 言葉を待つ私。

 それから彼女は満を持して、言いました。

『……えっち』

「?????????」

 途端にこおりつく我が家のリビング。まったくもって意味不明なことに画面の向こうの彼女からはみょうな恥じらいが感じられました。

『今日のことだけど。誰にも言わないで。私、学校ではクールなキャラで通っているから』

「…………………………」

『お風呂上がりにだらしない格好していることも言わないで。ああいう格好は身近な人にしか見せてないんだから──』

「…………………………」

 私は通話を切りました。

 …………。

 やってらんないんですけど……。

「やけに遅いと思ったら……何してたの?」

「いや、あの……これは違うんですよ」

 誤解です。お母様。誤解です。

 恐らく今日の帰り道にミナさんの愚痴をサヤさんがこぼしていたことが本人に伝わってしまったのでしょうけれども──何だかミナさんの変な言い回しのせいで妙な空気になりましたけれども。

 決してやましいことはないのです。

 本当です。

「イレイナ……? 年頃なのはわかるけれど、よその子に恥をかかせないようにね……?」

「ちょっと優しくしないでもらえますか……?」

 変な勘違いが加速しつつありました。話題を変えたら変えたで別の意味で気まずくなるとは思いませんでした。地獄じごくですかここは?

「ほうきさん」

 助けてください我が友。

 視線を向けて助けを求める私。

 真剣な表情の彼女がこちらを見つめていました。

「イレイナ様」

「はい」

「ちょっとこれは無理でございます」

「諦めるの早や……」

 ていうか全然助けてくれないじゃないですか……。

 ベストフレンドとは何だったのか。

「ところで話題は戻るんだけど、イレイナ? 随分とアウトローなことに手を染めようとしていたみたいね?」

 しかも全然話題逸らせてないじゃないですか……。

 思い出したように私のかたを叩くお母さんの手にはかんばんが一つにぎられています。これから先に待ち受けている展開など簡単に予想できます。

「あのう……、今回は見逃してもらえませんか……?」

 恐る恐る尋ねる私。

 にこりと笑いながらお母さんは答えます。

「私ってしつこいのよ」



「またかよフラン」

 スマートフォンに通知がきたのは同僚のシーラとレストランで夕食を摂っているときのことでした。

 ……今度こそ仕事の連絡でしょうか?

 首を傾げるシーラをよそに私はスマートフォンを確認します。

「…………」

 直後に私は閉口し、こちらを見ているシーラに画面を掲げてみせました。「何だかイレイナからまた画像が送られてきたのですけど」

 画面を指さす私。

 画面に映し出されているのは、いかにも不本意そうな表情を浮かべながら『私は母親にだまってアウトローなことをやっていました』などと書かれたかんばんを首から下げたイレイナと、その隣で「いえーい」とピースするヴィクトリカさんのお写真でした。

 私たちは呆れました。

「……さっきから何やってんだあいつら」

「さあ……?」



「あ、そういえばほうきちゃん、今夜からうちで住ませようと思うんだけど、どうかしら」

 色々なことが起きた一日の最後。

 私がかんばんを片付けている真横でお母さんはごく自然にそのようなことを語りました。

 ほうきさんが、一緒いっしょに住む、ですか。

「まあいいんじゃないですか」

 ふむふむと頷く私。

「えええええええ……? そ、そんな、申し訳ないです……」

 恐らくその場でおどろいていたのはほうきさんご本人のみだったことでしょう。私も私できっと母ならそんなことを言い出すだろうと思っていたのです。

 人は目に見えない範囲には鈍感ですが、いつも目にする場所にいる相手が考えていることは何となくわかるものなのです。

 驚くほうきさんの肩に手を置きながら、母は笑います。

「これからイレイナが変なことをしないように見守ってね?」

 その笑顔にはちょっとした圧が含まれていたような気がしました。『イレイナが悪いことをしたらすぐに私に知らせなさい』と語っている雰囲気も感じました。

 まるで私が悪いことをする人間であると決めつけているかのような口ぶり。まったく失礼しつれいしちゃいますね。

「住まわせていただくのはありがたいのですが……、お二人とも、そんなに簡単に決めてしまってもいいのですか……?」

 戸惑いながらも尋ねるほうきさん。

 既に少し前から私たちの家にいたようですし、今更な気はしますけれども。

 一ついいことを教えて差し上げましょう。

「私たちって結構テキトーなんですよ」

 だから別に大丈夫ですよ、と私は語ります。

「そうね」しかりと私に首肯を重ねるお母さん。

 極めて軽い雰囲気のまま、そうしてほうきさんは私たちの家族の一員となったのです。

「ありがとうございます……お二人とも」

 とても嬉しいです……、と感激するほうきさん。感激したあとで彼女は「あっ……」と口をぽかんと開けた、かと思ったら閉ざしてしまいました。

 それはまさしく何か思い出したけれども、口に出すことをはばかったかのよう。

「どうかしたんですか?」

「あ、いえ……、すみません、何でもありません」

 躊躇ためらいがちですね。

 私は言いました。

「これからは同じ家で堂々と暮らす家族なのですから、言いたいことがあるなら正直に話したほうがいいですよ」

「では……遠慮えんりょなく言ってもいいのですか? イレイナ様」

「どんとこいです」

 胸を張る私。

 ほうきさんは言いました。

「イレイナ様の全財産まだもらってないです」

「…………」

「もらってないです」

 そういえばマグカップがいつどこで買われたのかを当てたら全財産あげるって言いましたね……。

 言ってしまいましたね……。

「ほうきさん」

「はい」

 私はそれから過去の軽々しい発言にたいそう後悔こうかいしながら、ほうきさんの肩に手を置いて言いました。

「うちの家族の中で私は特にテキトーです」

「あのう、イレイナ様?」

「約束も簡単になかったことにします」

「イレイナ様?」

「要約すると記憶にないです」

「ええええええ……」

 何はともあれこうして色々あった一日は終わりを告げたのです。

「もしも納得なっとくいただけないのでしたら今日あげたプリンで我慢がまんしてください」

「いやあれ賞味期限切れてたのですけど」