皆さんは私と同じような経験をしたことはありますでしょうか。

 例えば学校から家に帰っている最中のこと。

「そういえば昨日きのう冷凍庫れいとうこに入れておいたアイスを妹にとられちゃったんですよー」

 私の学友たるサヤさんは口をとがらせながら「まったくもー。こまった妹ですよね」と愚痴ぐちをこぼします。

 家族間における日常的な出来事のお話。

 どこにでもありふれている雑談ざつだんの一つ。

「お風呂ふろ上がりに食べてるところをぼくははっきり見てたのに、追及ついきゅうしてみたらミナは『え? しらない』だなんて誤魔化ごまかすんですよー。まったく、人のものを勝手に食べて知らんぷりだなんてひどいですよね」

 そして語られる話題はそれから妹であるミナさんの家での様子ようすに関するものへと推移すいいして、お風呂上がりのミナさんがいかに無防備でだらしない様子を見せているのかに移りました。ため息とともに語られる言葉の数々はおおよそ学校では見ることのできないミナさんのの表情を想像させてくれます。

「そうなんですか」

 そんなお話を伺いながらも、しかし私はこのときまったく別のことを考えておりました。

 先ほどのサヤさんの言葉を繰り返しましょう。

『そういえば昨日、冷凍庫に入れておいたアイスを妹にとられちゃったんですよー』

 皆さんは例えばまったく関係のない話題の中で突然、「あ、そういえばコンビニで買ったプリンが冷蔵庫れいぞうこに入れっぱなしでは?」などと思い出すような経験はありますでしょうか。

 このときの私がまさにその状態でした。

(プリン……!)

 ふいに突然とつぜん、何の脈絡みゃくらくもなく、記憶の底から輝きながら浮かび上がる一つのプリン。食べたくて買ったのにそのまま忘れていたプリン。

 思い出した途端とたんに私の頭の中はさながらプリンを食べた時のような多幸感たこうかんに包まれました。

 家に帰ったら食べましょう。そうしましょう。甘い喜びがじわじわと私の頭を満たしていき、自然と表情がゆるみます。

 というわけで私はサヤさんのお話にうなずきながらも終始しゅうし笑みを浮かべることとなりました。

「──話は変わりますけど、お風呂上がりで火照ほてってるからって薄着うすぎでうろつくのってどう思います? イレイナさん」

「ふふふ……」

「え、何でちょっとうれしそうなんですか……?」

 プリンに想像をふくらませていた私に対してサヤさんは少々困惑こんわくした表情でこちらを見つめていました。まあそれはともかくとして私はこの日、突然思い出したプリンの存在によって帰り道がとてもとても幸福だったのです。

 皆さんはこんな経験、ありますか?

「おかえりなさい、イレイナ」

 そしてサヤさんと別れて一人になったあとはこっそりスキップをしながら夜道をたどり、家の玄関げんかんを開ければ母親に出迎えられ、私は「ただいま帰りました」といつもより割り増しで笑みを浮かべました。

 一日のつかれが簡単に吹き飛ぶほどに上機嫌じょうきげんだったのです。

「今日はやけに上機嫌じゃない」

「ふふふ」と笑いを返しながら私は冷蔵庫へと直行しました。

 ただ忘れられていたプリン一つを思い出すだけでこれほどまでに幸せになれるのに何故なぜ世界からは戦争がなくならないのでしょう?

 無駄むだ壮大そうだいなことを考えながら私は冷蔵庫に手をかけ、そうして待ちに待ったプリンとの再会を果たし──

「あれ?」

 ぴたり。

 開けたまま私はそのままフリーズしました。

 顔に当たる冷たい空気。視線の先にあるのは間違まちがいなく我が家の冷蔵庫。牛乳、ヨーグルトや卵にはじまり食材のたぐいや作り置きに至るまで多くのものが詰め込まれている一般的な冷蔵庫の中身。

 ではあるのですが、決定的なものが一つ、欠けていたのです。

 ──プリン。

「お母さん、冷蔵庫に、あったプリンは、一体どこに、あるんですか」

 カタカタとふるえながら私は振り返りました。

 我が母は「?」と小首こくびかしげつつ。

 それから何でもないことのようにさらりと言うのです。

「もうないけど?」

 だから世界から戦争がなくならないんですね。よくわかりました。私は開けっぱなしだった冷蔵庫を静かに閉めつつ今日で一番大きなため息をつきました。

 冷蔵庫で眠っているプリンに期待して帰ってきたのに、すでに食べられていた。

 皆さんには、こんな経験、ありますか──?



 今日プリンが食べられることを心から楽しみにしていたのに。なぜ食べてしまったのか。一言くらい断ってくれてもよかったのでは?

 元々はお母さんから頂いたお小遣こづかいで買ったものであったとしても、私が選んで買ったものに関しては尊重そんちょうしてもらいたいものです。つい先ほどまでそもそもプリンの存在自体忘れていたとはとても思えないほどにほおを膨らませながら私は静かに抗議し続けました。

 しかしそんな私に対して、お母さんは悪びれることもなく、それどころか平然とした表情を浮かべながら言うのです。

「え? 食べたのはあなたでしょう?」

 はい?

「今そういう冗談はどうかと思います」ふん、と顔をそむける私。分かりやすくねています。せめて一言くらい謝罪しゃざいがあってもいいのではないでしょうか。

 ひょっとして、とぼけてやり過ごすおつもりですか?

「いやそうじゃなくて」

 あからさまに機嫌を損ね始めた私に対して、しかしお母さんはいっそう不思議そうな顔を強めつつ、語りました。「あなたがさっき自分で部屋に持っていったんじゃない。晩ごはん前だからやめておきなさいって私が言っても聞かずに」

「はい?」

 さっき、とはいつのことでしょう。「私、今帰ってきたところなんですけど」

「でもさっき確かにあなたが持っていったけど……?」

 うーん? とうなるお母さん。

 その様子からはおおよそうそや冗談じょうだんを語っているようには見受けられませんでした。

 互いの認識に何らかの行き違いがあるのでしょうか。それから詳しく事情をたずねたところ、母曰くこのような出来事があったそうです。

 それは今から十分ほど前。

 お母さんがキッチンでお料理をしている最中のことでした。

「こんにちは」

 たんたんたん、と包丁ほうちょうとまな板が音をたてている合間あいまに、冷蔵庫の方から声がしました。それはそれは綺麗きれい清楚せいそで美しくて、耳にした途端に誰もがときめくすてきな声だったそうです。要するに私の声ということですね。

 完璧かんぺきな美少女は声まで美しいのです。

「あらおかえり。もう少しでごはんできるから待っててちょうだい」

 お母さんも当然ながら私が帰ってきたのだと認識しました。ちょうど刃物はものを持っていたこともあり、顔を向けることなく笑みを浮かべる我が母。

 直後に冷蔵庫が開けられました。

「まあ! いけません。プリンが食べてほしそうにこちらを見つめています」

「晩ごはん前だからほどほどにしておきなさいね?」

「さあプリンさん。こちらへ」

 母の制止を聞くことなく、私と似た声の誰かはそのまま冷蔵庫からプリンを取り出しました。そこそこ楽しみにしていたのでしょう。彼女は上機嫌な様子で鼻歌を歌いながらスプーンを手に取り、それから背を向け、歩き出しました。

 向かう先は廊下。

「……?」

 自分の部屋で食べるつもりかしら。などと思いながらお母さんはチラリと視線を向けます。

 視界のはしとらえることができたのは、桃色ももいろかみ

 何だかいつもと様子が違うような……? と引っかかりはしたものの、結局お母さんは深く考えるようなことはせずお料理に戻ってしまいました。

 私が帰宅したのはそれからほどなくのこと。

「──というわけでてっきりあなたが食べたものだと思ってたんだけど」

「そんなばかな」

 とてもとても困惑しながら答える私。

 やれやれあきれてしまいますね。真面目まじめな様子で何を語り出すかと思えば単なる与太話よたばなしですか。

「もう少しましなうそをついたらいかがですか」

「うそじゃないもん」

「女の子みたいに拗ねてもダメです」

「本当にあなたみたいな子がさっきいたのよ」

 いたのよと断言だんげんされましても。

「もしも仮にお母さんの話が本当だったのならば、私とよく似たよくわからない人が家に不法侵入ふほうしんにゅうしてプリンを盗んで今も私の部屋に潜伏せんぷくしているということになるのですけれども」

「まあそうね」

「そんなことが本当にあると思いますか?」

「私もにわかには信じがたいわ。でもあったのだから仕方しかたないわね」

 何故だかえへんと胸を張る我が母。

 開き直るおつもりですか?

 自身じしんで食べたことを隠すために架空かくうの話をでっちあげたのでしょうけれども──自身の非を認めるつもりはないようです。

 このとき私は話半分で聞いていたサヤさんの愚痴を思い出していました。

 いいですか、サヤさん。冷蔵庫に置いてあったものを家族に勝手に取られたときの対処法を私がここで教示して差し上げましょう。

 しらを切る相手にはこうすればいいのです。

「わかりました。あくまで今の話を事実とするならば私にも考えがあります」

 むん、と腰に手を当て、『おこってます』とアピールしつつ私は語ります。「今から私の部屋に行ってみて、私とよく似た変な人がいるかどうかを確かめてきましょう」

 そこにいるんですよね? 私によく似たどなたかが。

 事実ならばそれはそれは大変なことです。

 実際に見てみようではありませんか。

 つまり物的証拠をぶつけることで、相手のうそをあばくのです。

「しかしお母さん、もしも私の部屋に行っても誰もいなかった場合──つまりさっきの話がうそだった場合、その時はどうなるか、わかりますよね?」

「どうなるの?」

 虚言きょげんによって罪を隠蔽いんぺいしようとしたのですから相応の対価を払ってもらわねばなりません。

「代わりのプリンを買ってきてください」

「はいはい」

「あとお小遣いの増額ぞうがくも要求します」

「さりげなく関係ない要求も追加してきたわね」

 ま、いいけど。とお母さんは余裕よゆうの表情を浮かべておりました。「ちなみに、いたらどうする?」

 あるはずもない可能性の話を論じていても仕方ありませんけれども、一応答えて差し上げましょう。

「その時は謝罪します」

「謝罪だけじゃ足りないわね」

「ならどうしろと」

「ちょっと高めのケーキでも買ってきてもらおうかしら」

「ふむ」

「あと肩揉かたもみとかもお願いしちゃおうかしら」

「ふむふむ」

 色々と要求が多めですけれども──私はこくりと頷きます。

「ま、いいでしょう」どうせ私によく似た変な人などいるはずもないのですから。「何なら『私は母親に対してあらぬうたがいをかけてしまいました』と書いたかんばんを首から下げて写真を撮って拡散してもかまいませんよ」

 私は鼻を鳴らしながら堂々どうどうと語ります。

 リビングに人が入ってきたのはそのときでした。

「ごちそうさまでしたー」

 能天気のうてんきな声をあげながら彼女はプリンの空き容器片手にやってきました。

「え」

 と間の抜けた声をあげる私。

「あ」

 と口を半開きにする彼女。

 身にまとっている服は黒色のローブ。

 髪は桃色、少しだけくせがあるロングヘア。私を捉えている瞳は瑠璃色。顔立ちはどこからどう見ても美少女で、今にも『そう、私です』などと聞いてもいないのに自身の容姿ようしを無駄にたたえた上で、したり顔を浮かべそうな雰囲気がありました。

「…………」

「…………」

 つまるところ私と無言むごんで見つめ合う彼女の外見はどこぞの自称美少女そのものであり。

 簡潔明瞭かんけつめいりょうに言えばまるで私のような少女であり。

 より端的たんてきに言い表すのであれば、まさしく母が語っていた特徴通りの少女が、そこにはいたのです。

 ですから私はお母さんの方を向き直ったのち。

 抗議しました。

「何でいるんですか」

「だから事実だって言ったじゃない」



 お母さんの話が事実だったということは、すなわち私たちの家はいつの間にやら不法侵入されていたということに他なりません。

「これは大変なことですよお母さん」

 私は一仕事終えたみたいな顔で息をつきながら語りました。見下ろす先には少女が一人。両手足をなわしばられており、口にはガムテープ。時折「もごご」と何かをうめいています。

 ひとまず犯罪者である彼女が逃げられないように迅速じんそく拘束こうそくをした次第しだいです。

「まさか本当に不法侵入されていたなんて……。しかも私の顔と声を真似まね徹底てっていぶり……恐らく常習犯じょうしゅうはんですね」

 以前、テレビで見たことがあります。

 とある民家に住む一人の男性が不思議な現象げんしょうに悩まされていました。置いてあったはずの物がなくなり、冷蔵庫の中身が勝手に減っている──怪奇現象を疑った彼は家中に監視カメラをセットしました。

 そしてその後、撮れた映像を彼はチェックします。

 原因は怪奇現象ではありませんでした。

 ──そこには屋根裏やねうらからこっそり降りてきては物を盗む不法滞在者の姿が残されていたのです。

 多分目の前の彼女も同じような類いでしょう。私たちの目に届かない範囲でこっそりと生活していたに違いありません。

「もごご、もごご」

 何か訴えていますがそれはさておき。

「何やら余罪よざいがたくさん出てきそうな雰囲気ふんいきを感じますね……」

 屋根裏をたたけばほこりが舞い上がるが如し。彼女には色々と裏がありそうな予感がしてなりませんでした。「警察けいさつに突き出してしまいましょうか、お母さん」

「うん」頷く我が母。「ところでイレイナ」

「はい」

「ケーキは?」

「…………」

 私は目をらしました。「やっぱりいきなり警察に突き出すだなんてかわいそうですね。ひょっとしたら彼女にも事情があるのかもしれません。ここは私たちも穏和おんわな感じで行こうではないですか」

 過去のあやまちを追及ついきゅうするのはひとまずやめにしましょう? ね?

「ねえねえ。ケーキは?」

「あ、今それどころじゃないのでやめてください」

「あと写真撮影もまだなの?」

「しっ! お母さん。今は大事な場面なのでそういうのはやめてください」

「謝罪もまだされてないわよ」

 意地悪いじわるな表情でにじり寄る我が母。「間違えたのだから誠意を見せてもらわないと。ね?」

「間違えた? はて、何のことでしょう」

 素知そしらぬふりをしつつ追及から逃れる私。

 そんな最中にも私たちの下で縛られている彼女が「もごご」と呻きました。まあ大変。何と苦しそうなのでしょう。

 今は言い合いをしている場合ですか? 違いますよね?

「ひとまず私の格好を真似ている彼女のガムテープを外してあげましょう。一体誰ですか? 年頃の少女の口にこんな物を貼ったのは」

 そう、私です。

 ぺりぺりぺりと即座にテープを剝がして差し上げました。

「あなたのお名前は?」

 何とお呼びすればいいですか?

 母との会話を中断しながら尋ねる私。

 彼女はそれからゆっくりと口を開き、一言。

「わたくしの名前は──」

 そして語られたのは、人名にしては少々奇抜きばつな名前。

 物の名前でした。

 どこにでもあるような、何の変哲もない、物の名前でした。

「……え、どういうことです?」そういう変わった名前の方ですか?

 対して彼女は「いえ」と首を振りつつ、

「物と同じ名前というか、わたくしは物でございます。イレイナ様」

 などと言葉を並べるのです。

 物そのもの? イレイナ様?

「より具体的に言うのであればイレイナ様の所有物しょゆうぶつでございます」

「????????」

 どういうことですか?

 言葉を交わせば少しは何かわかるかと思っていたのですが、私の頭上に大量の『?』が浮かぶ結果となってしまいました。もはや何が何だかさっぱりわかりません。

 戸惑とまどう私はそれからお母さんの方へと視線を向けます。

 助けてくださいお母様。

「イレイナ」

 私を見つめ返すお母さんの表情は既に真剣しんけんそのもの。以心伝心いしんでんしん。恐らくは悪ふざけをしている場合ではないことに気づいたのでしょう。

「私も一つ聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら」

「はい」

 頷く私。

 そして彼女は私の肩に手を置いたのち。

 言いました。

「写真撮影、いつするの?」

「いやめちゃくちゃしつこいですね」



「? どした、フラン」

 スマートフォンに通知がきたのは同僚どうりょうのシーラとレストランで夕食をっているときのことでした。

 仕事の連絡でしょうか?

 首を傾げるシーラをよそに私はスマートフォンを確認します。

「…………」

 直後に私は閉口へいこうしました。

「どした」

 再び尋ねるシーラ。

 答えるよりも見せた方が早いですね。

「何だかイレイナからよくわからない画像が送られてきたのですけど」

 掲げる私。

 画面に映し出されているのは、いかにも不本意そうな表情を浮かべながら『私は母親に対してあらぬ疑いをかけてしまいました』などと書かれたかんばんを首から下げたイレイナと、そのとなりで「いえーい」とピースするヴィクトリカさんのお写真でした。

「何やってんだあいつ」

「さあ……?」

 意図がよくわからなかったので私はとりあえず『楽しそうでいいですね』と返信を送っておきました。

 既読きどくと返信は一瞬いっしゅんでした。

『楽しくないんですけど?????』

 だそうです。

「何でキレてるんだこいつ」呆れるシーラ。

「さあ……?」

 何だかよくわかりませんが大変そうですね……。



 ずかしい写真を送ったのちに私はスマートフォンを仕舞いました。

 いえ、というより今はそんなことをしている場合ではないのです。

「すみません、もう一度お名前を言っていただけますか」

 目の前で縛られている彼女に私は尋ねます。

 私とよく似た顔立ちの彼女はやけにあつい信頼がもった眼差まなざしで「はい」と頷いたのちに答えました。

「ほうきです」

 などと。

 …………。

 何度聞いてもすさまじい違和感を覚えるのですけれども。

「つまりあなたは、物のほうき、ということですか?」

「左様でございます」

「にわかには信じがたいのですけれども……」

「ちなみにただのほうきではなくイレイナ様の所有物のほうきでございます」

「本当ににわかには信じがたいのですけれども……!」

 一体何がどうなっているんですか。

「イレイナ様、小さい頃に家に置いてあったほうきを使って空を飛ぶ魔女の真似事まねごとをしたことはございませんか?」

 彼女が投げかけてきたその言葉で私の脳裏のうりに映像が一つ浮かび上がります。

 それは近所の土手どてでほうきにまたがりジャンプするやんちゃな少女の姿。果たしてそれは誰でしょう?

 そう、私です。

「お母さん! 私ね、大きくなったら魔女になるの」

 空など飛べもしないのに私は何度も試みました。

「ふふっ。なれたらいいわね」などと笑う母のそばで、何度も試みました。

 現実世界で魔法使いになどなれるはずもないのに、どういうわけか私は将来、本気で魔女になれると信じていました。

 だから昼間はほうきを持っておでかけして、せっかく空を飛ぶならとほうきにおしゃれな布を巻いてみて、夜になったらほうきをそばに置いて寝る。

 幼い頃は確かにまあ、そんなようなことをしたこともありますけれども……。

「まさか……あの時私が大事にしていたほうきが人になった姿、とでも言うつもりですか……?」私はふむと一人考えました。

 いやいや、そんなわけがありませんよね?

 半信半疑はんしんはんぎの私に対して、自称ほうきさんはむふんと胸を張って見せました。

「いいえ、そのまさかです。イレイナ様。わたくしはイレイナ様が大事にしていたほうきそのものです」

「ええー」うそくさ……。

「信じておられないようですね」

「なんかその証拠とか出せるんですか」

「お言葉ですが、イレイナ様」得意げな表情のまま、自称ほうきさんは語ります。「イレイナ様が幼い頃に魔女の真似事をしていたことを知っている──わたくしがほうきである証拠などそれだけで十分ではありませんか?」

 はい証明終了、と言わんばかりのほうきさん。

「いやイレイナが小さかった頃は魔女が主人公のアニメが流行はやってたから同世代の子はみんな魔女の真似してたけど」

 そして横からあっさり論破ろんぱするお母さん。

「だそうですけど、ほうきさん」

「…………」

 ほうきさんは無言で頰を膨らませていました。

 ふてくされてる……。

「ちなみに他には何か証拠とかあるんですか」

 尋ねる私。

 息を吐き出して頰が元通りになったあとで、「もちろんございます」と頷いてから、彼女は表情を少々くもらせました。

「ただし今から説明することは荒唐無稽こうとうむけいなので信じていただけない可能性もありますが……」

 などと。

「いえいえ大丈夫だいじょうぶですよ」

「……本当ですか?」

「もちろんですとも。ねえお母さん」

 ちらりと視線を向ける私。

「そうねえ」

 頷く我が母。

(物を自称している時点で既に荒唐無稽ですし)

 などと私がそのとき思ったことはさておき、それからほうきさんは「では……」と息を漏らしたあとで、語りました。

「──わたくしは物ですので、物が語る言葉を読み取ることができます」

「へえー」

 私とお母さんはそろって頷きました。

 ちなみにこのときの私たちの心情は以下のようになっています。

胡散うさんくさいですね……)

(イレイナの周りってどうして変わった子が多いのかしら)

「その様子、信じておられないようですね」

 私たち二人を頰を膨らませながら見つめるほうきさん。おやおや人の気持ちすら読み取ることができるのでしょうか。すごいですね。

「なんか証明とかできるんですか?」

「もちろんでございます」

「ほほーう。じゃあやってみてください」

 さあさあどうぞ、と私はそれからテーブルの上に置いてあったマグカップを指差しました。「試しにこれがいつどこで買われたものなのか当ててみてくださいよ」

「構いませんが、もしも当てたらどうします? イレイナ様」

「ふっ……、私の全財産あげますよ」

 どうせ無理でしょうけど!

「こちらのマグカップはイレイナ様が小さい頃にテーマパークに行った際にお母様にねだりつづけて仕方なく買ってもらった代物しろものです」

「すみませんでした」

 謝罪しました。

「あら、当たってるわ」感心するお母さん。

「ちなみにこちらのマグカップは未だにイレイナ様のお気に入りであり、洗う時もとても丁寧ていねいだとマグカップ様が喜んでおります」

「あらまあ」

 すみませんでしたってば。

 彼女がほうきであるかどうかはさておき、ひとまずただ単に私に似ているだけの女の子、というわけではないのでしょう。

 ほうきさんと私を見比べながら、私の母も「ふむ……」と気難しい表情を浮かべていました。

「あなたいつの間に物とお友達になったの?」

 いえいえ。

「まったくもって記憶にないです……」

 ゆえにほうきさんから昔からの親友かのような表情を向けられても私は少々困ってしまうのです。何せ初対面なのですから。

「そんな……!」

 きっぱりと語ったところ、ほうきさんはたいそうショックを受けておいででした。「ううっ……わたくしとの美しい思い出の数々を忘れてしまったのですね、イレイナ様……」

 しくしくと涙をこぼすほうきさん。

「そうですよね。わたくしは所詮しょせん、ただのモノ……」

「言い方がちょっといかがわしいですね」

「イレイナ様にとってわたくしなんて用事が済んだらポイ捨てされるだけの行きずりの関係に過ぎなかったのですね……!」

「言い方がだいぶんいかがわしいですね」

 わざと誤解ごかいをまねくような表現してません?

「イレイナ、あなた……」結果お母さんに引かれました。

「いや言葉のあやですから。に受けないでください」

 ため息で返す私。

 少なくとも私は今までの生活において、私と髪の色以外の見かけがよく似ているローブ姿の私というものを見たことがありません。

 私の記憶が正しければ、初対面であることは間違いないはず。

「ふむ……」

 けれど私の隣で、お母さんは頰に手を添えながら眉根を寄せていました。「確かに初対面なのだろうけど……何だかこの子、初めて会ったような気がしないのよね……」

 初めて会った気がしない。

 と言われましても。

「私と似たような姿なのですから当然ではないですか」

「ええ。まあ、見た目はね? でも、思い返してみれば何となく、日常生活の中でこの子が存在していたような気がするのよ」

「? どういう意味です?」

「この前見たテレビ番組のこと覚えてる?」

 首を傾げるお母さん。

 基本的に私とお母さんはいつも並んでテレビを見ていますから、彼女が頭の中に思い描いているものはすぐに私の脳裏にも映し出されました。

「屋根裏でこっそり生活していた不法滞在者の話ですか」

「そう。それ」

 首肯しゅこうしたのち、お母さんはほうきさんを見つめます。「ね、あなた。ひょっとして、前から家に住み着いていたんじゃないの?」

 振り返ってみれば不思議な出来事がよくあったそうです。

 例えば私が学校へと出かけた直後のこと。弁当を忘れていることに気づき、お母さんがメッセージを送ったところ、私から『バッグに入ってましたよ』と返信がきたそうです。

 テーブルに置いてあったはずの弁当箱べんとうばこは知らぬ間に消えていました。

 例えばリビングでうたた寝をしていたところ、誰かから毛布もうふをかけられたこともあるそうです。『風邪かぜをひいてしまいますよ』おぼろげながら聞こえた声は私によく似た誰かのものでした。

 人の記憶はそこそこ適当なもので、例えば斯様かような不可思議な出来事に見舞われたとしても勝手に辻褄つじつまが合うように補完してしまうものです。

 弁当箱の例でいえばお母さんは「見間違いかしら?」と自己完結し、毛布の話でいえば「イレイナがかけてくれたのね」と考えて、それ以上疑問を抱くこともなかったのです。

 屋根裏でこっそり生活をしていた不法滞在者の話も、そもそも住民がその存在を疑い始めたのは、住みつかれてから半年以上ったあとのことでした。

 人は存外、視界の外の出来事には鈍感どんかんなのです。

「要は普段は裏で行動をして、どうしても私の前に出なければならないときはイレイナのフリをして活動していた──大体そんな感じかしら?」

 お母さんはほうきさんの行動をそのようにまとめました。

「……さすがはお母様です」

 参りました、と言わんばかりに笑みを浮かべるほうきさん。

 彼女はそれから観念した様子で語り始めます。

「そうですね。わたくし、実は少し前からイレイナ様の生活をこっそりサポートさせていただいているのです」

「他にも色々してるのね?」

「左様でございます」

「具体的にはどんなことを?」首を傾げるお母さん。

「例えば本日でいえば冷蔵庫に忘れ去られていたプリンをイレイナ様の代わりに食べたりしました」

 プリン!

 途端に私の中に眠っていた怒りが再び頭をもたげました。忘れていました。私は彼女にプリンを横取りされているのです。これのどこがサポートだというのでしょう。

「あれ今日帰ったら食べようと思っていたものなんですよ、ほうきさん」

「イレイナ様」

「何ですか」

「賞味期限、切れてます」

「何ですって……?」

 愕然がくぜんとする私でした。

 見れば確かに、ほうきさんの傍に置いてあるプリンに印字いんじされている日付は昨日のもの。

「わたくしはイレイナ様がお腹を壊さぬようにお守りしたのです……」

「あなたは何ともないのね」首を傾げるお母さん。

「わたくしは物ですゆえ……」

「よくわからない理屈りくつだわ……」

 苦笑するお母さん。

 ちなみに興味本位で尋ねますが、

「他にはどんなことをしてくれていたんですか?」

 先ほど挙がった例やプリンの話はあくまで私やお母さんが認知できた部分の話。彼女の口ぶりから察するに、裏ではより多くの補助をしてくれているのでしょう。

 しかし不思議な話ですね。

「補助を受けたような記憶があまりないのですけれども……」

 普通に生活を送っていても私は彼女の気配を感じたことがほとんどないのです。私が鈍感なのでしょうか?

 それから彼女は「ふむ」と考えたのち、

「色々やっていますね」と口を開きます。

「色々って何です?」

「言ってしまってもよいのですか?」

 おやおや随分ずいぶん勿体もったいぶるじゃないですか。まるで何かやましいことを隠しているかのよう。

 ひょっとして実は自身の利益になることも色々やっているのでは……?

 プリンの件も実際のところ賞味期限が一日過ぎているくらいであれば問題なく食べることは可能です。つまり私を守るという名目で自身のプリン食べたい欲を満たした可能性も否定ひていできないのです。

 ゆえに私は毅然とした態度で言いました。

「ほうきさん。全部はっきり言ってください」

「……よいのですか?」

「もちろんです」

 むん、と頷く私。

 あなたが私のよき友人なのか、それとも私と同じく私利私欲しりしよくにまみれた人間なのかをここで判断しようではありませんか。

「わかりました。では……」

 そしてほうきさんは息を吸い。

 これまでに行ってきたサポートの数々を、語るのです。


 ──それは例えばある春の日のこと。

変装へんそうして他人のふりをすれば無限にパンが買えるのでは……?」

 一人一個限定のパンを何度も購入できる裏技うらわざを見つけてしまった女子生徒が一人おりました。何なら変装して買い続けて完売した後に自分で売れば安定したもうけが手に入るのでは? などと天才的なひらめきを発揮する彼女は一体どなたでしょう? そう、私で──待ってくださいほうきさんその話はちょっと。

「……イレイナ?」

「なんでもありません」冷たい笑みを浮かべている我が母に愛想笑いで返す私。「ほうきさん。別のお話にしてもらえますか」

「かしこまりました」