薄暗がりに覆われていた世界が、静かにそして迅速に蜂蜜色の輝きに満たされていく。

 よろいから差し込むすがすがしい朝日に、俺は大きく背を伸ばした。

 さあ、新しい一日の始まりだ。

「今日もやることは山積みだな。とりあえずは……」

 昨日の戦利品を振る舞うところからだな。

 着替えを済ませ台所へ顔を出した俺は、女将おかみさんに挨拶をしてさっそく料理に取りかかる。

「まずは生地づくりっと」

 緑魔石とまがりつのひつじの乳を取り出し、〈錬成・混合〉でさっとフレッシュバターを作る。

 次に大きなボウルに小麦粉をふるい入れて、出来たてのバターを投入。

「ヨル、クウ、出番だぞ」

「およびー!」

「くー!」

 駆け寄ってきた二匹の手をきれいにしてから、モッシュモッシュと練ってもらう。

 塩をちょっと加え、続いて冷水を少しずつ足して粘り気を出していく。

「これくらいですか?」

「いや、もうちょっとだね」

 はかりや計量スプーンはないので、ここは長年、パイを焼いてきた女将さんの熟練の勘だよりだ。

 お許しが出たら生地を伸ばしてから三つ折りにして、少しばかり寝かしておく。

「そっちはどう?」

「だいぶ出来たよー!」

「あと少しですね」

 パウラとミアに頼んでいたのは、豆リンゴの下準備だ。

 ミアが次々と小さなリンゴの皮をいて放り投げると、受け取ったパウラが素早く芯をとって細かく刻んでいく。

 息の合ったコンビぶりである。

「いえい! 終わったー」

「はい、出来ましたよ」

「ご苦労さん。じゃあ次は、ヨルとクウを頼む」

 ポテポテと近寄ってきた魔物っ子を抱き上げ、二人に手渡してから蜂蜜のたるを取り出す。

 鍋に刻んだリンゴを入れ、水とたっぷりの蜂蜜を流し入れる。

 あとはグツグツと煮詰めるだけだ。

 漂ってきた甘い匂いに、ヨルとクウがジタバタし始めたので、ちょっとずつ味見させながら、まんべんなく火を通す。

 ここでレモン汁を入れると甘みが引き立つのだが、豆リンゴは酸味が強いので大丈夫だろう。

 水気が完全になくなったら、火から下ろして冷ましておく。

 次に寝かしておいたパイ生地がちょうどいい具合になったので、打ち粉をして伸ばしながら整形する。

 ここらへんは、ベテランの村の奥方様の出番だ。

「先生様、どうだい? きれいにできただろ」

「パイなんて、お祭り以来だねぇ」

 伸ばし終えたパイ生地を皿の上に乗せ、中央にこれでもかと豆リンゴのコンポートを盛り付ける。

 あとはかまどに入れて、じっくり焼き上げるだけだ。

「じゃあ、その間に飲み物も作っておくか」

 樽に〈錬成・浄化〉を施した豆リンゴを投げ入れ、豪快に〈錬成・粉砕〉で果汁に変える。

 あとはここにも蜂蜜をたっぷり流し入れて、蜂蜜入りリンゴジュースの完成である。

 そしてさらに大人向けに、黒魔石から引き出した〝朽ちる力〟で──〈錬成・らん〉と。

「あんた、それもしかして!?

 さすがは酒場のあるじである女将さんだ。

 樽からあふれ出た匂いで、飲み物の正体に即座に気づいたようだ。

「味見してみますか?」

「……もう驚くことはないと思ってたけど、まだまだ驚かせてくるね。こりゃ立派な林檎酒シードルじゃないか!」

 リンゴを皮ごとつぶして果汁にした後、長く放置すると発酵してしいお酒になる。

 発酵の際に二酸化炭素が発生して、しゅわしゅわの泡となり口当たりも非常にいい。

 と、普通は三ヶ月ほどかかる工程なのだが、錬成術を使えばご覧の通り一瞬である。

「もう少し調整したら、メニューに加えられそうですね」

「やっと胸張って酒場だって名乗れるよ」

 あんまりうれしかったのか、女将さんに猛烈なハグをされてしまった。

 そうこうしているうちにパイも焼き上がり、ハンスさんの出発の準備も整ったようだ。

 見送りに来た村人たちが、続々と酒場に詰めかけてくる。

 そして焼きたてのハニーアップルパイにありつき、目をまん丸にしていく。

「あ、甘いぞぉおお!」

「これは、うんうん、中はしっとりしてるけど、パイ皮はサクサクで言うことないべ」

「いやいや、十分語ってるぞ。うん、ぇ!」

 村長の孫のユッテをはじめとした子どもたちに至っては、ひたすら無言でもぐもぐしている。

 飲み物のリンゴジュースや、林檎酒シードルも大好評であった。

 特にゴブリンと妖精たちは初めての酒精アルコールがたいへんお気に召したらしく、こちらもピカピカギャーギャーと大騒ぎになっていた。

 一通りパイが行き渡り落ち着いたところで、ハンスさんが立ち上がる。

「ふう。ごちそう様でした、ニーノ殿。では、そろそろ……」

「気をつけて行ってきてください。それと……」

「ええ、機織り機と紡ぎ車ですな。他の注文の品も忘れておりませんよ」

「にゃあ! おっちゃん、チビたちをぜひ頼むにゃ」

「はい、お任せくださいな」

 どうやらティニヤは、ハンスさんと何やら約束をしたようだ。

「……ハンスさん」

 最後はノエミさんのようだ。

「道中は存分にお気をつけくださいな。それと……」

 しばしためらった後、ノエミさんは意を決したようにハンスさんの胸元にしがみつく。

「絶対、他の女の人に目移りしないでくださいね」

「は、はい」

「何でもかんでも、むやみに助けちゃダメですからね」

「ぜ、善処します」

「それと、一番大事なことですけど、ちゃんと無事に帰ってきてください」

「分かりました。ノエミさんも、どうぞお元気で」

 腕を突っ張るようにしてハンスさんから離れたノエミさんだが、そのほおは真っ赤に染まっていた。

 微笑ほほえましい雰囲気になったところで、村長が別れの挨拶をしてくれる。

「ご無理だけはなさらぬよう。お帰りを心からお待ちしておりますぞ、ハンス殿」

「はい、行ってまいります」

 遠くに消えていく馬車を見送ってから、俺は静かに視線を上に向けた。

 目の端に映り込む七面倒なてんびんや、無情な輝きを放つ銀の月を無視して、まっすぐに青く澄み渡る空を見つめる。

 俺がこの村に来てやってきたことは、これからこの世界に巻き起こる変化に対し、とてもちっぽけなものだ。

 ささやかすぎて、ほとんどの人間にとってどうでもいいことだろう。

 だが、決して無意味なんかじゃない。

 小さな変化かもしれないが、それはどんどんつながって、まだまだその先へと続いていくのだ。

 そして絶望に満ちていた行く末は、きっと待ち望んだ未来へ変わっていくに違いない。

 そう思えた瞬間、俺の口角はゆっくりと持ち上がった。

 まだまだ、これからだ。

「それじゃあ、今日も迷宮に潜るとするか」

「はい、あなた様」

「がってんー!」

「くぅうう!」