翌日、ようやく俺は、十階の攻略に本格的に乗り出すことにした。

 ハンスさんが村に滞在する期間は五日間。

 もしも十階がゲームと同じ仕様ならば、この間にぜひともクリアしておきたいところだ。

 今回の探索班のメンバーは、まず前衛にヨルとクウと青スライムの二匹に、剣士のハンスさん。

 中衛としてパウラとノエミさんとティニヤに、剣尾トンボのケンちゃん。

 後衛はミアとエタンさんで、最後に支援役の俺となかなかの多さである。

 新メンバーの二人だが、今回の探索班にばってきしたのは戦力的にぴったりであったからだ。

 まずノエミさんだが、今回は〈従属〉してほしいモンスターがいるので、レベル上げも兼ねての参加である。現状、パウラだけでは使役魔の枠がまだまだ厳しいので、その穴を早く埋めてほしい。

 一応、ステータスはこんな感じだ。

名前:ノエミ・エローラ

種族:魔人種

職業:従魔士(レベル:18)

体力:14/14

魔力:61/61

物理攻撃力:18

物理防御力:7

魔法攻撃力:43

魔法防御力:21

素早さ:26

特技:[魔力適性]、[下僕強化]、〈魅惑〉、〈従属〉

 特技欄の[魔力適性]は魔人種固有のもので、魔力の操作が早くなる便利な特性だ。

 数値的には物理防御力の低さがネックだが、そこは薬品と〈堅守〉で補っていこう。

 続いてティニヤだが、まずはステータスを見てもらったほうが早い。

名前:ティニヤ

種族:獣人種

職業:斥候士(レベル:15)

体力:15/15

魔力:6/6

物理攻撃力:24

物理防御力:12

魔法攻撃力:18

魔法防御力:14

素早さ:54

特技:[感覚鋭敏]、[危険察知]、〈看破〉、〈盗撃〉

 斥候士というのはドラクロⅡでは盗賊的な立ち位置の職業で、盗賊士では意味不明だったせいかこんなネーミングになったようだ。

 特技もゲーム的な盗賊と役割がいっしょで、危険なわなを見つけたりモンスターからアイテムを盗んだりと、戦闘面ではあまり期待できないが、それ以外では大活躍のジョブである。

 今回の探索でも、そのあたりを期待してのメンバー加入だ。

「ま、自由にさせておくと、何をしでかすか分からないってのもあるけどな。じゃあ職業的に斥候役はティニヤで、補佐はエタンさんでお願いします」

「はい、任せてくださいな」

「にゃあ。エタン兄ちゃん、頼りにしてるにゃ。うちのぶんまで頑張ってほしいにゃ」

「あなた、真面目にやらないとごはん抜きになるわよ」

「前衛はいつも通りで、パウラとノエミさんはその補助を。ミアも〈水泡〉で援護してくれ」

「はい、心得ました」

「わっかりー!」

「どうしました?」

 分担を説明すると、ノエミさんがわずかに戸惑った顔を見せる。

「いえ、その昨日も驚いたのですが、こんな風に役割をちゃんと決めてらしたのですね」

 言われてみればゲームだと役割分担は常識だが、こっちの世界だと戦術なんかをちゃんと学んでないと、そうそう出てこない考え方かもしれないな。

「えーと、一対多は狩りの基本ですからね」

 適当にごまかしてみたが、あまり納得はしてもらえなかったようだ。

 九階までは村長と青年団に同行してもらい、魔力と体力を温存する。

 十階から二手に分かれて、村長らには羊狩りに行ってもらった。

 そして俺たちは、北へと向かう。

 先頭はティニヤで、少し離れて弓を手にしたエタンさん。

 そこから二十歩ほど遅れて、スライムにまたがったヨルとクウがぽてぽてと飛び跳ね、その上空で剣尾トンボが静かに翅を震わせる。今日は枝の伐採作業じゃないせいか、心持ち翅音が弾んでいる気もする。

 魔物っ子から五歩の距離を空けて、俺たちがゾロゾロとついていく。

 だだっ広い草原は緩やかな風が足元の草を揺らしており、なんとものどかな雰囲気だ。

 地下とは思えない景色を眺めながら、この階層の特徴を皆にざっと説明する。

おおざっだけど、この階は四つのエリアに分けることにした」

「えりあでございますか?」

「まず、一つ目は──」

 振り返りながら、俺は背後に広がる壁を、持ち上げた手で指し示す。

 視界の左右に広がっていく絶壁の高さはおそらく百メートルを超え、幅も十キロ以上はあるだろう。あちこちに大きな岩が顔を出し、その周りを草木が彩っているのが見える。

「南の壁周辺だな。主な魔物はまがりつのひつじだけで、比較的安全な場所だよ」

 十階に入ってすぐの壁にせいそくする曲角羊は基本的に岩伝いに崖を移動して、草をむしゃむしゃ食べているだけの大人しい魔物である。

 ただし同胞が襲われていると、助けに入る性質があるのは気をつけなければならない。

 それと特技は角を突き出して走ってくる〈突進〉以外に、周囲の生物を眠らせる範囲技の〈眠りの吐息〉があり、戦う時は目覚まし要員が離れた場所に待機しておく必要がある。

「なんといっても素晴らしいのは、羊毛と肉がたっぷり取れるところだな」

 百頭近い羊が勝手に放牧されているのだと考えると、笑いが止まらなくなってしまう。

 しかも適当に間引いても、次の日には元通りの数になるのだ。

 もうこの発見だけで、十階まで来てよかったと思えるほどである。

「羊食べ放題ってサイコーだねー」

「ごくじょうー」

「くー」

「で、二つ目のエリアだが──」

 今度は視界の両側に立ちはだかる壁を、左右に伸ばした俺の手が指し示す。

「西と東の壁の辺りだな。こっちに住んでいるのはおおだま。日が暮れたら、絶対に近づきたくない場所だな」

 両壁の周辺にはかんぼくが何本も生えており、ちょっとした林のようになっている。

 大目玉蛾どもは、昼間はその木々の暗がりに潜んでおり姿を見せようとしない。

 ただし太陽岩の輝きが弱まる夕暮れ時になると、すみを離れ活発に飛び回りだすのだ。

 何度か日没時まで居残って調べた結果だが、どうやら光に反応するらしく、到着した初日に俺たちが襲われたのも妖精のはねが光っていたせいらしい。

 体長は三十センチほどで、翅には毒々しい目玉模様がついている。

 特技は翅をひらひらさせて意識を混乱させる〈まどわす〉と、厄介なりんぷんをばらまいてくる〈つぶし粉〉だ。

 こいつらは物理的な攻撃力はほぼないのだが、集団で襲ってくるので侮れない相手である。

 検証用にはくしょうせきのランタンを持たせた骨子ちゃんを少し歩かせてみたのだが、たちまち集まってきた蛾にありとあらゆる箇所が覆われてしまう有り様となった。

 これが生身の人間だったら、間違いなく窒息しているだろう。

 骨子ちゃんで実験してよかったとは思えたが、そのままこっちへ戻ってきそうになった時は、生理的に無理すぎて非常に後悔した体験でもあった。

「それは大変でしたね」

「ああ、最悪だったな」

「うんうん! あたし、夢に出てきてヤバかったし!」

「おかげで、お得な経験値稼ぎの方法は見つかったけどな」

 悲鳴を上げたミアが放った〈火弾〉で、骨子ちゃんごとだったが全焼して倒すことができたのだ。

 〈火弾〉持ちの魔術士しかできないやり方だが、なかなかに有効活用できそうである。

「まあ、危ないので、東西の壁付近は接近禁止エリアでいいと思う」

 日中はじっとしているとはいえ、絶対に襲ってこないわけでもないしな。

 一応、大目玉蛾からは蛾の鱗粉が採取でき、そこから暗闇薬が錬成できるが、わざわざ取りに行くほどでもないというのが本音だ。

「三つ目は、今歩いている南側のこの場所です」

 俺の言葉に、ハンスさんは好奇心に満ちた視線を周囲へ配る。

 少しばかり上下に隆起する場所もあるが、ほとんどが平らな地面で、まばらに生える下草と腰掛けるのにちょうどいい角張った岩が点々と転がる以外に何もない。

 そう、ここは何もないのだ。

「なんと。それはちょっと残念ですな」

「あちこち歩いて、触ってみたんですけどね」

 湖のこちら側は、見渡す限りそっくりな光景が、ただひたすら続くだけの場所であった。

 でも、そのほうがいろいろ気兼ねなく活用できていいかもしれない。

「それで、最後はあの湖の向こう岸、北側のエリアと」

 中央にある湖に隔てられた奥地。

 大きめの木が何本も並ぶ丘陵地で、いまだに到達できていない地域である。

 そしておそらく、この階層のボスが待ち受けている場所だろう。

「あとはこの湖も一応、エリアに数えたほうがいいのか」

 向こう岸までは、三百メートルほどだろうか。

 東側には湖に流れ込む川があり、その上流は壁の下の穴へと続いている。

 そして反対の西側にはちゃんと湖から流れ出す川もあり、水があふれないようになっていた。

 西側の川は何本かの支流に分かれており、こちらも当たり前のように全て壁の穴へと流れ込んでいく。

 あの大量の水がどこへ消えるのか、本当に不思議である。

 その湖の上空だが、小刻みに停止と移動を繰り返す魔物たちの姿が視認できる。

 俺の身長を軽々と超える体長の持ち主。

 剣そっくりの腹部を持つ剣尾トンボの群れだ。

 こいつらはかなり目がよくて、湖の岸から三、四十歩圏内に入るだけで襲ってくるほどである。

 攻撃方法は無音で上空から飛来して獲物をわしづかみにして鋭いあごでガリガリするか、もしくはその長剣状の腹部を振り回し切断した部位を掴んで持ち去ってしまうかだ。

 特技はその凶悪な腹部を生かした〈斬りつけ〉と、透き通った翅を震わせて発する〈騒音波〉。

 この翅だが非常に頑丈なのに透明度が高く、まさに強化ガラスそっくりなのだ。

 ドロップ品はこの翅だけであるが、なんとも使い勝手がよさそうな素材である。

「まあ、今日は倒しに来たんじゃないけどね」

 本日の目的は、第四の北側エリアの調査のため橋を建設することであった。


    


「それじゃあ、お願いしますね」

 俺の言葉に短くうなずいたエタンさんは、弓を手にしながら音もなく湖へ歩きだした。

 少しずつその身が低くなり、慎重に獲物との距離を詰めていく。

 そして湖の岸辺を覆う草むらに達した瞬間、狩人の姿はすっとかき消えた。

 さっきまでは普通に見えていた背中が、気がつくと下草に紛れ完全に判別がつかなくなっている。

 何度見ても、素晴らしい気配の消し方だ。

 樹人種固有の特性[地形同化]だが、現実化してみると納得のいく隠伏ぶりである。

 感心しながら湖面に視線を移すと、気まぐれに飛び交う巨大な剣尾トンボたちの姿が目に映る。

 その大きな眼球は無作為にあちこちへ向けられており、うかつな動きを取れば即座に見つかってしまうだろう。

 固唾かたずを飲んで眺めていると、不意に草の合間から音もなく矢が放たれた。

 全く予想していなかった位置とタイミングだ。

 緩やかな放物線を描いた矢は、飛び回るトンボたちの合間を優雅に突き進む。

 そして一匹の背中に、さくりと突き刺さった。

 攻撃を仕掛けられたと認識した魔物は、急激に体を岸辺へ向ける。

 だが他のトンボは翅を震わせて飛び回ってはいるが、その動きに大きな変化はない。

 複眼の持ち主であるトンボの視界は、三百六十度の全域に及ぶ。

 ただし背中の翅が邪魔をするのか、その背後のみは死角となっていた。

 つまり先ほどのエタンさんの一矢は、数匹のトンボが獲物である一匹に背を向けた一瞬を切り取った見事な射撃だったのだ。

 矢が刺さった剣尾トンボは、湖面から離れまっすぐに岸へと向かう。

 ただし目標は矢を放った人物ではなく、離れた場所で見物していた俺たちだった。

 草むらに潜んだ張本人のエタンさんには、全然気づいていないようだ。

 何度見ても、素晴らしい獲物の引きつけっぷりだ。

 一直線に向かってくる剣尾トンボに、ティニヤが慌てた声を上げた。

「にゃあ! こっちに向かってきたにゃ! に、逃げるにゃ?」

「なんのために釣ってもらったんだよ。ノエミさん準備はいいですか?」

「は、はい! やってみます」

「なんかあっても、バッチリ任せてー!」

「おかくごー!」

「くー!」

「ノエミ、落ち着いていけば大丈夫ですよ」

 パウラの一声に覚悟を決めたノエミさんは、迎え撃つように前に出る。

 その体が滑らかにひねられ、迫る剣尾トンボへと黒い尻尾がくるりと弧を描いた。

 ──〈魅惑〉。

 見えない壁にぶつかったかのように、いきなり空中で動きを止める魔物。

 そこへ間髪れず、ノエミさんの魔力がほとばしった。

 ──〈従属〉。

 従えようと注ぎ込まれる力に、剣尾トンボはガチガチと顎を鳴らし翅を震わせてあらがう。

 息を止めて見守る俺たち。

 ヨルとクウは腰に手を当てて、お尻をフリフリと振って応援している。

 可愛かわいいが、緊張感が台無しである。

 しばしにらみ合う魔物使いと剣尾トンボ。

 だが、しなったむちがしたたかに魔物の顔面を打ち据えた瞬間、あっけなく勝負は決まった。

 そのままこうべを垂れたトンボは、翅を広げたまま地面へ伏せてしまう。

 静かに息を吐いたノエミさんは、ゆっくり近寄ると使役魔の背に刺さったままの矢を一息に引き抜いた。

 うれしそうにトンボの翅が、ジジジと鳴らされる。

 うん、完全になついているな。

「すごー! やったね、ノエさま!」

「あっぱれー!」

「くー!」

「素晴らしいですね。こんな大きな魔物まで従えてしまうのは」

 ハンスさんに褒めてもらったクールな外見の美女は、耳先を赤く染めながら口元をほころばせた。

 その背後からも、称賛の声が上がる。

「お見事でしたね。ノエミさん」

「にゃあ! いきなり声するから、びっくりしたにゃ」

 いつの間にか戻っていたエタンさんだ。

 あっさりとトンボを従えたノエミさんもすごいが、一匹だけ獲物をおびき出してくれたエタンさんも十分にすごいな。あと目ざといティニヤに見つからずに接近してきた点も。

「エタンさんもお疲れ様でした。じゃあ次に行きますか」

 湖畔を後にして俺たちが向かったのは、湖の西側の下流であった。

 川幅が四、五メートルしかない上に、トンボも飛んでいない安全な場所である。

 しかも手頃な木が川岸にそこそこ生えているのだ。

「うーん、この木はどうですか?」

「ええ、これなら十分届きそうですね」

 樹木に詳しいエタンさんと吟味しながら、十本ほど見繕う。

 あとは仲間になってくれた剣尾トンボたちの出番だ。

「では、始めましょうか、ノエミ」

「はい。危ないので、皆さんは少し下がっていただけますか」

 俺たちから少し離れた魔物使いの二人は、従えたばかりの剣尾トンボに合図を送る。

 次の瞬間、巨大なトンボどもは少しだけ上空に舞い上がったかと思うと、急降下しつつ腹の剣を前後から木の幹にたたきつけてみせた。

 すさまじい音が響き渡り、魔物の腹部が木肌に次々と食い込む。

「うわぉ! 近くで見ると、迫力すっごいねー」

「にゃあ。うちだったら、おなか真っ二つになるにゃ」

「けんのんー!」

「くー!」

 再び飛び上がったトンボたちは、目にも留まらぬ速さでもう一度木に斬りかかる。

 またも大きな激突音が鳴り響き、今度はそこそこ太いはずの木が派手に揺れ動いた。

 そして三回目の〈斬りつけ〉に、とうとう頑丈な幹は屈してしまう。

 メリメリと音を立てて倒れる木の姿に、俺たちはいっせいに歓声を上げた。

 近寄って木に触れると、地面にぼたぼたと枝や葉が落ちて幹の部分だけが消えせる。

「ニーノ殿のその特別な場所に収納する技ですが、生えている木では無理なのですかな?」

 なかなかに鋭いハンスさんの質問に、俺は首を横に振りながら答える。

「ええ、いろいろ試してみたんですが、こうやって切り倒さないと、木材として認識できないみたいです」

 生きたままでは駄目という条件じゃないかと考えたが、枝になっている果実やキノコなどはそのまま回収できたりするので、よく分からない区分があるようだ。

 その後、目標の丸太十本をそろえた俺たちは、川幅の比較的狭い場所を選ぶ。

 川岸で手を伸ばして、狙った場所に丸太を取り出す。

 向こう岸にしっかりと渡されたのを確認して、隣にもう一本。

 あとはエタンさんが、つるでぎっちりと結び合わせていく。

 これを繰り返すこと三回。

 三本の支流をまたいだ立派な丸太橋の完成である。

「ふう、やっとか……」

「これで、ついに川の向こうへ行けますね」

「うんうん、張り切っていこうー! でも、ちゃんと気を引き締めないと!」

「きんもつー!」

「くー!」

「はい、その通りですね、ミア」

 ようやく、北エリアへ到達である。


    


「かんみー!」

「くー!」

 丸太製の橋を渡ってすぐの場所に立っていたのは、赤い実を鈴なりにつけた木であった。

 実の大きさはピンポン玉ほどで、その赤い果皮はつややかな光沢を放ち、なかなかにそうだ。

 おそらく青すぐりのせいで、枝にる丸いものは甘いのだとヨルとクウは学習したらしい。

 目の色を変えた二匹は、止める間もなく木に飛びついてしまった。

 跳び上がって果実をもいだかと思うと、よだれを垂らしながらガブリとかじる。

 そしてもぐもぐと口を動かした後、目をギュッとつむって口を可愛くすぼめてみせた。

「さんみー!」

「くー!」

 どうやら酸っぱかったらしい。

 ひとしきり手足をパタパタさせた二匹だが、落ち着いたかと思ったらまたも果実をパクリとほおった。

 再び顔をしかめるヨルとクウ。

 しかしよく見ると、その口元は大きく緩んでいる。

「気に入ったのか?」

 心配して駆け寄った俺を気にも留めず、シャリシャリと小気味のいい音を立てながら懸命に果実をしゃくし始める二匹。

 そのほっぺたは、木の実を蓄えたリスのようにぷっくらと膨らんでいる。

 夢中になりすぎて、まるごと口に含んでしまったようだ。

「おいおい、慌てすぎるな。喉に詰まるぞ」

 呼びかけてみたが、聞こえていないらしい。

 地面に座り込んだ二匹は、幸せそうな顔でひたすら無心で果実をかじり続けている。

 というか、またヨルの目が赤みを帯びだしてるし、クウの足の爪も微妙に伸びつつあるな。

「これは豆リンゴの木ですね。ただこの時期に実が生るのは……」

 いつの間にか近くにいたエタンさんの言葉に、俺は赤い実を揺らす木を見上げた。

 言われてみれば実の一つ一つは、小さなリンゴそっくりである。

 確か前の世界では、クラブリンゴとか小玉リンゴと呼ばれていた果物だったか。

 普通のリンゴよりも果実は小さく酸味も強いが、そこはジャムやジュースに加工されたりとこちらでも人気の品だ。

「なつかしー、よく森に採りにいったなー。うんうん、すっぱおいしー!」

 手を伸ばして赤い実をもぎとったミアは、ためらうことなく口に運ぶ。

 そして嬉しそうに唇をすぼめた。

 一応、確認のため俺も一つ採って、【道具】に回収してみる。

 表記は豆リンゴのみで、毒とか腐ったとかの怪しい形容詞はついていない。

 ついでに一口かじってみる。

 歯を押し返すほどよい弾力の後、甘みを秘めた酸っぱさが一気に口の中に広がった。

 反射的に唇に力が入りかけるが、よく味わってみるとそこまできつい酸味ではない。

 そこから果肉をんでみると、優しい甘さがじんわりと伝わってくる。

 酸っぱいがみずみずしい果汁と、ほのかに甘い果肉が互いを引き立てあっているようだ。

「うわ、歩き回った後だと、めちゃくちゃ美味いな」

「にゃあ! しいにゃぁ! いくらで食べられるにゃ」

「お嬢様、まずは私が毒味を……。ふむふむ、これはなかなか。うむうむ、心地よい酸味ですね」

「ええ、とても美味しいわね」

 もう一つリンゴを味わいながら、俺は辺りを見回してみた。

 北側は奥の壁に向かって緩やかな斜面を形成しているのだが、その丘のあちらこちらに赤い実をつける木が立っている。

 ざっと見ただけでも、多分、五十本近くあるんじゃないだろうか。

「これは……、宝の山ですな、ニーノ殿」

「ええ、ここまで来たかいがありましたね」

 ハンスさんの言葉通り、季節を無視して年中収穫できる果物など、ハウス栽培のないこの世界じゃ金貨の山のようなものだ。

「でも収穫するには、相当な覚悟が要りそうですけどね」

 エタンさんの指摘通り、豊かに実る豆リンゴの木々の合間には大量の魔物が飛び交っていた。

 遠いのでハッキリ断言できないが、体長は二、三十センチほどだろうか。

 四枚の翅を震わせる胸部や鋭い針を持つ腹部は、黄色と黒の警戒色で彩られている。

「くそ、最悪のやつが来たな」

 十階の丘陵地帯を棲家としていたのは、巨大な蜂の群れであった。

 名前は軍隊蜂。

 毒針は厄介だが、実は一匹だけならそう強くはない。

 しかしこいつの厄介な点は、大目玉蛾より攻撃力があるくせに、同等以上の数の暴力で押してくるところだ。寄ってたかって特技の〈毒の針〉でブスブスやられるとか、想像するだけで恐ろしい相手である。

「まあ、この木は縄張り外みたいだな」

 ちらりとティニヤの様子を確認してから、俺は豆リンゴの枝に近づく。

 危険に敏感な猫娘が騒いでいないので、大丈夫っぽいな。

 一括で回収しようとした矢先、鋭く制止の声がかかった。

「あなた様、お待ちを!」

 パウラの声は一足、遅かったようだ。

 豆リンゴの木を覆っていた赤い実が一瞬で消え失せ、特殊な空間へと収納される。

 同時に見通しがよくなったこずえの合間から現れたのは、枝にしがみつく黒と黄色のしま模様だった。

 どうやら蜂が一匹、ひそかに休憩中であったらしい。

 いきなり豆リンゴの実が消えたことに、蜂は驚いたように頭部をあちこちへ動かす。

 そしてなぜか俺を犯人だと見定めて、宙に飛び上がったかと思うと腹部を持ち上げて毒針を撃ち出した。

 もしかしたら黒いローブを着ていたのが、まずかったのかもしれない。

 まばたきする間もなく、迫る白い鋭形。

 が、俺に当たる直前、伸びてきた黒い何かが間一髪でそれを払い落とす。

 一秒遅れて、俺の口から間抜けな声が漏れた。

「えっ!」

 助けてくれたのがパウラの鞭だと認識したその時、はじかれた蜂の針はくるくると回転しながら落ちてきて──。

 俺の手の甲にさくりと刺さった。

「いだぁ!」

「あなた様!」

 次の瞬間、数メートルの高さを一気に飛び上がったヨルとクウが、蜂の体を力いっぱい殴りつけ、蹴りつけた。

 さらにエタンさんの矢が、その頭と胸のつなぎ目を貫く。

 あっけなくバラバラになった蜂の姿を、俺は痛みに耐えながら眺めた。

「だいじょうぶ、センセ!? うわわ、めっちゃ刺さってるよ!」

「あなた様、はやく毒消しを!」

 慌てる二人を尻目に、エタンさんは俺の手の甲に刺さった針を素早く抜き去る。

 そして革手袋を、むしるように脱がしてくれた。

「まず、冷やしましょう。蜂の毒は腫れますが、そう強いことはないはずです」

「ごめんにゃぁ。ぜんぜん気づかなかったにゃ……」

「気にするな。そういう時もある。次は頼むぞ」

 [危険察知]は本人が危なくないと発動しない。考えてみれば当たり前のことだ。

「痛みますか? 申し訳ありません。私がもう少し早く気づいていたら……」

「いや、十分に助かったよ。あのままだったら、胸にざっくり刺さっていたしな」

 パウラを安心させながら、ゆっくりと指を何度か閉じたり伸ばしたりしてみる。

 普通に動くようだし、しびれや腫れてくる気配もない。

 刺さった部分から血がにじんで痛みはあるが、それだけだ。

「たっしゃー!」

「くー!」

 心配して俺の足にしがみつく二匹をあやしながら、己の指の鈍い銀色の輝きに毒が効かなかった原因を悟る。

「そっか。耐毒の指輪のおかげか」

 俺の言葉にあんしたのか、パウラの顔からこわりが消え去った。

 が、またも瞬時に厳しい表情に戻る。

「あなた様、あれを!」

 指差した先に見えたのは、群れをなす大量の黒と黄色の縞模様たちがこちらへ向かってくる光景であった。

 皆と顔を合わせた俺は、背を向けながら大声で叫んだ。

「に、逃げろー!」


    


 仲間に花の位置を知らせるミツバチのダンスは有名だが、それ以外に知られている蜂の連絡手段として情報化学物質フェロモンの放出というものがある。

 おそらくあの毒針には、警報を示す匂いが込められていたのだろう。

 そのせいで激怒した同胞を、大量に呼びよせてしまったようだ。

 耳の底まで響いてくる無数の翅音を背中で聞きながら、俺たちは懸命に来た道を引き返す。

 先頭は素晴らしいスタートダッシュを切ったヨルとクウとティニヤだ。

 追いかけっこが楽しいのか、くすくすと姉弟の笑い声が聞こえてくる。

 次いで青スライムの二匹が飛び跳ねながら二匹を追いかけ、その背後には軽やかに駆け抜けるハンスさんとエタンさん。

 その次に俺とミア。最後尾はパウラとノエミさんだ。

「ヤ、ヤバイって、センセ! 追いつかれちゃうよ」

「いいから、足動かせ!」

 懸命に走る強化術士の俺と魔術士のミアだが、ここで後衛職のステータスの偏りが露骨に現れたようだ。

 体力の差で、あっという間に前との距離が開いていく。

 そして背後の羽音とは、逆に距離が縮まってくる。

 わわわっと焦っていたら、急に体が浮き上がった。

 何ごとかと思って振り向くと、剣尾トンボが俺の背中を掴んで持ち上げてくれていた。

 隣では同じくトンボに釣り上げられたミアが、安堵の息を深々と吐く。

 そのまま宙を加速した巨大なトンボたちは、一気に先頭集団に追いついた。

「ふう。ありがとう、パウラ」

「いいえ。この程度、容易たやすいことです」

「ありがとうー、ノエさま!」

「どうしたしまして。しかしじきに追いつかれそうですね。逃げ切るのは、少々難しいかと」

「うんうん。なんかめっちゃ怒ってるよー!」

 走りながらしゃべれる時点でまだ余裕はありそうだが、空を飛ぶ蜂相手では厳しいだろう。

 だが足を止めて、あの数を迎え撃つという選択肢は現実的ではない。

「よし、進路を変えるか。パウラ、東へ向かってくれ」

「かしこまりました」

 俺を抱えた剣尾トンボが、さらに速度を上げながら身体を左へ傾けた。

 追い抜かれたヨルとクウが、目を輝かせてその後を追いかけてくる。

 首位を独走していたティニヤに追いついたので、ついてこいと合図を送る。

「にゃ、ずるいにゃ! うちもそれがいいにゃあ」

「悪いな。これ一人乗りなんだ」

 川を急いで渡りきった俺たちは、南の上り階段へは向かわず弧を描きながら十階の中央を目指す。

 蜂たちが追いかけてくるのを確認した俺は、少し遅れてついてくるエタンさんへ回収しておいた軍隊蜂の毒針を投げ渡した。

「それをあそこに撃ち込んでください」

「なるほど! そういうことですか」

 エタンさんは走りながら、矢尻に器用に針を結びつけてみせた。

 そして構えたかと思うと、狙いを絞ることなくあっさりと弦から解き放つ。

 山なりの曲線を描いた矢は、目的地に達すると静かな水音を立てた。

 そして湖面に波紋を生じさせながら、塗布してあった毒を溶かしていく。

 その匂いに反応したのか、たちまち数匹の蜂が進路を変え矢が落ちた場所へと向かう。

 だがその場所は、剣尾トンボたちの縄張りでもあった。

 いきなり湖に撃ち込まれた矢のせいで翅を震わせていたトンボたちだが、新たな乱入者を犯人と断定したのか容赦なく襲いかかる。

「よし、かかった!」

「おお、これは見事な戦略ですな」

 剣尾トンボの硬い透明の翅は、動かすだけで十分な脅威となるようだ。

 無謀にも縄張りへ入り込んだ数匹の蜂どもへ、トンボは容赦なく斬り込んだ。

 銀色の輝きが横切った瞬間、軍隊蜂の体がいっせいに砕けて吹き飛ぶ。

 続いて剣そっくりの腹部が振り回され、辛うじて生き延びた蜂も一撃で真っ二つになった。

「にゃにゃにゃ! ざまあみろにゃ!」

「す、凄まじいですね。お嬢様」

 ぎぬで無残に殺された蜂たちだが、その死に際に大量のフェロモンを出してくれたようだ。

 こちらへ向かっていた魔物の群れは、急速に方向を転じて湖面へとかじを切る。

 軍隊蜂の数はおよそ五十匹。

 対する剣尾トンボは二十匹足らず。

 倍以上の戦力差であるが、性能の違いはあっさりとその差を縮め追い越してしまった。

 しょうする昆虫の中でもトップクラスと言われるトンボの速度に、蜂たちは全くついていけないようだ。

 縦横無尽に飛び回るトンボたちを前に、蜂たちはまたたく間にその数を減らしていく。

 なんとか集団で毒針を飛ばしてはいるが、トンボが速すぎるせいかかすめさえしない。

 というか、当たってもほぼ無傷のような気がする。

 数分もかからぬうちに決着はさっくりついてしまった。

 蜂どものほとんどは湖面に散らばる残骸と化し、残った数匹も背後から鷲掴みにされ頭部をかじられている。

 いきなり襲われた時は怒りが湧いたが、さすがに生きたまま食われる姿には同情を禁じえないな。

「ほわー。トンボ、めちゃくちゃ強いねー!」

「あっぱれー!」

「くー!」

「体の大きさがあれだけ違えば仕方ないさ。それに元から蜂とトンボじゃ、飛行性能も二倍くらい差があったはずだしな」

「にゃあ。大勝利にゃぁ。これに懲りたら二度と追っかけてくるにゃ!」

「あなたは何もしてないでしょ」

 虫どもの抗争中に安全な場所まで逃げおおせた俺たちは、勝手な感想を述べながら安堵の息をついた。

 とっさに思いついた作戦にしては、予想以上にくいったようだ。

「まあ、皆無事でよかったよ」

「いいえ、全員ではありませんよ。傷の具合はいかがですか? あなた様」

 心配そうに絹で編んだ包帯を取り出してきたパウラに、俺は慌てて手を振ってみせた。

 体力回復薬を飲んだせいか、すでに血は止まり鈍い痛みが残るだけである。

「心配をかけて悪かった。次はもうちょっと慎重にやるよ」

 俺の言葉に顔を曇らせたまま、パウラはそっと手を握ってくる。

「わたくしがもっと早く……」

「反省は大事だけど、引きずりすぎるのもよくないぞ。結果的に大したことにならなかったんだから、そんなに自分を責めるな」

「……はい」

 普段はにこだわらないおおらかな気性のくせに、俺のことになるとかたくなだな。

 軽く息を吐いた俺は、わざとらしく顔をしかめる。

「いや、大したことあったな。言い間違えてすまない」

「やはり、おの具合が!?

「いや、そっちじゃない。今の蜂とトンボの縄張り争いのほうだよ。うん、おかげでこの階の突破口が見えてきたぞ」

 俺がウィンクしてみせると、パウラは少しだけ困った顔をしたあと、肩から力を抜いて唇を緩ませた。

「結果はバッチリだったんだ。素直に喜ぼうぜ。それじゃあ、もうちょっと調べたいから、手を貸してくれるか」

「はい、あなた様」

 いつもの声音で返事するパウラの後ろで、ノエミさんがこれまでとは明らかに違う安心した表情で、俺に何度も頷いてみせた。

 どうやら、そっちの信用も勝ち取れたようだ。