一ヶ月ぶりに村へ戻ってきたハンスさんが、王都から連れ帰ってきたのは二人のお客だった。

 一人目はノエミさん。

 パウラの叔父さんのところに勤めていた女性で、魔物使い仲間でもあるらしい。

 パウラと同じ魔人種のため見た目も結構よく似ており、特に胸のあたりの体型はそっくりである。

 ただしノエミさんのほうは、まっすぐな赤い髪を首筋でそろえた髪型で目尻もややり上がっており、クールなやり手の女性といった雰囲気である。

 二人目はティニヤ。

 この村に戻る途中、行き倒れていたのをハンスさんが助けた女の子だそうだ。

 俺を見るなり逮捕とか言い出したので王都騎士団の関係者かと思ったが、その格好はボロボロでみすぼらしく全くそれらしさがない。

 身長はミアよりも小柄で、ボサボサの黒髪から大きな猫耳が飛び出しているので獣人種だろう。

 大きな黒い瞳をずっとキョロキョロさせており、なんだか拾ってきばかりの子猫のようでもある。

 「せっかくのごちそうが冷めちまうよ!」と女将おかみに一喝された俺たちはゾロゾロと酒場へ向かうが、背後から何やら楽しげな話し声が聞こえてきた。

「ノエミねえさん、ノエミ姐さん! この村は怪しすぎるにゃ! ここは力を合わせて乗り越える時にゃ」

「私はあなたの姉でも仲間でもありませんよ。ただの知り合い以下ですので、あまりれしく話しかけてこないでください」

「そんな冷たいこと言ったらダメにゃ。ハンスのおっちゃんも悲しむにゃ」

「ハ、ハンスさんは関係ないでしょ!」

「呼びましたか? ノエミさん」

「いえ、なんでもございません。ちょっとこの子に注意してまして」

「うん、うちは深く反省したにゃ。だから早くご飯よこすにゃ!」

 俺たちを警戒していたティニヤだが、酒場の扉をくぐったとたん漂ってきたこうをくすぐる匂いに、一瞬にして手のひらを返したようだ。

 口の端からよだれを垂らして、ハンスの首をつかむとゆさゆさと揺さぶりだす。

「はは、落ち着きな。料理は山ほどあるからね」

 女将の言葉通り、カウンターやテーブルの上には端から端までぎっしりと皿が並べられ、温かそうな湯気があちこちから立ち昇っている。

 色とりどりの品数に、二人は信じがたいといった顔で立ち尽くした。

 うん、ここ最近当たり前になりすぎてしてたけど、量も種類も明らかにおかしいからな。

 春先の収穫の乏しい寒季の農村の定番メニューと言えば、豆か芋の野暮ったい煮込みに黒く堅いパン。あとはせいぜい腐りかけた塩漬け豚がつけばぜいたくなほうである。

「考えてみりゃ、こんなメニュー、王都でもめったに食べられなかったな」

 皿の上でジュウジュウと音を立てているのは、血がしたたる分厚いとつげきどりの骨付き肉の塊だ。

 しかもただ焼いただけではなく、青すぐりを使った甘い香りのソースまでかかっている。

 その隣の深皿には、ホワイトソースたっぷりのかにグラタンが香ばしい匂いを放つ。

 さらに鉄製の小鍋でグツグツと音を立てるのは、翡翠油オリーブオイルめいきゅう大蒜にんにくをたっぷり使ったアヒージョときた。

 そして料理をそうに見せるコツは、ただ並べるだけじゃなくそれを照らす照明も重要だ。

 テーブルの上に無造作に置かれたランタンの中のはくしょうせきの大きさに、猫娘の目がまんまるになった。

「姐さん、姐さん、信じられないにゃ! こんな大きな光る石、初めて見るにゃ!」

「ちょ、ちょっと、襟引っ張るのやめなさい。ほら、外を見なさいって」

 ノエミさんの言葉に視線を窓の外に向けたティニヤだが、そのまま絶句してしまう。

 時刻は暮れ方を過ぎさり、村はとうに薄闇に包まれているはずである。

 しかし家々の窓や通りの木々からはこうこうと明かりが漏れ、広場の中央にある井戸までもがまぶしい光に浮かび上がっているのだ。

「す、すごいにゃ。うちが住んでた下町よりぜんぜん明るいにゃ……」

「ああ、ヘイモが頑張ってくれたからな」

「ふん、褒めるんならオレじゃなくて、弟子を褒めろってんだ!」

 師匠の言葉に、その隣に並んでいた弟子の三匹のゴブリンが不気味な笑い声を上げた。

 その様子に、ティニヤがまたも瞳を最大限に見開いた。

「な、なんなのにゃ、こいつら! ま、魔物にゃのか?」

「それは、えーと、パウラの使役魔だな。安心してくれ」

 すでに〈解消〉済みなので厳密には使役魔ではないのだが、ややこしくなるので適当にごまかしておく。が、もう一人はそうもいかなかったようだ。

「お、お嬢様、〈従属〉を会得なされたのですか!?

「ええ、いつの間にか覚えてましたね」

「そ、そんなことが……?」

 あっさりと答えてみせたパウラに、ノエミさんはがくぜんとした顔でよろめく。

 確かに最初の迷宮探索でレベル10以上まで一気に上がったから、言ってることに間違いはないが……。

「も、もしかしてですが、その妖精たちもお嬢様が……?」

「にゃ! なんかちっさい人がいっぱい飛んでるにゃ!」

 料理の上をはえのごとく飛びまわっていた妖精たちに、今ごろ気づいたらしい。

「ふふ、可愛かわいい子たちでしょ?」

「こ、こんな数の魔物を従えるなんて、いったいお嬢様に何が……」

 褐色の肌から血の気が引くと、少し青みがかってきれいになるんだな。

 まあ魔物使いは魔物がメインなせいで本体の攻撃力は控えめだし、レベル上げが大変なのはしょうがない。

 パウラに少し聞いたが、帝国でもレベル10で覚える〈従属〉が使える魔物使いは、けっこう希少とのことだ。

 ショックを受ける二人を気にする素振りもなく、女将はさっさとうたげを進めていく。

「よし、みんな席についたね、それじゃあ、ハンスとお客さんらに乾杯するかね」

「では、せんえつながら私めが乾杯の音頭を」

 ジョッキを手に立ち上がった村長だが、背中に背負ったいかつい大剣と片手に抱いた愛らしい孫娘がどうにも不釣り合いだ。

「にゃあ。山賊のかしらが人質取ってるようにしか見えないにゃ」

「あなた、なんでも正直に言えばいいってもんじゃないのよ!」

 なかなかのツッコミに、酒場中からドッと笑い声が上がった。

 和やかな雰囲気の中、乾杯も無事に終わり、皆の手がいっせいに皿へ伸びる。

「にゃにゃにゃ! この白いの、中の赤いのがめちゃくちゃしいにゃ!」

「これは蟹の肉ですよ。うん、久しぶりに食べると本当に美味しいですね」

「かに? 初めて食べるにゃ! うまいにゃー」

「へー、どれどれ……美味しい。これ、具も素晴らしいけど、いい塩を使っているのね」

「言われてみれば、ぜんぜん苦くないにゃ!」

 ハンスさんに聞いたのだが、滅びの月の影響で外海の方の水も濁りだしたらしく、そのせいで採れる塩に苦味やえぐ味が混じるようになっているらしい。

「あら! このお肉の甘酸っぱいソース、すごく合うわね……」

「くんくん。この匂いは青すぐりにゃ。山でよく食べたにゃー。うん、全部めちゃくちゃ美味しいにゃ!」

 夢中になって料理を平らげる二人の横で、俺はハンスさんと情報を交換し合う。

「ほほう、乳や羊毛が取れるようになったのですか」

「ええ、今、バターづくりにハマってまして。そのうちチーズやヨーグルトなんかも作れたらと」

「うふふ。いいですな、チーズ。毛糸もかなり需要がありますよ」

「ランタンも無事にさばけましたし、この調子だと大いに期待できそうですね」

「ええ、これからも良き商売をさせていだきますよ」

 俺とハンスさんはニヤリと笑い合ったあと、ジョッキを高々と掲げてぶつけ合った。


    


 宴が終わって翌日、俺はお客の二名を地下迷宮へ案内することにした。

 もとよりノエミさんは、魔物使いとしてこの地の開拓を手伝うために来てもらったので、当然である。

 問題は素性の怪しいティニヤのほうだ。

 だが昨日、食べすぎて動けなくなった少女にいろいろ尋ねたところ、ぺらぺらと簡単に事情を教えてくれた。

 実はティニヤは、王都で俺をつけていた追っ手だったらしい。

 宿の前で張り込んでいたが、俺の匂いがいきなり消えて見失ってしまったと。

 その後、失敗を償うため、あちこち歩き回りながら俺の匂いを追いかけてみたが、途中で路銀も尽きて行き倒れていたらしい。

 そこをハンスさんに拾ってもらい、この村になんとかたどり着いたという次第である。

 一応、本人は騎士団の見習いだと語っていたが、そのへんの扱いは難しいところだ。

「……基本的に王都の騎士団は、じんしゅしか入れないしなぁ」

 それでティニヤにこれからどうするか聞いたところ、飯が美味すぎるのでこの村に置いてほしいと言い出した。

 その言葉を完全に信用するわけではないが、ハンスさんの「悪い子ではないですよ」というフォローもあり、臨時で探索隊に加えてみることにしたというわけだ。

 で、さっそく川辺の迷宮前に、二人を連れてきたのだが──。

「ノエミ姐さん、ノエミ姐さん! この穴は怪しすぎるにゃ! うちの本能が、入っちゃダメだと告げてるにゃ」

「何度も言ってますが、私とあなたには血縁関係はこれっぽちもありません。関わりがあると思われたくないので、あまり気安く話しかけてこないでください」

「そんなひどいこと言ったらダメにゃ。ハンスのおっちゃんもつらそうにゃ」

「だ、だから、ハンスさんは関係ないでしょ!」

「どうかされましたか? ノエミさん」

「いえ、なんでもありません。少しばかり緊張をほぐしておこうかと……」

「ああ、分かります。わたしも最初に挑んだ時は、結構身がすくみましたからね。でも、こちらを飲めば、少しは安心できると思いますよ。はい、ティニヤさんもどうぞ」

 そう言いながらハンスさんが、二人に防御強化薬と攻撃強化薬を差し出す。

 俺が渡すよりも安心するかと思ったが、ポッカリと不自然に開いた穴の前という場所と、武装した村人に囲まれる状況がやはりまずかったようだ。

 手渡されたポーションを手に、ノエミさんとティニヤは互いの目を合わせる。

 しばしの沈黙の後、意を決し同時にあおる二人。

 全部飲み干してホッと息をつくノエミさんに、ティニヤが心配げに尋ねた。

「毒じゃないのにゃ? 姐さん」

 見ると、ティニヤの瓶の中身はちっとも減っていない。

 飲むふりだけしてみせた獣人種の少女に、ノエミさんは優しく微笑ほほえみ返した。

「ええ、これすごく美味しいわよ。飲まないのなら、それもいただけるかしら?」

「ダメにゃ! これはうちがもらった分にゃ!」

 慌てて言い返したティニヤは、ギュッと目をつむってガラス瓶を口に当てる。

 喉が動いたのを見計らってから、ノエミさんはさりげなく付け足した。

「そういえば、私はお嬢様に請われてここまで来たのだけれど、あなたはどうだったかしらね。えっと、どなたかを逮捕するんでしたっけ? でしたら私とは中身が違ってくる可能性も──」

 明確な立場の違いを示唆されると、その意味をすぐに悟ったのかティニヤの顔がみるみる青ざめ、むせながら勢いよくポーションを吹き出してしまう。

 飛んできたしぶきをかわそうと飛び退すさるノエミさんだが、驚いた顔でつぶやいた。

「えっ、体がすごく軽い! 今、飲んだのって……?」

「はい、身体能力を高める薬ですよ。貴重なのであまり無駄にはしないでくださいね」

「す、すみません、ハンスさん」

「うにゃ! なんか足がよく動くにゃ! 腕もブンブンできるにゃ!」

「二人とも準備はできたようですね。それでは参りましょうか」

 俺が促すと、息を合わせたように二人はうろたえだした。

「え? ま、まさか本当に今からこの魔素まりに入るのですか?」

「うちは置いてくれって言っただけで、働くっていってないにゃー! あー押すにゃー!」

 ヨルとクウにズルズルと押し込まれてしまった二人だが、外との違いに焦った顔であちこちを見回す。

「にゃ! なんか全然、違う場所に来たのにゃ。不思議にゃ!」

「こ、ここはいったい……、何が……」

 ぼうぜんとする二人を奥へ進ませ、一階のおなじみのモンスターに引き合わせる。

「あ、これ村で見たやつにゃ。プルプルしてるにゃ」

「スライムね。あ、そんな、うかつに近づくと──」

 地面にいた青いえん体は、いきなり跳ね上がり侵入者との距離を詰めた。

 が、まばたきする間もなく動いたティニヤの体が、一瞬でその後方へと移動する。

 すれ違いざまに突き出された短剣ダガーの刃に、すっぱりと切り裂かれるスライム。

 あっけなく最初のモンスターは、そのまましぼみつつ地面へ落下した。

「急に動くからびっくりしたにゃ!」

「……意外と素早いのね、あなた」

「すごいな。ステータス的に大丈夫かと思ったが、一撃か」

 俺が称賛すると、猫耳の少女は得意げに鼻を持ち上げた。

「うち、けるのだけはいってよく褒められたにゃ。あとこの剣、すごく切れ味がいいにゃ!」

「当たり前でしょ。それ魔黒鉄製よ」

「よく見てますね」

 八階のボススケルトンが持っていた短剣ダガーを〈錬成・復元〉したやつだが、それに気づくのはさすが元商会勤めだけのことはある。

 俺が感心すると、ノエミさんは戸惑った顔で黙ってしまった。

 まだちょっとばかり壁があるというか、信用されていないようだ。

「じゃあ、サクサク狩っていきますか」

 肩慣らしを希望したハンスさんも加わったせいで、歩みはほぼ止まらぬまま最奥へとたどり着けた。階段前の巨大な青いスライムに多少驚いた二人だが、ここも五分足らずで片付いてしまう。

 その後も地下五階まで特に問題もなく、レベリングはあっさり終了した。

 もっともその陰には、とある団体の活躍があったが。

「驚きました。ずいぶん手慣れてますね」

「はい、毎日、付き添ってくれてますからね」

 ハンスさんが称賛したのは、村の青年らの働きぶりだった。

 先行してモンスターの場所を確認し、必要とあれば近くまで引っ張ってくる。

 厄介な攻撃には皮の盾を構えて受け止め、とどめを刺しやすいよう適度に弱らすことまで。

 その無駄のない統率された動きは、見ていて心地よいほどだ。

「村の人のレベル上げは青年団に一任しているんですが、その成果がよく出てますね」

「ニーノ殿の信頼に応えたというところですな」

 そして四番目の階段を下り、不意に眼前に開けた風景に二人の目は最大限に見開かれた。

「こ、こ、ここは……?」

「本当に地面の下なのにゃ? きっと、きっと、きっとうちらだまされてるのにゃ……」

 広大な空間を前に立ち尽くす二人。

 しかし、じっくりと感慨にふける間もなく、すぐさま新たな驚きが押し寄せてきた。

「にゃにゃにゃ! なんかでっかい鳥が来るにゃ!」

「ゴ、ゴブリンが乗りこなしているの……? ど、どうなってるの?」

「ああ、ちょうどよかったわ、ノエミ。あれの引き継ぎをお願いしてもいいかしら?」

「えっ、私ですか? 引き継ぎとは何のお話でしょうか……?」

 迎えに来たゴブリンタクシーに驚くノエミさんに、パウラが説明をすっ飛ばして無茶ぶりする。

「それじゃあ、解くわよ」

「へ?」

 パウラの声と同時に、突撃鳥のギョロギョロした目にまたたく間に野生が戻る。

「はい、どうぞお願いね」

「な、な、な、何をですかぁああ!?

「何って、もう使えるでしょ?」

 パニックを起こすノエミさんに、パウラはキョトンとした顔で答える。

 そして悠長に会話が終わるのを待つほど、突撃鳥の気は長くなかったようだ。

 たけびを上げたかと思うと、背中のゴブリンたちを振り落とし、分厚い爪が生えた足を立ち尽くす獲物へと持ち上げる。

 迫りくる危険に身動きを忘れるノエミさん。

 その前に、一陣の風のごとく現れたのはハンスさんであった。

 手にした剣を素早く持ち上げ、踏みつぶそうとした大鳥の足を真っ向から受け止めてみせる。

「ご無事ですか?」

「え、ええ。あ、あの……」

「大丈夫ですよ、ノエミさん。あなたにはもう新たな力が備わっています。さあ、自分を信じてみてください」

 ハンスさんの励ましの言葉に、うろたえていたノエミさんは即座に冷静になる。

「は、はい! やってみます!」

 次の瞬間、細い尻尾の先がくるりと丸まったかと思うと──。

 〈魅惑〉からの〈従属〉!

 一瞬にして突撃鳥のたけだけしい気配は消え去り、何ごともなかったように静かに足を下ろす。

 その様子をまばたきも忘れて眺めながら、ノエミさんは絞り出すようにつぶやいた。

「わ、私が〈従属〉を……。そんな……本当に?」

「ええ、お見事ですよ」

「なんかよく分からないけど、すごいのにゃ。さすがはノエミ姐さんにゃ!」

「だから、私はあなたの姉でも妹でも……」

 あふれ出した涙で最後まで言い切れずに、ノエミさんは言葉を詰まらせた。

「うんうん、こういうのは何度見てもいいな」

「センセ、なんかおじさんくさいよ……」

「あっぱれー」

「くうー」

 和やかな雰囲気のまま、北へ向かう俺たち。

 道中も延々と遠くまで続くうねや立派な用水路に、ティニヤは感心して飛び跳ね、ノエミさんはあきれたように何度もため息をついていた。

 そして三十分ほどでゴブリンの集落が視界に現れると、またしても二人の目がまんまるに変わる。

「にゃ、にゃんか大きなおうちがあるのにゃー!」

「本当になんなんですか……? もう……驚き疲れましたよ」


    


「グギギギギ!」

 頑丈な亀の甲羅や鋭いくいに覆われた外壁や、天に向けて高く突き出したものやぐら

 一見すると堅固なとりでなのだが、中に入ってみると待ち受けているのは、陽気な笑い声と音楽だ。

「混乱するなって言う方が無理かな」

「にゃあ! ゴブリンがいっぱいいるにゃぁあああああ!」

「これは……村なの? あれは……道具? な、何かを……作ってるの?」

「これはまたずいぶんと発展しましたね」

 感嘆した口ぶりで、ハンスさんは広間のあちこちを興味深く眺めていく。

 ごちゃごちゃしているように見えるが、ちゃんと革や殻などの素材によって作業スペースが違っていたりするのだ。

「にゃあ! うちを食べても美味しくないにゃー」

なななな、なにかしら?」

 革の作業場では、さっそく新入りの二人がゴブリンたちにたかられて寸法を測られていた。

 数日のうちに、新しい装備が出来上がってくるだろうな。

「ほほう、蟹の殻の食器ですか。こっちはまた変わったかぶとですな?」

「大きなダンゴムシの殻を使ったヘルメットですね。こいつらの最近のお気に入りなんですよ」

「器用なのにゃ!」

「ま、魔物が……、魔物の素材を使って、よろいや盾まで……」

 甲殻を次々と新しい発想で使いこなすゴブリンの職人たちには、驚かされることばかりだ。

「うむむ、見事な羊毛ですな。それでご要望というのは?」

「まず機織り機ですね。それとできれば紡ぎ車あたりもあれば助かります」

 ここは裁縫班の作業スペースだが、慢性的な人手とゴブリン手不足となっていた。

 需要の高い加工品が多いのだが、それを作る手間が他の素材より大変なのである。

 そこで機械を購入し、過程を楽にする作戦というわけだ。

「ちょうどよかったです。実は先日、紡績商の方とお知り合いになりましてな。次の行商の際に、お尋ねしてみましょう」

「おお、それは助かります」

 ゲームでも注文すればなんでもひょいひょい仕入れてきてくれたが、こっちの世界でもその顔の広さは健在のようだ。

「ゲヘゲヘ!」

 俺たちの会話に急に割り込んできたのは、赤い羽根を頭部に飾り付けたゴブリンだった。

「赤羽根さん、ご無沙汰しております」

「ゲヒ!」

「はい、相変わらず元気にやらせていただいております」

「ゲヘヘ!」

「はは、そうは見えませんよ。ご冗談がお上手で」

 身振り手振りで快活に会話する赤羽根とハンスさんの姿に、二人はぽかんと口を開けた。

「にゃ、にゃんか、普通に話してるみたいにゃ」

「こ、言葉もちゃんとあるのね……」

「グヒヒ!」

「ええ、ご希望通りの品を仕入れてまいりましたよ。どうぞ、お納めください」

 そう言いながらハンスさんは、肩から下げていたかばんから袋を取り出して手渡した。

 中身はたぶん、注文されていた加工用の道具だろうな。

 たちまち矢を削っていたゴブリンたちが集まってきて、道具の取り合いが始まる。

「これでまた良い弓矢を作ってくれそうですね。そういえば、干し肉もけっこう種類が増えたんですよ」

「おお、それは楽しみですな。前回のは、なかなかに好評でしたよ」

「にゃあ、これは美味いのにゃ。評判なのも納得にゃ。もぐもぐ」

「て、何食べてるの? あなた」

「おいしいお肉にゃ。そこの赤い羽根のゴブリンからもらったにゃ」

「ちゃっかりしてるわね」

「うー、お腹すいたにゃ。お昼ごはん楽しみにゃー」

「今、干し肉食べたばかりでしょ!」

 仲良く言い合う二人の姿を見ると、緊張と警戒はかなりほぐれたようだ。

 もっともすぐに広場の中央で盛大に火をいて作る大鍋料理に、圧倒されてしまったようだが。

 さらにその後、大亀の肉とキノコたっぷりのシチューを食べてもんぜつまでしていた。

「にゃにゃにゃ! こんな柔らかなお肉初めてにゃぁぁ!」

「こ、これってまさかくろいわたけ!? 王都でもめったにお目にかからない高級食材が、どうして? あ、舌がとろけそう……」

 ご満足いただけたようだ。


    


 昼食の後は軽く休んでから、さらに下の階層を案内することにした。

「ハンスさん、そろそろ出発しますよ」

「分かりました。ではノエミさん、ティニヤさん、行きましょうか」

「地上に戻る……んじゃないですよね。はい、分かってました」

「二人とも、がんばってにゃー」

「当然、あなたも一緒に決まってるでしょ」

「にゃぁ、うちはいまお腹いっぱいで動けないにゃー」

「私だってできれば遠慮したいけど、ここに置いていかれてもいいの? ほら、行くわよって、あなたそれ!」

「このふかふか枕とふわふわ布団は、さいきょーなのにゃ。……むにゃむにゃ」

「まんぷくー」

「くぅくぅ」

 寝そべった猫耳の少女の頭の下。

 そこに下敷きとなっていたのは、黒と紫色のしま模様が愛らしいヨルであった。

 さらに小脇に抱えられているのは、黄色い羽に黒い斑点が可愛いクウだ。

 二匹ともなぜか穏やかな表情で少女にくっついたまま、すやすやと眠りについている。

「すっかりなついているな」

 抱き枕扱いされる姉弟はなかなかに微笑ましい。

 が、魔物使いであるノエミさんは、魔物っ子たちの強さを十二分に理解していたようだ。

 血の気の引いた顔で、ティニヤに食ってかかる。

「ど、どこから持ってきたのよ! は、早く返してきなさい!」

「にゃあー、うちのまくらーとおふとんー、返すにゃー」

「まあまあ、お二人とも落ち着いてください。ノエミさん、ヨルさんとクウさんは私がお預かりしますよ。ティニヤさん、先ほどのシチューはいかがでしたか?」

「にゃあ、あやうく落ちたほっぺた代請求するところだったにゃ」

「次の階には、あのお肉を落とす魔物が出ますよ。また食べられるかもしれませんね」

「それもっと早く言うにゃ! さっさと出発するのにゃ!」

「あなた、本当にそれでいいの……?」

 喜び勇んで六階へ進んだティニヤと、恐る恐る階段を下りたノエミさんだが、そこに広がる光景にお約束のように驚きの声を上げてくれた。

「にゃにゃにゃ! お水が一杯にゃ! 騙されたにゃ!」

「すごい……、こんな地下深くに、これほどの水量が……」

「はは、すごいですよね。しかもこれ全部、塩水なんですよ」

「え、ではここでもしかして塩も?」

「にゃにゃ! なんか変なのが出てきたにゃ! 手がハサミになってて不便そうにゃ!」

「あなた、蟹も見たことないの……?」

 美人二人の参加に張り切った青年たちの活躍で、大蟹と大亀らは次々と仕留められた。

 続いての七階。

「ここからは私も初めてなんですよ。緊張してきますね」

「にゃにゃにゃ! なんか影だけにゃ! 切れるか試してみるにゃ。てい! にゃあ、目が見えないにゃー!」

「その割には平気そうね」

「匂いで分かるから安心にゃ。にゃあ、今度は骨だけにゃ! 切れるか試してみるにゃ。とい! こいつは弱いにゃ。雑魚にゃ」

「こんな地下に誰がどんな目的で、この塔を造ったんでしょうかね」

 俺たちだけなら普段は立ち寄らない塔だが、今日はハンスさんたちもいるので、せっかくだから見てもらうことにした。

「そういえば皆さん、装備を替えたのですね」

「ええ、ここからは魔物が強くなりますからね」

 数人の若者は五階の集落で皮の盾を甲羅の盾に、突撃鳥の革鎧を黒おおかみの革鎧に装備しなおしていた。

 塔の最上階まで特に危険な場面もなく、階段前も六本腕のボススケルトンにめてかかったティニヤがふっ飛ばされてコロコロ転がる事件があったものの、特にもなく俺たちは八階へと進んだ。

「ようこそ、大樹の回廊へ」

「おお、エタンさん。ご無沙汰しております。お怪我はもうすっかり?」

「はい。ニーノさんのおかげです」

 最近、すっかりこの八階に住み着いてしまったエタンさんと、和気あいあいな会話を交わすハンスさん。

 二人を横目に、ティニヤとノエミさんは大騒ぎである。

「にゃお! ここは森なのかにゃ? 天井が高すぎるにゃ!」

「す、すごい……、こ、こんな地下深くに、これほどの大木が……」

「にゃ! なんか、煙が上がってるにゃ。火事かにゃ?」

「これは炭を焼いているのかしら? まきも山ほど積んであるわね」

「にゃにゃにゃ! おっきなトンボにゃ! なんか枝切ってるにゃ! すごいにゃ!」

「この木って、もしかして家になってるの? す、すごいわね」

「にゃぁ、おっきな鹿がいるにゃ! 角にちっちゃいのが一杯乗ってるにゃ。うちも乗りたいにゃ」

「ひ、羊まで飼ってるの? ここ、どうなっているのよ……」

 騒ぎながらも樹上のウロハウスをのぞいたり、まがりつのひつじの乳搾りに参加してみたりと、たっぷり八階を満喫する二人であった。

 その後、エタンさんと妖精たちに協力してもらい、青年団が主力となって狼をせんめつする。

 ボス狼戦では活躍した盾持ちの若者が、ボスの毛皮で作った革装備を授けられていた。

 こくろうだんで一人前と認められたあかしらしい。

 時間も押してきたので、余韻もなく九階へ。

「なんかあの大きな狼、仲間が来てくれなくて寂しそうだったにゃ」

「お次は……、鉱山かしら」

「本当ですね。また先ほどの森とはがらりと変わりましたね」

 これまでと比べると派手なインパクトがないせいか、比較的落ち着いた感じで辺りを見回すハンスさんたち。

 そこへドタバタと駆け寄ってきたのは、小熊によく似た青年だった。

「お前ら、見ろ見ろ。どうでい、オレ様の新しい工房は?」

 得意げに胸を張るヘイモだが、その背後にあったのは造りかけの大きなかまどであった。

 周囲ではゴブリンたちが、せっせと石を運んできている。

 エタンさんの樹上住居を見て、自分たちも拠点が欲しくなったらしい。

「おや、こんなところに炉を造るんですか?」

「ここは鉱石がたっぷり採れそうだしな。入り口のここなら魔物も来やしねえし安全だぜ」

「にゃあ、頭おかしいにゃ」

「なんだと、この猫耳! お前には言われたくねえよ!」

 熊耳に言われるのも、どうかと思う。

「にゃあ、気持ち悪い虫にゃぁぁぁl!」

わわわわわ! か、顔だけネズミですよ、お嬢様!」

 真っ黒な団子虫や不気味なワーラットに悲鳴を上げつつ、軽く蹴散らして俺たちは十階へ到達する。

 そしてこれ以上ないほど、ティニヤとノエミさんの目が開いた。

「にゃにゃにゃー! 外に出たにゃ! ふしぎにゃ!」

「あれ? 下向き階段でしたよね。え? なんでですか?」

「ほう、なんとも素晴らしい眺めですな」

 すでに時刻は夕方近くなっていたため、今日の迷宮見学はこの十階の景色の堪能のみで切り上げることとする。

「にゃぁぁぁ!  バカでっかいが襲ってきたにゃ!」

「いやぁぁああああ!」

 最後までちょっとドタバタしていたが、たっぷり楽しんでもらえたと思う。

「どうだ? 迷宮は気に入ってくれたか。ワクワクして面白かっただろ?」

 俺の期待を込めた問いかけに、猫耳の少女は真面目な顔で答えてくれた。

「あんなのが楽しいとか、やっぱり頭おかしいにゃ。絶対どうかしてるにゃ」

 ティニヤの背後では、ノエミさんが無言でうんうんとうなずいていた。

 な、なぜだ……?