いろいろ村の方々にお願いして一週間。

 事態はおおむね、いい方向へと向かっていた。

 五階、西の壁際。

 そこにあったのは、なみなみと水をたたえた巨大な池だ。

 ニーノに依頼された翌日、張り切って五階中を駆けずり回った若者らの功績である。

 そして今、池の周りでは数人の村人たちが、作業の仕上がりを見届けている最中であった。

「よーし、開くぞ!」

「おう!」

 声を掛け合った村人たちは、水路と池を隔てていた大きな木の板をがっしりとつかんだ。

 そしてこんしんの力を込めて、真上へと引っ張る。

 水圧がかかっているせいか、最初はなかなか動こうとしない木板。

 だが少しずつ持ち上がり、それに合わせて池の水が激しく渦を巻き始めた。

 同時にその反対側、空っぽの水路には、透き通った水が勢いを増しながらたちまち流れ込んでいく。

 みるみる満たされていく水路の姿に、村人たちはいっせいに喝采を上げた。

「おおお!」

「よっしゃ。くいったべ!」

 口々に喜びの声を上げて、村人たちはまたたく間に走り去った水流の先頭を追いかけだす。

 その背中を見送りながら、村長はゆっくりと唇の両端を持ち上げた。

「ふう、なんとか仕上がりましたか」

「ふふ、頑張ったかいがありましたね」

 褐色の肌を持つ魔人種の女性の言葉に、村長は満足げにうなずいた。

「これもパウラ様が手伝ってくれたおかげですな。本当にありがとうございます」

「いえ、皆様のお力があってこそです」

 謙遜しているが、水路の大半を掘り進んだのは、パウラが〈従属〉させた大ミミズらであることは事実だ。その上、今回も井戸の時と同様に、ミミズの体液おしっこを側面の土に塗り込んでしっかり固め、水が地面に染み込まない工夫までしてくれている。

 たった六日間で五階の中央付近から西の端までの長い距離をつなげられたのは、魔物五匹の手柄と言い切っても過言ではない。

 もっとも村長たちも遊んでいたわけではなく、水路の方角を違えないよう距離や位置を計測用の棒で測ったりと調整に大忙しであったが。

 しかし頑張ったかいもあり、本日無事に長い水路が開通したというわけである。

「これで畑づくりも本格的に始められます。この広い地が夏麦で埋まる様は、さぞかし見応えがあるでしょうな」

「ええ、楽しみでございますね」

「しかし欲を申せば、もう少し大ミミズたちには、残っていてほしかったですな」

 地上の村以上の耕作面積を耕すのに、巨大なミミズたちは大変頼りになる存在である。

 しかし使役魔の枠を確保するため、水路開通後は二匹を残して処分される手はずとなっていた。

 残念そうな顔の村長に対し、パウラは柔らかく笑ってみせた。

「それでしたら、もう間もなく頼もしい助けが来てくれるはずですよ」


    


 五階、ゴブリンの集落の広場。

「おお、こりゃすごいにぎわいだな!」

「地面の下にこんなもんがあるとは、ホンにたまげたべ……」

 黒い毛皮をまとった一団に案内され、集落の門をくぐった村人たちは口々に驚きの声を上げた。

「なんだ? 楽士さんが来とるのか。えらく陽気な音色だぞ」

「おい、見ろ。あそこだべ!」

 大きな町の祭りの日にしか聞くことない音の調べに、二人は目を丸くして辺りを見回す。

 そして陽気な音楽の正体が、ゴブリンたちのたたく太鼓だと気づき、さらに目を見開く。

「あっちはなんだ?」

「なんか山積みになってるべ!」

 広場の一画に集められていたのは、多様な種類の革たちだった。

 使い勝手のいい白うさぎの革や、薄くしなやかなコウモリの羽。

 硬く頑丈な茶色の恐鳥の革に、黒い滑らかな毛が残るおおかみの革。

 ゴブリンの職人たちの手によって、それぞれが帽子や靴に手袋からよろいまで、手早く縫い合わされ作り上げられていく。

「ほううう。すごい手際だべ。こうやって作ってくれてるのか」

「うん、ありゃもしかして?」

 大胆に裁断されていく黒い狼の毛皮に気づいた村人が疑問の声を上げると、ここまで護衛してきた若者の一人が得意げな顔で答えた。

「ああ、あれこそが我らこくろうだんあかしさ」

 ニーノに魔物の駆逐や他の村人のレベリングの手伝いを任された青年たちだが、報酬としてもらった黒毛狼の装備を身につけることで、自らを黒狼団と名乗っていた。

 村長が黒狼団の団長も兼任しているため、暴走はしないだろうとニーノも黙認している。

「む、あれって村でってるやつか?」

 もう一人が指差したのは、肩から斜めに下げる長いひものついた小さなかばんだった。

 構造は単純だが使いやすく見た目も可愛かわいいため、村の女性から注文が殺到している一品である。

「おいおい、あっちも見てみろ。すごいもん作ってるべ!」

 違う一画では大かにの甲羅や亀の甲羅、さらにはてっこうちゅうの甲殻など硬そうな素材が山と積んである。

 そちらではトンカチなどを手にしたゴブリンたちが、かぶとや胸当てを熱心に製作していた。

 他にも皿やさかずきなどの食器類や、鍋などの調理道具も次々と出来上がっている。

 蟹皿などは熱が伝わりやすい欠点があるものの、意外と軽く丈夫なため上の村にも行き渡りつつあった。

「おお、いい出来じゃねえか。その調子で頼むぜ!」

 さらに違う一画では、小柄な熊のような男性の声が響く。

 そこでは弓矢担当のゴブリンたちが、一心不乱に木を削っていた。

 隣では仕上がったがらに、違うゴブリンたちが鉄製の矢尻を素早く取り付ける。

 さらにその隣で、またも違うゴブリンらがとつげきどりの尾羽根を着けて完成である。

 似たような流れ作業で、鋭利な鉄の穂先を持つやりも、次々と出来上がっていた。

「こりゃまた足りなくなりそうだな。くそ、負けてられるか!」

 腕まくりをして門から飛び出していく職人の青年を、二人の村人はぜんと見送った。

「本当にせわしないね、ヘイモの旦那は」

「あれはもう、ああいう性分だし仕方ないさ。でも弟子とってから、ちょっと落ち着いた気もするけどねぇ」

 のんに会話を交わすのは、広場の奥に陣取る裁縫班の女性たちだ。

 二人の近くの作業机には、乾燥させたつるがギリギリまで載せられている。

 そしてここでは大勢のゴブリンたちが、せっせと蔓を編み込んで大小幅広いサイズのかごを作っていた。

 籠編みは村での家仕事でおみであり、手慣れている女性も多い。

 その中でも手が早く仕上がりもきれいな二人が指導に当たっているだけあって、編み上がっていく籠も及第点に余裕で達する出来栄えだった。

「うん、いい出来だよ。ただ、ここはもうちょっと丁寧な方がいいね」

「ギシシシ!」

 この籠の普及によって、迷宮内での運送量は大幅に増える結果となった。

 今戻ってきたばかりの突撃鳥の体の両側にも、しっかりと大きな籠がくくりつけてあり、中にはすいこうの実が山盛りに詰め込まれている。

 しかも蔓の使いみちはそれだけでない。

 突撃鳥のくらにぶら下がるのは、生きたまま足を縛られた角うさぎどもだ。

 狩人のエタン直伝の蔓製のくくりわなにかかった哀れな獲物たちである。

「ゲヒゲヒッ」

「グヒヒヒヒ

 懸命にもがく角うさぎを受け取ったゴブリンたちは、足早に大芋虫の飼育小屋へと向かう。

 そこでいっせいに〈粘つく糸〉を浴びて、今や十匹を超える芋虫らの経験値の足しにされるのだ。

 その後は喉をかききって血抜きを済ませ、手早く皮をぎ内臓が取り去られる。

 そして角と皮は倉庫へ運ばれ、骨と内臓は突撃鳥の胃袋に収まり、肉は塩を擦り込まれて広場に戻される。

 干し肉づくりも順調であり、柵の内側の陰にはうさぎやコウモリ、突撃鳥の肉に並んで、このところは羊肉も干されるようになっていた。

 迷迭花ローズマリーをまぶした特別製も、取り合いとなるほどの人気である。

「ガハッハハハ!」

 リズムカルな打音と笑い声でにぎわう広間に、不意に一匹のゴブリンが駆け込んできた。

 その全身からは、なぜかポタポタと水が滴っている。

 ずぶれなゴブリンだが、たちまち集まった仲間に取り囲まれてしまった。

 そして皆、興奮しながら次から次へと飛び跳ねだす。

 おそらくだがこの階を横切る水路に、とうとう水が流れたのを察したのだろう。

「もう水路が完成したみたいだね」

「あらまぁ。えらく早いね」

「井戸の時は、あんなに時間かかってたのにねぇ。ここのことになると、本当に熱心だね」

 そう言いながらも女性たちも、毛糸をる手を少しも緩めようとはしない。

 集中の度合いで言えば、ゴブリンたち以上かもしれない。

 絹糸に続いて新たにもたらされたこの毛糸に、現在、裁縫班は夢中であった。

 下着や普段着など、作りたい服はいくらでもあるからだ。

 ただし今は、しばし手を休めて先にやるべきことがあった。

 大きく伸びをした二人は、広場の真ん中に据えられたかまどへ歩きだす。

「それじゃあ一仕事終えた旦那どもに、しい昼ごはんをごちそうしてやるかね」

「ええ、きっとすごくお腹をかせて戻ってくるに違いないよ」


    


「グヒヒッヒ!」

 八階、大樹の回廊の片隅。

 しっかりと盛り上がった土の山を前に、ダンゴムシの殻製のヘルメットをかぶったゴブリンどもは、うれしげに笑いながら手を打ち合わせた。

 壁際に作られたこの小高い土山の正体は、炭焼き窯である。

 炭焼きの経験を持つエタンの指導のもと、二十匹近いゴブリンが力を合わせて製作したのだ。

 ちゃんと周りの草は引き抜かれ、万が一にも火が燃え移ることがないようにしてある。

「もう出来上がったのー? すごいじゃん!」

「ニシシシシ!」

 ちょうどそこへ戻ってきたのは、引き綱を手にしたミアであった。

「ただいまー。ぐるっとひと回りしてきたよ」

「もどりー!」

「くー!」

 少女が持つ綱の先にはまがりつのひつじが一頭繋がれており、その後ろからゾロゾロと十頭ほどが続く。

 乳羊として八階に連れてこられた羊たちだが、草木の少なかった十階の斜面に比べ、下草の豊富なこの階をすっかり気に入ったようだ。もっとも気に入りすぎて、放っておくと下草を食べ尽くしてしまうため、こんな風に定期的に移動させる必要があったりもするが。

 ただその際に気をつけなければならないのは、この階には羊の天敵である狼が常在している点だ。

 そこでニーノたちが考えたのは、安全な避難場所の増設だった。

 幸いなことに、この階にはいたるところに大樹がそそり立っている。

 それらにちょっとした足場を作ってやれば、崖登りに慣れた羊たちはあっという間に高所に逃げおおせるというわけだ。

 しかも大木の多くは妖精たちが寝床に使っているようなウロがいくつもあり、夜間でも安心して休めて一石二鳥でもある。

 これに関しては妖精やゴブリンたちも、ふかふかの枕や布団ができて大歓迎のようだ。

 ただし羊の放牧を始めて、一番喜んだのはヨルとクウだった。

「ホント、ヨルっちとクウっち、お乳好きだよねー」

 甘みのある羊乳が気に入った二匹は、羊の放牧についてくるたびにお腹にぶら下がってはチューチューと吸い始める始末である。

 さらに飲み終えた後も、姉弟仲良く羊の首にまたがって乗り物扱いする気に入りっぷりだ。

 どうもくるっと手前に曲がった角が、ハンドルのように持ちやすいのがよかったらしい。

「いざまいるー!」

「くー!」

 掛け声は立派だが、〈従属〉はとっくに解除されている曲角羊たちに、命令を聞く義理はない。

 勝手に歩き回る羊の上ではしゃぐけものっ子たちと、その周りを飛び跳ねる青スライムの姿はなかなかに可愛らしい眺めだったりする。

「お、上の方もけっこう出来てきてるねー。やるじゃん!」

 頭上から響いてきた物音に空を見上げたミアは、感心したように手を叩いた。

 もともと妖精たちが寝泊まりしていた木のウロだが、それなりの広さはあった。

 だがゴブリンが同居人に加わり、ついで曲角羊も押しかけるようになって、かなり手狭になってきたため、他のウロへの移住を余儀なくされてしまう。

 どうせならということで、新たなウロの内側を整えて部屋らしくしたり、蔓で編んだなわ梯子ばしごをあちこち取り付けたりと改造が進み、今や大木は立派な樹上住居ツリーハウスへと姿を変えつつあった。

「ふふ、そうやって凝っちゃうとこが、ゴブっちたちらしいよねぇ」

 さらに長く伸びた枝同士を吊り橋で繋ぎ、他の木も居住区にしていく計画も出てきており、そのうち樹上に大きな村ができそうである。

「あ、ケンちゃんも頑張ってるねー。あっちもすごいすごい」

 ツリーハウスのさらに上、天井付近まで首を曲げて見上げたミアは、称賛の声を漏らした。

 その視界に映り込んでいたのは、腹部が長く突き出した巨大な昆虫の姿だ。

 曲角羊に引き続いて、十階から連れてこられた魔物、剣尾トンボである。

 ブンッと羽ばたき音を残し、トンボの体が垂直に移動する。

 とたんに枝の一部が幹から離れ、遠くの地面に派手な音を立てて落下した。

「うわ、切れ味すごすぎない?」

 足場不要でどんな高いところでも余裕で届き、その腹の鋭利な剣でたいていのものなら切断してしまえる。

 と、まさに枝切りにうってつけの人材ならぬ虫材だ。

「うわぁ、見通しめっちゃよくなったじゃん」

 これまでは生い茂った大樹のこずえのせいで太陽岩の光が遮られ、昼間でも薄暗かった八階。

 それが、なんということでしょう。

 木々の枝打ち作業がはかどったおかげで、見違えるほど明るくなっていた。

 といっても、まだ西の壁際だけの話だが。

 それと切り落とされた枝も、ただ捨て置かれているわけではない。

 むしろ、こっちが本命だったりする。

「キシシシシシッ」

 落下した枝の近くで、はねをチカチカ光らせながら甲高い笑い声を放つ妖精。

 それに呼ばれたかのように、大きな魔物がのっそりと近づく。

 この八階でボス狼に次ぐ巨体を誇るえだつの鹿しかだ。

 その背中にまたがっていたゴブリンたちが次々と飛び降りたかと思うと、枝に蔓を巻き付けて反対側を鹿の胴体へ括りつける。

 ゆったりと向きを変えた大鹿は、枝を引きずりながら歩きだした。

 こうやってめ込まれた大量の枝は、すでに壁際に山積みとなっていた。

「はー、すっごい。これだけあったら当分、使い切れないよねー」

 これらの枝木はニーノの〈錬成・枯渇〉で余分な水分を抜き取ってから、半分は五階の集落や地上の村に運ばれ、残りはこの出来たての炭焼き窯でいぶされる予定である。

「戻りましたよ。何かありましたか?」

「おかえりー、エタンおじさん。なーんもないよー。あ、炭焼き窯は出来たっぽいよ」

「それは朗報ですね」

 手際よく動き回るゴブリンたちを眺めていたミアに話しかけてきたのは、体に似合わない大きめの弓を背負った少女、ではなく樹人種の青年だった。

 その背後にも、大きな角を誇る鹿が大人しく随従している。

 ただしこちらの鹿にはゴブリンは騎乗しておらず、代わりに左右に広がる角には小鳥のごとくつどった妖精たちがゆったりと翅を休め、さらに数個のつるかごがぶら下がっていた。

 エタンが足を止めると、慣れたように枝角鹿は頭を下げ、器用に籠だけを地面に置く。

 その中身は、収穫したてのキノコであった。

「おー、大量じゃん!」

「グヒヒヒ!」

「ゲッヘヘ!」

 邪悪な笑い声を上げながら籠に飛びついたゴブリンたちは、キノコをりすぐって炭焼き窯の横にちょこんと作られた調理用の小さなかまどへ向かう。

 そこには、すでに小さめの亀の甲羅が鍋代わりに火にかけられてあった。

 ちぎった角うさぎの干し肉でを取った鍋に、ゴブリンたちはきのこを次々と投げ込む。

 あふれ漂う美味しそうな香りに、キノコをこよなく愛する妖精たちもいっせいに翅を広げた。

 可愛くお腹を鳴らしながら、鍋の周囲を飛び回ってみせる。

「ギヒギヒッ!」

 そこでまだ籠をあさっていたゴブリンの一匹が、とがめるような笑い声を発した。

 お目当ての青い果実が見つからなかったせいだ。

 不満げにだんを踏むゴブリンに、一匹の妖精が軽やかに舞い降りた。

 そして斜めに下げた小鞄ポシェットから、しぶしぶと青すぐりの実を一粒取り出す。

 期待に目を輝かせて、耳まで裂ける口を大きく開くゴブリン。

 羊で遊んでいたヨルとクウも青すぐりの存在に気づき、猛ダッシュで駆け寄ってくる。

 皆の注目が集まる中、青い実を持ち上げた妖精だが、寸前で誘惑に負け自分の口にパクリと含んでしまう。

「ごしょうー」

「くぅうー」

「ギャハァァァ!」

 ちびっ子たちの悲鳴が上がる中、ミアとエタンははじけたように笑い声を上げた。

 駄々をこねて地面に寝転がるヨルやクウやゴブリンたちの様子をひとしきり楽しんだあと、二人は目を合わせてもう一度笑みを浮かべた。

「信じられますか? ボクがほんの二週間前まで、死にたくなるほど落ち込んでたなんて。なのに今は毎日がこんなに楽しい」

「人生、何があるか分かんないよねー」

「ええ、こんなにも突然に、全てが変わってしまうなんて……」

 そうつぶやきながら、エタンは大樹が立ち並ぶ光景を見回した。

 恐ろしい狼がはいかいしカラスの不気味な鳴き声が響き渡っていた暗い森は、今は柔らかなの光の中を、妖精と小鬼がはしゃぐ場所へと様変わりしていた。

 これも一週間前には、考えられなかった変化である。

「次は、何がどう変わっていくのか。今から待ち遠しいですね」

「うん! めっちゃ楽しみー」

 長いようで短かった二月が終わりを告げ、暦は三月へと移り──。

 待ちに待った行商人の馬車が、新たな変化の種を乗せて村へ到着した。