そんなこんなで数日後、俺がこの地に来て三週間が経過した。

 わずかひと月にも満たないが、その間に達成できた成果はなかなかに大したものである。

「おはようございます、今日も大盛況ですね」

「おかげさまで、忙しすぎてすっかり痩せちまいそうだよ」

 相変わらずかっぷくのいいお腹を軽くたたきながら、酒場の女将おかみさんはニヤリと笑ってみせた。

 その背後のカウンターには、ずらりと並んだ村人たちが次から次へと出てくる料理をむさぼっている。

「うんうん、はんばあぐおいしいねー。ほっぺたおちそう」

「ほんと、このウサギ肉の串焼きは塩が効いてて文句なしね。いくらでも食べられるわ」

 俺の貢献度で言えば、この食材の提供が真っ先に挙がるのではないだろうか。

「毎年、この時季は食べ物が足りなかったからねぇ。誰も飢えないってのは心底素晴らしいことさ」

 ただ食料が増えただけでなく、滅多に口にできない肉が欲しいだけ食べられるようになったのだ。さらに調味料として上質な塩や油までも潤沢となれば、村のみんなが押しかけるのも無理はない。

 しかもそれだけはなく──。

「ほら、かにとキノコのスープのおかわり分、出来上がったよ」

 女将の一言に、酒場中からわっと歓声が上がる。

 いつものごとく大人気の蟹肉だが、そこに絶好の引き立て役が加わったことで、今やその地位は不動のもとなっていた。

「いやぁ、この白いキノコたまらねぇべ。煮ても焼いてもしいとかズルすぎるだ」

 滋養に富んだキノコ類は料理に幅を与えただけでなく、栄養面での貢献も多大である。

 豊富なタンパク質の摂取もあり、現在、村人たちの健康状態はほぼ万全であると言えよう。

 もっとも最近は消費量が増えすぎて、肉の供給は厳しくなりつつあるが。

「そこで満を持して、えだつの鹿しかのステーキが登場する予定だったんですが」

「そりゃ仕方ないよ。あの子たちのお気に入りになっちまったんじゃねぇ」

 大仰に肩をすくめる女将さんの視線の先を飛び回るのは、地上に移住してきた妖精たちだ。

 パウラの〈従属〉と〈解消〉を使えば迷宮内どころか外にも自在に行けるため、すでに数多くの魔物を村のあちこちで見るのは当たり前となっていた。

「うーん、めちゃくちゃ美味しいんですけどねぇ。鹿のお肉も」

 地下八階にせいそくする枝角鹿だが、残念なことに大型種のため出現数が思ったより少ないと判明したのだ。ただし巨体なので一頭仕留めるだけで、大量の肉を入手することができる。

 が、そうそう狩れない理由は他にも存在していた。

 それが先ほど女将さんが話題とした妖精たちの件である。

 実はこの村と同様、八階にも妖精たちの移住は着々と進み、現在十五匹ほどが住み着いていた。

 ただし地上の安全な村とは違い、迷宮の森には厄介なカラスやおおかみみ着いている。

 そこで妖精たちが安全な住居兼乗り物としていだしたのが、枝角鹿というわけである。

 大鹿の枝分かれした角にまたがって、ゆうゆうとキノコをかじる日々を過ごしているようだ。

 そしていざとなればお腹の下や、垂れ下がる喉の肉に隠れてやり過ごせると。

「ま、大事な妖精たちのお守りだし仕方ないか。それでは、そろそろ出かけますね」

「はい、気をつけて行ってきな。今日も手土産期待しとくよ」

 女将さんに別れを告げた俺は酒場から出て、すぐ近くの広場へ足を向けた。

「あ、おっはよー、センセ」

「おや、先生様。ご機嫌はどうだい?」

「今日もよく晴れてるね。いい洗濯日和だよ」

 広場の中心にできた井戸も、素晴らしい成果であると言える。

 現在も青スライム二匹がこまめに汚れた水を浄化してくれるため、生活用水に困ることはまずないだろう。安全な水が使い放題になったことはもちろん、川まで出向く必要がなくなったため、みずみの手間が大幅に減ったことも喜ばれたな。

 そのため洗濯などにも気軽に集まるようになり、いまや井戸端は奥方連中の社交場と化していた。

 特に裁縫班を中心とした女性陣らの情報網は、侮れないものがあったりする。

「センセ、もう出発?」

「うん、そろそろ行くけど、まだ少し時間あるぞ」

「分かったー。じゃあ、もうちょっとおしゃべりしてから行くね」

 酒場の看板娘だったミアだが、ここ最近は魔術士としての経験を活かし、他の魔力持ちの人の指導を引き受けてくれていた。現状、この村ではミアを筆頭にレベル15以上の魔術士が四名もおり、これは王立魔導兵団の一個小隊を軽くりょうする戦力でもある。

 奥方連中の井戸端会議に見送られた俺は、次に広場を抜けて畑の方へと向かう。

「お。錬成のあんちゃん、調子はどうでい?」

「グギギギギ!」

 道端の木の上からご機嫌な顔で挨拶してきたのは、職人のヘイモだった。

 その木の根元にたむろっているのは、弟子であるゴブリンたちだ。

「まあまあかな。お、外灯を取り付けてくれてるのか。ご苦労さん」

 余ったはくしょうせきを各家庭に配ったという話だが、すでにおおよその家に行き渡ったため、現在はこうやって村のあちこちに設置して、夜道を照らす役割をしてもらっていた。

 ちなみに点灯係は妖精たちである。

 俺のねぎらいの言葉に、獣人種の青年はニヤリと笑ったかと思うと、木の枝にぶら下げたばかりのランタンを指差してみせた。

「どうだ? いい出来だろ」

「ああ、いつも通り……。うん、もしかして?」

「お、さすがはあんちゃんだ。よく気づきやがったな」

「ああ、それもしかしてこの子たちが作ったのか。でもこれはこれでよく出来ているな」

 確かに出来は良いが、師匠であるヘイモと比べると明らかに装飾が少なくシンプルな造りである。

 しかしそれでも、一ヶ月足らずの見習いが作ったとは到底思えない仕上がりだ。

「ギヒヒヒヒ!」

「グシグシグシ!」

 称賛の目を向けると、可愛かわいい革の前掛けを着けた三匹のじゃようせいうれしそうに笑ってみせた。

「よくこんな短い時間で弟子を仕込めたな。すごいじゃないか、ヘイモ」

 ついでに師匠も褒めると、若き鍛冶職人は目を細めてから、わざとらしいため息をついた。

「そりゃ鉄も赤魔石もあんだけたんまり回してもらえりゃな。それにこいつらの筋もよかった。それだけのこった」

「おいおい、謙遜とか、らしくないな」

 いつもの調子のいい返答を期待していた俺は、肩透かしを食らった気分になる。

 そんな俺の姿を見て、ヘイモはもう一度唇の端を持ち上げてみせた。

 そしていきなり木の上から飛び降りてきたかと思うと、俺の胸にゴツンッとこぶしを当ててくる。

「ふん、一番すげぇやつが威張ってねぇのに、胸張れるかってんだよ」

「そ、そうか」

「そういうこった。じゃ、また面白いもんが手に入ったら呼んでくれ」

 面と向かって言われると、なんともこそばゆいな。

 ゴブリンたちを引き連れて去っていくヘイモを見送った俺は、その足で麦畑へと向かった。

 すくすくと伸びゆく青い麦が一面に広がる中、あちこちで野良仕事にいそしむ姿が見える。

 春間近を感じさせる、なんとものんびりした風景である。

「さーて、どこかな?」

 あぜ道を歩く俺の眼前で、作業中の一人が不意にすっと腰を伸ばしたかと思うと、滑らかな動作で弓に矢をつがえた。

 次の瞬間、畑の端に立っていたカカシの頭部に、音もなく矢が突き刺さる。

 そして何事もなかったかのように、再び村人はかがんで雑草をむしりだした。

「おお、すごいな」

 少しだけ近寄ってカカシを眺めると、大量の矢があちこちの方向から刺さっている。

 感心していた俺の背後から、前触れもなく透き通るような声が上がった。

「そこは危ないですよ、ニーノさん」

「あ、おはようございます」

 慌てて振り向くと、いつの間にか真後ろに立っていたのは狩人のエタンさんであった。

 相変わらず愛らしい顔立ちである。

 微笑ほほえみを浮かべるタンさんの忠告に従い、俺はカカシからいったん距離を取ることにした。

「今、つところ見ましたけど、すごい上達ぶりですね」

「ふふ、みなさん筋がよくて、ご覧の通りですよ」

 矢ぶすまとなったカカシの姿に、樹人種の若者は誇らしげにうなずいてみせた。

 もっとも外見は美少女なので、ちょっと背伸びした感じしかしないが。

「弓をく扱うには、ひたすら射ち続けるしかありません」

 もう一度、カカシに目を向けた俺は、その言葉の意味をようやく悟る。

 的であるカカシの足元、畑の土手には、それこそハリネズミのごとく矢が突き刺さっていた。

「こ、これは……」

 エタンさんに弓の指導を頼んだのは、正解であったようだ。

「そろそろ実践も必要と思うのですが、いかがでしょうか?」

「そうですね。近いうちに弓士隊のレベリングも始めますか」

「それはありがとうございます。そろそろ出発ですか?」

「はい、今日はよろしくお願いしますね」

「では、矢を回収からして行きますね」

 弓士隊の成長ぶりに心を弾ませながら、俺が最後に向かったのは出発地点の酒場であった。

 いや、正確にはその隣である。

 ガヤガヤと元気に働く人たちの中に目的の人物を見つけた俺は、手を上げて挨拶をした。

 向こうもすぐに気づいたのか、汗をぬぐいながら近寄ってくる。

しんちょくはどうですか? 村長」

「ええ、とても順調ですよ」

 酒場の横の空き地に建築中であったのは、錬成用のアトリエだ。

 すでに屋根と枠組みが大まかに完成しており、あとは壁が出来れば外観は完成である。

「もう、ここまで出来たんですか?」

「はい、ニーノ様とパウラ様にできるだけ早くくつろげる場所をご用意したいと、一丸になって頑張りましたよ」

 俺が思わず視線を向けると、建材を運んでいた数人の若者が照れくさそうにほおを染めた。

 しかしたった一人で軽々と太い丸太を担ぎ上げる姿は、はたから見るとかなり異様だな。

 現在の村の人口は六十八人。

 すでにそのうちの半数以上が、それぞれ初期職業がレベル15以上となっていた。

 正直、そこらのようへい団程度なら、軽く凌駕する集団である。

 レベルアップの恩恵を受けた彼らは、体力や筋力が大幅に増加したため、その働きぶりは目を見張るものがあった。特に戦士職の多い若者らを中心にした青年団は、このアトリエの建築をはじめ随所で活躍してくれていた。

「なんか、その、ありがとうございます」

「お気になさらないでください。お二人からは数え切れないご恩を賜っておりますからな」

 そう言いながら、村長は器用に片目を閉じてみせた。

「それに家をさっさと建ててしまえば、この村から出づらくなるのではとの打算もありますしな」

「安心してください。俺たちはどこにも行きませんよ」

 どこへ逃げようとも、もう地上には安全な場所などないのだ。

 しかし最後の希望である場所が、この村で本当によかったと思う。

「それはそうと、そろそろ出発ですかな」

「はい、村長に挨拶を済ませてから行こうかと。もしもの時は──」

「心得ております。お任せください」

 それではと言いかけたその時、調子外れだが元気な歌声が響いてくる。

 目を向けると子どもたちの集団が、ちょうどこちらへ向かってくるところだった。

 先頭を歩くのは村長の孫のユッテで、金髪の幼子の両側からそれぞれヨルとクウが仲良く手をつないでいる。

 懸命に歌う愛らしい子どもらの姿にちらりと横に目を向けると、村長の顔には崩壊寸前と呼べるほどに満面の笑みが浮かんでいた。

「いや、村長だけじゃないな……」

 俺を含めた全員の顔が、気がつくと笑顔になっている。

「ああ、そうか。そうだな、これが一番の成果かもしれないな」

 龍のてんびんの傾きを戻すため、ひたすら村を発展させようと頑張ってきたが、もしかしたら逆だったのかもしれない。

 天秤のために幸福になるんじゃなくて、幸せだと感じた結果、天秤が動くのならそれでいい。

 一番大事なことは、みんなが笑っていられる場所かどうかだ。

「あくまでも目安であって、目的じゃないってことか……」

 なまじゲーム的な部分が残っていたせいで、そこに思考がとらわれていたようだ。

 もっとシンプルに考えるべきだった。

 誰かが笑うと、俺も楽しい。

 楽しいと、やる気がもっともっと湧いてくる。

「うん、単純な話だ」

 だが、そう思った瞬間、気持ちがすっと楽になった。

 腰に手を当てて、背を反らしながら息を吸い込む。

 そしてゆっくりと息を吐きながら、俺は今日の目標を改めて口にした。

「それじゃあ、八階の狼退治を頑張るとしますか」