耳慣れない小鳥のさえずりに、まどろんでいた俺の意識がゆっくりと目覚めていく。

 懐かしい夢を見ていた。

 朝、携帯のアラームで起こされて顔を洗いひげをり、電車に揺られて会社へ向かう。

 デスクにはしんちょく状況の報告が山積みで、モニターに貼り付けてある付箋には無情なる締め切りの日付が並ぶ。

「魔法のエフェクトの確認を午前中に済ませて、昼からモーションの詰めに入るか。あ、全体会議が一時からだったな。となると……」

 仕事に取りかかろうとしたその矢先、不釣り合いな鳥の声にまぶたが開いたというわけである。

「ふう、夢の中まで働いているとか」

 ちょうしながらベッドの上で身を起こす。

 太い木製のはりが走る天井に武骨な格子窓。テレビもなければ冷蔵庫もない。

「ああ、でも床が板張りフローリングなとこだけは一緒だな」

 ファンタジーな映画や漫画に出てきそうな室内の様子に、俺は深々と息を吐いた。

 俺ことにいまさみちは、前世はゲーム制作会社勤務のサラリーマンだった。

 そして今はニーノという名前で、なぜかゲームそっくりのこの世界の住人となっていた。

「ゲーム好きが高じて、ゲームづくりにまでハマった身としちゃ喜んでいいはずなんだが……」

 問題はそのゲーム、ドラゴニア・クロニクルⅡが目下、バッドエンドへまいしん中という点だ。

 手を伸ばし格子窓を押し上げた俺は、朝もやの残る空を見上げた。

 頭上に輝く銀色の月──その正体は、巨大な龍の閉じられたまなこだ。

 このままだと三年後に目覚める始まりの龍によって、地上のありとあらゆるものは焼き尽くされてしまう。

 もっとも生き延びる手段がないわけでもない。

「地上がダメなら、地下ってわけだ」

 ここ〝はじまりの村〟の近くに存在する隠しダンジョン、りゅうぎょくの宮殿。

 不思議な力で満たされたその内部に、人が住める場所を作り上げる。

 それが目下の俺の急務であった。

 大きく頭を振った俺は、視線を地上へと戻した。

 立ち並ぶ平屋の向こうには、青い麦たちがまだ肌寒い風に揺れていた。

 井戸端からはにぎやかな笑い声が響き、朝食のパンを焼くそうな匂いも漂ってくる。

 どこにでもあるのどかな農村の光景だ。

 そして、平凡だが決して失いたくない眺めでもある。

 再び聞こえてきた春告げ鳥の鳴き声に、俺は伸びをしながら声を上げた。

「さーて、今日も迷宮の開拓を頑張って、てんびんの釣り合いを戻しますか」

 俺の視界の右上に浮かぶゲームに出てきそうなコマンド画面。

 その縁に巻き付く龍のオブジェクトが手にするりゅうの天秤は、幸福を感じる人間が多いほどグッドエンド側へ傾き、逆に不平不満が多いとバッドエンド側へ傾いてしまう。

 そしてその天秤の皿は現状、バッドエンド側へがっつり落ち込んでしまっていた。

 さらに始まりの龍の目玉はすでに現れてしまったので、龍が目覚める流れからは免れようがない。

 ただし天秤を水平に近づけると、今後起こるはずの災害や厄介な事件イベントを減らすことはできる。

 そんなわけで今日もみんなを幸せにすべく、酒場へ続く扉を押し開けたのだが……。

 そこで待ち構えていたのは、部屋からあふれんばかりの村人たちの姿だった。

「へっ?」

 思わぬ状況に間抜けな声を上げる俺に、全員の視線がいっせいに集まり、一瞬の間を置いて──。

「おお、先生様、来たか! 俺は村一番の力持ちだぜ。切り株だって引っこ抜けるぞ」

「うそこくな! 腕相撲ならオラのほうが強かったべ」

「はいはい、腕力自慢なんて無駄なことはでやってちょうだい。ところで先生様、わたしの魔力、もっと伸ばしたほうがいいと思うんだけどどうだい?」

 朝っぱらから、なんとも元気なアピールっぷりである。

「お目覚めですか、あなた様。朝食の支度はできておりますよ」

「おっはよー! センセ。今日もいい探索日和だよ!」

 騒ぎ立てる村の方々を尻目に、平然と挨拶をしてきたのはエプロン姿の美女二人組だった。

 腰まで届く赤髪とチョコレート色の肌にメリハリの利いた体つきと、人目をきつけてやまない美貌の持ち主の名はパウラ。

 帝国貴族の大事な箱入り娘だったが、束縛を嫌って家出してきたというちょっぴり変わった経歴の持ち主だ。ただし貴族でありながらも性格はおっとりしており、周りの人気も上々である。

 さらにモンスターを従える魔物使いという職業に就いており、今や俺の右腕以上の存在となってくれていた。

 そんなパウラの隣で屈託のない笑みを浮かべる少女の名はミア。

 こちらはカールした金髪を後ろでまとめた愛らしい髪型に、美人というよりも可愛かわいいといったほうが似合う顔立ちで、同じく村の人気者である。

 元は酒場のお手伝いであったが、偶然からダンジョン探索に同行することになり、現在は村一番の魔術士となっていた。彼女もパウラと同じくダンジョンの探索班に欠かせないメンバーである。

「やっぱり年寄り連中よりも、若い俺たちのほうがきっと役に立つぜ!」

「若造がいっちょ前のこと抜かしよって! 年の功をなめるなよ」

「お。かに肉のスープか。これは朝から豪勢だな」

「ふふ、たんと召し上がってくださいな」

 押しかけてきた村人たちだが、肝心の俺をそっちのけで言い争いを始めたので、先に朝食をいただくことにした。ついでに食べながら二人に事情を聞いてみる。

「それで、この猛烈な売り込みはなんなんだ?」

「ああ、今すごく評判だからねー。えーと、なんだっけ。れべりんぐとかいうヤツ?」

 地下迷宮に安全圏を作ろうとするならば、必要となるのは資源の確保とそれを行う人材の育成だ。

 ただし危険な魔物のそうくつの開拓など、普通の人間には到底不可能な行為である。

 だが幸いにも俺には前世で得た知識と、これまで培ってきたチート級の錬成術がある。

 そんなわけで頼りになる仲間や一部の村人たちを補佐して、その戦闘用職業のレベルを上げてみたのだが──。

「もうみんなその話で持ちきりだよー。一回行っただけで力もりもりだもんね」

「一気にレベル上げてるから、体力や素早さが上がったのを実感しやすいんだろうな。おお、ものすごくしいな! この蟹スープ」

「それも理由の一つですよ、あなた様」

「なるほど。この美味さじゃ仕方ないか……」

 先日、迷宮の地下六階を探索した際に大蟹のモンスターと遭遇したのだが、その殻と肉を試食用に酒場へ提供したのだ。

 で、そのスープのあまりの美味さに我を忘れて売り込み合戦となり、それが加熱して口論になってしまったということらしい。

「みなさん、落ち着いてください。ちゃんと希望する方は全員、連れていきますから」

「でもよ、先生様。俺たちはいつになったら地下迷宮ってのに行けるんだ?」

「んだ。ちっともオラたちの中からは連れていってくれねえじゃないか!」

 不満の声を上げたのは、弓をひたすら練習していた一団だった。

 これも先日、村の方々の戦闘用職業の適性を確認して剣士、戦士、魔術士、弓士に組分けしたのが、どうやら不公平が発生しているのを気づかれてしまったようだ。

 ただしょせんはずぶの素人が、闇雲に的めがけて撃っているだけではそうそう弓は上達しない。

 もう少し形になってくれないと、戦力として厳しいというのが本音である。

 しかし弓士は、育つと強力な味方となってくれるしな……。

「安心してください。弓士になった方は、よりたくさんレベルを上げてもらう予定ですから」

 たちまち戦士認定された村人たちから、悲嘆と非難の声が上がる。

 数が多いだけあって、ちょっとうるさい。

「皆様、お静かに!」

 そこへ声を張り上げてくれたのは、このはじまりの村の村長であった。

 額に角を持つじんしゅの男性で、長年の農作業で鍛えられた体は大きくがっしりしているが、その物腰は柔らかで理知的な人柄の人物だ。

 そんな普段は温厚な村長の鋭い制止に、村人たちもたちまち声を潜める。

 静かになった酒場を見回した村長は、よく通る声で言い放った。

「勘違いされている方が多いようなので、きちんと言っておきましょう。我々が地下迷宮に入れるのは、あくまでもニーノ様がいらっしゃってこそなのです。その好意に甘え、厚かましくも催促するなど、言語道断な振る舞いとそしられても仕方がありません。これ以上のろうぜきは、この村からの放逐も考えましょう」

 威圧的な村長の物言いに、村人たちはいっせいに押し黙って目を伏せた。

 かなり厳しい言葉だが、これは非常に助かるくぎ刺しだな。

 あれこれ要求が増えてしまうと、優先すべき仕事が止まりがちになるのはよくあることだ。

 しかし不満をそのままにしておくと、組織そのものが立ち行かなくなる場合もありえる。

 ここは、どう動くべきか──。

「できたよー、センセ」

「うん、なんだこれ?」

「誰が行くかもめてんでしょ? だったらこれが早いよー」

 にっこり笑いながらミアが差し出してきたのは、わらの束であった。

 よく見ると数本の藁の先が、焦がしたのか黒くなっている。

「なるほど、くじびきか」

「これなら、外れてもうらみっこなしでしょ。ささ、みんな引いた引いた」

「さすがですね、ミア。素晴らしい解決法です」

 村長の一喝が効いたのか、村人たちは大人しく並んでくじを引き始めた。

 そして当たり外れに、激しいリアクションを繰り出す。

「やったぁぁぁぁああああ!」

「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」

「くそ、ない父を許してくれ……」

「天は俺を見放したのか……」

 ある意味、すごく楽しそうでもある。

 そんなわけで今回も、村人四人が無事に選抜できた。

「あれ? 村長はくじを引かなかったんですか」

「それについては少々お話がありまして。ニーノ様は、このところハンス殿ばかり連れていっていらっしゃいましたね」

「えっ、ああ、そうですけど……」

 ハンスというのはこの村と王都を行き来する行商人で、ミアの叔父にあたる人物だ。

 今は王都に向かう旅に出ており、戻ってくるのは月末になる予定である。

「ハンスさんには重要なお使いを頼んでますからね。安全のためにもレベルアップは重要ですよ」

「それはそうなのですが……」

 村長が何かを言いよどんだその時、不意に酒場の扉が大きく開かれた。

「けんざんー」

「くー!」

 タイミングを見計らったように入ってきたのは、青いスライムたちにまたがった二匹の魔物の子どもだった。黒いしま模様の入った紫色の毛皮に包まれた子どもの名はヨルで、黒い斑点入りの黄色い羽毛をまとったほうはクウという名前だ。パウラが実家から持ってきた卵からかえった双子なのだが、その正体はいまだ不明である。

「朝のまわりは終わったのか?」

 最近の二匹は腹ごなしを兼ねて、広場をぽてぽてと巡回しているのだ。

 ご機嫌にうなずくヨルとクウの背後には、小さな子どもたちがぞろぞろついてきていた。

 今日もたっぷり遊んできたのだろう。

 その中の一人が、こちらへ小走りに駆け寄ってきて楽しげに声を張り上げた。

「じいじ!」

「おうおう、どうしたんだい?」

 金色の巻毛を揺らす幼子の名前はユッテ。

 村長の孫であり、体が石のように硬くなる石皮病から回復したばかりでもある。

 愛らしい三歳の少女の呼びかけに、鬼人種の男性はたちまち相好を崩した。

「あのねぇ。よるちゃと、くうちゃ、すごいねぇ」

「うんうん。そうなのかい?」

「じいじもすごいの?」

 無邪気なその問いかけに、村長の肩がピクリと動く。

 静かに顔を上げた村長は、俺に視線を合わせると淡々と尋ねてきた。

「ところで……、ハンス殿のレベルは今いくつでしょうか?」

「えーと、19だったかな」

「……1しか変わりませんな、私と」

「言われてみれば、そうですね」

 真顔で俺の目をのぞき込んでくる村長。

 ちょっとどころじゃない圧を感じるな……。

「そろそろ私も連れていくべきだと、ご提案を申し上げます」

 なるほど、孫の前でいいカッコしたいというわけか。なんとも分かりやすい。

 ただし、くじを引かずに直接交渉してくる時点で、言っていることとやっていることが正反対である。

「そこは素直にくじ引きで当ててくださいよ。特別扱いはできません」

「そ、そんな……」

 自分の父親ほどの年齢の男性ががっくり膝をついて打ちひしがれる姿は、胸にくるのでやめてほしい。俺は急いで村長の肩に手を置いて、無理やり励ました。

「そのうちきっと村長の出番がありますから、それまでちょっとだけ我慢してください」

「本当ですか!?

「ええ、そうなればすぐにレベルなんて上がっちゃいますよ」

 すぐさま晴れやか表情を浮かべる村長。

 その隣で、なぜかユッテも満面の笑みを浮かべている。

 やれやれと息を吐いて立ち上がった俺は、悔しがる村人たちを見回してから口を開いた。

「では、こうしましょう。地下迷宮で取れた肉ですが、だいぶ余裕が出てきましたので、これからは少しずつですが無償で配給します」

 俺の宣言に、酒場中の目の色が一瞬で変わる。

 村人らの反応を確かめた俺は、そのまま言葉を続けた。

「同行して畑づくりを手伝ってくれた方や、道具の作成に協力してくださる方には、それとは別に希望する報酬をお渡しします。それと同行する方ですが、後になるほど報酬を多めにしましょう。これでいかがですか?」

 少々甘すぎる処置かもしれない。

 ただ一番重要なのは、村人たちをその気にさせていくことだ。

 一呼吸置いて、建物を揺るがすほどの歓声が上がった。

 さっきまでなかたがいしていた村人たちは、互いに肩を抱き合って喜びの声を上げている。

 なんとも単純すぎる気もするが、それがこの村のよいところであるからな。

「もし、まだ疑問や不安に思う点がありましたら、……そうですね。女将おかみさんまでお願いします」

 俺の言葉に、ミアの母親でありこの酒場のあるじでもあるエンニは、肩をすくめながら頷いてくれた。

「仕方ないね、引き受けるよ。ところで私の不満は、誰に打ち明けりゃいいんだい?」

「そ、そこは……。ハンスさんがきっとたんまり稼いできてくれますから」

 俺の言葉に女将さんは、器用に片目をつむったあと、ひらひらと手を振ってみせた。

 どうやらジョークであったらしい。

「じゃあ、そろそろ出発しますか」

「はい、あなた様」

「がってん!」

「くー!」

「今日もバリバリがんばっちゃうよー!」