【第4章】オカルトとは無縁の人生だったはずなのに
『探したぞ……【裏切り者のカーミラ】!』
「犬がしゃべってるぅ!?」
ここのところ、驚くことばかりの俺だが──今、目の前にある光景も、にわかに信じがたいものだった。
後ろから聞こえてきた空き缶の音に気を取られて、ちょっと後ろを振り向き、そして前に向き直ったら──いつの間にか、そこに痩せ衰えた野良犬がいたのだ。
しかも、人間の言葉を口にしている!
「慌てるでない、経真」と、しかしローラさんは落ち着き払っている。
「恐らくこやつは、ワシの客よ……ふん、それにしても『裏切り者』と来たか」
青い瞳が、刺すような眼光を野良犬に──野良犬の姿をした何かに送っていた。
「ワシはお主らを裏切ったつもりなどないがの。そもそも、ワシとお主らは仲間だったのか?」
『ほざくな、女狐!』
野良犬は一喝すると、「ギィィィィィ……ウギィィィィィィ……」と、気味の悪いうめき声を漏らす。それは少なくとも、犬が出すような声じゃない──!
『同族でありながら、人間と交わり、人の子を産んだ災厄の女、それが貴様だ! 本来なら、人と交わった時点で貴様は掟に従い、自らの命を絶つべきだったというのに!』
「……迷惑な話よのう。じゃからワシは、お主らに災いが及ばぬよう、夫の遺骨と娘を連れて、故郷を発ったではないか」
『黙れ黙れ! 貴様に正当な「処分」を下そうとしただけの我々を皆殺しにしておいて、その言いぐさは何だ!?』
「フン、惰弱な……一族の誇りとやらはどこへ行きおった? 老い先短いババアひとり見逃すこともできぬ、臆病者の群れが、知った風な口を利くでない」
──日本に来る前の話をしていることだけは、辛うじて理解できる。
しかし、裏切り者とか、皆殺しとか──野良犬の口から出てくる言葉が、尋常じゃない。いったい、ローラさんは何者なんだ!?
「それにお主……誰の眷属かは知らぬが、もうフラフラではないか。その様子じゃと、既に主もこの世にはおらぬのだろうが……そんな死にかけの有様で、ワシに何をできるというのじゃ?」
『ククク……毒針を飛ばすだけの力は、必死に温存してきたのだ……さあ、今すぐに、貴様を我が主のもとへ送ってやる……』
「…………何だこりゃ!?」
極めつけに物騒な台詞を吐いたかと思うと、野良犬は突然、体毛をすごいスピードで生やし、ハリネズミのように逆立てた。
「ば、化け物……!」
俺は茫然と、その様子を見ることしかできない。何だ、これは? こいつは、毒針で俺たちを殺そうというのか──?
「我が眷属、神浦経真よ!!」
──ローラさんが、空気を切り裂くような鋭い声を上げたのは、その時。
「汝が主・カーミラの名において命じる……我を抱き上げて、跳べ!!」
「えっ、眷属? カーミラ? それ、どういう意味──わあっ!?」
次の瞬間、俺の身体は勝手に動き出し、『美奈』の小さな身体を抱きかかえた。そして。
(ブワッ!)
「うわあああああああああああああああっっ!?」
周囲の建物の屋根や屋上より、さらに高くジャンプした。
──俺の意思とは無関係に!
「何だよっ!? 何だよこれはぁッ!?」
「落ち着くのじゃ、経真!!」
パニクる俺に、腕の中のローラさんが一喝した。
「ちょっと高いところから飛び降りるくらいの感覚でエエ! 落ち着いて、落下地点の屋根に着地せい! バランスを崩さぬことだけ考えるのじゃ!」
「そんなこと急に言われても──」
『その頼りない人間が、今の貴様の眷属か……笑止!』
「えっ……追っかけてきた!?」
後ろを振り向くと、さっきの野良犬が俺と同じ高さまで跳躍し、毒針を5本、10本とまとめて飛ばしてきたのだ。
「よそ見をするでない!!」と、すかさずローラさんの怒鳴り声。未だに全くワケが分からないが──少なくとも、あの犬に追いつかれたら一巻の終わり、それだけは何となく分かった。
とにかく、まずは着地に集中。階段を3段くらい飛び降りる感覚で、膝でショックを殺して──。
(ガシャン!!)
「あっ……着地できた! 瓦が何枚か割れちゃったけど──」
「今度は全力で前に跳べ! そのまま、屋根伝いに家まで帰るぞ!」
「全力って……まさか、さっきと同じくらいの勢いで?」
「モタモタするな!! 早う!!」
「は、はいいいいいっ!!」
(──ガシャン!!)
力いっぱい足を踏みきると、さらに数枚の屋根瓦を割りながら、俺の身体は10メートル以上前に進んだ。どうして俺に、こんなにジャンプ力があるんだ!?
「こ、これ、どういう仕組みなんだ!? 何か『けんぞく』とか言ってたけど、それも関係あるの!?」
「ええ機会じゃ、後で一切合切、全部説明してやるわ! ……あ、もしもし、美奈か? ワシじゃ♪」
「……えっ、この状況でケータイかけてんの!?」
急に日常モードのローラさんに戻るのを見て、俺はギョッとする。
だけど、それ以上ツッコミを入れる余裕もない。
『無駄なあがきだ! その眷属もろとも、毒針の餌食にしてくれる!』
しゃべる犬が毒針を撒き散らしながら、すごいスピードで俺を追ってくる。だから俺も全ての理屈を無視して、信じられない跳躍力で、駅前からアーケード街に連なる建物の屋根を駆け抜けた。
「……そうそう、あのまじないじゃ。昔、教えてやったヤツな。アレを唱える準備をして、店の前で待っておれ。経真と一緒に帰るからの♪(ピッ)」
「……え、ええと、美奈に何を話してたの?」
「ワシらを追いかけてくるワンコロの、供養の仕方じゃ♪」
──供養?
「ほら、そこがワシらの店じゃぞ! 最後は屋根から、店の前に飛び降りるんじゃ!」
「ひ、ひえええええっ……こうなりゃ、破れかぶれだ! そりゃあっ!!」
すごく怖いのを気づかないフリして、俺は叫びながら最後の屋根を蹴った。
ローラさんを腕に抱いたまま、俺の身体は放物線を描いて──何メートルも下の地面に、土煙を上げながら着地!
「…………こ、怖えええええええっ!! 何で死んでないんだ、俺えええええっ!!」
「お、お帰りなさい! すごいところから帰ってくるね」
涙目の俺のすぐ前に、目を丸くながら美奈が立っていた。
そこですかさず、ローラさんが叫ぶ。
「上から来るぞ!! 美奈、例のヤツじゃ!」
「う、うん!」
『カーミラ、観念しろおおおおっ!!』
見上げると、光をまとったままの犬が、吼えながら飛び降りてきた。
そして、体毛がなくなる勢いで、大量の毒針を発射する。狙いは、俺が抱きかかえたままのローラさん。
「危ないっ!」
俺は反射的に背を向けて、毒針からローラさんを守る。その時──。
「えーと、えーと……父と子と精霊の御名において!」
美奈の声が、アーケード街の一画に響いた。
「……汝に、祝福を授けます! 汝の御霊が苦しみの一切から解き放たれ、父の御許で永久に安からんことを!」
「え……美奈……?」
見ると──美奈が前方に突き出した右の掌から、白い光が放たれ、ゆっくりと広がっていった。
『な……何だと……!?』
そして、まるでその光に遮られているかのように、犬の化け物が空中で停止していた。こちらに放たれたはずの毒針は、まるで光の中に溶け込むように、消えていく。
「こ、このおまじないって……こんなことができるものだったの……?」
唱えた美奈自身も、驚いている。すると、俺の腕の中から飛び降りたローラさんが、さらに一喝。
「気を抜くでない! そやつの苦しみを憐れんでやれ! 安らぎを願ってやるのじゃ!」
「う、うん! ……汝に、満ち足りた、安らかな眠りをもたらされんことを──」
そして、気を取り直した美奈が、聖句を口にする。
すると、光は美奈の手を離れ、野良犬の身体をすっぽり覆い包んだ。
『そ……そうかっ……こいつが、貴様の娘だったのか……がぁ……き、消えるぅぅ……俺は、消えるのか、あぁぁ──』
苦しげなうめきに聞こえた声は、やがて小さく、穏やかになり──その姿と、そして光とともに、消えた。
「…………き、消えたのかっ? 消えるものなのか……こんな、手品みたいに……!?」
ついさっき、ローラさんに襲いかかろうと化け物が飛び込んできた──その角度を眺めながら、俺は我が目を疑った。
その様子を、アーケード街を行き交うお客さんや他の店の人たちが、不思議そうに見ていたが、
「……以上、『ホラーハウス・カーミラ』のハロウィン記念セールの宣伝でしたー! ちょっと格好良かったでしょ? 当店で扱っているホラーDVDは、どの作品もこんなシーンでいっぱいでぇす♪」
ローラさんが、とっさの営業トークをまくし立てると、みんな納得してそのまま通り過ぎていった。
「さ、さすがだ……」
つい感心してしまう俺だったが──正直、それどころではなかった。
ローラさんには、聞きたいこと、聞かなきゃいけないことが、山ほどあったのだ。
当面、真っ先に聞かなければならなかったこと。それは。
「結局……ローラさんって、何者!?」
「今日はそこまで踏み込んで話すつもりではなかったんじゃが……仕方ないのう」
そう呟いて、金髪少女は苦笑するのだった。
「前にも言うたことがあったじゃろう? この店には……本物の吸血鬼がおるのじゃ」
「はっ……?」
「我は、神浦ローラ……真名を『カーミラ』と言う……」
(……吸血鬼、だって?)
いくら何でも──いくら、母娘で人格が入れ替わってても──いくら、本来は母であるはずの『ローラさん』の身体の方が処女だったとしても。
──全ては、人間の範疇での話だと思っていた。
いや、驚きは恐らく、俺ひとりに留まらないのだろう。
「ママが……吸血鬼……?」
何しろ、隣に座っている美奈も、俺と同じようにショックを受けているのだ。この様子から察するに、彼女もまた、母の正体を知らなかったようだ。
「さて、何から話そうかの」と、リビングで俺たちの正面に座ったローラさんは、少しだけ黙って考えた後、いつものイタズラっぽい表情で告げた。
「じゃあ、最初はこれじゃ。実はの……美奈は、年齢詐称なのじゃ♪」
「…………えーっ!? ちょっとローラさん、冗談キツイよ──」
「い、いいのママ? それバラしちゃって?」
「って、ホントなのかよ美奈!?」
ギョッとして顔をマジマジと見つめると、美奈は少し頬を赤らめて、
「実は……ちょっとだけ、経真くんよりお姉さんなんだ。えへへ……」
「えーっ……い、いくつ上なんだ?」
「ちょっとだけは、ちょっとだけじゃ。女性に年齢の話を聞くのはタブーじゃぞ、経真」
「そうは言うけど──」
「口答えするなら、ワシの歳を無理にでも聞かせてやろうか? ヒクぞ? 吸血鬼は長命じゃからの」
「…………」
怖くて、とても聞けたものじゃない。
「というかじゃな、見れば、大体分かるじゃろ。美奈の本当の年齢が」
「……あっ、そうか」
その表現で、急に気づいた。ローラさんは回りくどい前置きを終え、本題に入ったのだ。
「そうじゃ……その身体こそが本物の美奈じゃ」
「……これが、本物の私の身体……」
美奈は、それまでママ(ローラさん)だと思っていた自分の身体を、下を向いてマジマジと見つめた。
「……この大きなおっぱいも?」
「左様。よかったのう、経真。この前は『ワシの完熟ボディ』と言うたが、本当は美奈の完熟ボディなのじゃよ♪」
「よ、よかった……って言っていいものなんだかどうだか……」
──とっさにはリアクションしづらい。確かに美奈は、微乳にコンプレックスを持っていた様子だが、『本当は巨乳でした』と言われて喜ぶのは、美奈とローラさんの両方に失礼な気がする。
「どちらにせよ、昨日の夜、その身体が処女じゃというのが分かった時点で、何となく察したじゃろう?」
「…………うん」
それは、俺たちがあえて、結論を先送りにした事実だった。何しろ、ローラさんの中身の方も男性経験がなくて、美奈は養女だった──という可能性も考えられたのだ。
だが、それ以上に、美奈の本物の身体が大人ボディだったとしたら──ローラさんの本当の身体も、ロリボディということで確定してしまうのだ。つまり。
「ひょっとして……本当にローラさんって、ロリババアだったの?」
「ウソというものは大抵、もっとリアリティがあるものじゃ。ワシが本当にロリババアでした……などという話、誰も真面目に取り合わぬわ」
「た、確かに……」
それに、そもそも吸血鬼がホラーグッズ専門店を経営してるなんて、話が出来過ぎだろう。そりゃ、ローラさんがいくら吸血鬼を自称したところで、みんな『そういう設定なんだな』程度の認識でスルーするのが当然だ。
ともあれ、本当の美奈が『ちょっと天然の入った綺麗なお姉さん』で、本当のローラさんが『金髪ツインテールのロリババア』ということは、分かった。そういう目で見ると、確かに美奈の風貌は『日本人とのハーフ』と言われても充分納得がいく。
ただ──それならそれで、大きな謎がもうひとつ。
「つまり、ふたりとも元の身体に戻ったということなんだよね……それなら、どうしてそもそも、ふたりの人格を入れ替えてたのさ?」
「…………」
ローラさんは小さく溜め息をつくと、「少々話が長くなるぞ」と前置きしてから、訥々と語り出した。
「そもそも吸血鬼……を含めた、『亜人類』と呼ばれる連中は、普通の人間には妖怪の類と恐れられることが多いが、ワシから言わせてもらえば『ちょっと特殊な少数民族』程度の、さほど珍しくない連中でじゃな──」
亜人類──普通の人類の源流であったり、人類から少しだけ枝分かれして進化した、いわば『ほぼ人類』の種族。
その中でも『吸血鬼』は、最もポピュラーな種族のひとつ。世界中に様々な吸血鬼伝説が残っているのは、そのためだという。
──中欧某国の国境地帯に広がる大森林地帯には、いくつかの吸血鬼部族が人目を忍んで暮らしている。ローラさんは、とある吸血鬼部族に生まれ育ったという。
近代以降のヨーロッパの吸血鬼は、まず人間の血を吸わないらしい。いくら個体で普通の人間より優れていたとしても、圧倒的に数で勝る人間と正面から戦えば、勝てるはずがないからである。
吸血鬼は人間に手を出さず、木の実や小動物を糧として、森の生態系を維持するよう努めることで、辛うじて人間の各国家から存在を黙認されていたらしい。
ところが──ここ数十年は、少ないながらも一定数、人を襲う吸血鬼がいるという。風土病説、環境ホルモン説など、様々な理由がまことしやかに語られているが、ともあれ、放置していれば人間に多大な被害が及び、翻って吸血鬼たちも人類との対決リスクが高まる。
かといって、人口の少ない吸血鬼が自分たちで『危険な吸血鬼』を排除するのは、物理的に無理がある上、部族内、あるいは部族間で確執が発生する恐れがある。
そこで生まれたのが、『狩人』と呼ばれる、対吸血鬼専門の賞金首稼ぎ。吸血鬼の代行として『危険な吸血鬼』を始末することで、各国政府がそれらの首にかけた賞金を稼ぐのである。
──数十年前までは平穏に暮らしていたというローラさんにとって、人生最大の転機は、自分たちの集落に現れた『狩人』に恋をしたことだという。日本では教会の牧師を務めていたというその男に一目惚れすると、ローラさんは本人から日本語を学び、狩人の仕事を手伝い、しまいにはその狩人と結ばれて、一人娘を生んだそうだ。
「それが美奈……お主じゃ。要するに、日本人と吸血鬼のハーフなんじゃな」
「私が、吸血鬼のハーフ……知らなかった……」
「というより、龍真伯父さんって、牧師さんやってたの!? 写真だけ見ると、むしろ剣道の師範にも見えるぞ」
龍真伯父さんと3人で、一時期は幸せな家庭を築いていたローラさんと美奈。
しかし、どうしても避けられない転機が訪れた──伯父さんが天に召されたのだ。
「人間と吸血鬼の寿命は異なる……いずれは別れの時が来ることも分かっておった。哀しいことじゃがの」と、ローラさんは寂しそうに呟いたものだ。
そして、龍真伯父さんの死によって、母娘に試練が訪れた。
『危険な吸血鬼』たちに、襲われるようになったのである。
もちろん、『狩人』であった伯父さんがいなくなったことで、復讐心に猛る連中が多かったこともあるのだろう。
ただ、もっと切実な理由があったと、ローラさんは言う。
「ヴァンパイア・ハーフ……人と吸血鬼のハーフは、『狩人』として最適の特徴を持っておるのじゃ。概して、吸血鬼からの魔法・妖術が効きづらく、逆に吸血鬼に対する術が効きやすい」
「……ああ! さっき、野良犬の化け物が言ってたのは、そのことか!」
『同族でありながら、人間と交わり、人の子を産んだ災厄の女、それが貴様だ! 本来なら、人と交わった時点で貴様は掟に従い、自らの命を絶つべきだったというのに!』
「左様……多くの吸血鬼部族で、吸血鬼と人間が交わることは禁忌とされておる。同族の身でありながら、同族を狩るために生まれてきた存在……それが忌まれること自体は、仕方のない話であろうよ」
──苦い表情で語るローラさん。その口振り自体が、言外にもうひとつの事実を語っていた。
「同族を狩るって……さっきの話だと、ローラさん自身がまさにそれだよね……龍真伯父さんの狩人の仕事を手伝ってたって……」
「惚れた弱みじゃ!」と、ローラさんは悪びれない。
「どちらにしても、禁忌は禁忌じゃ。逆らうつもりがないなら、受け容れるか逃げるしかあるまい。そして、美奈がいる以上、逃げるしかあるまい……じゃからワシは、美奈の記憶を一部封印した上で、秘術を施したのじゃ」
「「…………!!」」
俺と美奈は思わず、お互いの顔を見合わせた。
「ワシと美奈の人格を入れ替え……万が一にも、美奈が狩人としての才を発揮できぬようにした……それが、ワシらにできるケジメじゃった」
なるほど──そこまでの重い理由があって、ふたりの人格が入れ替わっていたのか!
「美奈の狩人の才は、さっき見た通りじゃ。普通の人間ならちょっとした縁起物程度の聖句が、こやつの口から語られれば強力な浄化の術となる。あの哀れな眷属も、ようやく安らかな眠りを得られたであろう」
そして、そんな存在があること自体、吸血鬼にとっては危険きわまりなく、できるだけ滅ぼしておかねばならない──と考えるわけか。
ローラさんはさらに続ける。
「本当は、美奈が無事に学校を卒業したら、ここまでの話を打ち明け、今後も幼きワシの姿のまま生きるか、美奈本来の身体に戻るかを選ばせるつもりだったんじゃがの……何しろ先にも言うた通り、人と吸血鬼の寿命は異なる。年老いたとは言え、ワシの身体はなおお主らより長生きするじゃろう。そして長命であるということは、メリットでもあり、デメリットでもある……」
「……ママ……」
美奈の顔に、寂しげな表情が浮かんだ。母にとってはあまりにも早かった父との別れを、思いやったのだろう。
「……ただ、予定が狂った! ワシはここに来るまでに、できるだけ吸血鬼としての霊力を使い果たし、普通の人間として暮らせるように心を配ったつもりじゃったが……どこぞの助平が吸血鬼の身で、人間の血を吸うてしもうたからの♪」
「えっ……それって……」
「初めてまぐおうた時、美奈よ、お主は経真の首筋を噛みついたじゃろ? アレでできた歯形はかすり傷程度じゃが……霊力を回復させるには、かすり傷を舐める程度でも充分なのじゃよ」
「……だからローラさん、俺が噛まれた跡を、あんなに気にしてたのか!」
「そういうことじゃ。アレによって、ワシの身体は吸血鬼としての力を取り戻し、お主は美奈の『眷属』……つまり使い魔になってしもうたのじゃ」
「使い魔? ……それ、美奈の言いなりってこと?」
「そういうことじゃ。自分を普通の人間と思っておった美奈に、経真を眷属として使役するという発想はなかったわけじゃが……」
「え……あ……そんなつもりじゃ! 私、別に経真くんを言いなりにするとか、そんなつもりじゃなかったんだよ! 許して?」
途端にオロオロし始める美奈。もちろん、よからぬ意図があの時の彼女にあったとは、全く思っていない。というか──。
「我が娘は可愛いのう♪ のう、経真よ」
「うん、可愛い」
「ちょ、ちょっとふたりとも、そういう生暖かい目で私を見るのはやめてーっ!」
──美奈が恥ずかしそうに頭を抱える。うん、やっぱり可愛い。
「で、まあ、ワシのこの身体が、霊力を取り戻したことで……恐らく、本来あるべきワシの人格を、取り戻してしもうたんじゃろうなあ……そして、元々持っていた能力も、不完全ながら戻ってしもうたと。体力測定の徒競走は、経真も見たじゃろ?」
「あ、うん。すごいタイムを出してて、ビックリした」
「ワシもビックリじゃ。あんなに力が戻っておるとは思うてなかったから、ちょっと良いタイムを出しすぎた。ついでに言うと、あの時お主がバレーボールを破裂させたのも、恐らくは眷属の能力じゃな」
なるほど──あの時の俺は、ボールの方に問題があるのかと思っていたが、あれも単純に、俺がデタラメにパワーアップした結果だったということなのか。
「ただ、先も言うた通り、美奈には眷属を使うなどという発想もなかった。じゃから、万が一のことを考えて、ワシもお主の血を少しだけ頂いて、ワシの眷属になってもらったのじゃ……ま、1週間もすれば影響力がなくなる程度の、弱い呪いじゃがな」
──ああ、あの時トイレでエッチしたのは、そういう狙いもあったのか。まあ、ローラさんのことだから、単にエッチをしたかっただけだとも思うんだけど。
「まあ、ワシがアクシデントを見越してなかったのが迂闊とも言えるが……それも含めて、要するに『こうなる運命』じゃったんじゃな♪」
「……だってさ、美奈。きっと、俺がキミに告白した時点で、こうなることが決まってたんだよ」
「……何と言えばいいのか……ママにも経真くんにも、ものすごく申し訳ないことしたなあって、ジワジワと罪悪感が……」
自主的に正座を始める美奈を見て、俺とローラさんは顔を見合わせて爆笑するのだった。
「ところで、どうやって龍真伯父さんと知り合ったの? 敵味方でないにしろ、吸血鬼と狩人なんて、あまり交流を深められる間柄じゃないだろうに」
「ワシの『カーミラ』という真名と、あやつの『カミウラ』という苗字が似ておったからの。恋のきっかけなぞ、単純なものじゃ♪」
(…………そんなんでいいのか? 伯父さんもローラさんも……)
(しかし、吸血鬼とヴァンパイア・ハーフ、そして眷属かぁ……まさか、そんなオカルトな家族になっていたとは)
翌日。歩き慣れた道を進みつつ、俺は昨日のことを思い返す。
(不思議なもんだなあ……ローラさんが吸血鬼だと聞いたら、もっとビックリしたり怖がったりするべきなんだろうけど、ちっともそんな発想が湧いてこなかった)
眷属になった影響なのか、美奈に惚れた弱みなのか、そもそも家族とはそういうものなのか──ハッキリとした答えは、未だに分からない。
ただ、特に後悔はなかった。やっぱり俺は美奈が好きで、きっとローラさんも好きなんだろう。だから俺は、あの母娘を──俺の家族を信じる。それだけだ。
「問題は、コイツだな……上手く説明できるといいんだけど……」
前方に見えてきた鳥居をチラリと見てから、俺はスマホのメール画面に視線を落とす。
『美奈のことで話があります。今日18時、ひとりでウチに来て。 恬子』
「上がって。何もないけど」
「お邪魔しまーす……久々だな、ここに来るのも」
陽も落ちて、空が次第に暗くなっていく中、『浦斗賀茂神社』社務所の大広間が蛍光灯で照らされた。
「春先に、美奈と3人でテスト勉強をしたのが最後かな」
勝手知ったる何とやらで、俺は広間の片隅から座卓テーブルを用意し、座布団を2枚敷いて、片方に座る。
「まあ、子供の頃みたいに、ここでかくれんぼとかするわけにもいかないしね」
などと返しながら、恬子はポットでお茶を淹れ、俺に出してくれる。
「ちょっと沸かしが足りなかったかな。温くてごめんね」
「だいじょぶだいじょぶ、喉が渇いてたしさ」と、俺は手渡された湯飲みの中身を一気に煽る。
「アンタ相変わらず、お茶の一気飲みが好きねえ。それで何回、口の中をヤケドしたのよ」
「ハハハ。この妙に渋いヤツを、口いっぱいに頬張るのが、昔から何か好きでさ……ありがとな、温いお茶を出してくれて」
「えっ?」
礼を言う俺に、何故か意外そうな顔をする恬子。そんなに意外そうにされると、こっちは心外だぞ。
「気を利かせて、俺好みの温度で淹れてくれたんだろ、これ? いつも悪いな」
「……別にそんなんじゃないわよ、もう」
「…………?」
恬子のリアクションは、あまりよろしくない。
──今日の『本題』が気になってるのかもしれないな。
じゃあ、こちらから切り出してやるか。
「ところで、美奈のことで話があるんだって?」
「あ、うん。最近どうかなって思って」
「どうかなって……お前、そんなに猥談聞きたいの?」
「何故そうなるっ!? ……あ、アラやだ、ごめんあそばせ、オホホホホ」
「何だ、その不自然なリアクションは」
うーん──この挙動不審な態度はやっぱり、美奈のことで何か感づいてるな。
「たださ、何ていうの? ……アタシにも、何か言うこと、あるんじゃないかなあ」
「んー、恬子に言うことか……ふぁ〜あ……」
「人の話を聞きながらアクビしてんじゃないわよ」
「悪い悪い、昨日はちょっとゴタゴタしてて、疲れが取れてないのかも……」
謝りつつも、考える。
恬子に──この信頼置ける親友に、どこまで正直に話せばいいものか。
たぶん、ある程度のことは信じてくれると思う。俺たちの味方にもなってくれると思う。
だけど、コイツに美奈やローラさんの運命を、どこまで背負わせても許されるものかなあ──好意に甘えて、あまり重すぎる話を聞かせるわけにもいかないよな──。
「そうだなあ……何から話せばいいかな……あふ……」
「話せることだけでいいから。もちろん、秘密も守るし。それより、ウツラウツラしてんじゃないわよ」
「いや、ごめん……ホント、ごめん……んー……どうしようかなー……んー…………」
何を話すべきか、グルグルと考えを巡らせながら──俺の意識は睡魔に飲まれて、墜ちていく──。
◆
「……経真? おーい、経真ー。寝ちゃったのー?」
テーブルに突っ伏した経真の肩を、ユサユサと揺する恬子。
経真が手にしていた空の湯飲みが、テーブルの上に落ちた後、ゆっくり転がって、さらに畳の上へゴトンと落ちる。
それでも、経真は起きない。
「…………効いたわね、睡眠薬?」
最後に一言かけると、恬子はおもむろに立ち上がり、経真をひとり残して大広間を出た。
「次は、肌襦袢に着替えなきゃね」
両親は、地域の宮司の懇親会のため、外で一泊する。そちらの心配はない。
「それでも、急がなきゃ……経真のことは、アタシが助けてあげなきゃ」
使命感みなぎる一言を呟きつつ、恬子は『準備』を進めた。
「美奈よ、経真のヤツはどうした? 『寄るところがあるから、今日は先に帰ってて』と言われたんじゃが……」
「え? 経真くんならさっき、『今日は外でご飯食べるから、夕飯は要らない』ってメールがきてたよ?」
「……ふーん?」
神浦家では、娘の報告を受けたローラが、訝しげに顔をしかめていた。
「もはや、昨日のような霊気はどこからも感じぬが……妙じゃな。何しろ、昨日の今日じゃから、もう少し何者かに襲われる可能性は警戒した方がええのじゃが……」
と、そこまで考えてから、ひとつの可能性がピンとひらめく。
「……ほっほう♪ そういえばそういえば……よし、美奈よ!」
「どうしたの、ママ?」
「ワシはちょっと、心当たりに出かけてくる! 追いかけてくるなよ? くれぐれも、追いかけてくるなよ!?」
そして、娘が何事か言葉を返す前に立ち上がり、ダッシュで家の外へ飛び出すのだった。
「えっ、ちょっとママ、どういうこと!? ……ていうか、あんなに念入りに追いかけてくるなって……ひょっとして、逆に追いかけてきてほしいの? ねえ、ママーッ!?」
黒髪美女の怪訝そうな声が、しばらく神浦家にこだまする──。