「あたしね。たぶん、命を懸ければ、あなたのことを消せるよ」

「まあ、そうかもしれないわ」

 意外なほど理知的に、万魔殿パンデモニウムはマヤの言葉を肯定した。

 この二人の間で鍵となっているのは、マヤの記憶だ。さらにマヤの肉体は万魔殿パンデモニウムと同一である。同じ人間から分離したのだから当然だ。

 つまりマヤは、万魔殿パンデモニウムと導力の相互接続をすることができるのだ。

 マヤの記憶を万魔殿パンデモニウムに流しこめば、記憶を取り戻したマヤが小指から独立したように、目の前の片腕もマヤとなる可能性がある。導力の相互接続という鬼札があるからこそ、この距離まで迫られた万魔殿パンデモニウムはマヤに対して迂闊うかつな手出しができないでいる。

「まぁ、そんなことされたら、赤い靴に踏み潰してもらうわよ。ここらの人はみーんな、ぺちゃんこね」

「そうでしょうね。あたし、死にたくないわ。メノウもサハラも死なせたくない」

 周囲のすべてを人質にとった万魔殿パンデモニウムと、その気になれば万魔殿パンデモニウムを自分と同じにできるマヤ。

 いまこの時だけ、マヤと万魔殿パンデモニウムの手札は拮抗きっこうしているのだ。

「だからさ。いまはあなたのことを見逃してあげるから帰ってくれない?」

「とっても生意気ね。たかが小指が、何様のつもりかしら」

 マヤと万魔殿パンデモニウムが、互いに静かに見つめ合う。

 本来ならば、同時に存在するはずなどない二人だ。

 人災ヒューマン・エラーと、その前の『迷い人』。

 どちらも引くほどの理由はなく、かといって強行できる確信もないまま見つめ合う。その睨み合いの中、マヤはふと視線をらした。シアタールームの座席。そこに、文字が書かれていることに気が付いたのだ。

『B級映画も最後まで座って見ようぜ。グッドラック、マヤ!』

 ノノからの、最後のメッセージだった。それだけ見れば、なんだこれはとなる書き残しだ。こうなることがわかっていた伝言を読んで、天啓のように言うべき台詞せりふが思い浮かんだ。

「ねえ」

「なに?」

「あなたは、エンドロールは見て帰る?」

 万魔殿パンデモニウムは、すぐには答えなかった。マヤは構わずに、自分のことを話す。

「あたしは最後まで残らず見届けて、明かりがいてから帰りの準備を始めるわ。それがマナーだもの」

「そうね」

 小さく答えた万魔殿パンデモニウムの瞳が、赤い導力光で輝いた。

「結局、そういうことだわ。あたしとあなたは、まったくの別物ね」

『導力:生贄供犠──混沌癒着・純粋概念【魔】──召喚【空を自由に飛んでみよ】』

 攻撃かと身構えたマヤの予想とは裏腹に万魔殿パンデモニウムの腕が変容して、魔物の翼と変わる。

「あたしだって、あなたになんか、万が一にもなりたくないわ」

 万魔殿パンデモニウムは羽ばたく。なにが琴線に触れたのかはわからないが、どうやら引いてくれるらしい。

「それでも、覚えておくといいわ。どうせあなたも、あの人も、あたしが飲み込むよりももっと素敵な結果をもたらしてくれるもの」

 空を飛び、上空にある赤い靴のつま先に座る。万魔殿パンデモニウムを乗せた足は徐々に持ち上がっていき、空の亀裂の内側へと戻っていった。

「純粋概念を宿して生きている限り、人災ヒューマン・エラーからは逃げられないわ」

 心に這い寄る一言を残して、空の亀裂の彼方に万魔殿パンデモニウムは消え去った。

「わかってるわよ、そんなこと」

 マヤは、ぽつりとつぶやく。

 自分も、メノウも考えなければいけないのだ。

 純粋概念を使った代償を、どう支払うのか。

 どうしようもないかもしれない考えを巡らせていたマヤの頭に、ぽんと手のひらが乗せられた。

「お疲れ様、マヤ」

 くしゃくしゃと髪を乱して頭をでられる。

 マヤは上目遣いでメノウを見た。

「……聞いてた?」

「ええ」

 メノウは頷く。自分がアカリの純粋概念を使えるようになって以来、考え続けてきたことだ。

「それも含めて、どうにかするためにここまで来たのよ」

 環境制御塔の上部を『絡繰り世』に送り、【星読み】の上半身はアビィが格納した。解析が終われば、『星骸』の管理権限も手に入れることができるだろう。

『星骸』が異世界送還陣であるのならば、逆算することで異世界召喚の魔導構成に触れることができる。この星の根幹、世界の【力】の源に接続できれば、純粋概念すら魂から引きはがすことができる。

 マヤは、間に合うはずだ。自分で言っていた。彼女の【魔】は記憶の消費が少ない、と。

 メノウとは、違うのだ。

「だから、ほら」

 メノウがほほ笑んで、下を示す。

 地面にはアビィとサハラがいた。戦闘の終わりを察して、二人に手を振っている。

「とりあえず、あの二人に万魔殿パンデモニウムを撃退してやったって自慢しましょ」

「そうね……うん! メノウの言う通りだわ!」

 考えることは多くとも、いまの一時だけは、暗い考えを振り切ってマヤたちは地上に待つ仲間たちのもとに降り立った。