「まさか。落胆する要素なんてないわ」

 ノノの質問は鎌かけだ。いまの台詞に彼女の本心は一つも含まれていない。

 メノウは会話の裏で彼女の意図を読みながら返答する。

「むしろ重要度は増したわ。ただ強力なだけの兵器より、よほど使いようはあるもの。ハクアにとっても、最重要な場所でしょう」

 ゲノムによる占拠を許しているのが不思議なほどに。

 あるいは、ゲノムが先んじて環境制御塔を占拠することで、ミシェルを牽制けんせいしたのか。

「そうだね。君の考えている通りだ」

「……考えている通り、ね」

『言う通り』ではなく『考えている通り』。

 ノノの言葉選びに、やはり一縄筋にはいかない相手だと警戒心を高める。

 必中の未来視。人災ヒューマン・エラーにならない異世界人。マヤから断片的に聞いた彼女の情報から、なにを聞き出すべきか会話を組み立てる。

 その思考すら、星の浮かぶ瞳に見透かされている可能性は覚悟の上だ。

「昨日が初対面なのに、私の考えていることがわかるの?」

「当然。ボクをだれだと思っているんだい?」

「はいはい。天才美少女ノノちゃん、でしょ」

「その通り!」

 ノノは、ぶいっとピースサインをつくった二本指で自分の瞳を指差す。

「ボクの瞳にけて、一つ、断言しておこう。『塩の剣』の効果を解除する方法はない。過去にも、現在にも、そして未来にも」

 それは、メノウにとって重大な意味を持つ情報だった。

『塩の剣』。

 千年前に一つの大陸を塩に変え、海に溶かした清浄の権化。いまはアカリの体に刺さっている純粋概念【白】の破片だ。

 半年前に、メノウがアカリに突き刺した。

【時】の純粋概念に飲まれて人災ヒューマン・エラーと化していたアカリを救うために仕方なかったとはいえ、メノウがアカリを殺しかねない一手だった。人災ヒューマン・エラーとなったアカリが放った世界規模の魔導【世界停止】を一点に集めて『塩の剣』の効果と拮抗きっこうさせることには成功したが、重大な問題としてふさがっている。

 いまもなお、あの時の一刺しはアカリを殺し続けているのだ。

「それは、絶対?」

「絶対。ハクア本人ですら、不可能だ。抜いたところで塩化はまらない。あれは魔導制御を放棄して、【白】の純粋概念の一部をそのまま剣にしたものだからね」

 いくつか反論が浮かんだ。

 同等の魔導をぶつけての相殺。塩化している部分を切除することで最低限にとどめる方法。ハクアを殺害することで塩の浸食が解除される可能性。

「うん。どれも通じないよ」

 メノウが漠然と考えていた方策は、口に出すまでもなく、否定された。

「アカリを助ける方法はないって言いたいの?」

「うん。アカリちゃんの体は潔くあきらめるべきだね」

 メノウも薄々察していたことを、ノノは情け容赦なく言葉にする。

 この半年、メノウはアカリを助けるために奔走した。ハクアに対抗するためにアーシュナと協力してグリザリカ王国を第一身分ファウストから独立させ、勢力としてある程度拮抗できるようになった。

 ハクアに対抗する手段はそろいつつあるというのに、アカリを救うための一手が見つからなかった。そしていま、そんなものは最初から存在しないんだという情報を突きつけられている。

「あなたは」

 短く言葉を区切って、メノウはノノをにらみつける。

「どうして、そのことを私に伝えたの?」

「いまの君の最大の目的は、アカリちゃんだ。彼女を助けるにはボクが言ったことを踏まえて、これからどうすればいいのか判断したまえ」

 その言葉に、嫌というほど思い知らされる。

 彼女の眼力は確かだ。アカリを救うためには根本的に違う選択肢をとる必要がある。ノノは言外にそう説得しているのだ。

 終始、会話の主導権は握られたままだった。

 だがいまの会話でわかったこともある。

「ノノ。あなたの未来視は疑いようもないわ。洞察力も大したものだと思う」

「そうだろう? わかったのなら『ノノちゃん天才美少女!』と褒めたたえてくれたまえ!」

「ただ、未来が見えるのはうそじゃないにしても、自分が見えている未来に私たちを誘導しているでしょう?」

 じっとノノの星の瞳を見つめる。

 ノノは、これからのメノウの動きを限定させるために『塩の剣』の情報を差し出したのだ。そうでなかったら、いまのタイミングで『塩の剣』のことを持ち出す理由がない。

「うん」

 果たして、彼女はあっさりと認めた。

「この現状は、ボクの責任でもあるからね。いくつかある結果のうち、一番マシな場所に着地させたいと思っているよ。それがボクにできる贖罪しょくざいだ」

「あなたにとって、でしょう」

 未来は、いくつかの行き先があるらしい。ノノからこぼされた情報を咀嚼そしゃくしながら問いかける。

「あなたはハクアをどうしたいの?」

 ノノにとって穏当な着地点がメノウにとっての望みになる保証はない。

 メノウは、ハクアを排除したい。

 メノウとハクアは相容あいいれない。アカリとの再会に、ハクアは邪魔だ。ハクアとしても同じ気持ちだろう。

 だが、ノノの心情はどうなのか。

 マヤを見ていればわかる。

 千年前に仲間だったという彼女たちのきずなは、決して薄いものではないのだ。

「うーん……」

 ノノは腕を組んで首を斜めにする。

「悪いけど、ボクにはどうにもできない。遺跡街で起こる危機的な状況を軟着陸させるまでがボクの限界だからね」

「責任とか言っておいて無責任ね。具体的になにがどうなるか、教えてくれない?」

「秘密。ここで明かしてよくなることが、一つもないからね」

 昨日の夜も同じ返答だった。思わせぶりな態度にあきれてしまうが、聞き出すのは無理だろう。

 二人は笑顔を交わした。

「しかたないわね。環境制御塔に着くまでは、仲よくしましょう」

「ぜひともお願いするよ。ボクはか弱き美少女だからね。守ってくれたまえ!」

 少なくとも『遺跡街』まで来たことは、無駄足にはならない。

 ノノを環境制御塔に連れていく。彼女が【星読み】なのだから、『星骸』の管理権限を手に入れるまでの利害は完全に一致しているのだ。

「ふふっ。君の師匠に会った時を思い出すなぁ」

 笑みを零しながらノノが切り出した意外な内容に驚き、メノウは目をしばたたく。

導師マスターに会ったことがあるの?」

「攻撃衛星の起動権限を取得した時にね。危ないから注意しにいった。【光】の純粋概念があるとはいえ、よくあんなもん見つけたと思うよ」

「あぁ……」

 ハクアとの戦いの時にメノウも見た、空から大出力の導力を収束して打ち落とす一撃だ。長年かけて海に溶けて島ほどに小さくなっていたとはいえ、塩の大地にとどめを刺して海の藻屑もくずとした威力は忘れられない。

「あれ、使えないの? あれこそハクアへの有効な攻撃手段じゃない」

「無理無理。ボクの領分じゃないよ。衛星とつながる通信導器がないもん」

「あれはあなたたちが作ったものじゃないのね」

「むしろ、敵対勢力の産物だね。ボクらへの攻撃手段だったんじゃないかな? あれを乗っ取った【光】の子には拍手を送りたいよ」

 導師マスターが切り札にしていたあれは、【光】の純粋概念ありきの力だったのだ。

 ノノと話しているうちに、寝床にしているマヤとサハラが待っている部屋に戻った。

 キングサイズのベッドでは、上下逆さまになったマヤの素足がサハラのほっぺたに乗っていた。悪意のない寝相に蹴飛けとばされているサハラはやや寝苦しそうにしながらも、起きる様子はない。

「よく寝てるわね、この二人は」

「寝る子は育つんだよ。いいことさ」

 戦闘続きの旅にあって、日常を感じる瞬間は嫌いではなかった。

 いまも、アカリと旅した昔も、あるいは処刑人時代に補佐官だったという記憶にない少女とも、そうだったのかもしれない。

 消えてしまった記憶に後ろ髪を引かれながら、メノウはサハラとマヤをたたき起こした。


「気を取り直して、はい。ボクたちが目指す場所はここだ!」

 シアタールームで、メノウたち三人はノノの説明を受けていた。

「中央にある環境制御塔。その上部に限定する」

 素体となっている魔導兵の機能で操作しているのか、巨大なスクリーンに遺跡街のマップが映し出される。説明用として使うには大きすぎて逆に見づらい。

「なんで上だけ?」

「いい質問だね、サハラ君」

 ノノがご満悦な様子で答える。

「『星骸』の管理権限は、上半分にあるんだ。制御室にボクという端末が到達することで、晴れて管理権限は移譲できる」

「下の塔は?」

「遺跡街の維持システムだね。今回は君たちに関係ないから無視してくれ」

 当然のように始まった話に、今度はメノウが質問を投げかけようとした時だ。

 突如として、シアタールーム後方の扉が吹き飛んだ。

「よお」

 乱暴な物音にマヤがあ然として、メノウとサハラが臨戦態勢を取る。注目が集まる中、ひそむこともなく堂々と姿をさらした男には顔がなかった。

 右目を中心にして、顔面にこぶし大の穴が空いている。ポッカリと空いた穴から、とめどなく導力光が流れ出している。

 あまりにも特徴的な姿を見て、メノウとサハラの全身が総毛立った。

「サハラ!」

 一声で、通じた。

 サハラがマヤの首根っこをつかんで逃亡をはかる。幸運なことに、シアタールームの出口は複数ある。慌ててサハラの背中を追うノノとは対照的に、メノウはその場に残った。

 ちらり、と顔のない男がサハラの背中に視線を向ける。相手の眼球の動きを隙と見て、メノウは踏み込んだ。

 だが、数歩で飛び退く。直前までメノウがいた場所に、多数の小さな穴が穿うがたれる。

 先ほどまで無手だった男の手に携えられているのは、導力銃だった。弾痕からして、散弾銃である。

 単発拳銃型の導力銃ですら禁忌として厳しく取り締まられている中で、流通すること自体が珍しい導力銃だ。そんな貴重なはずの導力銃を惜しげもなく放り捨てた男は、穴が空いた顔に手を突っ込む。

 顔面の穴から、新たな導力銃が出てくる。

「まさか、そっちから本人が攻めてくるとは思わなかったわ」

 うわさ通りの姿と能力にメノウは男の正体に確信を深める。

「あんたがゲノム・クトゥルワね」

「ご明答。『陽炎フレア』の弟子が俺の名前を知ってるとは、嬉しいじゃねえか」

 ゲノムがメノウに銃口を向ける。

 銃弾が吐き出された。銃声が一つなぎになって響き続ける。フルオート。しかも一発一発が並の導力銃の威力ではない。使用者の導力を吸い上げている関係上、並の人間ならば十秒と持たずに魂が干上がりそうな威力で弾丸がき散らされる。

 散弾銃の次は機関銃だ。切れ目のない掃射の中を、メノウはジグザグに駆け抜ける。導力強化の残光を追いかけて弾丸が着弾し、シアタールームの座席を吹き飛ばす。

 弾丸が拡散する散弾銃と違って、機関銃の弾道は銃口の直線上に限られる。男の腕の予備動作から銃身の向きさえ見切れば回避は可能だ。

 だがメノウが接近しきる前に、男が持つ銃口がまったく別の方向を向いた。

 その先にあるのは、いままさに扉から脱出しようとするサハラの背中だ。

「ほら、どうする?」

 メノウがカバーできる範囲ではない。ゲノムの口元が嫌らしい笑みにゆがむ。

「二倍速」

【導枝】で編まれた銃身の中で、導力弾が高速回転を始めた。

『導力:接続──不正共有・純粋概念【時】──発動【劣化加速→導力弾】』

 ねらいはゲノムに向けない。銃口を動かして狙いを定める時間が惜しい。

 足元に加速した銃弾を放った。

 メノウの放った弾丸が、床を穿った。【加速】を付与された弾丸の威力に耐えきれず崩れ落ち、メノウとゲノムはもろともに転落する。階下は受付があったエントランスホールだ。崩落の土煙を目眩めくらましに、導力迷彩で周囲の光景に溶け込んだメノウが背後をとる。

 完全な死角をとった攻撃を、ゲノムはかわした。

 目では追えていなかったはずだ。音も崩落に紛れ込ませた。普通ならば、いまのタイミングで躱せるはずがない。

 けれどもいまは躱された理由を考察している時間すらも惜しい。疑問を振り切る。驚きも疑念もねじ伏せ、短剣銃を抜く。

「おっ?」

 メノウが握る短剣銃にゲノムの視線が吸い寄せられた。

「『陽炎フレア』のだろ、それ? 殺した死体からったのか。いい趣味してやがるな」

「ッ」

 動揺に、手が震えた。

 紋章魔導の発動が乱れ、【導枝】で構成されていた銃身が霧散した。

 魔導の発動には高度な精神集中がいる。それを乱すなど、メノウらしくもないミスである。

 少なくとも、紋章魔導の失敗などここ数年で一度もしていなかった。

「おいおい」

 ゲノムの声が、失望に染まる。

 動揺で生じたメノウの意識の隙間すきまを縫って、機関銃の銃身が胸元むなもとに突きつけられる。

おれはさぁ。素直に褒めたんだぞ?」

 引き金が絞られた。

 秒間で十発近く放たれる導力弾の掃射に、背後にあったカウンターが見る間に瓦礫がれきと化していく。並の神官の導力強化ではあっという間に体が消し飛ぶ威力の弾丸の嵐は、一発としてメノウに命中していなかった。

「お?」

 ゲノムが引き金を絞る指の動きよりも速く、メノウは身を沈めて銃口から逃れていた。

『導力:接続──不正共有・純粋概念【時】──』

「まさかとは思うけど」

 とん、とゲノムの下顎したあごに硬い感触が当たる。ゼロ距離で突きつけられたのは、【導枝】でできた銃身だ。

「死んでも恨まないわよね」

『【発動:劣化加速→導力弾】』

 遺言を聞く気もなく、引き金をひいた。

 いままでの銃声をすべてまとめ上げたような轟音ごうおんが響いた。

 放たれた弾丸は、頭のてっぺんまで突き抜けてゲノムの頭部を微塵みじんにする。人体を破壊するだけでは収まらなかったエネルギーは三階建ての上まで突き抜けて、基部に風穴を開けた。

 通常とは上下が反転しているため、一番上が建物の基礎である。土台が揺さぶられ建物全体に、致命的な亀裂が走る。衝撃の余波で発生した地揺れが建材の断裂を縦横無尽に広げ、建築物の構造的限界を超えた。

 映画館の崩壊が始まった。

 崩れ落ちる建物とともに落下しながら、メノウはもう一つの短剣に導力を通す。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【疾風】』

 短剣から吹き出す風力で宙を滑空し、隣の建物の内部に転がり込んだ。

 ゆっくり立ち上がって、痛む箇所がないか確認する。先ほどの戦闘を明らかな勝利で飾りながらも、メノウの頭にあったのは不信感と違和感だった。

 いまの一戦は意外なほど苦戦することがなかった。

 あっさりと勝利したように見えて、一手間違えれば誰かが死んでいてもおかしい戦いだったのは確かだ。ただハクアやミシェルといった規格外との戦闘を重ねてきたメノウにとって、強敵といえるほどのものではなかった。

 第三身分コモンズの怪物。

 そう呼ばれている人物は、あれほど簡単に勝利できる相手なのだろうか。

 疑念を抱きながら、一息ついた顔を上げる途中で、メノウは視界の隅で導力光をとらえた。

 目の端に引っかかった導力光が明確になんなのか、頭で理解はしていなかった。メノウが戦闘服に導力を通して紋章魔導を発動させたのは、ほとんど反射によるものだ。

 導力光は、魔導現象とともに発生する。

『導力:接続──戦闘服・紋章──発動【多重障壁】』

 未確認の導力光は、無条件で最大限警戒する。基本ともいえる教えが、メノウの命を救った。

「……ッ」

【障壁】は耐えきれなかった。多重に展開していた導力の薄い光壁がまとめて砕けつつも、斜め向きに展開させていたのが幸運だった。【障壁】すべてを貫通した弾丸の弾道がそれて直撃を免れる。

 体に触れもしなかったというのに、空気を巻き込んだ衝撃波は強烈だった。

 着弾で発生した衝撃と合わせて、メノウの体が吹き飛ばされた。受け身をとって、二回転。離れた場所にいる新手の男が大口径の拳銃を構えたのを目にする。

 狙いは、メノウの着地地点だ。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【疾風】』

 短剣から噴き出す【疾風】を地面に放ち、ほぼ垂直に宙へと跳ね上がった。

 メノウを捉え損ねた大口径弾が、地面をえぐり砕く。弾痕というより、ちょっとした爆発ばくはつ痕だ。タイミングをずらして着地したメノウは、信じがたい気持ちを込めて新たに現れた人物を見据える。

 いましがた二発の高威力の弾丸を撃ち放った男。

 彼も、ゲノムだった。

「元処刑人だけあって、動きは悪かないな」

 顔に穴を空けた男は、いましがた発射した大口径拳銃を雑に投げ捨てる。

 さっき確かに殺したはずの男が悠長にメノウの力量を品評する。

「特によくもねぇけどな。お前、本当に『陽炎フレア』を殺せたのか?」

 手厳しい評価である。先ほどの戦闘の記憶はあるようだ。別人がなりすましているトリックだという可能性はつぶれた。

【加速】をかけた銃弾は、確かにゲノムの肉体を粉微塵にした。だというのに平然と無傷の姿を見せている。

 メノウはポーカーフェイスを保ちながら、内心の驚愕きょうがくを押し殺して相手を見据える。

「……そっちこそ、導力銃ばかりで攻撃が単調ね。紋章魔導も使わないの?」

「魔導の才能ねえんだわ、俺。ロクに導力強化も使えないレベルだぜ」

 第一身分ファウストのブラックリストのトップを十年近く独占し続け、個人戦力としては最高峰と目されている男が自分の非才さをひけらかしながら顔の穴に手を入れる。

 導力光をあふれさせている顔の穴から、新たな導力銃が取り出される。

「てかよぉ。あんたらみたいに戦闘しながらの導力強化なんて、俺みたいな一般人からしてみれば曲芸みたいなもんだぜ? ご自分の異常性を自覚してくれませんかねぇ」

 取り出されたのは彼がシアタールームで撃ち放った機関銃だ。同一のものではなく、同型なだけだろう。『武器商人』とも言われるだけあって、彼の武器の在庫の豊富さはメノウも聞き知っている。

 ゲノム・クトゥルワの顔に空いた穴は、武器庫となっている。

 有名な話ではある。

 それでも、こうしてたりにすると衝撃的だ。

「俺ぐらい普通の奴だと、立ち止まっている時に、こいつらの反動を抑えるために体を強化するので精いっぱいなのをわかってくれねえかね」

 ゲノムの顔から出てきて足元に投げ捨てられた導力銃は、三種類ある。

 弾が拡散して回避不能なほど広い範囲にばらかれる散弾銃。フルオートで連続射撃が可能な機関銃。一発で【障壁】に風穴を開ける大口径拳銃。

 どれも、まだ大量には流通していないタイプの導力銃だ。特に最後のは処刑人だったメノウですら初見のものである。たった一発で【障壁】を砕ける導力銃があるとは思わなかった。しかもふところに隠し持てる拳銃サイズとなれば脅威度は跳ね上がる。

 そんなものが流通するようになれば、ほとんどの一般人が、簡単に騎士や神官を殺せる世界が訪れる。

「俺は自分が並だって知ってるからこそ、導力兵器が大好きだ」

 にこやかに言いながら摑んだ武器は、機関銃だった。

 二人のゲノムがメノウを挟み込んで、同時に告げる。

「非才凡人な俺でも、引き金をひけば神官様をぶち殺せるんだからな」


『導力:素材併呑───義腕・内部刻印魔導式──起動【スキル:杭打ち】』

 サハラの銀腕から射出された杭が、映画館と駅ビルをつなげる通路に大穴を開けた。

「ちょ、いいの!?

 マヤが声を上げるが、サハラは迷わない。後ろで響く銃声のほうがよっぽど恐ろしい。マヤとノノを抱えたいま、相手が追ってこれないようにするのが最優先だ。サハラは自分が来た道を塞ぐために、もう一発、銀腕から魔導を放つ。

『導力:素材併呑──義椀・内部刻印魔導式──起動【スキル:導力砲】』

 左右に穴が空いた通路は、微細導器群体マイクロマシンの修復よりも亀裂が広がる方が早かった。

 通路が崩落した。

 だが危険が去ったわけではない。ゲノム本人が来ていて、部下がいないということはありえない。これだけ派手に戦闘をしてしまったならば隠れ進むのは無理かと思ったのだが、予想外の助力があった。

「はい。そこの曲がり角を右折。上を通り過ぎるから、屋根の下で十秒待機。…………よし、走って!」

 サハラの小脇こわきに抱えられたノノの先導は、驚くほどに正確だった。

 時に小走りに、時に立ち止まって武装集団の死角を抜ける。サハラだけでは、この大量の警戒網をくぐり抜けるのは不可能だった。

「そこの窓から部屋に入って……ヨシ! 十分休憩!」

 大袈裟おおげさな指差し確認をして民家サイズの建物に侵入。ノノの宣言に、張り詰めていた緊張感が解かれる。

「マヤ。よければお手洗いに行くといいよ。まとまった休憩は取れないし、我慢は体の毒だ!」

「黙るか死ぬかして!」

 デリカシーを知れとぷんぷんとしながらも、マヤは足早にトイレに向かう。

 サハラは床に座って、壁にもたれかかる。背後の気配を探ると、映画館での戦闘音は続いていた。

「すごいわね、未来視」

「ふふん、もっと褒めてくれたまえ。『天才美少女ノノちゃんすごい』っていう称賛をボクに浴びせるといいね! ほら、サハラ君。さん、はい!」

「その能力に制限はあるの? 魔導発動もしていないみたいだけど、どういう原理で未来を見てるの?」

「あれぇ?」

 ノノの力は強力だ。ゲノムの直属であろう武装集団との接敵を回避できたのは、彼女の指示のたまものである。自分の身の安全のためにも、ぜひとも知っておきたいと前のめりになって尋ねる。

 変人の対応に慣れているサハラのスルー力に口をとがらせつつも、素直に答える。

「サハラ君。ボクはね、【星】の純粋概念を発動できたことが、一回もないんだよ。ある意味、純粋概念持ちとしては落ちこぼれもいいところだね」

「ない?」

「うん。ボクができるのは、導力接続までだ」

 ノノは両手の人差し指を使って自分の両目を指差す。だいぶふざけたポーズになっているのは、おそらく狙っているのだろう。

「この目に導力を接続すると、それだけで視界にあるものの近未来がざっくりと視えるんだ。予言は、また別。カー君の協力が必須だ」

 カー君とやらは、確か『絡繰り世』になった異世界人だったはずだ。

「ふーん。でも、その目だけでも便利よね」

「便利だよ。けれども限度があるというか、条件に該当するものしか見れないね。いまはね。マヤに視野を絞って、未来を視ているんだ。だからあんまりマヤから離れると、ボクの視界からも見えなくなる。マヤの未来は保証されているが、気をつけてくれたまえよ」

 ひとまず納得いく説明を受けた。

 手持ちぶさたになったサハラは、そっと手を伸ばしてノノのほっぺたをつまむ。

「む、やわらかい」

「ふぁんだい?」

「この体。ノノは魔導兵に憑依ひょういしてるのよね」

「それは違うね」

【星読み】という魔導兵に魂を移し替えることで千年間を生き抜いたのだろう。そう思っていたのだが、予想外に冷たい声が返ってきた。

「この体には魂を納めるような機能はないし、ボクは【憑依】の魔導は使わないよ。カー君にも使わせない。絶対に」

 必要以上に強く否定する。

 彼女なりのこだわりがあるのだろう。【憑依】の魔導を使ったことがある自分をディスっているんだろうかと思いつつも、サハラは浮かんだ疑念をぶつける。

「じゃあ、どうして魔導兵の中にいるの?」

「ボクは中にいるわけじゃない。この体に情報を接続してるだけだぜ」

「なるほど」

 違いがよくわからなかったが、とりあえずうなずいておく。サハラ自身の安全性にかかわることでもなさそうだし、深く気にしないでおくことにした。

 話が区切られたタイミングで、マヤが戻ってくる。

「お帰り、マヤ。さて、メノウ君とは別行動になってしまったが、ボクたちは先に進もうか」

「……メノウとは合流しないの?」

「よく考えてもみたまえよ」

 やたらと偉そうな口調は、下知をする者の振る舞いだった。

「あそこには万魔殿パンデモニウムの気配があるとマヤが言っている。ゲノムとやらは、わざわざ本人が出張って来ている。つまりいま環境制御塔の守りは薄くなっている状態だ」

「そういえば、ノノ。なんで万魔殿パンデモニウムがここにいるの? あたしは気配でわかったけど」

「片腕が『霧魔殿パンデモニウム』から出た後にミシェルにちょっかい出して返り討ちにあったらしいよ。さすが強いね、あの子は!」

 ノノは、ミシェルの強さを誇る口ぶりだった。

 サハラにとっては脅威な敵だが、ミシェルはノノからすると千年前からの知り合いなのだ。

万魔殿パンデモニウムのことに話を戻すけど、環境制御塔へ侵食されるとだいぶまずい。微細導器群体マイクロマシンの維持をしているのは環境制御塔だから、機能停止すると拡張された空間が崩れて、もとの空間と重なっちゃうんだ」

 拡張された空間が消え去るとどうなるかは、サハラの知識にもある。

「重なった部分は、融合するのよね」

「そう。しかも融合した質量に応じた衝撃波が発生する。兵器転用できるぐらい威力あるんだぜ」

 原色格納空間は、導力で作られた亜空間だ。いまサハラたちがいる世界を基準に、ほんの少し位相がズレた空間を作る。なんらかの要因で異空間がなくなると、中に格納されていた物体が重なっていた空間に出現する。

 もしも遺跡街を格納している原色空間が消えた場合、もとある地盤と遺跡街にある大量の建築物が衝突することになる。

「この地下空間が崩れる恐れがあるってこと?」

「そんなもんじゃすまないんだな、これが」

 手前の地下街にも多くの人が住んでいる。地下が丸ごと潰れれば甚大な被害だと他人事に考えていたサハラを、ノノが首を振って否定する。

「なにがまずいって、あの環境制御塔、上下合わせて千六百六十六メートルあるんだよ。すごいでしょ。古代文明期でも最長の建築物だったんだぜ。地下空間を拡張できたから、地上に建てるよりかなり楽──」

「すごいけど、それのなにがまずいの?」

 延々と続きそうな語りをさえぎって話を促す。

 いまのところ地下で進行している事態と地上の上空にある『星骸』の融合との話のつながりが見えない。

 万魔殿パンデモニウムが厄介なのはわかる。サハラも一時的とはいえ一緒に行動していたのだ。あの無軌道さが生む被害の多さは尋常なものではない。だが原罪概念とはいえ、接触しなければ侵食はできない。環境制御塔がいくら巨大でも、地下深くでの事情が遥か上空に影響を及ぼすとは思えないのだ。

 環境制御塔にしても、肝心の演算装置である魔導兵【星読み】の体はノノが動かしてここにいる。いまの環境制御塔は頭脳を失った人間のようなものだ。機能だけあっても制御装置がないのだから、ただのでかい塔である。

「はい問題。拡張された空間を除いたここ『遺跡街』の深度はいくつでしょう」

「二百メートルくらい?」

「正解! ボクたちが純粋概念を使って苦労してつくった大深度のジオフロントさ! 地下交通網計画があったり、大規模導力供給設備やら廃棄物処理施設場やらを入れる予定だったから、まず崩れない造りにしてある。では、『星骸』のある場所を思い浮かべてください」

 サハラの答えに教師役として振る舞うノノは機嫌よく笑ってうながす。サハラとマヤは北大陸の上空を浮遊する『星骸』を脳裏に思い浮かべた。

「北大陸中央部の地上から、さらに上空に浮かんでいる『星骸』があるのは知ってるよね。これは結構低空に浮いてるぜ。多少は上下するけど、あれは天脈に乗るようになってるから上空千メートル付近を滞空していることは間違いないんだ」

 その時点でノノが言いたいことが理解できた。サハラの背筋に冷たいものが滑り落ちる。

 単純な計算だ。四捨五入して、千七百から二百引けばいい。マヤの年齢でも理解できる四則演算である。

「つまり、環境制御塔が機能しなくなって拡張された空間がなくなると、なんと!」

 二人の脳内スクリーンに、巨大な木に実ができるイメージ図が想起される。ヤシの木みたいな簡略図だというのに、なにを意味しているのかははっきりと想像できてしまった。

「環境制御塔と『星骸』は空間交錯を起こして一体化したオブジェになります」

「え」

 マヤが絶句する。

 確かに拡張した空間が崩れて中にあったものが現実空間に突き出るというのは、盲点ではある。サハラはおそるおそる尋ねる。

「ちなみに、融合するとどうなるの……?」

「空間交錯で『星骸』の中心核が環境制御塔に貫かれて壊れる。おおっている白濁液は吹っ飛んで北大陸中に【漂白】の雨が降るし、中心核以外の星も次々と落下するね」

 大惨事である。

 たった一滴で、異世界人であるアカリが放った【停止】に打ち勝つような魔導物質がりそそげば、それだけで北大陸は壊滅的なダメージを受ける。

「まあこれは万魔殿パンデモニウムが『星骸』を取り込むことに比べれば些細ささいなことだけどね」

 マヤの顔から血の気が引く。

 記憶を取り戻した彼女にとって、万魔殿パンデモニウムは少し前の自分であり、絶対に戻りたくない状態そのものだ。

「マヤ。君は万魔殿パンデモニウムとは別の存在だ。だからボクは、君がここにいるいま起動した」

「なによ、いきなり」

「君は、映画が終わったらどうする?」

 脈絡のない質問に、小首をかしげる。

「ちゃんとエンドロールまで見て帰るわ。当たり前でしょう?」

 子役としての、絶対のプライドだ。

「よし。それをちゃんと覚えてくれたまえ」

 ノノはにっこりと笑う。問いの意味がわからず、サハラはもとよりマヤもに落ちない顔をしている。

「必要な情報は伝えたし、先に行こうか。いまの世界の有様ありさまがボクたちのせいみたいに言われるのは、はなはだ不本意だね。事故だよ事故。というわけで、ボクが先読みしたルートで進んでもらうことになる」

「質問」

「はい、サハラ君!」

「なんでメノウがいる時にそれを言ってくれなかったの?」

 メノウがいる時は、すべてメノウの責任だ。この団体の決定権はメノウが握っている。

 だが、メノウがいない時に聞いてしまったら、自分に責任がのしかかってくる。北大陸全域がやばいことになるかもしれない事件を解決するための責任などとても負いきれない。

「やだなぁ。言う前に、なんかよくわからない人が来たじゃないか。あれ誰? すごく個性的な顔面をしてたよね」

「サハラ。ノノ、平気で人をだますから疑ってかかったほうがいいわ」

 身近な人間からの信用がなかった。

 マヤの言いたいこともわかる。ノノは時々、微妙に話をはぐらかしてくるのだ。おそらく彼女の持つ未来視から得た情報の格差によるものだ。

「そうだね。ボクのことは信じすぎないほうがいいぜ? 自分の思い通りに人を動かすためなら、なんでもするからね」

「わかった。信じない」

 マヤに同調したノノの忠告に、会話をする気が失せたサハラはげんなりする。

 だが、マヤは一歩踏み込んだ。

「じゃああたし、ノノがサハラとメノウを裏切ったり好き勝手利用してたら、今度こそ原罪魔導の餌食えじきにする。だから、そんなことしないって約束して」

 マヤの返答に、ノノが唇をほころばせる。

「成長したね、マヤ。いつも龍之介りゅうのすけの背中に隠れていた君とは思えないよ」

「うん。だから?」

 それっぽい雰囲気に流されることなく、じいっと見つめる。

 下からの視線に耐えきれなかったのか、ふいっと視線をらす。ばさぁっと白衣のすそひるがえしたノノは赤縁メガネを押し上げ、マヤとサハラと順繰りに視線を合わせた。

「さあ! それじゃあ出発進行だ! 目的は世界を滅ぼす大怪獣の発生阻止。妨害は凶悪な武装集団たち。困難な道のりだけど、なぁに、ボクのこの目にかかれば、どんな警戒網だってへっちゃらさ! 世界を救う冒険に、レッツラゴー!」

「ちゃんと約束しなさいよ! ねえ!」

「例の武装集団には見つからないルートを選んでいるから道中は安全だ。しかもボクの目は、見ている場所の数秒後が見えるんだ! 義肢を付けた武装集団には見つからないぜ!」

「義肢を付けた武装集団には」

 サハラの胸中を嫌な予感が貫いた。

「……他には?」

「え? 他? 他ってなに?」

 視野の狭い返答に、どんどんと不安が募る。

「他の人間とか、違う探索手段とか、万魔殿パンデモニウムの魔物とか、そもそもゲノム本人とか……あるわよね」

「……あ、あるね、うん」

 なにせシアタールームに突入してきたのが、ゲノムだったのだ。

 もしかしたらノノが『武装集団に見つからない』場所としてあそこを選んでいた結果、ゲノム本人に見つかるという事態になった可能性すらある。

「それがあったら、どうするの」

「そりゃ……見つかるんじゃないかな?」

 会話が止まる。三人の間に不穏な空気が流れる。先ほどまであった未来視に対する信頼感が、ガラガラと崩れていく。

「──あ」

 不意に、ノノがうっかりしたという声を上げた。たぶん彼女の目にしか見えていない数秒先の未来でなにか起こったのだろう。

 今度こそサハラの背筋に悪寒が駆け抜けた。この場にいてはまずいと立ち上がるが、遅かった。

「いたぞ! 『総督』だ!」

 声を上げたのは、昨日も戦った冒険者たちである。メノウたちにのされて武装解除までされたのに、『遺跡街』まで追撃に来たらしい。

「どうする?」

「決まってる」

 サハラはノノの襟首えりくびっ摑む。マヤは自分の影とサハラの影を同化させて飛び込んだ。

 この状況でやれることは、一つ。

「逃げる!」


 導力弾が、残光の帯を引いてメノウに迫った。

 轟音とともに撃ち放たれた弾は、発射の前から回避行動をとっていたメノウの残像を撃ち抜くにとどまった。

 導力強化によって増したメノウの動体視力は、ゲノムが引き金をひく指の動きを捉えていた。問題なく回避はできる。

 だが、距離を詰めきれずにいる。

「……」

 メノウは改めてゲノムを見据える。

 散弾の回避は困難だが、問題なく【障壁】でしのげる。機関銃の威力と連射性能は厄介だが、狙いが導力強化をしたメノウの動きについてこられていないし、躱しきれなくとも【障壁】で数秒の時間を稼ぐことが可能だ。大口径拳銃は一撃で【障壁】を貫通するため絶対に回避しなければならない。とはいえ一発ごとに使用した導力銃を廃棄しているあたり、拳銃の構造が威力についてこられずに単発で使い捨てにしなくてはならないのだろう。注意していれば必要以上に恐れる必要はない。

 一つ一つならば対処は簡単だ。

 だが、その三種を使い分けられると途端に脅威度が増す。

「どうだ、『陽炎の後継フレアート』」

 接近しきれず、かといって撃ち合いだと押し負ける。それでいながら純粋概念の【劣化加速】を付与した弾丸を撃たざるをえないほど追い詰められているわけでもないという、ある意味では絶妙な戦況に足踏みをしていると、ゲノムが自慢げに銃を掲げる。

「神官どもにおもちゃ呼ばわりされる導力銃も、なかなか完成してきただろう?」

「噂通り、ご熱心なことね」

「この三つはな、ちょうど新商品として三原色の一体に開発を頼んでるんだ」

 いま言い放った言葉の内容こそが、ゲノム・クトゥルワが蛇蝎だかつがごとく嫌われている理由だ。

 市井しせいに潜むテロリストや冒険者たちが組織的に導力銃を携帯するようになったのは、ゲノムが台頭してからだ。

 彼が、大陸各地に導力銃を流通させ続けている元凶なのである。

「どうだ? グリザリカは独立して禁忌を解いていくんだろう。これの売買にあんたも一みしねえか?」

「残念ながら、導力銃の禁止は継続するわ。いまその判断が正しかったって確信できたから」

「なんだ。つまんねえの」

 本来ならば、魔導兵は人間が使う兵器の開発などしない。

 なにせ、彼らにとっては人間を殺す兵器など意味がない。

『絡繰り世』の魔導兵のふところにあえて踏み込んでいったのがゲノム・クトゥルワという男だった。

 武器商人。

 商人であったゲノムは『絡繰り世』にいる魔導兵の一体に取引を持ちかけ、人間用の導力銃の大量生産を取り付けた。『絡繰り世』産の導力銃を大量かつ安定して売りさばくことによって、彼は大陸に名をとどろかせる悪党に成り上がった。

 生まれながらに自らが最高の兵器である彼らが人間程度を殺すための武器を自発的に開発するはずがない。彼らが作る武装は常に自分にとって最適な形をしており、人間が使うことなど想定されていない。

 導力銃とは、まれに古代遺物から産出される品を修理するか、一部の技術者が劣化再現させる程度の品で、ほんの三十年前までは大量生産など不可能だった。

「お前、あのアビリティと一緒にいるんだろう? よければ俺とつなぎをとってくれないかね。創作者としちゃぁ、区長どもの中でも特に評価が高い」

「年下に甘いアビィでも、あなたの言うことなんて聞くはずがないでしょう」

「バっカだなぁ。相手の求めるものを探り当てて誠心誠意お願いすればこたえてくれるもんだぜ。やつらには、きちんと理性と知性がある。経済による対話と交渉ってのは、価値観の差異を乗り越える数少ない手段だってことも知らねえから第一身分ファウストは困るぜ」

 ゲノムは語るが、原色概念の中で生きる魔導兵に金銭など意味をなさない。

 白夜の結界によって閉じ込められている魔導兵に対してゲノムが用意した商品は、人間という素材だった。

 人体は原色の『赤』を生成するのに、優れた素材だ。

 素材として人を売ることで、『絡繰り世』から武器を得た。原産地はゲノムのみが握っており、彼直参の組織から大量の武器が流通するようになる。

 人をさらい、武器に変えて売り捌く。サハラと再会したバラル砂漠で潰した武装集団『鉄鎖』などもゲノムが構築した流通組織の一部だ。

「わかるだろ? あのミシェル嬢ですら、『遺跡街』を占拠しちまえば俺たちに迂闊うかつな手を出せなくなった。大事だぜ、人がなにに熱意を傾けているか知るってのはな」

歯牙しがにもかけてないの間違いじゃない? 用が済んだあとで処分されるわよ」

「かもなぁ」

 人の心など信用せず、この世の道理をわきまえている男は、鼻で笑う。

「その程度のリスクは負えずに、交渉も商売もできるものかよ」

 ゲノムが使う兵器では、どれもこれもミシェルの導力強化を打ち破ることはできないだろう。彼女の不死性を毀損きそんするものではない。

 だが、メノウを殺すのには十分であることは確かだ。

「ま、ガキにはこの機微はわからんかね」

 ゲノムはこきりと首の骨を鳴らす。もとからある欠損部の他に、傷はない。彼は穴の空いた顔面でかろうじて残っている左目を細める。

 メノウは息を細く、長く吐き出す。心をフラットに、武器を構えた。

 いままでの戦闘で導き出される最善手は、一つだ。

 メノウは身を翻した。

 背中を晒すことを恐れずに逃走する。ゲノムの言葉を信じるならば、彼は導力強化を使いこなせない。導力強化をして疾走するメノウに追いつくのは不可能だ。それはメノウだけではなく、先に逃げたサハラたちに追いつけないことを意味する。

 別にメノウはゲノムを討伐しにきたわけではない。『遺跡街』が彼の拠点になっていることを知らずに飛び込んでしまっただけだ。

 正面からの消耗戦に付き合う義理はない。

 いまある魔導系統で、死からの復活に近いことをできるのは一つ。

 魂と精神を別の器に移植できる、原色概念だけだ。

「あれは、本体じゃない……!」

 サハラやアビィと同じだ。魂と精神を別の場所に保管して、自分以外の肉体を端末にして操作している。端末でしかない肉体を叩くことは限りなく無意味になる。

「見抜くのが早いな」

 即断したメノウに称賛を送る声は、前から聞こえた。

 進行方向に、置き去りにしたはずのゲノムがいた。

 ギョッとしながらも、とっさに身をのけぞらせる。

 急制動に体が軋んだ。そらした顔面スレスレに大口径弾が通り過ぎる。大きく跳び退きたい気持ちをぐっとこらえて、後方に意識をく。

 まさか。

 最悪の予想がメノウの胸中にき上がる。導力強化を使えないというゲノムの言動がブラフならば、まだいい。メノウをも上回る導力強化で追い抜いて先回りをして攻撃を仕掛けたというのなら理解の範疇はんちゅうにある。

 だが、そうでなかったら。

 嫌な予感が的中した。

「俺から逃げ切れると思ってるのが、大きな間違いだけどな」

 後ろからも、先ほど置き去りにしたゲノムが現れる。

 前と、後ろ。メノウを挟む位置でゲノム・クトゥルワが二人も存在していた。

 見比べても、顔の造作や体型に違いはまったくない。完全な同一人物が倍に増えた機関銃の銃口で、メノウを狙う。

 十字射撃の交点が、直前までメノウがいた空間にきらめく。弾丸は固形化された導力だ。美しい軌跡を描いているが、その実、直線上にいれば死は免れない。

 空中に跳んで回避したメノウを追って、ゲノムたちが武器を持ち替えた。二人になったゲノムが、完全なコンビネーションでメノウに狙いをつける。片方が散弾銃。もう片方は大口径拳銃。散弾を【障壁】で防がせるのと同時に、大口径弾で撃ち抜こうというのだろう。

 メノウの選択が【障壁】でしのぐか【疾風】で躱すかに絞られた。どちらにしろ、無傷でいられる可能性は低い。

 教典があれば。

 脳裏にかすめた思いを振り払う。この状況下では、多人数の制圧に優れた教典魔導が本領を発揮する。だが教典魔導に頼ろうなど、あまりにも未練がましい。教典を作成しているハクアに捕捉されないために手放したという理由はあれど、メノウが左手に持っていた教典を破棄したのは、自分が第一身分ファウストから脱却するという決意の象徴でもあった。

 あれは自ら捨てたのだ。

「──ッ!」

 目を見開く。脳みその思考をぶん回す。あっという間に打開策が見つかる。

 無理をすれば、いい。

『導力:接続──戦闘服・紋章──発動【多重障壁】』

『導力:接続──短剣・紋章──二重発動【導糸・疾風】』

 二つ異なる媒体での紋章魔導を同時発動。【障壁】を展開したまま、【疾風】を推進力にしてぐに放たれた短剣が最短距離で前方にいるゲノムの心臓に突き刺さった。

 背後からもう一人のゲノムが散弾を連射して浴びせかけてくるが、拡散する小粒の導力弾では【障壁】は小揺るぎもしない。

めないで」

 短剣銃の銃口を、ぴたりと合わせる。

【加速】を使うまでもない。シアタールームの会話で露呈したが、ゲノム最大の弱点は、防御力のなさだ。簡単な紋章魔導すら使えないのならば、【障壁】を張ることすらできない。立ち止まってでしか導力強化が使えないということは、敵からの攻撃に対して棒立ちになることを意味する。

 彼は、生身の人間の限界を超える攻撃を防ぐ手段を持たない。

「私は『陽炎フレア』を殺した女よ」

 メノウは引き金をひいた。

 放たれた導力弾が、散弾銃を持っていたゲノムの額に穴を開ける。異様な造作とは裏腹に、急所は普通の人間と変わらないらしい。目から意思の光が消失して倒れ伏す。

「ふ、っうー」

 息を整える。

 敵を排除しながらも、メノウは警戒を解くことなく周囲の気配を探る。

 この戦闘がいまの二人で終わるなどという楽観は、倍に増えたゲノムを見た時点で捨てていた。

 ゲノムの力の絡繰りは、ほぼ間違いなく原色概念を由来とする特殊な魔導だ。だがサハラとは体を取り替える種類の発想が違った。

 核となる部分を移植して、自分の体をすげ替えることを可能としているわけではない。ゲノムは最初から、動かしている肉体を自分のものだと考えていない。自分の体を動かすという意識すら捨て、完全な駒とみなして動かしている。

 どういう思考処理をすれば、自分を二人同時に動かせるのか。メノウには想像もつかない境地だ。しかも、二人が限界ではないだろう。

 今度の足音は、四方から聞こえた。

「……はっ」

 覚悟していたとはいえ、新たに現れた人影に絶望を感じなかったかといえば噓だ。乾いた笑いがメノウののどを震わせる。

導師マスターが殺せなかった理由もわかるわね……。あなた、部下なんていらないんじゃない?」

「バカいえ。俺は可愛かわいい部下に守られて成り上がったんだぜ? 俺の力になってくれる部下たちを捨てられるものかよ」

 快活に笑うゲノムが、四人。四者同一に顔に穴を開けた男たちが、まったく同じ動きで導力銃を取り出して四方からメノウを狙う。

 命を懸けていない戦闘は、さぞかし楽しいことだろう。この四人を倒して、次が八人に増えても驚かない。その次は十六人だ。

 見せつけられた非現実的な現実に、ゲノムが個人戦力の最高峰といわれる意味を嫌でも理解させられる。

 彼は個体として強いのではない。個人で群体となれるからこそ、さらには増えた自分たちに残らず武装を行き渡らせることができるからこそ、戦力の最高峰なのだ。

 あらゆる偉人や才人を差し置いて、凡才を自称する彼が個人として最高峰の戦力とうたわれるだけはある。

「処刑人ってやつはどいつもこいつも人の機微がわかってねえからいけねえや。『陽炎フレア』といいお前といい、敵を殺せば世界がどうにかなるって勘違いしてねえか?」

 どこにある。

 メノウはあるものを探して視線をめぐらせる。

 自分の肉体を放棄した原色概念の使い手との戦いほど不毛なものはない。端末をいくら潰したところで、残機がある限り復活を続けるからだ。

 導力は、経路がなければ働きを失う。ゲノムの肉体を動かす経路は、彼の顔に空いた穴だ。だがそこから侵入しようにも、人が通れるほどの幅はない。

 どこかに複数の肉体を指揮して動かしている本体があるはずだ。サハラの本体が導力義肢の右腕であるように、導力の源である魂と記憶と人格の核である精神を通じて肉体を動かす司令塔がある。遠隔操作の距離限界も考慮すれば、もっとも可能性が高いのが、『遺跡街』中央にある環境制御塔だ。

 現代技術では不可能な建築技術で組み立てられた、上下一対の巨塔。中心に『絡繰り世』の入り口をくわえ込んでいる環境制御塔は、下手な要塞よりも立てこもるのに向いている。しかも上下の街を物理的に繫ぐ、唯一の通路だ。

 この地下空間で、もっとも身を守るのに向いている要所だ。

 意識が一瞬、そちらに向いた。もちろん、自分を囲む四人には十分注意を払っていた。視界にいるどのゲノムが動こうとも即応できる自信があった。

 だからこその隙を突かれた。

 なんの前触れもなく背中から思い切りぶん殴られたような衝撃を受け、メノウの胸がはじけた。

「……」

 一瞬、なにが起こったのかわからなかった。

 致命傷を与えた音は、遅れて聞こえた。

 たった一発、遠く、広く響く、発射音。その技能を持つ人間があまりにも少ないために、無意識に警戒していなかった攻撃手段があった。

「そ、げき……」

 半分以上潰れた肺が血でおぼれて、気管から喉元のどもとを通して呼吸もできずに吐血する。

 視線が、自分の胸元に落ちる。

 胸元の留め金が壊れたフードマントが、肩から滑り落ちる。あらわになった傷口から、どっと血が噴出した。背中から胸元を貫通している致命傷だ。体幹が不安定になる。とどまろうとするも、踏ん張りがかない。

 どさり、とメノウの体が崩れ落ちた。

 とめどなく出血が続く。断末魔すら許されない。即死でなかったのが幸運な傷だ。急速に意識が遠ざかっていく。まぶたを閉じるまでもなく、視界が揺らいで世界が真っ白に消えていく。

 走馬灯は、見なかった。


「こんなもんか」

 血飛沫ちしぶきをあげて倒れた少女を見てつぶやいた男たちの声は、平坦だった。

 倒されるたびに増えていったゲノム・クトゥルワたちの視線の先で、『陽炎の後継フレアート』メノウの地面についた淡い栗毛が徐々に鮮血に染まっていく。比例するように、彼女の体からは命の気配が消失していった。

 徐々に増やしていった人数も、三種類の導力銃での白兵戦も、最後の狙撃のための布石だ。なにせ勘のいい人間になると、単純な狙撃を直前で察知して回避することがある。視線やら殺気やらを察知するという、凡人を自覚するゲノムからすれば意味不明としか思えない直感が戦場には存在するのだ。

 だから、慎重に相手の認識が視界にいるゲノムたちだけに集中するように演出した。

 とどめを刺すために、銃口を頭に向ける。

 勝利に、感慨はない。

 一方的な勝利をつまらないと感じるようになって、だいぶつ。彼にとって、ほとんどの戦いは作業に過ぎない。

 ゲノム・クトゥルワの経歴は、十二歳になるまでは非の打ち所がないほどに真っ当だ。

 彼はもともと第三身分コモンズの少年だった。

 両親のもとで穏やかに育ち、明るい性格から友達にも恵まれ健やかに育った。

 そんなゲノムが誘拐されたのは、本当にたまたま、運が悪かったからだ。友達と夕暮れまで遊んで、ちょっと帰るのが遅くなったから、近道しようとして人気のない路地裏に入った。

 罪とはいえない、油断ともいえない、本当に不運としか言いようがない誘拐被害だった。

 売り飛ばされた先は禁忌の研究者だった。

 原色素材と紋章刻印の研究に没頭し、やがて人体と紋章の融合技術へと傾倒して禁忌に堕ちた研究者だった。幾人もの人間を攫っては拒絶反応で失敗し続け、牛歩の歩みで技術を進めていた研究者は、おそらく天才のたぐいだった。

 彼はゲノムに禁忌の実験を施した。

 人体に原色の輝石を刻み込む実験だ。

 素材としての嚙みわなさ。単純な痛みと拒絶反応によるがたい苦痛の果てに、ゲノムは生き延びた。

 結果をいえば、実験は失敗だった。

 ゲノムはなんの能力にも目覚めることなく、ただ生き延びた。導力操作の才能を失うというおまけつきだ。

 不完全ではあったが、それはその研究者の、あるいは古代文明が崩壊してからの初めての生存例だった。ゲノムが生存した要因は何だったのか。データをとるためにと監禁生活を強要されていたある日のことだった。

 一人の神官によってその施設が壊滅した。

 見事な手際だった。毒、内通者、暗殺。その三つの要素で、天才だったかもしれない研究者はすべての実験データごとこの世から葬り去られた。

 その時、ゲノムは助かったと思った。これでモルモットの生活は終わる。家族のもとに戻れる。真っ白な神官服を着た赤毛の少女は、比喩抜きで天使か聖女の類に思えた。

 だからゲノムは、たった一人で施設を壊滅させた赤い髪をした神官補佐のもとに駆け寄って、涙ながらに礼を繰り返した。ありがとう。ありがとう。助けてくれてありがとうと、心から感謝を捧げた。

 ──この施設の被検体が、生きているとはな。

 感心したように一言。彼女はなんのためらいもなく、ゲノムに刃を突き立てた。

 ──禁忌の成果物だな。死んでおけ。

 のちの処刑人『陽炎フレア』。人を殺すのが天職である少女に、同情という感情などなかった。

 ゲノムは、『陽炎フレア』に心臓を突き刺されたあの時まで、罪を犯したことなどなかった。誘拐され、実験を施されたあわれな被害者だった。

 だというのに、害虫でも踏み潰すように殺されかかったのだ。

 あの時にゲノムの逃走が成功したのは、幸運としか言いようがなかった。実験の副産物として、ゲノムが異常な生命力を持っていたこと。炎上していた建物が崩落して、少女の追撃を阻んだこと。施設の壊滅させた作戦行動自体が、まだ白服だった神官の独断先行であったこと。数多くの幸運が重なって、ゲノムは第一身分ファウストの魔の手を逃れた。

 家族のもとに帰れるはずもないゲノムが行き着いた先は、未開拓領域を根城とする冒険者たちのナワバリだった。

 行き場のなくなった人間たちが行き着く果て。そこで、ゲノムはきばを研いだ。

 禁忌であるというだけで、殺されなければならない理不尽さ。いまの平穏を保つために存在する、圧倒的な歪み。

 彼女たちは自分たちの正義を信じているのだろう。

 だから、第一身分ファウストが気に入らない。

 生き延びたゲノムは世の中を変える力を求めた。指名手配されて敵が集団化すれば、冒険者をまとめ上げて犯罪集団を作り上げた。現在の身分制度の崩壊を謳った『第四フォース』の盟主には期待したが──奴は結局、失敗した。そもそも【使徒エルダー】であることすら忘れていた盟主には、世界を変革する資格がなかった。

 理不尽にあらがうため、『陽炎フレア』を殺すために、一切いっさい、手段をえらばなかった。

 そしてゲノムは、敗北し続けた。

 一度たりともまともな勝負には持ち込まず、ゲノムの部下たちを削り、追い詰めてきた。隙があったとすれば【光】の純粋概念を持った少女と一緒にいた時くらいだ。彼女を人質にとっての戦いですら無残に敗北し、顔面に刃をたたまれたゲノムは逃走の果てに東部未開拓領域に落ち延びた。

 そして、人の世界ではない『絡繰り世』の奥地に踏み入ることではじめて、ゲノムは己に刻み込まれた原色概念の扱い方を知った。

 自分の能力を洗練させ、さらに力を蓄えた。のちに『絡繰り世』まで追ってきた『陽炎フレア』を撃退し、次こそは殺せると確信できるほどに力を高めた。

 だからこそ、『陽炎フレア』の末路には納得していない。

「勝手に死にやがってよぉ……」

 自分が殺すか、自分を殺すか。

 そのどちらかのはずだった女の結末に、ぎりりと奥歯を嚙みめる。

 弟子も、この程度の有様だ。

 せめて処刑人ならば処刑人らしい立ち回りをすればいいものを、仲間を逃すためのしんがりを引き受けるなど失笑ものだ。案の定、無様ぶざまを晒して死んだ。

「そんな戦い方、習ってねえだろうに」

陽炎フレア』ならば、こんな程度で死ぬはずがなかった。

 隠れ、潜み、油断をさせて格上の禁忌を殺す。

 それが処刑人という分際だというのに、神官服をまとうことをやめた『陽炎フレア』の弟子は、なにを考えていたのだろうか。

陽炎フレア』の弟子だと少なからず意気込んでいたぶん、落胆も大きい。

 だからゲノムが予想もしていなかった現象が起こった時に口かられた声には、むしろ喜色が含まれていた。

『導力:接続──』

「お?」

 魔導構築の気配とともに、メノウの肉体を導力光が包み込む。乱舞する光の粒は、徐々に規則性をもって形を作っていく。

『不正定着・純粋概念【時】──』

 導力光が、大きな振り子時計の形を形成した。

 時間を象徴する機能の形。かちり、と時計の針が逆に回る。

『発動【回帰】』

 純粋概念の魔導が、発動した。

 逆光する時計の針に合わせて、胸部の欠損が塞がっていく。治癒による再生ではなく、文字通り、巻き戻るかのようにして元に戻ったのだ。

 だが、むしろ異常はこれからだった。

 むくり、と少女が起き上がる。

 死を克服した彼女には、やはり傷口はおろか、服に付着したはずの血痕すらも見当たらない。治癒ではなく、死すらも超越する時間回帰が行使されたあかしだ。

 そして、もっとも注目すべき変化は、彼女の髪の色だった。

「……いかす髪色じゃねえか」

 淡い栗毛の毛先が、薄墨うすずみいたような黒色に染まっていた。

 この世界に、髪の色の変化を軽視する人間はいない。髪の色は遺伝的なものだけで決定されるのではなく、魂から湧き出る【力】の強さや性質で左右されるのは常識レベルの話だ。

 髪の色が急激に変化しているということは、魂が変質するほどのナニカがその人物の内部で引き起こされていると予測できる。

 それを示すかのように、目の前にいる少女の雰囲気は、先ほどまでとはがらりと変化していた。

「お前、誰だよ?」

「め、のう……」

 視界から、少女の姿が消える。

 目線は、一瞬たりとも外していなかった。複数人いるゲノムの視界すべてが直前まで少女の姿を捉えながらも、彼女の姿を見失った。わずかなりとも気配の片鱗へんりんを摑めたのは、遠方から戦場を俯瞰ふかんしている狙撃役だけだ。

 自分の背後に、なにかが出現した。

 戦場から百メートル以上は離れたビルの一室にいた彼は、おぞましい気配に振り返ろうとして、胸元に違和感を覚えた。

 反射的に手で探ると、心臓が刃に貫かれていたのがわかった。

「お」

 心臓から血を噴き出したゲノムは、感嘆の声を上げて死亡した。死ぬ間際まぎわに自分を殺した少女を確認しようとするが、背後にいたはずの彼女は消え去っていた。

 そしてまた、メノウの形をしたナニカは彼らの囲いの中に現れる。

 じわり、と女の髪色が黒く染まっていく。

「こりゃ……」

 ゲノムの口から茫然ぼうぜんとした声が漏れる。

 速い。いや、速度の問題ではない。少女の行動は、距離と時間を完全に無視している。

 ゲノムたちの囲いから消える。百メートル先にいた狙撃役に刃を突き刺す。もとの場所に帰還する。

 三つの行為の結果だけが存在して、間にあるべき過程の時間が存在していない。ここにいるどの自分も、彼女の動きを捉えることができていない。

 身体能力の強化で得られるスピードを超越している。

「めのう、ちゃんに……」

 目の間にいる女が、のろのろと口を動かす。緩慢な動作。茫洋とした視線。見るからに回転していない思考回路。まるで寝起きだ。

 うつろだった少女の瞳が、はっきりと焦点を結ぶ。

「メノウちゃんに、手を、出すな」

 今度は、少女の姿を見失うことすらなかった。