世界でもっとも繁栄した都市である北大陸の中央部は、複数の大陸を股にかけて活動する白亜はくあたちにとって本拠地だった。

 当時の中央都市は、人口が集中していた。地上に施設を増築するのはもはや不可能な過密ぶりであり、それでも増え続ける人口に地下開発へと乗り出した。世界でもっとも発展した巨大都市で試みられた地下都市の開発成功は、人口が増え続けるこの世界にとって悲願でもあった。

 純粋概念を多用した開発は一年という恐るべき早さで完了し、白亜たちの技術力の高さを世界に知らしめることとなる。

 摩耶まやが日本にいた時代すら突き抜けた技術の最新鋭で構築された都市は、SF映画の世界に等しかった。

 密閉された地下空間でもっとも重要な役目を果たすのが、環境制御塔だ。原色概念の濃度を高めるには密閉空間でなければならないが、密閉された地下空間では人間が恒常的に生活することはできない。環境を維持するための膨大な項目の処理は人間では不可能であり、【器】の純粋概念の持ち主である我堂がどうによって演算専用の魔導兵が作られた。

 それが人型演算魔導兵【星読み】である。

 人型である意味は特にない。【星読み】は導力回路によって形成された人工知能を搭載している。とはいえ導力回路による人工知能は、まだ発展途上の技術だ。想定された以外の受け答えに関しては、返答不能だった。

「いい子なんだけどね。恥ずかしがり屋なんだよ」

 口癖のように廼乃ののが言う台詞せりふは、人に向けるものというよりは、お気に入りの人形に対する『いい子』に近い。もしくは愛用する道具への思い入れだろう。

 それでもマヤは【星読み】のことを気に入っていた。簡単な受け答えをしてくれる機能が単純に面白おもしろかったのもある。自分より大きな人間を見るとビクついてしまうくせが残っていた摩耶にとって、気を使わなくていい存在は貴重だった。

 廼乃は【星読み】と呼ばれる魔導兵と二人きりになって閉じこもる時間があった。

 それは不思議な時間だった。

 明らかに、予言のために【星読み】と接続しているのとは別だった。長時間、それこそ数日かけて【星読み】と導力接続をしたまま閉じこもるのだ。

 なんのためにと摩耶が問いかけると、彼女は星の浮いたひとみでウィンクを返す。

「未来のためだよ」

 気障きざったらしい言葉に、ちょっとムカついたことを、よく覚えている。



 一夜明け、遺跡街が色づき始めた。

 地下に訪れた夜明けを、メノウは映画館のエントランスルームにある窓穴から見ていた。

 環境制御塔の中心にある光源が、上下の街を照らしていく。

「……」

 地上に広がる街並みを眼下に収めながら、メノウは日記のページをめくっていく。

 この一枚一枚に記されたのが、日々磨耗していくメノウの記憶を記した日記だ。なにをしなくとも徐々にメノウの精神をむしばみ、魔導として行使すればさらに多くの記憶を消費していく純粋概念【時】。

 その影響が、いまの自分にどれほど及んでいるのか。

 記憶にない記述のある箇所にチェックを入れていく。

 メノウがやっているのは、自分の記憶が欠損している部分の確認作業である。この作業をすることで、自分がどれだけ記憶を失っているのか、客観的な判断ができる。

 毎日、少しずつ増えていったチェックは、とうとう日記の三分の一にも上っていた。

「……やっぱり、純粋概念を使うと減るわね」

 遺跡街に来てからも【劣化加速】を行使している。あの魔導は付与する対象の質量に応じて精神の消費が増える。メノウ自身に【加速】の魔導をかけず、小さな導力弾に付与している理由がそれだ。

 そうやって最大限、記憶を節約しても減っていっている。

 忘れてしまっているのは幼い修道院時代のことだったり、ここ半年のことだったりと時系列順で消えていっているわけではない。アカリとの交流や導師マスターとの記憶があまり消えていないあたり、人格形成に重要な部分から消失しているわけでもないだろう。

 特筆してごっそりと記憶から消えている人物は、一人だ。

 自分の補佐だった白服の少女の記憶である。

 どうしても、彼女にまつわる感情が思い出せない。日記を読んでも、まるで他人事ひとごとにしか感じない。もし彼女と出会った時に、自分はどう振る舞えばいいのだろうか。

「まだ大丈夫なはず、だけど……」

 あまり、時間はない。記憶が半分以上なくなれば、間違いなく人格に影響が出始める。いまですら自覚なく人格の変容が始まっていてもおかしくない。

 このまま記憶が消えた場合、どうなるのか。

 日記を閉じたメノウは、思考を巡らせる。

 順当にいけば、人災ヒューマン・エラーとなるだろう。純粋概念を使った以上、避けられない末路だ。記憶貯蔵庫である『星の記憶』を頼りにしようにも、そこにいるハクアがご丁寧にメノウの記憶を残してくれているとは思えない。

 ハクアが自分自身でメノウを追ってこない最大の理由が、それだ。

 彼女は、放っておけばメノウが自滅することを知っている。ミシェルという追っ手は、メノウの自滅を早めることができるのだ。

 だが、もしかしたらという予感があった。

 メノウは、異世界人ではない。日記を使って消費されている記憶を客観的に見れば浮き彫りになる事実もある。

 メノウには自分自身の記憶のほか、もう一つの記憶がある。アカリの記憶だ。導力の相互接続をして、記憶を共有したのだ。その記憶も日記には残らず記されているが、チェックがついているページは一箇所もない。

 消えていっているのは、もとからあるメノウの記憶だけだ。

 これはメノウの魂に直結する記憶のみが消費されているからだと考えられる。

 もしもこのまま記憶が削られ続け、メノウの中にアカリの主観の記憶だけ残った場合──

「……おはよう」

 背後の気配に、メノウは思考を打ち切って、あいさつを飛ばした。

「や。早起きだね、君は」

 ノノだ。するりと自然な足取りでメノウの隣を陣取る。

「マヤとサハラ君はすやっすやの夢の中だよ」

「警戒心のないサハラはあとで叱っておくわ」

「いや、寝るのは許してあげなよ。睡眠は重要だぜ? ボクだって二十四時間耐久はつらい」

「そう?」

 メノウは目を細める。

 ノノは【星読み】と呼ばれる魔導兵に自分の魂と精神を詰め込んで、この千年を生き抜いてきたのだろうとメノウは推測している。もとから存在した環境制御塔を管理する【星読み】になることで、ハクアの目すらあざむいたのだ。

 異世界送還陣である『星骸』を管理し、『遺跡街』を封印していた【星読み】は、メノウが思っていた以上にハクアにとって重要度が高い。それでいながら、ハクアは『星骸』の影響で近づくことはできないのだ。

 改めて、ノノをまじまじと正面から見る。

 白い肌。黒い瞳。魔導的な素質も人並みだ。

「変よね、あなた。魔導兵のくせに、魔導兵としての特徴が皆無だもの」

「そりゃそうさ。ボクには魔導兵としての誇りも自意識もないから、いまの子たちと違って、わざわざ人類と区別するための特徴を残す必要はないんだよ。それでカー君みたいな特殊性癖もないから、起動する時も美白の自分そっくりに擬態した。それだけの話さ」

「カー君って誰?」

「【器】の純粋概念を持った子だよ」

 そっか、とメノウは頷く。いまの子たち、というのは『絡繰からく』が生んだ天然の知性を持つ三原色の魔導兵のことだろう。

「条件起動式で、あなたの意識が覚醒かくせいするのよね」

「厳密には違うけど、不都合があるわけじゃないから、その程度の理解でも許してあげよう」

「どーも。ついでに聞くけど、あなたが目覚める条件は?」

「この世界に大規模な危機が訪れる時、だよ」

 それを、信用していいものなのか。

 事実として、アカリが人災ヒューマン・エラーと化した時にノノはその場にいなかった。

「そんなことよりボクがしたいのは世間話さ」

「なに? 今日の天気でも話す?」

「ふふっ、興味深い話題だけど、遠慮しておこう」

 地下に天気の変化があるはずもない。メノウの皮肉に、ニヤリとする。

 ノノが唐突に自分の眼鏡をはずして、メノウに掛けさせた。

「……なんのつもり?」

「いや、似合うなぁって。ハクアにも、前々からメガネ族になってほしいなとは思っていたんだよ」

「なにがメガネ族よ。これ、伊達じゃない」

 度は入っていない。どうやら伊達メガネらしい。魔導的な仕掛けもないし、本当にただのおしゃれアイテムだ。

「目が悪くないのにメガネをかけているという事実こそ、よりメガネのデザインを好んでいる証拠さ!」

 明るく宣言したノノが、自然なそぶりでメノウの顔を覗き込む。

「昨日、『星骸』が異世界送還陣だと聞いて目の色が変わったよね」

「……」

 至近距離での問いに、動揺を隠し通せた自信はなかった。

 メノウは静かに鏡を外してノノに返す。わざわざ道化ぶりながらもメノウに眼鏡をかけさせたのは、警戒させずに顔を寄せたかったからだろう。

 ノノは口元にうっすらと笑みを浮かべている。昨日も一度だけ、この笑みを浮かべていた。会話を楽しんでいるだけではない。彼女の笑顔は、その形に固定したポーカーフェイスだ。

「がっかりしたかい? 『星骸せいがい』はこの地下都市とともにボクとカー君で作った傑作だけど、あれこそがハクアを倒す武器だと思ってはるばる北大陸まで来たのだろう? ハクアは強いからね。兵器を求めるのは、生身の人間で対抗しようとするより、ずっと建設的だ」