はるか下方に広がる街並みを足元に眺めながら、少女たちは空を歩いていた。

『遺跡街』の天井てんじょうに広がる街に着いたメノウ、サハラ、マヤの三人である。

 彼女たちが歩いているのは、下に向かって伸びていく建物を繫げるチューブ状の通路だ。素材が透けて下の街が見えるようになっている通路にはなんの障害もない。敵がひそむ物陰もないため、必要以上の警戒もいらなかった。

 地上から天井の街を見ていたのとはまた違う、不思議な気分だ。空を歩いている気持ちを味わえる。間違いなく、そう感じるように設計された幻想的な空間に、サハラが一言。

「こっわ。落ちそうで嫌だわ、これ」

 素直な感想に、メノウは苦笑する。

「確かに、足元が抜けるんじゃないかって不安になるわ」

「へーきよ。サハラはともかく、メノウも原始人みたいなこと言うわよね」

「ここまでの文明の差を見せられると、なんにも言い返せないわ」

 メノウたちがたどり着いた『遺跡街』の天井区画には、大小様々なビルが氷柱つららのように建造されている。天井部分を基礎として、下へと階層を増やしていく作りだ。民家サイズのものもあれば、数百階はある超巨大ビルが下方に突き出していたりもする。

 千年の昔に無人となった遺跡でありながらも、遠い未来に実現できるかもという夢想をてられる。自分たちの過ごす導力文明がどれだけ発展すればこれだけの都市を構築できるのか。メノウには想像もつかない領域にあった。

 ただ、メノウたちはのんびりと観光をしに来たのではない。

「疲れた……」

 天井区画に着いて、数時間は歩いただろうか。まっさきに弱音を吐いたのはサハラである。とはいえ、情けないとはメノウも思わなかった。

「そうね。さすがに、長いわ」

 言いながら、疲労がまっている太ももを軽くさする。

『遺跡街』の天井区画は、あまりにも広すぎるのだ。

 表面積的には下の街と変わらない。だが建物同士が透明な通路でつながっている構造は、ほとんど三次元的な迷路である。都市構造に上下空間をふんだんに使っているため、下に広がる街よりも複雑さが増している。慣れれば便利だろうが、初見で迷わず目的地にたどり着くのは困難だ。

 天井都市に着いたメノウたちが武装集団と遭遇していない一因が、この複雑さにある。

 下の街並みは発展していようとも、既知の都市構造の延長線上にある。環境制御塔まで続く主要な道路を見張っていれば、メノウたちを発見することは決して難しくない。

 だが天井区画に広がる都市の構造は、彼らにとってもまだまだ未知の領域なのだ。

 どこをどう通れば環境制御塔につながる通路となっているのか。まだ遺跡街を占拠して数ヶ月程度しかないゲノムたちでは把握しきれていないのだろう。

 だが、彼らと違ってメノウたちにはこの都市の基本的な構造を知る者がいた。

 メノウはちらりとサハラの肩の上に視線を向ける。

「だいぶ歩いたけど、あとどのくらいかかるかわかる?」

 マヤである。

 サハラに肩車している彼女は千年前に生きた人物であり、この都市が稼働している現役げんえき時代に自身の活動拠点の一つとしていたらしい。事実、いまの時代の人間には理解不能な都市構造にも戸惑うことなくメノウたちを先導していた。いまは『駅』とされる一際ひときわ大きなビルが周囲の建物を繫げる中心地と中継地点を兼ねた建造物となっていると聞いて、その『駅ビル』を目指して建物を渡り歩いている最中だ。

「よく考えてみれば、わかんない」

 案内人からのまさかの発言だった。メノウたちは、きょとんと目をしばたたかせる。

「どういうこと?」

「あたしがいた時には導力列車とか空中遊覧ができる導器が通ってたの」

「列車……! どこ!? 座っているだけで目的地に到着したい……!」

「落ち着きなさい、サハラ。動いてるわけないでしょう」

「うん。動いてた昔は入り口から、どこを目指しても一時間もしないうちに着いたの。こんな長いこと歩いて行ったことなんてないから、わかんない」

 古代文明期は現代より発展した文明だったのだ。これだけ広い街で、移動手段が徒歩のみのはずがない。建築物は保全されているというのはアビィが実演で説明してくれたが、精密な導器の塊である導力列車はその限りではないはずだ。

「というか、いま歩いてるところとか、線路だったわよ?」

「ここが?」

 レールもないつるつるした空間に列車が走ると言われても、メノウの常識とは少し違いすぎて想像しにくい。

 半日歩いて、まだ道半ばだ。もしマヤの案内がなければ正しい道を探すだけで数週間単位、あるいはもっと時間を費やしていてもおかしくない。

 結局は一際大きな『駅ビル』の天井部に近い階層で休憩することになった。

「ここまで来たら、明日はちょっと楽になると思うわ」

「そうなの?」

「うん。遺跡街にある駅ビルって、天井区画の主要幹線が通ってるの」

 マヤの説明によると、いまメノウたちがいる『駅ビル』と呼ばれる大きな建物は、地下天井のさらに上部空間に通された主要幹線の導力列車で経路がつながっているらしい。区画の中心部となっている駅ビル同士の行き来を簡便にして、そこを中心に細かい通路をつなげて一つの地区を作るのが、この天井区画の基本設計なのだという。

「だから、ここの駅ビルから列車が通っていた線路を歩いていけば環境制御塔がある駅まで辿たどり着くわ」

「よかった……ここを捜索、探検してマッピングなんてことにならなくて」

 サハラが心底、ほっとしたと肩の力を緩める。

 ここに来る前の地下街でもやっていたが、時間と労力がかかるのだ。

 蜘蛛の巣のように張り巡らされた通路でつながる『駅ビル』を中心とした建造物の群れにしても、下手をしたら一つの町が収まりそうなほど範囲がある。隅から隅まで探索しようとしたら、時間が年単位であっという間に溶けていくだろう。

「どっちにしろ、夜になってあかりが落ちたら移動も難しいわ。区切りにはちょうどよかったわね」

 地下空間でありながら、時間がわかる理由は簡単だ。

 メノウはガラスが抜けて空洞となった窓枠から、街の中心部を見る。

「『絡繰からく』への入り口が、光源代わりになっているわね」

 環境制御塔の中央部にある、巨大な光源の光が夕日の色に変化している。

『遺跡街』に入った時は明るい白色だったのが、時間の経過とともに光量を落としているのだ。マヤも興味津々に渦巻く導力光を眺める。

「あそこ、『絡繰り世』につながってるのよね」

「みたいね。アビィが出てきたのはアカリが【世界停止】した時だとは思うけど。……マヤは、ここに来た時に変だって思わなかったの?」

「だってあそこ、もともとは導力で作った人工太陽があったもの。見た目がちょっと変わってたけど、形がほとんど同じだったのよね」

「ああ……」

 マヤが言っている魔導に心当たりがあったメノウは、なるほどと頷いた。

「原色の【太陽】は原色概念の大魔導だし、それがあったことが原因でつながった可能性もあるわね」

「あれを通った先にアビィの作った地区があるって言ってたけど、どんな性質してると思う?」

「さぁ……前に行った時はアビィの地区には入らなかったし」

「というか、『区長』って基本的にあんまり自分の地区に人を入れたがらないっぽい。なんでかしら」

 導器と違って魔導に関してはなまじ知識があるため、遺跡街の構造よりも話が盛り上がる。

 休憩の準備のため、マヤが自分の影に手を入れて缶詰を取り出す。

 マヤの影は異界に繫がっている。正しくは、原罪概念によって肉体が構成されると、影が自分の一部となって操作できる異界になる。操作して固めることで武器にもできれば、平面に張り付けて奥行きをつくって収納スペースにすることもできる。

 大きさは、せいぜいマヤが二人分入る程度だ。メノウも緊急回避のために一度だけ中に入ったことがあるが、お世辞にも居心地がいい空間だとはいえなかった。

 途中途中でマヤが疲れるとおんぶをしたり肩車をしたりということになったため、二人の疲労度が高くなっている。特に途中で疲れたマヤにねだられて長時間の肩車を続けさせられているサハラの疲労は濃い。

「マヤ……明日はサハラの影の中に入れば?」

「ヤよ。サハラが荷物を詰め込んでるせいでスペースがあんまりないもの。そんなことより、どうするの?」

 食事の準備を始めると、どうやら明日もサハラを自分の運搬役にする気満々のマヤが今後の方針をメノウに尋ねる。

「明日、か」

 短剣で缶詰のふたを開けながら、メノウは考える。何事もなければ明日には環境制御塔に到着するが、その後の戦闘は避けられないだろう。

「環境制御塔がどうなっているかしだいね。あそこにすんなり入って【星読み】を見つける、っていうわけにはいかないでしょうし」

「占拠されてるんでしょうね、どーせ」

 缶詰の中身を指で摘んで口に放り込んだサハラが投げやりに言う。

 ここまでは天井地区の複雑さゆえに遭遇することはなかったが、環境制御塔に到着するとなると話は違う。

 間違いなくゲノムはあそこを拠点としている。『絡繰り世』で活動していたゲノムがあの出入り口を抑えているのは確実なのだ。

「そもそも、ゲノムの目的がよくわからないのよね」

 彼は悪名高い人物だが、逆を言えばメノウと対立する理由がない。

 どちらかといえば、第一身分ファウストと反目し続けた人物だ。ある意味、いまのメノウたちとは利害の一致で協力関係が結べてもおかしくはない。単純にメノウたちが入ってきたから撃退しにかかってきた、というには、最初の襲撃が過激すぎる印象がある。

導師マスターつながりじゃない?」

 缶詰二つ目にとりかかり始めたサハラが、あっさりとした予想を口にする。

 ゲノム・クトゥルワと導師マスター陽炎フレア』の確執は有名だ。ゲノムの取引を何度も壊滅に追い込んだ処刑人であり、『陽炎フレア』にとっては「史上最多の禁忌狩り」である彼女の生涯で数少ない取り逃した標的だ。

「ゲノム・クトゥルワが導師マスターを恨んでたのは有名だし、メノウが『陽炎フレア』の弟子なのも有名。『陽炎フレア』の弟子が来た、じゃあ殺そうとゲノムが思ってもおかしくないわね。つまりいまゲノムが敵に回っているのは、メノウが悪い」

「それも否定はできないけど……」

 いまいち納得できないと首をひねる。

 どちらかと言えば、『絡繰り世』の入り口になる穴が、この『遺跡街』にもあるという事実のほうがメノウの頭に引っかかっている。ゲノムは長らく『絡繰り世』にいた。そこから出てくることがなく、彼も『絡繰り世』に囚われ封印されていると揶揄やゆされていたほどだ。

 アビィが出てきたように、ゲノムもあそこの穴から出てきたのではないだろうか。

 だがそれが何を意味するかの結論を出すより先に、サハラが話題を変える。

「で、下にいるアビィはどうするの? あの人、落ちたままだけど」

「あいつがいないのに、あたしたち三人だけで行くの? 目指してる場所だけはわかってるからあとで合流できると思うし、それならそれでいいんだけど」

「そうねぇ。偶然なんだけど、うまくいけばアビィと上下で攻めることができるのよね」

 環境制御塔は見る限り唯一、『遺跡街』上下を物理的に繫げる連絡路にもなっている。上にいるメノウたちと下にいるアビィとで同時に攻めることができる。

「なんとか連絡、とれないかしら」

 教典があれば話は楽だった。通信魔導で互いの行動を報告しあえる。それでなくともアビィがむし型を連絡用に送ってくれればいいのだが……千メートルを超える高度となると、あのサイズを飛ばすのは難しいのかもしれない。

 考えていると、サハラが耳打ちをしてきた。

「メノウ。アビィがいないうちに、伝えたいことがある」

「なに?」

 マヤに聞こえない音量で、サハラがメノウの耳元でささやく。

「ここに来る直前に、アビィが言ってたの。メノウが『【時】を使ってくれた』。それと『くだらない世界を滅ぼすために』って」

「……どういう意味?」

「さあ」

 サハラは肩をすくめる。二人のやり取りをサハラが見咎みとがめた。

「なぁーに二人でこそこそしてるの? いやらしい」

「アビィの悪口。私、あの人が怖いの」

「いいんじゃない? あんなポンコツ、頼りにしないでも」

「マヤも頼りにしてるわよ。環境制御塔に万魔殿パンデモニウムがいたら、あなたがいないと話にならないもの」

「別に……慰めてほしかったわけじゃないんだけど?」

 そう言いつつも、やはりアビィへの対抗意識があったのだろう。口元がちょっと満足げだった。

 サハラがわざとらしく目を見張る。

「メノウもすっかり大人になっちゃって……昔は感情ない子供だったくせに、ちゃんと慰めるタイミングをつかんでる」

「いや、昔からあったわよ。感情くらい」

「絶対、うそ。昔はなかった。導師マスターの言葉にうなずくマシーンだった」

「へー? そうなの?」

「そうそう。昔のメノウはいつも無表情で、スンって感じの子供だった。そのくせ警戒心はゼロの危なっかしさがあった」

「なに、『スン』って……?」

「あたしより年下な頃のメノウって、見てみたかったかも」

「見たいならメノウ専属の盗撮魔が記録を……って、前に同じような話したわ、これ」

「そうだっけ?」

 メノウは眉根まゆねを寄せる。盗撮魔云々はサハラの戯言にしても、確かに修道院時代は感情が希薄だった自覚はある。感情表現を習ったのはサハラが修道院を去ったあとなので、感情のない子供扱いもあながち間違いではない。

 言いたい放題されている不満に唇をとがらせて、黒いスカーフリボンに触る。

 うれしいという感情を覚えたのは、このスカーフリボンをもらった時だ。もらえるとは思わなくて、そう。

 なぜ、嬉しいと思ったのだろうか。

「……?」

 そういえば、このスカーフリボンをだれからもらったのかを思い出せない。つじつまの合わない記憶の齟齬そごに、思考にノイズが走る。もどかしさに胸がかき乱される。

 ぎゅうっと胸元の服を強く摑む。

 記憶の欠損に自覚的になって以来、たまに起こることだ。もしかしたら、地下に降りる前にハクアを吹き飛ばすため純粋概念を使った時に失った記憶なのかもしれない。あとで、日記で確かめればいいだろう。首を振って、現状と関係ない余計な思考を振り落とす。

「マヤ。【星読み】について、改めて教えてくれない?」

「いいわよ」

 頼られるのが嬉しいのか、マヤがちょっと嬉しそうになる。

「【星読み】は、環境制御塔をコントロールするために我堂がどうが造った魔導兵よ。いい子だけど、意思がないの」

 一言目から、意外な内容だった。

「意思が、ない? 魔導兵なのに?」

「うん」

 頷いたマヤは複雑そうな顔をする。

「我堂が人災ヒューマン・エラーになる前と後じゃ、人型の魔導兵って明確に違うの」

【器】の純粋概念、我堂蘭。彼女は多くの導器を開発したが、知性体と呼ぶべき存在は生み出さなかった。

 マヤにとって、【星読み】は人型をした機械だ。人並みに動けるし会話の受け答えもできたが、決められた反応以上のものはなかった。あくまで『星骸せいがい』の制御のための機能をしていたのだ。

 マヤの説明を聞いて、メノウも理解する。

「魂がないのね」

「そう、それそれ」

 肉体、精神、魂のうちの一つが欠けている。すなわち、生命の定義から外れているのだ。

 自立した思考能力を持つ生命体ではなく、機能を持った導器でしかないのだ。

「【星読み】は、なんの機能を詰め込まれたの?」

「全部」

 マヤの返答は簡潔だった。

 あまりにも簡単すぎたからこそ、内容を把握しかねた。

「全部って?」

「だから、全部。全盛期だった時の北大陸中央部の、全部の機能」

 数秒、メノウとサハラの思考がまる。

 それがどれだけの広範囲にわたるか理解して、ぞっとした。

「地下都市、地上にあった都市、上空に浮かんでいる『星骸』。その主要機能の全部の処理を、【星読み】に任せていたはずだわ」

「それ、は……」

 ごくりとのどが鳴る。

 古代文明を体験していないメノウでも、それがどれだけ途方もないことか、想像できる。あるいは、想像できないほど途方もないことだと理解できる。

 それを【器】の純粋概念は、一人で作りあげた。

 ただ力が強大なわけではない。ある意味では、都市を一つ消し飛ばすことができる人災ヒューマン・エラーよりもよほど並外れた能力だ。

「それって人型に収まるの?」

「無理よ?」

 導器は出力が高く、多機能になればなるほど規模が大きくなる。

 さすがにさっき言った機能を人型サイズに押し込めるのは無理だと、マヤは環境制御塔を指差す。

「だから【星読み】は環境制御塔と繫がっているの。あの環境制御塔そのものが【星読み】で、人型部分は……なんだろう。我堂の趣味?」

「趣味って」

「だってそうなんだもん」

 メノウの反応に、マヤがほおを膨らませる。

「我堂が人災ヒューマン・エラーになってから生んだ魔導兵は……あいつを見てれば、ちゃんと生物だってわかるけどね」

 マヤは不本意そうに言う。

 アビィは、よくも悪くも自分で物事を決めて動いている。自律した思考を持っているのだ。

「それより、どうする? 一応、この駅ビルって何度か来たことがあるから案内はできるわよ。遊べる場所も結構あったんだから!」

 もう廃墟だけど、と付け足す。

 マヤなりの冗談だったのだろう。だが、二人の反応はかんばしいものではなかった。

「あそ、ぶ……?」

 メノウとサハラは交互に視線を合わせる。

 おずおずとメノウが口を開く。

「遊ぶって、なにが楽しいの?」

「ごめん……私にもちょっとわからないわ」

「うっわぁ……」

 マヤは娯楽という文明を知らない憐れなエンタメ後進者たちに、憐憫れんびんの視線をそそぐ。

「かわいそう……。あなたたち、遊ぶっていう概念を知らないってどれだけよ。なにが楽しくて生きてるのかしら。人はパンのみに生きてるわけじゃないのよ? 義務をこなすのが人生だって勘違いしてない?」

 十歳に人生を語られてしまう。マヤが口達者なことはさておいて、ここまで言われては黙っていられないとメノウとサハラは難しい表情で顔を突き合わせる。

「よく考えてみれば、遊ぶってなにかしら。なにかを心から楽しむっていう行為をしたことない気がするわ」

 サハラの発言に、マヤの視線が本格的に憐れなものを見る目になってきた。

 幼い頃から訓練漬けで処刑人として活動していたメノウはもちろんのこと、サハラとて修道女になってから手を抜いてサボることはしても遊ぶという行為をした思い出がなかった。

「メノウって、アカリちゃんと結構楽しそうに旅してなかった? あれは一種の遊びと言えなくもない。バラル砂漠での水浴びとか、実質遊んでいたのかも!」

「あの時は、遊んでたっていう意識はなかったわね。話すだけで楽しかったもの。なんていうか、遊具とかおもちゃで遊ぶってことはしたことないわ、よく考えてみれば」

「うわっ、友達いるアピールとか、汚い。メノウは汚い。友達いない私に対する嫌味?」

「やかましいわよ。アカリは私の大切な友達ですけどなにか?」

「そうですねぇ。メノウさんは女遊びが達者でしたね。忘れてましたぁ!」

「人聞きの悪いこと言うのはやめなさい!」

 ひそひそ話から言い合いに発展していった二人の間に、ずいっとマヤが割って入る。

「……よくないわ」

 マヤは深刻そうな声を上げた。

「これは、よくないわ。エンタメのなんたるかも知らないなんて、人生の損失よ……!」

「そっち?」

 完全に目的を見失っているマヤが、はっと思いついたかのように顔を上げる。

「そうだわ! サハラ、メノウ! 映画……! 確か、この近くに映画館があったわ! 行きましょう!」

「えぇ? もう夜よ?」

「行くの! 絶対! あたしたちが死んでも! 世界が滅んでも! 映画は不滅なんだから!」

「──えぇ……?」

 この遺跡街は千年前の街並みだ。微細導器群体マイクロマシンの保護対象ではない物品は風化する。映画館とやらも、外観はともかく内部は廃墟になっているのは間違いない。

「映画って導器で投影する映像よね。動いてるわけ、ないと思うけど……」

「万が一ってことがあるでしょ! メノウたちみたいにエンタメの価値を知らない人がのさばってる文明を発展させるためなのよ! 崇高な使命感を持って賛同するのが義務!」

 言いたい放題の王女様状態だが、マヤの言う通りこの世界で娯楽が発達していないのは事実だ。特に第一身分ファウストになるような少女たちは、遊びという発想が浮かばないほどに厳しい訓練漬けにされている。

「行くわよ! こっちの道!」

 マヤのテンション上昇はとどまる様子を見せなかった。駅ビルからいくつか分岐している空中回廊の一つを選んで直進する。

 首根っこ引っ摑んで強行停止させるべきかもしれないのだが、そうした場合、確実に機嫌を損ねるマヤの対処に困ることになる。

 どちらが面倒か。どっちにしてもサハラに対処を放り投げるためにメノウが視線で問いかけると、首を左右に振られた。処置なしとの答えである。

「映画ねぇ……」

 しぶしぶマヤの背中について歩きながら、メノウはぴんとこない顔でつぶやく。

 映画という存在について、メノウたちも知識としては知っている。要するに、録音録画投影の魔導を娯楽に活用したものだ。メノウなりの解釈でくだけば、劇場の舞台を映像で流しているというくらいの理解になる。

 それのなにが楽しいのか、と問われるとメノウにとってはなぞでしかない。

 第一身分ファウストの関係者だったメノウたちからすれば教典魔導にある映像魔導を贅沢にも娯楽に使ったものでしかない。潜入任務などで重要な証拠を記録する魔導であって、遊びに使うものではないという反発心すら浮かぶ。

「……面白いの?」

「そんな問いが出ること自体が、『私はエンタメを知らない愚かな人間です』っていう自己紹介よ!」

 万魔殿パンデモニウムの一部でもあったマヤは、堂々と言い切る。

「感謝なさい! 心の豊かさ大貧民のあわれなあなたたち二人に、日本からの伝道者としてエンタメという精神世界の黄金価値を教えてあげるわ!」

「そこまで言われること……?」

 ちょっと文化が違うだけで、心が貧しい呼ばわりである。

 だがここまでくると映画とやらが、どれだけのものなのかという反骨心も湧いてくる。

 マヤの勢いに押されるがまま、メノウたちは駅から延びる空中通路を通って映画館とやらの建物に向かった。


 マヤの案内で入ったのは、三階程度の高さの建物だった。

 駅ビルからつながる通路を歩いて、十分程度。映画館と呼ばれる建物に一歩入ると、やはり内部にはなにも残っていなかった。

 アビィが落下して取り残される前に調べた通り、街全体の清掃と経年劣化で朽ちた箇所の補修は微細導器群体マイクロマシンが自動でしていたのだろう。内部の装飾品のたぐいは風化して清掃されたのか。がらんどうのさびしい内装になってしまっているが原型は保っている。

 そんな場所でも、大きく深呼吸したマヤは目を潤ませている。

「千年ぶりの映画館の空気……!」

 懐古と感動に打ち震えているいたいけなマヤの姿を見て、サハラがぼそっと一言。

「……マヤが気持ち悪い」

「なんか言ったぁッ?」

 懐かしさに浸っていたはずのマヤが耳ざとく反応する。さっと顔をらしたサハラに代わり、メノウはきょろりと周囲を確認する。

「映画館っていっても、ここには特に、なにもないわよね」

「ここは受付カウンターだもん。こっちよ」

 マヤが勝手知ったる足取りで先導する。どうやらさらに内部に入っていくらしい。

 微細導器群体マイクロマシンのおかげで崩壊しているということはなかったが、内装の飾りはなくなっている。途中の階段や通路の様子に、寂しげな表情をのぞかせる。

「エレベーターもエスカレーターも動かない、か。ポスターもパンフレットもないし、なんにも残ってないわ。ちょっと残念ね」

「千年もってれば、ね」

 むしろ、建物がここまでしっかりと残っているのがおかしいのだ。維持システムがなければ、天井区画にあったすべての建物は落下して、下の街並みと一緒に瓦解しただろう。

「そうよね……うんっ。大丈夫!」

 雰囲気だけでも感じられればいいとマヤは気合を入れ直す。

「はいっ、おまちかね! このドアを開ければ、シアタールーム……」

 明るい声でのマヤの発表が中途半端ちゅうとはんぱに途切れた。

 目の前のドアは、遮音のために分厚い作りとなっている。その先にあるシアタールームの中から音が漏れているのだ。

 複数人の声に、音楽と効果音が混ざり合う音響。マヤが戸惑った様子で、小さく呟く。

「これ……中で、映画が流れてる?」

 マヤも本気で映画館の機能が生きているとは思っていなかったのだろう。困惑した顔で立ち尽くす。

 この世界ではとっくの昔に失われた文化である『映画』が流れているという異常事態が示す意味は一つ。

 誰かが、中にいるのだ。

 ぴりっとした緊張感が走る。

 もっとも可能性が高いのは、万魔殿パンデモニウムだ。彼女は、マヤの人格をもとにした【魔】の人災ヒューマン・エラーだけあって、映画という概念に執着をみせていた。映画館という場所で、映画を再現するような何かを行っていてもおかしくはない。

 その場合、中で繰り広げられているのは大衆娯楽で健全な映像ではなく、【魔】にふさわしいものになるだろう。

「……」

 メノウとサハラは無言で目線を合わせた。メノウが先頭になって、マヤを挟んで最後尾はサハラが務める。三人の警戒は最高潮に高まっている。慎重に扉を開け、短剣を抜いて、中の様子を刃の金属面に映し出す。

 そこに映し出された像を見て、メノウは困惑した。

 シアタールームの内部には、床に固定された椅子いすが整然と並んでいる。そして前方の壁一面に広がるスクリーンに、映像が投影されていた。

 後ろからメノウの短剣に映った映像を見て、マヤが確信を深める。

「やっぱり、映画だわ。内容はちっちゃくってちょっとわからないけど……万魔殿パンデモニウムじゃない。本当に、普通の映画が流れてる」

「ほほう」

 映像自体は危ないものではないと知ったサハラが扉の隙間すきまから直接、中をのぞく。マヤが力強く弁舌してくれた映画とやらがどんなものだという好奇心が顔を出す。

 巨大なスクリーンで、映像が躍っていた。

 四方一辺が二十メートル以上ある画面で映像が動く迫力は、メノウとサハラにとっては初体験だ。映像では海中から跳ね上がったサメが風を切って宙を飛び、第二宇宙速度で大気圏を突破しているところだった。

 きっと、千年前だからだろう。文化の違いからか、時代の隔たりゆえか。成層圏を突破したサメにレーザーを放つ攻撃衛星。それらをかわして静止軌道上にある衛星を次々と嚙み砕き、宇宙という無重力の大海原を泳いでいくサメという超展開なシーンの数々は一ミリたりとも理解できない意味不明な内容だが、フルスクリーンの映像迫力という一点だけでメノウたちを圧倒するには十分だった。

「これが、映画……?」

「え、ちょ」

 初めて見る巨大な映像。全身を打って肌で感じさせる大音量。人間としての知性と常識的なストーリーを犠牲にすることで得られる正体不明の何かを提供する映像に目を奪われるメノウたちの反応に、マヤが小さく声を上げる。

 そこには『映画とは物語と映像と音楽やその他諸々の要素、なにより役者の演技が複雑にからって昇華された総合芸術であって、これはちょっと違う』という抗議の意図が込められていたが、訂正の言葉を入れる前にシアタールームの座席の中心で誰かが立ち上がった。

「待ってたよ」

 映画の音声に混ざって響いたのは、自信に満ちあふれた少女の声だ。

 シアタールームを贅沢にも一人で貸し切りにしていた彼女の背後で、とうとう月まで泳ぎきったサメが月面に衝突して、巨大なクレーターを穿うがつ。

「時間があったおかげで、微細導器群体マイクロマシンを使ってこのシアタールームの再構築ができてしまったくらいだ。ボクの天才性をもってすれば、記憶からひきだした映像を投影することも難しくはないのだよ。ふふっ、マヤの喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」

 スクリーン映像の光に照らされている彼女は小柄だ。セミロングの黒髪に水色のセーラー服を着て白衣を羽織っている姿は、メノウに『迷い人』を連想させた。

 やはり、万魔殿パンデモニウムではない。

 マヤの名前を知っている。それでいてメノウが初見の人物で『遺跡街』にいるとなると、該当するのは一つしかない。

「あなた、【星読み】……?」

「いい推理だ、メノウ君」

 断定できないメノウの推測に、彼女は悠々と頷く。

「けれども甘いね。ボクは【星読み】だともいえるし、まったく違う存在だともいえる。なにせ封印されていた『遺跡街』で『星骸』を管理し続ける【星読み】とは、世を忍びハクアを欺く仮の姿。ボクが起動して選ばれた人々を招く時には、【星読み】は自動的にボクの姿を取るようになっている」

 初見でありながらもメノウの名前を呼んだ彼女の肌は褐色ではなかった。ひとみも白目と黒目が反転していることもない。明確に、アビィたちのような魔導兵とは違う。外見上は、人間とそっくりそのまま差異がなかった。

「予言者にして救世主。世界でもっとも人から求められ続けた純粋概念にして、間違えない異世界人と呼ばれた女」

 滔々とうとうと二つ名を並び立てて自称するという中二病真っ只中ただなかの人間でもあんまりやらない名乗りをしながら、彼女は仁王立ちになる。決めポーズなのか、右目の横でピースを作る仕草は堂に入っていた。

 照明を落としたシアタールームの暗がりにあって、らんっと瞳に光る星型の導力光こそが、彼女を彼女たらしめる最大の特徴だ。

「ボクこそが【星】の純粋概念を宿す者! 世紀を超える天才美少女ノノちゃんだぞ☆」

 空気が停止した。

 四人が静止する中で聞こえる音は、月の地殻を食い破って中心核を捕食したことで光り輝き、月という天体と合体を果たした超々巨大ザメ誕生を祝って盛り上げる爆発エフェクトとBGMだけだ。

「あ、あ、あん、た……」

 見知った人物のふざけた言動に、マヤの体が震える。その反応をどう判断したのか。ノノと名乗った少女は歓迎の体勢で腕を大きく広げる。

「ふっ。マヤったら感動で言葉も出ないのかい。この寂しがりやさんめ! かわいいなぁ、もう!」

 スクリーンの中で、月と同化したサメが躍動する。目指す先は地球だ。自分という存在を追い立てた人類に復讐するために、青い惑星に喰らいつくべくヒレを動かし、宇宙を泳ぎ始める。