マヤはむむっと目を細める。

「昔は上下を行き来する気球みたいな乗り物がひっきりなしに動いてたんだけど、さすがに動いていないみたい。残念だわ」

「千年も経ってればね……というか、街並みがこんな綺麗きれいに残ってるほうがおかしいのよ」

 目の前に広がる街は千年近く封鎖されていたのだ。とっくの昔に建築物の耐用年数を超えて自壊を始めていてもおかしくないというのに、不自然なほどに街並みが老朽化している様子がない。

「それに、この広さ」

 サハラが手をひさしにして天井をあおぐ。

「地下を掘って広げたんじゃなくて、原色概念で空間を拡張して造ったんだ。発想がすごい」

「確かに……そうそうやれることじゃないわね」

 天井部に都市をつくるという異端さ以上に物理法則を無視しているのが、天井までの高さだ。

 メノウたちは長い階段を下り、なだらかな傾斜となっている地下街を抜けてきた。地下二百メートルもないはずの深度に比べて、『遺跡街』は天井までの高さがおそらくは千メートルを超えている。

 この『遺跡街』という街すべての空間が拡張されている証拠だ。

「原色格納空間、か」

 あらゆる魔導体系の中で、おそらくはもっとも万能であろう魔導が原色概念だ。

『世界を創れる』とまで評されるゆえんは、閉鎖空間で密集した原色概念が空間を構築し始める点にある。

 密室空間で原色概念の濃度を高めると、内部の空間が拡張するのだ。広がった部分はもとある空間から位相がズレた新しい亜空間となる。

「よーするに、アイテムボックスよね。あたしの影とそんなに変わらないわよ」

 日常的に原色概念が使われていた千年前を生きていたマヤに言わせれば、そういうことである。この都市は、いうなればバカでかいアイテムボックスの中に造った街なのだ。

「千年前は便利すぎて小型化が規制されてたけど、逆に建物とか固定されたものにはよく使われてたわ。部屋が広くなって便利なのよね、空間拡張って」

「アイテムボックスの延長線上で都市空間を拡張して構築するっていうのも普通の考えだよね。原色概念は最小単位で操作できるようになれば亜空間も安定して、土地開発するより圧倒的に楽だもん。まあ、やりすぎると弊害があるけどね」

 長らく原色概念そのものが規制されている世界で生きてきたメノウたちと違い、マヤとアビィの二人に驚いた様子はない。ましてアビィが生まれた『絡繰からく』など、結界で閉ざされていたがゆえに原色概念で一国より広い領土が構築され、空間の拡張がいまだに続いて膨張している異界である。

 メノウたちが活動拠点にしているグリザリカ王国では徐々に原色魔導の規制を解いている最中である。

「散布してある微細導器群体マイクロマシンで、都市の基礎設定をしてあるみたい」

微細導器群体マイクロマシン?」

「原色概念の最小単位だけで組み立てた魔導兵のこと。簡単にいうと、理論的に一番ちっちゃい魔導兵だね」

「そんなのあるんだ……」

 サハラが感心した声を上げる。

 原色概念は、三つの色から生まれる物質を基礎とした魔導体系だ。微細導器群体マイクロマシンがより集まって原色の輝石が形成され、さらにそれを核にして同じ色の輝石が集合することで魔導兵が発生する。

 いまのメノウたちの文明では素材として可視化された原色の輝石からしか原色魔導は扱えないが、アビィは違う。原色空間の干渉と解析は、彼女にとってもっとも能力が発揮できる領域だ。本職だと言ってもいい。

「そんな小さいものの動きがわかるものなの?」

「わかるよー。『絡繰り世』だと私たちも地区ごとで散布して空間の性質を管理しているし。微細導器群体マイクロマシンって、ほっとくと同色で寄り集まって原色の輝石になるから、大気中にこの濃度は人為的に制御しないとありえないね。例えば……てい!」

 唐突にアビィが手近にあった壁にこぶしを叩きつけた。彼女の出力に耐え切れるはずもなく、外壁にヒビが走る。

 なにやっているんだと目を丸くしているが、本当に驚くべき現象は次だった。

 空中で導力光が発生して、破損した壁の箇所を埋めて補修していく。同時に、壊れた際に発生した瓦礫がれきも分解して消失していった。

「建材が微細導器群体マイクロマシンなんだよ、この都市。設計さえあれば、微細導器群体マイクロマシンはそれに従う形を作るから、経年劣化に耐え切ってるんだろうね。ガラスとか内装とか消耗品にしてあるから、建物のガワだけが残った廃墟になってるけど」

 自動で修復、清掃される建築物。これによって千年間にも及ぶ時間経過にも耐え抜き、都市空間を残し続けたのだ。

 なにからなにまで予想以上だ。これが古代文明の技術かと、メノウは感嘆の息を吐いた。

 ただ『遺跡街』がメノウの予想をはるかに上回るからこそ、違和感のある飾りも目についた。

 下の街並みにも上の反転した建造物にも、多くの建物に真新しい赤い旗が飾られているのだ。

「マヤ。あの旗、千年前にはなかったわよね」

「うん。なにかしら、あれ」

 念のためにマヤに確認したが、やはり千年前の街並みを知る彼女の知識にはなかった。

 赤い布に直線的な白線で記された『繰』の一文字を掲げる旗は、この世界ではあまりにも有名だ。

「ゲノムの赤旗……」

 見知らぬ街並みにある見知ったものの名称を、サハラが口にする。

 まさかとは思っていた。『遺跡街』は長らく封印されていたはずだ。それが開いたと聞きつけて、いち早く占拠したのだろう。

「げのむの……うん。なに、それ?」

「有名な悪党、ゲノム・クトゥルワが占領地に立てる旗ね」

 第一身分ファウストまとう藍色の神官服の対極にある、赤旗。ゲノムが第一身分ファウストを殺して血に染まった神官服を掲げることから始まったとも言われている。赤旗が立てられている地域には、よほど腕に自信がある者でも迂闊うかつには近づかない。第二身分ノブレスの騎士はもとより、第一身分ファウストにすら攻め込んで教会の屋根に『繰』の赤旗がひるがえったこともあるほどだ。

 あの赤旗は、ゲノムが率いる武装集団の強さを誇示する象徴となっている。

 一流れでも風に吹かれれば国でも迂闊に手出しをしない赤旗が、遺跡街の全域を飾り立てている。悪党の象徴ともいえる旗がずらりと並ぶ光景に、サハラの顔も青ざめていた。

「妹ちゃん、顔色が悪いけど、大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

 アビィの問いに、サハラは即座に首を横に振る。吐き気をこらえるように口元を手を当てている様子は、本当に体調が悪そうだ。

「最悪。『鉄鎖』の時はなかったのに……」

「まあ、あの時の連中は密輸取引の最中だったからね。ゲノム本人もいなかったし」

 もう一年近くも前になるが、メノウは大陸中央部にある砂漠地帯でゲノム直属の部隊と戦闘をしたことがある。バラル砂漠で戦った武装集団『鉄鎖』は、自分たちがゲノム直属の部隊だという自覚があったからこそ、彼の象徴である旗を掲げるには時と場合を選んでいたはずだ。

 逆説的に、いまの『遺跡街』は占領的なほど赤旗を掲げても問題のない場所になっているということだ。

「厄介な問題が増えたわね」

 赤い旗が全域にひらめく様相を見れば、メノウたちを迎えうつために準備をしていたわけではないことは明確だ。

「ゲノムは、純粋にこの『遺跡街』を自分の拠点にするために、陣地を構築してたのね」

 なぜこんな不自由な場所を選んだのか、理由はわからない。

 だが『絡繰り世』から出たゲノムは、『遺跡街』を自分の本拠地にするべく直属の部下たちを集めていたのだ。メノウたちはミシェルに追い立てられることで、その情報を集める暇もなくここまで追い立てられたことになる。

 赤旗がはためく建造群から、隠す気もない殺意と戦意が飛んでくる。

 この様子では間違いなく、ゲノムを核とする部隊が『遺跡街』に巣食っている。地下街にいた冒険者たちとは一線を画する武装集団だ。犯罪と名のつくあらゆる行為に手を染め、第一身分ファウストや各国の騎士たちに追われながらも退けて生き抜いた悪党の生え抜きどもである。

 仮にメノウたちが相手でなくとも同等の対応をされただろう。手前の地下街にいる冒険者たちを鳴子代わりに、自分たちの拠点になる侵入者を駆除しようとしているのだ。

 ゲノム側は、準備万端に整えて待ち構えているようだ。地下街で脅されていた冒険者たちとは戦力もモチベーションも一段階以上は上の相手になる。

 サハラがげんなりとした様子で弱音を吐く。

「赤旗の旗下にいるのって、『絡繰り世』にいた神官部隊とも戦えるような連中──」

 予兆は、なにもなかった。

 メノウ、アビィ、サハラ、マヤ。

 周囲を警戒しつつもゆっくりと街に入った瞬間、四人がほぼ同時に襲われた。

 周囲の建物からあからさまに浴びせられる殺意を隠れみのに、自らの存在を押し隠していた男たちが物音一つ立てずに四人に接敵する。左右の路地の曲がり角から、建物の二階から、偽装した地面の下から。あらゆる死角から出現した男たちの気配を、メノウですら直前までまったく摑めなかった。

 下手をしたら、心臓まで止めて待ち構えていたのではないか。不意打ち優先で、紋章魔導どころか導力強化すら一切いっさい使わず強襲してきた男たちの手際は、処刑人として生きてきたメノウが感嘆するレベルにあった。

 彼らが構える武器は素手──ではない。

 襲撃者は、手足のどこかが導力義肢になっていた。自分の体の一部となった金属製の義肢を凶器に、き手やつま先りで急所を狙う。

 メノウやアビィは、それでもしのいだ。自分を狙う攻撃に驚きつつも受け止め、回避する。

 だが戦闘力に優れた二人をして自分の身を守るので精いっぱいなほど見事な不意打ちだったのだ。

 戦闘の心得のないマヤは、立ち尽くすしかなかった。

「──え」

 まったく反応できないマヤをかばうために動けたのは、一番近くにいたサハラだけだ。

 だからこそ、犠牲になった。

「ぐむァ……」

 悲鳴とも苦悶くもんともとれる声がサハラの口から響いた。

 自分の身を守ることも放棄してマヤを助けるためにおおいかぶさる形で盾になったサハラに、襲撃者は一切の同情も見せない。導力義肢の貫き手で彼女の心臓を貫き首筋を断ち切った。

 サハラの体から飛び散った鮮血が、マヤのほおにかかる。

「……」

 声も出せずに目を見開いたマヤの視線が、自分をかばって崩れ落ちるサハラから、凶器となった襲撃者の導力義肢へと移った。

 メノウたちは、自分たちに襲い掛かる相手を処理できていない。どちらも優勢だが、一対一の戦闘で時間を稼がれている。

 マヤを救う助力は、現れない。

 自分の命に迫る導力義肢を見つめるマヤの瞳が、紅い導力光を帯びた。

『導力:生贄供儀──混沌癒着・純粋概念【魔】──召喚【あなたのものはあたしのもの】』

 原罪魔導の発動は、一瞬未満だった。襲撃者たちの義肢に付着したサハラの血肉が、ずるりと怪しい動きで金属内部に浸透する。

「ちッ!?

 襲撃者たちが奇妙な声を発した。

 彼らの手足であり強力な武器でもある導力義肢が、突如としてありえない方向にゆがんだのだ。思わぬ異常事態に、原因であるマヤから距離を取ろうとする。

 だが、原罪魔導の申し子は後退すらも許さない。

「バッカじゃないの?」

 原罪魔導の残滓ざんしにらんらんと瞳を光らせて、マヤは襲撃者たち最大の失敗を告げる。

「あたし相手に原色概念製の手足が武器とか、自殺志願者なの?」

 言い捨てると同時に、襲撃者たちの導力義肢が魔物と化して反旗を翻した。きばを広げて、あるいは鋭い爪で傷つける。金属的な導力義肢から異形の生命体と変化して襲い掛かってくる自分の一部に、さしもの襲撃者たちも対応に苦慮する。

 その好機を逃すメノウではなかった。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【導糸】』

 太ももにある短剣に触れ、紋章魔導を発動。導力の糸で、マヤたちに襲い掛かっていた二人を拘束する。

『絡繰り世』で人体の欠損を埋めて生まれる導力義肢は、原色概念の塊だ。原罪魔導による変質に、一切の抵抗力がない。それを知らなかったか、あるいは知っていても初動で始末するつもりだったのかもしれない。

 マヤの足元に、襲撃者の手足から分離した魔物の一匹がい寄る。生命活動を停止したサハラの肉体に取りつき、肩口にある導力義肢に触れた。

『導力:生贄供犠──原罪ヶ印嫉妬・肉体──召喚【肉人形:心臓・血】』

 取りついていた魔物がサハラの肉体に取り込まれて、欠損部を修復していく。原罪概念魔導によって再生した心臓が、どくんと鼓動を打った。

 傷口が修復されたサハラが目をぱちくりさせる。

「……びっくりした。死ぬかと思った」

 復活した彼女の反応に、マヤがへなぁっと脱力した。倒れているサハラの傍にしゃがんで、深々と息を吐く。

「はぁ……言っておくけどね、サハラ。あなた、腕だけじゃそんな長く生きていけないのよ?」

「そうなの!?

 本人も知らなかった事実を聞かされ、サハラが慄然りつぜんとする。

「なんで!? 本体がこっちになってるから、私って割と不死身じゃないの!?

 導力義肢となっている右腕を突き出して主張するが、無慈悲に首の横振りが返ってきた。アビィも先ほどの攻撃で穴が空いたサハラの修道服を修復しながら頷く。

「サハラの魂が、あたしの作った肉体と導力義肢の間に引っ付いてるの。どっちがなくなっても、ダメになっちゃうわ」

「うん。妹ちゃんの魂、特殊だよ。原罪概念の肉体と原色概念の器の二つにつながってないと……たぶん、一時間ぐらいで魂が消えちゃう」

「なにそれ……」

 がっくりとサハラが項垂うなだれるのをよそに、メノウは【導糸】で縛りあげた一人に近づく。

「さて、いろいろと聞かせてもらうわよ」

 貴重な情報源だ。『遺跡街』を占拠しているゲノムについて、聞きたいことはいくらでもある。

「……」

 メノウに視線を寄越した男が、無言でゆっくりと目を閉じた。違和感のある所作に、メノウがまゆひそめる。

 黙秘をするにしては、あまりにも静かでささやかな反抗だ。

 なにをしたいのかという疑問の答えは、すぐに出た。

 あっけないほどに、小さな音が響いた。

 ポップコーンでもはじけたのかという、軽い爆発音。メノウが尋問をしようとした男だけではなく、襲撃者全員の心臓の真上にある布地が鮮血に染まる。すぐさま生気が失せていく顔色を見れば、なにをしたのかは明白だ。

 自決だ。

「うわ……」

 サハラが顔をしかめつつ、マヤの視界をふさぐ。メノウは冷静な面持ちで傷口に触れた。

 条件起動式の魔導でも仕込んでいたのか、心臓が破裂していた。ほぼ即死に近かっただろう。

「訓練されてるわね。止める間もなかったわ」

「処刑人でもここまではしないでしょ……」

 捕らえられた途端、全員が迷わず自決した。死体を安置したメノウは、顔を上げる。

 街には、彼らが指揮下に従っていた赤旗が並んでいる。

「こうなると、どこに潜んでいるかわからないわね」

 さっきのような奇襲が続くだろう。敵はまだ、うじゃうじゃといるのだ。

「でもこの街の中心になっている塔が【星読み】がいる──え?」

 マヤが不意に言葉を途切らせた。

 彼女は茫然ぼうぜんとした顔で、立ち尽くす。視線の先にあるのは、遺跡街の上下をつなげている巨大な塔だ。

「どうしたの?」

「いま、あそこで……環境制御塔で、ヤな感じがした」

 メノウの問いに、マヤは真っ直ぐに環境制御塔を見つめたまま返答した。

 たなびく赤旗には目もくれず、ただ真っ直ぐに中央にある塔を見つめる。

「あそこに『万魔殿パンデモニウム』がいる」

 マヤが、言い切った。

 唐突でいながら確信のこもった口ぶりに、サハラとメノウの顔が真剣なものとなる。

「へえ」

 吐息のようにらされたアビィの声に至っては、ほとんど殺意に近い感情が乗っていた。

「わかるの、ちびっ子」

「たぶん、間違いない。気配がする」

 マヤは、人災ヒューマン・エラーとなった万魔殿パンデモニウムの体の一部が記憶を取り戻すことで独立した。魔導的な繫がりを感知しても不思議ではない。

 先ほどの襲撃のこともあって、重苦しい空気が流れる。

 よくない流れだ。メノウはパンと手を打って不穏な雰囲気を断ち切る。

「よし。作戦会議をしましょう」


 メノウたちは、路地裏にあった背の低い建物に入った。

 もちろん、どこにゲノムの武装集団がひそんでいるかもわからないし、いつ襲ってきてもおかしくはない。建物内が無人であることを確認して、襲撃に警戒しながら議題を挙げる。

「私たちの目的は『星骸』の管理権限よ。そのために、あの大きな塔──環境制御塔にいるはずの【星読み】と接触して、力を借りるのが目的だったわ」

 状況を整理するために、メノウが現状を述べる。マヤやアビィも頷く。

 当初は【星読み】探しのつもりだったが、『遺跡街』に入って対応するべきものが増えた。事前に想定していた時から条件が変化したのだ。

「それで邪魔となるのは、ゲノム・クトゥルワと、その手下である武装集団よ」

 主に先ほど襲い掛かってきた連中だ。強敵だが、常識を超える相手ではない。

「ここに万魔殿パンデモニウムまでいるとなれば、なにが起こるかわからないわ」

 たった一人、そこにいるだけで盤上を引っかき回してひっくり返す存在だ。

 万魔殿パンデモニウムがいるかもしれないという根拠はマヤの感覚だけだが、軽視はできない。

「いても、おかしくないのは確かだよね。半年前の【世界停止】の時に『絡繰り世』の結界は緩んだから『霧魔殿パンデモニウム』が同じ可能性は高いもん」

 四大人災ヒューマン・エラーの一つ『霧魔殿パンデモニウム』。

 人災ヒューマン・エラーとなった万魔殿パンデモニウムを閉じ込める霧の結界であり、千年続いた魔物たちの蟲毒こどくによってこの世のものとも思えないほど混沌に満ちた場所だ。

【時】の純粋概念の持ち主であるアカリが幾度も世界規模に干渉する【世界回帰】の魔導を使ったことで結界に負荷がかかり、人災ヒューマン・エラーの一部が抜け出すという事件が起こった。

 海から街に漂着した万魔殿パンデモニウムの小指が第二身分ノブレスの少女に取り憑き、彼女の望みをかなえることで甚大な被害を及ぼした。

 それが港町リベールで起こった事件だ。

「うわぁ、害獣だぁ! やっぱり原罪概念ってロクなことしないよね。駆除しちゃえ、駆除ー!」

「あたしの意識はなかったもん!」

 アビィがはやし立てているが、まだ第一身分ファウストの処刑人だったメノウがあの時になにより恐ろしく感じたのは、百人規模の人間を生贄にしたことでも、島を吹き飛ばすほどに巨大な魔物を召喚したことでもない。

 万魔殿パンデモニウムに、悪意というものがなかったことだ。

 利益りえきを求めず、道理にもそぐわず、自己の犠牲すらかえりみみない。

 ただただ、世界に対して【魔】という混沌をもたらすための一点でうごめくのが、彼女だった。

 いくつかの偶然とマノンの意思が重なって、『マヤ』という人格を取り戻すことができた。

 マノンの屈折した望みに呼応したように、この『遺跡街』で万魔殿パンデモニウムがゲノムに力を貸している恐れがあるのだ。この世の混沌を助長する【魔】の性質と悪党であるゲノムは、著しく相性がいい。

「今回も同じような状況だと思う?」

「そりゃ、ねぇ」

 不承不承ふしょうぶしょう、マヤがうなずく。

 万魔殿パンデモニウムがいて、世界でもっとも有名な悪党がいる。この二つに関連性がないと考えるほうがおかしい。

 精神性はともかく、マノンは能力的には第二身分ノブレスの少女から逸脱はしていなかった。

 だがゲノムは十年近く前から悪党の頂点として恐れられている人物だ。個人の実力はもとより、組織力や資金力はマノンの比ではない。

 そんな人物に、万魔殿パンデモニウムの力がもたらされたら、どれだけのことができるのか。

「もしかして、結構まずい状況?」

「慎重にならなきゃいけないのは確かね」

 少なくとも、力押しは通用しない可能性が高い。

 アカリと魂レベルで導力を相互に接続することで純粋概念【時】を使えるようになったメノウと、生まれつきの強者である三原色の魔導兵のアビィがそろった場合、正面戦闘で負ける相手はミシェルとハクアくらいなものだ。ゲノムが遺跡街にいると聞いたところで、正面からぶつかれば負けないという公算があった。

 だが万魔殿パンデモニウムという手札が相手に加われば、話は違う。

 この世界において、彼女はもっとも厄介な性質を持つ存在の一つだ。

「マヤがいてくれてよかったわ」

 事前に万魔殿パンデモニウムの存在を察知できたのは大きい。なにも知らずに進んでいたら、気が付かないうちに取り返しのつかない状況におちいっていた可能性もあった。

「前向きに考えれば、都合がいいとも言えるでしょ」

 話し合いが面倒だからと見張りに立っていたサハラが発言する。

万魔殿パンデモニウムの討滅はマヤの目的。でしょ?」

 自分の成れの果てが許せない。

 そう言ってメノウたちの旅に加わったのがマヤだ。彼女が自分を取り戻した経緯を思えば、万魔殿パンデモニウムに対して彼女の存在はカウンターになりうる。

「環境制御塔で万魔殿パンデモニウムが出てきた時は、マヤを軸にして戦うわよ。あとの問題は、そこまでの道中よ」

 先ほどのような戦闘を何度も繰り返すのは消耗が激しい。実際、サハラが一回犠牲になるという事態が起こってしまった。ゲノムと万魔殿パンデモニウムが待ち構えているだろう環境制御塔まで、できる限り戦闘は避けたいのが本音だ。

「うーん……下の街に待ち伏せがいることが問題ならさ」

 アビィがガラスの抜けた窓枠から、地下天井を指差す。

 天井区画には地上にも負けず劣らずの街並みが広がっている。正直、いまにも落下してこないのかと不安になる光景だ。空が落ちてくるのではと憂いた人物は、きっといまのメノウたちのような心境だったのだろう。

 そんな風景にまったく物怖じすることなく、アビィは明るく解決策を提示した。

「このくらいの距離なら、飛んでいけばいいんだよ!」


 風が頰に吹きつける。

 上部の建築物群は、それぞれ巨大な通路で繫がっているようだ。三次元をフルに使って構築された迷路を連想させる。

 メノウたちは、アビィが出した魔導兵に搭乗していた。

 ずんぐりとした楕円形のフォルムをした魔導兵が、一対の羽を高速振動させてメノウたちを乗せながら飛行していた。

「空を飛べるような魔導兵、出せたのね」

「いつも飛ばしてたじゃん。ちっちゃいの」

 出し惜しみしていたのかと探りをかけたメノウに、アビィがテンポよく返答する。

「確かに、小型のむし型のは見てたけど……」

 あくまで極小なのが特徴であり、探索が強みの魔導兵だ。それをそのまま巨大化させ、メノウたち全員を乗せて飛ばせるほどの魔導兵をアビィが作れるとは思わなかった。おそらくはちがモチーフの魔導兵だろう。胴体がもふもふしていて温かい。飛行姿勢を安定しており、乗り心地はかなりいい。強いて欠点を挙げるとすると、羽音がかなりうるさいくらいだ。

 アビィの魔導兵に乗って、天井からぶら下がる街並みスレスレの高度を飛んでいく。

「それにしても、不思議よね。この遺跡街って」

「どうしたの? あたしが千年前にいた時と、そんなに変わらないわよ」

「それがおかしいのよ」

 ここの名称は『遺跡街』。あくまでも遺跡なのだ。

 メノウの知識では、この『遺跡街』は文献上の存在に近かった。千年近く地下街からは金属製の巨大な扉に阻まれ、『まれに選ばれた者が招かれる』という怪しげなうわさが生まれるくらいだ。メノウが実在を確信したのは、グリザリカにいた時にマヤから話を聞いてからである。

「北大陸の中央部は地脈が枯れてるのよ。どこから都市機能を維持する導力が供給されてるの?」

「そりゃ、あれじゃない?」

 メノウの疑問にアビィはお気楽に告げる。

「ここ、『絡繰り世』とつながってるもん。そこから微細導器群体マイクロマシンが流れ込んできたんじゃない?」

 今度こそ、メノウを含めた三人が絶句した。

「え? ごめん。聞き間違いかもしれないから、もう一回聞くわよ」

 魔導兵の羽音がうるさくて、うっかり聞き間違いをしてしまったのかもしれない。

 むしろその可能性を期待して、メノウは問いかける。

「ここが、なんだって言ったの?」

「『絡繰り世』とつながってるよ? 私、半年前にここから出てきたもん」

 ほら、と指差した先には、導力光が渦巻く巨大な球体がある。上下から伸びる環境制御塔に挟まれた中央にあるものだ。

「え? あれ、地下都市の光源──」

「違うよ。『絡繰り世』につながる白夜の結界の穴だよ?」

「──……」

 思わず、黙り込んでしまった。

 ゲノム・クトゥルワ、万魔殿パンデモニウムときて、『絡繰り世』だ。入ってきた情報の重要性が、あまりも度を越していた。

 メノウはゆっくりと息を吐く。静かに肺から空気を出し切って、もう一度、胸いっぱいに空気を吸った。

 それを一気に吐き出す。

 よし、と平静になった心中で小さくつぶやく。心理状態の根っこの部分はまだ絶賛混乱中だが、とりあえず表面上は落ち着いた。

「『絡繰り世』につながっている空間って、いままでグリザリカ辺境をはじめとする東部にしかなかったわよね。いくらなんでも、東部から離れすぎてない?」

「『絡繰り世』って亜空間上ではもう大陸くらいには広がってるから、こっちで規模の大きい原色格納空間作るとね。同位相の『絡繰り世』の窓口になるの。さっきもちょっと言ったけど、それが亜空間を作る時の弊害だよ」

「へえ……」

 原色空間は、この世界の空間を基準として、少しズレた場所に亜空間をつくる魔導だ。そして『絡繰り世』は、その少しズレた空間で拡大を続けて、この大陸いっぱいに広がっている。

 つまり、この大陸では原色格納空間をつくれば、もれなく『絡繰り世』のどこかにつながる窓口となるのだ。

 なぜ異様なほど便利な原色概念が禁忌になっているか。その理由がわかってしまった。

「だから『絡繰り世』が東部から北大陸にまで広がった時点で、『遺跡街』の空間と『絡繰り世』は繫がってたよ」

「……それだったら、ここが東部未開拓領域みたいな戦線になってもおかしくないわよね?」

「えー、そんなことするわけないじゃん」

 実際、東部未開拓領域は魔導兵が大量に這い出ては人類に襲い掛かっていた。

 北大陸がそんな有様になっていない理由を、にこやかにアビィが告げる。

「ここの境界線は私の管理する第十三地区と繫がってるもん! 魔導兵なんて出さないよ!」

 メノウは、がしりとアビィの肩を摑む。

 納得できる説明だった。言いたいことは山ほどある。

 だが一番は、これだ。

「あのさぁ、アビィ」

 メノウは笑った。笑顔だが、見る者の心胆を寒からしめる笑みだ。

「それ、なんで半年前に言わなかったの? それでなくとも、グリザリカを出る前に言おうって、思わなかった?」

「聞かれなかったし、私、『絡繰り世』横断するよりこっちで旅をしたいからぎゃん!」

 頭に思いっきりチョップを入れた。頭を押さえるアビィを冷ややかに見下ろす。

「そーいうことを話さないから信用がないのよ」

「ごめんってばぁ……ていうか、わざわざ言うほどのことだったの? 『絡繰り世』と『遺跡街』が重なってるのなんて、もう五百年くらい前からだよ?」

「それが大事件じゃなくてなんなのよ!」

 よくよく考えてみれば、半年前にアビィと出会った場所と時期がおかしいのだ。

 東部から出てきて、北大陸に来るには少し早い。不可能ではないが、人類社会に慣れていない魔導兵が一直線に最短ルートを取れるはずがない。

 北大陸で出てきたアビィが、サハラの気配を感じて直行したからこそ、あのタイミングでメノウたちに出会うことができたのだ。

「まあ、いいわ。これでミシェルの問題が片付いたから」

「え? もしかしてメノウちゃん、帰り道にうちに来るつもり? いやん、おねーさん、ちょっと恥ずかしい──」

「なにか、文句あるの?」

「──はい、ないです……」

 さっきと同じにっこりと笑顔で圧をかけると、すごすごと引き下がった。

「そんなに怒らなくてもいいんじゃない、メノウ。考えようによっては、問題が一個、解決したんだし」

 問答が終わるまで後ろで傍観していたサハラが言葉を投げかける。

「そうね……悪いことだけじゃないから逆に腹立たしいところがあるのよ」

 地下から脱出する出口にミシェルが陣取っているのが問題だったが、ここがアビィの地区につながっているなら話は別だ。『絡繰り世』を通って、東部の境界線からグリザリカへと帰還すればいい。

「味方だっていうなら、先に話してほしいのよ。いま乗ってるこれだって、そう。こんなのがあるなら、北大陸でミシェルから逃げる時にも出してほしかったわ」

 メノウは自分たちが乗っている魔導兵の機体をでる。地形を無視できる分、列車とは比較にならない。主に移動に使っていた八脚蜘蛛ぐもと比べても格段に速いスピードだ。

「それは嫌だなぁ。外だとあんまり飛ばないようにしてるんだよね。長時間は特に控えてるんだ」

「ん? どうして?」

「危ないからだよん」

 あっけらかんとアビィが答える。

「私の蟲型って、自由自在に飛べるじゃん? だから飛行型作る時も蟲型の魔導兵をおっきくすればいいかなぁって思ってたんだけど、なぜかうまく飛ばないんだよね。人を乗せる大きさだと、羽ばたくのって効率悪いみたい」

「え……でも、飛んでるわよね?」

「うん。すごいでしょ! これとか、弟たちからは『逆になんで飛べてるのかわからん』って不思議がられてるくらいだよ」

 アビィを除いた三人は顔を見合わせる。そんな危ない飛行魔導兵に、メノウたちはなんの忠告もなく乗せられていたらしい。単独でなんで飛べるのか不思議と言わしめる飛行物体に、四人も乗って大丈夫なのか。

 不安に駆られる三人を励ますために、アビィが明るい笑顔を浮かべる。

「そんな不安そうな顔をしないでよ。おねーさんが作った【熊ン蜂】くんは頑張って飛んでくれると信じてるよ! ほら、もうちょっとでぁッぶゥ!?

 ぼん、と音を立てて弾け飛んだ羽根の破片がアビィの顔面に命中した。

 人を乗せて飛行する揚力を生むための高速振動に対して、脆弱ぜいじゃく性を抱えた根元が耐えきれなかったらしい。当たったのがアビィで幸運だ。高速振動をしていた羽根には、他の三人ならそれだけで重傷を負うような運動エネルギーが秘められていた。

「おおう」

 メノウたちがあ然としているうちに、ダメージを負ったアビィがよろめく。操縦者の意識が途切れたことで、機体が完全にバランスを失う。墜落はまぬがれなさそうだ。きりもみ飛行で振り回される前に、メノウは立ち上がった。

 千メートルを超える高高度からの軟着陸か、なんとかして数十メートル上方にある天井部の建物にぶら下がるかの二択だ。

『導力:接続──短剣・紋章──発動【導糸】』

 メノウはサハラに、導力の糸を精製した短剣を投げ渡して目配せをする。彼女も心得たもので、導力義肢となった右腕を差し出した。

 メノウはサハラの義手に足を乗せる。

『導力:素材併呑──義腕・内部刻印魔導式──起動【スキル:導力砲】』

 導力砲を放った反動を使い、サハラが思い切り腕を跳ね上げた。

 メノウたちが選んだのは、氷柱のようにぶら下がる建築物の一つに到達することだった。

 サハラの力を利用して、メノウは大きく飛び上がった。二人の能力を合わせた大ジャンプだが、一際長く建造されているビルまで、まだ少し距離が足りない。このままでは【導糸】で繫がっているサハラとマヤごと真っ逆さまだ。

 メノウは短剣銃の銃口を、下方に向けた。

『導力:接続──不正共有・純粋概念【時】──発動【劣化加速→導力弾】』

 下方に発砲する反動で、大きく上へと跳ね上がる。一番近い建物の底面まで、あと一歩。

『導力:接続──短剣銃・紋章──発動【導枝】』

 短剣銃から、導力の枝が広がった。メノウの導力操作に従い、そこらではためいている赤旗にからみつき、跳躍から落下に移って重力に囚われる寸前の体を支える。

 ぶらん、と体が揺れた。サハラたちも、短剣を通した【導糸】に摑まって落下を防いでいた。

「こんなことになるなら、あたしが飛べる魔物を召喚すればよかったわ」

「それよね」

 今回ばかりは反論はない。安堵あんどに肩の力を抜きながらも、メノウは【導糸】でサハラたちを引き上げる。

「ぎり、ぎり……あ」

 そして、最後の一人。

「おねーさんは大丈夫だから、環境制御塔でまた会おうねええええぇぇ──」

 アビィは、見事に落下していた。

 見る間に豆粒以下になって視界から消え去る。引き上げられたマヤが、ちょいちょいとメノウのすそを引っ張る。

「なんでアビィは助けなかったの? メノウもあいつのこと、そんなに嫌いだった?」

「……いや、自力でなんとかなるかなって思ったのよ」

 他意はない。さっきのやり取りの腹いせなどでは断じてない。

 万能のアビィも単独での飛行はできなかったらしい。

 だが、さほど心配はしていなかった。

「それに、まあ……落ちても平気でしょ」

 はるか下の地上で、勢いよく墜落した音が聞こえた。


 上空からアビィが落下した地点には、もうもうと土煙が立っていた。

 頑丈に造られている遺跡街の構造物にも限度はある。アビィが落下した衝撃に大通りの路面がめくれて、ちょっとしたクレーターができていた。

 その中心で、アビィはむくりと起き上がる。

「うーん……。見事に無視されて、おねーさん悲しい。メノウちゃんからの優先順位が低いなぁ、私ってば」

 服を軽く叩いてほこりを落とす。千メートル近い落下の衝撃を受けながらも、彼女の褐色の肌に傷はない。

「久しぶりですね、アビリティ」

 アビィに声をかけてくる人影があった。藍色の神官服に身を包んだ、桃色髪の少女だ。

 おお、とアビィは顔を輝かせる。モモである。彼女とアビィは、メノウたちと出会う前に知り合っている。

「どうですか、ここまで来て」

 ふるふると首を振って、悲しげな視線を向ける。

「もっと引き留めてほしかったのが本音だよぉ」

「どーでもいいです。お前に聞いたのは、そんな感想じゃありません」

 手を引っ張って乱暴にアビィの体を引き起こす。謝意の敬礼をすると、顔をしかめられた。

「たぶんね。大丈夫だと思うよ。だけどさぁ」

 アビィは不機嫌に目を細める。

「環境制御塔にアレを持ち込んだの、モモちゃんだよね。なんのつもり?」

「私が? まさか」

 威圧感を込めたアビィの問いをモモは否定した。白いキャリーケースを椅子にして足を組む。

「世界を滅ぼす方法を実行できかねないお前に、とやかく言われることじゃありませんよ。それで、どうするんですか? この大陸を半年間、見て回った感想は? 半年前に会った時の取引は、お前の役に立ちましたか?」

「んー……それは感謝してるけどさぁ」