アビィの案内でミシェルたちが造った儀式場にたどり着き、巨大に成長した導力樹を使って我堂が自分の本人格と経路を確立させ、魂の世界から引き出した記憶をメノウの持っていた教典に注ぎ込んだ。

「結局、どういうことなの?」

 そんな一連の流れを知らず、さっき目を覚ましたサハラが疑問の声を上げる。彼女の認識だと、ギィノームに襲われてから先の記憶がない。そんな下僕をマヤは半眼で眺める。

「サハラって、肝心な時にいいとこなしよね」

「ねえ、マヤ。この謎の浮遊物体はなんなの? わけわかんなくて怖いんだけど」

「我堂よ。あたしの友達。恥ずかしがり屋だから顔出しNGなの」

「顔を出すとか出さないの問題じゃ……ああ、でも上にとまってる青い蝶、お洒落ね」

「あ、それはアビィね。あたしも、そっちのほうが好きだわ」

「へー?」

「ところで、サハラ……頭、大丈夫?」

「いきなりなに、その失礼な質問」

 あらゆる事情がわかっていないサハラは、マヤの質問に怪訝けげんな顔をする。

 ミシェルたちが用意した儀式魔導によって、サハラの腕の中にあるらしい無限空間に『絡繰り世』の大半は収納された。残ったのは我堂のモノリスを形成する狭い部屋と、素材を消費しすぎて小さな蝶々しか端末で動かせなくなったアビィだけだ。

 その過程でどんな異常が出てもおかしくないのだが、マヤが見たところ平気そうである。

「とりあえず、メノウたちと合流を……」

 ここにいても仕方ないと、腰を上げた時だ。見知った顔が教会に入ってきた。

「やあ、サハラ君。それにマヤ君も一緒か」

「……カガルマ?」

 現れたのは『盟主』カガルマ・ダルタロスだ。サハラが彼の名前を呼ぶ。

 もともと『第四フォース』と呼ばれる無形の犯罪集団を取りまとめていた大人物である。紆余曲折を経てグリザリカ王国にいた時のサハラたちと一緒に滞在していた。

「どうしてこんなところにいるの? もしかしてこのあたり、グリザリカ寄りの場所?」

「お別れを、言いに来たんだ」

 サハラの問いに対して、カガルマが一方的にそんなことを言う。

「お別れ?」

「ああ。私はね、千年前も死に場所を探していた。でも同時に、怖くて怖くてたまらなかったんだ。死んで、この世になくなることが怖かった」

「別にいいんじゃない? 死ぬの、怖いもの。それより、メノウがどこにいるのか知らない?」

「違うんだ。無為に死ぬのが、怖かったんだ。私には子もなく、信頼できる人間もおらず、ただ、金だけがあった。だから不死の実験なんてものに投資して、グリザリカ財閥に協力した」

 見事に後半の問いかけを無視したカガルマが、かつんとつえをつく。

「逆を言えば、私は世界にとって有意義になれるのなら、いつ死んでも構わなかったのさ」

 カガルマは、サハラから視線を外してマヤへと語りかける。

「マヤ君。南の『万魔殿パンデモニウム』が解放されたよ」

 マヤが愕然がくぜんとする。いまのマヤの前身、記憶を失って人災ヒューマン・エラーとなった、最悪の【魔】の純粋概念の集合体。世界を滅ぼせる魔物の群れの主が、万魔殿パンデモニウムだ。

「有限を食い尽くす彼女を放置すれば、世界はまさしく混沌に陥るだろう。……さて、諸君」

『盟主』カガルマ・ダルタロスはうさんくさい笑みを浮かべた。

「この世界の危機を前に、私がどうしてここに来たのか、君たちにわかるかい?」

 どこまでも信用できない笑みを浮かべるカガルマの影が、原罪魔導の気配を漂わせていた。


 メノウたちから少し離れた場所で、おぞましい気配がした。

 原罪魔導が行使された。しかも、なにを召喚したのか判断ができないくらいに巨大でおびただしい気配が、世界に這い寄ってくる。

「これは……ちょ、二人ともいい加減離れなさいって!」

「やだぁ!」

「いやですぅ!」

 人の心を押し潰す原罪魔導の気配にも負けず、モモとアカリの二人はメノウに引っ付いたままだ。離したらメノウが自殺するんじゃないかと思っていそうな抱き着きっぷりである。

「確かに心配させたわねっ。ごめん! 本当に悪かったと思ってるけど、いまは──」

「ミシェルは、負けたのか」

 聞き覚えのある声が背後で響く。メノウが振り返ると、赤みの強い金髪をたなびかせる女性がいた。

「アーシュナ殿下?」

「そしてカガルマも、覚悟を決めた。時代の変化を感じるな。千年続いた悪運の持ち主どもも、次々と途絶えていく」

 メノウの呼びかけに答えず緩く喋るアーシュナの背後には、一人の騎士がたたずんでいる。

「『星骸せいがい』、『万魔殿パンデモニウム』、『塩の刃』、『絡繰からく』。すべてがこの地にそろった。千年の因縁がようやく終わるが……ここがお前の望んだ決戦場なのかな、廼乃よ」

「お前……」

 ようやくメノウの胸元から顔を上げたモモが眉根を寄せた。

「姫ちゃまじゃないですね。誰ですか?」

 遠い目をしていたアーシュナは口端を持ち上げて笑った。

 モモの瞳に敵意が宿る。自分に向けられた悪感情に、アーシュナが側の騎士の名前を呼ぶ。

「エクスぺリオン」

 彼が、一歩前に出た。腰にある剣の柄に、エクスペリオンと呼ばれた男が手を添える。メノウはとっさに二人を突き飛ばした。エクスペリオンが、右手がかすむ速度で抜刀した。抜き打ちの軌道を先読みして、メノウは刃が衝突して嚙み合うはずの位置に短剣を構える。

 メノウの短剣の刃が、斬り飛ばされた。柄を握った手にほとんど衝撃を感じなかった。メノウは柄の根本から分離した短剣の白刃を、戦慄とともに見送る。

「腐っても大陸最強の騎士だぞ、そいつは」

 アーシュナの体をした誰かが、からかうように告げる。

 ミシェルとは、まったく質が異なる剣だ。対応できるはずの動きに対応した動きを、綺麗に裏切られた。力ではなく、技術が人の域を超えている。

「じきにハクアもここに来る。私としては、ハクアを含めた五つがまとめて片付くなら干渉は控えてやってもいいと思っている。……永久機関は惜しいがな」

 大陸最強の騎士を従えている彼女は、アーシュナではない。肉体は同じでも、精神が違う。

 ハクアのことを知って、その行動まで把握しているとなれば正体は明白だ。

「【防人】……!」

「そうにらむな。少し表に出ているだけだ」

 アーシュナの体で微笑んだ【防人】が、メノウの殺意をたしなめる。

「あと百年あれば、『絡繰り世』から我堂の肉体を乗っ取って、本人格を支配できたはずなんだがなぁ。魂の世界に人を送り込んで、肉体と魂の経路を絶たれてしまうと、私とて干渉できなくなってしまう。わかるか? 廼乃は、我堂を私から守るためだけに、お前らを動かしたんだ。あいつも友達思いだよ。私のことは嫌いなくせにな。……ほら、あれを見ろ」

 唇を尖らせたアーシュナ──【防人】が、遠くを指差す。その方向を追って、メノウは最悪な現象を目撃する。

 立体感を喪失させるほど真っ黒で、山ほどもある巨大な扉だ。魔物が押し合いへし合い重なり合って潰れ合い、巨大で黒色の扉を形成している。

「さて。まず『万魔殿パンデモニウム』だ」

 先ほどメノウが感じた原罪魔導は『万魔殿パンデモニウム』の本体を召喚した魔導だったのだ。

「あれがこの世界をどうするか、一緒に見物でもするか?」

【防人】が指差す先で、無尽の【魔】を秘める扉が、開こうとしていた。