ちゃんと記憶がある。

 だが、と眉をしかめる。

 いまいる場所は記憶とは異なる。明らかに塩の大地とは違う場所だ。

 なんとなく、自分の胸元に手を当てる。服が破けている。少し肌に違和感がある。大きな傷がふさがったような痕がある。どれも心当たりがない。つながらない記憶に不安が湧く。きょろりと周囲に目を走らせて、見知らぬ風景に自分が知っている少女がいることに気がついた。

「モモちゃん?」

 この異世界で出会った、小憎たらしい友人だ。知り合いがいるという心強さに顔を明るくして、彼女のもとに駆け寄る。そして、異常に気がついた。

 うらやましいくらい小さくほっそりしていて、ムカつくくらいに一途でかわいらしく、ちょっと尊敬しそうになるくらい行動力があって、いつも生意気で口が悪い彼女が、泣いていた。

「え!? ど、どうしたの? モモちゃん、どっか痛いの?」

「失敗、しました……」

 モモはアカリには目もくれず、白骨化した遺体の手を握って、ぼろぼろと涙を流す。

「失敗って、なんの話!? なんで泣いて……ていうか、わたし、全然状況がわかってないんだけど!」

「でも、他に、手段がなかったんです」

 さっぱり事情がわからない。

 まるで説明する気のないモモに戸惑いながら、視線を移す。

 モモが手を握る白骨化した遺体の服装に、どこか見覚えがあった。

「……え?」

 まさかと思った。だって自分の記憶とは、少し違う。アカリの記憶にある彼女は、いつだって神官服を着ていた。

 だが、他にモモが涙を流す理由が思いつけなかった。

「噓、もしかして、この、人……」

 声に出すのも恐ろしかった。

 けれども、確認しないという選択肢はなかった。

「メノウちゃん、なの?」

 モモが、うなずいた。

「うそだ!」

 肯定されてしまった予想に、絹を裂くような絶叫がのどからほとばしった。

「そんなわけないっ。それが……!」

 白骨を見て、息が詰まる。

「……その人、が。メノウちゃんだなんて、あるわけ──」

「うるさい!」

 モモの怒鳴り声が、アカリの言葉を吹き飛ばした。

「先輩は、人災ヒューマン・エラーになったお前を助けるために、こんなっ……!」

「ひゅー、まん、えらー? わたしが……?」

「そうですよ!!

 涙を止めることも、拭うこともしない。感情をまったく隠さず堪えることもせずに垂れ流すモモの言葉に、アカリは事の経緯の一端を摑む。

 セーラー服の少女に記憶を消されたあの後に、自分は人災ヒューマン・エラーとなったのだ。

「で、でもどうしてメノウちゃんが、こんな……骨になんて、なっちゃうのさ!」

「お前と導力接続なんて、したせいです。魔導的に同一になったせいで、先輩の魂に純粋概念を移すことが、できてしまったんですよっ」

 モモが怒りと悔恨に歯嚙みをする。その説明で、アカリにもメノウが自分の純粋概念を引き受けたことが理解できてしまった。

「それで人災ヒューマン・エラーになるまで自分を酷使したんです。だけど、失敗、しました……人災ヒューマン・エラーになっても、記憶さえ、戻せばって……思っていたのにぃ」

 本当に、他に方法がなかったのだ。

 メノウがアカリの代わりに【時】の純粋概念を背負うと決めた瞬間から、彼女の救いはなくなった。いままでメノウが殺し続けた異世界人たちのように、メノウも避けようのない死に向かっていった。

 だからモモは、一度、メノウが人災ヒューマン・エラーになる可能性を許容した。

「なのに、なの、にぃ……!」

 結果、異世界人ではなかったせいか、あるいはクローン体という生まれのせいか。メノウの肉体が純粋概念の暴走に耐えきれず、人災ヒューマン・エラーになることすらできなかった。

 肉体が純粋概念【時】に耐え切れずに風化して、服を纏った真っ白な骨となって転がっている。マヤの時のように、生きた体に記憶を戻す機会さえ、失われた。

「そ、んな……」

 メノウに関して、モモがこんな冗談を言うはずがない。

 モモの態度に、まざまざと思い知らされる。目の前の白骨は、メノウなのだ。

「あっ、だ、大丈夫だよ、モモちゃん!」

「近寄んな……」

「わたしが【回帰】を使えばいいんだよ!」

「おまえ、もう、どっか行けよぉ……」

 力ないモモの暴言にも構わずに、アカリは指を立てて集中する。

【時】の純粋概念は死を超越する。それは何度も何度もよみがえったアカリ自身が証拠だ。

 だが、いままでは呼吸と同じように行使できた魔導構成が、まったく浮かんでこなかった。

「あれ……?」

 アカリが【時】の魔導を行使できたのは、あくまで魂に【時】が定着していたからだ。それがなくなったいまとなっては、彼女は普通の一般人と大差ない。いまのアカリがメノウを甦らせるなど、夢のまた夢だということを、モモは承知していたのだ。

【時】の純粋概念は、人災ヒューマン・エラーとなって自滅した。もう、この世界に純粋概念として存在していない。純粋概念は、人災ヒューマン・エラーとなった迷い人が死ぬことで魔導概念として世界に偏在するようになる。これからこの世界には、時の魔導系統が発見されて緩やかに発展していくはずだ。十年後か、百年後か、はるか未来に。

 つまり、いま、メノウを甦らせる方法はない。

「なんで……」

 自分の無力さに打ちのめされたアカリは、力ない動きでふらっとメノウの遺骨に歩み寄る。

 骨だけとなった成れの果てが、あれほど美しかった少女とは思えない。

「なんでっ……!」

 涙腺に、熱が込み上げる。

 ただ、悲しいのではない。悔しさ、不甲斐ふがいなさ。勝手にってしまったメノウへの怒り。

 自分を助けるために、メノウがこうなってしまった。

 彼女を犠牲にして助かって、自分が喜ぶと思っていたのだろうか。いいや、アカリにもわかっている。アカリが嫌がろうが怒ろうが、メノウはアカリを助ける選択をした。

 それが、メノウという、アカリのかけがえのない親友だ。

 どうしようもなく自分勝手にアカリを助けた彼女の頭蓋骨の頰に、両手を添える。涙を浮かべ、顔を近づける動きをモモは止めようとしなかった。

「メノウちゃんの、ばか」

 涙を流したアカリが、白骨に口付けを落とす。

「……あ」

 唇がメノウに触れて、アカリは気がついた。メノウの白骨に、自分から失われた【時】の残骸が宿っている。

 純粋概念を宿した体は、死体でも魔導素材となるのだ。他でもない、メノウから聞かされたことである。そして純粋概念は人災ヒューマン・エラーが消えると、その世界に魔導として偏在することになる。

 つまり、一般的な魔導として行使できるようになるのだ。

 もちろん、通常ならば既存の魔導体系に組み込むのには長い時間がかかる。だがアカリはだれよりも【時】の魔導を体感した元人災ヒューマン・エラーで、メノウの遺骨は【時】の人災ヒューマン・エラーの成れの果てだ。

 魔導行使者と対象者。どちらもが【時】の純粋概念に誰より近づいて、お互いが魔導的に同一なのだ。本来あり得るはずのない二つの条件が、まだこの世界に存在していなかった最初の時間魔導を生み出すきっかけとなる。

『導力:素材併呑──』

 アカリが、目を閉じる。自分の額を、白骨の額に当てる。意識を集中する。自分がかつて無意識に行使していた【力】。それを意識する。

『遺骨・擬似概念【時】──』

 感性と理論を同時に働かせる。純粋概念ではない。それを、この世界に当たり前に存在する魔導現象として組み立てるために、脳みそがゆだりそうになるほど回転させる。必死に汲み上げて紡いだ魔導理論に魂から引き出した導力を乗せて展開する。

『発動【不正回帰】』

 人災ヒューマン・エラーになりかけたメノウの遺骨を魔導素材にして、この世界で最初の純粋概念ではない時間回帰が発動した。

 真っ白な遺骨が、紫の導力光に包まれる。

 白骨が、蘇っていく。筋肉が、血管が、逆再生していく。それとほぼ同時に、空を覆うほどの巨大な導力樹が砕けた。ミシェルのものだった膨大な導力をかてにして魔導現象を起こし、メノウの胸元に置いてあった教典に経路を結んで、とある情報を再生させる。

「これは……」

 モモが、空を仰ぐ。アカリによる、メノウの肉体の復活だけではない。他の場所でメノウを救うための、もう一つの魔導を発動した者がいる。

「アビリティが──いえ、他にも……?」

 小さくモモが呟く傍らで、皮膚まで再生したメノウが、まぶたを開く。一度、戸惑うように瞬きをした。眠気を振り払うように頭を振って、目の前にいるアカリを見る。

「アカリ?」

 目が覚めたメノウが、一番にアカリの名前を呼ぶ。次に視線を動かし、驚愕に息を止めているモモを見る。

「モモまで……あら?」

 不思議そうに、手を開いて握る。

 動ける。生きている。記憶もある。モモのこと、アカリのこと、ミシェルとの戦い、この半年の旅、そこからさかのぼる人生と、導師マスターと出会った、あの時まで。

「え? どういうこと?」

 自分の計画にはまったくなかった自分の救いにほうけるメノウに、二人は同時に抱きついた。

「メノウちゃん! バカバカバカぁっ」

「先輩ぃ! ほんっとうに、今回ばかりはモモも、お、怒りますよぉ……!」

 わんわんと号泣して、自分をののしる二人に、メノウは目を白黒させることしかできなかった。


 儀式魔導によって消費された導力の大樹が消えていく。

 ミシェルたちが造った儀式場の中心にある教会で、マヤはぽつりと呟く。

「メノウの記憶、ちゃんと戻ったかしら」

 ミシェルとメノウの戦いから離れたマヤと我堂は、ここに移動していた。

 メノウがミシェルに勝利した時に発生した、導力の大樹。その膨大な導力を見て、我堂が言ったのだ。

【龍】に比肩するあの導力があれば、物質世界を超えた魂の世界にまで干渉して記憶を再構築できるかもしれない。だからマヤの記憶を補充しないか、と。

 それを聞いて、マヤはその方法でメノウに記憶を補充してくれと我堂に頼んだ。

 我堂蘭の本人格の代用をするために、本人格と長らく経路をつなげていた我堂だからこその発想だった。もともと我堂は、魂の世界にいる我堂蘭と接続をする魔導理論は組んでいた。彼女とて、本人格にとって不要になった自分を切り離してほしかったのだ。

 必要な莫大な導力が足りていなかったが、そこに発生したのがミシェルの導力樹である。

 魂の世界から記憶を引き出す必要な要素は揃ったと思いきや、『絡繰り世』消失とともにモノリス内部の世界のほとんども消えてしまったため、発動媒体が足りなくなった。魂の世界に干渉する魔導に耐えうる儀式場がないということで行き詰まっていた時に飛んできたのが、小さな青い蝶々だ。ほとんど素材を失って人型も保てなくなった彼女が、ミシェルたちの造った儀式場の存在をマヤたちに伝えた。